今年のノーベル文学賞が授与されると決まってから(辞退の意思表示もするワケでなく)音信不通になっているボブ・ディランに対して、選考委員が「無礼で傲慢」と不快感を露わにしているが、本当に無礼で傲慢なんだろうか。私には選考委員のほうが傲慢に思える。「せっかく選んでやったのに」という上から目線の物言いであって、「アンタたち、何様?」と訊きたくなる。
そもそも、ディランは「ノーベル賞を欲しい」などと全く思っていない。要らない人に勝手に「授与する」と決めておいて、受け取らない(連絡が取れない=してこない)ことを傲慢だと言う・・・、何か変。
お腹が空いてなくてピザを食べたいとも何とも思ってない人のところに第三者がピザの配達を勝手に依頼して、食べたかどうか、とか、お礼も言ってこないのは失礼だ、と言ってるようなもので、ディランがノーベル文学賞を受けるも断るもディランの自由だし、まあ意思表示(何らかのコメント)はしたほうがいいだろうけど、それもディランの自由。反体制のディランの対応は予想もついていたハズ。
と言うか、なんでディランがノーベル文学賞なの?、という疑問はある。何も「小説家でなければ相応しくない」と言っているのではない。詩人が受賞してもいいものだろうけど、ディランの歌詞にノーベル賞の価値が本当に有るんだろうか。そういう作品が何曲あるんだろうか。他に執筆活動をしているんだろうか、どうにも選考基準が分からない。私からすると年末の「新語・流行語大賞」と同じレベル。
過去には「核を廃絶しましょう」と言っただけで、その期待感で平和賞を貰った大統領もいたっけ。何か実現されたんだろうか、逆に、核保有国も核の数も増えているじゃないか。そんなのは成果があってから出すのが当たり前。でなければ、あの「スタップ細胞はあります」の小保方氏に医学生理学賞が与えられてもおかしくないことになる。
「南北統一に向けて努力する」と言っただけで平和賞が与えられたりもした。努力はしたんだろうけど成果は全く出ていない。そりゃあ当たり前である。外交はそもそも相手のあることであって一方の思惑だけでは進まないのだから。で、今、どうなっているか、と言えば当時より酷くなっている。
化学賞や物理学賞、医学生理学賞などの理系の賞は、オリンピックで言えば着順を競う競技で、誰の目にも優劣の判断は正確につくもの、文学賞や平和賞などは採点競技のようなもの。審判の判定は絶対だが、本当にそれで公正とは言い切れない。まさかに「後方伸身2回宙返り4回捻りをやります」と宣言しただけで10点満点が貰えるワケもないけど。もしかすると2位や3位の選手のほうが上だったかも知れない。平和賞なんか、「何をしたいか」選挙の公約で謳っただけで受賞している。
もうノーベル賞から文学賞と平和賞を消してほしい、そんな思いである。
ところで、私がよく鑑賞している動画に、こんなのがある。
ギターの神様とも呼ばれているエリック・クラプトンのコンサートにボブ・ディランがゲスト出演した時の模様であるが、登場の仕方からして「ただならぬ雰囲気」で、終始「大物感」を漂わせていて、神様のほうが気を遣っているのが見てとれる。この動画を観ていると、たしかに「無礼で傲慢」だと思える。と言うより、唯我独尊、孤高の人物なんだろう。別の言い方をすれば「ただの変人」である。
メンツを潰された格好のノーベル文学賞の選考委員会はディランからの連絡など待たないで、異例のことではあるだろうけど(今年は受賞者なし、にせず)サッサと次の受賞者を発表すればいい。ま、ディランに懲りて来年からは「ノーベル文学賞が欲しくてたまらない人」に与えられることになるだろう。
さきほどノベル選考委員から発表があり、ボブ・ディランの文学賞は失格とし、
2016年度の新たな文学賞は『悪徳不動産屋の独り言』を書いた坂口 有吉氏に決定しました。
なんて、、ことにならないかな?
1億円、ほしいな。。。
>ボブ・ディランに対して、選考委員が「無礼で傲慢」
これには続きがありますよ。
正確には
「無礼で傲慢だ。でもそれが彼ってものだ。」
原文は知りませんけどね。
「二番じゃダメなんですか?二番じゃ何の役にも立たないんですか?」的な。
じゃあ、来年はpoohpapa さんとこにピザが宅配されるか見届けなくては。
もし受賞したら、きっと賞金は難民団体に寄付しちゃうんでしょう。
それで再来年は平和賞もいただく。
あはは、歌詞が対象になるならブログの文章も対象になっていいですよね。でも、それなら真っ先に頂くのは「ねずさん」あたりでしょうね (^◇^)
ところで、ディランが失格になりましたか・・・。でも、本人はスタートラインに立ってるつもりもないのに勝手に「失格」と言われてもねえ・・・。やっぱり、変ですね ( `ー´)ノ
日本の報道では前段の「無礼で傲慢」しか出てませんし、「でもそれが彼ってもんだ」なんて言葉は無く、ご立腹の様子しか伝えられてませんよね。だから、騙されてると言うのは違うような・・・。
それと、「二番じゃダメなんですか?二番じゃ何の役にも立たないんですか?」というのは、本当にそういうふうに言ったのですか?。それはハリケーンさんが解釈して付け加えたのではありませんか?
仮にそう言っていたとしても、二番で役に立つか立たないか、は論点がずれてるし、最初から二番を目指す研究者はいませんよね。そんなふうに思っていたなら二番にもなれません。競う気持ちが無ければ科学や技術は発展しません。最初から金メダルは諦めてて「私は銀でいい」と思っている競技者は銀メダルも獲れないものでしょう。研究も同じです。だから蓮舫は底抜けのアホでダメなんです。
あはは、来年も、ピザ屋は我が家には来ないでしょう、それは間違いなく (^◇^)
<<もし受賞したら、きっと賞金は難民団体に寄付しちゃうんでしょう。
そんなことしません。先ずは住宅ローンを完済して、不動産屋を畳んで別の商売を始めるでしょうね。などと、もし宝くじの一等が当たったら、という話になってますね。貧乏人は現実的なんです (涙)
短い期間で二番になるのは既に分かっていたので、泥縄式に杜撰な計画の見直しで一から予算をくれじゃなくて今の計画のままの予算で二番になってからの有用性をプレゼンしなきゃダメじゃないですか、って言ってたんですよ、あの二重国籍の女性は。
世界新で金メダルは取れたんですよ。
直ぐに記録が塗り替えられるだけで。
それをうっちゃって、いい加減な新しい計画につぎ込む予算はどうだかね、って話です。
次の大会で金メダルを目指すのが妥当だと思えばまた税金を投入して次の大会で金メダルを目指せばいいだけの話。
世界新で金メダルを取って、その後はその記録を生かした生活を送りましょう、というまともな提案だと思いましたけど。
Academy member Per Wastberg told Swedish television: "He is who he is," adding that there was little surprise Dylan had ignored the news.
肯定とも否定とも読み取れないような感じではありますね。
蓮舫氏の発言は、日本語で全文が読めます。
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9283589/www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/h-kekka/pdf/nov13gijigaiyo/3-17.pdf
研究者は、たとえ直ぐに(1次的に)抜かれることが分かっていても1位(順位ではなくさらに上)を目指すものではありませんか?。そうすることで諸外国から日本の技術に対する信頼感が生まれて他の分野(産業)にも良い影響を及ぼすもの、と私は理解しています。
杜撰な計画を見直しするのと「2番でいい」(その中から一般企業が安価に利用できるモノが生まれればそれでいい)というのは別の話だと思うのですよ。
「世界新で金メダルを取って、その後はその記録を生かした生活を送りましょう」というのはマトモな提案とは思えません。技術開発とか研究というのは「そういうもの」ではないと思います。
ペニシリンを開発して、(もっといい薬が開発されても)「その特許で暮らしていけばいいじゃない」ではダメなんでは、ということ。
それと、政治家とか著名人は、自分の言葉がマスコミによって都合よく、センセーショナルに部分的に切り取られて使われることに常に警戒感を持っていなければなりません。脇が甘いんですよ、二重国籍の問題にしても。それでいて他人の揚げ足取りをする時は説法鋭く、なので嫌われます。
私は全文を読んでも、「二番じゃダメなんですか」はダメだと思います。仕分け作業は公開で行われているのですから、庶民に解かる言葉と内容で質疑をしないとね。
何度も書いていますが、民主党のやった仕分け作業はとても良い試みだったと思いますが、全て中途半端、切るべきを切らずに切らざるべきを切ってしまったトンチンカンさで、そういうこともあって政権から転覆したんです。数年のうちには共産党に飲み込まれるかもですね。元々がそういう人たちの集まりだし。
リンクを貼って頂き有り難うございます。両方とも読ませて頂きました。
ディランに対する選考委員会の話、たかだか1行の言葉ですが、前半だけを切り取るのと最後まで伝えるのでは、ほとんど逆の意味になりますね。
前段だけ切り取って「激怒」と書いていた朝日digitalを始めとした日本のマスコミは酷いです。もっとも、後に「それが彼ということ」という言葉を付けても、前段で「無礼で傲慢」と言ってしまったなら後段の言葉でも打ち消すことはできないかと思いますが。
ほとんどの人が「ノーベル賞選考委員会の人たちも困惑して怒ってるだろな・・・」と思っていたでしょうから、前段の言葉だけをニュースで聞かされたら、そりゃあ「激怒している」と思っちゃいますよね。
私は、そもそもディランに文学賞を与えたのが間違い、と思います。ディランからすれば賞金は受け取らなくて、取り消されても、ノーベル賞に決定しただけで受賞したのと同じですね。ああいうタイプの人には「受け取らなかった」ことが勲章になりますしね。
蓮舫に関しては、ハリケーンさんへの返信に書いたとおりであります。
いつも有益な情報を有り難うございます。
私には、庶民にも分かる官僚と研究部門の政治的な代表者とのやりとりだと感じましたが…
ペニシリンの例は妥当だと思いませんが、poohpapaさんが科学に対して純粋だと言うことは伝わりました。
では何でスーパーコンピューターの開発で世界一を目指すのですか?
カマドウマの研究とかじゃダメなんですか?
スーパーコンピューターの開発者がその他の日本の科学者を差し置いて千億以上の予算を使えるという明確な基準は何ですか?
民間の研究機関であれば、研究開発費に対する効果は求められるのが普通です。
税金でそれを行っている研究機関に開発費の対価を求めるのは間違いだと思っていますが、世界一が目標という研究開発にお金を出すのは反対したいですね。
個人的には、「今までになく新しい」あるいは「世界で唯一」のものを探求するために日本の頭脳を使ってもらいたいと思っています。
「世界最速」なんていうのはいずれ抜かれるし、それこそ「今までにない新しい」技術でもない限り時間と手数の勝負ですよ。
中国が抜きんでている原因もそこに集約されるでしょう。
2045年にシンギュラリティとか巻き起こるらしいですが、そうなるとまた違った展開になるかもしれませんが。
スーパーコンピュータでなければならないのは、万民から見て一番「解かりやすい」対象であること、全ての産業がコンピュータに頼っていて、コンピュータの性能が各産業に及ぼす影響が多大であること、他にも天気予報などでは農業や干ばつの予測にも役立つことなど、でしょうか。車は無くても多少の不便さえ我慢すれば生きて行けますが、意識しているかしていないかに関わらず、もはやコンピュータ無しでは文明国で生きる我々は生活が出来ませんよね。
私は、ずっと一番である必要はない、と思います。抜きつ抜かれつして概ね世界の最先端、最上位であればいい、と思いますね。そのことで made in Japan (日本製品)の信頼性が高まります。
日本のスーパーコンピュータが世界一であることの恩恵は様々な分野に及びます。だから、二番であっても、そこから様々な用途に繋がればいい、にはなりません。各企業は自社で使っているコンピュータがスパコン並みの性能であることなど求めていないと思いますけどね。
人間でも、何か一つ抜きんでた才能があれば尊敬されるもので、日本の産業では、車や新幹線より何よりスーパーコンピュータの性能、だと私は思っています。なので「世界一を目指すモノ」に予算を掛ける、大賛成です。
昔、スイスを旅行していた人が土産物店でハンカチを買って、「これ、色落ちしないか」と訊いたら、店の老婆がハンカチを広げて「 made in swiss 」の文字を指さしたとか。今、日本製品がそうなりつつありますが、その為にも、何が基準か分からない車などでなく、(解かりやすい)スーパーコンピュータが一番であってほしいと思います。
話は変わりますが、蓮舫は台湾のパスポートを更新していたとか・・・。日本のパスポートと使い分けていたんですね。そうなると今まで言っていたことに齟齬が生じます。それで野党第一党の党首・・・。