YouTube なんかで動物の動画をよく観ている。私が見ているのは可愛い姿でなく主に救出劇。たまに悲惨な状況なども観ていて、少し古いが、こんなのを観て考えさせられた。
観光客は何気なく彼女にソーセージを与えただけだった。しかし翌年の春、これが雌グマの死を招くこととなった。
よく、親からはぐれてしまった(動物の)子供を「うわあ、可愛い!」と観光客が抱き上げたりして、人間の臭いが付いたものだから後に親が警戒して育児放棄して、結果、その子供が死んでしまう、ということがあると聞くが、そういうことは小学校の理科の時間にでもよく教えておいてもらいたいと思う。
人間社会でも、良かれと思って親切心で手を差し伸べたことが裏目に出て大きな被害となって返ってくることはよくある話。増長したりクセになったり、あるいはいつまでも集られる羽目になったり・・・。
と言うか、我々の業界、とくに賃貸の仲介管理では頻繁に起こり得る話。一定のアフターサービスの余地があるとしても物販業のように「売りっ放し」というワケにはいかないのだから。管理会社に依頼するのも間違いではないけど「そんなの自分でできるでしょう」という用件を振られることは日常茶飯事。
上記の動画では、クマには何の責任も無いと思う。ソーセージを与えた浅はかな人間こそが悪い。
いっぽうで、こんなニュースも、
「置き去り」の小熊「救出」したハイカーに警告
こっちのケースは仕方なかったかと思う。ただし、結果でしか判らない部分もあって、このケースでは助けた人の配慮も充分に行き届いているし、仕方なかったかな、とは思うが、基本的には自然界の動物には手を差し伸べてはいけないものなんだろう。冷たいようだが、たとえ自分がちょっと手を差し伸べればその動物が助かったとしても、である。何でも情緒的に判断するゆえの悲劇は隣国で実証されている。
ま、警告を受け ⇒ 刑事訴追は免れた、ということで一件落着して多くの人が納得することだろう。
ただ、たまに「井戸に落ちたり狭い隙間に挟まった動物の救出劇」を見掛けるが、救出されれば安堵はするものの、レスキュー隊が出動したり、時に建造物の一部を破壊して救出していることがあって、そこまでする必要があるのだろうか、と思ったりもする。それが人間の子供だったら見殺しには出来ないワケで、じゃあ動物なら死んでもいいのか、と言われると難しいものがあるし、もし自分のペットがそういう状況に置かれたなら「いくら掛かっても負担するから救けてほしい」と思ってしまうものだろうけど・・・。
私は宗教家ではないけど、「人間は常に勝手で、なんて罪深い生き物なんだろう」、と思う。
ほんと、安易に餌を与えるからいけないのです。
本当に弱っているかを、確認して、助けが必要
かを確かめる必要があります。
まだまだ働けるのに、昼間からパチンコばっかり
やっている者も多いです。
街猫(野良猫)の餌やり問題も同様ですが、動物愛護というものを誤解している動物愛護者も多々いますね。「やめてください」と言おうものなら「私は動物愛護の精神でやっているのです。可哀そうだとは思いませんか?、あなたには動物愛護の気持ちが無いのですか?」と逆切れされたりして。
以前に、もう正確な数字は覚えていませんが、小さな3Kの貸家に「犬8匹、猫7匹を飼わせてもらえるか」と問い合わせが入ったことがあって、断ったら「人でなし」のように言われましたね。
少なくとも、人間が手を貸していいかどうか、は慎重に判断する必要がありますね。
働けるのに丸々生活保護を受けようとしているかどうかの判断が厳しく求められるのと同様に・・・。
あまりにアホ過ぎて(ノ_-;)ハア…
仮に団体が絶対菜食主義を貫いているとしても、ヴィーガンだからOKという話でもないと思うのです。
なんか、様々な愛護団体とか保護団体とか人権団体とかって何にでも文句をつけますね。太陽が東から昇るのも動物愛護の精神に反している、とかまでいいそう。そういえば、太陽が東から(日本の方角から)昇るのが気に入らない、って言ってた国があったわ。
だいたいが、誰もが反論しにくい動物愛護、自然保護を盾にとること自体が汚いですね。