以前に予告編を観て以来、ずっと全編を観たいと思っていた映画「舟を編む」を連休中にようやく観た。
「舟を編む」というのは「辞書を編纂する」こと。雑誌や小説と違って気の遠くなるような作業と歳月を要する。新聞の校正をしていたから多少は大変さが解かるが、想像を絶する苦労だろう。映画にも出てくるが、三省堂の大辞林は完成までに28年を要しているとか・・・。
改訂版を出すのは初版を作るより少しは楽だと思われる。ゼロから言葉を収集して語釈を付けたり、大半の「残す言葉」を改めて校正する必要はなく、どの言葉を削ってどの言葉を入れるかの話だから。
私が所属していた半田高校の新聞室には広辞苑の初版が置いてあったし、もう20年以上も開いてはいないが我が家には第三版がある。現在は第六版まで出ているようだ。広辞苑を持つことは私の小さな夢でもあった。ちなみに、うちの新聞室の後輩には、広辞苑を作った新村出先生の孫がいた。
私が、生まれて初めて手にした国語辞典は三省堂の「明解国語辞典」で、中学に入学する際に書店で1時間以上も他の国語辞典と比較して決めた記憶がある。辞典を持ったことで少し大人になったような気がした。その国語辞典は高校を卒業するまで使い続け、側面は手垢で真っ黒になっている。
この映画に出てくる「大渡海」のような「正しい用例の後に間違った使用例も記してある」辞書が現実に売られているのだろうか。久しく書店の辞書売り場に行ってないので、今度覗いてみよう。
上の公式サイトの中に予告編のリンク先がある。
YouTube にアップされたこの動画が規約違反(法令違反)になるかどうかは不明だが貼らせて頂く。
https://www.youtube.com/watch?v=UxmrZVmSpRQ
他にも全編の動画があるが、これが最も画質がキレイ。ま、中国語の字幕が鬱陶しいけど・・・。
5校(最終的な校正)の作業が完了したシーンで不覚にも涙が出た。いい映画だと思う。
今日はお早いアップで、寝不足ではありませんか?
爺は夜は7時に床に入り、10分もしないうちに
寝入ってしまいますので、午前3時には眼が覚めてしまいます。
5時まで何とか寝ていようと、我慢をして床の中にいますが
4時半を過ぎると、倅から預かっている犬が
「オシッコだよ。ウンチもしたいよ。」と
ケージの中で吠えるので、仕方なく起き上がり
朝の散歩に連れて行き、外で排泄をさせますので
5時にはパソコンを開いてあちこちのブログなどを
拝見しています。
我が家も父親が新聞記者をしていましたので
辞書は子供の頃から良くみています。
親父が使っていたのは、
平凡社の世界大百科事典と大辞典だったと思います。
その影響で我が家にも
世界大百科事典や日本国語大辞典・大辞典を含め
辞典の数は数えきれません。
諸橋徹次先生が講師をしていらっしゃる大学を
選び入学しましたが、1年生の時は先生の講義が取れず
2年生になるのを楽しみにしていたら
先生はご病気で亡くなってしまいました。
こんなことなら、1年生の時に
先生の講義に潜り込んで置くのだったと
臍を咬んだ事でした。
会社員になって先生の「大漢和辞典」が出版されましたが
初任給2万2千円の私には全巻15万円を超える
「大漢和辞典」は高根の花で、指をくわえて見ていました。
その後、暫くして先生のお名前もある「広漢和辞典」が
出版されましたので、全4巻当時で月給の2カ月分位でしたが
早速手に入れて、今は本棚の肥やしになっています。
最近は皆さんWikipediaで調べるのが多いそうですが
記述した方の名前が表記されないので
中身に信用が置けないものが多いので爺は余り参考にしません。
最近もテレビで「垰」さんという方が出ていらっしゃいましたが
珍しいお名前なので手元の辞書をあれこれ引っ張り出し
「広漢和辞典」でやっとみつけ、山口県の地名であるとの事なので
角川の山口県地名大辞典で調べ納得しました。
「峠」が山の上下なので「垰」は坂の上下なんだろうと想像していた通り。
国語辞典で5校まであるとは知りませんでした。
辞書ですので間違いがあると信用にも関わるので
校正は3〜4回くらいだと思っていました。
「舟を編む」は探して見させて戴きます。
お気遣い有り難うございます。私は毎晩、9時半から10時くらいに就寝します。寒い季節は、布団の中で目覚めてもねばっていますが、暖かくなってくると夜中にトイレで目が覚めるとそのまま起きてしまいますので、4時起きくらいにはなります。早起きは気持ちいいですね。夜行性の動物と違い、人間は、本来は日没に寝て夜明けとともに起きる生き物なんでしょう。
やはり、ボケ爺さんはタダ者ではありませんね (^◇^)
今時の若者なら、どの先生(教授)から学びたいか、で行きたい大学を決めることは少ないものでしょう。せいぜい、将来、何になりたいか、何をしたいか、どの大学に行けば就職に有利か、までしか考えないと思いますから。なので凄いと思います。
私が最初に買った明解国語辞典、いろいろ迷っていて最終的に決め手となったのは監修者が金田一京助先生だったから、でした。国語の授業で「アイヌ語をどうして解かるようにしたか」を習っていたもので。まあ、相当に使い込んだので完全に「元は取っている」と思えます。
最近は何でもネットで調べられるもので、わざわざ高価な辞書や事典を買う人は少ないでしょうけど、簡単に「その時に必要な知識」は得られても、紙媒体で出版されている物と比べたら信頼度は大違いでしょうね。本を読むこと、本を所蔵していることはとても大切なことだと思います。
新聞の記事がネットでも見られる(読める)ようになったとしても、紙の新聞で読む方が圧倒的に情報収集や知識の吸収力は高くなりますし。いくら便利だからと言って教科書がパッドに取って代わられることは無いでしょう。辞書のいいところは、引いた言葉だけでなく前後の言葉も読んでしまうことですね。
私は、新聞室にいたことと良き先輩に恵まれたこと、中学時代に良き国語の先生に出会ったこと、そして小学4年生の時に学校の図書館で世界中の童話を読み漁ったことで、読解力と文章力が平均以上に身に着いたと思っています。今の時代に中高生であったなら平均より劣っていたことでしょう。
人との出会いも大切ですが、本との出会い、その中でも辞書との出会いと活用の程度は大切ですね。ついでに言うと、ネットや、とても便利なスマホによって、人類は退化していくと思っています。
あ・・・、お父様が新聞記者でいらっしゃった・・・。普段からマスコミのことをボロクソ書いておりまして、すみませんです。たぶん、ボケ爺さんは気にしていらっしゃらないかとは思いますが・・・。
ところで、今までは辞書を作ることがこんなにも大変なこと、とは考えもしませんでしたが、この映画を観て、その苦労が良く解かりました。ぜひ「舟を編む」をご覧になってください。
辞書、ああああ!引っ越しの時、全部子供会の古新聞と同時に出しました。まあ、数年or数十年も使ってませんでしたからね。出すのが重かった。。。。
辞書はいまは電子辞書ですね。画面をなぞれば、読めない漢字も分かるし、熟語からその用例まででてきますので便利です。。。。
電子辞書ならOKかと・・・。内容は紙の本と同じですから。本は場所を取りますし、重いですもんね。
使わなくなった辞書・・・、施設に寄贈すると喜ばれそうですね。捨てたりするより生きますね。
私は、本は雑誌以外はなかなか捨てられません。書いている人の苦労も解かりますし・・・。
ま、貧乏性とも言いますが (´・ω・`)
「風が強く吹いている」(箱根駅伝にかける学生の小説)もそうですが、細かな取材に脱帽する小説で、お父様が文学者なためか、裏取りが本当に丁寧、という感を受ける作者さんです。
但し、「風が〜」のほうは、小説はファンタジー要素はあるものの最高ですが、映画は、映画だけ見ればいいのでしょうが、駅伝オタクの私には到底受け入れられない映画なのでお勧めできません。
「舟を〜」は、いいところでいい感じでわざわざコマを使って猫がでてくるのも、原作の空気感をよく出していた気がします。
猫といえば今月、うちの猫がインスタを始めたのですが、21歳の猫さんが日本にも結構いることにびっくり。しかしほとんど女子で、男子はうちとあともう1匹くらい。乳がんの罹患、という男子にはあまりない病(しかも猫は多くが悪性)はあるものの、それさえなければ女子のほうが長生き、というセオリー通りのようです。
この映画の役者さん、皆さんイイ味を出してますね。悪人が出てこないのも特徴ですね。村越局長にしたって、経営側の立場で見たら「言ってることは尤も」ですもんね。
最後のほうで5校の校正が終わって歓声を上げる場面では、まるで自分がその場にいたかのように感動して涙が出ました。映画を先に観て、原作が読みたくなるパターンですね。
こういう映画を作る(小説を書く)ためには丁寧な取材が不可欠で、よく調べられているなあ、と感心します。シナリオも良く、私はまだ原作を読んでいませんが、仰るように「いいところでいい感じでわざわざコマを使って猫がでてくるのも、原作の空気感をよく出していた」と私も思います。最近では「海街diary」と並んで丹念に作られた映画の双璧ですね。今度 Blu-ray を買います。
ところで、高齢猫の話、驚きです。うちのノルンも今以上に大切に育てれば20歳越えするかもですね。私がいなくならないとダメかなあ・・・。そのうちコメント主さんのお宅に動物番組の取材が来るかも。
人間も猫も、女(雌)のほうが長生きなんですね・・・。女はしぶといからなあ・・・。
高校教科書で、1つですが、事情があって申請書を見たと記憶しています。
何の関係もない私が1つ見たのですから、相当数あるのでは、と思います。
電子機器で退化する的な理屈、テレビが普及するころの「1億総白痴化」だと言った人の理屈と同じで、乗り遅れた人が必ず言う、老いの繰り言、というものです。
しょせん道具。テレビを見続ける阿呆がどれほど増えたとしても、そんな阿呆にならないことは選択できる。携帯機器も同じことですよ。
若者が、若者が、とおっしゃるけれど、今や学校からのすべての連絡がスマホからの連絡がベースになりつつあります。そうしているのはおじさん世代。
朝も、昼も夜も発信されてきます。または、こちらから積極的に、毎日何度か見に行かないといけない。
ビジネス上の情報収集にしても、収集作業は、電子機器で一気に見る方が早いです。
10紙電子で見て、うちいくつかの記事を紙で、という使い方が大量の情報収集をスピーディーに行うには便利です。狭い車内でも見られますし。それぞれの人次第ですよ。自分の価値観を人に当てはめるのは間違いです。
自分のガラケーは仕事の連絡があるのだから見つめても仕方ない、若者は遊びだけのはずだろ、という発想自体、思い込みがすぎるというものです。
そういう阿呆がいるとしたら、もともと別のことをしていた阿呆が、機器を握っただけのことです。
スマホが一台あれば、暇つぶしにゲームをすることも、人気レストランの予約をすることも、不慣れな土地で道案内してもらうことも、帰宅前にお風呂を沸かしておくことも、同様にエアコンを点けておくことも、留守中のペットの様子を見ることも、何でも出来てしまいます。だからスマホが手放せない、四六時中画面を見ていることになります。
でね、私はスマホに見入っている人たちがゲームしかしていない、などとは思っていませんし、どこにも書いておりませんよ。
よく「スマホの画面に気を取られて事故を起こした」という運転手がいますが、一概に「スマホなんかやってるからだ」とも思いません。そういう運転手、スマホが無くてもやがて事故を起こします。もちろん、個別に言えば、その時スマホさえ見ていなければ死なずに済んだ命はありますが。
たしかに、とても便利ですよね。ですが、それだと人間は、便利さに慣れて手間を惜しむようになります。例えば、難しい数式の数学のテストも、数字を打ち込むだけで100%間違いのない正解が導き出されるなら、自分の頭で10分かけて解く人と、数字を機器に打ち込んで数十秒で正解を引き出せる人と、どちらが優秀なのか、時代が求めているのはどちらか、という話になって、機械の扱い方に長けた人のほうが企業としては超難関大学卒より有り難かったりして・・・。でも、そうはなりませんよね。そういう人材も少しはいてもいい、くらいにしかならないでしょう。
私たちは「なぜそういう答えになるか」を学校で学ぶのですが、その過程を省いてしまったら教育にはなりません。スマホやPCに頼ってばかりいたのでは人間は確実に退化すると思いますよ。物事を深く考えない人たちに「先ず便利な機械を与える」ことが間違い、と言えますね。
駅前に行くと、コンコースなんかは半分以上の人がスマホの画面を見ながら歩いています。電車内でもそうですね、やることがないからか、みんなスマホの画面を見入ってます。異様な光景です。
AI が急速に進歩すると近い将来「世の中から消えてしまう職種」もいくつかあるそうです。時代の流れと言ってしまえばそれまでですが、それで飯を食っている人の生活を奪わずに科学や技術の進歩が「便利さを享受しながら共に皆が潤う世の中になる」のが理想で、これは、「憲法9条を死守して平和を守ろうとする平和主義者」の理想とは意味合いが異なります。
人間、不便さを受け入れる寛容さ、というものも必要じゃないでしょうか。あえて遠回りする「ゆとり」が無くなったら、世の中、住みにくくなると思いますね。
問題は、スマホによって手抜きができる、作業の時間を短縮できる、その余った時間を何に使うか、ということで、結局は再びスマホに戻る、というのではお話になりません。それが退化に繋がる、と思うのです。空いた時間を読書や人との対話に当てる、なんて人、ほとんどいないでしょうね。
生きていくうえで、最も大切なのは人間の心、互いのハートだと思うのですよ。いろんな製品を開発している技術者だって、(ユーザーのことを考える)ハートが無ければ良い製品は生み出せないもの。私は賃貸住宅の仲介管理をしていても、家主さんや仲介業者としてのハートも乗っけて商売しています。私の言う「ゆとり」というのは人間の心、ハートです。
「便利さ」をただ受け入れているだけでなくそれをどう生かすか、いくら時間が余っていてもスマホの画面ばかり見ていたのでは、世の中はとくに変わらなくても、その人は確実に退化します。
学校の連絡が連絡帳からスマホになる、というのは反対はしませんけどね。ただ、みんながスマホを持ってて当たり前、という前提ならどうなんでしょう・・・。ま、ガラケーにも対応してるでしょうけど。
これからゲームも進化して、機能も更にバージョンアップするでしょうから、ますますスマホユーザーは増えていくでしょうし、スマホをいじっている時間も長くなることでしょう。それでも、私は「時代遅れの年寄り」でかまいません。
でね、思い込みが過ぎるのは・・・、私より、日本も台湾もオークラが好きさんのほうじゃないかと・・・。仰ってること、仰りたいことは的を射ているようではありますが、コメントの入れ方なんかを拝見していると、「女の浅はかさの典型」のように思えます。「だから女は・・・」と言いたくなりますね。
「これくらい言わないと、このジジイには解からないだろう」と決めつけているようで、どうしてそう上から目線でモノを言うのかな、と以前から気になってました。もちろん、反対意見や反論でもかまいません。私の知らないことを教えて頂けるのは有り難いことで、拒絶したりはしませんが。
上から目線・・・、相手の人格や資質を否定していることになる、と私は思っています。批評や批判、それに反対意見は全然OKです。ただし、(私がそう感じているだけかも知れませんが)それらに上から目線が加わると、どんなに正しいことを言われても受け入れたくはなくなるのが人情というもの。先般、トコロテンさんを「もう読んでくれなくていい、アンタは来るな」と拒絶したのもそういうことです。
もしかして、「こいつは一度言ったら人の意見など聞かない」と決めつけてませんかね。私は時に「節操がないくらい柔軟」だったりしますが。よほど嫌いな相手でなければ誰とでも友だちになれますし。
私に残された時間は皆さんより少ないでしょうけど、それでも、スマホで時間を省略して・・・、などとは考えませんね。不便でも遠回りでも、手間を掛けたりハートのやり取りを楽しみたいもので。だからと言って、他人に自分の価値観を押し付けようともしません。私は持たない、というだけのことです。
「意見を言う」ということが「自分の価値観を押し付ける」には必ずしもなりませんよね。
それが「日本も台湾もオークラが好きさんの個性」かも知れませんが、ご一考頂けたら幸いです。
思えば私は MIXI も Facebook も Twitter も LINE も、何もやってませんね、時代遅れもいいとこですが、それで不便さを感じたことも無いし・・・。業界では「Facebook や、LINE を生かした集客法」とかの研修もよく開かれてますが、全く興味がありません。このブログにも広告は一切出してませんし。
本題に関して言えば、「舟を編む」を観て「ああ、こういうアナログ的な作業は私に向いているだろうな」と思いましたね。映画の中の早雲荘も、47年前に私が住んでいた(一軒家を部屋ごとに貸していた)貸家と似ていて懐かしく思いました。近々 Blu-rayを落札するつもりです。何度でも観たい映画です。
って、本題に関することはたった3行かよ・・・(´▽`*)
昨晩、飲んだあとの夜中にしみじみ本題以外のコメントを見て、
「だからこのジジイは」と思っておりましたよ、確かに。
朝も、獺祭50が残っていて目がさめてしまい書いてまた寝てしまいました。失礼しました。
異様な光景、、でも、昔、新聞を読んでいた人、雑誌の人、地図を見ていた人、教科書を見ていた人、なんならガラケーでメールしてた人、を全部足して携帯機器になっただけ、と思えば全体の半分くらいならトントンではないですか?それをそう想像できないのが頭が固いと思います。
本や会話に時間をまわす人はほとんどない、というのも同様の思い込みだと思います。
それに、AIに奪われるような仕事、私は、そんな低いレベルの仕事にしがみつこうとは思いませんし、子どもにも目指させたくはありませんね。
AIにできない仕事を今現在もしていると思っておりますし、そうでなければ給料泥棒だと思っています。(今は?笑)
ハートをのせている、と言えないこともありませんが、というよりも、相手の求めるものを細やかに確実に提供できる、というところが、人間ならではのサービスのはずで、それが不要な程度の仕事なら、どんどん奪われてしまえ、と思います。
教科書は、会社で確認しましたが、私が見た今年度版のものにおいては、デジタル版が紙版と発行数同一でした。他社のものも今年度から同様ではないかと思います。
そして、すでに6年以上前、電子黒板で生徒全員iPadで学んでいる学校も見ましたから、今後、教科書も機材も含めてデジタル化の流れは加速していくことでしょう。
先生が、子どものiPadをすべてコントロールでき、何が書いてあるかを電子黒板に即時に写すことができていて、子どものiPadに見せる資料も先生の手元で操作していました。
サボレないね、と当時小学生の娘がひきつりながら見ていて、当時は「ここに来て、東大行こうかな」と言っていました。
私は全力で止めましたが、まさにサイボーグのごとく、受験用のみの脳の訓練をされていたことでしょう。それはそれでまったく教育に資さないというわけではありませんが。
長くなりましたが私は、物事を深く考えない人に便利な機器を与える=教育に資さない、とは思いません。それは短絡的すぎるというものでしょう。
考える時間は、きちんと大人が選択して残す、そのくらいのことはまともな親、教師なら皆しておりますよ。
娘にも、小学1年生のころ、「この算数、なんで電卓じゃダメなの?」とさすがの阿呆さで聞いてきましたので、脳の訓練、という主旨の話をしました。
私は、教育とは、一部の研究者を除く多くの平凡な人間にとっては、数学も国語も、つまるところコミュニケーション能力に資するための脳の訓練が最大の目的であると考えています。
そのために、その子その子の最大限、脳を使って訓練する必要があります。そのためにはもちろん回り道結構、ラクをしてはいけません。
ただ、貧困のスパイラルが問題になっていますが、現在の日本では、わが子にしか教育費を還元しない状況に自分もいて、負い目を感じつつ思うのは、上記のようなことを考えられない親の下に育った子どもは、それこそ電子機器の負の側面をのみ便利なものとして考え、不幸なのかもしれません。
先日の大学入試問題、大変でしたでしょう。
みんなちゃんと分かって脳を使ってやっておりますよ。
娘はが機器を使って自由に、瞬時に世界中にいる留学仲間と盛り上がっている様を見ると、本当にボーダーレス、という時代になっていて、道具を使いこなしているなと実感します。
facebookがないと欧米圏とはつながれない、一方、南半球はまた別、だそうです。
そういえば、先月、オーパスワンの会で、日系米国人の銀行員に声をかけられたのですが、what'sup、でやりとりしよう、と誘ってくださいまして、それは日本ではあまりポピュラーじゃない、と言って断りましたが、違うものも米国ではでてきてるんだな、と。
私も娘に見つめすぎは叱言を言ってしまいますけどね。でも、毎日毎日、夜遅くまでお友達をおしゃべりして盛り上がって帰ってきて、家に帰って他のお友達と機器で連絡をとったり学校の連絡確認、、、まあ致し方ないことがほとんどですし、そうでない引きこもる系の人は、もともとそうでないのですよ。
ちなみに、娘の大学の連絡はガラケーに対応していません。そして本人用のPCが1台必須、とのことで、一人暮らしのお友達があわてて買いに行っていました。
高等教育はますますお金がかかる前提なことにため息。これでは貧困のスパイラルは解消できません。
「出逢った日本語・50万語―辞書作り三代の軌跡」
も是非どうぞ。
既読の本だったのですが、この本のタイトルにたどり着くまでに数日かかりました。
「大辞林」を作る話だと思いこんでいて、インターネットで検索をしても全然見つからず・・・
横着をやめて、平積みにしてある本の群れをかき分けて、ようやく見つけました。
「日本国語大辞典」の制作話です。
人の記憶は当てになりませんね・・・
酒飲んで酔っぱらって、上から目線でコメントしてくるなら「酒飲むな!」と言いたい ( `ー´)ノ
まあ、だいたいが日本も台湾もオークラが好きさんの仰ってることは正しいのですが(おい)
そりゃあね、日本も台湾もオークラが好きさんとは実際にお目に掛かっていますので、美人であることも、スタイル抜群であることも、頭脳明晰であることも知ってはいますよ、お子さんが年頃であってもその美貌を維持することは大変かとは思いますが、いや、そういうことじゃなくて、いろいろ長所を知ってはいますけど、私にだって日本も台湾もオークラが好きさんより秀でた部分はあると思うのですよ。なので、見下されて「アンタにゃ解からないでしょうけど」みたいに言われるとなあ・・・。
日本も台湾もオークラが好きさんが美人でなければ蹴飛ばしてますよ、ほんと (^◇^)
それにしても、飲んでる酒が「獺祭50」・・・、いい酒飲んでますね。先日教えて頂いたカリフォルニアワインのオーパスワンにしてもそうですけど、安酒は飲まないんですね。私は、昨日、伊勢丹の地下で1500円の日本酒を買ってきてそれで満足しているのですが(みじめ)
てか、一つの記事へのコメント、2往復までにしませんか?
でもって、私としては、頂いたコメントの文章量に見合った返信をしようと心掛けているのですが、付いていけないのですよ、すんません。
きっとまだ酒が抜けてないだろうなあ・・・。ま、そういう女性、好きですけどね、私は。
「出逢った日本語・50万語―辞書作り三代の軌跡」、教えてくださって有り難うございます。凄く興味がありますので必ず読ませて頂きます。
私は、高校時代の新聞室の時の思い出で、「辞書(国語辞典)と言えば広辞苑」としか考えてなかったので迷わず広辞苑を購入しましたが、それぞれの辞書に製作者の苦労や情熱が込められているのですね。ふだん、当たり前のように手にして使っている物も、作った人の苦労や過程を知ると愛着を感じるものですね。そういう意味からも「舟を編む」という映画を知って良かったです。
子供の頃は「自分たちは日本語をちゃんと話せているのに、なんで国語の辞書なんかがあるんだろ(必要なんだろ)」くらいにしか思っていませんでしたが、映画の中の「正しい言葉の意味を知る、ということは相手の気持ちを正しく理解することになる」との言葉に今は納得しています。
いい本や映画に出会えると幸せな気分になれます。ご紹介、有り難うございました。
季節の変わり目ですので、AK さんもお体に気を付けてくださいね。