2017年10月19日

場所は違えど同じ犯罪では?

副担任と2人にしない約束、担任破る…中2自殺

今まで伝わってきている話だけで考えると・・・、担任も副担任も、教師を辞めるべき、と思える。

人を叱る、というのは難しいもの。コテンパンに叩いて再起不能なまでに潰してしまって良いなら簡単な話。なぜ叱られているのか、つまり「自分のしていること、したことで周りにどんな迷惑や影響を与えているか」とか、「今、どう対応すべきなのか、どうすることが最善なのか」相手に考えさせたり、時に一緒に考えたりする必要もある。先ず、叱られている理由を相手に正しく理解させなければならない。

叱責する場合にも、一ヶ所、相手に逃げ道を用意する必要もある。それをしないと、追い詰められた相手が暴力的に反撃してきたり、今回のように自殺してしまうことも起きる。率直に言って、今回の担任も副担任も、「叱る」ということがどういうことなのか、ちゃんと理解していなかったのではないか。そして、些細なことでも、生徒と約束したことは絶対に破ってはならないこと。それは父兄に対しても同じで、担任は約束したことさえ覚えてなくて、つまりは「その場しのぎで言っただけ」だったのではなかろうか。

甘やかしてもダメだが、叱る時は「良いところも一緒に褒めてやる」必要もある。そうすることで、相手が叱られている中身に対して「聞く耳を持ってくれたり反省しやすくなる」と言える。周りに第三者がいる時にはとくに気を遣わなければならない。

傍にいる他の生徒が「身震いする」ほどの叱責って、どの程度のものか想像もつかない。私の中学高校時代には生徒が体罰を受けている場面に遭遇しても「身震い」まではしなかったから。

普通は担任が厳しく叱責していたなら副担任が慰めたり激励するもの。もちろん、その逆もアリ。これじゃ教師によるイジメと言われても仕方ない。日ごろの憂さ晴らしをこの生徒でしていたのではないか。もしかすると、担任と副担任は「二人で示し合わせて、どちらも厳しく叱責していた」のかも。現状を知っていて二人してキツく当たっていたならイジメ以外の何物でもない。

東名高速道路の追い越し車線に停車させて追突事故を誘発して夫婦二人を死なせてしまった男と何ら変わりない。「追い越し車線に停止させれば重大な事故に繋がるかも知れない」と予見できたのと同様、「このまま叱責ばかりして追い詰めれば生徒が自殺してしまうかも」と十分に予見できたハズだから。

高速道路と学校・・・、場所は違えど「やってることは同じ」ではないのか。片や間違いなく実刑で収監されるだろうが、一方は「教育の一環だった」「躾けのつもりだった」ということで今後も教師を続ける(続けられる)としたらおかしな話。自分たちが直接手を下したワケでなく自殺ではあるけど、そう追い込んでいるのだから、厳しく言えば「未必の故意での殺人罪」、軽くても「過失(?)致死罪」と言えなくもないだろう。東名高速の男とどこが違うのか、という話。世間の目も厳しく、これから損害賠償訴訟なども起こされるだろうけど、仮にこの教師らが自殺したとしても同情する気にはなれない。

生徒会の副会長までしていたというなら同級生の信頼もあったと思うのだが・・・、どこがいけなかったんだろう。もちろん、担任や副担任が自殺に追い込んだのは紛れもない事実で一番の原因になっているのだろうけど、生徒の側にも(後から思い起こせば)自殺が避けられた何かがあったのではなかろうか。と言うより、周りの同級生は何も声を掛けなかったんだろうか。だとしたらあまりに冷たいではないか。

もし担任が、「君は同級生から信頼されていて、それは素晴らしいこと。先生も凄く嬉しいよ。ところで、マラソン大会の準備が遅れているようだけど、こうしてみたらどうかな」「困ったことがあったらいつでも相談に来なさい。また一緒に考えよう」と言っていたならどうなっていたか、などとどうしても思ってしまう。

私が高校時代、この生徒と同じようなことが起きていた。文化祭とセットになっている体育祭の準備が遅れていて、このままでは間に合わなくなるかも、と私も危機感を持っていたのだが、生徒会の顧問の先生から「執行部だけで仕事を抱え込まないで、体育祭のことは体育委員会に任せたらどうだろうか」と優しく諭されて、方針転換して、どうにか間に合ったことがある。あの時に、もし、この担任や副担任のように何のアドバイスもせず厳しく叱責されただけなら、体育祭は失敗に終わっていたと思う。

と言いつつ、私は立川支部の役員に対してはそういう配慮は一切しない。頭から「役立たずのポンコツ揃い」と非難している。それで反発して「アンタと話がしたい」と言ってきてくれたら嬉しいのだが、そんな役員は一人もいない。私としては、「アイツは苦手」「アイツ嫌い」と思ってもらうのが狙い。そういうことで嫌われても商売には何の影響も出ないし、私みたいな存在、一人は絶対に必要だから。穏やかに提案してもキツく言っても、どうせ一般会員の意見は何も聞かないのだからキツく言うことになる。

余談になるが、叱り方と同様、褒め方も難しい。下心が透けて見えたり歯の浮くようなお世辞を言ったなら逆効果になることもある。どう褒めたら喜んでくれるか、やる気を起こしてくれるか、は「人を動かす」に載っていて、「相手の自己評価に近いことを言ってやる」ということと、「お世辞は口から出るが、賛辞は心から出る」ということ。私は誰かを褒めることがけっこう多く、この二つは常に心掛けている。上から目線になってしまうのだが、心から褒められない相手を褒めることは無いから、私が褒めたなら本当にそう思っていることになる。

で、この担任と副担任、今後も教師を続けていくのだろうか、ということも気になる。本人たちは何ら反省などせず「たまたま運が悪かっただけ」くらいにしか思ってないんじゃないか、と私は想像している。

校長も教頭も教育者失格。周りの教師たちも「イジメを傍観していた生徒と同じ」で極めてレベルが低い。要は「事なかれ主義」で「何かあったら私が責任を取ろう、私が嫌われてもかまわない」という気骨のある人物が一人もいない。よほど担任や副担任が怖かったんだろうけど、実に情けない。

この担任と副担任には子供はいないのかな。いれば「両親が一緒になって子供をキツく叱ったらどうなるか」くらい解かりそうなものだけど、他人の子供だから気にしなかったものか。

私の恩師、私が中学3年の時にクラスから自殺者が出て、先生の責任ではなかったが、そのことで「俺は生涯一兵卒、ヒラの教員のままで終えよう」と決意したとか。その時は、親がかつてPTAの会長をしていたりしたこともあって学校や教師の責任を執拗に追及して大変だったようだ。私は、親の責任だと思っているけど。

今回の男子生徒の自殺、第三者による調査委員会の報告はしっかり調査された内容のようだけど、そんなものが出せるくらいなら周りもよく判っていただろうから何とかならなかったものかねえ・・・。

お母さんが「(そんな状態なら)学校に行かせなければ良かった」と後悔していらっしゃるが、「学校に行かせない」という選択肢もたしかにあると思う。逆に言えば、そんな選択肢があるのがおかしいけど。



posted by poohpapa at 05:59| Comment(4) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
これは酷いですね。
こいつらに教師をやらせていてはダメでしょう。o(`ω´*)o
Posted by ハリケーン at 2017年10月19日 08:23
ハリケーンさん、おはようございます

今までの「教師と生徒の事件」(生徒側が被害者)の中で最悪だと思います。

少なくとも、教師は辞めるべきですね。ただ、記事の中でも触れてますが、他のクラスメイトがどうして声を掛けなかったのか、と思います。生徒会副会長をしていても友だちがいなかったのかなあ。

こういうことが起きると、教員も運転免許も、技能だけでなく適性検査は必要だと思っちゃいます。定期的なチェックも、ですね。損害賠償訴訟は是非起こしてほしいです。

校長も「学校で起きたことは全て私の責任」と言っていながら、本音はそう思ってないのがミエミエ。こういうことが起きると当事者はもちろん、校長も教頭も自己保身に走るのが常で、見苦しいですね。



Posted by poohpapa at 2017年10月19日 08:43
今の義務教育では、「叱る」ということがほとんどなくなりました。
小学校では、ほぼ全体が「叱らない(叱ることができない)」教育になりつつあります。
中学校以降では、まだ「叱る」学校が残っておりますが、これもそのうちなくなることでしょう。

その「叱られない世代」の第一陣が社会人として登場してきていますが、分別が全くないかと言えばそうではなく、
世代間格差はあるものの、彼らなりの分別というものが確かにあります。

となると、子供を「叱る」ということは誰のためにあったのか。
自分自身で分別を学習できない子供のためにあるのかもしれません。
しかし、その割合は全体から見れば、ごく少数と言えます。

極論から言えば、全く叱ることがなくなれば、若年層の自殺者数は減ります。
その反面、分別がつかない子供(更生できる可能性があった)を社会に送り出すことになります。


自殺者数の統計から見れば、15歳未満は年台によらずほぼ横ばい。
25歳未満で言えば、1950年代が最悪で、1980年代以降は少ない数で安定しています。
昔のほうが若年層の自殺者数は多いと、データは示しています。

犠牲者を出さずに「叱る」ことが理想論である以上、どの負の面を社会として受け入れるかということになってきます。


叱られない社会で「叱る」ことは難しく
価値観が多様化する社会で「褒める」ことも難しく
「褒める」「叱る」「諭す」という旧来の方法論では、生徒への対応が難しくなってきています。
「叱る社会」の方法論は、既に教育の現場では通用しなくなっています。

このニュースが、自殺者数のデータとは反対に、ショッキングなニュースとして世間に受け取られている理由は、社会システムに問題をあることを皆がうすうす感づいているからに思えます。

旧世代が作り出した社会システムを、新世代に上手く適応できない時、つまり世代間ギャップが非常に大きい時に起こる問題です。

30年間の世代間ギャップが大きい時が過渡期、ギャップが少ない時が安定期とすれば、今はおそらく過渡期にあたります。
そして、この2つが交互に繰り返しているのが社会と思っています。

「叱らない社会」に育った世代が、社会の中心を占めるようになってくれば、過渡期の問題は自然と解決していきます。
その間、もがき苦しんでいたことが嘘のように。
恐らくはギャップが大きい旧世代では解決できない問題なのでしょう。

あと30年くらいですかね。
旧世代の私は、新しい社会に適応できないことは間違いありません 苦笑
Posted by AK at 2017年10月20日 07:07
AK さん、おはようございます

いつもながらに深いコメントを有り難うございます。

学校教育の中で、体罰はアリ、だと私は考えていまして、高校時代にある先生が「口で言って解からなければひっぱたく、当たり前だ」と言っていて、当時は「乱暴なことを言うなあ・・・」と思っていましたが、当然のことなんですね。

教師の叱責だけが子供の自殺の原因ではないとして、叱らなければ教師からの叱責による自殺は減りますが「言うことを聞かない」無分別な子供はたしかに増えるでしょう。本来は、しつけは家庭の中で親がするものなんでしょうけど、その親も、最近では自分の子供さえ満足に育てられない親が増えています。そのくせ、子供が体罰を受けると学校に怒鳴り込んでいったりして・・・、それでは先生方も親の顔色を窺ってひるんでしまいます。そうすると子供は先生の言うことを聞きません。悪循環ですね。

なんか、世の中で、やたら「人権」だの「子供の人権」だの言われるようになってからというもの教育の現場でも混乱が起きているのではないでしょうか。信念さえ持っていれば堂々と対峙できるのでしょうが、最近の教師のレベルは非常に低下していて望むべくもありません。昔の先生はもっと骨がありましたけど・・・。私たちもぶつかっていきましたが、向こうも真剣に受け止めてくれてましたね。

恩師が以前に、「お前らの頃は良くも悪くも打てば響いとったが、今の子供たちは打っても響かんぞ」と嘆いていらっしゃって、それはよく解かります。そういうことで日教組が果たしてしまった役割も大きかったでしょうね。子供ばかりを責められません。

私なんかは子供に「文句があったら自分で働いて、自分の食い扶持くらい家に入れられるようになってから言え。それまではお前たちに人権なんか無い」と言い切ってましたけど、それで子供がグレたことはありません。子供もよく解かっているんですよね、親や先生が本当に自分たちのことを考えてくれて叱っているのか、感情的に当たっているだけなのか・・・、そこが分かれ道になると思います。

今回の件で、私が気になるのは、当事者の担任や副担任より、むしろ「見て、知っていて、それでも黙っていた周りの教師たち」と、同じく「クラスメイト」ですね。私の自殺した同級生も、相談相手がいなくて自殺をしています。原因が人には言いにくい話、ということもありましたが、相談できる友だちがいなかったのは本人の責任でもあります。親も話しやすい雰囲気が無かったように思いますし。2人兄弟でしたが、兄もその後自殺しています。理由はどうあれ、親の責任は大きいです。間違っても、学校の責任ではありません。親としては「学校の責任」と思いたいでしょうけど。

今回、担任や副担任を突き上げるのは簡単ですが、校長以下、この学校の教師たちにはしっかり反省させなければなりません。反省も無いまま「何事も無かったかのように教員生活を送られたら亡くなった生徒は浮かばれません。クラスメイトたちも、「何もしてあげられなかった・・・」と、一生心に傷を負うかも知れませんね。

それでも、そういう理不尽なことがいっぱいあるのが人生なので、前向きに生きてほしいと思います。

教員としてデビューする前に、「叱る」こと、「褒める」こと、の意味や意義、コミュニケーションの取り方なんかをレクチャーしてくれる制度があるといいのですが・・・。

そうそう、以前に頂いたコメントの中で、「(私が)家主側より借主側に立っているように思えるのが気になります」とありましたが・・・、返信の中で書き忘れてましたので、ここから失礼します。

私は、「借主側に立って借主のほうに配慮することが家主の利益に繋がることは多々ありますが、私が家主側に立って動くことが借主の利益に繋がる、なんてことは皆無」だと思っています。募集や管理が難しい物件、というのもいくつかあって、そういう物件の場合はとくにそうですね。苦労、とまでは言いませんが、家主が知らないところで大変な思いをしてたりします。もちろん、家主に出来る限り余計な負担を掛けないように配慮したりもしていて、借主側に立ってはいますが、それは最終的に家主さんの利益を考えてこそ、であります。などと、言い訳がましくなりますが (^^;




Posted by poohpapa at 2017年10月21日 06:59
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