2018年04月03日

この二つ活動は対照的

3/17付の記事、「こんな問題を小学生に理解させる必要があるのか」とは対照的な話。

NPO法人 抱樸(「僕」ではなく「樸」)による「生笑一座」(いきわらいちざ)が、九州を拠点に小学校などを廻って公演(講演)しているとのこと。メンバーは全員が元ホームレス。

HPによれば、

◆ 生笑一座(いきわらいちざ)のご案内 ◆

@ 一座が始まったきっかけ
座長である「蛤 牡蠣右衛門」こと奥田知志は、ある日ふと思った。どうしてこんなに豊かになったこの国で子どもたちが、自らを追い詰めてしまうんだろう。
そんな気持ちを仲間に相談をすると「わしらもおんなじような気持ちになったことがあるぞ。どうやったら生きていけるか、ちょっとわしらが話してみようか」
「ありがとう。一人で悩まず、仲間に話してみて、良かったよ。よし、デビュー公演は、2013年8月、福岡県だな!」から始まりました。

A 一座の伝えたいこと
住む家や家族を失った経験からわかったことや見えてきたこと、そんな自分を真剣に大切に思ってくれる人がいたこと、「生きてさえいれば、いつか笑える時が来ること」を子どもたちに伝えたいと思います。そして、困ったとき、苦しいときは遠慮しないで、「助けて」と言いなさい。「助けて」は恥ずかしい言葉ではないということを知ってもらいたいと願っています。

B 公演の内容
サバイバルな生活の知恵(段ボールハウスの秘密、空き缶集めのルール、食べ物を大事にする方法など)について、実践を交えながらご披露したり、お芝居として演じたり、上手な「助けて」の言い方、元気の出る声の出し方(歌つき)などのハウツーも子どもたちに分かりやすい形で紹介します。
(※ 公演会場等は、どんな状況でもきちんと工夫いたします)

C 公演に関するご負担等
福岡県北九州市から、出向いてまいりますので、公演に際しては、交通費等の実費のご負担を相談する場合があります。上記「公演のご依頼」のページからお問い合わせください。

D 主な座員のご紹介
友だちだった犬のランとの思い出や段ボールの技をこっそりお教えする松尾寿幸さん、空き缶集めの奥義をご披露する西原宣幸さん、軽やかな歌声のさっちゃん、「なかまが大切」がモットーの松葉吉一さん、伴走と伴奏のプロ谷本仰さん、そして、座長は宮城の牡蠣が大好きな奥田知志でございます。


とある。

当然のことながら、全員が苦労人である。ということは、人の痛みが解かる人たち、ということ。ホームレスをしていた時には、心無い人に、段ボールに火をつけられたりもしたようだ。もちろん、好きでホームレスになったわけでなく、いろんな事情があって野宿生活に入ったハズ。ホームレスと乞食とは違うが、その違いが判っていない人は多いと思う。正当な事情があって生活保護を受けている人は別だが、不正受給を受けていたり、少しは働けるのに全く働こうとしていない人は乞食に近い、と私は思う。私がホームレスの人の部屋探しをするのは、「ホームレスの人は基本的に真面目」と思っているから。

自分は契約金や家賃を払えない、と解かっているから部屋を借りようとしないワケで、家賃を払う気が無いのに部屋を借りる奴より遥かにマトモと言える。今、幸せな家庭に育っている子供たちだって、いつ何時どんな理由でホームレスにならないとも限らない。そうなったらもうお仕舞い、というのでなく「何かあれば恥ずかしがらずに恐れずに誰かに話してごらん、必ず希望が見つかるよ」と子供たちに伝えるのが一座の目的。活動の目的は、テレビ番組「しくじり先生 俺みたいになるな」と似ているかも。

これねえ、同じく九州を拠点に講演活動をしていても、冒頭の「自分が性同一性障害であることを告白して、そういう minority に(差別しないよう)理解を求める」より、生笑一座の活動のほうが遥かに意義があるし、子供たちに伝えるべき事柄だと思う。もっと言うなら、前者は小学生の前に出てきてはいけない人。世間に理解を求めるような話でなく自己消化すれば良いだけの個人的な話。世間から冷たい視線を浴びせられているとしても、弱者じゃないし。本人こそが勘違いしていると思う。

前者を呼んだ小学校・・・、呼ぶ相手を間違っているのではなかろうか。

posted by poohpapa at 05:47| Comment(2) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
アブノーマルなマイノリティは、色眼鏡で見られてもしょうがないのだろうと思います。
差別は良くないことは明らかですが、普通の人が一方的にアブノーマルなマイノリティに遠慮する社会もどうかと感じます。
犯罪者も同様に、社会規範を逸脱した者は受け入れる社会が合わせるのではなく、逸脱した本人が迎合するべきでしょう。

小学生に教えるのは、「醜いあひるの子」じゃなくて「赤鼻のトナカイ」であるべきですよね。
Posted by ハリケーン at 2018年04月04日 13:30
ハリケーンさん、こんにちは

<<差別は良くないことは明らかですが、普通の人が一方的にアブノーマルなマイノリティに遠慮する社会もどうかと感じます。

まさに、そこ、であります。

普通の人が(こういう言い方をすると「普通ってどんな状態だよ?」とか言われそうですが)気付いても黙っていればそれが配慮であって、当事者のほうが「理解してほしい」と求めるのは違うと思うのですよ。理解されないだけなら差別ではありませんし。犯罪者のケースも同じですね。

前者は小学生に教えるのは早すぎますしね。微分積分を理解させるには段階を踏まないとねえ。
Posted by poohpapa at 2018年04月04日 16:12
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