今般、関西、中国四国地方を襲った未曽有の大雨により犠牲になられた方、被害に遭われて今も避難所生活を強いられていらっしゃる方に心からお見舞い申し上げます。
何度か書いていますが、私が小学2年の時に伊勢湾台風に遭って、死者行方不明者5500人、その、まさに一番被害の大きな所に住んでいて、私の住んでいた長屋も屋根まで冠水して、泥水に浸かった家が使えるようになるのに2週間かかりました。家、と言っても8畳一間、上の姉二人は当時既に家を出ていましたので、そこに家族6人が暮らしていました。家財道具と呼べるような物は元々なかったので復旧の早いこと。食器、やかん、鍋、あとは布団と枕が有れば暮らせます。貯金通帳なんて一冊も無く、印鑑を探す手間も要らないのですから、今、被害に遭われている方と比べたら楽なもので・・・。
水が引いて、泥だらけになった家に行ってみて、入口に立った時、どうしてだか分かりませんが、ただただ号泣していたのを覚えています。それがために、兄貴が苛めたのでは、とお袋から疑われて・・・。たぶん、悔しかったんだと思います。何も悪いことしていないのに、なんで自分たちがこんな目に遭わなければならないのか、という、やり場のない怒りだったんでしょうか・・・。そういうのは経験してみないと解かりませんよね。
今、野党や左翼系の評論家が「安倍首相がやるべきことをしていなかった責任である」とか追及していますが、どうして日本の野党はそんなふうに非建設的なことしか言えない(出来ない)のか、と思いますね。そんなこと言ってるより先に、長靴を履き、雑巾を持って被災地へ飛んでいって復旧の手伝いをしたらどうでしょう。その後で政権批判をする方が効果的だと思うのですが、「モリカケ」の次は「不可抗力の災害」ですか。
こんな時こそ、作業着を着て、地元の方たちと一緒に泥だらけになって、テントで寝起きして、危険を厭わず捜索や救助に尽力する姿を国民に見てもらって、その上で政権を批判すればいいのに・・・。「それは国会議員の仕事ではない」だの「単にパフォーマンスに過ぎない(だからやらない)」、なんて言わずに先ず行動することが大切では、と思ってしまいます。細野豪志の選挙期間中の5000万融資疑惑も霞んでくれるのに・・・。
今回も自衛隊の方たちが献身的に救援活動をしてくださっていますが、マスコミはどの局もそういう部分には全くスポットを当てませんね。東日本大震災の時も感じましたが、呆れてしまいます。
自分の体験から、日本中から寄せられた救援物資で援けて頂いたお陰で今の自分がある、と思っていますので、そういう災害の時は「無理せず、出来る範囲で最大の協力をしたい」と心掛けています。今後、宅建協会からも寄付のお願いが廻ってくることでしょう。もちろん、そちらも協力させて頂きます。
今回、甚大な被害に遭われた倉敷は、私の母親が結婚前の10代の頃に紡績会社の女工をしていた町で、苦労話も聞いていたので私も少し思い入れがあります。以前にヤフオクで知り合った出品者さんが倉敷の方で、お電話をしたら、小学校に避難なさっているとか。家は高台にあるので水害の恐れはないものの裏側が崖になっているので崖崩れが怖い、と仰ってました。長靴が不足しているようで、ご自身も被災者なのに長靴を10足ほど提供したり、雑巾を縫って皆さんに提供なさっているようです。
「そちらで手に入らなくて何か必要なものがあれば送りますよ」とお伝えしました。翌日配送とはいかなくても荷物はどうにか届くことでしょう。テレビで倉敷市長が「靴下や下着が不足している」と訴えていましたが、まさか出品者さん(女性)に下着を送ることもできませんので、何か考えたいと思います。ま、サイズも判りませんしね。伊勢湾台風時、自分が一番嬉しかった物はコンビーフの缶詰でしたが・・・。
ブログで知り合った関西方面の友人知人にも連絡しましたが皆さん無事でした。ヤフオクにしろブログにしろ一つのご縁なので、そういうのはこれからも大切にしたいと思っています。
被災地の皆さん、地盤が緩んでの崖崩れ、土砂崩れなど二次災害にくれぐれもお気を付けください。
今回の豪雨災害で一番の被害として目につくのが、河川の堤防決壊です。決壊した地区のほぼ1階部分が浸水しました。そのため多くの人命や家財が奪われました。よくみれば津波被害と同じなのです。
これは短期間での集中豪雨で河川に大量の水が流れたために堤防が崩れたのですが、もし堤防が崩れなかったら堤防の上部からあふれ出た水だけで済んだはずなのです。そうであれば床下浸水ぐらいとなったはずです。
この堤防っていうのは、土砂を突き固めて山型に盛ってあるだけなのです。国交省などではこれでは災害に弱いということで、スーパー堤防というものを設計し、一部、淀川下流などでは施工しています。
しかし、民主党政権下にこの堤防は、スーパー無駄遣いといわれて事業仕分けで廃止判定されました。自民政権になって一部復活していますが、その時継続して推し進めていれば、前にあった東北豪雨の時の鬼怒川決壊や今回の決壊も防げたはずです。一級河川は国交省が管轄です。
河川だけでなく山が崩れて土砂で家が押し流されるという被害も多いですが、これも、砂防ダムというものがあります。土砂がくずれてきそうな箇所にコンクリート製のダムをつくるのです。神戸では平地が少なく山が迫っているため、この砂防ダムが沢山つくってあります。(神戸市が工事)
今回も神戸地区にも大雨が降っていますが、土砂くずれの報告はありません。広島県や岡山県、予算がないために必要な防災がされていなかったといえます。
国土の保全のための公共工事は無駄にみえますが、いざ災害があった時にその真価がとわれます。
伊勢湾台風で思い出しました。私もその被害にあってます。その時は暴風で屋根が飛ばされ1年位公民館暮らしでした。
近くの河川、決壊しそうだということで、自分達のいる反対側の堤防を崩しに行った人達がいます。反対側は田んぼばかりです。濁水は田んぼ側に流れ、多くの人家が助かりました。まだ昭和の頃ってそんなもんだったんでしょうね。
驚きました、たかさんも伊勢湾台風の被害に遭っていたとは・・・。しかも、屋根まで浸かった我が家より大きな被害を受けてらっしゃったんですね・・・。
スーパー堤防に関する国会でのやり取り、私もよく覚えていますが、今、旧民主党の議員たち、何も言いませんね。てことは、反省もしていない、考えを改めることも無い、てことですね。それでいて、「安倍総理がすべきことをしていないから・・・」と言うのは違うような・・・。
伊勢湾台風の時も、海から川に掛けての堤防や水門、我が家のすぐ近くの川の堤防なども工事したばかりなので決壊することは無い、大丈夫、と言われていたのですが、簡単に決壊しました。それによって、うちの小学校だけでも70余名の児童が亡くなっています。
それでも、誰も行政や政府を非難したりしませんでしたね。だいたいが、予報を下に被害を予測して避難命令や勧告を出すのは各市町村の役目ではないか、と思います。テレビでも散々「もの凄い大雨になる」と流していたのですから。それだけやっても「嵩を括って非難しない人」もいて、自己責任と思われるものもあるのではないでしょうか。水が入ってきて初めて気づくんだと思います。
もちろん、被害を最小限に止める責任や役割は行政にもあると思いますけど、行政が責任を果たしても被害をゼロにはできません。とくにお年寄りは言うことを聞かずに家を離れなかったりしますし。
べつに総理でなくても、例えば立民が独自に「危険だから早く非難したほうが良い」と発信してもいいワケで・・・、あ、そういうのダメか・・・、なんでもかんでも警告を発しておいて「あの時、私は言ったハズだよ」なんて言い出しかねませんもんね、今の野党なら。
起きてしまったことは仕方ないとして、今後、同様の災害が起きないよう知恵を絞らなければ、と思います。野党には、つまらない意地で妨害してほしくないものです。
この度は、温かいお気持ちを乗せて掛けて頂いたお電話を、本当にありがとうございました。
私のことを覚えていて下さったことにも、
ご自身の体験から、お返しに何かできませんかとおっしゃった言葉も、避難先の私には、何より心強かったです。
両親もとても喜んでおりました。
有難うございました。
避難した晩の事実ですが、何を隠そう、一晩のうちに300ミリ降る予報と警報に、避難したのは、団地23戸の中で、わたしの家だけでした。
4年ほど前に広島県安佐地区でがけ崩れがあった際に、1晩で280ミリの降水量を観測されたと聞いて、自宅の団地では、200ミリでも避難対象だな、警報が出なくとも、家族と避難しようと話していました。
その晩は、200ミリから300ミリの降水量と夕方から、言われていました。
でも、1軒として避難した家がなっかったことが
私には、とてもショックでした。
逆に、「なんで、避難したん?大丈夫じゃろ〜?」といわれて、「大丈夫でよかったわ。」としか、返せませんでした。。
私の避難した、その日の22時〜23時付近から、真備地区に避難警報が出されて、
そのわずか数十分後には、川が氾濫したようです。
真備地区と私の住む町は、山を隔てて15キロほどです。
むろん天気予報もほぼ同じ予報です。
私は、どうして200ミリから300ミリの異常な降水量の、予報が出ていたにもかかわらず、
避難所に(警報前に真備の避難所があいていたかは不明ですが)避難していなかったのか、町から出ていなかったのかと思うと本当に残念で、また、倉敷市に対しても、なぜ私の地区と同じ時間にでも避難勧告を出さなかったのかと、悔しくてなりません。
避難勧告が22時以降に出て、さあ行こうかと大雨の中を避難所へ行ける人は、少ないと思います。
避難勧告発令の時間帯、これは大雨の中であればこそ、とても重要だと今回避難をしてみて、改めて私も思い返せました。
今回の災害にて命を落とされた方々、心よりお悔やみ申し上げます。
家をなくされた方々、屋根まで浸水され大変な思いをされている方々・・・
私など、小さな力ですが出来る限りのご支援をいたします。。
坂口さんにも、近々ご連絡をさせて頂きたいと思っています。
私のスリーサイズを、、、、、
これは冗談です(*^^*)。。。
おずさんのサイズ・・・、うちのと「XLを送っておけば間違いないか・・・」と話しておりました (^◇^)
ま、冗談は抜きにしまして、たいへんな被害に遭われていらっしゃって、心からお見舞い申し上げます。言っただけ、で終わらないよう、本当に何か必要なものがありましたらご遠慮なく仰ってください。
今も時折り、伊勢湾台風のことが頭をよぎることがあって、あの時に全国から寄せられたご支援のことを思い出すと涙が出ます。子供心に、「知らない人からの親切って嬉しいな」と思いました。
あの時は、「台風」で死者・行方不明者が5500人、今回は「大雨」で死者・行方不明者200人超・・・、犠牲者は1/20であっても、理由から考えれば同じくらいの規模の災害だと思いますね。普通に考えたら雨による死者数ではありませんもん・・・。
伊勢湾台風の際、堤防が決壊したのは夜中で、近所で最初に浸水してきたのを発見したのは小学生の私でした。夜中に家の外にあるトイレに行こうとしたら玄関で長靴がプカプカ浮いているのを見て、私が親父に、「おとうちゃん、長靴が浮いてるよ」と言って起こすと、「こりゃ大変だ、堤防が決壊したな。近所の人をみんな起こさな」と言って、近所の人たちを起こして廻って。幸い、親父が「藁でロープを綯う」工場で働いていたので、近所の人が皆その工場の屋根裏に避難できました。
ロープの材料になる藁が布団代わりになりましたし・・・、怖かったけど、楽しかったです。親父に「この工場が流されたらどうなるの?」と訊くと、戦争に行っていた経験のある親父は「そん時はみんな死ぬな」と、事も無げに言っていました。昔の人は肝が据わってましたね。その晩に着ていたパジャマだけしか残りませんでしたが、今、こうして生かせて頂いております。
工場の屋根裏に避難した時間は23時半くらいでしたね。真夜中で、もう停電していて真っ暗でした。電線に吹き付ける風が笛のように鳴っていて・・・、今もよく覚えています。ちなみに、うちから30mくらいのところに養鶏場がありまして、当然に全滅でした。可哀想ですね。鶏も怖かったと思います。
ところで、おずさんのご近所では避難なさったのがおずさんのご家族だけ、というのは、皆さん「雨でこんなことになる」とは誰も思っていなかったからなんでしょうね。テレビで、息子さんが実家に行って、父親に早く避難するよう呼びかけても「電気製品を2階に上げてから」とか言って家を離れようとせず、30分後に再び訪れて無理やり避難させた様子を映してましたが、ま、高齢者は「あれで普通」なんでしょうね。災害は何度も経験しているでしょうに、家から離れられなくて。
うちのが、「うちの実家のお父さんもああだよ、きっと」と話していて、いくら「命が一番大切」と言われても、「少しでも何とかしよう」と考えてしまうものなんでしょう。私なんかは冷たいのか、「それで死んでも自己責任だし、本人は納得いくと思うよ」と話しました。それにしても、テレビに出ていた息子さんは立派です。親の心情にも配慮した一つ一つの判断が的確でしたね。
おずさんのご判断も素晴らしいと思います。そして、ご自身も被災者でありながら、今、ご自分が出来ることで地域に貢献なさっている・・・、頭が下がります。本当に有り難うございます。
避難勧告・・・、予報技術も発達しているのですから、明るいうちに出してほしいものですね。それでも、それだと「まだ大丈夫」だと思ってしまうかも知れませんが。
避難勧告100回のうち、99回が空振りに終わっても、1回が的確であったなら、それは幸せなことだから気象庁や行政機関に文句を言わないようにする、それを当たり前のこととして受け入れる度量、というものが国民に求められますね。
実は、おずさんのコメントを読んで泣いてしまって、ずいぶんと経ってから改めて返信を打っています。
もしかすると輸送網が寸断されているかも知れませんが、落ち着いたら何かお見舞いを送らせて頂きたいと存じます。美味しいものか美味しいお酒か・・・。ちょうど今、伊勢丹で「全国おいしいもの展」が開かれていますが、ちょっと早いですもんね・・・。あとで連絡を取り合いましょう。
これも「ご縁」なので、お気になさらずに。そして、今後もどうぞお気を付けくださいね。
伊勢湾台風のことは学生の頃に、授業でならって、県も離れていたせいもあってか、私の中では、「大きな台風」「授業の歴史の1ページ」でした。
でも、今回、お話を読ませて頂くと、小さな時に被災された当時の怖さがどんなであったかと思うと、肝の据わったお父様の近くにいたからこそ、心強く思われて過ごされたのではないかなぁなどと思ったりしていました。。
以前なら、お話を聞いても、今の捉え方とは、違っていたかもしれません。
最近は、色々と感じ方が変わってきて少し自分でも驚いています。。
人間の経験値による影響は、無意識にあるものなのかもしれませんね。。
私は、恥ずかしながら、普段行政を強く意識していないのに、こんな時には、期待してしまっているのかもしれませんね。。
行政の元で、ボランティアをさせて頂いて10年になりますが、
なんとなく、どこか期待したり、役に立ちたいと思ったり、市からは厄介な市民かも
分かりませんねwアハハ…
現在、この瞬間も、支援の形は賛否両論💦
分かってはいるのですが、日々難しいいな〜を感じます。
でも、じっとしていられなくて、友人からはボランティア貧乏性だと言われています💦
真備町には、親戚の方や親しい友人がいないと現地入りが出来ない状態のようで、
必要なものは、中間地点で落ち合って受け渡しをしています。
必要なものは、限りなくあるのだと思うので、受け渡しをしてくれている知人に聞いてみると
【たくさんあって助かるもの】
ゴミ袋
どのう袋
ゴム手袋
雑巾
タオル
水
ウエットティッシュ
マスク
【必要なんだなぁ、もらって助かったと思ったもの】
冷却スプレー
虫よけスプレー
ビタインゼリー
除菌スプレー
窓の水けを摂ったりするワイパー系掃除道具
泥をかくちりとり
【意外と届かないもの】
長靴
デッキブラシ
ほうき
なんだそうです。
わたしも援助をとお申し出くださる、ご支援先では、この内容をお伝えしています。
今後、また、品物も変わってくることと思いますが、連絡を散り合いながら、お手伝いができたらと思っています。
一主婦の動きですから、本当にわずかな動きです💦
昨日も兄から、家庭をおろそかにしてまですることは違うやろと、結構強く言われてしまい、昨日は、こんな私でも少しへこんでしまいました💦
おろそかには、していないつもりなんですが、きっとそう見えるんですね。。
今日は、コーラス部があるので、歌を歌って充電してきます!!
密かに愚痴っていますね。お許しください(o^―^o)ニコ
今週末は、猛暑にある予報ですね。。
poohpapaさんも、どうぞ暑さには気を付けてくださいね。
いつも有難うございます。
この一覧表、保存しておきます。どんな災害か、によるでしょうけど凄く役に立つと思いますね。
お兄さん、おずさんの性分を見越して心配してくださっているんでしょうね。私は、おずさんが家庭をおろそかにしてまでボランティアをするような人とは思っていませんが。
寄付もボランティアも、出来る範囲で無理なく、というのが基本ですもんね。一回ぽっきりでドッと送ったり、大量にボランティアの人が流れ込むより、長く続けることに意味があるかと思います。被災地にとって、一時的にマスコミで取り上げられても、直ぐに忘れられてしまうことほど辛いものはありませんもんね。おずさんは、そのへんのところもちゃんと弁えていらっしゃることでしょう。
あと、ボランティアとか物資を送ったりする際に大切なのは、タイミングですね。先方がどういう状況の時に送ると効果的か、は、逆効果を避ける意味でも大切かと。おずさんが仰るように、時間の経過とともに必要なものが変わってくる、ということもありますよね。
そうしてみると、状況が判らないところに物資を送るより、現金での寄付が一番いいのかなあ・・・。それでもって必要なものを調達して頂くのが間違いないかも。
今朝、「ジャパネットたかた」からのメールで、防災用品に関する売り上げを全て被災地に寄付します、というのを見て、涙が出ました。売り上げの一部を、ではないのですから。しかも、3.11や熊本地震でもそうしていたようです。
こんなことを言ってはナンですが、トヨタの内部留保が20兆円に達していて役員報酬が10億円、なんて話も聞きますが、こんな時に1兆円くらいポンと出したなら真の一流企業と言えるのにね。
コンビニやレストランで、お釣りで小銭をもらったら、それをレジ横の募金箱に入れるのも、小さなことではありますが、集まればけっこう馬鹿にならないし、スマートですよね。
私は、自分にできることからコツコツ続けたい、と思っています。ランチを我慢してまではしませんけど。
元気でなければボランティアもできません。本当に、お体に気を付けてくださいね。でもって、歌で発散してきてください。お兄さんの言葉は・・・、気にしなくていいと思いますよ〜 (^◇^)