2018年09月03日

「私は発達障害なんでしょうか?」

あるお母さんからそんなことを訊かれた。お子さんが医師から「発達障害」と診断されていて、「もしかすると、自分もそうではないか」と疑いを持っているようだ。

私からすると、いたって普通の常識的なお母さんで、そんなことを言ったら、私も、いや、そもそも「人間は誰でもみんな発達障害である」と言えなくもないのではないか。医学的な発達障害の定義は私には解からないが、「同世代の子供と比べて知識が劣る」とか「勉強についていけない」とか「友だちと上手くコミュニケーションがとれない」とか「親や先生の言いつけが守れない、理解できない」とか、そんなことで判断されるのであろうが、ほとんどが「大人になれば自然と治るもの」と私は思っている。

例えば、完成された人間、何事にもパーフェクトな人間の指数を100とすると、ほとんどの人は「20〜30」の中で生きていて、どんなに優秀な人でも50くらいのもの、と私は思っている。得手不得手や能力の差、個性の違いであって、昔は、そういう人を「変わった人」と表現していたが、今は「発達障害」と言っているだけ、だと思う。言っている、というより、レッテルを貼っている、という感じ。

それにより自分が優越感を得たり、批判する時の正当性を持たせたリしているのではなかろうか。

私なんかは昔も今も「立派な発達障害」であろう。貧しくて、うちの兄弟6人は幼稚園にも保育園にも行っておらず、いきなり小学校。元々「入れるつもり」は無かったから「日本死ね!」などとも思わない。高校まで進学させてもらったのは6人兄弟の中で私だけ。小学校に入るまでは、「傍にお母ちゃんの姿が見えない」ことに気付くと泣いて探し回っていたし、小学5年までオネショもしていた。

紙と鉛筆だけを与えられて一日中お絵描きをして過ごしていて、テレビも無いから世の中の情報も全く入ってこない。それで「発達障害」にならないワケがないだろう。いきなり小学校に入って、それで同級生とのコミュニケーションがとれなくて困ったか、というと、実は全く逆であった。同級生という存在が珍しくて積極的に輪の中に入っていって、通信簿に「落ち着きが無い」と書かれていたのを覚えている。当時は「発達障害」という言葉はなかったから、今なら「発達障害の疑いあり」と書かれていたかも。

中学の頃から先生や大人に対してハッキリ「ものを言う」ようになって、こんどは教師や一部の同級生から「問題児」というレッテルを貼られていたが、幸い支持して応援してくれる人のほうが多かったからなんとか持ちこたえた。教師の中にも「あいつは面白い、見所がある」と言ってくれる人もいて、それは今も同じ。私が尊敬して今もお付き合いさせて頂いている恩師はどうだったかと言うと・・・、私を高く買ってくれていたワケでなく、冷静に分析して「ここは違うと思うよ」と意見してくれていた。自分は「正しい」と思って発言しているから、「間違っている」とか「そんなふうに考える人ばっかじゃないぞ」と言われると一時的にカチーン! とはくるけど、不思議に「根に持つ」ようなことは無かった。

そうやって、いろんな意見の人と議論や喧嘩をして、自分が社会で生きていけるよう棘とか角(かど)を落としてもらって、発達障害が「社会に順応できる程度」までになっていった、と思う。ようやく「その程度になった」ということであって、「発達障害が全快した」ということでなく、死ぬまで発達障害なんだろう。

人と比べて自信を失くしたり、根拠もなくレッテルを貼られたり、そんなことで悩むのはナンセンス。もしかすると周りの人のほうが遥かに発達障害であるのかも知れないし。私の周りを見回してみても、「あ、この人も、あの人も・・・」で、そんな人ばっか、である。完全な人などいなくて当然なのだ。

例のゴミ屋敷の住人も、勝手なことばかり言う客も家主も、何ら感謝の気持ちを持たない生活保護受給者も、会員業者のことなど全く眼中になく自分のことしか考えない立川支部の役員たちも、みんな立派な発達障害ではなかろうか。むしろ、大人になっても改善されていないどころか加速しているのだから重症である。


私に相談してきたお母さんには、「あなたは発達障害じゃないと思いますよ」ではなく、「そう、あなたも私も発達障害、みんな発達障害なんですよ」と伝えた。程度の問題で、たぶんそれで正解だと思う。

posted by poohpapa at 05:50| Comment(12) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
生まれつきで本人の努力で解決できないものにレッテル貼りすることを差別とするなら、性別や人種・国籍と同様に「発達障害」なるものも「そんなこといっちゃいけません」にならないのでしょうかね。

私も「注意力散漫」「忘れ物が多い」というのが小学校の通知表の定番だったので、今なら「発達障害」になっていたでしょうね。
今はどの学校にも1クラス勉強についていけない子供のクラスがありますが、意見が違うだけでつっかかってくるような危ない子はいませんね( ̄ー ̄ふふふ…
常に自分が正しいと思っていることを曲げないのは、なにやら半島のかほりがしますな(゜σ ゜)ホジホジ...

まぁ冗談はさておき、デジタル的にあんたは健常者、そいでおまえは発達障害、みたいにはっきり二分できないので、一番身近にいる人が判断するしかないでしょう。
そこで発達障害だってわかっても、じゃあどうすんの?って話ですが。
日常は変わりませんよね。
日本人社会は同調圧力が極めて強いので、誰かさんみたいにとんがった生き方さえしなければ社会が大切にしてくれる暖かい民族ですから、大丈夫でしょう。(´3`)ノ
Posted by ハリケーン at 2018年09月03日 08:28
ハリケーンさん、おはようございます

<<誰かさんみたいにとんがった生き方さえしなければ

の「誰かさん」て誰だよ!? ( `ー´)ノ

いえね、問題児、って呼ばれるのは嫌いじゃないですね。「大人を困らせている存在」でいるのは楽しいですもん。友人とも、意見が違う時はとことん議論して、時に喧嘩して、絶交寸前まで行きますが、今残っている友だちはみんなそんな奴らばかり。何も言わない奴って、自分を護っているだけのこと。そんな奴が信用できるワケがありませんから。とんがった生き方、上等です (^◇^)

ハリケーンさんが「発達障害」であるなら、私の人生は実に楽しくなります、ほんと。

そうであるなら、日本中の発達障害のお子さんをお持ちの親御さん、親御さん本人は明るい希望が持てます。「あの発達障害だったハリケーンさんが今はこうなってますよ」と示せたなら痛快です。

なんか、自信が湧いてきました、有り難うございます m(__)m

Posted by poohpapa at 2018年09月03日 08:44
最近は「私は発達障害ですか?」って相談に行く人が増えているんだそうですよ。その理由としては何度も同じミスをして怒られるとか朝起きられないとか片付けが出来ないとか。怒られたり起きれなかったりするたびに自分は発達障害なのではないかと思ってしまうそうです。

そしてその人たちが本当に発達障害と診断されることは少なくて皆腑に落ちない様子で帰っていくそうです。

これは【発達障害です】と診断されれば自分が出来ない数々の事を「発達障害なんだから仕方ない」と片付けることが出来る、だからそうであってほしいということなんでしょうね。

そしてそういう方々はいたって真面目な方なんでしょうね。私くらいズボラに生きられたらきっと楽だと思うけど皆が皆私みたいだったら社会が回らないからそれはダメですね
Posted by はなくろ at 2018年09月03日 09:33
はなくろさん、おはようございます

なるほど・・・、たしかに、そう診断されれば言い訳できますもんね。そういう人、多いと思います。本来はそんなふうに診断されたら恥ずかしい話でしょうけど、楽できるほうを選択してしまうんですね。

「発達障害」でなく、うちに来る生活保護受給者、いろんな診断書を持っています。「どう見てもアンタ働けるでしょう?」と思えるような人でも、診断書は金科玉条になります、絶対、なんですね。

ところで、はなくろさんがズボラ・・・、有り得ません。そうやってね、自分をズボラだと吹聴しているのも、イザという時の為に大義名分を得ようとしていることに他なりません (^◇^)

本当は凄くマメですもんね。しっかりバレてますよ〜 (ぷっ

Posted by poohpapa at 2018年09月03日 10:14
poohpapaさんおはようございます。

>>私も発達障害

え?本当ですか?
とてもそんな風には思えないですけど。
特に、そのお腹、発達し過ぎているようにみえますけど。
Posted by たか at 2018年09月03日 10:26
たかさん、おはようございます

<<特に、そのお腹、発達し過ぎているようにみえますけど。

おい、発育の話をしているんじゃなくて発達の話をしてるんだけど・・・<`〜´>

人間、どんな立派な人でも、何かしらの障害や心の闇を持っていますよね。

先日、いつも見ているドラマ「健康で文化的な最低限度の生活」の中で、「トム・クルーズやスピルバーグが識字障害であることをカミングアウトしている」との話が出てきました。実在する人物のことを実名で話していることから嘘ではない(もし間違いであれば大問題)と思いますが、驚きました。

なんか、成功している人のそういう話、嬉しいですね。

Posted by poohpapa at 2018年09月03日 11:20
サヴァン症候群みたいに、特定の分野で突出した能力を発揮する例もありますから、ディスレクシアだから何もできないとは限りません。
もしかして南方熊楠やジンギスカンなんかは、きっと今生きていればサヴァン症候群の筆頭かもしれませんよ。

まぁ、だから何?という話ですけど。(´・ω・`)
Posted by ハリケーン at 2018年09月03日 11:42
些細なことで発達障害というレッテルを貼ったり、発達障害と診断したり、本当に窮屈な社会だと思うんです。

人間なんて一人一人違いがあって当たり前。容姿、性格、価値観、全部違って当然なんです。それが個性ではないでしょうか。人間誰しもそれぞれ違って個性があるから、世の中は楽しい。どうしてそう思えない人がいるのか不思議で仕方ないんです。

発達障害って、発達障害をお金儲けやお金稼ぎに使っている人たちの戯言じゃないかしら、だいたい人様を発達障害呼ばわりする人たちってどれだけ偉いの、思い上がりや傲慢もいい加減にしてって、本気でそう思います。このままでは一億総発達障害社会になってしまいますよね。
Posted by 香菜子(私も発達障害かも!?) at 2018年09月03日 12:58
ハリケーンさん、おはようございます

たしかに、サヴァン症候群なら特別な能力を持っていたりするものでしょうが、発達障害は、人間誰もが発達障害、と考えたら、世界の人口60億の全員が特殊能力を持っている、なんてことはなく・・・。

まあね、人間誰しも、好きな分野にのめり込むとサヴァン症候群なみの記憶力を発揮したりするものでしょうね。でも、それらは、学習や訓練、練習で積み重ねたものとは別なんでしょうけど。

現代のコンピュータの父と言われるノイマンは、電話帳の番号を一度見ただけでそのページの数字の合計を瞬時に正しく計算したとか。サヴァン症候群だったんでしょうか。

先日もクイズ番組で、不規則に積み上げられたブロックが幾つあるか、という問題を東大生が瞬時に回答してまして、彼もそうなのかな・・・。平凡な私には絶対無理ですね。

すみません、だから何?、くらいの話ですね (^◇^)

Posted by poohpapa at 2018年09月04日 05:54
香菜子さん、おはようございます

<<(私も発達障害かも!?)

はい、きっとそうです、香菜子さんも私も、程度の差こそあれ、みんなそうですとも。

レッテルを貼ると、貼ったほうは言い訳に使えるし、自分で貼ったなら楽することが出来ます。子供の頃からそういう大人(教師)や同級生を見てきて、いつも「コイツら、卑怯だな」と思っていました。

私の恩師が、そういうことは絶対にしない人でしたね。優等生も、授業についていけない生徒も、同じように接していました。中間試験の前、遅くまで教室の電気が点いていたので、誰が残っているんだろ、と、そっと覗いたら、恩師が授業についていけない同級生に「明日の数学の試験」で少しでも点が取れるよう一生懸命に教えていました。正直、その時までそんなに好きな先生じゃなかったのですが・・・、号泣しましたね。

その同級生、今で言う発達障害で、翌年できた特殊学級に入りました。恩師は反対していましたが。

効率重視なんでしょうね。だったら、成績順にクラス編成しても良さそうなものですが。遅れている生徒を待ってあげたり、一緒に走ってあげるのも教育だと思いますけどね。能力も個性も、いろんな奴がいて、それが学校教育、だと思うのですが・・・。今も特殊学級って有るんでしょうかね・・・。

<<発達障害って、発達障害をお金儲けやお金稼ぎに使っている人たちの戯言じゃないかしら

たしかに、そういう一面はありますね。我々が研修を受けている人権問題でも、「業界に人権違反がある」ということでないと困る人たちがいて、そういう奴らに利用されているだけの話だと思いますね。

ただ、「個性」という言葉は、時に日本転覆を目論む人たちに都合よく利用されるケースもあるので要注意ではあります。「人権があ、個性があ」と声高に言ってる人、信用できません。

でね、コメントを頂いていつも思うのですが、香菜子さんは優しいですね、本当に。

Posted by poohpapa at 2018年09月04日 06:19
「発達障害」は、平均的な能力を有していないことと言い換えることができると思います。

今の世の中で求められている人材は、平均的な能力を有している人です。
時代がダイナミックに動いているにも関わらず、雇用制度は旧態依然のままの日本社会。
大企業といえども5年後には業種がかわっているかもしれない状況下では、一芸だけに秀でている人を積極的に雇用するリスクは負えません。
労働者を簡単に解雇できない正社員制度が弊害となっているからです。
そのため、業種転向でも配置転換でもそこそこの戦力になってくれる平均的な能力がある人のほうが好まれてしまうのです。

時間を効率良くお金にかえる経済の仕組みがすすんでいますので、効率が悪いことは排除されるようになりました。
つまるところ、社会的な需要(=経済の効率)からあぶれた人が「発達障害」なのですね。


「あなたの個性では、今の社会で安定した高給職につくことは難しいですね」、というだけの指標かと思うのですが、指標以上に意味をもたせようとしたり、主義主張に利用しようとしたりするために、ただの指標がおかしなことになってくるわけで・・・。

このあたりは、現代社会の標準的な指標である「お金」と同じようなものかもしれません。
Posted by AK at 2018年09月04日 20:40
AK さん、おはようございます

<<「発達障害」は、平均的な能力を有していないことと言い換えることができると思います。

と、いうことは・・・、偏差値50以下の生徒は成績に応じて「発達障害の症状が重くなる」と言えますね。でも、学業はダメでも、他の子供たちには無い特殊能力を持っている生徒もいるでしょうし、うちの兄貴みたいに、勉強はダメだけど喧嘩が強くて駆けっこは早い、という子供もいると思います。それぞれの分野に分けて「学業は遅れているから発達障害だけど運動は優秀」と評価されるならいいのですが、判断基準が学業やコミュニケーション能力なんかに絞られたなら、私は納得いきませんね。

今の通信簿の教科ごとの5段階評価だけでいいように思います。

そう言えば、今から50年以上も前、恩師と議論しまして、恩師はAK さんと同じようなことを言ってました。「これからの時代、何か一つ特殊な能力を持っている人間ではなく平均的な能力を有している人が求められるようになるぞ」と。私は「より専門的な知識が必要な時代になるから、特殊能力に長けた人が求められるハズ」と主張して・・・。

AK さんと先生の予測のほうが正しければシャッポを脱ぎます (^◇^)

ただし、地代の要請に応じて、そういう波は交互に来るのかも知れませんね。

私の恩師、ベトナム戦争の終結10年前に「アメリカは勝てない」と、理由を付けて予測していて、その通りになりましたし、「ユーゴスラビアは大統領のチトーが死んだら内戦が勃発するぞ。ユーゴと言う国は実に不安定な国だぞ」と予測して、チトーが亡くなったのは20年後、恩師の予測通り内戦が勃発しました。

ま、そういう先生なので、AK さんの仰ってることのほうが正しいかと・・・、すみません。

いずれにしても、指標なんて、権力(権限)を持つものが都合よく設けているもの、と言えるのでは・・・。

Posted by poohpapa at 2018年09月05日 05:12
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