2018年09月17日

半田高校創立100周年記念柊祭訪問記 (7)

9月9日に柊祭を観るために帰省することを半田中学校時代の恩師に伝えたら、いつになく嬉しそうな声で「おお、いつ(何日に)帰ってくるだ?」と仰って、さらに「(うちに)寄れ寄れ、ええとこ(美味しい店)に連れてったるわ」、さらにさらに「何人で来る?、何人でもええぞ」とのことで、別の高校から大学に進んだMちゃんや、中学が違うA君、それに中学高校とも一緒だったK君、の4人で夕食会をしたところまでは以前の記事で書いているが、その席で衝撃の事実が・・・。

我々の高校時代、1年ごとに校長先生が代っていて、「なんで??」という違和感はあったが、A君が「俺らの後夜祭で、学校がファイヤーストームを許可せんだったもんで、それに抗議する意味で、木で櫓を組んで、発煙筒を焚いただらあ。それが何かに燃え移ったかなんかして大騒動になって、俺たち生徒会執行部が一人ずつ(生徒会の顧問や複数の先生のいる部屋に)呼ばれて、尋問されただらあ。だで、当時の浜島校長は責任を取らされて飛ばされた、と俺は思っとっただ」と言う・・・。

おぼろ気に、「そういえば、そんなことあったかなあ・・・」くらいの記憶。「学校に抗議する意味で、木で櫓を組んで火の代わりに発煙筒を焚く」というのは間違いなく私の発案。だが、それが大問題に発展して執行部員が一人ずつ教師たちに呼び出されて尋問を受けた、という記憶は全く無い。私も呼ばれていたなら、今は痴呆症でも当時のことは覚えているハズ。いや、私みたいな性格だと昔のことほどしっかり覚えているもの。

たしかに、たった1年で他の学校に転任する、というのは不自然。他に何か不祥事があったんだろうか・・・。むしろ、そうであってほしい、と思ってしまう。というのも、浜島校長には恩があった。以前も書いているが、後夜祭が始まったのは定時制の授業が始まる時間で、運動場でドンチャン騒ぎをしていたなら定時制の授業の邪魔になる。だからといって、始まったばかりの後夜祭を打ち切るワケにもいかない。当時の生徒会顧問に掛け合ったなら「ダメだ、即中止しなさい」と言うに決まっている。私は最初から全く信用していなかった。

それで私が浜島校長に「後夜祭を続けられるよう定時制の先生方の了解を取り付けて頂けないでしょうか」と直談判した。もし「ダメに決まっているでしょう」と言われたなら、停学覚悟で「かまわないから続けようぜ」と抵抗するつもりだったが、浜島校長は「では聞いてきましょう」と快く受けてくだり、定時制の先生方の了解を取り付けてくださった。あの決断が無ければ学校祭は後味の悪い終わり方をしていたかも知れない。それなのに我々が原因で1年で他の学校に飛ばされた、経歴に傷を付けてしまったというのでは「恩を仇で返した」のに他ならない。覚えていなかったのも申し訳ない思い。もうご存命ではないと思うが、事実なら謝りたい。

言い訳になるが、当時は「とにかく学校祭を成功させたい」という思いだけで、周りのことがあまりよく見えていなかったんだろう。良くも悪くも、それが「若さ」ということかも。


もう一つ、こちらは面白い話。私が恩師に「Mちゃんは信金を退職して、私と同じで、今は不動産屋にいるよ」と言うと、「なに?、ほうか、だったら、うちの隣りの空き地を買いたいと思っとるで、Mんとこの店で間に入ってくれんか」とのこと。夕食会が一気に商談の場になった瞬間である (*^_^*)

それでMちゃんに、「この話を引き出したのはオレだで、ADを付けさせるか両手数にして、その分はうちにくれや」と言ってやった。私がADに批判的なのはMちゃんも知っている。その私が「かまへんだろう。どこの不動産屋でもやっとることだが」と言ったのだから大爆笑。

もちろん、冗談である。のだが・・・、私が言うと「冗談に聞こえない」のが怖かったりして (ーー;)

苦い思い出と、突然降って湧いた商談・・・、いろいろあるけど故郷は嬉しい。

posted by poohpapa at 06:04| Comment(2) | プライベート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
poohpapaさんへ
ご無沙汰しています、お元気そうで何よりです。
母校の創立記念日エピソード、楽しく読ませていただきました。
その年になって、高校時代の恩師や友人との付き合いがあるとは羨ましいですね。
僕の場合、故郷での同窓会、学園祭などとは縁がなく、お誘いも来ません、もっとも行く気もありませんけど。
そう言えば社会人になりたての頃、営業職の友人に誘われて東京での同窓会に一度だけ行ったことがあります。営業職の彼は母校の人脈を築いていたらしく、いろいろ歩き回って旧交を温めていたようですが、技術職の僕は話せるような友人もおらず、隅っこで気まずい思いをしていました。
ゲストで招かれた著名な小説家が演壇で話していて、初めて彼が母校の先輩と知りましたが、彼はスケベな小説を書くので、封印したほうがいいなと思った記憶があります。
Posted by ボース at 2018年09月18日 15:43
ボースさん、おはようございます

思い切りプライベートな私的な記事を楽しんで頂けて嬉しく存じます。有り難うございます。

よく「卒業してそんなに経っているのにまだ付き合いが残っているのは珍しいね」と不思議がられますが、うちらの学年が特別なのかも知れません。他の学年で毎年同窓会を開いていたり、先生方と交流している、という話は聞いたことがありませんから。たまたまそういう奴らが集まったんでしょう。

親しくしている同級生は何十人もいますし、街で何十年ぶりにバッタリ会ってもいきなり話題に入っていけると思います。とくに私なんかは帰省する度に恩師のご自宅を訪問したりして・・・、恩師が送り出した生徒は1万人以上だと思いますが、そういう生徒は珍しいかも知れません。

今回、柊祭をおよそ50年ぶりに観に帰って、今の先生方とお話することが出来て良かったです。私は今まで、母校に対して強い蟠りがありましたが、先生方の温かな対応で払拭して頂きました。先生方の気質や校風が変わった、というのでなく、それは当時の生徒会顧問や新聞室顧問と真剣に衝突して対立したりしていたからに他ならないのかも。おとなしく勉強だけしていたなら違っていたことでしょう。

なんだかんだ言っていても、言葉とは裏腹に母校愛は人一倍強かったりして・・・(^◇^)

ボースさんが仰るように、営業職と技術職では、同窓会に出ても立ち位置が違っているかも知れませんね。私は、営業職であっても同級生の間で仕事の為の人脈は築こうとは思わないのですが・・・。

まあ、私なんかも、母校からしたら「封印したい卒業生」であるかも、と思います (滝汗

Posted by poohpapa at 2018年09月19日 07:12
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