写真ばかりの記事になってしまいますが、私の備忘録ということでご容赦ください。
ノルンが亡くなる2日前(2019.07.26)
水飲みの器具に寄りかかっていて、痛々しいですし、何もしてやれないのが辛かったです。
水を飲みに和室から出てきても一滴も飲めず、自分の居場所に戻っていきます。餌と水がとれなくなった時点で「あと数日なんだろうな・・・」と覚悟はしていました。
元気だったころは5 sちかくあった体重が、(亡くなった後で体重を量ったら)2 sちょっとになっていました。触ると、骨と皮だけで、筋肉などありません。これで歩いていたのが不思議です。痩せているんだろうな、とは思いましたが、長毛種なので判りにくく、まさかこれほどまでとは・・・。
ノルンが亡くなる前日 (2019.07.27)
生きようとする本能でしょうか、ヨタヨタと餌と水をとりに出てきますが、出てきただけ。
ノルンが亡くなった当日の朝(深夜、早朝)
本当に珍しく、私の椅子に寄ってきました。その前に、背後でゴトン、ゴトンと音がしていて、ノルンが起き上がろうとして起き上がれずに倒れてフローリングに頭(頭蓋骨)をぶつけていた音だったようです。この時、10分ほどお腹を摩らせてもらいました。いつもなら拒否するノルンが拒否しなくて・・・。
うちのは滅多に早朝になど起きてきませんが、起きてきたので交代しました。
この日の夜、7時半ころ、ノルンに付き添って様子を見ていたうちのが「ノルンが苦しそうに二、三度、口で息をしていたけど落ち着いたみたい」と言って和室から出てきたので、「じゃ、晩飯にしようか」と、昭和記念公園の花火大会に合わせて買ってきた「たこ焼き」一人前を二人で分けて食べ、うちのが和室に戻って直ぐ、「ノルン、死んでる・・・」と出てきました。目を開けたまま亡くなっていたので、おそらくは口で息をして、落ち着いたように見えた時に息を引き取っていたんでしょう。
ノルンが一番信頼して慕っていた、そして、ノルンを一番愛していた「うちの」が最期を看取れていた、と、私は信じたいですね。いえ、きっとそうだと思います。
ノルンが息を引き取ったちょうどその頃、昭和記念公園の花火大会のクライマックスで、賑やかな花火の音に送られてノルンは天国に旅立ちました。これから毎年、昭和記念公園の花火大会の度にノルンの最期のことを思い出すでしょう。もちろん、一生忘れません。
ノルンが亡くなった翌日 (2019.07.29)
本当に久しぶりにノルンを抱っこしました。この1年は私も我慢していました。
慈恵院からお迎えの車が来る前に、最後に再び抱っこ。
慈恵院に到着してキレイな段ボールに移して、お布団を敷いてもらいました。ノルンが子猫のころ好きだったおもちゃとお守りを入れました。
箱に入っていますが、本当に最後の抱っこです。
二人でノルンに「長い間ありがとうね」と声をかけ、この後、荼毘に付しました。
待合室に貼ってあった言葉、その通りでしょうね。
帰宅して、ノルンが大好きだった場所に安置
キャットタワーからトイレ横の窓の前の棚にジャンプして外を見るのが好きだったので、ここに遺骨と位牌を安置。毎日、餌と水をあげて、「おはよう」「ただいま」「おやすみ」と声をかけています。いつかは慈恵院に遺骨を預かって頂き、永代供養をして頂くようかな、と思います。私たちも死にますから。
ノルン・・・、餌が食べられなくなったのが亡くなる一月半ほど前で、それから「私たちが心の準備ができるよう」気遣ってくれるかのように頑張って生き延びてくれました。最期は眠るように息を引き取りましたが、本当はどんなにか辛くて苦しかったことでしょう。最期まで飼主孝行の猫でした。亡くなる前日には私もノルンに「今まで有り難う。もう頑張らなくていいよ、もう楽におなりよ」と声を掛けました。
私のスマホの待ち受け画面
機種交換しても、もしもいつか他の猫を飼ったとしても、死ぬまでノルンの写真で通します。
ノルンが家に来て間もないころ、ブログ仲間のporon さんとのご縁で猫専門誌「NEKO」の巻頭グラビア6ページを飾ったこともあります。私たち飼主だけでなく、いろんな方に愛されて、ノルンは幸せだったと思います。ノルンが先に逝ってくれたおかげで死ぬことが怖くなくなりました。死ねばノルンやラブ(以前に飼っていて最期を看取ってあげられなかったシーズー犬)に会えて、お詫びが言えますもん。
ノルンに直接お会い頂いた方もそうでない方も、長きに亘ってたくさんのご厚誼を頂きまして、心から感謝しています。本当に有り難うございました。
※ この記事へのコメントの返信はできません。どうかお察しください。
ペットの死は、当事者にしかわからない哀しみですね。
気落ちすることないよう、奥様を労わってあげてください。
この記事へのコメントの返信はできません、と謳っていましたが、幸か不幸か頂いたコメントが一件でしたので返信させて頂きます。いろいろ気を遣わせてしまったかもしれませんね、すみません。
で、有り難うございます。ピーちゃんの身元引受人さんのお宅でもまだ悲しみが癒えていらっしゃらないかと存じますが、温かなお言葉に感謝しております。
実は、この記事はずっと泣きながら打っていました。この返信も、であります。
うちのは、「ノルンが家族の一員になって14年間というもの、いろいろ我慢していたことを少しずつやっていこうかな」と言っております。もちろん、旅行やグルメに出かけるよりノルンと一緒にいるほうを自分で選択していましたし、ノルンと一緒にいられる時間が最も幸せな時間ではありましたが、気持ちはよく解かります。なので、できる限り、うちのの希望を叶えてやりたいと思います。
お気遣い、本当に有り難うございます。