私が毎日拝読している「百人の会」のメルマガから、拡散希望とのことなので、微力ながら協力を、
今日は暖かいですね。季節は間違いなく動いています。
日本の季節の中で、春を心待ちにする今の時期が一番好きです。
川内時男
3、子供は「霊長類ヒト科」という生き物(拡散希望!)
前回「子供はまだ人間になっていない(だから今は人間ではない)」と書きました。これを読んだ多くの人は「随分ひどいことを言うヤツだ。こんなヤツが校長をやっていたのか!何たることだ!」と憤激されたことでしょう。しかし、憤激したいのはむしろ私の方です。なぜなら、教育現場をこれほど荒廃させた張本人は、こういう人達だからです。
「子供は霊長類ヒト科の子」という生物学的事実を受け入れず、子供を「神が天から遣わされた純真無垢な妖精」のように錯覚している人がいるから、教育現場がこれほどまでに荒んだのです。錯覚にとらわれた目では、物事が正しく見えなくなります。子供を厳しく
指導しようとする教師を「純真無垢な子供を力で押さえつける鬼のようなヤツ」という構図で観るようになってしまうのです。教育は「子供は霊長類の子」という生物学的事実を念頭において考えなくてはなりません。
医者は病気を治すため、泣き叫ぶ子供に注射針を刺します。しかし世間の人はこの医者を「泣き叫ぶ子供を痛めつける鬼のようなヤツ」とは言いません。どうしてでしょう「医学は科学」と言うことを人々が知っているからです。一方、
教師が子供を厳しく指導すると「鬼のようなヤツ」と言って非難されます。どうしてでしょう。教育に科学がないからです。加えてマスコミはじめ多くの評論家が「子供を力で押さえつけるのは間違っている」
として教師を非難し、学校不信をあおるからです。このような背景があって、学校は子供に厳しい指導を手控えるようになりました。子供は天使でも妖精でもなく「霊長類ヒト科の子」という生身の生き物です。その認識を社会が共有しない限り教育の再生はないのです。
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詳しいことを知りたい方はkaicho71369@yahoo.co.jpまでご連絡ください。電子媒体の資
料は無料提供、紙媒体(拙著「教育直言」を同封)の場合は送料だけご負担ください。4、子供に対する幻想は最も危険!
陰湿ないじめによる子供の自殺のニュースを目にするたび、多くの人は「天使のように純真無垢な子供が、なぜこんなひどいことをするのか」と、戸惑う人も多いことでしょう。実は子供は天使でも妖精でもなく、そして純真無垢でもありません。あるのは「霊長類の子」としての生存本能だけです。
ただ猿と違ってヒトの子は「正しく教育されれば将来高い知能と豊かな感性を身につけられる可能性をDNAによって保証されている」と言うことです。それ以外の点においては子供は他の霊長類と何ら変わるところはありません。「子供は前々回のコメントで「いじめは絶対に起こる」と書きましたが、いじめは子供に限らず、大人社会でも起こります。これは人間が霊長類である限り逃れられない宿命です。大人でさえそうですから、
成長過程にある、子猿にも等しい「ヒトの子」ならなおさらです。これが地球上に生きる動物の「自然界の掟」なのです。だからといってこれを放置して良いと言うことではありませんが・・・。ともあれ、子供は他の哺乳類とは別の意味で厳しい自然界の生存競争の中で生きています。しかし、多くの大人達は、のどかでファンタジーな子供像をつくり、
それを前提とした指導を教育現場に求めます。童話や絵本の世界ならいざ知らず、そんな絵空事を前提とした「きれい事の教育」を押しつけられては、教師も子供もたまったものではありません。
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私も、子育てしていて、子供が中学生か高校生の頃だったか、子供に何かで文句を言われて「子供に人権なんか無い!、文句があるなら(家を)出て行け!」と言って殴ったことがあります。泣いて怒ってましたけど、私なんかは「子供にも人権があ」なんて言ってる奴に我が子をマトモに躾けることなんかできない、と思いますね。そんな乱暴な接し方をしていても親子関係はそんなことでは崩壊しません。
体罰同様、根底に愛情があるか無いかの話で、子供はよく解かっていると思い・・・たいですね (^◇^)
今、末娘とは音信不通になっていて、連絡は取れてもお互いに連絡しないだけなんですけど、親子の縁を切ろうと思っています。カネに困った時だけ「おとうさん」と擦り寄ってきますが、ノルンが亡くなったことをメールで知らせても悔やみの返信メールも寄越さなかったので、「うん、それならもう縁を切ってもいいな」と思った次第。男親は娘を溺愛する、とよく言いますが、私の場合、全くそんなことありません。
ノルンのことが決定打になったのですが、そこまでにいろいろあります。いずれ身内の恥を晒す内容の記事を書きます。ついでに、娘が部屋を借りた時の連帯保証人に私がなっていますが次の更新期限で下ります。そうしたら新たな連帯保証人を立てなければなりませんが、母親(元妻)にも頼めず、兄二人も断るでしょうから、保証会社を使うようですね。保証会社の審査、通るかなあ・・・、緊急連絡先は親族でなければならなくて、その緊急連絡先には事前に電話が入りますから。
その時に、泣いて「おとうさ〜ん」とすがってきても断ります。私は子供の頃から「血の繋がり」なんてちっとも重要と思ってなくて、むしろ血が繋がっていない人と肉親より強い信頼関係が築けることが素晴らしいこと、と思っていたので、大人の娘がどうなろうと自己責任、私の知ったことではありません。
完全にいじめをなくすことは出来ないならどうするかって言われると私にも答えはわからないのだけれど。いじめられている側と同じ仕打ちを自分が受けることを考えた時にそれを受け入れられるのかどうかを問いたいですよね。
つまり同じ目に合わせてやるのが一番いいと思ってる(本音)
いじめる側が堂々と胸を張って行える行為ではないことは普通の知能があれば理解しているので、透明化が一番抑止力があると思うのですけど…(´・ω・`)
物理的な肉体的苦痛を伴う教師の懲戒権は、ある程度は認めた方が教育現場の荒廃は防げると思っています。
が、そうじゃないと思っている人を真っ向からは批判したりもませんけどね。
「刑罰があっても(強化しても)、犯罪はなくならないじゃないか」的な意見が根底になると思いますが、抑止力になっていることは間違いないと思います。
駄目なことをしたら口で言うだけだとあまり身に沁みません。(個人的な私の体験ですけどね。)
いじめはみっともない恥ずかしいことなんだともっと言わないと。
「相手の人権を…」とか言っても何も自分に跳ね返らないので、ほとんど無駄な説教だと思いますけどね。
すっかり春ですね、花粉で悩ましい日々です。
さてこの’子供はしつけないと動物と一緒’と言う意見、前に読んだことがあります。
僕もオヤジに良く殴られました、しかし今となっては、恨むなんてとんでもなくて、懐かしく思い出されます。
親父は明治生まれの小学校出です、DNAなんてものは露も知らないくせに子供の教育は本能なのかよく知っていたようで一応5人の子供はまともに育っています。
考えてみれば母親の影響も大きいです、’ごはん食べれるのはお父ちゃんのお陰’とよく言い聞かされたものです。
今の時代母親が子供に父親のお陰と言い聞かせますかね?
教師も下手すると子供の親のほうが偏差値の高い大学を出た例が多いので、教師に対する尊敬の念を子供に教えていないのかも知れません。
僕ら世代、小学校しか出ていない親が多い時代、師範学校出の教師は全幅の信頼がおける存在だったのでしょう。
権利ばかり教えて義務を教えないのと教師の多少の体罰を禁止したのが、今の教育の退廃を招いた原因だと思っています。
いじめを見つけたら二度としない様に教師が張り倒せばいいのです、それで解決です。
親が文句言ってきたら、親子ともども警察に渡せばいいのです。
最も肝心の教師の質の問題もあります、僕の周りにも学生運動をやりすぎて一般企業に入れず、ちゃっかり教員資格を取って教師になっている’でもしか先生’が二人いました。
いじめ、どんなに優秀な教育者が現れたとしても、無くなることなんてありませんよね。芝居「白波五人男」の中の石川五右衛門のセリフ、「浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ」ですね。この「盗人」の部分を、「いじめ」だけでなく、こんなふうに置き換えても通用します。
「浜の真砂は尽きるとも、世に戦争の種は尽きまじ」であります。戦争を飯のタネにしている奴らがいる限り戦争も紛争も無くなりません。死の商人だけでなく、政治家も宗教家も同じ穴の狢です。
「いじめ」は飯のタネにはなりませんが、学力でトップに立てない子供が優越感を満たすには十分な行為です。人は皆、性別や年齢に関係なく、誰かと比較して自分が優っていることを確認して優越感に浸りながら生きているものですから。そうでもしていなけりゃ生きてられない人は多いですね。
いじめ、無くすことは出来なくても、今、目の前で起きているいじめをやめさせることなら出来ると思いますけど・・・、教師のレベルによるところが大きいかなあ・・・。今の教師たちじゃ無理ですが。
はなくろさんが仰るように「同じ目に遭わせる」というのが一番効果的でしょうね。
子供に食事を与えず餓死させたリ凍死させた親とか同居人、刑務所に入れるだけでなく、子供がされたことと同じことをしてやればいいのです。たとえ10年刑務所に入っていたとしても、自分が何をしたかを理解することは無いでしょうね。同じ目に遭わせてやれば1年で出所させてもOKです。
そう言うと、人権団体が騒ぐんでしょうけど、実際、今の日本を、昔より遥かに「生きにくい国」にしているのは(自分たちは真っ当だと信じ込んでいる)人権ボケした奴らです。
てなワケで、はなくろ法務大臣誕生を切に願っております。
私はねえ、個人情報保護法なんてもんは天下の悪法だと思いますね。この法律の制定を喜んでいるのは善良な市民でなく、その悪法を盾にとって(悪さをしても)逃げたり隠れたりすることが出来る奴らだけ。個人情報として護らなければならない対象をもっと限定的にすべきです。こんど、近所の小田原潔事務所(自民党)に談判に行ってこようと思っています。
<<物理的な肉体的苦痛を伴う教師の懲戒権は、ある程度は認めた方が教育現場の荒廃は防げると思っています。
全く、そのとおりですね。ちょっと体罰を与えただけで親やマスコミが「体罰は暴力だ」 「ごともの人権があ」と騒ぐし、マスコミも批判的に取り上げますから、それじゃ教師も腰が引けてしまうし、子供たちにも見抜かれて舐められます。ほんと、最近は世の中の風潮に流される馬鹿な親が多いですね。
教師も堂々と胸を張って、「私は〇〇クンの将来のために世間からの批判を覚悟で体罰に及びました。私がやったことは本来は家庭の中で保護者がすべきことであって、私はその代わりを務めたにすぎません。批判は私が受けますが、間違ったことをしたとは思っていません。私は自分の信念に従ってこれからも教師を続けていきます」くらい言えばいいのです。教育委員会も世間体を気にして教師の味方にはなってくれませんから無理でしょうけど。
かくいう私も、中学時代に「体罰は暴力だ」と騒いでクラス全員でしばらく授業をボイコットした前科があるのですが・・・。ま、だからこそ今なら解かる、ということにしておこうかと・・・。
いえね、その時の担任の先生とは今も親しく交流させて頂いていますし、中学卒業後37年も経ってから一緒に二人でトルコを旅行していますから、私も十分に反省はしているということで・・・(滝汗
<<「刑罰があっても(強化しても)、犯罪はなくならないじゃないか」的な意見が根底になると思いますが、抑止力になっていることは間違いないと思います。
そうですよね。「死刑は凶悪犯罪の抑止力にならないのだから死刑は廃止すべき」なんて理屈を死刑制度反対論者は言いますが、では死刑制度を廃止しても変わらないのか、と言えば、凶悪犯罪は微増すると思いますね。そりゃあ人を殺したことはありませんが、殺人を犯す者は誰もが、殺す前に少しは「捕まったら死刑かな」とは考えるでしょうから。そう意識を積み重ねさせることが大事ですね
いじめは・・・、そう、恥ずかしいことですね。子供には、そう説くのが一番でしょうね。
ボースさん、目に症状が出る花粉症でいらっしゃいますか?
私が白内障手術後、一昨日まで掛けていた(埃避けの覆いの付いた)度無しメガネ、宜しければお送りしますよ。私はもう必要なくなりましたし、花粉症でもありませんので。もしご入用でしたらご遠慮なく仰ってください。どのみち、誰かに差し上げるつもりでいましたので。
<<今の時代母親が子供に父親のお陰と言い聞かせますかね?
そんなこと言うワケがありません。そもそも、母親が父親を敬っていないのですから。子供もその様子をいつも見ていて、そりゃあ父親の言うことなんか聞かなくなります。父親の威厳もなくなりましたね。父親がテレビのチャンネルさえ自分で変えずに、母親に「おい」と言うだけで、母親は嫌な顔一つせずチャンネルを変えてやる、それでいいと思うのですよ。親父は怖い存在でなければいけません。
「男女平等があ」 「女性の権利があ」と馬鹿なことを言い出す奴らが現れて、誰もが反論しにくい「人権」や「平等」を訴えて「それが当たり前」の世界にしていますが、日本を破壊しているのはそういう奴らです。日本は、戦争や他国からの侵略でなく、誤った人権意識で崩壊していきます。情けないのは、そういう主張に同調する男も少なからずいることで、今までの社会は一見すると男性優位で女性にとって不平等に見えますが、実際はそんなことありません。
それが証拠に、女性に「生まれ変わったら男がいいか女がいいか」とアンケートすると、半数以上が「女」と答えています。本当に女が虐げられている社会なら、みんな「男」と言うハズですもんね。
そういえば、高校時代、私を可愛がってくれた女子の先輩がいましたが、東京の大学に入ったら社会人の私を学生運動に誘おうとしまして・・・、以降は付き合いも無くなりました。一年後輩にも、学生運動の為のカンパを求めてきた奴がいて、断ったら「二度と連絡しません」と言って音信不通になりましたね。左翼思想にかぶれると、情も縁も吹っ飛びます。高校時代はいろいろ相談に乗っていたんですけどねえ・・・。今はどうしているやら。幸せになっているとは思えませんが。
私の現役時代も「でもしか教師」は多くいましたが、今はもっと多いでしょうね。私が慕っている恩師は全く逆でしたので今もお付き合いをお願いしています。古き良き時代、昭和は遠くなりにけり、ですね。
お気使い有難う御座います。
僕の花粉症は鼻水とくしゃみで、目にはあまり支障はありません、最も老眼鏡はかけていますがね。
そうでしたか、ま、目に出るのも辛いそうですから良かったです、と言うべきか・・・。
いずれ、誰かに差し上げるつもりでいたもので、それでお声を掛けた次第です。花粉症も治ることがあるそうなので、早く治癒されるよう願っています。どうぞお大事に。
儒教的に言えば、徳が高い人間だからこそ、徳の低い人間を指導する時に力の行使が許されていた、ということですね。
教育現場の崩壊は、「教師」の社会的地位の低下と、社会的地位と人間性には相関性がないかもしれないと皆が気づいてしまったこと、の相乗効果ではないかと思っています。
今の時代は、「教師」の力の行使に社会的な同意を得ることは、凶悪少年犯罪が激増でもしない限り(統計データでは減少の一途)難しいのではないでしょうか。
(「教師」の人間性を保証できるシステムが存在しないので、力の行使には人間性以外の強い大義が必要とされる)
メルマガの「霊長類ヒト科」と「純粋無垢な天使」の論は、つまるところは2000年以上前の「荀子」と「孟子」ですね。
現在の日本社会において荀子論が支配的でない中で、力の行使への社会的合意をどのようにとっていくのか、そこに言及できなければただの荀子論を説いているだけであまり意味がないような・・・。
それはさておき、今回のコメントで重要なところはここからになります。
記事の後半部分から推察すると
「建物賃貸借契約の更新にあたっては、連帯保証人の保証同意を得るべき」
とお考えになっているかと思います。
だから更新の際には、連帯保証人の判断で保証から下りることが可能だと。
しかしながら、一般的な建物賃貸借契約においては、賃貸人の同意なしに連帯保証人を下りることは不可能です。
連帯保証人承諾書に特段の記載がない限りは、更新することを前提とした賃貸借契約(≒期間の定めなし)に同意していることになっているからです。(最高裁判例あり)
そのため、更新の際には「連帯保証人の新たな同意」を必要としていません。
実務的には、連帯保証人に連絡をとることはありますが、その目的は連帯保証の更新同意を得ることではなく、生存確認のためになります。
娘さんが転居された場合に、新しい契約の連帯保証人にならないということはできますが、今の賃貸借契約が生きている間は、連帯保証人であり続けなければならない契約なのです。
契約の筋論から言えば、契約の連帯保証を下りたいのであれば、その代わりを用意することも連帯保証人の責務ということなってしまいます。
もし、これを読んでも連帯保証人を下りたいというお気持ちが変わらないようであれば、まずは賃貸人にご相談されてはいかがでしょうか。
丁寧に教えてくださって有り難うございます。実のところ、AK さんが仰る通り、ということは理解しております。うちのお客さんの連帯保証人に対しても、同様なケース、つまり賃借人本人の経済力の不安とか信用に対する不安が出てきて、契約途中や更新の際に「連帯保証人を下りたい」と言う人がたまにいて、「勝手に連帯保証人を下りることはできません。どうしても、と言うなら、代わりの、あなた以上に経済力のある方を用意してください」と言っておりますので。
まあ、他人様にはそう言うけど、自分には甘い、ということになりそうですが。
なので、もちろん、契約期間の途中で下りる、なんてこともしません。管理会社に「次の更新期限までは連帯保証人でいますが、次の更新契約から下りさせて頂きたいのですが・・・」と言うつもりです。当然に、本人だけでなく連帯保証人である私も含めて審査しているワケなので、勝手に下りられないのは承知していますが・・・、管理会社が、「ではご本人と相談してみます」と言ってくれたら有り難いな、と本音では思っています。私は娘と口を利きたくないもので・・・。
私としては、娘に「親であっても甘えてばかりは赦されないんだよ、不義理をすれば自分に返ってくるんだよ」と、この件で気付かせたいと思っていますが、今の娘じゃ解からないかも知れません。
親子関係の拗れに管理会社を巻き込む形になりますので、どういう結果になるにせよ、後で菓子折りを持参してお詫びに伺います。いや、その前に相談に伺うべきですね。私自身が賃貸の仲介管理で飯を食っているワケですから、先方の管理会社に無茶なこと、勝手なことは言えませんし。
このことで私自身の信用度が落ちることは辛いものがありますので、筋は通すつもりでおります。
この件が、その後どうなったかはこのブログでご報告させて頂きます。有り難うございます。
順番が前後しますが、教師の件もご指摘の通りかと思います。今の先生たち、明らかに質が落ちている、と思えてなりません。私が中学生だった時代と、私の子供が中学生だった時代は、たった25年、四半世紀しか経っていないのに、先生方を見て、教室としてのレベルの低さに愕然としました。教え方や指導力以前の問題で、(体罰とかでなく)よくそんなことができるなあ、と思うことがしばしばでした。私はハッキリ抗議しましたからモンスターペアレンツの扱いになっていたかと・・・。
親も、尊敬の念で教師を見なくなりましたね。教師という職業の人、くらいにしか見ていないような・・・。そこにもってきて、社会の風潮が「子供の人権があ」 「子供の自由と主体性があ」になってきて、子供にとって悪く作用しているように思います。親が厳しくしていても社会が甘やかすのですから。
昔、プロ野球のパ・リーグの二出川審判だったか、選手から執拗に判定に対する抗議を受けて、「俺がルールブックだ」と言い切って判定を変えなかったという話を聞きましたが、乱暴なようでいて、それで正しいと思います。教師が親や教育委員会やマスコミの顔色を窺って委縮しているようでは悪循環。親も、子供を学校に預けた以上、よほどのところまで教師の裁量を認めるべきでしょうね。教師だけでなく、親の質も落ちているような・・・、それを助長しているのがマスコミと教育の悪循環でしょう。
子供のころ、親父と喧嘩すると「そんな偉そうなことは自分で稼いでから言え!」と言われて相当に腹が立ちましたが、自分が親になった今は、自分が優位な立場になったから、というのでなく、親の言ってることが正しいと解かりますね。
昨日、中学高校の後輩と話していて、中学時代、一度も笑ったことがなくて黙っていてビンタが飛んでくる数学の先生が、今は公民館の館長をやっていてとても穏やかな好々爺になっていると聞きました。今は自己紹介する際には「元暴力教師の○○です」と自虐的に言っているとか。生徒のためにずっと「怖い先生」を演じていたのかも知れませんね。なんか、少しウルウルきました。
いつもご丁寧なご指摘を有り難うございます。