リクライニングマナーは日本特有? 座席倒し時の声かけ、どう考えるか
マネーポスト 2020/03/02 16:00
これ、私も実に嫌な思いをしたことがある。以前も書いたかな・・・、ま、いいや。
3年前、クロアチアを旅行した時、バスでの移動の際に、後ろの席のツアー仲間(夫婦の旦那のほう)に、「寝たいのでシートを倒していいですか?」と訊くと、快く「どうぞ、どうぞ」と笑顔が返ってきた。さらに「邪魔でしたら仰ってください、すぐ起こしますので」と言うと右手を挙げて「了解」のポーズ。それで安心してシートを倒して寝ていたのだが・・・、
途中、トイレ休憩でバスが停まったのでシートを起こしたら、その旦那から「キツくて身動き取れなかったよ」と怖い表情で文句を言われたのだ。「どうぞ、どうぞ」と言われて「了解してくれたもの」と考えてしっかり倒した私もいけなかったんだろうけど、他に言い方があるだろう。少なくとも、自分は了解していたのだから。もし「そこまでとは思わなかった」としたなら、「邪魔だったら起こす」と断っていたのだから初めに言えばいい。そんな言い方をするくらいだから「気が弱くて言い辛かった」ということは無いだろう。
「倒していいですか?」と訊かれて「嫌です、困ります」とは言いにくいものだろうけど、「いいですよ」と受けたなら後で文句を言うべきではないと思う。逆に、私は前の座席の人から「倒していいか」を訊かれたら常に快くOKすることにしている。もちろん、後でゴチャゴチャ言ったりしない。
私は、リクライニング付きのシートは目いっぱい倒してもいい、と思っている。そういうふうに作ってあるのだから。そこまで倒しちゃいけないなら最初から浅めのリクライニングで作るだろうし。ただし、後ろの席でテーブルを倒して食事をしていたりPCを使っていたりすることもあるだろうから、そういう配慮は必要だとは思う。私自身は、前の席の人から断りなく倒されても文句は言わない。
おかげで、と言うか、そのせいで、クロアチアという国自体は素晴らしかったけど嫌な思い出しか残っていない。他にももう1件実に嫌な思い出があるしね。それでクロアチア旅行記が途中で止まっている。
ギリシャを旅した時にはこんなこともあった。同じように、機内で後ろの席のツアー仲間(やはり夫婦のご主人のほう)にシートを倒す了解を求めたら、快く「どうぞどうぞ」と了解してくださり、後でシートを戻してお礼を言うと、「とんでもない」と笑顔が返ってきた。旅の途中で奥様に「ご主人様、とても人柄がいいですね」と言ったのだが、その奥様が他の人たちに私のことを「あの人は主人のことを人柄がいいって言ったけど、とんでもない。あの人は人を見る目が無いのよ」と言っていたとか。
どうやら冗談ではないらしい。自分の連れ合いのことを褒められて素直に喜べないってどうよ!?、である。たとえ夫婦仲が冷え切っていたとしても、である。違うかなあ・・・。率直に言って、そういう裏話を差し引いても、私からすると「奥さんの人柄は碌なモンじゃないな」と思えたほど。
私の旅仲間であって当ブログのコメント欄の常連さんの「たか」さんは、たとえ前後のシート間隔が広いプレミアムエコノミーに座っていてもシートは倒さないとのこと。「後ろの人に迷惑が掛かるから」だと。だったらエコノミーでいいじゃん、と思ってしまう。顔に似合わず優しい人なのだ。
新幹線のグリーン車や航空機のビジネスクラスを使うのでなければ、選べるなら、座席はなるだけ最後部を予約することにしている。自分が最後部だとそういうことで嫌な思いをしなくて済むから。
個人的には、バスの場合通常の背もたれの位置でも膝がキツキツなので、前の人に倒されると普通に座ってられません。
>リクライニング付きのシートは目いっぱい倒してもいい、と思っている。そういうふうに作ってあるのだから。
なので、これはどうかなぁ…(・・?
自分が日本人の規格よりも長いのである程度はしょうがないと思っていますが、バスはないわぁ〜(´・ω・`)
個人的には、“全員が”フルで倒す時を想定しているのだと思ってます。
<<個人的には、“全員が”フルで倒す時を想定しているのだと思ってます。
はあ、なるほど・・・。でも、夜行バスじゃないから、そういう想定はしてないかと・・・。
私としては、倒してはいけない、倒さないほうが良い、というものならリクライニングの座席なんか作るなよ、という思いであります。もちろん、自分は倒してもいいけど他の人が倒したら許さない、というなら論外ですが、私は倒されても「仕方ない」と思います。
予め意向を訊いているのですから、私なら「ごめん、やっぱりちょっと窮屈なのでもう少し起こして頂けますか?」と笑顔でお願いしますね。そうすれば相手の気分を害することもないでしょうから。
私が声を掛けずに倒したというならまだしも、しかも自分で了解していたのに、「マナーを弁えない自分勝手な人間」という烙印を押されたみたいで非常に不愉快でした。いちおう「すみませんでした」と謝りはしましたが、過去35回の海外旅行の中で最も不愉快な出来事だったかも・・・。
3年たってもまだ腹が立っている出来事であります。
新幹線でたまにビックリするのは、3列席に一人だけで座るとすぐに全部の椅子をフルに倒す人。
なんの意味があるのかな。
基本、椅子がそのようにできているので、必要ならば声かけなしにフルに倒しても良いと思います。飛行機の場合は、食事があるので、その時は配慮が必要ですね。
で、私は少しだけ倒す派です。フルに倒しても寝れないし、お尻の痛さは変わらない。
<<新幹線でたまにビックリするのは、3列席に一人だけで座るとすぐに全部の椅子をフルに倒す人。
自分が座ってる席だけじゃなくて3席とも倒すんだ・・・、猛者ですねえ。その席の乗客が乗ってきたら面倒なことになりそう (^◇^)
3席とも使って脚を畳んで横になる人は見たことありますが・・・、って、私も、飛行機でシートベルト着用ランプが消えた後で横4席を使って寝たことはあります。ラッキーでした。
少しだけ倒すとか、それで様子を見るとかの配慮は必要だったかも・・・、と思いました。だけど・・・、程度の問題でなく、「本音では倒されることがそもそも嫌」な人だったのかなあ・・・。その場合は、声を掛けたかどうか、OKしたかどうかは関係なくなりますね。
そんなことまで相手の心理の奥底を探らなくちゃならないなんて、面倒くせえ、であります。
あれは倒しすぎだわ。横浜のTさんにも聞いてみたら。
横浜のTさんも「倒しすぎ」てゆうてはったけど、あのバスはフルフラットではないから、普通のリクライニングだったと思います。あれで「身動き取れなかった」などと言われるのは・・・。
「邪魔でしたら仰ってください、すぐ起こしますので」とも言ってあって了解していたのですから、「窮屈だな」と思ったなら言ってくれればいいでしょう。なので私は納得できません。
たかさんは倒さない人ですが、もし、たかさんが私の立場でそんなふうに言われたら「あんた了解しとったやないか」と言うと思いますよ。私と違って黙っていないでしょう。
まあ、しっかり了解したと決めつけて遠慮なく倒した私もいけない、とも思いますが、たった一言で、旅の良い思い出が吹っ飛んでしまって、以降、トラウマになっています。私が無断で倒したならともかく、私は、あんな物言いをする人間にはなりたくない、と思っています。
「共通認識」とは、暗黙の了解の共通性が多数意見によって保証されていることです。
どの程度を多数とみるかは価値観によってマチマチですが、概ね80%くらいの多数意見を「共通認識」と見る社会が多いようです。
シートを倒して良いか聞くことが共通認識(日本での)であることには、この記事でもリンク先でも異論がないようですので、問題はその先のシートの角度になりますね。
この問題の社会的正しさ(日本における)を判断するときには、「共通認識」に背いて相手に我慢をさせているのはどちらであるか、が重要になります。
もし、シートを<全部>倒しても良いことが「共通認識」であるならば、「シートを倒して良いですか」という言葉には、<全部>が自然と含まれているので、文句を言われる筋合いはないことになります。
そうでないのであれば、「シートを<全部>倒して良いですか」と聞くべきところではありますね。
共通認識では<一部>になっているのであって、省略された場合は<一部>を前提としたものになっているはずですから。
結局は、自分自身の見解などは関係ない部分でして、多数意見はどちらなのかということなのです。
両者が拮抗しているのであれば、<一部>と<全部>はどちらであっても省略してはいけないことになります。
「共通認識など面倒だから、最初からルール化しておけ」
という主張は、「共通認識」による柔軟性のある社会を否定することになってしまいます。
ルールも多数意見によって支持されているものではあるのですが、「共通認識」とは違って柔軟性がありません。
「共通認識」であれば自然発生的に変更がなされていくものですが、ルールには明文化が必要なため変更に多大な労力かかります。
つまり、一定のゆとり量を確保しているなかで、その使用範囲を「共通認識」によって決めていくことが、効率よく柔軟性を保っておく方法と言えます。
シートの倒せる範囲も同じことではないでしょうか。
構造的に倒すことができる範囲は、ゆとり量が含まれているはずでして、「共通認識」によって最大限に使うことが許される場合もあれば、許されない場合もあるということだと思います。
そういう仕組をなくしてしまうことは、極端なルール化社会、契約至上主義の社会を目指すことになります。
ただ、柔軟性のある社会もデメリットがあるのですけどね。
「共通認識」の変化途中(賛否が拮抗する状態)では、ゆとり量の使用範囲で揉めに揉めることになります。
良いとこどりができないことは、世の中の常ではあります。
共通認識のお話はよく解かります。その通りだと思います。8割くらいの人が同意しているならそれを共通認識としてもいいでしょうね。マナーをルール化まではしないほうがいいと私も思います。そこまでやってしまったら、ほんと、窮屈な世の中になってしまうでしょう。そんなマニュアルは無用です。
日本人は、一度マニュアルができると、それに従わないのが悪、くらいに決めつけて柔軟な対応ができなくなる国民性ですし。
マナー、と言いますが、声を掛けたから私はマナーを守った、文句あるか、ということにはならない、とも思います。声掛けしたことが免罪符にはならないことは私も承知しています。そもそも、相手が「嫌です」と言えないこと、言いにくいことを承知で声を掛けるのは卑怯、とさえ思います。声掛けは単に「私はいちおう、いいかどうか訊いたからね、マナーは守ったからね」というアリバイつくりみたいなもので、予め声を掛けられていれば納得しやすいだけのこと、つまりは気分の問題ですね。
で、後ろの席の人に座席を倒す了解を求める際に、いちいち「(可能な限り)全部倒していいですか?」とか「どこまで倒していいですか?」と訊く人はいなくて、たいていは「倒していいか」の確認をするだけ。「倒してもいい」のは当たり前なので、後ろの席の人は「嫌です」と拒否はできない、そう思います。
そうは言っても、後ろの席の人にも「今、倒されるのは困る」という事情があったりするものでしょうから、「倒していいですか?」は、「今、倒しても大丈夫ですか?」の確認を求めるもの、だと思います。なので、「邪魔だったら言ってください、直ぐ起こしますから」と伝えていたわけで、ま、相手も、私が気持ちよく寝ていたので声を掛けにくかったのかも知れませんが、だからと言って、冗談ぽく言うのでなく真顔で「身動き取れなかったよ」は無いもの、と思うのです。
そこまで言われていて了解していたのであれば文句を言える筋合いはなく黙っているべきでしょう。
逆の立場だったとして、私が後ろの座席にいて同じように了解していたとしたら、たとえ窮屈な思いをしていたとしても、そういう言い方はしません。自分が了解していたのですから。後で「すみませんでした、有り難うございます」と声を掛けられたら、「いえいえ、でも、さすがに狭くてキツかったですね」と笑って言うでしょう。
言ったほうはスッキリするかも知れませんが、言われたほうは後を引きます。まあ、この人は営業経験のない人なのかな、と思うことにしました。
後ろが私の旅仲間だったなら、「おい、倒すよ。寝るから起こさないでね」と言えるのですが・・・。
そういえば、飛騨高山のツアーに一人で参加した際、添乗員さんがバスの車内で「座席は倒さないでください」と最初からお願いしていましたが、それもどうかな、と思いました。お互い様でいいじゃん、と。
う〜ん、私は、バスも特急電車も機内も、機能として付いているリクライニングの行使はその席に座っている人の権利、「今、倒されたら困る」特段の理由がないのであれば後ろの座席の人は拒否できないもの、と思いますし、基本的に文句は言えない、と思っています。なので、黙って倒されても私は文句は言いません。座席を起こしてほしい時は声を掛ければいいだけのこと。
たまに、外人なんかが、機内で食事が配られ始めているのに背もたれを元に戻そうとしないケースがあって、ま、みんな白人ですね。キツく言って起こさせたことがあります。言葉の問題でなく、怖そうな奴だったりするとCAさんに「注意してくれるよう」頼みますが(ヘタレ
私はこれからも、ただ「倒していいかどうか」を訊くだけでなく、「邪魔だったら言ってください、直ぐ起こしますから」と言葉を添えると思います。それでまた「身動きが取れなかった」などと言われたら、その時は喧嘩しちゃってもいいかな、と今は思っています。
と言うよりなにより、私は椅子と言うものが好きなので背を倒さなくてもさほど問題ないからかもしれませんが(・∀・)
自分の後ろの人がリクライニングしているなら倒してもいいかな?って思うけど後ろの人が倒していないなら私は確認することなく倒さないと思います(笑)
「倒していいですか?」 ⇒ 「いいですよ」、の時点では、私は「相手は了解していない」と思っています。誰も「やめてよ」と言わないのを承知で訊いているのですから。できれば倒してほしくない、とみんな思っているでしょうし。声掛けしたからと言って安心はできませんね。
お互い様だし、そういう作りになっているのですから、倒せば楽になるなら倒したほうがいいです。嫌だ、というのは我が儘でしょう。
なので「邪魔でしたら仰ってください、すぐ起こしますので」と言うことにしていて、それで了解してくれたら「本当に了解してくれた」と思うことにしています。でないと、どこまで行っても「(本音では)了解していない」ことになってしまいますから。なので、私からすると「了解していたのに翻した」ことになります。そして、その言い方が問題です。私は自分が了解したなら文句は言いません。
この座席の背もたれ問題は、共通認識、誰もが納得する「暗黙の了解」があるといいですね。その共通認識が「なるだけ倒すべきでない」という結論なら話が終わってしまいますが、「原則的に倒していいもの」ということになれば、私みたいな思いはしなくて済みます。
自分はいいけど人は嫌、というのでは話になりませんが、リクライニングの背もたれは倒していいもの、問題があるとしたら「今、倒していいか」だけだと思います。
で、はなくろさんね、自分が「後ろの人に不快な思いをさせたくないから」と我慢していたとしても、後ろの人がそういう思いやりに気付いてくれることもありませんよ。と、そそのかしてみる (^◇^)
いっぱいいっぱいリクライニングを倒した。そうすると、乗務員が、
後席に配慮してリクライニングをちょっと起こしてくれ。と言ってきた。
そこで「パンフレットには、リクライニング120度(?)と書いてある。十分に倒せるのがこのバスの売りじゃないのか」と言うと、「基本はそうですが・・・。」と言葉を濁す。そこで「基本通りにやりましょ。私は先頭の席。ここは1000円高い。後席の人が広いところを希望するなら、1000円余分に払ったらいいんじゃないの。わたしはなんのために1000円余分に払ったの。シートを起こしたら1000円返してくれるの。」と言ったら、ぶっきらぼうに「わかりました。」と言う。この言い方にカチーンと来たので「私は気持ちよく寝ていた。それを貴方に起こされた。どうしてくれるんだ」と言ったら、やっと「スミマセン。」と言った。そもそも論として、バスのシートは狭いもの。それが嫌なら新幹線のグリーン車に乗ったらいい。
再度言います。このバスは
新横浜-大阪のさくら観光キラキラ号。
初めてのコメントを頂きましてとても光栄でありますが、お怒りのコメントでしたね。
先生の仰ってることは正論だと思います。120度に倒せるのを売りにして、しかも高めの料金を取っていながら「もう少し起こしてくれ」は無いものですね。このやり取りを後ろの人はどう思って聞いていたことやら・・・。後ろの人が乗務員に「言ってくれ」と頼んだ訳でなく、とくに何とも思っていなかったとしたら乗務員は余計なお世話をしたことになります。
私は本文でもコメントの返信でも書いていますが、本来は欧米と同じように、とくに声をかけないで倒してもいいもの、と思っています。日本式の気遣いで「声をかけるのがマナー」となっていますが、倒すことそのものの了解を取るのでなく、今倒していいか、を訊くものだと思っています。
嫌だとは言えないのだから、訊いたから良い、にはならないのですし。
8席くらい減るとして、その分、料金が高くなっても、座席の前後ピッチをせめてもう10cm広くしてくれるとまるで違うでしょうね。客はその方を喜ぶんじゃないかと思いますね。
新横浜-大阪のさくら観光キラキラ号・・・、覚えておきます。