他人の家のトラブルなんか興味ないだろうけど、昨日の記事からの流れで、整理しておきたい。
読まれて「不快な思い」をする方もいらっしゃるとは思う。自分のしてきたことを正当化しようというのでなく、(あくまで)私から見た事実、私の本音を綴ってみる。
以前から折に触れて書いているが、散漫になっているので時系列でまとめてみる。別居から3年、離婚した後でいろいろ判ったこともある。誤解、というより悪意に満ちた話だが、私は怒っていない。それに、ここで書くことはあくまで私の観点からの話、元妻や元妻の親族にも言い分はあると思うから。
うちのと出会ったことで「女房と別れよう」と思うようになったのは事実。出会っていなければ、他の女性が現れるのを待ったか、我慢して暮らしていたか・・・、いずれにしても家を飛び出して一人暮らしをする、という選択肢は無かった。いくら「家事全般ができるようになっていた」としても、である。
うちのと知り合ったのは、「広めの部屋を紹介してほしい」との電話があって、来店を待っている間に資料整理をしていて、ふと店の前を見たら横断歩道の向こう側で信号が変わるのを待っていた女性がいて、「あ、俺、あの人と結ばれる・・・」と直感していたところに信号が変わって、うちのが店に入ってきた、それが馴れ初め。もちろん、信号待ちの女性が「さっきの電話の女性」とは思っていなかったけど。
それで、部屋を紹介すると一発で気に入ってくれて借りて頂くことに。「食事でも行きませんか」と誘って、「じゃあ、今度は飲みに」とズルズル進んで行った次第。当時、うちのは28歳、もう結婚していてもおかしくない年齢で、女の一番輝いている時をこのまま奪ってしまうのはマズい、と思い、付き合い始めて数年して、「女房に、『俺はこの家を出る、付いて来れるか」と訊いて、もし『付いていく』と言ったら、それは親を捨てる、ということになるから、そう決意してくれた女房を捨てるということはできないから、その時は二人の関係を終わらせてもらっていいかなあ」と訊くと、うちのは「しかたないよね、解かった」とのこと。
その際に、私がコツコツ貯めていたヘソクリの100万をうちのの前に置いて、「もし、女房が僕に付いていくと言ったなら、あなたは他の男性と結婚することになるだろうから、これはその時の結婚祝いとして受け取ってくれる?」と訊いたら「解かりました」と素直に収めてくれた。うちのは田舎出身で堅実な女だから、その後に渡したヘソクリの分も併せて、今の家を買う時の頭金になってしまったけど。
そして更に、「僕が家を出るとして、財産をどう分けるか女房に訊いたら『全部ちょうだい』と言うだろうから、その時は全部置いてきていいかな?」と訊くと、「それは私には関係ないおカネだからかまわないよ」とのこと。二人の共有財産は不動産や車、家財を除いて1700万ほど。ほとんどが有価証券で、カネの管理は元妻がしていて、私は家にいくらあるのか全く知らなかった。一切、私には相談せずに元妻が運用していた。当時、元妻は「うちのの存在」を知らなかったが、まあ、私も負い目があったし・・・。
予想通り「おとうさん(私)には付いていかない」とのことで、念のため「そうするとこれっきりになるけど、いいんだな?」と訊くと「いい!」とのこと。それで、うちののアパートに私物だけ持って転がり込んだ。
長男が高専に進むかどうか迷っていた時に、元妻は「高専に行かせるカネくらいあるよ」と言っていたけど、ふだんから私には「カネが無い、カネが無い」と言っていて、いくらある、と教えてもらっていなかったから高専に進むのを断念させてしまっていて、それは本当に申し訳ないことをしたと思っている。
家を出た後しばらくして、私の友人(今は不仲になっている)B君を介して「もう一度やり直そう。私はこれからおとうさんのために尽くすから」と言ってきてB君の家で話し合いを持たせてもらったけど、その時は、その前にB君の細君から「私はクリスチャンだから、坂ちゃんの浮気のことを知っていてこれ以上奥さんに黙っているワケにはいかない。坂ちゃんが自分で話さないなら私が言うよ」と言ってきたので仕方なく私から「うちのの存在」を伝えていて、元妻はうちののことを知っていたワケで、「あなたは彼女から僕を取り戻したいだけ。取り戻したら元に戻るのは見え見え。だいいち、あなたが洗い物をしていて私がテレビを視ていたなら『これくらい手伝ってくれてもいいのに・・・』と不満に思うだろうから」、と断った。
実は、後で判ったことだが、「私に尽くす」と言っていた時点で、既に元妻は、私の店の家主さんや管理物件の家主さん、私の友人、仲良くしている同業者のところを回って、涙ながらに「私の不実」を訴えていた。全財産を私が持って行ってしまったことにされていて、B君からも電話で「坂ちゃん、ずいぶん酷いことするね、全部持って出たんだって!?」との怒りの電話が入ったりして。
オマエに言われたくない、だけどね。B君は、用途は問わず領収書さえあれば自由に使える(自分に与えられた)会社の接待費500万円の中で海外に二人の愛人を設けていたし、奥さんからは泣きながら電話が掛かってきたことが何度もある。いつも長電話だし、私の「彼女と昨日、こんな店に行ったよ」なんて話も面白がって聞いていたのに、ある日突然クリスチャンであることに目覚めたりして・・・。ちなみに、B君夫妻はプロテスタントのペンテコステ派の信者。元妻のすぐ下の妹夫婦も同じ派で、何かと言えば「イエス様、イエス様」一辺倒で、人間が見えていない。残念ながら、私が死ぬほど好きだった悦ちゃんも同じ信仰。だから、私はキリスト教、とくにプロテスタントのペンテコステ派は大嫌い。
このブログの読み手さんや親しくさせて頂いている友人知人の中にもクリスチャンはいるだろうけど、私は「踏み絵」ができる。「神(キリスト)が人を作ったのでなく、人が神を作った」と思っているから。最後は人、世の中の不条理も幸福も全て人間社会の営みの中で人間がしていること、と確信している。
だから私は信仰を持たない。信仰なんて、それぞれの心の中にあればいい。地球上の戦争も根幹には常に宗教間の争いがある。本当に神があるなら神が(不幸な結果にしかならない)戦争は起こさせないハズで。
さて、「もう一度やり直そう。私はこれからおとうさんのために尽くすから」と言っていた元妻だが、その時点では既にあちこちの私の大切なお付き合いの相手に嘘を並べてお涙頂戴で悲劇の主人公になっていたワケで、もし、私が「解かった、やり直そう」と言ったならどうするつもりだったのか。まさかに、全て訪問して「あれは嘘でした、訂正いたします、すみません」などと謝罪して回ったりはしないだろう。
あの言葉は「自分は誠意を尽くした」というアリバイ作り、私が拒否することも計算済みだったと思う。
私に女がいた、と知った義父が「どうせそんなことだろうと思っていた」と笑って言っていた、と後で聞こえてきたが、そのことで「やっぱり自分たちは何も悪くなかった、あの男が女を作って出て行っただけ」とさぞかし安堵したことであろう。義妹夫婦たちもきっと同じく安堵したに違いない。もちろん私も含めて、誰しも「自分は間違っていない、悪くない」と思いたいものだろうから、私はそれでかまわない。
うちのは私にとって、「気の迷い、浮気相手」なんかでなく、とんでもなく相性がいい最高の女房だった。そうでなければ23年も付き合いが続いていないもの。あと7年は生きて、元妻との期間を超えたい。
昨日も書いたけど、もし義父母と同居して老後のお世話をさせて頂こう、などと考えなければ、そのことで何もトラブルも起きずに今も夫婦でいられたとは思う。今、十分に幸せだから結果オーライだけど。
彼らは、神に感謝することを知っていても、人に感謝することを知らない。
まあ、付いて行けませんね。
海外生活が長い occhan さんがそんなふうに仰るのは意外ですね。かく言う私も、海外を35回も旅していて、歴史的建造物としてキリスト教の教会に連れて行かれることが多いのですが、その度にキリスト教が嫌いになります。私が知っている信者に「碌なモン」がいない、ということもあります。
立川駅北口のコンコースで信者のオヤジがスピーカーで「イエスを信じる者は永遠の命が与えられる」 「生まれ変わる」とよく流していて、心の中でいつも「オマエ、見てきたのかよ」と突っ込みを入れています。不安商法、霊感商法でしかありません。
もしも、どうしてもどれか一つ宗教を信仰しなければならないとしたら・・・、トンカツは好きですから不便ですが、私はイスラム教の考え方が好きなのでイスラム教を選ぶと思いますね。
どちらも、神に感謝することを知っていても人に感謝することを知らない、と私も思いますが。