お説教がましい話で恐縮だし「オマエが言うか!?」の話になるけどお付き合いを m(___)m
参考になるかどうかは不明だけど、ここらで自分の生き方、考え方を整理して書いておきたい。大袈裟な話、生き方の参考になってくれたら嬉しい。
世の中がコロナウイルス旋風に翻弄されているのに私は身心ともに安泰でいられる・・・、もちろん、明日、いや、コロナの潜伏期間と言われる2週間後はどうなっているかは判らないのだけど、今、生きている。ちょっと前は滞納の督促や取り立て、追い出しなんかが何件も重なって、「もしかして私は鬱なのかな」と思うくらいに落ち込んでいた時もあったけど、いつの間にか立ち直っているし。
何度も書いているけど、私は、公私のどちらも「もう行き詰るかな・・・、これで終わりなのかな」と観念しているところに必ず救世主が現れる。それも、たいていは同じ人物ではなく別の人。自分では義理堅いほうだと思っているけど、それらの救世主の全員と今も付き合いが残っているのかと言えば、そうでもない。その後に別の事情で喧嘩別れした相手もいる。互いに顔を見るのも嫌なほどになっていたりして。
もちろん、中学高校時代から今も変わらず支えになってくれている奴もたくさんいる。うちの管理物件を何年も前に退去なさっていても今もお付き合いが残っている人も多いし。違う救世主がいろいろな場面で現れる、ということは、それだけ付き合いの幅が広い、ということではあるんだろうな。
以前は「人と疎遠になる」 「一切の付き合いが無くなってしまう」ということが死ぬほど辛かったけど、ある時、横浜のTさんから「それは、お互いの役割が終わった、ということなんですよ、そう考えればいいだけのこと」とアドバイスされてから、ずっと心に背負っていた重い荷物を降ろすことができた。
心の重荷・・・、言い換えれば、「相手のために私にしかできないことがある」 「私がこう思い遣っているのだから相手も同じように思っていてくれるハズ」という思い込み、思い上がりでしかなかったと思う。
冷たいようだが、「もう相手は自分を必要としていない、他の人との交友を選んで去っていっただけ。人間、一人では生きられないのだから、ならば自分もアッサリ忘れて別の人たちと付き合って生きていけばいい。向こうは向こうでそうするだろうし」と思うことにして気が楽になった。ま、失恋が典型的な例。「捨てられた」と思うから苦しくなるけど、「互いの役割が終わった」と考えれば気が楽になる。
人と疎遠になることはもう寂しくなくなった、と言ったらウソになるが。中には、どう考えても「自分は間違っていない」というケースもあるけど、そんなことで悩んでいたらキリが無いほど人間社会は複雑かつ不条理にできているから仕方ない。人間関係なんて所詮そんなもの、とまあ、そう思い至るまでに半世紀近く掛かっている。ここまで生きてきて、ようやく、お互いにだけど「人は変わる、人は裏切る。そう思っていれば間違いない」と自分を納得させることができるようになった。思えば長い道のりだった・・・。
さて、例年の売り上げなら、今の世の中の自粛ムードの中、うちの店など吹っ飛んでいたかもだけど、昨年の9月に、当方が辞退していた数件の売買契約での手数料をご厚意で支払って頂き、今期末までの給料は確保できているし来期もまあ何とかなると思われる。うちの店に限って言えば安泰だろう。
場所も決して良いとは言えず、管理物件も少ない店が25年も潰れずにいるのは、「利益を追い求めなくてもお客さんが喜んでくれたら利益は後から付いてくるもの」という考え方で商売してきたからなんだろうな。だから一発「大儲け」はできないけど、なんとか食べていくことはできる。そのほうが楽しい。
つくずく、私は「人とのご縁」に恵まれていると思う。それは私が「ご縁」を大切にしてきたからに他ならないと思う。たとえ代わりの人が現れても、目の前の損得だけで付き合いを切ったりはしないから、私と同じような思いの人との付き合いが今も数多く残っていて、そういう友人知人に支えられている。
偉そうなことを言わせてもらうが、今、友人や仲間に恵まれず自分で「私は不幸だ」と嘆いている人、これまで「ご縁」というものを蔑ろにしてはいなかったか考えてみてほしい。それで思い当たることがあるなら直ぐ「ご縁」を大切にする生き方に変えてほしい。即効性はなく、最低でも3年は掛かるだろうけど、必ず、人生が変わって幸せな晩年が迎えられると思う。
「人間、誰しも自分が一番で、こっちが思っているほど相手はこっちのことを考えていない」のも事実で、「人は変わるし裏切るもの」ではあるけど、自分の生き方を変えなければ環境も変わらない。逆に言えば、不遇(だと思っている)環境を変えたければ自分が生き方を(良く)変えるしかない。
そのために最も必要なもの、それは「素直さ」なんだと思う。自分にとって嬉しくない意見をしてくれる人の言葉であっても、しっかり聞いて受け止める素直さがあれば人生は変えられる。どんなに素晴らしいことが書いてある啓蒙書を何冊読んだところで「素直さ」が無ければ何も心に残らない。もっとも、啓蒙書なんて、たいていはクソの役にも立たないものだけど。素直さ・・・、オマエが言うか、と言われそう(滝汗
運が良いとか悪いとか・・・、それは「宝くじが当たった」とかでドーンと臨時収入があった、というような話でなく、自分を高めてくれる人との出会い、それがどれだけあったか、に尽きると思う。ただし、真剣に生きていなければ、目の前や周りにいる「運」(ご縁)に気付かず逃してしまうもの。
突然の自慢話になるけど、
私は日本で有数の資産家である。私を嫌っている人も一定数いるけど、そんなの比較にならないほどに多くの良き友人知人(最高の資産)に恵まれているのだから。逆に、友人知人にも資産家になって頂こう、これからもそういう思いで生きていきたい。それこそが自分が幸せになれる方法じゃないかな。
何をもって幸せと思うかの基準は人それぞれだけど、幸せって双方向であるべき、と私は確信している。自分のしたことで相手が喜んで笑顔になってくれる、それで私も幸せになれる。「自分さえ良ければ」では幸せにはなれない。当たり前の話だと思うんだけど、嘆かわしい話、不動産業界は「そういう業界」なんだよね。
繰り返すけど、「ご縁」って凄く大切で有り難いもの。間違っても目先の損得を判断基準にしないようにしなければならない。そして、「素直さ」と並んでもう一つ大切なのが、おかげさまで、という「感謝の心」だと思う。そのうえで不義理をしなければ幸せのほうから寄ってきてくれる、と、そう思っている。
世の中がコロナウイルスの影響で不要不急の外出自粛を要請されたりして経済も生活も委縮しているけど、こんな時こそ「現状を受け入れられる人は楽しめる分だけ得である」との西洋の諺が身に染みる。不平不満はあっても、今の環境の中で楽しめばいい。やがて懐かしい思い出に変わるだろうから。
ま、これで自分が感染せずにコロナ騒動が終息したなら本当に強運だったと言えるのかも。
私の業界(IT系のプログラマー)では、30歳前後の中堅若手がフリーランスとしてどんどん独立していきます。その背景には、慢性的な人手不足があり、サラリーマンよりも良い報酬が確保できるから。こんな私にも独立したい(フリーになる)と相談がきます。学習意欲が旺盛で、自分で問題解決でき、コミュニケーションが取れるような人ならば大丈夫ですが、明かに不向きなのにお金に惹かれてしまう人もいます。彼らに対する私のアドバイスは、「今だけを考えて行動するな」です。未来永劫この状態が続くわけでもないし、取得した技術を突き詰めるか、どんどん新しいことに挑戦するかを常に行っていく必要がある。その覚悟が必要だとアドバイスします。
それと、自分ではどうすることもできない不可抗力があること。私は東日本の震災で将来的に有望だと思っていた仕事を失いました。今回のコロナ騒動の影響で、サービス業や飲食業は今仕事を失っていいますが、我々の業種は遅れてやってくるかもしれません。フリーは真っ先に切られます。その時に大事になるのは、それまでに研鑽してきた技術とそれを評価してくれる人(会社)をいくつか持っておくこと。それと耐えるための体力精神力。
と、娘と同年代の若手にアドバイスしていました。予想だにしなかった不景気が押し寄せてきて、気づいてくれたかな。
バラキさんは苦労人でいらっしゃいますね。若者を諭す言葉が優しいですね。「水は低きに流れる」と言いますが、社会経験の少ない若者は、ついつい目先のことしか見られないですもんね。
若い時から、自分の5年後の姿がしっかり想像できるような若者なら、きっと大成するでしょう。
今は解からなくても、きっと「ああ、こういうことだったのか・・・」と気付く時が来るでしょう。ほんとは、その時じゃ遅いのですけど、まあ失敗を繰り返して痛い思いをしなければ身に染みて解かることはないでしょうね。私は・・・、もうこの歳で、体中たん瘤だらけですが。
努力が必ず報われる、なんてのは大嘘で、不条理で理不尽なのが世の中の常。ただし、苦労はしなきゃならない、ということでなく、無駄な苦労もありますから、そういうのを経ないで済むよう先輩たちが良きアドバイスをしてあげたらいいですね。
どんな商売、仕事も、ふだんからのネットワーク作りが必要ですね。そのためには、不義理をしないことが肝要で、そういうのも、若い人には解からないでしょうね。
バラキさんが若者にしている的確なアドバイスが、いつかバラキさんの身を助けることになるかも知れませんね。そんな気がします。