2020年05月01日

新学期は4月からで宜しい

べつに、入学式は桜の咲くころに、ということではない。

今、テレビで「諸外国に合わせて、9月を新学期の始まりにすべき」と主張している教育評論家とかコメンテーター、さも「私は進歩的で柔軟な考え方の持ち主」みたいな顔をして意見を言っているけど、新学期の始まりは4月からでいい。だいたいが、留学する学生なんてホンの一部なんだし。それより、9月を新学期にしたら不便を感じる人のほうが圧倒的に多いと思う。「最初は戸惑ってもそのうち慣れるのだから、今この機会に思い切って改革したほうがいい」なんてことは無い。

オカマが意見を言ってもいいけど、オカマが教育評論家なんかやるなよ、と思うし。

どこからもこういう意見が出ないけど、9月から新学期、新しい年度に入る、ということは、

高校入試や大学入試はいつやるの?、という話になる。9月に新入学、というなら入試は真夏の7月下旬か8月上旬にやることになる。東京オリンピックのマラソンと一緒。マラソンは、暑いからと開催地を移すことができても入試は全国で行われる。スポーツも入試も、最適な季節というものがある。

だいたいが、欧米から入ってきた文化が日本に良い影響を及ぼしたことなんてあっただろうか。耳障りのいい「グローバル化」だの「ブイバシー」だの「個人の自由」という言葉、さらにアメリカ的な「過度な人権意識」が日本人としての稔侍を損なわせて日本を暮らしにくくしているとしか思えない。その所為で、日本人は「権利(自由)の裏には義務がある」ことを忘れてしまって要求ばかりするようになったし。

多少の窮屈はあっても、家で頑固親父が威張っていても、裕福ではなくても、精神的には昔(昭和の頃)の日本のほうが遥かに豊かで暮らしやすかったように思う。プライバシーも人権も程度の問題。

9月新学期は、日本人には「慣れても馴染まない」もの。欧米に合わせる必要など無い。



posted by poohpapa at 07:20| Comment(4) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>オカマが教育評論家なんかやるなよ

(^ヮ^)オカマが評論家気取りでテレビにでるのは構わないと思いますが、教鞭を執るのは勘弁してほしいですね。
個人の主観的考えですが、同性愛は「性癖」だと思うので、それを臆面もなく堂々とさらけ出されても…(´・ω・`)ハズカシ

個人的には9月から新年度でも構いませんが、「欧米では…」とか「〇〇では…」とかを根拠に正統かのような主張をされると、あぁこいつは頭が悪いんだなぁと思ってムニョリます。
Posted by ハリケーン at 2020年05月01日 08:17
ハリケーンさん、おはようございます

尾木ママは教壇にも立っていたんですよね。マスコミは「オカマの教育評論家だから」と珍しがって(面白がって)使っていますけど、あまり賛同できる意見はありません。この人の口から語らせるより、誰か然るべき人が伝えたほうが効果的な気もしますが。

なんでだろ・・・、同じオカマでも、マツコや、おすぎとピーコには不快感を感じないんですけどね。教育評論家、という立場で上からモノを言っているからかなあ・・・。

<<個人的には9月から新年度でも構いませんが、「欧米では…」とか「〇〇では…」とかを根拠に正統かのような主張をされると、あぁこいつは頭が悪いんだなぁと思ってムニョリます。

なんか、今も「アメリカかぶれ」している人(文化人?)は多いですね。日本は「日本の独自のやり方」で進んでもいいモノがあるように思います。
Posted by poohpapa at 2020年05月01日 08:42
poohpapaさんへ
おはようございます、ご無沙汰しています。
最近この話題が喧しいですが、日本の風物詩を無くすなよと言いたい。
4月の気候は温暖で清々しい、子供の門出を祝うには最も房わしい季節だと思いませんか?
小学校には必ず桜が植えられてます、何故か?両親に挟まれて初めてランドセルをしょって登校した記念写真を撮るためですよ(勝手にそう思っています)。
それが9月?炎天下で子供も親も汗だらだらで、祝うどころではない、桜は日陰を求めるだけで、でも桜には虫が付いているから、落ち着けない。
どちらが良いか比べるべくもない。

おかま評論家が何を言っているか知りませんが、僕の友人で校長までやった男が二度とこの世界には戻りたくないと、教育委員会の話を断って晴耕雨読の生活をしている。
ちょっとした経験をもとに偉そうに喋る教育評論家なんて碌なもんじゃないと言っていた。
教育なんて評論すべきものでも何でもない、明治帝の教育勅語と会津の什の掟’ならぬものはならぬのです’ですべて解決。
特に小学校時代は日本語と算数と集団生活を教えればいいのです、何が個の自立ですか?

最近知ったのですが北里柴三郎なんか’読み書きそろばん’の幕末の教育を受けてドイツで活躍しました、そんな明治時代の偉人が多くいます、日本は何かを失って来たような気がします。

poohpapapさんの言われるように外国は外国、マネする必要などない、留学する人数なんて極く少数、無視するの限ります。
Posted by ボース at 2020年05月02日 09:00
ボースさん、おはようございます、お変わりありませんか?

新学期9月開始・・・、ならば1月開始でもいいくらいの話です。そのほうが解かりやすいので。ただし、それだといろんな仕事が重なって行政が混乱すると思いますので、ま、4月でいいかな、と。

私からすると、今「新学期9月開始」を言い出している人たち、目立ちたいだけでは?、と疑っています。思考が柔軟でなく無責任なだけ、と思います。「反対する人は頭が固い」と思わせるような風潮ですが、「今やらなければもうできない」と、急いで「新学期9月開始」を推し進めようと考えている人たちに、「それは今、社会が混乱しているこの時期にやることですか?」と問いたいですね。

9月になってもまだコロナが終息してなくて、「なんだ、それなら4月のままで良かったか」となりそう。

<<僕の友人で校長までやった男が二度とこの世界には戻りたくないと、教育委員会の話を断って晴耕雨読の生活をしている。

ボースさんのお友だち、賢明なお方ですね。うちの田舎で教育長をしていた人物、私の小学校6年の時の担任ですが、もの凄く「えこひいき」をしていた先生で、そんな人物が教育長をしていたのですから世も末です。そんなことでも教育委員会がどんなものか想像がつきます。千葉県野田市の心愛ちゃんでしたっけ、虐待死の際の教育委員会の対応を見ていてもお粗末極まりないものでしたもんね。私の場合は次の年に中学に進んで「一生の師」と仰げる先生に出会ったので、まあチャラですけど。

記事にも書きましたが、9月新学期では入試が大変です。子供たちのためにはならないかと・・・。

<<特に小学校時代は日本語と算数と集団生活を教えればいいのです、何が個の自立ですか?

大賛成です。小学校は、いろんな教科でこれから何を学ぶのか、を教えるところまででいいでしょう。

いっそ授業もPCやタブレットを使って在宅講義に・・・、そうすれば苛めも解消される、という意見も出ているようですが、馬鹿野郎です。苛めがあっても、何人か自殺する子供がいたとしても、先生が間違いを教えたとしても、不条理で理不尽なことがあったとしても、授業は学校で行うべきです。

この際ですから、誰が「9月新学期」を主張しているか、しっかり覚えておこうと思います。
Posted by poohpapa at 2020年05月02日 10:02
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