最愛のノルンが逝ってちょうど1年が経ちました。昭和記念公園の花火大会の日でした。
もう何日も前から、餌や水を(寄っては来るのですが)受け付けなくなっていて、何度も倒れて、ようやく辿り着いても口にできなくて、我々も「もう今日あたりかな」と覚悟していました。最期は動物病院に連れて行かずに、ノルンが一番信頼していて大好きな「うちの」が看取りました。もう病院まで連れて行かれるのに耐えられる体力など無かったからで、それより、うちのがずっと傍にいることを選択しました。
最期・・・、うちのの布団の上で、うちのが添い寝して、7時半頃、花火の音を聴きながら苦しそうに息をしていて一度大きく息を吸って、呼吸が楽になったように思えた時がノルンの最期だったと思います。
あんな小さな体で、我々にいっぱいの幸せをくれました。
うちのは、この1年毎日お線香とヨーグルトをお供えしています。今日は、ノルンが大好きだったヨーグルトを一周忌キャンペーンてことで、いつもより20%くらい増量してお供えします。気持ち、です。
ノルンは森永ビヒダスヨーグルトの、それも横浜工場(綾瀬市)で生産したものしか食べません。同じ商品でも、埼玉工場産のヨーグルトは一切受け付けませんでした。人間には判らない違いがあるんでしょう、動物の能力というものは凄いですね。うちのはどっちの工場で生産したものでも良かったのですが、ノルンに合わせて、横浜工場産を売っているスーパーを調べて、工場を確認して購入していました。
これから飼うであろう猫には失礼ですが、もうノルンを超える猫には巡り合えないことでしょう。それでも、新しい家族を迎えたなら目いっぱい可愛がるとは思いますけど、ノルンは別格ですね。
本来なら、今ごろは北欧旅行の準備をしていたでしょうね・・・。コロナがいつ収束するか不明ですから来年も行けないかも知れません。ノルンの写真と遺骨(一部)を持ってノルウェーに行って、写真に「おまえのルーツはここなんだよ」と見せて、散骨したかったのですが・・・。
私も、うちのも、ノルンには感謝しかありません。
ノルン、おとうちゃんももう直ぐ(おかあちゃんより先に)傍に行くから、その時は邪険にしないでくれよ。
意図的な漏洩だとは言いませんが、試すことができるのがいいとこです。
米中の陰湿な冷戦時代になるのかな?
ノルウェーは「の感染症危険情報をレベル3(渡航は止めてください。)」なので、まだ旅行は無理みたいですね。
あら、もう一年も経つのですか。早いもんですね。
今度のネコちゃんは、大人しい誰にでも懐くネコにしてください。ハイチューが大好きな猫にしてください。ビデオにとりましょう。
犬もそうですが、同じ顔、からだでも全く性格が違います。まあ、人間も同じか。
まだまだ、アジア人差別が続くでしょうから、来年も北欧訪問は無理でしょうね。向こうの人から見れば、中国人も日本人も韓国人も一緒で区別がつかないものでしょうから。
それにしても、ノルンがもう1年長生きしてなくて良かったかな、と思います。今、このコロナ禍でノルンが病気(老化)と闘っていたなら大変でしたね。そういう意味でも飼主孝行な猫でした。
生物兵器は、滅ぼしたい対象の敵国だけでなく自国にも返ってくるワケで、ちゃんとワクチンを開発してからでないと怖くて使えないですよね。そういう意味からも中国は「ワザとでない」と判ります。
ほんと、アッと言う間の1年でした。なんかねえ、まだ生きているような気がしてならないのですよ。後ろから寄ってきて小さな泣き声で「おかあちゃんは?、お使いに行ってるの?」と訊きそうで。
なかなか次の猫を飼う踏ん切りがつきませんが、それだけノルンの印象が強くて、愛情も注いでいた、ということでしょうね。うちのが自然に「そろそろ次の猫を探そうか」と言ってくれるのを待ちたいですね。でもって、次は保護猫で仲良し兄弟がいいですね。そう、複数飼いも視野に入れています。
あんなにかわいがっていたし、行方不明になった時は、それこそ涙を流さんばかりに懸命に探していらしたんですから、失った寂しさは寂しさはいかばかりか、ペットを飼ったことがない小生には想像もつきません。
だとしても、残念ながら、生命あるもの、必ずその時を迎えるのは仕方がありません。
同級生が亡くなった時、葬式の際にお坊さんが、「形のあるものは必ずいつの日か壊れ、命のあるものは必ずいつの日か死ぬ。それが自然の形なのだ」と言ったことがあり、非常に印象に残っています。
猫ちゃんも、そういう形になったわけですが、あんなに可愛がられて生涯を全うしたわけですから、ご夫婦にはとても感謝していると思いますよ。
これだけ思ってくれて、ノルンちゃんは幸せだと思います。
天国では仲良しになれると思いますよ。
いやいや、涙を流さんばかりに、でなく、本当に泣きながら探していました。朝早く、そして夜遅くまで。猫の習性上「遠くには行かない」と解かっていても、「あと1ブロック足を延ばしていたら良かったのに」と後悔したくなかったので、ずいぶんと捜索範囲を広げて探し回ってました。
でも、習性通り、我が家から30m以内で発見されました。あの時は臨終の時より辛かったですね。
まあ、飼主が二人とも先に逝ってしまうことなく最期を看取れたので、最低限飼主としての責任は果たせました。名前を出してしまいますが、同じように猫を飼っていた Cyber (敬称は付けません)が、不摂生の果てに自分の死後1ヶ月半も飼猫を放置することになったのは赦せません。よく生きていてくれたもの、と今でも信じられません。明らかな虐待ですもん。
犬や猫を飼っている人、とくに猫を飼っている人は、自分のことより猫の幸せを願うものですが。
私も、ノルンはうちのに飼われて幸せだったと思います、それは間違いなく。
あの世で仲良くなれますかねえ・・・。私の顔を見るなり「オマエじゃない!」と言われそう。
今、まさに1年前の今ごろ、ノルンが息を引き取りました。生前、いろいろと気に掛けてくださって本当に有り難うございました。
ノルンちゃんをお迎えした時(ひなたちゃんがいた頃から)拝見していました。
私の愛猫が旅立ってしまったのはもう14年近く前です。
死んだら会えると思っているので、私は死ぬのも怖くないです。
長くお読みくださっていて有り難うございます。本当に、心から感謝、であります。
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私も全く同じです。今は「死んだらノルン(と、ラブ=昔飼っていたシーズー犬)の側に行ける」と思っているので、死ぬのが怖くなくなりました。そういうのも、ペットを飼う効能ですね。
でも、愛猫さんが逝ってから14年も次の猫を飼っていらっしゃらないのは凄いですね。それだけ愛情が深い、ということですもんね。うちは・・・、落ち着いたら次の子を迎えようか、と話しています。
もちろん、愛情は深いのですが。