2020年12月09日

アメリカ並みの裁判

スーパーの総菜で転び、賠償命令 店側の安全不備認める、東京地裁
共同通信社  2020/12/08

なんでも訴えればいい、というモンじゃないだろうに、と思う。建築現場の下を歩いていて上から工具が落ちてきた、とか、何かの看板が風で飛ばされて落ちてきて怪我をした、というのとは違うからね。

その昔、(当時)外資系企業に勤めていた同級生から「アメリカでは『道で転んで怪我した人、サムまでお電話を』なんてCMがテレビでよく流れてるよ」と聞いた。もちろん、サムというのは弁護士。それくらいだから、電線にとまっていたカラスが糞をして洋服に落ちてきたのも電力会社に対して「そんなところに電線があったから」とイチャモンを付けて賠償金をふんだくるんだろう。日本とは桁が違うし。

あ、アメリカは電柱など無くて電線は地下か・・・。ま、どうでもいいや。ともかく、日本が、そんな「何でも損害賠償請求」なんて国になったら住みにくいことこの上ない。常に誰かの粗探しをして「賠償金で食っていこう」という人間が出てくる。この原告は実際に怪我しているけど、「精神的に傷ついた」なんてことだと、実際のところは本人にしか判らない。傷ついてなくても傷ついた演技はできるし。

だいたいが、カボチャの天婦羅が落ちていたのが総菜売り場の前でなくレジ付近・・・。てことは、店のスタッフでなく、客が落としたものだろう。「カゴの中から落ちちゃったけど、拾って買うのも嫌だから知らん顔しちゃえ」だと思う。店員が落としたならその場で気付いて廃棄しているだろうし。

140万の訴えに対して、本人の不注意分を差し引いて店側の責任が4割の57万。カボチャの天婦羅を落としたのが他の客だとして、その分の責任は計算されていない。誰がやったか分からないものについては考慮せず、店の安全管理責任を認めて57万・・・。その半分でいいだろうに。でもって、訴訟費用はどっち持ちなんだろう。満額認めてもらっても割に合わないから訴えた理由は他にもあるのかな。

責任の所在を明確にするのは良いことだけど、何でも欧米に倣う必要は無いと思う。昭和の頃の日本人なら「怪我して痛かったけど、足下に注意を払っていなかった自分の所為、これからは気を付けよう」と、ほとんどの人が思っていただろうな。生活は今より苦しかったけど心は豊かだったような・・・。

そう言えば、昔の一コマ漫画ではバナナの皮で滑って転ぶ場面がよくあったな。それにしても、この原告、どんな転び方をしたんだろ・・・。私も最近は平らなところで躓くから他人事ではないけどね。

posted by poohpapa at 07:01| Comment(4) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
poohpapaさんおはようございます。

カボチャの天婦羅ならバナナの皮みたいに滑りやすいかもしれませんね。

落としたのはほぼまちがいなく他の客なんでしょうが、それを放置していた、とい
う点に過失があったのかもしれませんね。

店側の責任が4割、ちょっと厳しい気がしますね。やっぱり本人の不注意が大きい
でしょうから、店側の責任が1割が妥当かとおもうけど。

poohpapaさんの事務所の前の歩道も冬は凍ったり、雪が積もって滑りやすいのでこま
めに清掃をしたほうがいいかもしれませんね。いつ訴えられるかわかりません。
Posted by たか at 2020年12月09日 07:54
たかさん、おはようございます

放置していた責任、と言ってもねえ、誰かが落として直ぐだったのか、30分くらい経っていたのか・・・。私もうちのと一緒にスーパーに行きますけど、スタッフはいつもてんてこ舞いしていますから、この判決は厳しいですね。私も、店側の過失を認めたとしても一割程度が妥当だと思います。

それより何より、たかだか140万で訴訟を起こすかねえ、と思ってしまいます。責任の割合は置いといて、35歳なら当然に仕事に支障も出たでしょうし、普通は損害賠償と慰謝料でもっと多額の請求になると思うのですがねえ。満額認められても何やかやで実質的な手取りは半分くらいでしょうから。

ところで、ここ数年は積もるほどの雪が降っていなくて助かっていますが、大雪の際は私が店の前と隣の店舗の前を雪かきしていますよ。自分の店の前だけやってたら感じ悪いですもんね。気付かないワケないのですが、お礼を言われたことはありませんね。もう、やってあげない (^◇^)

でもって、掃除は大家さんがやってくれています。だから、うちの店には箒と塵取りはありません ^^;
Posted by poohpapa at 2020年12月09日 09:27
米国では、個々の価値観に絶望的なほどの差がありますので、裁判で白黒をつけて懲罰的な賠償額を課していく方法でしか、社会を安定させることができないのです。
これは国の成り立ちを背景にして、最適な方法を模索してきた結果ですから、どの国が制度が優れているという問題ではありませんね。

日本での価値観の差は、米国と比べれば誤差の範囲程度のものですから、懲罰的に天文学的な賠償額を課す制度が好まれません。
その程度の差であれば、話し合いで埋まるものだということもあり、訴訟をする利点はかなり抑えられています。

裁判費用は数万円程度で負けた側の負担になることが多いですが、弁護士費用は勝ち負けにかかわらず自腹です。
たかだか57万円をとったところで、弁護士費用で消えてなくなります。

この事件では、原告が負ける可能性もあったわけで、その場合は数十万円の費用を支払って何の成果もないことになりますからね。
よほど腹に据えかねた何かがあったのでしょう。

ただ、地裁はおかしな判決が出ることが多いので、この手の訴訟であれば高裁まではやって欲しいなとは思います。

裁判官のことについては、岡口基一さんのインタビューが面白いです。
全てを鵜呑みにするのは、一方からの意見のため危険がありますから、ご参考程度に。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58177
Posted by AK at 2020年12月12日 07:11
AK さん、再び、こんにちは

仰るように、57万を勝ち取っても、手取りは微々たるものでしょうから、他にも訴えたい理由が何かあったのでは、と思います。カネだけの問題ではなく時間の浪費でもありますし。私も、店側はぜひ控訴してほしいと思います。

一年ほど前、東急リバブルで(10年ほど前に)部屋を借りた客が、「本来の仲介料は賃料の50%のハズ、払い過ぎた分を返せ」と裁判を起こしたのと似ていますね。その裁判なんか完全に足が出るし、裁判やるくらいなら、お店に行って「返してくれ」と言えば済んだかも。ま、店が拒否したのかも知れませんが。

日本の貸室賃貸借契約書の最後の条項には「本契約に定めのない事項については法令・慣習に従い、信義誠実の原則に則り甲・乙協議して円満に解決するものとする」とあって、それが常識的な考えだと思いますが、アメリカの契約書は違うんでしょうね。

で、アメリカの裁判、私には、と言いますか、日本人の常識では、アメリカの裁判での賠償金、日本とは3〜4桁違いますから、異常に映ります。その昔、マックでドライブスルーのコーヒーを注文した老婦人が、運転しながら飲んで零して火傷を負ってしまい、「こんな熱いコーヒーを売っているから」とマックを訴えて勝訴して、もの凄い賠償金を手にしましたが、私でも真似したくなります。

後に、その賠償金が削られましたが、それでも2年は遊んで暮らせるほどの額で。日本人からすればおかしな判決ですが、マックが控訴せず判決を受け入れたのは、控訴審で争っている間に第2第3の老婦人が現れるからだとか。しかも、その裁判以降、ホットコーヒーの温度を下げています。熱いコーヒーを飲みたい人からすれば大迷惑な話ですね。

そういう価値観でアメリカ社会が成り立っているとしたなら他国がとやかく言う問題ではありませんが。アメリカは懐の深い面もありますが、好きになれません。

ご紹介のサイト、すみません、帰宅してから拝見します。楽しみです、有り難うございます。
Posted by poohpapa at 2020年12月12日 15:38
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