昨日、私の中学時代の恩師(1年と2年の担任)から田舎の干物の詰め合わせをお送り頂いた。
69歳になったばかりの私が12歳と13歳のころの担任だったので、先生は80歳を超えていらっしゃる。大学を出られて教師になってすぐに担任したのが我々で、定年までと嘱託の期間で送り出した卒業生は1万人を超えているが、今もお付き合いさせて頂いている教え子は少ないと思うし、そんなふうにお気遣い頂いているのは私だけだろな。手を焼かせていたから印象深いのかも(懺悔
先生から毎年元旦に日本酒の一番搾りをお送り頂いていて、今年はコロナが影響して大晦日の樽詰めと瓶詰めができなくなり送れなくなったので干物をお送りくださったようだ。私には他にも、立場が違う(先様のほうが上でいらっしゃる)のに盆暮に付け届けしてくださる方が何人もいて恐縮。
干物は以前にも「田舎の味が恋しくなるだろうで送っただがや」とお送り頂いたことがある。
先生にお礼の電話をすると、「コロナでこっちに帰れんだらあ、なかなか会えんけど気い付けて、もし帰ることがあったらうちに顔出してくれや」とのこと。帰省した際には実家に顔を出さなくても先生のお宅には必ず訪問している。その時も手土産のお煎餅を用意しておいてくださったりして。
で、頂いた干物セット、5種類の魚で実に豪華。田舎の一般客や観光客向けの魚市場のもので、
とろ鯖(自家製) 2枚
鯵の開き干し(自家製) 2枚
南知多産 天然鯛干物 1枚
南知多産 河豚みりん干物 1パック(3枚)
南知多産 真あなご醤油みりん干物 1パック
昨日の朝一番で届いて、早速お昼に「とろ鯖」を頂いたのだが、大きくてグリルに2枚同時に入らない。しかたないので1枚ずつ焼くことに。グリルの下は、干物なのに生のサンマを焼いた時のように驚くほど大量の脂。なのに焼きあがった鯖も脂が乗っていた。さすが「とろ鯖」である。
最初、その鯖の干物を見た時に、「これ、何の魚だろうね」と話していたくらいで、鯖の開きは初めて見たし食べた。当たり前だが凄く美味しい。改めて先生にお電話をして感想を伝えると、「そりゃ良かったわ、送った甲斐があるがや」と、とても喜んでくださった。
せっかくだから、鯛は元旦に頂こう。酒のつまみになりそうな干物もあるし。
先生は癌を患っていらっしゃるし、私は片方の腎臓が機能していない。どちらもコロナに感染したらひとたまりもないだろう。コロナが落ち着いたらぜひ帰省したいと願っている。
合宿所があるのです。正確には南知多のちょっと手前ですが。
今日が仕事納めなのですが、さくっと終わるはずの案件に急に狂人が入ってきてやれやれです。
掃除をする予定が全く出来ませんでした。
来年も変わらずおじゃまさせていただきます。
年末年始は寒くなるようですのでご自愛くださいませ。
よいお年を。
戸塚ヨットスクールですか、懐かしいですね。マスコミは「スパルタを通り越して暴力」と印象付けしていましたが、とんでもない話だと私は思います。責められるべきは戸塚氏ではなく、子供をマトモに育てられずに、本来は親がすべき躾を戸塚氏に丸投げしていた親ではなかったのか、と思います。
少なくとも、マトモな学校教育が行われていて、親が愛情を持って躾していたのなら、戸塚ヨットスクールなど必要なかったのでは、と思えてなりません。戸塚校長一人を悪者に仕立て上げて済む話ではなかったと思います。マスコミは、その頃も今も、何も変わっていませんね。
ロム専、大歓迎です。お読み頂けるだけで大感謝です。有り難うございます。
ところで、何たる奇遇でしょう。今日の午後、そろそろ掃除して閉めようか、と思っていたところに、狂人とまでは言えないのかも知れませんが、見た目はモロ「ホームレス」の男性が来店して、私も予定が狂ってしまいました。明日の記事で書こうかと思っています。
来年もよろしくお願いします。そして、どうぞ良いお年をお迎えくださいね。と言っても、こればかりは自分だけ注意していてもどうにもなりませんが、とにかく、くれぐれもお体大切に。
と言うことは、これが一般的なものの考え方、見方だという、自信がより強固なものになりました。ヨットスクールの真実をなかなか分かってもらえない。私でさえもどかしさを感じているわけですから、校長の胸中やいかほどのものか、察するに余りあります。校長の口癖は「現場で答えを出す」。私はそれを市民活動で応援し、教育とは何か、親の役割は、無責任なマスコミの責任を死ぬまで問うていきたいと思います。
『戸塚ヨットスクールですか、懐かしいですね。マスコミは「スパルタを通り越して暴力」と印象付けしていましたが、とんでもない話だと私は思います。責められるべきは戸塚氏ではなく、子供をマトモに育てられずに、本来は親がすべき躾を戸塚氏に丸投げしていた親ではなかったのか、と思います。
少なくとも、マトモな学校教育が行われていて、親が愛情を持って躾していたのなら、戸塚ヨットスクールなど必要なかったのでは、と思えてなりません。戸塚校長一人を悪者に仕立て上げて済む話ではなかったと思います。マスコミは、その頃も今も、何も変わっていませんね。』
今から40年も前の話ですね。私はその頃はもう東京に出てきていましたが、うちの田舎の出来事なので気にして見ていました。マスコミは「鬼の首を獲った」かのごとく戸塚校長一人を「独善的な暴力指導者」と決めつけていました。もし、当時、ネットが発達していたならどんな誹謗中傷の嵐になっていたことやら想像に難くありません。
戸塚氏は、大変失礼ながら、あの風貌で損していた部分もありますね。また、マスコミはそういう(怖く写っている)写真を選んで使いますから。
体罰と暴力は紙一重だと思いますが、何で(どこで)分かれるかと言えば、何をどれだけやったか、そしてその結果、ではなく、根底に愛情があるかどうか、だと思います。
酔っぱらったりして腹立ち紛れに殴っただけなら暴力ですが、「お前のためなんだよ、言って解からなければ体の痛みで覚えろ」というのは体罰です。実は、その言葉は高校時代の体育の教諭の言葉ですけど。当時は「言い訳じゃねえか」と思っていましたが、今なら解かります。
今の時代、先生が子供の行く末のためを思って手をあげても、親やマスコミが大きな声で「暴力だあ」と騒ぎます。それでは教師が委縮して「良い教育」ができるハズもありません。子供たちが教師を舐めてしまうでしょうし、悪循環になりますね。
私なんか、自分の子供には「子供に人権なんか無い。文句があるなら自分で稼いでから言え!」と言い切っていました。それで子供がグレたか、と言えばそんなことはありません。ま、親をカネヅルとしか考えていない末娘は勘当しましたが、それすらも、怒りに任せて、ではありません。
ただし、「俺がホームレスになって行倒れになっていても、『お父さんの面倒をみなければ』などと考えなくてもいい。俺も好きなように生きてきたからお前たちも好きなように生きろ。親と子は別の人格なんだから。財産とかは一切残さないけど、俺が生きているうちに力になれることがあったらできる限り協力するから」と伝えてあります。
それは、私の事情であって、他所の家庭のことは干渉しません。子供が親の老後の世話をする、それは良いことであって国や地方自治体の財政的には福祉予算が削られて助かる話ですし。
個人的には、
戸塚ヨットスクールを「自分がマトモに育てられなかった子供の最後の拠り所」として親が丸投げしている現実があるのに、事件や事故が起きたらマスコミと一緒になって戸塚氏を批判する・・・、馬鹿野郎!です。親は「どんな指導をするか」知っていたハズで、預ける時は「宜しくお願いします」と子供を託して、内心では「これで楽になれる」と安堵していたことでしょう。責任を問われるべきは親のほうです。
まあ、子供はこう育てれば必ずこうなる、なんてセオリーはありませんが。
マトモな親なら、「不幸な事故が起きてしまって私の息子は帰らなくなりましたが、それは親である私たちが至らなったから。こんな形でご迷惑をお掛けして申し訳ありません」と逆にお詫びするでしょう。もっとも、マトモな親の子供なら、戸塚ヨットスクールに入れる必要は無かったでしょうけど。この事件は、思い出す度にもやもやしています。
すみません、長くなりました。
校長の言葉を借りれば、
「体罰」と「暴力」・・「体罰」は子供のため。例えば、子供の将来を心配して。「暴力」は自分のため。例えば自分のむしゃくしゃの鬱憤晴らし等。
「子供に人権なんか無い。」・・・子供は自分で責任を取れる範囲で人権がある。それだけである。
「子供はこう育てれば必ずこうなる、なんてセオリーはありません」
どうすればよくなるか。これはセオリーはありません。どうすれば悪くなるか。これはセオリー通りだと思います。
貴兄は、戸塚氏の著物を読み漁ったのですか。普通の人が語れば、帰結するところは同じ。真理は誰が言っても同じと言うことだと思います。
<<「あの風貌で」・・・ここには触れてはいけません。武士のたしなみとして。
たいへん失礼をいたしました。でも、ヨットから降りて温和な表情の時もあると思うのですが、マスコミはそういう写真は持っていても使いませんね。そうすると、テレビや新聞で同じ表情の写真を見せられているとイメージが固定してしまいます。笑っている写真でも「この男は笑顔の裏でとんでもないことをしている、こういう顔の人間は信用できない」と思い込んでしまいます。
それが狙いなんでしょう。戸塚氏はそんなふうにイメージを植え付けるのに向いている顔立ちかと・・・。似たようなことは以前、千代田区長選挙でもありました。毎日新聞が自民党公認のY候補の写真、「こんな情けない顔をしたひ弱な候補じゃダメだ」と印象付ける写真を使っていて、発行部数の少ない毎日新聞のことですから影響は少なかったでしょうけど大差で負けました。
<<「体罰」と「暴力」・・「体罰」は子供のため。例えば、子供の将来を心配して。「暴力」は自分のため。例えば自分のむしゃくしゃの鬱憤晴らし等。
これほどまでに「体罰」と「暴力」の違いを的確に表現した言葉、今までにありませんでしたね。不幸な事故はありましたが、戸塚氏がその違いをしっかり認識していたのなら犯罪として裁くのは間違っているように思います。世間や裁判所が結果という事実しか見ないのは仕方ないとしても。
子供は「こう育てれば必ずいい子になる」というセオリーはありませんが、逆に、「こう育てれば必ずグレる」というセオリーはありますね。なので、「私はこうして4人の子供を全て東大に入れました」と母親が書いた啓蒙書なんて読む気はしません。「こう育てれば末はヤクザ」なら読みますが。
戸塚校長が本を出していたのは存じ上げませんでしたので、読んではいませんでした。
世の中、程度の問題や優先順位や公平性を考えずに声高に「人権」を叫ぶ人たちが多くて嫌になります。正直、私は人権アレルギー、ジェンダーフリー・アレルギー、であります。政治や福祉や様々な制度に完全を求めるのは無理、どうしたって「あちらが立てばこちらが立たず」になるもの。今のままでも日本は基本的な人権は守られているのに、さらなる人権を訴えるのは単に「我田引水」が目的で、いちいち聞いていたなら別の新たな不公平を生み出す元になる、と思っています。
たとえコロナワクチンが行き渡っても、来年が今年より良くなるなんて、とても思えませんね。
マスキ先生も、お体に気を付けて、どうぞ良い年をお迎えくださいね。
明けましておめでとうございます。
新年早々、メールをいただきまして恐縮です。
さて、「人権」。
戸塚はこのように説明しています。
「子供に基本的人権はあるが人権はない。」と。
基本的人権とは何か。生存権です。生まれた以上生きていく権利です。
人権、これは嗜好、わがままです。
子供が生まれた以上、何があっても命は守ってやらないといけない。
衣食住は親の責任で確保しないといけないのだ。だから着るものは買ってやらないといけない。しかし、青が良いとか緑色の服か欲しいなどとは聞く必要がない。嗜好を主張したいなら、自分で働いて買えばいいのだ。
最近我が家の犬(ダックス、3歳)までが人権、いや、犬権を主張し、食べ物の好き嫌いを言い出している。ドックフードを嫌がり、人様と同じものを要求する。困ったものだ!
<<戸塚はこのように説明しています。
「子供に基本的人権はあるが人権はない。」と。
全く同じ考え方です。私に不満を訴える子供に対して乱暴に「子供に人権なんか無い!」と叱りつけましたが、そして、後出しジャンケンみたいになりますが、言わんとすることは戸塚氏と同じです。
私は、世の中を見回して、「日本のように最低限の基本的人権が守られていれば、それ以上の人権は必要ない、後は自分で何とかしろ」という考え方です。それぞれがいろんな立場で「人権があ」と国や自治体に補助や支援を要求して、もしもそれらすべてが叶えられたなら、世の中メチャクチャに不公平になるものだし国家は財政破綻してしまいます。誰もが反論しにくい「人権」という錦の御旗を振って大声を上げる人たちは「ここまでやれば満足して下がる」などということはありません。
そのあたりは、どれだけ支援しても「もう十分です」と言わず感謝もしない韓国と同じですね。
<<人権、これは嗜好、わがままです。
全く、その通りだと思います。
子供には、ちゃんと衣食住を用意していれば良く、子供から「塾に行きたい」と望んだなら行かせてあげて、義務教育をしっかり受けさせてやれば十分。そこから先はその家の経済力に合わせて高校、大学、と進ませれば良い、と思うのです。貧困家庭に生まれても、能力があれば返還の必要が無い給付奨学金を受けられますから道が閉ざされているワケではありません。
能力のない奴が、「学問の自由があ」「人権があ」と騒いでいるだけ、と思えます。「奨学金返還で大学を卒業しても生活が苦しくなった、このままでは生きていけない」と訴えている人たち、「そんなの自分の責任でしょ!?、甘ったれるんじゃないよ!」と私は思ってしまいます。
私は6人兄弟の末っ子で、他の姉兄は中卒、2番目の姉は義務教育も受けられませんでした。今思えば、うちがなんで生活保護を受けていなかったのか不思議です。どう申請したら受けられるか知らなかったから申請しなかっただけでは、と思いますね。それで国や自治体に不満を持ったか、と言えば、家族の誰もそんなことは考えていませんでした。話題にもなりませんでしたから。
洋服の例えは面白いですね。その通りですから。
<<最近我が家の犬(ダックス、3歳)までが人権、いや、犬権を主張し、食べ物の好き嫌いを言い出している。ドックフードを嫌がり、人様と同じものを要求する。困ったものだ!
人間にとっては美味しいネギや玉葱なんかは犬や猫には毒になりますから、そういう成分が入っていないか気を付けてくださいね。うちで飼っていたノルン(猫)も、高級な餌を与えていても3日目くらいには「他に何か無い?」てな顔をしてましたからペットも飽きるみたいですね。
それにしても、戸塚氏の著書は読んでいませんでしたが、考え方がそっくりなのはとても光栄です。