2021年01月05日

拡散希望、とのことでご協力、もちろん私も概ね同感

川内時男先生の活動報告(基)
(元徳島県公立中学校校長)

75、教育は学者の専有物ではない(拡散希望)
これまでジェンダーフリーのカルトぶりを述べてきましたが、
一体全体、なぜこんなグロテスクな考えに社会がなびいたのでしょう。
それは多くの国民が男女平等と男女共同参画とジェンダーフリーの
三者を明確に区別していなかったからではないかと思います。
当初「ジェンダーフリー」という耳慣れない言葉に出会ったとき、
多くの人達はこれを「男女平等の延長」くらいに思っていたのでしょう。
そして「何であれ平等ならいいことだ」と安易に受け入れたのではないでしょうか。
男女平等は誰が何と言おうと絶対に正しいものです。男女共同参画の考えは少々行き過ぎもありますが
概ね正しいと言えましょう。
しかしジェンダーフリーは科学を無視したカルトであり、絶対に教育現場に持ち込んではいけないのです。
カルトめいた考えを信じると、正常な感覚が麻痺し、異常な教育が平然と行われるようになります。
かつて問題にされた過激な性教育もその一つです。小学生も高学年ともなればそれなりに性教育も必要でしょう。
しかしセックス人形を使って、男女が交わっている部分を露骨に見せる必要がどこにあるのでしょう。
ジェンダーフリーの考えがどういう屁理屈で過激な性教育に結びつくのか知りませんが、
こうした常識外れの教育を見過ごすわけにはいきません。
ここで大事な話をします。それは教育関係者の学校教育に対する姿勢についてです。
得てして教育界の人、特に教育学者達は学校教育を自分たちの独占的領域と考え、
自分たちが思うように進めてよいと考えているようです。しかしこれは大きな間違いであり、思い上がりです。
学校教育は大多数の親の願いに沿っていなければいけないのです。
それを理解するには学校のそもそもの発生起源を知らなくてはなりません。
人類が動物を獲って生活していた原始の時代は、
親が子供に狩りの道具の作り方や獲物の捕り方、村の決まりなどを教えていましたが、
社会の進化・発展とともに教える内容が膨大になりますと親の手に余るようになり、
江戸時代には豊富な知識を持った寺子屋のお師匠様が親に成り代わって子供に教えるようになりました。
その後明治期になって教育制度が整えられ、現代のような学校教育になりました。
しかし教育制度がどう変わろうとも「親に成り代わって学校が子供を教育する」という原点は変わりません。
つまり学校教育は多くの親の願いに沿っていなければいけないのです。
こういう視点に立てば、過激な性教育もジェンダーフリー教育も、そして「ゆとり教育」もあり得ない話です。
教育関係者は今一度親や国民の願いを真摯に受け止め、それを踏まえた教育をしなければなりません。
教育は学者の専有物ではなく、また机上の空論を弄ぶ玩具でもないのです。
とは言っても国の未来を見据えた国家戦略も必要ですから無制限に親の希望に添うことは出来ませんが・・・。
 最後に男女共同参画についてひとつ・・・
よく耳にすることですが、ある特定の職業について「女性の割合が少ない、欧米では○%が女性なのに我が国では」と
批判していることです。なんと馬鹿なことを!それぞれの国にはお国柄(国民性)があります。
自己主張の強い欧米の女性と違い、日本女性は目立ちたがらず、万事控えめに生きることを好みます。
そう言う国民性を無視して、なぜ欧米基準に合わせる必要があるのでしょう。欧米は欧米、日本は日本なのです。


(改行もせず、原文のまま)


男女平等は誰が何と言おうと絶対に正しいものです。男女共同参画の考えは少々行き過ぎもありますが
概ね正しいと言えましょう。


ここだけは私と違う考え方。私は「男女平等にするのが間違い」、と思っている。世の中、完全な男女平等が実現したならもの凄く不公平な社会になってしまう。平等と公平は似ていて非なるもの。

10人の子供がいて、パンを同じ量で分け与えるのが平等。満腹の子や腹ペコの子の度合いに応じて分け与えるのが公平。もっとも、どうして満腹の子と腹ペコの子がいるか考える必要があるけど。

ジェンダーフリーに関しては、私は「気違いの思想」と思っているので激しく同意。男は男らしく、女は女らしく、で当たり前。体のつくりが違っていれば社会の中での役割も違っていて当然だし。

(割合としては女のほうが多いだろうけど)ジェンダーフリーを唱える男たち、自分のおチ〇チンと金〇マを切り落としてから主張しろよ、と言いたい。人間は雌雄両性にはならないしなれない。男女の違いを認めたうえで、平等ではなく、公平性を求めるのなら正しいのだが。私なんか、夫が育児休暇を取る、なんてのも「子供の将来にとって良くない」と思っている。男は母親にならなくていい。

「企業における女性管理職の割合が」とか「閣僚に占める女性の割合が」なんてナンセンス。有能で適任と思われる女性がいたら起用すればいいだけのこと。割合を目標にする・・・、アホだと思う。


posted by poohpapa at 06:44| Comment(6) | 日記・コラム・つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大体、「ジェンダー=社会的及び文化的性差」というものを「差別」とイコールに考えるのが、頭のおかしない思考方法ですね。
世の中の事象に「100%そうじゃないだろっ!」って声を荒げるタイプの脳足りんに見られる、直情的短絡思考と同種と考えるのがよろしいかと思います。

長期間に渡って「社会的及び文化的に培われたもの」の価値を温ねずに、そこの違いを巨視化しても何の意味もありません。
新しい地検が得られて誤りを識ることになって、そこで初めて改めればいいだけのこと。

今のキモいプロ市民的ジェンダーフリー論者は、そこんところを知ってか知らずか、声高に自己主張だけするので、冷静な人からするとカルトにしか見えないんですよね。
バカなんでしょうかね(・・?

数学みたいに演繹的に証明できること(遺伝的性別)は信じられるけど、自然科学のように実験と観察を繰り返して帰納的に得られたもの(社会的及び文化的性別)は信じられないのかなぁ…
体感的には、後者の経験則の方がしっくりくる人がほとんどだと思いますが、カルトや怪しげな思想に嵌る人は身近に見えるものを否定するって実に不思議ですね。
Posted by ハリケーン at 2021年01月05日 08:06
ハリケーンさん、おはようございます

私はねえ、両親が、男に、あるいは女に産んだなら、それを受け入れて生きるのが当たり前だと思うのです。(男が)「私は女に産まれたかった」、(女が)「男に産まれたかった」、だから今の性別は私が望んでいるものとは違う、というのは「ただの我が儘」だと思うのですよ。

平等と公平が違うように差別と区別は違うもの、そういうのも解かっていないんじゃないかと思います。現状を受け入れるところからスタートしたほうがいいのですが、不満からスタートして、挙句は、周りが悪い、国が悪い、になっていますもんね。

私みたいな考え方は「古い」の一言で片付けられそうですが、進歩的なら良い、というものではありませで、普遍的な価値観、というものは必要ですもんね。

ゲイもレズも、人から見えないところで好きにやってくれるなら文句は言いません。特殊な価値観を押し付けられるのは迷惑ですし不快です。

先生が仰るように、ジェンダーフリーは立派な(?)カルトですね。


Posted by poohpapa at 2021年01月05日 08:48
よく簡単なアンケートに答えてたりするんですが、「性別」の質問が3択で「男性」「女性」「どちらでもない」とかある時があって度肝を抜かれました。
どっちでもないってのは何(・・?
「その他」ってのもあったなぁ…

クラインフェルター症候群とかターナー症候群ってことなの(・・?
それだといかにも差別的でムズムズする・・・(´・ω・`)
まぁ頭のおかしなクレーマーが遍在するってことですね。
Posted by ハリケーン at 2021年01月05日 09:07
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

時代に即した性教育って必要だとは思いますが・・・そもそも生殖活動って本能で行われるものですし生殖活動の何たるかを説明する必要は全くないと思います。必要な教育は正しい避妊や性病について、そしてそれを教育する年齢の問題でしょうね。

本能で行われるべき生殖行動をどう理性でコントロールするか、それが人間が他の生物と唯一違う点なのですからそこを重点的に教えるべきだと私個人的には思います。

Posted by はなくろ at 2021年01月05日 09:49
ハリケーンさん、こんにちは

へ??、「性別」の質問が3択で「男性」「女性」「どちらでもない」ですと?

「男性」「女性」「答えたくない」の3択なら解かるのですが、「どちらでもない」というのはねえ。「その他」というのも、LGBTの「バイセクシュアル」と「トランスジェンダー」を意識してそういう回答欄にしているものか・・・。「男性」「女性」だけでいいのにね。アンケート結果の信憑性にも関わってきそう。

クラインフェルター症候群とかターナー症候群ってのは初耳ですので後で調べてみます。

それにしてもハリケーンさん、そんなことまでよく知ってますねえ (^◇^)
Posted by poohpapa at 2021年01月05日 11:47
はなくろさん、明けましておめでとうございます。こちらこそ、今年も宜しくお願いします。

この件に関するはなくろさんのご意見、全く同感です。

元々、セッ〇ス(男女の営み)は、文献を漁ったり、学校で教えるものではありませんよね。どうしても学校教育の中で教えるとしても、いつ、どのような内容で、ということに配慮が必要ですね。

昔は赤線なんかがあって、そういうところで仮免許をもらっていたのですが、最近の若者はAVで覚えたりしますね。風情も何もあったものではありませんね。

あ、中学時代に、友達の家でビ〇本なんかを回し読みしてたなあ・・・。

学校で教えるなら、はなくろさんが仰るように、どのようにして病気を防ぐか、望まない妊娠を避けるためにどんなことに注意すればいいか、でしょうね。やり方までは大きなお世話ですね。
Posted by poohpapa at 2021年01月05日 12:00
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]