いつもの「NPO法人 百人の会」のメルマガから
川内時男先生の活動報告(基)
(元徳島県公立中学校校長)
1/24 78、当たり前の教育を当たり前に(拡散希望)
私の投稿を読まれている方の中には「この爺さん、一体いつの時代に生きているつもりだ?」「時代に取り残された化石のような人物」と笑っている人もおられることでしょう。そう、多分私が訴えていることなどは教育界では一笑に付されるに違いありません。それは私自身十分承知しております。
しかし、教育界から一歩外に出て、世間一般の人に聞いてもらって下さい。そうすれば教育関係者の言うことより、私の言っていることの方が遙かにまともだと分かるはずです。と言うことは教育関係者の考えていることがいかに世間からずれているかと言うことです。
フェイスブックに投稿していますといろんな方からご意見をいただきます。その中に「教育を難しく考えすぎる、もっとシンプルであるべき」との意見がありました。私はこれに全く同感です。本来、教育とは誰にとっても分かりやすいものであるはずです。当然です。多くの国民は子供時代に先生や親から教育を受け、そして大人になってからは子供を育てるなどして教育に関わってきました。そう言う体験をする中で教育に対する考えを持っています。
つまり実体験の中で培われてきた教育論を持っているのです。実体験に基づく教育論ほど確かなものはありません。教育学の書物を読んだり、欧米の教育を勉強して身につけた「机上の空論」よりずっと正しいのです。
多くの人達が経験値の中で身につけた教育論は極めてシンプルです。何も難しくありません。よいことをすれば褒められる、悪いことをすれば叱られる、甘やかしてはいけない、しっかり勉強させるなど、ほとんどはこういうシンプルで分かりやすく「当たり前」なものばかりです。
事実、子供には当たり前の教育を当たり前にやっていれば当たり前に育つのです。
ジェンダーフリー教育のようなおよそ「当たり前」からかけ離れた教育は無用なのです。第一そんな教育を望む親がどこにおりましょう。
ところが学者や評論家が「悪いことをする子は何かストレスを抱えているに違いない」とか、「教え込んでは創造力が育たない」「子供の心を傷つけるな」「褒めて育てよ」「子供の自主性・主体性を」、果ては「怒るのではなく、叱ること」などと言うものですから混乱するのです。このような視点も大事ではありますが、それに傾きすぎると「当たり前」の教育が当たり前に出来なくなるのです。
学校が最も大事にすべきことは、
@子供が安心して勉強できること、
A先生がしっかり教えること、
Bえこひいきしないこと(実がこれが最も子供の信頼を失います)の三点です。
これさえ肝に銘じておけば、他のことは少々不足していても何とかなるのです。 要するに教育関係者は頭でっかちになっているのです。
「○○教育」などの聞き慣れない言葉を持ち込み、教育を複雑にしているのです。ひょっとすると学者先生達は自分たちの教育論を権威づけるために、わざと難しくしているのかも知れません。
要するに科学的裏付けのない役に立たない教育論や知識を頭いっぱいにため込み、それにとらわれ、振り回され、その一方で大事な基本的なことを忘れているのです。欧米教育を真似て今風な教育をするより、今一度頭をリセットして教育を原点から見つめ直してはいかがですか。
進歩派、と言われる人たちからは「時代錯誤」だの「時代遅れ」だの「もう通用しない考え」と言われるだろうけど、似非進歩派の教育評論家が言う「時代錯誤」等々の言葉は、さも「自分たちこそが古い教育を改めて時代に合った正しい教育をしている先駆者」と思わせるテクニックにすぎない。
そう言えば、私の小学校時代は「えこひいき」する教師が多かったなあ・・・、今はどうなんだろ。
でね、常日頃から言ってるけど、ジェンダーフリー信奉者は気違い。ダブルスタンダードで、言ってることは「ご都合主義」で矛盾ばかり。先日、地元の小田原潔衆議院議員(自民)の事務所に行って、「先生は選択的夫婦別姓とかLGBTに理解を示していますか?」と秘書の方に訊いたら、「真っ向から反対です」だと。良かった・・・、「はい」と言われたらもう支持しないつもりでいたから (^◇^)
ところで、私は、中学時代の恩師と、卒業して53年も経った今も交流させて頂いている。それは、先生が「どんな生徒にも平等に接してくれたから」に他ならない。優等生も劣等生も横道に逸れてしまった奴も、先生にとっては同じ教え子だから、との信念からだろう。
この歳まで生きてきて私が一番自慢できること、それは、その中学時代の恩師(1年と2年の担任)と二人で、卒業して35年も経ってからトルコを旅したこと。そんな先生も教え子も、日本中を探しても私たちだけかも知れない。もちろん、そういう機会を与えてくださった先生には心から感謝していて、自分が死ぬ時にはきっと思い出すことだろうな。毎年、お互いに美味しいものを送り合っているし。
これは難しいですが、たぶん一番重要ですね。
これが徹底していれば、おそらく教師じゃなくても大成する人物でしょう。
自分を第三者的視点で見ることの大切さは、個人的にも実感しているのですが、実行するのは非常に難しいです。
そこを他人から、たとえ教え子だろうと、示唆された時にどういう態度を取るかでその人物が教師に向いているかどうかわかります。
>実体験に基づく教育論ほど確かなものはありません。
これ理解できる人少ないです。
数学模様に論理的かつ演繹的に証明できるものと違って、実体験から帰納的にでてきた結論を受け入れるためには、ある程度の経験(あるいは教育)が必要なのでしょう。
【ある出来事(実体験)】→(ブラックボックス)→【その結果(実体験)】
が常に成り立っていれば、(ブラックボックス)部分は解明されなくても問題ないんですけどね。
「〇〇論」なんていっても、人文系のものなんか言ったもん勝ちみたいなもんなので、実践できないマントラを唱えてもしょうがないんですけどね…(´・ω・`)
以前よく言われてましたが、大学を卒業してすぐに学校の先生をやるのではなく
一度、一般の会社などに勤めてから世間一般の常識を持って、教職につくべき
だということでしょう。
受験勉強ばかりで大学を卒業した若い者では、知識の詰め込みしかできないでしょう。
おはようございます、今日もまた文句言いたくなる話題ですね。
教育の主体は家庭です、子供は親の背を見て育つのです、これが大前提、学校は知識取得と社会生活を経験する所と親は心得ろ、それ以上それ以下でも無い。
しつけは親の仕事、学校に押し付けるな。
左翼は戦前の事を悪く主張しますが、教育勅語のどこが悪いか言って見ろと言いたいですね、どうしても受け入れられないなら、会津の什の掟でも良い。
家庭で躾ができないなら、学校でこれ位なら左巻きの阿保でもできるだろう、’ならぬものはならぬのです’だけで良い、できないか?
たかさんの言われる案、大賛成です。
僕なら1年間自衛隊で心身共に鍛え直せと言いますね、それと社会人の活用をもっと計るべきだと思います。
教員検定試験の内容は全く知りませんが、中学までの内容、レベルなら普通の大学卒なら少しの準備でできると思います。
社会人を経験した者なら社会常識はそこらの先生より比べるべきも無い。
僕は介護でできませんが、僕みたいにひねくれた退職者で暇を持て余している人間は多いと思います、生き甲斐を感じられれば、ただでも喜んで働きますよ。
特に警察経験者はモンスターペアレント、治安担当で置けば、先生の負担削減に最も効果的と思う。
何とかママと言って、良くTVで見かける教育評論家、気持ち悪いんだよ、顔の事を言える柄ではないが、黙れとまでは言わない文章で主張しろと言いたい。
最も世情を混乱させたいマスゴミに踊らされて出るのだろうが、困ったもんだ。
あんなのが教育専門家と言われたのでは、どれだけあの世界が混乱しているかの証左。
脱線ついでに、河野太郎が次期総理との噂が絶えないが、あいつの親は’紅野傭兵’ですよ、どんな感化を受けたか分かったもんじゃない。
女系天皇を主張したり、今回の米大統領選に不正はなかったとか。変な阿りが目につく、絶対総理にしてはいけない第一候補だ。
>えこひいきしないこと
これは難しいですが、たぶん一番重要ですね。
たしかに、川内先生も書いていらっしゃいますが、一番重要ですね。私も小学校の時の担任がクラスで一番金持ちの同級生をあからさまに「えこひいき」していて、クラスで一番貧乏な家庭の私は随分と辛く当たられました。当然に、そんな先生なんか信用しません。定年退職後に市の教育長になったみたいですが、私からすればとんでもない起用(登用)間違いです。
えこひいき・・・、それで児童が信用しなくなれば、先生の言うことも聞きません。思えば、小学校が一番「えこひいき」が起きやすいですね。中学、高校、と進むにしたがって、みんな少しは聞き分けが良くなるので「えこひいき」は消えていきます。ただし、高校では「成績のいい奴」が特別扱いされていましたが。
今、振り返れば、私の恩師は、家庭の裕福度や成績の良し悪しで扱いに差を付けたりしませんでしたから、「先生になるべくして先生になった(生まれてきた)」とさえ思えます。今も、当時の劣等生のことを気に掛けているんですよ。
<<>実体験に基づく教育論ほど確かなものはありません。
その後のハリケーンさんの説明は高尚すぎて理解できませんが、言わんとするところは何となく解かるような・・・、程度の理解で・・・、すみません。
いずれにしても、川内先生のご意見はスンナリ心の中に入ってきますね。ちっとも「古い考え」なんかではないです。
<<大学を卒業してすぐに学校の先生をやるのではなく
一度、一般の会社などに勤めてから世間一般の常識を持って、教職につくべき
それ、私は高校時代から主張していました。学校の勉強しか知らない奴が世間一般の常識が身についてないんじゃ、生徒に勉強しか教えられないだろ、って。教育実習なんかより社会経験を積ませろ、と。とくに、小学校の先生に必要でしょうね。
ま、今の大学生はいろんなバイトをするでしょうから、バイトの口が無かった昔とは比較にならないかもですが、それにしても、バイトと正社員じゃ違いますもんね。教員志望の大学生を数年修行させてくれる企業を税金面で優遇して、提携すればいいのにね。
教師が一般的な社会経験が必要かどうか・・・、ということで言えば、少しは保護者の気持ちや、(営業を経験することで)人の気持ちが解かるようになるかも知れません。私が対峙した先生たち、頭でっかちが多かったですね。
たしかに、学校は知識取得と社会生活を経験する所であって、躾は家庭でするもの、ですよね。
うちの子供が中学生のころ、学級崩壊、つまり、授業中に生徒が勝手に教室を出て行って、それを教師が注意できない、授業参観の日に私も目の当たりにしました。ま、教師の授業の進め方も下手で、「あれじゃ教室を出ていきたくなる気持ちも解かる」とは思いましたが、親が授業参観に来ていたかどうか不明ですが、たぶん無関心で来ていなかったと思いますが、その様子を見て、家に帰って我が子を叱ったか、と言えば、せいぜい夕食時に「お前、授業中に教室を出ていくなんてするなよな。ま、野菜も食べろ」くらいじゃないかな、と思いますね。
躾も満足にできないような親が増えていて、ちょっと生徒に手を上げただけで「暴力だ!」と学校に怒鳴り込んでくるもんだから、教師も委縮して生徒に何も言えない・・・、世も末です。
ところで、教師を目指している大学生に数年社会経験を積ませる、というのは同感でしたが、一年間自衛隊で実習させるのもいいですね。いや、そのほうがいいや。民間企業なら3年くらい体験させないと解からない(社会常識が身に着かない)でしょうけど、自衛隊なら1年でいいです。カリキュラムが濃密ですから。左翼団体は「軍国主義の復活だあ」と騒ぐでしょうけど。
今の世の中、教師に限らず、毅然とした態度に出られる大人が少なくなりました。何かにつけて、自信を持っていないことの裏返し、とも言えるでしょうね。子供は敏感にそういう大人の心の奥を読み取ります。だから、一度舐められたら覆すのは困難です。大人がしっかりしていて、正誤は別にして、常に堂々としていれば、子供は信頼するもの、と思うのですがねえ・・・。
私なんか、毅然としすぎていて、「これは間違ってるかな」「後で問題が起きるかな」と思っても、先ず言い切ってしまいますが。いけねえ、間違ってたかな、と思えば直ぐに謝ってしまいます。傷口が浅いうちに、ですね。後で言い訳るための逃げ道を作っておいて、どちらとも取れるような言い方をする奴、白か黒かハッキリしないで常にグレーな言い方をする奴は、時に間違ったことを言う奴より信用できません。
話が逸れましたが、教師を目指す大学生に社会経験をさせるのとは別に、社会人を経験した人間を教師として雇用する案は大賛成ですね。もっと間口を広げるべきでしょう。校長を民間から募集することもしているのですから、教師にもそういう制度が有っていいかと思います。てことは、校長なんてモンは誰にもできるんでしょうね。
それと・・・、尾〇ママ、私も大嫌いです。例えば、昔刑務所に入っていた人が教育評論家をやってもいいと思いますが、「おかま」はアカンだろ!?、と思います。なんでテレビに出させるのか不思議です。昔は教師だったと言っても、たいしたこと言ってないですしね。気持ち悪いだけです。
とにかく、今の教育者は私の頃の先生と違って圧倒的に質が悪くなっていると思いますね。