2021年02月28日

霧の森大福の購入権の抽選結果と、思い出したこと

今月も外れました。確率的に、あと12年応募し続ければそのうち当たることでしょうけど・・・、

生きてないもんなあ・・・。うちのが「うちの分なら冷凍庫にもう一箱あるからいいじゃん。どうせ当たって3箱買ってもバラ撒くだけなんでしょ!?、当たらなくて良かったよ」だと。仰るとおり ^-^;

バレンタインフェアで9箱購入した分も、うちの分を二箱とって、後はバラ撒きました。バラ撒くのはいいのですが、冷凍で届けなければならないので、それが大変です。差し上げたい人、食べて頂きたい人は大勢いますが、バラで2個3個を冷凍便で送るワケにもいかず、断念しました。

ま、3箱購入したら、前回「美味しかったです〜」と喜んでくださった人に「また手に入ったから」と届けて喜んで頂くことになったと思います。気を遣わせてしまっているんでしょうけど、逆に、「これ、食べてみて」と(私が知らない美味しいお菓子)を頂くこともあって、ハートや笑顔のキャッチボールを楽しんでいます。去年の今頃から1年でお菓子のバラ蒔きに使った金額は35万ほど。惜しいとは思いません。

私が何故そんなことをするのか、その原点は小学4年生の時の出来事にある、と思っています。

忘れもしません、給食の給仕を6年生の女子がしてくれていて、食パンの耳が大量に余って、「パンの耳、欲しい人〜」と言ったら、手を挙げたのはクラス50人の中で私だけ。それでパンの耳全部を私の皿の上に・・・。それで、自分でも何故だか解からなかったのですが、号泣してました。それを上級生の女子が「どうしていいか解からない」て感じで私が食べ終えるまで見つめていました。

なんで泣いたんだろ、しかも号泣しながら食べて・・・。久しぶりにお腹いっぱいになるのが嬉しかった、ということもあるのかなあ。そのお姉さんが、まあ、面倒くさかったんでしょうけど全部私にくれて、独り占めにできたのが嬉しかったのかも知れません。

でも、当時の給食ですから、とくに美味しいおかずとかはなくて、ただのパンの耳で、マーガリンもジャムも余計に付いてくるワケでもないんだけど、あの時のパンの耳の味と上級生のお姉さんの優しい顔と、自分が泣きながらパンの耳を食べていたことは忘れません。今でもよく思い出します。

で、以前も書きましたが、

子供のころ、バナナなんて年に1本も食べられませんでしたし、父親は日雇いの土方なんですから、どこかからお菓子を頂くなんてことは無く、それでもたま〜にお菓子をバラで頂くことは有って、そうすると、おふくろは「食べな」と言って末っ子の私に食べさせようとしてくれました。私が「おかあちゃんは?、食べないの?」と訊くと、「お腹いっぱいだからええ」と言って食べないんです。子供心に、「そんな筈はない、おかあちゃんだって食べたいだろう」と解かっていましたが、「いらない」と言ってくれるのを期待していたので、分けたりせず自分で食べてしまいました。

おふくろが亡くなっている今、どうしてあの時に「半分こしようよ」と言わなかったのか、もの凄く後悔しています。でも、私がガッついて食べているのを見ながら微笑んでいた顔は、おふくろの本心だと思いますね。そのトラウマで、一人分の美味しいもの、自分で食べられなくなっていて、大人になってから、会社でお菓子の配給があると自分で食べずに家に持ち帰って女房(元妻)に渡していました。

今もそうですね。美味しいお菓子を頂くと、私は味見だけして、うちのに「あなたが全部食べていいよ」と言ってしまいます。半分ずつさえもできないのです。うちのは「おとうちゃんも食べなよ」と言いますが。そうすると、私の分は誰かにお裾分けすることになります。

もちろん、今、私がお菓子をバラ撒いている人たち、毎日の食べ物に窮している、なんてことはありません。でも、たった一つのお菓子で、ホッとしてくれて心の緊張がほぐれたり一息つけてもらえたなら嬉しいです。その時(次に会った時)の笑顔こそが私にとって最高のお返しになります。

おふくろ、自分のことより、子供が喜ぶのを見て自分の幸せ、と思っていてくれたワケで、私もそういう生き方をしたいと思います。ただし、自分の子供に対してでなく、(仲良くしている)周りのみんなに対して。

posted by poohpapa at 07:00| Comment(0) | プライベート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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