えっと・・・、今回は私の Facebook から、
87、学校を応援しよう(拡散希望)
私の投稿を読んでいると、まるで学校の先生の多くは無能で、公務員という地位にあぐらをかき、安穏と暮らしてるように思われるかも知れません。とんでもないです。実は日本の学校の先生は実によく頑張っているのです。これは諸外国の教育を観てきた私ですから確信を持って言えるのです。
欧米はじめ諸外国の先生達は教師という職業をビジネス、つまり職業ではなく「食業」としてしか捉えていません。学校で子供に教えることだけが役割であり、それ以外のことにはほとんど我関せずです。つまり割り切っているのです。日本のように先生が家庭訪問をしたり、万引きをした子供を警察に引き取りに行ったり、進路相談をしたりなどは考えられないことでしょう。またそれらの国の国民は教師に対して多くのことを期待していないのです。
日本の教師が頑張っている事実を以下に述べます。以前にも述べたことであり、繰り返しになりますがご容赦下さい。教育にかける国の予算の対GDP比率は実は先進国の中で日本は最低です。にも関わらず日本の子供の学力は凋落傾向にあるとは言え、未だに世界のトップクラス、そして何より諸外国に比べ少年非行の件数が桁違いに少ないのです。その一例として写真のグラフをご覧下さい。
(教育改革国民会議の資料より)
これは単位人口当たりの少年による強盗事件の発生件数の国際比較です。欧米教育と言えば、教師や学者そして多くの日本人は憧れの的になっているようですが、それが単なる幻想であることはこのグラフを見れば一目瞭然です。そして日本の子供がいかに真面目で、また日本の教育がいかに優れているかが分かるでしょう。
では欧米先進国を差し置いて、なぜ我が国だけがこうう教育が出来るのでしょう。もちろん真面目な国民性が第一に挙げられるでしょうが、私はそれよりも大きな要因として学校の先生の教育にかける情熱と保護者の惜しみない協力を挙げたいと思います。
実は日本の教師の社会的地位は(私の知る限りでは)どの国に比べても高いのです。そして地域住民や保護者が先生を信頼し、尊敬し、学校を支えようとする熱意に溢れているのです。教師もこれに応え「食業」としてではなく、教師として使命感をもって子供を指導しています。これがあればこそ日本は素晴らしい教育が出来るのです。つまり学校の先生は保護者や地域住民から尊敬され信頼されるからこそいい教育が出来るのです。近年はマスコミによる学校バッシングもあり、先生に対する信頼が失われつつありますが、それでも諸外国に比べますとまだまだ先生の信頼は厚いと言えます。ということで先生と保護者の強い絆さえあれば日本の教育はまだまだ大丈夫なのです。
こう言えば、多くの方から「それなら貴方はなぜ日頃から学校批判ばかりするのか?」言われそうですが、それは私が学校に対して今以上に高いものを求めているからです。欧米教育の後追いばかりしている教育界に目を覚まして欲しいからです。世界一優秀な教師が集められた教育界に奮起してもらい、世界一の教育大国になって欲しいからです。ともあれ皆さん学校を応援し支えようではありませんか。
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私も同感、ということで拡散に協力していますが、冒頭の部分は一部不同意であります。と言いますのも、今の教師の質は、我々が生徒だったころに比べて格段に落ちてきている、と思います。頑張っているとしたら、ふだんは定時で帰宅していても時間外労働が多い、ということくらい。
先生が家庭訪問をしたり、万引きをした子供を警察に引き取りに行ったり、進路相談をしたり、などというのは、教師の仕事の一部。諸外国はやっていないから日本の教師は偉い、立派、などとは言えません。我々が「部屋を紹介して契約させたら我々の仕事は終わり」ではないのと同じです。教師としての自覚や信念が無く、キツイ仕事内容に不満があるならハナから教師になんかならなければいいだけのこと。
再度言いますが、私が小学校に入学した62年前から、右肩下がりで教師の質は落ちています。私の周りの友人知人で教師になった奴、「アンタが教師?、生徒が可哀そう」なんてのは何人もいますしね。正しい知識を教えるだけならAi とかの機械で十分。今ふうのリモートでOK。時に間違いがあったとしても「人が人に対面で教える」ことの重要性や、意義や意味が解かっていない教師の多いこと。諸悪の根源は「反日で赤く染まった日教組」でしょうね。
私も記事の中で、例えば「韓国人の全てがそうではありませんが」などと断りを入れることが多々ありますが、そう書かないと「全部がそうとは言えないでしょう」などと解かり切った突っ込みが入るからで、本音は違います。川内先生も、半分本音、半分配慮、じゃないでしょうか。
諸外国と比べて日本の青少年の犯罪率が低いのは、学校や教師の頑張りによるものでなく、川内先生も仰っていますが、日本人の国民性、だと思いますね。諸外国と比べて、落とした財布の中身が無くなることなく戻ってくる率が高いのと同じでしょう。
「大変な職業」じゃないなんて言ってるのではなくって、ちゃんとやれば恐ろしく大変なことは教師をやってなくても充分わかる訳で。
取り立てて自分の仕事を「大変だ」「忙しい」なんて愚痴るヤカラほど、とっても無能というのは、半世紀以上生きてて経験したことなので、ほぼ間違いなく相関があると思ってます。
日本社会が住みやすいのは、村社会的な同調圧力の強さですけど、これを「画一的人格形成の原因であり欧米的(〃艸〃)独創性の欠如」という弊害と決めつけた「ゆとり教育」とやらの失敗をいまさら嘆くのではなく、欧米絶対主義への警鐘としてちゃんと覚えててほしいものですよ。
明治維新の頃の日本じゃないんだから…C= (-。- ) フゥー
全く、仰るとおりですね。私ごときの頭では上手く表現できないことを的確に仰って頂けて感謝です。
<<取り立てて自分の仕事を「大変だ」「忙しい」なんて愚痴るヤカラほど、とっても無能
ほんと、我が意を得たり、です。私も、ずっと以前から、学校を出てすぐに自分より年長の保護者からも「先生」「先生」と呼ばれているのだから、初当選していきなり議員バッチを付けた奴みたいに勘違いするわなあ、そりゃあ、と思っていました。
その昔、末っ子が中学のバスケ部で、休日にコーチとして出てきてくれる先生に父兄が交代で弁当を作って届けていて、うちの番になって弁当を届けて「ご苦労さまです、どちらに置いたら宜しいでしょう?」と訊いたら、アゴで「そこに置け」と指示されたことがあって、よほどテーブルをひっくり返して帰ってこようかと思いましたがとどまりました。人生の中で、あれは怒っても良かったのでは、と一番思った出来事です。
私が思う「世の中で信用してはならない5つのもの」の中に、学校(教師)も入っております。
「勉強は塾でやるから、躾は学校で」てなもんじゃないですか?
本来、躾は家で親がするもの、ですよね。学校には何も期待していないし信用もしていないクセに、何か起きるとモンスターペアレント化して責任を追及する・・・、ほんと、自分勝手だと思います。
今の生徒の親世代はGHQがレールを敷いた戦後教育を受けた教師とほぼ同じ世代で、やる気のない教師と何でも責任転嫁する親が揃っていたんじゃ日本の教育が健全であるワケがありません。
昔(私の子供の頃)は、宿題なんかも先生がチェックしてて、忘れたガキどもには鉄拳…違った、ちょっとした物理的ペナルティが課せられてたもんですが、今は宿題は親が答え合わせして〇×つけて提出するというのが普通みたいです。
思えば、昔の教師は過重労働だったろうな、と感じます。
pooなんとかさんみたいな分からんちんなガキがいっぱいいましたから。(^ヮ^)
PL法じゃないですけど、なるだけ地雷を避ける方向へシフトしているようです。
大学、リモート授業も多くなっていて、我々不動産業者にも影響が出ていますね。
<<今は宿題は親が答え合わせして〇×つけて提出するというのが普通みたいです。
ナニそれ!?、ですね。やはり、最近の教師のレベルは落ちていると思いますね。我々の頃は、授業の中で宿題の答え合わせをしたりしていて、ま、それも手抜きと言えなくもないですが。
<<pooなんとかさんみたいな分からんちんなガキがいっぱいいましたから。(^ヮ^)
私は、教師の言ってることに納得いかない時や、それは違うでしょ!?、という時だけ徹底的に逆らっただけですよ。それで親が学校に呼ばれた、なんてことは無かったですね。教師の側も負い目があったんでしょう、きっと (^◇^)
それゆえに、統計データをかなり恣意的に(個人の経験に合致するように)使ってしまっている。
文部科学省のデータによると、公財政教育支出(GDP比)は、初等中等教育についてはOECD加盟国のほぼ平均に位置しています。
高等教育以上、就学前教育での支出低いために、総計すると低めに出るということになります。
(ここの数値が低く出るのは、私立学校が多いためです。)
ここで言われている「先生」は、おそらく初等中等教育の先生だと思われますから、初等中等教育の部分を抜き出して比較していかないと意味がなくなります。
総計で低いという部分についても、文部科学省からの反論がありまして、日本はOECD加盟国の中では、人口比での子供の割合が低いため、総計(総額)としては低く出てしまうということがあります。
子供1人あたりに換算してみると全く遜色ないレベルだと。
初等中等教育の先生の給与については、OECD加盟国の平均を上回っています。
また、法務省の犯罪白書によりますと、少年による刑法犯等は、近年にかけて激減している傾向があります。
もし、「先生の質」と「少年非行」との間に相関性があるのだとすれば、「先生の質」が上がっていることになりますね。
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/66/nfm/images/full/h2-2-1-01.jpg
実際のところは、国内の経済状況との相関性が見られることもあって、「先生の質」の影響は軽微だと思われます。
記事中に「事実」として上げられていることでは、「先生が頑張っていること」の証左とはなり得ないのです。
むしろ、データを恣意的に切り取って使っている印象が強く出てしまい、その逆なのではないかという疑いすら出てきてしまいます。
「先生と保護者の強い絆さえあれば、日本の教育はまだまだ大丈夫」というところがとても気にかかります。
「強い絆があれば」という、ある意味では「理想的な前提」があれば大丈夫、という論理になっているように思えてなりません。
プライバシーが重要視される時代の中で、家庭の問題に学校側が立ち入ることが好まれない時代の中で、その「強い絆」を作るための、精神論や根性論ではない「現実的な手法」が存在するのか。
また、「強い絆」が理想論でしかなかった時は、どのように「現実的な対処」をしていくのか。
その方法論が全く見えないのが気がかりです。