馬鹿野郎!である。誰が?、って、弁護士も判事も裁判長も。
3人も殺されているのに、犯人の更生の可能性を考慮する??、犯人が更生したからと言って殺された人は還ってこない。自分の勤務中に死なないよう点滴に消毒液を入れた・・・、十分に計画的じゃん!?
我々の税金で、これから数十年食べさせて生き永らえさせるの??、無駄でしょ!?
神戸5人殺傷、被告に無罪判決 地裁「心神喪失状態」と違って、検察の求刑は死刑だったが、終わってみれば無期懲役・・・。
人を殺そう、と考えた時点で精神異常だろうし、逆に、「刃物で刺せば人は死ぬ」と解かっていれば精神異常でなく正常、とも考えられる。いわゆる白痴、「ここは何処?、私は誰?」であって初めて責任能力を問えないんじゃないのか。そもそも「白痴」の人なら「人を殺そう」とは思わないに違いないけど。コンビニで現金で買い物して、正しいお釣りをもらって帰って来られるなら「心神喪失」ではないと思う。
少年犯罪なんかでも「更生の可能性」が論じられることは多いけど、一人の犯罪者の更生の為に膨大な手間と経費を注ぎ込む必要などあるんだろうか。被害者は夢も将来も理不尽に奪われているのに。裁判は、更生の可能性とは関係なく (切り離して)、犯した罪に対して審議されなければならないものだろう。
これも「人権ボケ」だと思う。法曹界には社会常識が欠如している馬鹿が頗る多い。
【追記】 AK さんから頂いたコメントで、この記事を書いた時と、私の考えが変わっています。非常に恥ずかしい話ですが、記事はそのまま残します。バツが悪くなったからと言って消すのは憚られますので。今は、「無期懲役、という判決で良かったかな」と思っています。で、AK さんのコメントの最後にあるリンク先、皆さんも、宜しかったら是非お読みください。知れば知るほど、この判決は奥が深いですね (滝汗
この判決は、終末期医療の過酷さからの情状酌量と言えるのかと思います。
通常の病棟であっても、患者さんの「死」は堪えると言いますし、それを理由に辞めていく看護師さんも少なくはなりません。
通常の医療よりも高頻度で起きてくる「死」と向き合い、時には心無い患者親族から「死」の責任を追求される。
せめて、自分の勤務時間内には、「死」が起きてほしくないという願ってしまう心理を、裁判官・裁判員ともに理解できたからこその、情状酌量かと思います。
また、表向きには決して語られることはありませんが、最も判決に影響を及ぼしたことは「被害者の人生の残り時間がわずかしかなかった」ということでしょう。
何人殺したから死刑という単純な量刑の決め方は、「ひと一人の命は全て等価である」という建前のもとでしか成り立たないものなのですよ。
寿命という「人生の残り時間」を軸にしてみると、子供と老人は等価とはなりえません。
それでも、「ひと一人の命は全て等価である」という建前は崩せない。
情状酌量は、そのあたりの「建前と現実の差異」をコントロールするための手段とも言えます。
「更生の可能性」は、差異を埋めたときの「方便」である場合が多く、その言葉にとらわれる必要はないかとは思いますよ。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/141756/1
いつもながらに丁寧に教えてくださって有り難うございます。
AK さんのコメントを拝読して、これは私の勇み足、心得違いであったと納得できます。口汚く書いてしまいまして恥じ入る次第です。ですが、教訓(戒め)として、記事と AK さんのコメントはそのまま残しておきたく存じます。
裁判官は、被告に「完全責任能力」があることを認めていて、そのうえでの無期懲役の判決なんですか・・・。私は、「自分の勤務時間内には、『死』が起きてほしくない」と願っていたのは、第一発見者になることで自分の犯行である、とバレる恐れが高いから、というふうに解釈していました。
<<表向きには決して語られることはありませんが、最も判決に影響を及ぼしたことは「被害者の人生の残り時間がわずかしかなかった」ということでしょう。
なるほど、たしかに若者を殺すのとは違っていて当たり前、とは思いますね。裁判官としてはあくまで「人の命は平等」という建前に立っていなければならないでしょうから、言えないでしょうけど。
「更生の可能性」に関しては、若者とか未成年者が加害者の時に(判決が軽かった時に)いつも言われることで、その度にもやもやしておりました。それは、これからもそうだと思います。
ご紹介の東京新聞の TOKYO Web の記事、ざっと拝見しました。あとでしっかり読み直してみます。
いつも本当に有り難うございます。
ご紹介の記事を一通り読ませて頂きました。これ、もの凄く切ないですね。私が裁判長であったとしても、無期懲役の判決を下したかも知れない、と、今は思っています。それと、私のように、殺した人数だけで死刑を求めるのは浅慮かも知れませんね。
なんか、判決文を読めば読むほど、この元看護士に同情してしまいます。今は、針を極端に反対側に振っています。もしかすると、医療の最前線にいる人たち、日常的に患者に対して「死〇でほしい」と願ったりすることがあるかも、と思ってしまいます。実行するかどうかの違いだけで。もちろん、その違いが重要で大きいのですが。
ただ、「主文」の中で、
被告人を無期懲役に処する。
未決勾留日数中900日をその刑に算入する。
とあって、無期懲役であるなら、「未決勾留日数中900日をその刑に算入する」意味が解かりません。有期刑であるなら解かるのですが。例えば模範囚として15年で釈放されるとして、どうやって900日を引くのか。懲役10年なら最初から900日を引けば良いと思うのですが。
あと、更生したとして、現実にはもう看護師の職には就けないでしょうし、ただ過酷な余生が待っているだけで、それこそが刑罰になるんでしょうか。必ずしも懲役刑に服すことだけが刑罰ではないんですね。出所後も含めての罰なんですね。裁判所(裁判官)がそこまで考えているかどうかは不明ですが。
この被告人が出所して、住む部屋を探さなければならなくなったら、今の気持ちとしては「役に立ちたい」と思います。その頃には今の店は誰かに継いでもらっていて、私も生きているかどうか不明ですが。
私の場合は、この件に関してはちょっと極端な変わりようで、なんとも申し訳ありません。
現状、無期懲役の仮釈放の可能性は平均33年後らしいです。最短でも30年。そして、仮釈放されるのは1%以下。なので、ほぼ終身刑です。悲しい事件ですね。
<<現状、無期懲役の仮釈放の可能性は平均33年後らしいです。最短でも30年。
そして、仮釈放されるのは1%以下。
いやあ、30年も経ってから娑婆に出されるのは、そのままずっと刑務所にいるより辛いかも。浦島太郎状態でしょうし・・・、でもそのほうがいいかもですね。ほとんどが民生委員のお世話になって生活保護を受けるみたい。刑務所のキャパの問題もありますが、だったら刑務所のほうがいいのに。
今は少し被告人に同情しています。高齢で、病気や老衰で亡くなっても家族から文句を言われる・・・、堪りませんよね。私なら、「だったら施設に入れないで自分たちでお世話しろよ」と言いたくなります。立場上、何を言われてもぐっと飲み込んでいたことでしょう。もちろん、だからと言って「殺していい」ことにはなりませんが。
AK さんのご指摘で、裁判の流れや判決文を読んで、私の認識も大きく変わりました。たしかに、事件発覚当初は「私は関係ない」と嘘をついていましたが、任意で取り調べを受けているうちに犯行を認めるようになって、他の不審死も自白していて、たぶん、人生、どうでも良くなったんでしょう。切ないですね。誰がここまで追い込んだものやら・・・。
すみません、とりとめもなく書いてしまいました。でもホント、悲しいですね。
また何とも難しい本をお読みなんですね、私はその本のことは全く知りませんでした。
調べてみたら、その本の要点は、
(1)非行少年は知的なハンデを抱えていることも多く、その場合は「反省」する力さえない。その背景のひとつには、IQによる知的障害の定義が変わり、必要な支援を受けられない現状がある。
(2)彼らは障害が軽度であれば日頃は普通に過ごせるため、大人になってからも支援の機会を逸し、さまざまな困難に直面しがちだ。
(3)受刑者が一人生まれると年間400万円の社会コストがかかる。国力を上げるためにも、「困っている子ども」の早期発見と支援が欠かせない。学校教育においても、全ての学習の基礎となる認知機能面のトレーニングが必要だ。
被告人は看護師として立派に社会に貢献していても、何かしら知的なハンディを抱えていて、職場の過酷な環境がストレスを与えて犯行に突き進ませた、と言えなくもないでしょうね。でも、それは職場の同僚たちみんな条件は同じだから理由にはならないものでしょうけど。
最初は、求刑が死刑で判決が無期懲役・・・、検察は控訴してほしい、と思っていましたが、今は無期懲役の判決のままでいいのではないか、と思っています。
ただ、無期懲役で、そんなに長く罪を償わせる、反省させるのも不合理では、とも思ったりして。屁理屈ですが、被害者3人の平均寿命までの余命年数を合計した年数+α(重症者)の懲役でもいいかも。
辛い事件だし難しい裁判だったんですね。私は表面だけしか見ていませんでした (恥