3年前にも記事で触れたけど、女性では私が最も信頼している高校時代の同級生Мちゃんの言葉。
ひろゆき氏「男性がおごるべき」議論で「結婚後も他の女性におごり続けて…」に反発の声「難癖」
日刊スポーツ新聞社 によるストーリー • 2023.02.20
この記事、何が言いたいのか、よく解からない。例として挙げてる tweet が悪い気もするけど意味不明。
私の場合は、口説きたくて飯を奢っているワケでもなくて、男性と食事に行っても極力奢るようにしている。うちのからクレームを言われたことも無い。飯を奢るカネ=潤滑油みたいなもの。まあ、相手によっては珈琲一杯奢っても「つまらないことした」と思う時もあれば、コース料理を奢っても惜しくない時もある。
うちのと行く飯代は常に家計から出しているワケでなく、ちょっと高いランチに行った際には(夫婦であっても)私のヘソクリから奢ることもある。なるだけ家計にダメージを与えないように、ま、男の甲斐性として。
ただし、社員が大勢いる会社に勤めていてグループでランチに行くなら割り勘でいいと思う。そうは言っても、レジで一人一人個別会計しているのを見ると、「誰かがまとめて払って、後で清算しろよ」と言いたくなる。一足先にレジに向かうグループを見ていて、「あのグループは個別会計しそうだから、もうちょっと座って待っていよう」と言ったりして。店によっては「混雑する時間帯の個別会計はご遠慮ください」とレジに掲示していることもあるが、そんなの関係なく個別会計する人たちは一定数いる。とくにオバチャンたち。
で、奢っていればケチだと思われない、なんてことはなく、表題のМちゃんの(私に向けた)言葉「出させないのもケチのうち」というのを聞いて、なるほど、と思った。飯を奢る、ということは「いい恰好」をしているワケで、その「いい気分を他の人にさせないで独占している」のも、言われてみればたしかにケチだよね。
でも私は・・・、女性に出して頂くのは特別な事情があった時だけ。そうでなければ意地でも出させない。
ところで、私がいつも読んでいるメルマガ「トンデン倶楽部通信」によれば、
「割り勘」の正式名称は、参加者の人数で同等割にして
代金を支払うことが割り勘ですが
正式名称は「割前勘定」
経済という言葉の正式名称は
「経世済民」
経世. 済民とは
「世を経(おさ)め
民の苦しみを済(すく)うこと」
そして
演歌の正式名称は
「演説歌」
明治初期の自由民権運動の高揚期
演説の取締りが厳しくなったため
代わりに歌の形で街頭演説した
「演説歌」
そこから
「演歌」という言葉に
変化していったようです
とのこと。誰が何をどれだけ飲食したかに関係なく頭割りする割り勘もあれば、自分が飲食した分を払う割り勘もあって、例えば自分も含めて4人で食事に行って代金が4840円だとすると、私なら自分がまとめて会計を済ませて「一人千円でいいよ」と千円札一枚ずつ徴収して済ませる。それがスマートだろう♪
割り勘 4840円なら 4000円でいいよと言いますね。
それ以外なら1000円なんて言わずに全部奢りますね。
2,3人なら全部奢り、数人なら端数を落とした割り勘としてます。
今度奢ってよ。
まあね、奢り方、カネの出し方によってはちっともスマートにならなくなるケースもありますが。少しでも「私も出します、と言ってくれないかな」なんて期待しているのが表情や言葉に滲み出ていたら格好わるいですね。笑顔で「いいよ、いいよ」と言わなきゃね。
たかさん、上京する機会があったら寄ってよ。ほんと、飯くらい奢るよ。ドイツのガイドさんも呼びますね。
私は、年上の方に誘われて食事する場合は、ご相伴に預かり、相手が費用を出すとうスタンスならば喜んで奢ってもらいます。逆に、年下の人を誘った時は、私が払います。それで良いと思っています。
女性が相手の場合は、基本全額負担します。相手がどうしても払いたいという場合は、少しだけいただきます。男より女の方が準備に費用がかかるから。そもそもスッピン部屋着で来るような人とは、身内以外は食事したいとは思わない。
それと、若い頃に奢ってもらって色々経験することは大切だと思います。高級な料理や夜の街、そこにいつも行けるような身分になりたいとは思わないけど、その世界を知ることは人生の彩りになります。観劇、映画鑑賞、コンサート、旅行と同じですね。最近は、効率よく知識を吸収したがる傾向がありますが、これらは絶対に無理。それを知って焦らないで欲しいです。
>「経世済民」
これは違和感ありますね、というか異議あり!
清が使っていた「経済」は「経世済俗(民)」でしょうが、明治時代に「Economy」の対訳として用いられた「経済」は清の用語と全く違いますから。
今では中国でも「経済」=「Economy」という逆輸入して意味変わっちゃってますけどね。(*^ヮ^*)
明治の日本人の創造性のある言語力には脱帽ですよ。
実に常識的で「非の打ち所がない価値観」のコメントですね。
今日、モーニングでご一緒したご婦人、とても気になさっていたので、彼女の分はお支払い頂きました。初めてのことですが、何回に一度はいいかもですね。それは彼女にとって。
私の「私が出すかご馳走になるか割り勘にするか」の判断の根拠や基準は概ねバラキさんと同じです。
<<若い頃に奢ってもらって色々経験することは大切だと思います。高級な料理や夜の街、そこにいつも行けるような身分になりたいとは思わないけど、その世界を知ることは人生の彩りになります。
全く仰るとおりですね。中には、どんなに高級で美味しい店でも、「一度行けば十分」という店がありますね。歳を重ねて、「ああ、その店、行ったことあるよ」とサラッと言えればそれでいいと思います。もちろん、自分のおカネで何度も行けるようになれたら幸せですが。
<<最近は、効率よく知識を吸収したがる傾向がありますが、これらは絶対に無理。
それも、激しく同意、であります。効率よく吸収した知識なんて、泥臭く何度も失敗して身に着いた知識と違って、直ぐに忘れてしまうもの、ちゃんと正比例(反比例?)するものでしょうね。
「経世済民」に関しては、私も?マークです。経済が、「世を経(おさ)め 民の苦しみを済(すく)うこと」、って、「経」が「おさめる」で「済」が「すくう」って、そんな読み方は無理があるし。それだと「温故知新」の「故きを温ねて新しきを知る」みたいな感じ。なんで「温」が「たずねる」になるのか。
「Economy」を(日本語で)経済、と置き換える、訳す、というのはそもそも無理がありそう。日本語の中に、他に「ピッタリくる熟語」(訳)は無いものでしょうか。