36人もの死者を出した京都アニメーション放火殺人事件の裁判員裁判で、青葉真司被告の弁護士は「責任能力」無しとして無罪を主張・・・??。本当に心からそう思っているのかねえ。思ってないだろな。
被告人の利益を護るのが仕事だとしても、もし自分の子供が犠牲になっていても同じことが言えるのかなあ。まあ、その仕事は受けられないだろうけど。責任能力が有ろうが無かろうが「無罪」は無いもの。以前から言っているけど、犯した犯罪に照らして健常者も精神耗弱者も同じように有罪、その上で刑の服し方が違ってくる、つまり、刑務所に入るか精神病院で治療するか、死刑になるか、の違いがある、で良い。
だいたいが、情状を酌量して減刑する、と言っても、36人もお亡くなりになっていて重症者も大勢いるのだから、2人殺したら死刑になるとすると、18回も死刑になる計算。死刑執行は一度でよいから減刑しても追い付かない。いきなり無期懲役にはならんだろし。弁護士も辛いだろうけど、裁判員は「責任能力有り」と判断して、最終的には死刑判決が出されるだろな、と思う。でなきゃご遺族は浮かばれないよね。
こういう事件では、弁護士はいつも「犯罪当時の責任能力」で争うけど、それで無罪になるのは「ここは何処?、私は誰?」の人だけ。だいたいが、そういう人は殺人や傷害なんかの犯罪を犯さない。無差別殺人をする奴は精神異常であっても判断能力は有るんじゃないかな。事前に逃走経路を調べていたりしてね。
これ、被告人に「判断能力無し」、でなく、弁護士が「判断能力無し」、だと思うな。弁護士からすれば「負け戦(いくさ)のしんがりを仰せつかるようなもの」で、貧乏くじを引かされちまったよ、って思いだろうな。
ネットで見つけたこんな記事 ↓ も・・・、興味深い。
なぜ日本の死刑執行の方法は、いまだに「絞首刑」なのか?
MAG2NEWS
判決は死刑だろうな。弁護士は「責任能力」無しとか言っているが事件前は普通に生活していたし、死者やけが人が出るのが分かっていてガソリンを撒いて火をつけたのだから判断能力も十分にあるでしょう。
poohpapaさんも滞納家賃を厳しく取り立てしたら、事務所に火をつけられるかもしれません。茅葺きの木造の古い建物だから、すぐに全焼しますよ。
まあ、死刑は免れないでしょうね。それにしても、この弁護士は「国選」でしょうかね、貧乏籤を引かされましたね。顔は売れるかもですが。
<<事件前は普通に生活していたし、死者やけが人が出るのが分かっていてガソリンを撒いて火をつけたのだから判断能力も十分にあるでしょう。
普通に受け答えできてますしね。演技指導してあげないと、ね。
<<poohpapaさんも滞納家賃を厳しく取り立てしたら、事務所に火をつけられるかもしれません。茅葺きの木造の古い建物だから、すぐに全焼しますよ。
そうなんですよ、私も何人かに恨まれていますし、世界遺産級に古い茅葺屋根の木造建築ですから、火でもつけられたなら、って、茅葺じゃねえよ。もうすぐ建て替えるから、その時は見に来いよ<`〜´>
「責任能力」の是非がいつ頃から問われ始めたのか寡聞にして知らないのですが、犯した罪の是非については本来故意であるかどうかさえ関係ないはずで、そこは罰の軽重に影響するだけのハズですね。
「責任能力」が精神鑑定的なものであるなら、裁判官や弁護士は専門が全く異なる門外漢なわけで、どう落とし前を付けているのかとっても気になっています。
心理学が怪しいと言ってるわけではなく、当然のことながら演繹的に結果が出るものでもないので、「根拠」の希薄さが拭い去れません。
箱の中の猫の生死を、箱の外側から眺めて結論が出るものなのか…(´・ω・`)
弁護士にはなぜ犯行に至ったのかを明らかにして欲しいです。検察は極刑にする側で調べるので、犯人に寄り添い、理由を聞き出し反省を促す人も必要です。判決は推測できても、遺族にとっては検察官と弁護士は大切な役割を担っています。大阪北新地での放火事件のように、犯人が死亡してしまったら、遺族には怒りの矛先もなく、気持ちの整理がつかないでしょう。裁判をやっても、麻原や宮崎のように責任逃れや心神耗弱を本人や弁護士が主張することもあります。それでも即吊るすのではなく、犯人側の言葉を引き出すためにも弁護士は必要だし、無駄な仕事ではないと思います。
そして、瀕死の状態だった犯人を救命した医療チームも讃えたいです。ウエストポーチで守られていた僅かな皮膚を培養し、裁判に耐えられるまで回復させました。どうせ死刑になるから高額である高度医療は必要ないという意見もありますが、裁判を行うことは遺族や社会にとって意義のあることです。
残念なのは、死刑は一回しかできないこと。結審後なぜすぐに執行しないのか、税金で生かしておくのかという批判がありますが、死の恐怖を長期間味合わせるのも死刑の一部だと思います。
<<犯罪の是非については、論語の「其恕乎、己所不欲、勿施於人」に尽きるわけですが、
自分がされたくないことは他人にもしなさんなよ、てことですよね。
<<犯した罪の是非については本来故意であるかどうかさえ関係ないはずで、そこは罰の軽重に影響するだけのハズですね。
全く、仰るとおりですね。量刑に際し、「本人が反省している」或いは「全く反省していない」ということが加味されたりしますが、後で反省しようがしまいが、やったことには変わりが無いし、反省してくれても重傷が軽傷になることは無く、被害者にとっては関係ないような・・・。
<<「責任能力」が精神鑑定的なものであるなら、裁判官や弁護士は専門が全く異なる門外漢なわけで、どう落とし前を付けているのかとっても気になっています。
責任能力・・・、有っても無くても、犯したことの結果には関係ない、と私は思います。例えば、地下鉄サリン事件の実行犯が、反省して検察に協力して事件の全貌を供述したとしても「罪一等を減じて無期懲役に」、にはなりませんもんね。それで当たり前だと思います。
ぼちぼち Jonathan's のモーニングに出掛ける支度をしますので、コメントの返信、少々お待ちください。
<<弁護士にはなぜ犯行に至ったのかを明らかにして欲しいです。
これ、警察や検察が事件の真相を追及するより、弁護士が聞き取り調査したほうが、より真相が見えてくるかも知れませんね。「無かったこと」にしたがる弁護士も多いですけど、やたら無罪を主張するのは、弁護士としてどうかな、と思います。本人も容疑を認めているなら、容疑者に寄り添って如何に情状酌量を求めるか、が弁護士の仕事のような・・・。
<<大阪北新地での放火事件のように、犯人が死亡してしまったら、遺族には怒りの矛先もなく、気持ちの整理がつかないでしょう。
容疑者が死亡してしまったら、遺族は怒りの持って行き場がなくなって辛いでしょう。これは問題発言だとは思いますが、京都アニメの事件では、遺族がこの被告人にガソリンをぶっかけて火をつけたい、くらいに思うでしょうね。罪に問われないなら、私はそうします。
<<瀕死の状態だった犯人を救命した医療チームも讃えたいです。
ある医師が、その昔言っていましたが、「たとえ暴力団の組長であっても、私は医師ですから、緊急で搬送されてくれば全力で治療に当たります」とのことで、当時は「見殺しにすればいい」と思っていましたが、私の心得違いでしたね。
「ウエストポーチで守られていた僅かな皮膚を培養し、裁判に耐えられるまで回復させた」というのは凄いことで、事件の真相を記録して教訓にするためにも大切なことですね。
<<死の恐怖を長期間味合わせるのも死刑の一部だと思います。
同感です。看守が独居房を回ってくる足音で、「迎えに来たのか、ついに死刑を執行されるのか」という恐怖を味合わせるのも刑罰の一部だと思います。でも、でも、でも、
弁護士が、やたら責任能力の有無で無罪を主張するのは「ふざけるな!」、と思ってしまいます。