昨日、仕事で高幡不動まで出掛けた。以前は高幡不動まで出掛けるにはJR南武線で分倍河原まで行き、京王線に乗り換えなくてはならなかったが、今はモノレール1本、所要時間も12分、便利になった。
で、モノレールの立川北駅から乗ろうとしてホームで待っていると、普通の車椅子と違うタイプの車椅子にお子さんを乗せたお母さんがモノレールの到着を待っていた。お子さんは重度の身障者のようで、水平に近い状態の車椅子。中央線では時折、駅員がホームと電車の隙間と僅かな段差をカバーすべく大きな板を持って待機して、車椅子の乗客がスムーズに降りられるよう補助する姿を見かけるが、駅員はいない。
周りに客はいなかったので、そっと近づいてお母さんに、小さな声で「お手伝いは必要でしょうか?」と声を掛けた。すると笑顔で「大丈夫ですよ、有り難うございます」とのこと。「失礼しました」と言って離れた。
余計なお世話だったかも知れないが、もしかすると困っている人かも知れないし、そういうケースに遭遇したら社会全体で見守る、声を掛ける、ということが必要。もし補助(お手伝い)が必要でなかったなら、「失礼しました」と軽く頭を下げればいい、「どうぞお気をつけて」と声を掛けて。もしかすると、(何かあれば)周りの人たちが気に掛けてくれている、と思えるだけで苦労が報われる、救われるかも知れないのだし。
善人ぶるワケではないが、いわゆる「社会的弱者」を社会全体が見守る、気遣う、というのが本来の日本社会。一度は消えてしまったようだが、義務教育の道徳の時間で幼い時から教えることが必要だと思う。
実のところ、そのお母さんから笑顔で辞退されたことで私も救われた。声を掛けて良かった・・・、と思えた。その後も良い仕事ができたし、お客さんから手土産をいっぱい頂いた。いつもの藁しべ長者である。
そうそう、新規に開業した同業者さん(お二人)を誘って一緒にランチをしたが、「こないだお菓子を頂きましたし、奥様がお好きだと伺いましたので、長野まで行ったのでワインを奥様に・・・」と、昨日はワインまで頂いている。うちのが喜んでいた。善行も悪行も、全部自分に返ってくる、ということなんだろうな (^^♪
2024年06月02日
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>> 善行も悪行も、全部自分に返ってくる
悪行もたくさん返ってきたんでしょうね。
<<悪行もたくさん返ってきたんでしょうね。
いえいえ、たかさんほどでは・・・(ぷっ
ヨーロッパでは、身障者、そばにいる人たち双方がが何も声をかけることなく、自然に手を貸してあげるようになっています。
そう、誰もが見守っていて、必要であれば直ぐ支援できる、というのが理想ですね。
こういうの、難しいですね。押し付けにならないよう適度な距離を保つ必要もあるし、周りにいろんな人がいて、誰が声を掛けるのが良いのか、ということも配慮しないとね。そんなに重く考えないで、さりげなく、相手が気にしないで受けられるくらいの善意が理想ですね。
<<ヨーロッパでは、身障者、そばにいる人たち双方がが何も声をかけることなく、自然に手を貸してあげるようになっています。
う〜ん、「そばにいる人たち双方が何も声をかけることなく」、は冷たいかなあ。当たり前、になっていればお互い気楽かも知れませんが。自然な笑顔での挨拶から入っていきたいかな、と思います。
ああ、でも日本は、そういう面では遅れているのかも知れませんね、そっかあ・・・。
私は自意識過剰でなかなか自分から声をかける行動に出る勇気がないので、手伝いを要請されれば積極的に助力させてもらうのですが、そっち側に主導権を振るのはやはり優しさに欠けるんでしょうね。
仰ること、激しく同意であります。なんかねえ、「弱者ハラスメント」、弱ハラが横行していて、今の日本は変ですよね。「自分は弱者、社会が護って優遇してくれて当たり前」、とでも言ってるような。
俯瞰して見れば、本当の弱者は、その弱者もどきに対峙している人達かも知れませんよね。いえ、きっとそうだと思います。
ハリケーンさんが「優しさに欠ける」なんてことはありません。それは自信をもって言えます。なんか、当たり前のことを言っているだけなのに非難されたりする社会はおかしいですよね。日本はこれからどんどん「おかしな国」になっていって、そのうち反日国が喜ぶような崩壊をするかも。
私はその前に死ぬからいいけど。