2024年09月01日

まるで「居座り強盗」じゃないか

と言っても今のポストにしがみ付いている現職国会議員のことじゃないよ。例えとしては当たってるけど。

先ず、被災地の方々に心からお見舞いを申し上げます。この後も、どうぞくれぐれもお気をつけください。


さて、8月22日に発生した台風10号、1959年9月26日に近畿地方と東海地方に上陸した伊勢湾台風に並ぶ超大型台風。本来ならば、とっくに熱帯性低気圧になって消滅しているハズが、既に一週間ほど九州地方に留まっている。まるで母子家庭に強盗に入って子供を人質にして母親に「腹がへった、晩飯を作れ!」、「朝飯は海鮮丼を作れ!」などと要求している居座り強盗のよう。早く出ていってほしいもの。

何度か書いているけど、

私が小学2年の時に愛知県の半田市で被災した伊勢湾台風、5000人を超える死者を出し、私が通っていた半田小学校だけでも74人が犠牲になった。(8畳一間に6人が暮らしていた)うちの長屋も屋根まで冠水して、水が引くまでしばらくは、親父が勤めていた「縄を作る工場」の屋根裏で過ごした。縄の原材料の藁が布団代わり。2週間ほど経って「何も持たなくていいから明日登校するように」と連絡があった。

学校に行くと、先ず体育館(講堂)に入らされ、舞台にズラッと並ぶ遺影と花を見てもの凄いショックを受けた。その中には、台風の当日、「今日は大きな台風が来るので授業は午前中でおしまい。近くの家のお友だちと一緒に下校するように」と言われて私が一緒に帰った友だちも入っていた。私の家より海に近かったし、しかも後で分かったことだが、自宅の庭の木に弟を庇うように抱きついて亡くなっていたとか。

伊勢湾台風と今回の台風10号、圧倒的に死者数が違うのは、建物の構造上の進化と、災害に対する意識(心得)の違い、だと思う。その頃はテレビもネットも無いから詳細が分からず、情報はラジオからだけ。回覧板は間に合わないし。当時は、割と新しい堤防が決壊する、などとは夢にも思ってなくて・・・。なので予め用意した避難所なんか無く、食べるものとか学用品は全国から送られてきた救援物資で凌いだ。

この歳まで生きてきて、今まで食べた物の中で一番美味しかったのは、米軍からの救援物資のコンビーフの缶詰。調理せずそのまま食べたんだけど。後にパリの三ツ星レストラン「タイユヴァン」で食べた「ブルターニュ産オマール海老のブーダン」に匹敵する。ま、極限まで空腹だったから、かも知れないけどね。

私が今、さまざまな災害が発生した際に、その都度「ヘソクリ」の全額を義援金として被災地に送るのはその時の体験から。あの時に助けて頂いたから今の自分がある。今こうして生かせて頂いているから。


ところで、昨日、伊勢湾台風について調べていく中で、こんな記事に出会った。

伊勢湾台風、小2の記憶 南知多・山下さんが文章に
2020年9月27日 05時00分 (9月27日 14時39分更新)

この山下さん、当時、半田小学校に通っていて2年生だった、ということは、存じ上げなかったけど、私の同級生なんだね。一学年で300人以上いて、私は2年5組(担任は浅野先生)だったけど、何組だったんだろう。昨年11月に半田中学校時代の最後の学年同窓会を開いたけど、もう一度集まって伊勢湾台風の記憶(真実)を風化させないための記録を完成させたら後世に役立つかもね。もう必要ないかなあ??

posted by poohpapa at 06:48| Comment(4) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
poohpapaさん、おはようございます。

正確な台風の進路予測や線状降水帯の把握は、地上と衛星による情報収集と、それを処理するスーパーコンピュータ(蓮舫が2位じゃダメなのかと言ったアレ)の成果ですよね。伊勢湾台風の悲劇を2度と起こさないため、富士山頂に困難を乗り越えてヘリコプターでレーダーを設置し、気象衛星を自国で打ち上げ、膨大なデータを処理するコンピュータを国産化した日本の力はすごいです。

これに比べて、治水への取り組みは時間がかかりますね。身近な多摩川は「岸辺のアルバム」で知られている1974年の堤防決壊以降、河川の改良工事を続けていましたが、2019年の台風では、下流の二子玉川で住宅地が浸水し、上流の日野橋が通行不能になりました。温暖化の影響で、100年に一度の大雨に対応できるように対策しても50年でそれを超えるようになってしまったのでしょう。

残念だけど、人間は自然に対しては無力ですね。それを止めることができない。
Posted by バラキ at 2024年09月01日 08:32
バラキさん、おはようございます

<<正確な台風の進路予測や線状降水帯の把握は、地上と衛星による情報収集と、それを処理するスーパーコンピュータ(蓮舫が2位じゃダメなのかと言ったアレ)の成果ですよね。

そうらしいですね。スパコンの性能が飛躍的に高まって、何に一番貢献しているか、役立っているか、と言えば、天気予報、それも中長期的に正確な予報(予測)をするのに貢献している、と聞きました。そう、2番でいいかどうか、より、高性能になることが求められていますね。

まあ、今回の台風10号に関する予測は外れっぱなしのような気がしますが。

なんかねえ、最近、天気予報が当たっていないような・・・。スパコンなんか無かった昔のほうが当たっていたように思えるのです。だいたいが「今日の東京は、晴れ、ときどき曇り、所によって一時雨」と言っておけば、どんな天気になっても、当たらずとも遠からず、ですもんね。

<<富士山頂に困難を乗り越えてヘリコプターでレーダーを設置し、気象衛星を自国で打ち上げ、膨大なデータを処理するコンピュータを国産化した日本の力はすごいです。

スーパーコンピューターの性能が一番なのは日本製、というだけで、世界一優秀な頭脳の国民、と言われるようで、自分が関わっていなくても誇りに思えます。優秀さより勤勉さの違い、なのかなあ・・・。

ところで、多摩川の堤防決壊は1974年でしたか・・・。もう半世紀も前のことなんですね。「岸辺のアルバム」はとても上質なドラマでしたね。観ていました。脚本が山田太一氏ですもんね。過去の全部のドラマにランキングを付けるなら、「岸辺のアルバム」は間違いなく3本の指に入るでしょうね。

<<残念だけど、人間は自然に対しては無力ですね。それを止めることができない。

私は、時に多くの犠牲者が出たとしても、それでいい、「人間は自然に対して無力」でいい、と思います。何でも対策(対応)ができるなら、人間は傲慢になって、人類だけでなく地球も滅びることでしょう。

個人的な話で恐縮ですが、私は子供の頃に伊勢湾台風に被災して(体験して)人間的に強くなったように思います。その後に似たような災害に遭った被災地の人たちのことも考えられるようになって・・・。

何でも「悪いことばかり」ではありませんね。日本人の「個人主義、ではなく、互いを思いやる国民性」は、これからも未来永劫続いてほしいものです。
Posted by poohpapa at 2024年09月02日 06:24
>米軍からの救援物資のコンビーフの缶詰

リビーのコンビーフですね。
リビーのコンビーフは、ノザキのと違ってボソボソ感があるので、個人的には国産派です。
そのノザキのコンビーフも久しく食べていませんが、あの鍵付きネジネジ開けの缶詰じゃなくなったので残念です。
『傷だらけの天使』のオープニングが観たくなってきた…(о'¬'о)
Posted by ハリケーン at 2024年09月02日 08:50
ハリケーンさん、おはようございます

<<リビーのコンビーフですね。

あああ、65年も前の話で、どこのメーカーのコンビーフだったか覚えていませんが、とにかく美味しかったのは憶えています。「世の中にこんな美味しい物があるのか」と幼心に強烈な印象を残してます。

日本の「ノザキのコンビーフ」、その後に何度か「どんな味だったか、もし同じ味ならこれから食べ続けていこう」と思って試しましたが、残念ながら全く別物でした。

でも、あの「蓋の周りをぐるぐる巻いて開ける」缶は独創的で面白かったですね。

「傷だらけの天使」・・・観ていませんが、松田優作主演の映画でしたっけ?、ショーケンだったかな??
Posted by poohpapa at 2024年09月02日 09:15
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