先日(4日前)の水曜日に起きた伊勢丹「ブス!」事件のその後、
伊勢丹には毎日行っているが、「彼女、その後はどうなってるかなあ。バックヤードの仕事でも続けてくれているといいな」と気になっていて、その売場を遠くから見ていた。昨日、彼女が売場にいないのを確認して寄っていって、スタッフに訊いたら、「配属が変わりました」とのことで、再び丁寧にお詫びを言われた。
「配属が変わったってことは、この伊勢丹の中で、ということ?」と訊くと、「実は私たちにも分からないのです。もうここにはいないので、どうぞ気にせずお越しください」とのこと。少し安心した自分がいる・・・💦
水曜日に私の傍にずっといてくれたそのスタッフは「私も、あんなことは初めての経験でビックリして、彼女が店頭にいたらマズイのでは、と思っていました」と言う。本音で言うと、もしも彼女が伊勢丹の中のどこかにいて、私を見かけて「こないだは大変失礼をいたしました」と声を掛けてくれたなら嬉しい。その失敗をバネにして社会人として成長してくれたらと願うのだが、私の顔を見かけたら隠れるだろな、と思う。
ま、ここから先は私が心配することではないだろうし、気になったとしても深入りしないほうがいいだろう。
で、私が伊勢丹のスタッフに面と向かって「ブス!」と言ったことが無いのか、と言えば、ある。こないだの水曜日以降だけどね。その時に購入した商品をサービスカウンターに預かってもらうべく事情を説明した際に、馴染みのOさんに「私が初めて会うスタッフに『ブス!』なんて言うワケないじゃんね。Oさんにさえ『ブス!』って言ってないんだから」と言ってやったのだが、「え?、何を仰います、私は美人ですよ」だと。
女性がブスかどうかは見た目だけの基準でなく、「性格ブス」ってのがあって、伊勢丹にも何人かいるよ。いちおうフォローしておくと、Oさんは見た目も整っているし人柄もいい。私がサービスカウンターで何か頼む時、遠目に見て「Oさんがいる」のを確認して行くことが多い。少々の無理は聞いてくれるから、ほんと。
いずれにしても、「何事も相手がいること、無用な摩擦は起こさずに仲良くしていたほうが得」だと思うな。
2024年12月15日
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いつも女性を美人かブスかって見ていたから顔に出ていたんではないですかね。
<<いつも女性を美人かブスかって見ていたから顔に出ていたんではないですかね。
何を仰います!?、そりゃあね、女性は美しいほうがいいですけど。ま、若い方には当て嵌まりませんが、女性の本当の美しさは、年齢相応の分別や教養が顔に滲み出ているかどうか、だと思っていますよ。なので年齢そのものだけで美しいかブスかなんて決まりません。歳を重ねていていいのですから。
何度か書いていますが、私が日本人女性で一番美しいと思ったのは、80歳で朝日グラフの表紙を飾った地唄舞の師匠「武原はん」さんですね。正座して少し振り返った凛とした後ろ姿に感銘を受けました。
まあ、立川の美人市議にうつつを抜かしているたかさんに言われたくはないですね(爆
それは良くないですなぁ…
<<ググると、「不器用」のことを山梨や静岡では「ぶき」とか言うとか、言わないとか…
あれ、不器量、でなく、不器用??
ちなみに、愛知では「不器用」のことを「ぶきっちょ」と言ってます。
彼女、決してブスではないのです。失礼な言い方ですが、平均的な器量だと思うのですがねえ。誰が彼女をして「自分はブス」と思わしめたのか、罪深いことですね。
配置転換でますます傷ついているだろな、と心配ではあります。私も、彼女の配置転換は不本意です。
…だから、「不器用」を「不器量」とどっかのおっさんが勝手に解釈したのでは?という疑問提起です。(*^ヮ^*)
<<「不器用」を「不器量」とどっかのおっさんが勝手に解釈したのでは?という疑問提起です。
いやいや、何を仰いますやら、そんなことはありません。けっして不細工な女性ではありませんでしたし、私は「ぶきっちょ」とは思っても、不器量(ブス)とは思いませんでしたよ。
誰かに以前「ブス」だと言われて、それがトラウマになっているとしたら可哀想ですね。まあ、そのうちきっと、彼女の心の傷を癒してくれる男性が現れるんじゃないかな、とは思いますね。きっと、です。
若年層では、今や「ルッキズム」(容姿至上主義)が隆盛を極めています。
SNSの普及によって、容姿が良ければ若くして大金を得ることが可能になってしまったからです。
かつては、容姿をお金に変える手段は、芸能界や水商売しかなったのですよ。
売れればそこそこのお金にはなりますが、ほとんどが搾取の対象でしかないものでした。
ところがSNSによって、この構造が覆ってしまった。
優れた容姿を持つ者と、持たざる者の二極化となってしまったわけです。
その他の要素などは物の数に入らないほどの。
そうなってくると、平均的な容姿の良いところを見つけて褒めることは、
もはや「嫌味」でしかないのです。
なので、先天的な外見に言及すること自体がタブーとなっています。
褒めるとしたら、後天的な努力の部分、髪型とかメイクや服のチョイスとかですね。
感覚的にピンと来ないということであれば、
「あまり多くはない年収を褒めている感じ」
を想像すれば、大きくは外れていないかと思います。
<<こういうケースですと、ちょっとした会話の中で虎の尾を踏んでいるような気がしますね。
なるほど、そういうことは往々にしてあるかと思います。いつも慎重に言葉を選んで話しているつもりではありますが、(経験からくる)相手の心の奥底にある思いにまでは気が付かなかったりして。
<<若年層では、今や「ルッキズム」(容姿至上主義)が隆盛を極めています。
見た目が一番大事、ってことなんですね。そりゃあ女性は美しいほうがいいに決まっていますが。私みたいに「歳相応の分別や教養が表情に滲み出ている人こそが美しい」なんて価値観は通用しないかも。それに、美人とブスとでは、長い人生で比較したなら圧倒的に美人のほうが得しますもんね。
<<優れた容姿を持つ者と、持たざる者の二極化となってしまったわけです。
もしかすると、そのスタッフ、過去に誰かに容姿のことで悪口を言われた、とかでなく、勝手にコンプレックスをもっていたのかも知れません。私は、手続きが全部終わったら、さらに「お嬢さん、感じいいね。辛いこともあるでしょうけど、頑張ろうね」と声を掛けるつもりでしたが吹っ飛びました。
<<そうなってくると、平均的な容姿の良いところを見つけて褒めることは、
もはや「嫌味」でしかないのです。
私も、普通以下の容姿なら「おきれいですね」などとは言わずに別のところを褒めますが・・・。例えば「凄く綺麗な髪ですね、羨ましいですね」とか・・・、ま、セクハラにならない程度に。
<<褒めるとしたら、後天的な努力の部分、髪型とかメイクや服のチョイスとかですね。
なるほど・・・、実のところ、初めての女性と対面した時には「どこを(何を)褒めたら喜んで頂けるか」を気にして見ています。よく、「そんなこと言われたこと無いですけど、嬉しいです」とか、「今のお言葉で今日一日は何があっても乗り切れます」と言われたりします。美人に「美しいですね」と褒めたところで、いつも言われているでしょうから喜んでは貰えませんし。
<<感覚的にピンと来ないということであれば、
いえいえ、ピンときます。はい、気を付けます。自分は気を付けているつもりでいても、最初の「私がブスだからいけないんでしょう」は避けられなかったとは思いますが。「上手く伊勢丹アプリが読み取れないのは、あなたが悪いんじゃなくて私(のスマホ)が悪いんですよ」とも言っていたのですが・・・。
人を叱るのも褒めるのも、難しいものですね。この歳で、いい経験をさせてもらいました。