今から55年前、就職するために上京して、会社の寮に入ったものの寂しくて堪らず、たまたま大阪で開かれていた万博を社員が交代に見学するよう会社が配慮してくれたのに乗じて郷里に帰ってしまった。
私が帰省することを伝えたら、高校の後輩たちが大勢集まって茶法室(20畳くらいの和室)で帰省の歓迎会(?)を開いてくれた。同級生も何人かいて、私の姪っ子二人も参加して。当時は人望があったから。今振り返っても、あんな楽しい会合は他に無い。いつもこの時期になると懐かしく思い出されるんだよね。
当時は当たり前に「お菓子のバラ撒き」なんかしてなかったけど、それでも慕ってくれたのは、たぶん、何かと相談に乗っていたり、他の上級生より面倒見が良かったからだと思う。つまり、ハートがあったから。
そうそう、私の生徒会長時代に、新聞室の同級生から「オマエは生徒会長の器じゃないよ」と言われていて、「じゃあ誰ならいいと思う?」と訊いたら、「そうだなあ、岩本かなあ・・・」とのこと。え?、嘘でしょ!?
岩本君は私を嫌悪していて、いつも蔑むような顔をして私を見ていたし、私も好きではなかったな。今思えば、名鉄河和線の住吉町駅の踏切で、一年間、一度も休まず、雨の日も風の日も毎朝交通指導をしていて、私と同じことができる奴、一人でもいるのかよ、と思う。自分に与えられた時間のほとんどは文化祭を成功させるために使っていたし、我が執行部で母校創立50年史も作り上げたからね。皆で文化祭の成功を共に喜びたい、そのためには自分を犠牲にすることができた。まあ、器ではなくても適任だったかも。
人間、どんなに頑張っても、一定数の人からは嫌われるし正当に評価されることもないと思う。だから私は人から嫌われること自体は何とも思っていない。理由については、いろいろ考えることもあるけどね💦
昨年7月20日に開催された高校の学年同窓会に、大下先生と加藤先生が出席してくださっていて、加藤先生は今年の1月に逝去なさった。その加藤先生が文化祭の後の最初の世界史の授業の冒頭で、「先日の文化祭を見ていて、運動場にゴミが落ちていたのを黙々と拾っている生徒がいて、こういう生徒に文化祭が支えられているんだな、と感動して涙が出たよ」と声を詰まらせて話していて、それは、私のこと。
人は誰も、自分以外のことに関心を持っていないけど、自分がしていることを誰かが必ず見てくれている。
私は、自分が生徒会長だからといって、誰かに指示してゴミ拾いをさせるのではなく自分で率先してやっていた。踏切の交通指導も然り、同級生がどんなにいい大学を出てどんなに高い地位に就いても、私と同じことができる奴、いなかったよね。こんな生徒もいていいと思う、ま、負け惜しみではあるけど(滝汗
またいつか皆で集まりたいな、命が果ててしまう前に。歳の所為かそんなことをよく考えるようになった。
2025年05月05日
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