2025年06月09日

私が最も敬愛している恩師が亡くなって・・・

6月2日、午後3時45分、郷里の中学時代の同級生の平野君から電話があり、中学時代の恩師、間瀬先生が亡くなられて、その日が通夜で、翌日が告別式。家族葬で、一切の花輪も香典も辞退、とのこと。直ぐに店を閉め、家に帰り、うちのに話すと、「直ぐに帰りなよ、ここで帰らないと一生後悔するよ」と言う。

着の身 着のまま、いつもの、ワイシャツ、ジーンズ、カーディガン、の「いで立ち」で、愛知県半田市に向かうことに。立川駅で往きの新幹線の切符と乗車券を手配。急いで支度して東京駅発5時半くらいの新幹線に乗って名古屋に7時過ぎに到着。そこから名鉄に乗り換えて知多半田駅に8時過ぎに着いた。通夜と告別式の会場は愛昇殿という施設。位置情報アプリが使えず、同級生に電話しながら辿り着いた。

私としては「通夜は喪服でなくてもOK」だから、一泊して、告別式が始まる前にご焼香させて頂いて帰京するつもりでいたのだが、愛昇殿に着いたのは9時前。私の古い知識で、通夜は夜通し行われているものとばかり思っていたが、最近は(かなり前から)1時間くらいで終えるらしい。暗くなった施設の前で途方に暮れていた。施設の前には「〇〇家控室」という札が並んでいて、その下にインターホンがあり、「ご用の方はインターホンを押してお話しください」とあったが、通夜が終わって2時間も経っているから誰も出ない。これでホテルが取れなければ野宿かな、と観念していたが、帰省の度に利用させて頂いている「名鉄知多半田イン」が空いていて、野宿はしないで済んだ。友人に、急に「泊めてよ」とは言えないし。

晩ご飯は、その日の昼間、私の夕食用にスーパーで買ったメンチカツ5枚。家に置いてきても、うちのは食べないから廃棄処分になるだろうし、それをリュックに入れて持ってきていて、当日の夕食と翌日の朝食にするつもりで、3枚は新幹線の中で食べ、ホテルでは朝食のバイキングが付いているので、残り2枚もホテルで夜のうちに食べた。ふだんは8時過ぎたら食事しないんだけど、貧乏性で捨てられないから。

夜になって先生の弟さんと電話が通じて、翌日の告別式には「凡そ相応しくない格好」での参列をお許し頂いた。家族葬なので参列者は少なかったが、一人だけ完全に浮いてしまっていたかも。会場に着くと、一番奥の方で打ち合わせをなさっていた奥様が私の姿を見て飛んできて、私の手を両手で掴んで喜んでくださった。その時、急に涙が溢れて号泣してしまい、まともにお悔やみの言葉さえお伝えできなかった。

奥様が、祭壇のほうを向いて、「あの写真は以前に坂口さんが撮ってくださった写真なんですよ、あの写真が一番主人らしい顔をしていたので・・・」と仰る。凄く光栄なことで、当然に、初めてのことで驚いたし、凄く嬉しかった。なんか、先生から「アンタはゆっくり来りゃええが」、と話しかけられたような気がした。

奥様のお許しを得て、斎場のスタッフにお願いして棺の顔の部分を開けて頂き、先生のお顔と対面をさせて頂いた。私が「お写真を撮らせて頂くことはできますか?」とスタッフに伺うと、「式の模様を撮影することはできますが棺の中の写真はご遠慮頂いております」とのこと。決まりで、ではなく、それをしたら撮影した人間が故人に吸い込まれる、つまり、早く死んでしまうらしい。どのみち私はもう長くはないけどね。

焼き場に向かう前に、参列者が棺に花を並べるのだが、それが最後のご対面になった。霊柩車の助手席に座られた奥様が抱いていた遺影も私が撮った写真。そういうことでも深いご縁を感じさせて頂いた。ああ、そう言えば、故長嶋茂雄氏の葬儀と同じ日取りだったんだね。もちろん、たまたまではあるけれど。

そうそう、先生の弟さんから「家族葬で執り行うことになっていましたし、親族以外のどなたにも連絡していなかったのですが、どうして知られたんですか?」と訊かれた。「実は、同級生が車で走っていて、たまたま、愛昇殿の前を通りかかった時に先生のお名前を見掛けて、私に連絡してくれたんですよ」と伝えたらご納得。田舎の狭い町である。そうでなくても、隠していても、そういう話は直ぐに伝わってしまうもの。

弟さん、立川の近隣の福生市に住んでいて、いろいろ荷物もあって、車で5時間かけて駆け付けたとのこと。「実は、私も兄の息子たちも、姉(先生の奥様)から『坂口さんには絶対に連絡しないよう』言われていました。『知ったなら、きっと東京から飛んでこられるだろうから』と言って・・・」とのこと。あ、言っとくけど伊勢丹とは違うからね、先生のお宅で出禁になっているワケじゃないよ。優しいお気遣いからだからね。

永く教員をしていらっしゃったのだから、いくら家族葬といっても、教え子が参列していないのも寂しいことだと思う。たまたま、私に連絡をくれた平野君と充宏君(通称みっちゃん)も一緒に参列させて頂いた。もう一人、近藤君(通称コンチ)にも連絡したが、癌検診の予約が入っていて参列できず、残念だったなあ。

御花も香典も一切辞退、とのことだったけど、中学の学年同窓会の万年幹事の平野君が御花を用意してくれていて、さすがの心配りだなあ、と感服した。「僕も払うよ」と言ったんだけど辞退されちゃって・・・。ま、平野君は土地家屋調査士で充宏君は不動産屋(勤務)で、先生の所有する不動産の(現在進行中の)売却に関わっていて、その話を紹介したのは私。失敗した、「手数料半分よこせ」と言ってなかった。

参列することはお許し頂けるとは思っていたけど、もし難しければ、会場に向かって合掌したり黙祷するつもりでいたから、お許し頂けて心から感謝。お陰様で、「一生の後悔」をしないで済んだ。もちろん、私の心中を慮って快く背中を押してくれた女房にも大感謝だ。持つべきものは「いい女房」と「良き友」だよね。

で、その後は真っ直ぐ帰京したか、と言えば、そんなことはない。続きがある (^^♪

posted by poohpapa at 04:59| Comment(2) | TrackBack(0) | プライベート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>決まりで、ではなく、それをしたら撮影した人間が故人に吸い込まれる、つまり、早く死んでしまうらしい。

これは表向きの理由で。撮影した人がその画像をどう使うか、その追跡が出来るわけじゃないから撮らせないのだと思います。最近はご遺体(それもご献体)の画像をSNSにUPする医者がいるくらいですからね。死者の姿を突然SNSで見せられた方は軽くトラウマだというのに、他人がどう感じるかを考えられない人が多すぎる社会になってしまいましたからねぇ。
でもきちんとお別れが出来て良かったですね
Posted by はなくろ at 2025年06月09日 09:57
はなくろさん、おはようございます

<<これは表向きの理由で。撮影した人がその画像をどう使うか、その追跡が出来るわけじゃないから撮らせないのだと思います。

そういうことですか・・・。今の世の中、マナーやルールを無視して酷いことをする奴が多いですもんね。悪意の有無は別にして、私みたいに無知で「やらかす」奴もいるでしょうし。

仕方なく、しっかり目に焼き付けてきました。

もう30年以上も前のこと、先生が「アンタらの頃は良くも悪くも打てば響いとったけど、最近の生徒は打っても響かんだがん・・・」とボヤいていらっしゃって、それは良く解かりますね。私たちの学年以降、35年も教員をしていて、誰も先生の凄さが分からない、誰も訪ねて来ない、みんな、自分のことにしか関心が無くて・・・。どこかおかしい、と思います。それは他の先生も同じでしょうね。

先生と教え子の関係・・・、在学中だけで終わってしまうなんて寂しいです。

焼き場までは一緒に行けませんでしたが、一区切りつきました。まだ初七日を終えたばかりですから、落ち着いたであろう頃合いを測って、奥様にお電話しようと思います。

<<でもきちんとお別れが出来て良かったですね

お気遣い、有り難うございます。はい、悔いを残さず済みました。
Posted by poohpapa at 2025年06月10日 06:45
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