明日はもう参院選の投票日なので、投票の参考にして頂くには明日(当日)記事にするより早いほうが良いので、今日2本目の記事として、再び、そのまま記事にさせて頂きます。テレ朝の「羽鳥慎一モーニングショー」で、またしても「日本にはネットで噂されているような外国人差別は無く、みんなデマ、作り話」との特集を流していました。つまり暗に、「現状を変える必要は無い、今のままで良い。日本で外国人優遇や不当利得なんてものは無い。そんなことを主張している政党に投票しないように」と誘導しています。
番組の中で、羽鳥慎一、「申し訳なさそう」「辛そう」な表情は一切していないので、制作側のスタッフと同じ考えなのかな、とガッカリです。リアルタイムで番組の LINE に意見しようとしましたが、できないようになっていました。意見を受け付けていなかったのです。ハッキリ「何党に、どの候補者に(投票して)」とは言っていなくても、公正な報道をしているように装った広義での選挙違反じゃないかな、と私は思います。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この問題の本質的なところは、優遇がどうこうではなく、
「外国人に日本人と同等の権利を与えるかどうか」
ということに帰結するのではないかと思います。
さらに詰めていけば、
「どういう外国人だったら、日本人と同等の権利を与えても良いか」
が根幹の議題となってくるはずです。
つまりは、仲間とみなすには、
「どのような条件をクリアする必要があるか」
ということですね。
条件を言葉だけで定義するのは簡単なことで、
「同じコミニティーの中で助け合い、苦楽をともにしてきたならば」
という内容で多くの日本人の賛同が得られるかと思います。
ただ、この「同じコミニティー」というのが曲者でして、
暗黙の了解として、次のように思っています。
1.同じ生活圏・経済圏に居住していること
2.同じ価値観を共有していること
1のほうは居住し仕事をしていれば、
勝手に組み込まれてしまうものですが、
2のほうはそう簡単にはいきません。
日本人はこの部分を安易に考えている傾向があります。
「価値観は、民族や文化によって大きく異なりすり合わせが難しい」
という事実を直視できていません。
これが「話せばわかる」と思っている部分ですね。
同じ人間であるから価値観に大きな差異はなく、
軋轢には何らかの誤解が生じているだけ、と考えてしまう部分です。
日本人は、日本人同士の価値観の差異を基準に考えているので、
「日本人は同じ人間である」=「日本人の価値観に大きな差異はない」
↓
「外国人も同じ人間である」=「外国人も価値観に大きな差異はない」
と勘違いしてしまうわけです。
(左派の「人間にファーストもセカンドもない」という主張はこれです)
しかし、異文化・異民族との間には、
決して埋まることがない、絶望的な価値観の差異があることもまた事実です。
異文化・異民族との「対話」の重要性とは、「誤解を解く」ことではなく、
「絶望的な価値観の差異」がどこにあるのかを知ることにあります。
その部分を棚上げにしておくができれば、
決定的な対立衝突が避けられますので。
このルールにおいて社会を形成しているのが米国となります。
同じ価値観を共有するコミニティーで分かれ、
別種のコミニティ間は必要最小限の付き合いで済ませます。
価値観を衝突させないためには、相互不干渉が原則です。
そのために、
「自己の選択の自由」(=他者からの不介入)
が最も重要な共通理念として掲げられているわけです。
米国人が言うところの「自由」とはこれを意味します。
「その選択いいね!素敵だね!」
と上っ面だけで褒めることが、彼らなりの社会の知恵でして、
自身の価値観に基づいた他人へのアドバイスなどはご法度となります。
この点で、来日する米国人はかなり戸惑うみたいですね。
「それは間違っているから、◯◯したほうが良い!」
と日本人は当たり前のように指摘してきますから。
(価値観が類似していると勘違いゆえの、親切心でのアドバイスです)
話が逸れましたが、前述のように米国社会では価値観の衝突は、
相互不干渉によって回避するものです。
しかし、どうしても衝突が避けられなくなった場合は、
当然ながら力の強いコミニティーの価値観が勝つことになります。
その時は「負けた側は一切黙れ!」となることも、
米国社会での基本的な原則なのですよ。
(負けた側がいつまでも騒ぐことは、社会が許容しません)
その米国においても、近年ではコミニティー同士の軋轢が増えてきています。
コミニティーの人数比により、力関係が変化してきたことが原因です。
これまで優位性を保っていたコミニティー側はもう必死です。
また、米国社会の「分断」が進んでいるとよく言われますが、
実情としては劣位のコミニティーの力が増してきて、
力が拮抗してきたというだけのことです。
これが、おそらく歴史上最も成功している多文化「共生」社会の姿です。
一方で、日本人の考えている「共生」とは、米国のような形ではありません。
在留外国人が「日本人のコミニティ」に入ってくるもの
(別種のコミニティを作らないもの)
だと無条件に考えています。
最初は、多少の軋轢があったとしても、
時間とともに「日本人のコミニティ」に馴染んでくるもの
だと勝手に思い込んでいる。
しかし、実際に在留外国人が増えるにしたがって
「どうもそうではない」
ということに、遅まきながら気づき始めたということになります。
そこに、昨今の「クルド人問題」により、現実の「共生」の姿を目の当たりにし、
一気に火がついたのだと思います。
私も、ここまで火が広がることを予想できていませんでした。
すでに今回の参議院選挙の最重要争点となってしまっています。
社会の変化というものは、全くもって予測しづらいものですね。
2025年07月19日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック

