昨日は36年前に亡くなった私の親父の誕生日。生きていれば124歳、毎年ちゃんと思い出す。
私が親父から掛けられた言葉で、今も忘れない言葉が二つある。
一つ目は、就職で上京する際に、新幹線の名古屋駅まで送ってくれて、ホームで、「お前がどんな女と結婚することにしても俺は反対しないから、結婚資金は自分で出してくれな」、という言葉。もちろん、うちは貧しくて他の兄たちもそうしていたし、「うん、大丈夫だよ、解かってるよ」と答えた。
そして、もう一つ、20歳で結婚の報告をした時に、「東京の人と結婚するということは、おまえがこっち(愛知県半田市)に帰ってきて暮らすことはもう無いんだな。だったら、わしらのことはいいから、和〇さんの両親を自分の親だと思って尽くしてやりなさい」という言葉。「向こうの両親にも同じように」、ではないのだ。私が帰省した際にいつも、寝たきりの親父に10万円のお小遣いを渡そうとすると、「くみちゃん(一緒に暮らしてお世話をしてくれている次兄のお嫁さん)にはあげたのか?」と訊いて、「大丈夫だよ、さっき渡したから」と言うと、「そうか、有り難う」と言って笑い、安心して受け取ってくれる、そういう親父だった。
「こないだ、義両親に旅行に行ってもらったよ」などと話すと、「そうか、それは良かったなあ」と自分のことのように喜んでくれた。義父母や元妻の妹たちからは、私は同じようにさせてもらっているつもりでも、「自分の実家のほうが大切なんだよね」と陰口を叩かれていたのは知っていた。情けなくて涙が出たことも。
もしもの話、義父が私の親父のような考え方の人なら、妹たちがお中元やお歳暮を自分のほうだけに持ってきていたなら、「うちのことはいいから、これは隣に持って行きなさい」と言っただろうな、と思う。自分が直接的に何かしてもらうより、他の誰かが喜んでくれるのを自分の幸せと思える人だった。そうすることで自分の息子が大切にしてもらえるもの、と信じていたんだろな。現実は全くそうではなかったけど(号泣
お袋も、「どんなに辛くても、愚痴を零す姿」を私は一度も見たことは無い。だから私は両親を尊敬する。
さて今日は、私より二つ年上の元妻の76歳の誕生日。うちの子供たち、誰もお祝いのメッセージを送ったりしないだろうな。私は「お前たちの母親なんだから、『お誕生日おめでとう』のメールくらい送ったら?」と言っているんだけど。ま、そうすると、「間違ったメッセージ」になりかねないもんなあ。これは当事者にしか分からないことではあるけど、当たり前の優しさが「裏目に出てしまう」ことは十分に考えられる話。あの母親だと、ある程度の距離を置かないと自分の人生を棒に振ることになりかねないから怖いよなあ。
責任転嫁でなく、もしも、義父母や義妹夫婦が当たり前の優しさ、思い遣りを持っていてくれたなら、私は今も夫婦を続けていたと思う。もちろん、今、最高の女房を得て幸せだから、結果オーライだけどね (^^♪
2025年12月11日
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