2005年10月04日

赤い羽根共同募金は、正直「不快」

誤解を恐れずに言うと、赤い羽根共同募金はとても「迷惑」だ。

私も、地震や津波の被災地に対して義援金や救援物資を送る、ということはしているが、駅頭などでの募金活動には協力しない。

10月1日からの一週間は駅頭を通るのが辛い。ボランティアの高校生や子供たちがズラッと並んで、こちらに向かって呼びかけてくる。協力しないで立ち去ると、なんか「人でなし」と思われていそうだ。

「協力しない=悪いことをしている」ということにはならないハズだが、それでも無理やり罪悪感を押し付けられるような気がしている。ならば、百円でも入れれば良さそうなものだが、それは不本意だから出来ない。今流行の「ホワイトバンド」に対するのと同じ感覚である。どうも信用できないのだ。それに、自分が偽善者になるみたいでどうにも嫌だ。どうせやるなら、そんな非効率的なものでなく、別の方法を考えてもらいたいと思う。

高校時代から疑問を持っていて、一人当たりの金額を決めて強制的に廻ってきた募金(箱)への協力を拒否した時の同級生(女子)の「蔑むような目つき」が忘れられない、ということもある。私は「(半ば強制的に)協力して当たり前」と決め付ける感覚が不快だったのだ。

それと、私の家など「本来は援助を受ける立場では」、と思えるくらいだったのに、募金を強制されるのは納得いかなかった。

で、駅前の銀行に用があったりしても、行き辛い。募金活動は立派な行為なんだろうが、私にとっては「迷惑」でしかない。羽根を着けていないと「未だ協力してない人」と思われて狙い撃ちで声を掛けられるから前を通り辛い。だから大きく迂回することもある。

なので・・・・・・・、私の机には「30年モノの赤い羽根」が入っていて、毎年10月1日が来ると机から出して使い回しをしている(セコッ!)
posted by poohpapa at 06:11| 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする