家主さんは道一本隔てた敷地にお住まいで、新入居者は一週間ほど先に引っ越してくるので、契約書はドアポストから未だ無人の室内に落としておく約束になっていて、家主さんにもそう話してあった。
用事が終わってお暇する際、家主さんが「これ、宜しかったらお食べください」と、何やら高級そうな缶入りのお菓子を渡してくれた。
うちは頂き物のお菓子が途切れないが、それでも「お、これはうちのが喜びそう!」と、凄く嬉しくなった。
駅まで徒歩15分くらいの家主さんのお宅には電車で行っていて、もう直ぐ最寄り駅、というところまで来て、携帯を入れようとしてカバンを開けると、茶封筒が・・・。
「あれ、これ、ナンだっけ・・・」と、しばらく判らず、中を見ると、
お客さんの部屋に落としておく約束の契約書だった
家主さんのお宅で、玄関に向かうべく廊下を歩いていて、その時も、
「では、これから○○さんのお部屋に契約書を落としに寄ります」とわずか数秒前に話していたのに、お菓子を頂いた瞬間に、「うちのが喜びそう」という思いが「契約書を届ける」という大切な用事を頭の中から玉突きでもするように一瞬で押し出してしまったのだ。
店に戻ってから家主さんに、「すみません、契約書は家主さん宛にお送りしますので、入居者さんがご挨拶にみえたら渡してください」、と電話すると大笑いなさっていたが、ホント、危ない危ない
で、私が何か頂いたり買ったりして「○○が喜ぶ」→「他を忘れる」というパターンは子供の頃からで、小学校の低学年の頃、友達の家に遊びに行った時、饅頭を出してもらって、それを自分では食べないで友達に、「饅頭、おかあちゃんが好きだから貰って帰っていい?」と訊いて「いいよ」と言われて1個もらって喜んで、忘れ物して帰ったりする、なんてことはよくあった。
どうかすると私が帰った後、裕福なその友達が残った饅頭を箱ごと忘れ物と一緒に届けてくれたこともある。きっと私が帰った後、母親に「アイツの家、貧乏だから、饅頭も食べられないんだよ。だから箱ごと届けてやっていい?」とでも訊いてくれたんだろう、と思う。
意地汚くて、みっともなくて、情けなかったが、友達の気持ちは凄く嬉しかった。その時の思考パターンが今も染み付いているようだ。
これからは何か頂いたら、喜ぶより先に「忘れていることはないか」を考えるようにしなければ
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もっと、気持ちよく持ってきてくれたんだと思いますよ。
子供の時ってあまり貧富に注意を払わないような気がします、主観的な意見ですけど。
屈託ない子供時代を過ごしたのは、昭和だからでしょうか。
お金よりあなたの命のほうが大事なのって母親の言葉は今でも思い出します。だから金が貯まらないのかな。(爆)
言い方としてはもう少し柔らかいと思いますが、たぶん、言ってたと思います(*^^)v
「貧乏だから」でなく「貧しいから」くらいでしょうか。でも、言ってますとも。「お母さんが饅頭好きみたいだから」では箱ごと届けてくれる理由としてはインパクトが弱く説得力に欠けますもん。
だから(事実そうですが)相当に貧乏ってことになってると思います。
それは友達の「思いやり」から、ですね。
子供って、無邪気に「グサッ」とくることを言ってしまうもので、言った方も言われた方も気にはしてませんね。私は「アイツんち貧乏」と言われたとしても、その通りなんで平気ではあります。
それに、おかあちゃんに一杯饅頭を食べてもらえるから、そんなことはどうでもいいんです。幸いなことに、お互いに貧乏を恥とは思ってないので、寂しいとかカチーンとくるとかは無かったですね。
ハリケーンさんが仰るように、昭和だからこそ、ですね。今なら親同士の喧嘩に発展しますね、間違いなく(*^^)v
優しいお母さんですね。なんかTVドラマに出てきそう・・・。
うちのお袋は、私が学校で腕を骨折して帰ってきた時、「なんだ、骨、折ったのか」だけでしたね。保険室の先生が家まで送ってくれたんですけど「しょうがないがね、子供のすることだで」、でヨシでした。
先生の方が拍子抜けしてたのを覚えています(*^^)v
ところで、子供って、ポッケにお小遣いを入れないで、ギュっと握り締めてるものですよね。それで、バランスを崩して川に落ちた・・・、たぶん道路脇の用水かなんかでしょうか。光景が目に浮かぶようです。
いえ、私も、赤信号で停止しようとして、左足をつこうと思ったら、そこだけ蓋がなくて川に落っこちたことがあるもので^_^;
↓
僕が喜ぶ
↓
お金を上げたことを忘れるwww
最高ですよ