午後から、山口県光市の母子殺人事件の裁判のニュースを見ていて、事務所で泣いていたからだ。お客さんは結局4時半に来店したのだが、その時点でも目は真っ赤に腫れぼったくなっていたと思う。
お客さんにはワケを話してしまった。かえってその方が「人情味がある不動産屋」と思ってもらえるかも。本当はそうじゃなくても
ところで、死刑判決というものが出てこれほど嬉しかったことはない。不謹慎と言われようが何と言われようが、嬉しいものは嬉しい。まだ判決が確定しているワケではないが、最高裁から差し戻された高裁での判決だから最高裁で審理がされ直すとは思い難い。上告は棄却されると思われる。いずれにしても、やっとゴールが見えてきた。自分の事のように嬉しい。
私たちは普通に生活をしていて、ふだんは事件のことも忘れているが、本村さんにとって、この9年の歳月はいかばかりであったろう。
市井には心無い誹謗中傷も氾濫していて、そのうちのいくらかは本村さんの耳にも入っていたに違いない。その苦労や心中を察していたら涙が止まらなくなってしまった。
私は、裁判の行方にも関心があったが、ここ数年は、本村さんが単に犯罪被害者遺族という立場のみならず人間として成長していく姿に感動していた。だから、一昨日の午後はずっと泣いていた。
3時なら何とかなる、と思っていたが甘かった
いつもなら、直前になって「遅れます」なんて連絡をもらおうものなら文句の一つも言いたくなるが、昨日は有り難かった^_^;
あと少し、もう少しで本懐が遂げられる・・・。最後まで見守りたい。
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記者会見での意地の悪い質問にも冷静に理路整然と答弁される姿は素晴らしかったです。9年間辛く長かったでしょうが、その時間が逆に元少年の本性を暴いたと言う点では意味があったのかもしれませんね。
納得の判決ですね。この上は早く確定を取り、すみやかに処刑してもらいたいものです。鳩山さんは法相としての能力はともかく、刑の執行をためらわないので、この点だけは評価できます。長勢さんの前の、杉浦というバカは、法相になりながら、信仰上の理由で執行命令書にサインしないなどと抜かしました。(←だったら法相になんかなるんじゃねーよ!バカ野郎)
復讐権の無い国民に代って、国家はこれを粛々と行なう義務があると考えます。それでこそ法秩序が維持出来るのですから。最期のときまで目が離せませんね。
それにしても、本村さんは凄い。
普通の状態でも、あれだけ冷静に論理的にしゃべれる人は少ないでしょう。
半笑いの人権弁護士の貧相なこと。
弁論の専門家たる政治家が原稿すら満足に読めない時代なのに。
どうしても、私にはその気持ちに共感できません
木村さんが言ってました「これで3人の命が奪われる」と・・・
亡くなられた二人が今天国にいて、果たして極刑を望んでいるのか?
例えは悪いけど、もし自分が殺されて家族が9年もの復讐に時間を費やそうとするなら、私なら天国から絶対に止めさせます
それで自分が地獄に落とされるとしても、やっぱり止めると思います
もし残された家族が一人出なかったら、きっと違う運命になっていたかもしれません
失うものが無いと言うのはとても怖いです
とても巧妙な悪魔に心を支配されたら、どうなるか分らないと思います
木村さんは今きっと悪夢から覚めかけて現実が見えてきたんじゃないかと思います
判決が出て自分の心を凝らせていた氷が溶け始めているんじゃないでしょうか
犯人にも死刑を回避する道はあった筈です。それは木村さん自身にもあったと思います
これで復讐が終わって、あとに何が残るんだろう
多くの人が喜びに似た感情を表しているけど、
それっていいのかな?
どうしても、喜ぶ気持ちにだけはなれないんです
悪徳さん ごめんなさい
もうひとつの視点とは、これから始まる裁判員制度について、もしも私がこのような事例で裁判員として参加することになったら、私はどのような判断をすることが出来るのであろうかという気持ちを持って、見つめてきました。
1個人としては、もしも私が本村氏と同じような立場になったら、同じように行動したかもしれません。
でもここまでの事は出来なかったかもしれません。
私は小さい人間ですから・・・
裁判員としてこの事例に関わった場合は、私は冷静な判断は出来ないのではないかと思います。
産経新聞に載せられた全文を読んで、ここまでを考えなければ、人の命について他人がどうこうは決して言ってはいけないのではないか、という気持ちにもなりました。
もうひとつ。
私は加害者の立場・気持ちを思い図る事はできませんでした。
あの行動と、彼の発言の数々は、私はとても受け入れられるものではありません。
古い映画ですが、十二人の怒れる男という映画を見たことを思い出しました。
私はあの映画のヘンリー・フォンダのように、冷静に物事を見つめられるのかどうか、自信がありません。
今までは傍観者の立場で、好き勝手な物事を言ってこれましたが、これからの世の中は違います。
好き勝手を言うのならば、責任というものが付いてまわる世の中になってきます。
まったく自身がありません。
刑事訴訟とは縁の無い世界で生きてゆければ、どんなに良いことなのでしょうか。
仕事柄それを常に意識しなければならない世の中になりましたが、さらに私生活でも関わらなければならなくなります。
果たして自分の判断が確かなものなのか、人の命を今以上に左右することは、さらに引き受けなければいけないことなのか、と昨日から考えています。
すみません、poohpapaさんのお題とは違う流れになってしまいましたが、この裁判でそんなことを考えてしまいました。
失礼します。
(もっとも今回のような死刑に関するような裁判に陪審員制度は適用されないようですが。。。)
下記リンクに実際にあった裁判と判決の事例がありますので陪審員になった気分で考えてみてください。私はほとんど的外れな結論を出しました。
(直リンクしていないので頭にhを足してこぴぺしてください。)
ttp://www.tanteifile.com/diary/2008/02/28_01/index2.html
ttp://www.tanteifile.com/diary/2008/03/07_01/index2.html
ttp://www.tanteifile.com/diary/2008/03/15_01/index2.html
陪審員制度→裁判員制度
きわどい内容もありますので18禁でお願いします。(汗)
私は、ガッツポーズでなく、胸を撫で下ろして大きく息を吐きました。感動の表現は人それぞれにいろいろありますから、おそらく判決の瞬間には日本中で、いろんなガッツポーズが出ていたもの、と思います。
それにしても、裁判が早くなったとはいえ9年。長すぎますよね。たしかに、意義は有ったのでしょうけど・・・。
後で頂戴したリンク先、時間を掛けてゆっくり拝見します。すみません、未だ見てなかったのですが、とても興味がありますので。
と言いますのも、私は昔、東京弁護士会が主催する「日本の司法を考える会」のメンバーだったくらいですから(*^^)v
いつも有り難うございます。
そうですよね、自分の任期中に「死刑の執行命令書に判を押す気がない」なら、法務大臣になってはいけませんよね。
それじゃあ「ただ大臣ポストが欲しかっただけ」になります。
昔は豪傑とも呼べる法務大臣がいて(前任者が嫌がって判を押さなかった執行命令書を)「どんどん持って来い」と指示したとか。そこまではいかなくても、厳粛に進めて欲しい、少なくとも職務に忠実であって欲しい、とは思いますね。
私も「宗教上の理由で」という話を聞いた時には「はあ!?」と思いました。そんなの正当理由になってませんものね。
鳩山さん、たしかに、その部分だけはイイですね。
謝って頂くようなお話ではありませんよ〜。
私は、いろんな考えがあって良い、と思うのです。問題は、その「表現方法」なんですね。
私のサイトにも、さまざまな意見が寄せられますが、同じことを言うにしても「他に言い方とか表現方法があるだろうに」と思うことがよくあります。で、しんのすけさんのコメントで、そんなふうに感じたことは一度もありません。いつも気持ちよいコメントを頂いて感謝しています。
それと、どんな反論でも先ず聞いてみて、その後に受け入れるかどうかは本人(私)次第です。そういう度量は必要だし、私は「そこそこは持っている」と自負しています・・・、疑わしいかも、ですが^_^;
さて、本題です。
本村さん、今は復讐など望んでいない、と思うのですよ。私たちは誤解しているのでは、と思えるのですが、本村さんが求めているのは「現在の日本の法律での最高刑」であって「死刑」ではないと思います。
事件直後は「死刑」に言及したり、「刑務所から出てきたらこの手で殺したい」と仰ってますが、この9年で本村さんの考え方も変わってきた部分もあるでしょうし、言葉も選ぶようになりましたね。それだけ壮絶な苦労をなさった、ということでしょう。
ネットなんかでは死刑の是非という問題を絡めて本村さんを非難する意見もありますが、誤解して攻撃している人たちも多いようです。だいいち、被害者の遺族が極刑を求めるのは当然の事で、それを部外者が非難するのは筋違いで、死刑制度に異論があるなら、裁判所や政治家に言えばよい話ですもんね。
それにしても、これほど多くの国民が「死刑判決を待ちわびた裁判」はかつて無かったことで、それも凄いこと、怖い話です。
でね、
<<亡くなられた二人が今天国にいて、果たして極刑を望んでいるのか?
それはキレイ事、だと思います。だいいち、そんなこと判りようがないでしょう。遺された人の意思で動けば良いもの、ではないでしょうか?
私が殺された人間で、残された家族が「死刑判決」を望んだなら喜びます。天国(地獄?)から「止めてほしい」などとは思いません。好きにやらせます。というか、そう希望します。
本村さんは復讐しようとしていたワケではありません。そして本村さんが闘っていた相手は、世間の偏見や関係のない死刑廃止論者、裁判所、とくに被告側の弁護人、だったと思うのですよ。そこを取り違えてしまうと議論は噛み合わなくなります。
いえ、誰と、ではなく、自分自身と闘っていたのかも知れませんね。
私たちには、そのことを思い遣る優しさが必要なんだと思います。
私は、素直に、そして確信を持って、この判決を喜びます。
すみません、返信の順番が前後してしまいまして^_^;
私も、本村さんの会見を聞く度に、凄いな〜と感心しています。うちの長男と同い年なんですけど、いつもその違いに愕然とさせられます。
気になっていることがありまして、早く笑顔が帰って欲しい、ということでして、今は無理でしょうけど心底その日が早く来るよう願ってます。その為にも、一日も早く最高裁の判断が下されるといいですね。
そうですね、死刑判決だけに目が向きそうですが、近く始まる裁判員制度のことを思えば別の問題も出てきますね。
無作為に6人集めたとしても、その多くが人生経験豊富で的確な判断力がある、とは限りませんし、私自身も70%か、せいぜい80%くらいの自信しかありません。
裁判員になった人が、マスコミによって先入観を植え付けられる可能性もあるワケですし、かと言って、報道の自由を侵すこともできません。そうは言っても、とにかくマスコミは信用できませんから。
この裁判で、もし裁判員制度が採用されていたなら、どうなっていただろうか、と私も思いました。結果は同じだったでしょうけど、きっと問題点はゴロゴロ出てきただろうな、と・・・。
日本で、この制度が上手く機能するようになるには、かなりの試行錯誤と年月が必要になるでしょうね。
私は、し〜さんのコメントを拝読して、死刑とか死刑制度に関して、ご職業柄、何かお考えのことがあるのかなあ、と思いました。
もしも、ですよ、
し〜さんの病院に、重大な犯罪を犯した人間が自らも大怪我をして担ぎこまれたとして、それがどんなに凶悪犯であっても、お医者さんならきっと全力で助けようとなさるものでしょう。
人の命を救う職責があるお医者さんの立場でいらっしゃれば、死刑制度とかは容認しがたいものがあるので、今回の判決も喜んでばかりはいられないのでは、と深読みしてしまいましたが、そういうのは関係ないものでしょうか?
お医者さんと同様、弁護士さんもまた、職責を果たそうとするのは当然のことでしょうね。でも、あの弁護団には方法の誤りがあった、ということは否めませんが。
すみません、私のほうこそ脱線してしまいまして^_^;
まだ終わっていませんが、いろんなことを考えさせてくれた9年です。
人間も、人生も、深いもの、ですね・・・。
ご返事有難うございます。
私の場合、目の前にいる方が病気や怪我をしていたら、親の仇であっても最期までお手伝いすることでしょう。
実際、私の父に支払いきれないような借金をおっかぶせた親類が(もちろん親父は死ぬまでにキッチリ清算しましたが)当時の勤務先に救急で運ばれたときも、自分自身では手を抜くことなく最期までやれることは手伝ったつもりでいます。
私は死刑反対論者ではありません。
治すつもりも無く(いやそんな医師はひとりもいないと思いますが)故意に冒険を冒す者は、万死に値すると私は思います。
たとえ生命に影響なくとも、です。
私も若い頃、故意ではないのですが最善ではない処置をしでかしたときに、先輩上司に何回人殺しと詰られたことか・・・
私と回りの同僚と、そして日本で働くほぼすべての医師が思う事は、そういう所にではありません。
自分の持ちえる知識と技術と、その場その瞬間で確保できる力を総動員しても助けられなかった場合、若しくは、助かっても満足してもらえなかった場合にどうなるのか、ということです。
民事訴訟ならお付き合いしなければならないかとも思いますが、刑事訴訟では身も心も削がれます。
すみません、またお話が外に逸れてしまいました。
人生長いですから、辛いことの後には必ず楽しいことが待っていると信じています。
今はちょっと辛い時期に嵌っているだけなのでしょう。
お医者さんで例えるならまったく経験の無い困難な手術を経験者の助けも無く本で読んだ知識だけで無理やり実行して失敗したようなもので偶発的な理由も無く、弁解の余地も有りません。
最善を尽くしての結果とはまったく違いますのでご自分と重ねあわせる必要は無いと思います。
じゃぁ少年の死はどうなのか・・・とても難しいですね。ただ、本村さんは執行されれば3人の命を背負って生きていくと言われました。本当に凄いです。
意図的にHNをお書きにならなかったのか、単にお忘れになったのか分かりませんでしたので、このような書き方に・・・^_^;
今まで頂いたコメントから、○〜さんの優しさやお人柄は本当に充分伝わっておりますので、私は、○〜さんなら「どんな患者さんに対しても全力で職責を果たそうとなさるもの」、と信じておりますよ。
お医者さんになられた初期の頃に失敗をなさって、その時の先輩の言葉で今もなお深く傷ついていらっしゃるのが何よりの証です。といいますか、先輩医師の言葉は愛のムチだったとしても、非常に心無い言葉だったと思います。
よく、治療に当たった医師に対し、業務上過失致死として損害賠償や慰謝料を求めて裁判が起こされますが、私はこう考えています。
治療(手術)方法の選択肢が三つ有ったとして、主治医が「これが最善の方法」と考えて選択したものが結果的に間違いであったとしても、それは業務上過失致死には当たらないのでは、と。
他の方法を選択しても助かったかどうかは判らないワケで、医師の責任を問えるのは、すべき処置をしなかった職務上の怠慢が有ったケースと、患者や家族に対する事前の説明が不充分であったケースで、それであっても後者のケースでは責任までは問えないのでは、と。
と言いますのも、基本的に医師は「患者を助けようとして最善の努力をしているもの」と信ずるに足るからです。金儲けに走るのは一部の医師だと思います。ま、個人でジェット機を所有している美容整形外科医とか、セレブを気取る女医だとか、ですね。
人の命に関わることですからミスは赦されないとしても、それならば高額の報酬が得られるシステムになっていなければなりません。リスクが大きく報酬は見合わないなら「医師のなり手」はいなくなります。
ついでと言ってはナンですが、もう一つ、
病院を「たらい回しされた」として、よく訴訟が起こされたりもしてますが、あれもマスコミが「病院側が悪い」という姿勢で正義漢ぶった報道を繰り返すので国民は「最近の病院や医師はモラルが低下している」などと決め付けていて、それもどうかと思います。
目の前に緊急性を要する患者が運ばれているなら、医師が「助けなくて良い」「面倒だから他に行ってくれ」などと思うワケがなく、受け入れたくても「今、ここでは充分な処置ができないから、より良い治療が受けられる他の病院があるなら託したい」との思いで断っているのは明白ですよね。
なのに、「患者さんは3時間もたらい回しされた挙句お亡くなりになりました」、と報道されてしまいますから堪りませんよね。
責められるべきは、現場の医師でなく、救急医療の万全なシステムを構築できないでいる国や厚生労働省だと私は思っています。
偉そうに済みません^_^;
次元は違いますが、お医者様も不動産屋も「上手くいって当たり前」「(うっかり、であっても)ミスは赦されない仕事で、何かと言えば「損害賠償」を求められたりするので辛いものがありますよね。
相手に見えないところでいろんな努力をしてたりもしますが、感謝されないどころか文句だけ言われたりしますし・・・。
って、ナンだか愚痴になっちゃいました。それも長いし(*^^)v
お互い、気を取り直して頑張りましょう!
私の返信より素早くナイスフォローを有り難うございます。
この裁判に関しては、おやぢさんの仰るとおり、「弁護団がプロとしての仕事をしなかった」というのが全てだと私も思います。
最初から全面的に反省の姿勢で貫き通させていたなら死刑判決は免れたのでは、と思っちゃいます。
昔、プロ野球の南海ホークスの名将「故鶴岡一人監督」の言葉で、「勝負は下駄を履くまで分からん」というのがありますが、裁判も同じで、被告が、一審二審で無期懲役判決が出たことで未だ判決が確定していないのに友人宛に不用意な手紙を送ったことが「死刑判決」の引き鉄になったのでしょう。
弁護団も、自分たちの言動がマスコミでどう報道されるか、世間にどう受け止められるか、ということは分かっていたハズで、一連の姿勢は「どうぞ死刑にしてください」と言ってるようにしか見えませんでした。
それにしても、一人の刑事被告人を弁護するのに、あれだけの数(21人)の弁護士が必要だったのでしょうか。目的は被告人の弁護でなく、死刑制度の廃止だった、と解かりますね。
皮肉にも、死刑制度反対で鳴らしている弁護士集団が死刑を推進してしまった結果になりました。安田弁護士の責任は重いでしょう。
でもって、本村さん、「立派」の一言に尽きる、と私も思います。
poohpapaさん、的確なご返答、ありがとうございます。
お書きいただいた、業務上過失致死、まさにそのとおりのことを、我々は日常的に冒していることになります。
先輩に叱られた件は、これは決して私がミスをしたのではなくて、教科書どおりの事を何も考えずにその通りにしてしまった事を、強く叱責されたということです。
今では私も同じ事を後輩に言っています。
おやじさん、ご心配ありがとうございます。
私自身は自分を彼に投影はしておりませんので、大丈夫です。
基本的にはpoohpapaさんが思われたことと似たような気持ちを持っています。
名前の件、書かなかったのは、他意はありません。
ただ、忘れてしまっただけです・・・気を使ってもらってすみませんでした。
なんとか明日から3連休をいただけそうなので、遅れたGWとして家族サービスしてきます。
それでは。
そういうのは、能力不足とか知識不足ではなく、経験不足、なんでしょうね。経験だけは、どんなに優秀でも最初から備わっていることは有り得ませんから、ご自分を責めなくとも良いのでは、と思った次第です。
余計なお世話で済みませんでしたm(_)m
お医者様は、我々の仕事と違って一つのミスが患者さんの生死に繋がったりして、日常的に相当なストレスを抱えていらっしゃるものでしょうね。
遅れてのGW、ゆっくり寛いで過ごして頂けますよう願っています。