2022年10月11日

甦った17年前の記憶

歳をとると、どういうワケか、昨日や一昨日の記憶が飛ぶのに昔のことは鮮明に覚えていたりする・・・。

某住宅メーカーの本社に行くと、受付に、今までお見掛けしたことのない女性がいた。後でお話を伺うと、息子さんは国立の難関大学に進んでいて、頗る感じが良い。その日は不在だったいつもの顔馴染みの受付嬢にあげよう、と持参していたお菓子を差し上げると凄く恐縮して「私なんかにいいんですか?」と訊く。

その後に、息子さんが入っている(大学の)寮のことで相談を受け、アドバイスをしたら喜んでくださって、次に本社に行った時、受付から出てきて私に、「先日は有り難うございました」と、ブランドもののハンカチーフを差し出す・・・。「いや、お菓子はみんなに差し上げてるし、相談だって大したことではないし、これでは申し訳ないです」と言いつつも、せっかくのご厚意、これ、私が辞退したら先方が気にしてしまうだろう。

有り難く頂戴することにしたのだが、以前も同じようなことがあったな、と、昔のことを鮮明に思い出した。

今から17年前の10月のこと、このブログを始めて間もない頃の出来事、忘れられない思い出、である。

今時、こんな奥さんもいるモンだね〜

その時に頂いたハンカチも大切に保管している。相手の気持ちを考えたなら「普段使い」したほうがいいのだろうけど、根っからの貧乏性だし、思い出も気持ちも詰まっているし、使い古してしまっても捨てられないのだから、生きてる限り「頂いた時のまま」の状態で持っていたい、と思ってしまう。困った性分だ(汗

先日の相談の続きは有ると思うから、また相談に乗って差し上げよう。逃げるワケでなく、「不動産屋ができる(しても良い)ことには限りがあるので最終的には弁護士さんに相談なさってくださいね」とは伝えた。それでもその住宅メーカーに行く度にご相談には乗らせてもらうつもり。見返りは不要なんだけどな・・・。



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2022年09月17日

小さな善行、昨日のこと

三鷹の物件を案内することになり、いつものように現地待ち合わせ。中央線の三鷹駅から徒歩だと30分以上ということで、バスを使うことにしたのだが、地理不案内で方向音痴、30分の余裕をみて出発した。

予め、南口バスターミナルの「鷹54」から乗車、という情報を頂いていたが、ちゃんと見つけられるか不安があり、「地図も印刷して持っているから、最悪の場合、歩けばいいか」と思っていたが意外と早く乗り場が見つかり先客の後ろに並んだ。本数も多いから私のほうが遅れることは無さそう、と思っていたら・・・、

見るからに(アジア系の)外人さんと思しき若くて綺麗な女性が私のほうに寄ってきた。他にも10人くらいいたのだが私に声を掛けてきた。「もしかして何かのハニートラップかな(なワケない)、だったら受けてやろう」と思っていたら、「調布駅に行きたいのですが・・・」と流暢な(日本人と変わらない)日本語で言う。

調布駅に行くバス乗り場は、私が調布の深大寺の大家さんのお宅に伺う際にいつも使っているが、ロータリーとは少し離れたところにあって分かりにくい。しかも同じバス乗り場から2系統出ていて、間違えると武蔵境駅に行ってしまう。それで、「調布駅に行くバスの乗り場はここからは離れています。(日本語は堪能だけど)言葉で説明しても分かりにくいので、私が一緒に行きましょうね」と伝えて一緒に向かった。

途中で、私を気遣って「お時間は大丈夫ですか?」と訊かれたし、頗る感じが良い。「大丈夫ですよ、早めに出てきたので十分に時間がありますから」と言うと安心してくれた。バス乗り場まで一緒に行って、「調布駅行きは、電光掲示板に『あと1分でバスが来る』、と出ています。最初に来たバスに乗れば間違いなく調布駅に行けますよ。あなたが間違えないで乗ったかどうかを見届けますから安心して」と言うと笑顔。

「東京のバスはいっぱい路線があって、分かりにくいよね」と言うと、また笑顔。丁寧にお礼を言われた。「どちら(の国)からおみえになりましたか?」と訊くと、「ネパールです」とのことで、歳は20代前半かな。

直ぐに調布駅北口行きのバスが来て、彼女が乗り込んだので無事に任務終了。私は「鷹54」に戻った。私が乗ろうとしていたバスは出て行ってしまったが、それでもまだまだ時間に余裕がある。「なんならあと2〜3人、バス乗り場を訊かれて案内しても大丈夫なくらい」と、いい気分になった。自己満足だけど(^^♪

よし、今日はSNSをチェックしよう。「日本でこんな親切を受けました、日本人最高!」とか出てるかも(爆

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2019年04月03日

期せずして、花見

昨日、国立市(矢川駅と谷保駅の中間あたり)の物件の広告用写真を撮りに行った。

矢川駅に着くまで国立の桜並木のことはすっかり忘れていたが、物件を撮りに行くために持参したカメラで桜を撮ることが出来てラッキー。国立の桜を撮るのは、今からちょうど15年前に発売された Nikon の初期の頃のデジタル一眼 D70 の試し撮り以来。

その前に・・・、ちょっと感動した出来事を、

矢川駅から物件に向かう途中、矢川駅から100mも歩いていない地点で、私の目の前で、横から来た自転車が勢いよく転倒。乗っていたのは小学校5〜6年くらいの男の子。あまりの勢いにビックリして、「大丈夫か?」と声を掛けると「大丈夫です」と答えながら起き上がろうとしていて、私が自転車を起こしていると、先に行った友達が戻ってきて一緒になって「有り難うございます」と頭を下げる・・・。

昨今は「最近のガキは・・・」と思うことも多いが、気持ち良かった。大袈裟でなく「まだまだ日本の子供たちは捨てたモンじゃないな」と思えた。そういうのは家庭の躾なんだろうな。以前はその近くで、通り過ぎる自動車に小石を投げて歓声を上げて走り去る子供を見掛けたが、そいつらとは雲泥の差である。

先に行った友達に追いつこうとして焦っていたんだろうけど、あのスピードじゃ歩行者と衝突していたかも知れないから危ない。もしかすると、私を避けようとして転倒したのかも。「気を付けて行きなさいよ」と声を掛けると再び「はい、有り難うございます」と軽く頭を下げて去っていった。

これが私でなく、うちの隣家のTさんなら説教が始まって延々続いていたと思う。「私はアンタの為を思って言ってるんだよ」とか言って。いや、以前にそういう場面に遭遇しているから (^◇^)


さて、国立の桜、

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大学通りの歩道橋の上から国立駅方面を撮る

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同じく、後ろ側の谷保駅方面を

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桜の花をアップで

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こちらは「桜通り」で、かなり伐採されていて全体的に寂しくなっている

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国立駅の近くで。奥のマンションの上階ならバルコニーから花見ができそう

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ついでと言ってはナンだけど、三浦友和・山口百恵さん宅(アパートから100mほど)


国立の桜は以前は見事だったけど、虫食いなどの影響でずいぶん伐採されてしまって最近は観応えが無くなっている。国立駅前の大学通りと交差する桜通りなんて見る影もない。それで、帰りは矢川駅に戻らずに国立駅に向かうと、写真を撮る人や桜の花の下でお弁当を食べる人たちで賑わっていた。

ただ、みんなスマホで撮影しているのが不思議。たまに一眼レフを持っている人もいたけど、たいていは中高年で、比較的若い人は100%スマホ。スマホじゃ奥行き感のある「いい写真」は撮れないだろうに・・・、と思う。SNSにアップしたりするだけだからいいのか。ま、大きなお世話だけど (*´з`)

仕事で出掛けたんだけど、一眼レフを持って行けば良かったなあ・・・、と後悔した。

桜を観ると、「日本に生まれて良かった・・・」と思う。あと何年(何度)観られるんだろ・・・。




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2019年03月31日

三渓園でのハプニング

三渓園に着くと、フジテレビの中継車があった。「桜の開花状況の中継かな、まだ三渓園から中継するには早いだろうな・・・」と思っていたら、夕方の報道番組の中での天気予報の生中継。

番組は、夕方16時50分から放送の「プライムニュース イブニング」で、後で知ったのだが、我々が三渓園に行った28日(木曜日)の翌日の29日が最終回。「店仕舞いイヴ」って感じで、今思えば、スタッフの雰囲気にどことなく悲壮感が漂っていて暗かったのはその所為?

1年で終わるのだから視聴率が低迷してたんだろな、と思う。HPを見ると、面子が悪いもんね。

で、ウォッホン!、私が出演したことが無いテレビ局はフジとテレ東だけ、NHKにも出ているから、ここはお天気お姉さんの後ろで「池の鯉に餌をやっているとこ」だけででも映りこみたいもの。ま、それじゃ出演したことにはならないんだけど、さしあたってはそれでもいい。直ぐうちのに電話して「録画しといて」と依頼。同時に、後ろにある売店で「鯉の餌」を100円で購入。気象予報士が喋り始めたタイミングを計って餌やり開始。

いい歳こいてどこまでもミーハーで、困ったモンだ。ところが、である。それ、リハーサルだった(およよ

その時の収録の様子がこちら、

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お綺麗ですね

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こんなのが立てられていました


家に帰って録画したものを見てみたら、しっかり映っていたのは別人の太めのオヤジ (残念


ちなみに、気象予報士のお姉さんは酒井千佳さん。京都大学出身だって・・・、才色兼備なんだ・・・。

横浜で生まれ育ったTさん曰く、「みなとみらいだとか山下公園とか、そこそこ雰囲気のある街を散歩していると、たいていはどこかの局が中継しているかドラマの撮影をしているのに遭遇するよ」とのこと。羨ましいな、そういうの。例えば、「ご出身はどちらですか?」と訊かれて「愛知県です」と答えて、「愛知のどこ?」と更に訊かれて「半田です」と言うと、「ああああ・・・」で後の言葉が出てこないから。

だいたいが立川で何かの中継や撮影をしているのなんて滅多に見ないもんなあ・・・。

           続く



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2019年03月30日

横濱三渓園へ

実は、一昨日の木曜日に物件の下見で横浜まで出掛けていまして、何件か横浜のTさんに案内して頂き、そのついでに、と言うか、せっかく横浜まで出たのですから、横浜でも「今まで行ったことが無かった」三渓園を訪れることにしました。訪れる、と言うより連れていってもらった、というのが正しいのですが。

その三渓園の様子は後日書くとして、先ず、往きの南武線快速の車内での出来事を。

立川から川崎まで向かい、そこから京浜東北線に乗り換えて横浜に向かったワケですが、有り難いことに立川は南武線の始発駅。7人掛けのシートの一番端に座っていると、途中の駅から3歳前くらいの幼児を抱っこしたお母さんが乗車してきました。少し離れていましたが、腕を伸ばしてお母さんの袖口あたりを「ちょんちょん」と突いて、「こちらにどうぞ」というふうに自分の席を指さすと、お母さんは「有り難うございます、直ぐにおりますので」と笑顔で辞退。そして、ちょっぴり感動的な場面が待っていました。

快速電車なので何駅か通過した次の駅でその母子は降りたのですが、けっこう混雑していたのにお母さんが私の傍まで寄ってきて丁寧にお礼を言ってくれたのです。私も思わず「どうぞお気を付けて」と言ってしまいました。そういうのは珍しいですね。私も今までに相当に席を譲ってきましたが、降車する際にお礼を言われたのは2度目。今回は申し出を受けなかったワケだし、たいていは辞退したところで終わるもの。もちろんそれでかまわないのですが、なんかほのぼのします。朝から気分が良かったです。

ところで、南武線て、ベビーカーの親子が多いんですね・・・。車内は混雑しているから危ないんじゃないかとハラハラして見てました。時折り、中央線のラッシュ時でもベビーカーの親子を見掛けることがありますが、どうしてもその時間でなければならないのなら抱っこ紐で抱っこしてもらうのがいいかな、と・・・。 車内の中ほどまで行って座席の前に立てば、たいていは席を譲ってもらえるのでは、と思いますね。

そんなことを言うと、「そんなことを言う人がいるから子供が産めない、育てにくくなる」とお叱りを受けそうですが、混雑する時間帯や電車でのベビーカーの利用は余程の事情が無い限り、あるいは他の乗客や自身の子供の安全のためにも避けて頂いたほうが賢明かと思いますね。もっと言うなら、本音では、混雑車両でベビーカーの親子を見るとイラッとしますね。前述のお母さんもベビーカーくらいお持ちだと思うのですよ。それでも抱っこして乗車しているワケで・・・。

とまあ、いろんな人がいますね、他人のことは言えませんが (*^_^*)

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2018年10月04日

面倒なことを依頼したら凄く喜んでくださった

伊勢丹の地下に用があって訪問した際、ワイン売場の棚を見ると、折り紙で作られた亀が置いてあったのだが、実に精巧に作られていて驚いた。それでいつものソムリエールさんに「これ、どなたが作ったの?」と訊くと、隣の日本酒売り場を指さして「あの方ですよ」と言う・・・。

あの方、というのは売り場担当者ではなく、お客様。見ると、車椅子に乗っていらっしゃる。

直ぐに呼んでくださって、私が「素晴らしい折り紙ですね。こんなの初めて見ました。宜しければ同じものを折って頂けませんでしょうか?」と訊くと、人懐っこい笑顔が返ってきた。そしてアッサリ「いいですよ」と言う。それ、大きさが大中小3種類あるから「親亀の背中に子亀を乗せて、子亀の背中に孫亀乗せて♪」になる。

伊勢丹に飾ってあったのは黄土色っぽかったが、「何色で作りますか?」と訊かれて、「亀だから・・・、緑色で」とお願いして、一週間も経たないうちに伊勢丹に届けてくださった。届いたのが、こちら、

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一枚の紙で折るのでなく、一つの亀に使用する紙は15枚ほどとか。

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たいへんな手間だと思うが、「おカネは要りません、私のできることで喜んでくださる人がいれば幸せだから」と仰る。それでは申し訳ないので、「何かお菓子でも」と言ったのだが固辞。それで、「お肌は丈夫ですか?」と訊くと、「あまり・・・」と笑う。「じゃあ、こないだイタリアに行ってきた時に買ったオリーヴオイルで作られた洗顔石鹸がありますから、それを差し上げましょうか?」と言うと大喜び。

「お肌、そんなに傷んでないようですよ」と言うと、「もう歳だから」と笑って免許証を見せてくれた。見ると、うちのと生年月日は2ヶ月違い。「顔、触ってもいいですよ」と言うので触らせて頂いたが、けっこうスベスベ。伊勢丹の地下で思わぬ「お触りタイム」になった (^◇^)

さらに話を進めたら、鶴や孔雀、猫といった大作も折れるらしい。ただし、それらを折るのはお母さんとか。紙を半年に一度わざわざ岡山の倉敷から取り寄せているらしい。それで「半年くらい待って頂けて、紙代だけ負担して頂けるなら母に折ってもらいますよ」とのことで、もちろん三つとも全部お願いすることに。紙代と言っても1200円、それ以外は一切頂かないとのこと。うちの店より徹底している。

気が遠くなるような作業で相当に面倒なものだと思うが、この方は、「自分が他人様から必要とされていて、他人様に喜ばれることに幸せを見出している」ということなんだろう。

猫は「三毛と黒猫と、どちらにしますか?」とのことで、三毛でお願いした。

出会いに感謝、半年後が楽しみである (*^_^*)

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2018年06月05日

これ以上ない最悪のタイミング

銀行のATMで振り込みなどの操作中に携帯電話が鳴ることはよくあるが、昨日、これ以上にタイミングが悪い着信は無い、という最悪のタイミングで電話が掛かってきた。

立川駅の南口に三菱UFJ銀行のATMが2台あるコーナーがあって、入ると2台とも利用者で塞がっていて、私の後ろにも直ぐ2人並んだ。前の一人が終わって、さあ私の番、とATMの前に行き、操作ボタンを押して通帳を入れようとしたところで着信・・・。番号を見ると三鷹市か武蔵野市の市外局番。てことは、先日申し込みが入って既に募集を停止しているアパートの問い合わせ、だと見当が付いたのだが、後ろには人が並んでいるし、私のATMの用事は長く掛かりそうなので操作を止めて次の人に順番を譲った。せめてあと1分ずれていたら用事を済ませることが出来たのだが、間が悪い時はこんなもの。

外に出て電話を終えて、改めて後ろに並び直したが、ここのATMは2台。ついでがあったからたまたまそのコーナーを利用しようとしたけど、また着信があると面倒なので、帰りがてら駅北口の立川支店に廻ることにした。立川支店にはATMが20台ほど並んでいるから、月初めは後ろに並ばれることも少ないし。ま、そんなに設置してあっても月末は外まで利用者が溢れていたりするが。

それにしても、私の動きを見ていて嫌がらせをするかの如きタイミングの着信には参った


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2018年04月16日

呆れた騒動

横浜の旧知の同業者さんに某中古一戸建住宅の売買に関する経緯を伝えるために電話していた時のこと、先方の電話の周辺がもの凄くうるさくなった。救急車のサイレンとかアナウンスが響き渡っている。

「どうしたの?、何かあったの?」と訊くと、「すぐ目の前に消防車が来ている」とのこと。携帯に電話していたので、私と話しながら外に出ていたようで、数えたら消防車の数が13台だとか・・・。その地域の消防署の全部の消防車が駆け付けているかの如く台数で、救急車もパトカーも来ているようだ。

火元は電話の相手の隣りの建物らしいのだが、炎も煙も出ていない。火事だと言われれば「少し臭うかな」という程度。真昼間のことで当然に近所の人たちも外に出てきて騒然となる。電話どころではない。

「仕事の打ち合わせ」のハズが「火災現場の実況中継」になる。だが、火災そのものは起きていない。聞くところによれば、「近所に精神異常者が住んでいて以前も二度ほどガセの通報をしているので今回もその男の仕業かも」とのこと。だとしたら迷惑な話である。もしかすると他で本当に火災が発生して、一分一秒を争う現場への消防車の到着が遅れる、なんてことも起こり得るのだから。

非通知にしていても通信履歴から犯人は特定できるものだろうけど、もしその精神異常者の仕業であるなら不起訴になりそう。というか、そういう奴は施設に入れていなければならない。どうやって食べているのか、生活保護なのか知らないが、一般社会で暮らさせておくのは逆差別ではないか。極めて一部の精神異常者の人権(?)を護るために大勢の一般市民が平穏に暮らす権利を損なわれるのだから。

私も「例の気違い」で体験しているので、体に障害のある人にはとくに問題なく部屋を紹介できるが、精神に障害のある人には部屋を紹介できない。たとえ他社で管理している物件であっても、である。ましてや、市の生活福祉課は「うちは生活保護受給者に生活保護費を支給するまでが仕事」(後のことはうちの責任ではないから知らない)と無責任に言い切っているのだから協力などできない。

精神異常者にも二種類あって、「周りの人に迷惑を掛けないで自己処理しているタイプ」と、「執拗に特定の相手に迷惑や損害を与えても全く意に介さないサイコパス」である。前者は(室内で)自殺する恐れがある。見た目だけでは判らないから、自分の身を護るためには「どちらも断る」しかない。

中には、入居後に病気になる人もいて、その場合は「出ていってくれ」とは言わないが、管理会社としていろいろ気を遣うことになる。事故が起きれば家主さんや同じアパートの入居者に迷惑が掛かるから。

火災でなくて良かったが、嫌なことを思い出させられる出来事であった。

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2017年09月16日

凄い老婦人を見た

先日、所用があって新宿まで赴いた。その中身は後述するとして、

帰りの中央線の快速電車内で凄い老婦人を見た。私は先頭車両の一番前に乗り込んで、お子ちゃまが一番喜ぶ運転席の斜め後ろの、一ヶ所だけロールスクリーンが開いていて景色が見える場所に立ったのだが、直ぐに老婦人が乗ってきた。背中も曲がっていたし、髪の色からも80歳ちかいと思われた。

先頭車両の一番前は座席は無い。普通なら、ラッシュ時ほどに混んではいないのだから座席のほうに歩いていけば誰かが席を代わってくれたであろうが、私のすぐ横に立った。なので「次の中野か高円寺あたりで降りるのかな・・・」と思っていたが降りない・・・。私もお節介だから、よほど「どちらまで行かれますか?」と訊いて、遠くまで行くのであれば老婦人の手を引いて座席のほうに進もうか、と迷った。

だが、その老婦人からは「そんなお節介をさせないオーラ」が漂っている・・・。気になってはいたが、仕方なく見守っていたら、国分寺まで来てようやく立っている人もいなくなり座席も空き始め、そこでようやく老婦人が席に座った。正直、ホッとした。私が立川で降りる時にはまだ乗っていたし。

昨今は、そんな歳でもないのに我先に空席を目指して突進したり、お年寄りが立っていても声を掛けない輩がいる。逆に、私もその昔、東京駅から整列乗車で中央線に乗り込んで席に着いたら目の前に高齢者(女)が立ったので席を譲ったことがあって、内心では憤慨していた体験をした。そんなの、自分は並ばずに人の善意を当てにしているだけの話。3分に1本くらい電車が出るのだから、始発駅から乗るのなら、よほど急いで無い限りは年寄りであっても並んで乗るべきであろう。百歩譲っても、シルバーシートの前に行けば良い。

私が席を譲ったのは、後から乗ってきた他の客に、(この年寄りが東京駅から乗っていると知らずに)「年寄りが前に立っているのに席を譲らない非常識な奴」などと思われたくなかったから、である。その年寄りには同行していた40歳くらいの息子がいて、西荻窪で降りる際に私に「どうもすみませんでした」と詫びを言っていたが、あの母親と一緒に暮らしていたなら息子はその後も苦労していることだろう。

私は60歳くらいまでは、空席があっても滅多に座ったりはしなかったが、最近は空いていれば痩せ我慢せず座るようになった。同級生の中には「もう電車内で席を譲られているだろうな」と思える外見の奴もいるが、私はまだまだ譲る側の外見だと思うし、私が前に立ってもまだ席を譲られないだろう。

いずれにしても、久しぶりに骨のある老婦人を見掛けた。まあ、周りに気を遣わせるけど・・・。


で、新宿まで赴いた用件・・・、

私の一眼レフ、今所有しているニコンのD800Eを「終のカメラにしよう」と決心したので、新宿の西口にあるニコンのSCに持ち込んで最新のファームウェアを取り込んでもらうため出掛けたもの。

家のPCでも出来るとのことなので、自分でやろうとしたけど素人にはよく解からない。SCに持ち込めば無償でしてくれるというし、プロに任せることにした。それはいいのだが・・・、

作業の待ち時間30分の間に展示品や写真を見ていたら・・・、ニコンのお姉さんから声を掛けられた。

湯呑と羊羹のセットなんかも販売しているんですよ」と言う。羊羹なら以前に通販で買っている。その時の宅急便の品目には「精密機械」と書かれていて、ニコンもなかなかユーモアのセンスがあるな、と感心した。そんな話をしていたら、現物を見せてくれた。見せてくれなくていいのに・・・ (´▽`*)

「限定品なのでプレミアがつくと思います」と言っていたが、寿司屋の湯呑にニコンの歴代のカメラが描かれているだけみたいな湯呑にプレミアがつくワケが無い。だが、タダでファームウェアの作業をしてくれたし、その手間賃だと思えばいいか、お姉さんも感じ良かったし・・・、と考えて購入することに (おい)

値段は4000円と聞いていたが、商品を奥から持ってきた時に「すみません、4500円でした」だと。今さら「じゃあ止める」とも言えないから「けっこうですよ」と言って購入した。ちょろい客である 💧

帰宅して、うちのに見せて「青と緑、どっちがいい?」と訊くと、「選ばせてくれるなら青」と言う。私も青のほうが良かったが、ま、仕方ない。プレミアなど期待せず、それも使い込んでいこう (*^_^*)


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2016年01月15日

猫の恩返し

うちのが朝、勝手口から外に出ると、玄関ドアの傍に何やら大きな枯葉のようなものが・・・。

近づいてよく見ると・・・、ミッキーマウスのご遺体だった (´・ω・`)

病気になったりケガを負って、救けてくれそうな人間の家を探して彷徨い、我が家の玄関先までやっとのことで辿り着いたものの力尽きて死んでしまった、ということではないだろう。だいいち、この街でハクビシンを見たことはあるがネズミを見たのは初めて。タヌキなら以前うちの庭に来たことはあるけど・・・。

どうやら、野良猫が置いていったものと思われる。しかし、何のために・・・??、である。

ネットや本で調べると、人間に猫の狩猟能力を誇示したり、何かしてもらったことへのお返しで持ってくる、なんてこともあるようだ。我々に狩猟能力を誇示してもしかたないのだし考えられるとしたら後者。

うちの庭、野菜を育てている一角は土が柔らかいので、すっかり野良猫のトイレに使われてしまっていて、入れ代わり立ち代わり、いろんな野良猫が来ている。まるで「猫専用の公衆便所」である。

うちのはそれでも文句を言わず野良猫の落とし物を毎日せっせと片づけている (^◇^)

中には人間より義理堅い猫がいるのかもしれない。そんなふうに気を使ってくれるなら、どこかから「晴れ着のフチ子」でも咥えて運んできて、うちの玄関の前に置いてくれたら嬉しいのだが (#^.^#)

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2015年12月27日

ヤフオクの商品説明の間違い

ヤフオクで滝川クリステルのクリアファイルを探していて「あれ??」という出品に出会った。

滝川クリステル 直筆サインフォト」、というもの。

開始価格が5000円で、即決価格が8000円とあるのだが・・・、

写真とサインを見る限り、どう見ても、あの「路チュー常習犯」の山本モナ、である。それで出品者に連絡したのだが、直されないままずっと「滝川クリステル」として出されている。

出品者が「滝川クリステルだ」と信じて疑わないのか、私の連絡メールを見ていないのか不明だが、落札する側からすれば好きでないタレントのサインなど二足三文だし要らないもの。終わった後で話し合いで解決したとしても「悪い」評価が付くことにはなりそう。

これ、悪意の落札者がワザと落札しておいて、後で「詐欺だ」とイチャモンをつける、なんてことが無いとは言えない。私は入札する気もないし、無用なトラブルにならないよう指摘しておいたから、後のことは知らない。もしかすると「山本モナ」ファンの人が気付いて落札したりして・・・(それはないか😃

これは詐欺でなく単純ミスだとは思うが、もう10年も前、ヤフオクで私もこんな詐欺を体験した。

緊急でお知らせしたいこと」(2006年3月29日付けの記事)

ヤフオクは楽しいし便利だが、善意の人だけが参加しているワケではないので注意が必要だ。



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2015年10月16日

見習いたいもの

ふだん度々、岩手の岩谷堂羊羹のほうが虎屋の羊羹より美味しい、と書いているのだが・・・、

今般、虎屋17代当主が赤坂本店建替えの臨時休業に際して出した挨拶文は素晴らしいと思った。

ウニュ( with news )より、

「感動的」「商人の鑑」…虎屋17代の休業あいさつ文、称賛相次ぐ

虎屋の HP に掲載されている挨拶文の全文がこちら ↓


赤坂本店 ・ 会社からのお知らせ

2015.10.2

十七代 黒川光博より 赤坂本店をご愛顧くださったみなさまへ

赤坂本店、および虎屋菓寮 赤坂本店は、10月7日をもって休業いたします。
室町時代後期に京都で創業し、御所御用を勤めてきた虎屋は、明 治2年(1869)、東京という全く新しい土地で仕事を始める決断をしました。赤坂の地に初めて店を構えたのは明治12年(1879)。明治28年 (1895)には現在東京工場がある地に移り、製造所と店舗を設けました。

昭和7年(1932)に青山通りで新築した店舗は城郭を 思わせるデザインでしたが、昭和39年(1964)、東京オリンピック開催に伴う道路拡張工事のため、斜向かいにあたる現在地へ移転いたしました。「行灯 (あんどん)」をビルのモチーフとし、それを灯すように建物全体をライトアップしていた時期もありました。周囲にはまだ高いビルが少なかった時代で、当時 大学生だった私は、赤坂の地にぽっと現れた大きな灯りに心をはずませたことを思い出します。

この店でお客様をお迎えした51年のあいだ、多くの素晴らしい出逢いに恵まれました。
三日にあげずご来店くださり、きまってお汁粉を召し上がる男性のお客様。
毎朝お母さまとご一緒に小形羊羹を1つお買い求めくださっていた、当時幼稚園生でいらしたお客様。ある時おひとりでお見えになったので、心配になった店員が外へ出てみると、お母さまがこっそり隠れて見守っていらっしゃったということもありました。
車椅子でご来店くださっていた、100歳になられる女性のお客様。入院生活に入られてからはご家族が生菓子や干菓子をお買い求めくださいました。お食事ができなくなられてからも、弊社の干菓子をくずしながらお召し上がりになったと伺っています。
このようにお客様とともに過ごさせて頂いた時間をここに書き尽くすことは到底できませんが、おひとりおひとりのお姿は、強く私たちの心に焼き付いています。

3年後にできる新しいビルは、ゆっくりお過ごしになる方、お急ぎの方、外国の方などあらゆるお客様にとって、さらにお使い頂きやすいものとなるよう考えています。
新たな店でもたくさんの方々との出逢いを楽しみにしつつ、これまでのご愛顧に心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

虎屋17代
代表取締役社長 黒川光博


何と言っても心が籠っているし老舗でなければ書けない話。「ありきたり」でないのが素晴らしい。

虎屋、といえば、いつも思い出す。帰省した際に虎屋の羊羹を土産にしていて、数年後に兄貴が上京して銀座に出掛け、虎屋に入った兄貴が「オマエが持ってきた羊羹、あんなに高かったのか!?」と驚いて飛び出してきた。以来、その価値を知らない人には高級品は送らない。例えば GODIVA とか・・・。

まあ、どちらが美味しいと思うかは好みの問題であろうが、岩谷堂はその日に製造された羊羹を、翌朝、社長が抜き取りで食べてみて、納得いかなければ全部棄ててしまうこともあるんだとか。一方の虎屋、何と言っても17代に亘って顧客から愛されて今も存続している。甲乙は付け難いかも(おい)

いずれにしても、なかなか真似は出来ないけど、商売人はかくありたい。

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2015年09月23日

どちらが立派か、などと考えてみる (*^_^*)

昨日、そろそろランチに、と思っていたら、大学生と思しき純朴な娘さんが店のドアを開けた。

「すみません、道をお尋ねしたいのですが・・・」とのこと。娘さんの後ろには若い男性がいて、明らかに障害をお持ちだと判る。体の障害ではなく精神障害のようだが、人に危害を加えたり暴れたりするような青年でないのは直ぐに判った。娘さんの言うことをちゃんと聞いていて、青年もまた純朴そうであった。

「かまいませんよ、どうぞお入りください」と言ったのだが遠慮して入らない。「外は暑いからどうぞ」と勧めると、ようやく中に入ってきた。目的の場所は行き過ぎていて、しかも方向が違う。この辺だろうと当たりを付けて航空地図を広げて、娘さんが手にしていた手書きの地図と比べて見てみたら、目的地は直ぐに分かった。うちの店からは途中で一回曲がるだけで着く場所だった。

地元の人間なら間違えることは無いだろうが、板橋から来ていて土地勘は無い、とのことなので航空地図をコピーして持たせてあげた。とても礼儀正しく、おそらくは親族とかではなくボランティアであろう。

で、ふと考えてしまった。

同じ世代の若者でも、国会周辺でデモに参加して「アベは辞めろー!」などと大声で叫んで国の将来を危うくしかねない若者と、この娘さんと、どちらが素晴らしいか、立派なんだろうか、ということ。

比較するのが間違いなんだろうけど、何の報酬も見返りもなく、おそらくはとくに感謝されないであろうボランティアで、誰かの目について称賛されることも無いのにしっかり(障害をお持ちの青年の)お世話をしている姿には頭が下がる思いである。板橋からここまで来る間にも、もしかすると好奇の目に晒されていたかも知れない。そんなことを気にするようではこういうボランティアは務まらないものだろうが、正直、私にはとてもできないことで、崇高で「立派」の一語に尽きる。

デモに参加している人たちが聞けば「我々も見返りも報酬も求めていない。日本の将来の為に・・・」と反論するだろうけど、そもそも方向が間違っているし、目立ちたがり屋が日頃の鬱憤のウサ晴らしとして安保問題を利用しているだけの話。全く自覚していないだろうけど一種の破壊活動でもあるし。

この娘さんが政治に関心を持っているかどうか、は分からない。どんな価値観か、どんな思想を持っているかも分からない。ただ、人間社会は、自己主張などとは縁が無い「ひっそりと目立たない地道な活動」をしている人たちによって支えられている一面もあると思う。デモに参加して暴言を吐いている若者たちとは対極にある若者であるのは間違いないと思う。ここんとこ「ああいう見っともない若者」ばかり見ていたから何となく心が洗われるような気がした。

いつものように缶コーヒーでも飲んでいってもらうか渡してあげようと思ったのだが・・・、急いでいたようだし、飲みながら歩くような人たちでもなさそうだったからやめておいた。

「お仕事中に済みませんでした。有り難うございました」と丁寧にお礼を言って出て行く娘さんたちの後姿を見ていたら感動して涙が出てきた。日本の将来は、若いのに思考停止に陥って物事を俯瞰して見られない奥田某みたいな浅薄な奴らではなく、こういう純真な若者に担ってもらいたいものだ。

posted by poohpapa at 04:56| Comment(4) | エピソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月19日

いつもの msn. から、こんなお話

ときたま、東洋経済は価値観が偏っていて「???」と思える記事を書いている・・・。

「灘→東大」3兄弟の子育てに学ぶ5つのコツ 生活動線を変え、母は受験勉強の秘書になる

 先週に引き続き、人気育児本紹介の第二弾は灘から東大理Vに3人の子供を送り込んだお母さんの育児法です。その中から私の4人の育児経験に照らし合わせて特に重要だと思う育児方針を紹介させていただきます。

 『「灘→東大理V」の3兄弟を育てた母の秀才の育て方』著者の佐藤亮子さんは3人の息子さんを灘中学に入れ、東大医学部に合格させられました。これだけでもすごいことですが、佐藤さんは3人の息子さんたちの勉強のお手伝いを、東大の入試日の前日までされました。文字どおり、母子二人三脚で成し遂げた快挙でした。

 佐藤家では、ここまで母親が関わらなくとも、子供さんたちはやり遂げたかもしれません。子供さんたちは勉強が嫌いだったわけではなく、志望校の目標は、それぞれ子供さん自身で設定しています。ではなぜ参考書選びから分刻みの勉強スケジュールまで母親が決め、子供たちはそれに従ったのでしょうか。

 それは彼女が、「子供が親元にいる18歳までは、とことん面倒を見て、一緒に学んで、導いてあげたい」と強く決意されたからです。その中の一つが、「勉強」でした。勉強ができれば、より多くの可能性が得られますし、知識を得る楽しさに気づくことができます。佐藤さんには、それらを与えることができるのは、子供を一番よく知る母親だという強い確信がありました。その与え方が、並みの方法でなかっただけです。

 佐藤さんは子供さんの幼児期に、「絵本を1万冊読ませる」と目標設定し、毎日、本を何冊も何冊も読み聞かせたそうです。我が家も毎日絵本を読み聞かせましたが、せいぜい100冊くらいだったように思います。1万冊とは仮に生まれた途端読み聞かせたとしても3歳まで毎日10冊読ませるペースであり、ここからすでに並みではありません。

 彼女はこのことで、日本の文化や考え方を、子供の心に根付かせることができたと述べておられます。私はそれ以上に、子供さんたちが母親と一緒に、活字に触れる楽しみを知り、母親の読み聞かせが習慣になったことが大きいと思います。

 中学受験だけでなく、大学受験のための勉強でも、社会や理科、国語などで、母親が音読して勉強を助けています。普通は子供も嫌がる方法ですが、佐藤家の子供たちは高校3年生になっても大いにこれを活用しました。当然のことですが母親の音読ですから、例えば国語の文章で我が子が知らない世界の内容が出てくれば、母親が解説を入れて、理解の促進につなげます。

 辞書を引かせる時間ももったいなくて、母親が引いて、子供に見せる徹底ぶりです。各論では賛否がある手法も散見されますが、子供がより多く勉強し、より多く活字に慣れさせるためのサポートという意味では頭の下がる思いです。

 育児において、子供に家事の手伝いはさせるべきでしょうか。私は注意力散漫な息子たちのために、遠足の支度などは私がしていました。お手伝いなども、させたことがありません。そんな時間のかかることに、私が付き合う気がなかったという理由からですが、子供の生活能力を伸ばしてやらなかったという悔いが、いつもありました。

 ところが佐藤さんはこの問題にも、「小さい頃から家事手伝いをしたからといって家事が好きになるわけでも上手になるわけでもない。そんな時間があるなら、今しかできない勉強をさせたり遊ばせるほうが、ずっといい」と、4人の子供たちが学校へ行く支度も、全部毎朝、母親がしたそうです。

 「お手伝いをする子に育てる」という言葉がありますが、そんな子に育てたいとは思わなかったと、彼女の育児目標は一貫してブレません。ブレがないどころか、「とことん面倒みて、育児を楽しみたい」という言葉にウソがなく、「とことん」もここまで徹底するとやっかみを入れる余地がなく、拍手喝さいです。

 ただし私の育児体験を振り返ると、子供にお手伝いをさせるのは別の教育効果があるように思います。4人の子供を振り返った時、早く留学して自立して生きざるをえなかった子供は何をするにも自立心があるのに対し、大学に行っても頻繁に私が面倒を見た子供は過保護がたたり、成人してからも家事の一切をできません。子供に家事をさせるかどうかは子供のタイプによっては、家事ができるかどうか以上に自立心の発達が遅れるように思います。

 佐藤さんは子供の受験勉強に伴う“雑用”をすべて引き受け、「受験勉強の優秀な秘書」とでも言うべき働きをされています。子供の家庭でのスケジュール管理を徹底されました。勉強→食事(この時に、暗記勉強の手伝い)→勉強→入浴などですが、子供さんたちも当然のように、否むしろ楽しんで、それに従っておられます。

 勉強のやりかたも、過去問は本番と同じ形式にプリントしなおしたものを25年分コピーするとか、何月までに何回回すとか、スケジュールを立てるなどの雑用はすべて母親の役目です。採点は母親で、その間も子供はどんどん先に進み、間違った点だけを、本人が後でやり直す方法です。ノートの取り方もすべて母親が編み出した方法で、膨大な参考書や問題集も、ほとんどは母親の選択に従ったものでした。

 勉強嫌いな息子を持った母親としては、信じられない光景ですが、佐藤家にはその下地がありました。佐藤さんは子供さんが小さい時から、散歩の時はいつも、図鑑をもって、お花の名前などを調べていたそうです。絵本1万冊も同様で、母親と一緒に学ぶことが日常的なことでした。その延長が18歳まで伸びただけのことかもしれません。

 母親の熱意と愛情と、子供の東大理Vへの強い目標がうまくかみ合い、二馬力にも三馬力にもなった最高のチームワークの勝利だったと思われます。

 このような二人三脚は、母親も子供さんも優秀だからこそできた方法だと、思われる方が多いでしょう。私もそう思います。しかし私たちのような多くの普通のお母さんにも、育児の参考にできるもっとも優先順位の高いものを考えれば、前述しました「知識を得る楽しさを教える」「幼少期から活字に慣れさせる」「親子のチームワークで勉強する」の3点に加え、以下の2点を挙げたいと思います。

 1・生活動線を変えよ〜テレビを遠ざけ、居間を勉強部屋に

 佐藤家は、4人兄妹の机はすべて居間にあって、キッチンとの間にこたつを置き、勉強と勉強の間の食事時間は、そのこたつで食事をされたそうです。食事中も、そのこたつ机で勉強を続ける子や、暗記を親が手伝う時間にする子など、さまざまです。それでもそれが日常で、雑音を気にする子はいなかったそうです。

 そして佐藤家では、テレビを2階の一番使いにくい部屋に置きます。テレビ画面を見るのは、佐藤家では非日常で、わざわざ2階の部屋へ上がって行かなければならない生活動線でした。つまらないテレビ番組をみるのは、家に悪い客を招き入れたのと同じくらい意味がないと言った人がいますが、全く同感です。

 受験生が受験時代にテレビをみなくてもまったく困らないのに、それを生活の中心の居間に置くことの愚かさを、遅ればせながら思い知った次第です。家に帰ってくれば、まず居間に入ります。その居間を勉強部屋とすれば、居間にいる限り、勉強より他にすることはありません。そして母子でいつも、その部屋で勉強するのが、日常になります。

 どちらかといえば勉強をすることが非日常の息子と共に、親子で居間のテレビ(主に笑点)ばかり見ていた私は、恥ずかしい限りです。

 2.勉強を教えるのではなく、勉強の仕方を教えよ

 佐藤さんは専業主婦で、確かに知的好奇心も強く、ご自身が読書などで絶えず勉強することも、大切な時間としておられる方です。しかしここで重要なことは、彼女が受験科目に精通していて、それを教えたのではなく、主として勉強のやり方を教え、やり易いようにサポートされたということです。

 中学受験の算数は難しいから、その手伝いは子供が問題を解きやすいように、1問ずつ余白十分のプリントに作り替えることでした。後の科目は音読や、気の利いた資料や参考書をそろえるなどで手伝いました。

 予定通り進まなかった子には、1日2時間ずつ挽回する方法を提示して、二人三脚で完遂しています。その積み重ねだったとはいえ、東大理Vの試験日の前日までサポートできること自体が、普通ではありません。

 佐藤さんご自身が頭脳明晰な方であることは確かですが、それ以上に、子供の教育に熱心で、ご自分の子供さんに合った勉強法を研究し、その実践に、最後まで付き合ったという点が中途半端でなく、それが重要なポイントだったと感じました。

 受験勉強でサポートしないのは、親が優秀でないから、というのは理由になりません。「膨大な数の絵本の読み聞かせや図鑑を日常で使い、親子で学ぶ習慣を作る」「子供の教育を最優先」「自分の子供に合った教育法の研究」「最後まで付き合う」は、普通の母親でも、真似ることができるのではないでしょうか。

 子供の受験勉強をサポートするうえで、私は本書に書かれていることの全てに諸手で賛成するわけではありません。子育ては家庭環境や子供の個性、親の個性によって最適な解は変わってくるはずです。またそもそも、受験勉強をさせる前に子供の意思をどう育み、進路に反映させるかなど、より重要な「そもそも論」もあるかと思います。

 それでも筆者の佐藤さんが試みられた「生活動線の工夫」と「子供の個性にあった勉強の仕方」のサポートの重要性は、親の仕事としてとても参考になるポイントだと思います。これらの努力と工夫の一つ一つが、本コラムの冒頭で述べた教育で一番大切なことである「子供に学ぶ楽しさを教える」ことにつながっているのだと思います。

 話題の育児・家庭教育本書評の最終回である次回は、私が最も紹介したい、話題の良書を論じさせていただきたいと思います。



リンク先のコメント欄では(僻みもあるんだろうけど)批判的な意見が多い。私は、誰も、と言うか、どこの母親も真似が出来ないことをやってのけたのだから、ある意味「凄い!」と思う。うちなんか3人の子供を東大の理Vどころか、良くて専門学校まで、しかも親はカネを出さずに新聞奨学生で行かせたのだから、そういう面からすれば、この母親とは「雲泥の差」だと率直に認めざるを得ないのだが。

でもって、この話に父親が全く出てこない、ということは母子家庭なのかなあ・・・。この記事を書いた記者の価値観もずいぶんと偏っているようにも思える。なんか、洗脳されてる、と思えるほどに。

たぶん、母と子の間に絶対的な信頼関係が築かれていることだと思う。子供が「東大に行きたい」と幼い時から望んでいたなら他人が文句を言う筋合いでもない。だが、何か引っかかる・・・。

人生にはいろんな選択肢がある。育って行く過程で多くの人と交わり関わって、そういう中から天職を探し出したり、何を学ぶかを子供自身に決めさせてもいいのでは、と、私は思うが、やはり僻みだろうか。

私からすれば、3人の子供を東大の理Vに合格させたというのは「まだゴールではなく過程」であって、本当に成功したかどうかは子供たちがどんな医者になったかで決まること。評価するには早い。

私の同級生の中にも東大や京大に進んで高い地位に就いた者や高収入を得ている者がいて、自転車操業で多くのトラブルと対峙しながら還暦を過ぎてなお働いていなければならない私とは大差がついているようにも思えるが、私自身は奴らより「圧倒的に勝ち組」だと自信を持って言える。

好きなことをして、たまに美味しい物を食べて、(働かなければ食っていけない事情があるにせよ)この歳で仕事もあって、何より、誰よりも多くの良き友人や恩師に恵まれているのだから最高の人生だろう。うちのや子供に何も財産は遺せないけど、それはそれぞれの人生だから自分で何とかすればいい話。

あちこち海外にも旅行して、テレビにもラジオにも出させて頂いて新聞や週刊誌にも載って、本も出して、結婚も離婚も再婚も子育ても、ついでに浮気もあせあせ(飛び散る汗)大手術も経験して・・・。中学時代の恩師と卒業後40年以上も経って二人で海外旅行させて頂いた人間、そうはいないだろうし・・・。

何をもって幸せと思えるかは人それぞれ。そのお母さんが「3人の子供を灘から東大の理Vに送ったこと」を誇りや自慢に思えたとしても、それはそのお母さんにとって、ということ。もちろん、ケチをつける気は毛頭ない。ただし、そのお母さんの本が誰かの参考になるのか、と言えば・・・、全く参考にはならないと思う。読んだとしても誰も真似なんかできっこないし。それでも「凄い」ことには違いないが。

私は、我が子が「他人を気遣える大人」に育ってくれたことで充分。ま、それでも、一人くらいは大学に進んでくれたら嬉しかったとは思う。う〜ん、やっぱり僻んでんのかなあ・・・わーい(嬉しい顔)

私の感想としては、「凄いのは認めるけど、だから何なの!?」くらいのもの(上から目線たらーっ(汗)

我が子ではないけど、今では「ハリケーンさんの娘さんが将来どう大化けするか」が最大の興味るんるん

ま、馬鹿でもいい、出世もしなくていい、事故なく健康でいてくれるのが親としての私の願いだから。



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2015年06月03日

今日の「とくダネ!」で取り上げそうな話題、私が先に(^◇^)

先ずは、この感動的なお話、ロケットニュース24さんから、

【凄いぜ若者!】高校生一同が「修学旅行には行きません!」と宣言 /その理由が “真似できないほど立派” だと話題に

学生生活の最大行事といえば、修学旅行! 京都に奈良、広島、長崎、東京などなど、クラスのみんなとの旅行を学生時代のハイライトに据える人も多いだろう。

しかし今回ご紹介する高校生たちは、
「修学旅行には行きません!」と力強く宣言したのだ。そして、その理由がとっても立派だと話題になっている。なんと浮いた旅費を、
ガンと闘う校長先生に寄付するというではないか!

・思い出よりも先生の命

米ニューハンプシャー州、ベスレヘムに位置するプロフィール高校。日本の “高校3年生” にあたる “シニア” の学生たちは、今年の修学旅行にニューヨーク州のアディロンダック・パークに行く予定だった。

しかし旅行の1週間前、突然の中止を発表。なぜなら、校長先生がガンだと診断されたことを知り、旅費を校長先生の治療費のために寄付することに決めたのである! 


・先生を慕っている生徒たち

今回、生徒から修学旅行の中止とその理由を告げられたコートニー・ヴァーショウ校長は、感極まりながら「生徒のみなさんの助けを受けていいものか……言葉がありません」と涙を浮かべた。

生徒たちは校長先生が大好きなようで、「みんな先生にはお世話になってきました。今が、恩返しするときなんです」「先生は僕たちのことをよく考えてくれます。だから僕たちも先生のことを考えたかったんです」と、
修学旅行が無くなったことを悔やむ様子など全く見せずに、先生へのまっすぐな気持ちを述べている。

・「他人に親切に」と校長先生の教え

これまで “自分のことばかり考えるのではなく、周りに親切にするように” と生徒たちに教えてきたヴァーショウ校長。どうやら教えは、生徒たちにちゃんと浸透していたようだ。ちなみに、生徒たちは修学旅行の代わりに、近場への旅行を計画しているとのこと。

困っている校長先生を助けるために生徒が立ち上がるなんて、なんとも素敵な学校。きっと日頃の校長先生の態度や人柄が、生徒たちの心を動かしたのだろう。生徒たちは、先生の姿をジッと見ているものなのだ。


参照元:WMUR、YouTube(英語)
執筆:小千谷サチ


▼生徒が先生に「修学旅行には行きません」と告げるシーンも

https://www.youtube.com/watch?v=66jOhW0HfAk

凄いよね、生徒全員から慕われ尊敬されているのだから。

私も高校時代に修学旅行には参加しなかった。今回のような感動的な話でなく真逆の話。

既出だが・・・、真冬に山陰山陽に出掛けるので、ふだん男子生徒のコートやセーターの着用を認めていないが修学旅行の期間だけ条件付きでセーター着用が許可され、その条件というのが・・・、

「セーターはカッターシャツ(ワイシャツ)の下に着ること」というもの。

それだとモコモコで着心地が悪いので、みんな文句を言ってはいたが職員室まで抗議しに行ったのは私だけ。学年主任が言うには「旅館で皆が一斉に学生服を脱いだら白いカッターシャツで揃っていれば、旅館の従業員の人たちから『この学校はよく教育が行き届いている』と思ってもらえる」とのこと。

強く抗議したけど学年主任の頭がカチカチで覆らず、「そんな馬鹿な教師と修学旅行に行けるか!」と思ったので参加せずに積み立てた旅費を返してもらった。それを癌だった校長の治療代に・・・、なんて話はなく、前から欲しかったSONYのラジオ「ソリッドステートIC-11」を購入。

本音では、ふつうは高校時代の一番の思い出になるべく修学旅行に「そういう理由」で参加しない生徒がいたなら教師も少しは考えるかも、と思ったが、教師はそんなことは全く意に介していなかったふらふら

当時は「おかしいと思っても自分で抗議しないような奴らが社会に出て使いモノになるとは思えない」と本気で思っていた。ま、劣等生の僻みだけど、予想通り、同級生が出世した噂話は今も聞かないわーい(嬉しい顔)

昔も今も、「自分は矢面に立たず、誰かがやってくれるのを待っていて恩恵にだけ与る輩」は多い。うちの宅建協会なんかもそんなのばかり。「おかしい」と思ったら堂々と言えばいい。正しいと思ったことを言うにはリスクが伴うが、自分で主張しない奴に限って陰で言うし、時に私の悪口が聞こえてくるちっ(怒った顔)

「あいつは変わってるから」と・・・。私が変わり者でなく自分が勇気がないだけのことパンチ爆弾

私は本人に面と向かって先に言う。そうすれば陰でも言ってても陰口にはならないから。

さて、今から2時間後の「とくダネ!」が楽しみである。きっと、この話を取り上げるだろう。

posted by poohpapa at 05:57| Comment(4) | エピソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月16日

自分を映す鏡・・・

昨日は朝一番で店舗をお申込み頂いたお客様のリフォームの準備のため待ち合わせ。店内をご覧頂いて、私は後をお任せして車で調布に向かった。府中街道から東八道路に入り、国分寺街道と交差する手前で、後続の車が激しくクラクションを鳴らす・・・。

誰か割り込みでもしたのかな・・・、と思っていると、信号待ちしていた私の車に30代半ばくらいの若い男が運転する黒い車が横付けして、窓を開けて私に一方的に喚き散らしている、と言うか、怒鳴っている。ならば、さっきクラクションを鳴らされていたのは私、ということになる。なんで??、である。

私は車線変更も追い越し追い抜きもせず、信号も守って直進車線を車間距離も適度に取って流れに乗って走っていたのだから文句を言われる筋合いはない。それで私に「どうしろと言うのか」、である。

よく聞こえなかったが「車線がどうとかこうとか」「どこを見てんだよ」とか、とにかくしつこい・・・。

それで私はどうしたかと言うと・・・、「私が何か間違ってましたか?。だとしたら申し訳ありませんでしたね」とサッサと謝ってしまった。でないと延々終わらなくて後続の車に迷惑が掛かるから。大声でずっと喚いているから何を言っているのか聞き取れないし、どうも同じことを繰り返していたみたい。

目の前には交番があるが、それでも、私が無視し続けたなら今度は車から降りてきて私を車から引きずり出そうとしたのではなかろうか。そこまでやらせたほうが良かったのかも知れないが・・・。

ヤクザではなさそうだが、あんなのが免許持って毎日運転しているのは凄く怖い話だと思う。高級車に乗ってたけど、あそこまでいくと一種の精神異常者で、そのうち何か事件を起こすタイプでは、と思った。

車のナンバーは「多摩〇〇 〇 0150」だということだけはしっかり覚えさせてもらった。次にどこかで出会ったなら直ぐに「ああ、こいつ、あの時の・・・」と思い出すだろう。

で、ふと考えた。

きっと私に怒鳴られている市職員や保険会社の営業マンは、こんな感じで(私がこの男を見るように)私を見ているんだろうな・・・、と。昨日の男は、まさに私にとっては「自分を映す鏡」だったかもふらふら

人間、人からガンガン怒鳴られたり叱られたりしている時、かえって冷静になって周りもよく見られるもの。そんなふうに考えられるゆとりがあるくらいだし。と、そんなことを考えながら一方で「そう思えるんだから私は人間としてはまだまだ良心的で謙虚なほうではなかろうか」と思ったりした(おいたらーっ(汗))

そっか・・・、もしかすると昨日の男と私は同じなのか・・・わーい(嬉しい顔)

ま、市職員も保険会社の営業マンも不誠実であるのは間違いないが、相手の言い分も少しは落ち着いて聞いてあげるべきかな・・・、とも思った。どちらに対しても、それでも譲歩はしないだろうけど・・・。

posted by poohpapa at 06:03| Comment(10) | エピソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月24日

引っ越しの立ち合いに行った帰りのバスでご一緒したお年寄り

引っ越しの立ち合いに行った帰り、バス停に向かうと、先に来ていたご老人がデジタル一眼レフカメラを首からブラ提げている。ストラップが黒地に黄色の刺繍だからニコンのカメラだと直ぐ分かった。

さらに見るとD300との刺繍。今のカメラの前まで私が持っていたカメラと同じである。私は持病の「カメラ買い換えたい病」が出てD800Eに買い換えているが、D300に不満があったワケではない。むしろDXフォーマットのカメラではD300は最高峰、フラッグシップカメラだと思っている。

画素数が1300万画素と抑えられているから、である。カメラに詳しい方に教えて頂いた話では、通常、素人が撮影するなら1000万画素も要らないとのこと。昨今の画素数を競うような新製品の発表はおかしい、とのことで、その根拠も解かりやすく教えて頂いたから私でも説明できるくらいにはなっている。

撮像素子がフルサイズではないにしてもD300は長く使える上質なカメラだと思う(おいたらーっ(汗))

で、バスが来るまで時間があったので、ご老人に「いいカメラをお使いですね」と声を掛けてみた。すると、そのご老人、「いやあ、年寄りには重いし、いいかどうかも解からないで使っているんですよ」と言いつつも嬉しそうだった。当たり前である。自分の持ち物を褒められて不快になるワケがない。もし不快になる人がいるとしたら、偽物やイミテーションと知ってて持っている人だろう。いや、それでも相手が騙されてくれたことで喜ぶかも知れない。

バスが来るまでの10分ほど、写真談議に花を咲かせ、乗ってからも二人とも最後部の席に座って終点までカメラや写真の話をしていた。近々奥さんと旅行に行かれるようでD300も持っていくとのこと。

もちろん、「D300は以前は私も使っていた」などとは言わない。言えば褒めたのがウソで嫌味になってしまうから。私の今のカメラについては一切話さず、あくまでD300の話だけで通した。

立川駅でバスを降り、互いに挨拶を交わしてお別れしたが、ご老人も私も互いに気分が良かった。

posted by poohpapa at 04:45| Comment(8) | エピソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月10日

桜田門を叱りつけた

昨日、ある用件で桜田門(警視庁の隠語)に電話していて、担当した警察官を叱りつけた。

苦情を申し入れるべく警視庁の広報課広聴係に電話をすると、先ず私の住所氏名電話番号を聞かれ、それから用件に入ったのだが、一通り聞いた後で「それはこちらの部署ではありませんので、一旦、交換に戻して担当部署に回します」と言われ、別の部署に再び最初から同じ話をした。もちろん私の身分も。

予め法務省に問い合わせて「その用件なら警視庁のこちらに」と教えて頂いたのだが「違う」と言う・・・。

回された部署に再び同じ話をしたら、「それなら担当部署はこちらではなく広報課広聴係です」とのこと。「最初に広報課広聴係に話をしたら『ここではない』と言われて電話を回されたんだけど、また元の部署に戻されて3度も同じ話をさせられるのはどういうことか」と言うと、「とにかく部署が違いますので」と元の広報課広聴係に戻されて、仕方なく、もう一度最初から話すことに・・・。

俗に言う「たらい回し」である。私からすれば「嫌がらせかよ!?」という思いである。苦情であることが分かっているのだし。全く別の部署に回されるならまだしも最初の部署に戻される・・・パンチ爆弾

電話に出た広報課広聴係の婦警に文句を言い、「警視庁に自浄作用はあるのか」と訊くと、「それはどういう意味ですか?」だと。どうもこうもない、「庇い合ってるんじゃないのか」ということである。

過去には、昭島警察のパトカーがサボタージュしていて、それがために、直前の車が右折禁止の交差点で右折したのに検挙しなかったことがあって、昭島警察に通報したら、逆に私の住所氏名、電話番号、本籍地、勤務先名称と所在地、電話番号まで訊かれたことがある。完全に嫌がらせである。挙句に「私どもでちゃんと処分なり注意なりしますので信用して任せて頂けないか」、つまり「アンタに結果を報告しないよ」と言われたが、それなら通報者のことを根掘り葉掘り訊く必要など無いではないかちっ(怒った顔)


たまたま電話している時に隣家のAさんのご主人が来ていて「(そういう場合)怒るからいけないんじゃないの」と言うが、これで怒らない人がいたなら不思議である。穏やかに話せば非を認めてくれるのなら私もそうするが、相手が公務員の場合それは有り得ない。相手が誰であっても「ダメなものはダメ」と言えないような人間ならクソの役にも立たないし、真剣だからこそ怒るもの。私は元々「怒らない人間」は信用しない。Aさんのご主人は人格者だが、常に冷静でいられる人間が人格者とは限らない。タダの臆病者であることは多いもの。子供の頃から現在に至るまでそんな奴(事なかれ主義者)は何人も見てきた。

自分は安全な場所にいて人に言わせて無傷でいて利益だけは享受する「ずるい奴」も多くいる。少なくとも、警察官も市の職員も、護っているのは市民の安全ではなく自分の立場であるのはよく判る。

基本的に、私は自分より地位が高い人、権力を持っている人には物事(思ったこと)をハッキリ言うが、自分より弱い人間にはキツく当たったりはしない。家賃の滞納者でも、開き直っている滞納者には厳しく当たるが、一生懸命少しずつでも払おうと誠実に努力している人に厳しく当たったりはしない。滞納者の中にも弱者と強者はいるもの。本当に払えないのか、払えるのに払わないのか、の違い、である。

さて、警察は「世の中で信用してはならないものの中で最たるもの」だと思う。厳密に言えば、信用してもいいけど信頼してはいけないもの、だと思っている。連休が明けたら改めて法務省に連絡しよう。




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2015年01月05日

さすがプロ、私の間違いを即座に指摘(#^^#)

私が元旦に必ず観ることにしている番組がある。テレビ朝日の「芸能人 格付けチェック!」である。

3日に伊勢丹B1のワイン売場に行って、いつものソムリエさんと雑談していて、その番組の話になった。ソムリエさんはご覧になってなかったらしく、「どんなワインで比較してましたか?」と訊く。

ご存じない方のために説明すると、数組の芸能人にワインや音楽(楽器)、食材、演出、芸術など様々なもので「高いものと安いもの」を二者択一で選ばせて、間違える度に「一流芸能人」→「普通芸能人」→「二流芸能人」→「そっくりさん」→「映す価値なし」とランクが落とされていき、過去には焼肉店を経営する梅宮辰夫がワインや牛肉で間違えて恥を晒している。経営者が貧乏舌では店に行く気になれないわーい(嬉しい顔)

出演者が、自分は不正解だと知らずに正解発表前にいろいろと薀蓄を垂れるのを見るのが愉快だったりする。ちなみに、歌手のGACKTは6年連続(36問連続正解)で一流芸能人の座を死守している。

今年出演していた泉ピン子は100本、GACKTは1000本のワインを家で保管しているんだとか。うちは10本にも届かない。しかも値段は高くても1万まで。それ以上の高級ワインは買えない。なので、その話を聞いて「間違えろ、間違えろ」と心の中で念じていたのは私だけではなかったろう(^◇^)

ソムリエさんに私が「一方はレストランなどでは1本100万円するラ・ターシュという白ワインで・・・」と話し始めると、「え?、ラ・ターシュに白は無いと思いますが・・・。DRCのモンラッシェではありませんか?。100万もする白ワインならおそらくそうだと思いますよ」と言う・・・。

そう言われてみると元々が下戸だけに自信が無い。それで、家に帰って録画を観直してみると、ソムリエさんが仰ったとおりDRCのモンラッシェであった。当たり前と言えば当たり前だが、即座にそう言えるのだから相当な知識の持ち主だと判る。さすがプロ、胸にソムリエバッチを着けているのは伊達じゃない。

驚いたことに、我々夫婦がワインの試飲をしていると馴染みのお客さんが菓子折を届けに来たりする。我々以外にもそのソムリエさんに信頼を寄せるファンが何人もいるということで、それも納得であった。

昨日ご報告に伺うと喜んでくださったが・・・、勉強させてもらったのでワインを1本購入して帰ったたらーっ(汗)

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2014年11月02日

変な人

店番をしていたら、30代後半と思われる男性が入ってきた。

「すみません、幸町に行きたいんですが・・・」と言う。「幸町のどこですか?」と訊くと、ポケットから皺クチャになったメモを出し、「幸町の(紳士服の)青木は遠いですか?」と言う。

それくらいの年代だとスマホくらい持ってそうな気もするが、私と同じガラケイ派なんだろうか(*^^)v

「とてもじゃないですが歩いて行ける距離ではないですね。バスが何本も走っていますからバスで行かれたほうがいいでしょう」と言うと、「電車賃で使っちゃったのであまりカネが無いもので・・・」だと。

それって「貸してくれ」とか「車で送ってくれないか」と言ってるのかな、と思った。きちんとした身なりで寸借詐欺でもなさそうだが・・・、待てよ、詐欺師は「身なりはきちんとしているもの」だったか・・・わーい(嬉しい顔)

過去には、こんな奴もいて、私は見事に引っ掛かったし・・・たらーっ(汗)

いくらお人好しでも初対面でそれはご勘弁頂きたいもの。だいたいが、目的地までの行程や運賃など前もって調べて出てくるのが当たり前で、そんなの自己責任である。

私も往復2時間歩いて「濃厚チーズ気分」を買いに行ったが、紳士服の青木までは同じくらいの距離だ。それにしても、青木が目的地なのか、青木はその近くに住む知人を訪ねるための目標物だったものか。

「どちらから来ました?」と訊くと「杉並からです」と言うから、紳士服を買うだけなら、いや青木なら近くにもあるだろうに・・・、と不思議に思った。漂ってくる雰囲気が普通の感じではなかったし・・・。

地図を示して丁寧に教えて、徒歩ではキツイことも話したが、「じゃあ、往きは歩いて帰りはバスを使うことにします」と言って出て行った。果たして本当に歩いたことやら・・・。

posted by poohpapa at 05:30| Comment(2) | エピソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする