2013年08月04日

今、さまざまな女性優遇制度が見直されているらしい

非常に結構なことである。その昔、このサイトで書いている(内容的にダブる)けど、

私は「男女同権」だの「女性の地位向上」を訴える人たちを見ると反吐が出る。「閣僚や会社役員の半数を女性に」などと臆面もなく言っている安倍総理に対しても、その件だけは同意できない。有能な女性がいれば登用すればいいだけの話なんだから。見ていると、男女平等だのと声高に訴えている奴に限って「女性が優遇されている場合には文句を言わない」のだから論理が破綻しているのは明らか。ジェンダーフリーを信奉している奴らなんかは「生活だけは普通にできる気違い、大馬鹿者」だと思っている。

女がジェンダーフリーを信奉する(したい)気持ちは解からないではないが、男でも信奉している奴がいて、それは不思議である。そんな男が側にいたなら私は気持ち悪い。生理的に合わないと思う。

で、私が一番納得いかないのは「レディースデイ」とか「女性割引」というもの。例えば居酒屋なんかで「女性半額」と謳ってあって、男性が飲み放題付き4千円だとすると女性は2千円。客が男女同数とするなら、本来は3千円で提供するものを男に千円余計に払わせるワケで、要は「見ず知らずの女の飲食代」を負担させられていることになる。それが納得いかないから私がそういう店を使うことはない。だいたいが、私は下戸で、一緒に行く女性のほうが圧倒的に飲むのだし。損得で文句を言っているのではない。知っている女性に奢るのと知らない女性の分を否応なく負担させられるのでは全く意味が違う、ということ。


私は基本的に、女性や後輩たちと飲食する場合に割り勘にすることは無い。それくらいなら誘わない。たまに女性に奢ってもらうこともあるが、それは付き合いが深かったり信頼関係が築けている場合で、そうでなければ出させない。それは貧乏であったにも拘らず私の家では家訓のようになっていた。

公共の乗物では「女性専用車があるのだから男性専用車も・・・」という声があるようだが、それは違う。どちらも不要なものだと思う。だいいち男がみんな痴漢をすると思ったら大間違い。こっちだって選ぶ権利はある。ワケの分からない人権がまかり通っているが、今の世の中を制度的に全て「男女平等」にしたなら圧倒的に男性が貶められることになる。現状でも女のほうが充分に優位なんだし。

政治家やテレビに出ているコメンテーターは、「今のままでいいんじゃないの?」と言ったなら女たちから批判されたり番組を降ろされるものだから、やたら女性寄りの発言しかしないが、情けないったら無い。

田嶋陽子なんてのも、自分が性格的にも容姿においても超ブスだから「男女平等」を声高に叫んでいるだけで、女性としての品性の欠片も無い。ああいうのが「男女平等」を叫んでも説得力が無い。あの顔でも奥ゆかしさと歳相応の分別が備わっていたならそれなりに見られるかも知れないけど、救いようがない。


男女平等、そんなモンは要らん!ちっ(怒った顔)パンチ爆弾

男と女は家庭でも社会でも役割が違って当たり前。その中で折り合いをつけるのが真の平等。

ついでに言っておくと、私は「育児休暇を取るような男や、出産に立ち会うような男は大嫌い」である。もちろん、それを夫に求めるような女はもっと嫌いだ。と言いつつ、共稼ぎだった以前の結婚生活では、食事の支度以外の全ての家事(後片付け、家中の掃除、洗濯、アイロンかけ、布団干し等々)が私の役目。途中から食事の後片付けは長男の役目になったけど、私が(主義に反して)やっていたワケは、私が拒否すれば子供たちが押し付けられるから。子供にも役割分担させるのも教育だとは思うけど、それだと子供(とくに長男と次男)に「私の主義と違うことをさせる」ことになるから、それで私がしていた。

今は当時と比べて収入は半分以下だけど、うちのに外で働かせることはしない。その代わり家事一切は任せていて私は何もしない。それでうちのから何の文句も出ないし、子供の頃からの理想の形になっている。

よくTVで「女性の家事のコストを試算すると年600万以上になる」とかやってるけど、そんな計算は全く無意味である。三食とも家で食べている料理を「もし同じ料理を全て外食していたら年◎百万になる」と計算するのが無意味なのと同じ。世の中には「カネに換算してはならない(換算できない)」ものもある。

うちは、「私が外で働き、うちのが家事全般をする」、つまり全く別の役割を分担していてもちゃんと平等になっている。そこに時折り「互いの思い遣り」があれば、多少の凸凹があっても全て解決するもの。


男女の役割が同じなら、天が男と女を創造した意味が無い。当然に全ての事柄に男女で同じ義務と権利は無い。今、世の中の女性優遇制度が見直されているのは当然の成り行き、帰結であろう。

posted by poohpapa at 06:34| Comment(9) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月27日

嬉しいけど、ちょっとビックリ!

読みようによっては嫌味な記事になりますので最初に謝っておきます、ごめんなさいm(_)m


私が持っているJCBのザ・クラスというカード、いろんな特典が付いていて、他の会員さんたちはどんなふうに有効活用しているのかな、と気になって、Googleで「ザ・クラス」というワードで検索してみたら・・・、

なんと、私の記事が一番最初(一番上)に出てきた。16,900,000件もヒットしたうちの、である。それは凄く嬉しい。どうでもいいようなことだけど、そんなことでも、なんか「自分が頂点に立ったような気分」になれる。この歳まで生きてきて自分が何かでトップになれたことなどほとんど無いのだしふらふら

うちのが言うには、「Googleにはページランク機能というのがあって、閲覧数などの統計から自動的に表示される順番が変わる」とのこと。その検索ワードでそれだけの数の記事がヒットするのも驚きだが、まさか自分の記事がトップで出てくるとは・・・。今のところ、ということで、明日は分からないんだけど・・・。

以前も書いたが、JCBの全会員の中で「ザ・クラス」を所有しているのは0.05%、つまり2000人に一人の割合。それでいくと、私の出身高校の当時の全校生徒1350名で考えれば、確率的には私が持っていたら他の誰も持っていないことになるのだが・・・、実はこんなカードなんて「持ちたいと思うかどうか」だけの違いであって、希望したなら私の同級生450名のうち50人以上は持てるんじゃないか、と思う。医師や弁護士もゴロゴロいて、みんな私より生活水準や社会的な地位が高いだろうし。生活水準だけで考えれば、同級生で比較したなら今もきっと私が底辺あたりにいるんだろうな、という自覚もあるしたらーっ(汗)

私にJCBから二度目のインビテーションが届いた際に「申し込んでみようか」と思った理由は、正直なところ、コンプレックスの裏返し、成績だけで人を見下していた多くの同級生への根深い反発からだった。

ただ、逆に言うなら、「そんなカードを持ちたいと思わない人のほうが凄くて、立派」なんだと思う。現に、あのビル・ゲイツが持っているアメックスは緑色の一般会員カードだし。本当に頂点に立っている人にとっては「所有しているカードの種類でのステータスなどどうでも良いこと」なんだろう。ゴールドでもプラチナでもない一般カードを持っていることで驚かれるようになったなら本当のステータスを手に入れたということかも知れない。私も「ザ・クラス」を持って喜んでいるのでなく、いつかそうなりたい、と願っている。


で、他にも(しつこいようだが)「立川支部 八百長選挙」で検索すると、297,000件ヒットするうち私の記事がトップで出てくる。と言うか、そんな検索ワードで30万件近くもヒットするのも不思議だが。

時には優越感に浸りたいこともあるので、今度またいろんなワードで検索してみよっとわーい(嬉しい顔)


posted by poohpapa at 07:04| Comment(10) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月20日

それは誤解なんだけど・・・ (以前も書いているが)

ある方のサイトを訪問していたら、このブログについてこう書かれていた。

「面白いんだけど、管理人さんは全くブレないので読んでて詰まらないから最近は読んでいない」、と。

それは大変な誤解である。実際にはブレないどころかブレまくりなのだから。けっこう多くの方から(私が)頑固とか意志の強い人、と思われているようだけど、それは表面的にしか見ていないんだと思う。

頑固かどうかで言えば相手と事柄によりけりで、けっこうその場の状況に流されることもあるし、柔軟に対応できる時もある。絶対に赦さない(赦せない)こともあれば、他の人なら怒り出しそうなことで怒らないこともある。それも、器の大小の問題でなく、他の人と「怒るポイントと沸点」が違うだけのこと。

一つの例が、宅建協会立川支部の支部長選挙と役員による運営の問題。私が一人で声を上げているのは意思や正義感が強いから、というより「私自身が弱いから」ということのほうが大きい。同じ意見を持っている仲間を巻き込まないのは、人間、その時の立場や状況で心ならずも裏切らざるを得なくなることは往々にしてあるもので、その時になって落胆したり恨んだりしたくない、もっと言うなら自分が傷つきたくないから。そうした時に直ぐに立ち直れるほど強くない、ということを自分でもよく解かっているから、ということ。仲間を疑っているのでなく「最後はどのみち一人になる」と解かっているし。

だから、最初から「人は変わる、人は裏切る」ということを自分に言い聞かせている。そうしないと自分が持たないほど本当は弱い人間だということ。それでも人を踏み台にしたことは一度もないけど・・・。

現実に、プライベート(友だち間)でも立川支部の問題でも、私の前で言ってることと他の人に対して言ってることが食い違っている人もいる。そういう話が私の耳に直接聞こえてこなくても「そういう人」だというのは長い付き合いから解かっていたりする。それでも拒絶しないで付き合っている。ただの好き嫌いとか意見の違いでいちいち付き合いを断っていたなら付き合える人は極端に減ってしまうし、それが人間社会だと思う。もちろん、そういうのは最も大きなストレスにはなっているけど。

劇画の中でゴルゴ13が、「自分はウサギのように臆病で、だからここまで生き延びてこられた」と言っていて、私の場合と意味合いは違うのだが、実によく解かるような気がする。


ただ、私が強く意見を言う対象は、自分より目上の人に対してのみ、自分より立場の弱い人に攻撃的な言葉をぶつけることはしない主義。家賃を何ヶ月も滞納していて逃げ回っている不誠実な入居者は例外だが、それすらも、もしかすると「立場が弱いのは私のほう」とも考えられるし。

管理物件も少なく、と言うか、他社の管理物件を横取りしない主義なので物件数はジリ貧になっているが、商店街の中央とはいえ駅から10分も歩くような場所で20年以上も続けてこられたのは、私の方からはけっして仲間を裏切らなかったのと、自分自身の弱さの賜物かも知れない。

ただ、この業界で成功するのは「仲間を裏切れる人」なんだと思う。イザとなったら誰も自分を護ってなどくれないし。私が批判をすればするほど「我々は間違っていない」と纏まるであろう立川支部の役員たちも、本質的にはバラバラで「自分のことしか考えていない」のはよく解かる。鰯の群れでさえ「ちゃんと役割分担して纏まって大魚から身を護ろうとしている」のに、大魚(国交省)の誘導に乗ってしまっているし。

私はいつもギリギリの精神状態の中で生きていて、壊れないでいられるのは良き友人に恵まれているから、だと思う。本当はとても弱い人間なんだし、小心者にとっては過大評価されるのが最も怖いことである。


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2013年06月17日

うちの店の前を通り過ぎていったお二人

昨日、店の前に立っていたら、目の前を軽自動車がゆっくり通過した。車の窓が開いていて、助手席に乗っていた人と目が合った。私は向こうを知っているが当然に向こうは私を知らない。それでも、会釈されたので、こちらも会釈を返したのだが・・・、

どなたかと言うと・・・、

石破茂氏だった。都議選の応援で来ていて、夕方には駅前で街頭立会演説会が行われることになっていたようで、その前に商店街を一回りしておこう、ということだったのだろうか。それにしても、ふだんは黒塗りの大型車の後部座席に乗っている人が、あの体格で軽自動車、というのは窮屈だったことであろう。

失礼な表現だが、超大物がうちの街に来て会釈されたのは、数年前の皇太子殿下以来のことである。あの時は選挙に立候補していらっしゃるワケではないのに手まで振ってくださって・・・、根がミーハーなのでつい舞い上がってしまって、その場でうちのの岩手の実家にまで電話してしまったくらいで・・・たらーっ(汗)

幹事長にまで頭を下げられたんじゃあ自民党候補に入れるしかないか・・・(おいおい)


で、もう一人、数日前に、たまたまお客さんの到着を待っていて、店の前に立っていたら、宅建立川支部の現支部長であるFさんが通りの向かい側の歩道をゆっくり歩いていらっしゃった。こんなところを歩いている、というのは不思議であったが、税務署にでも用があったものか・・・。目が合ったので双方が会釈を交わしたのだが、ナンと言っても私は前回の支部長選が不公正な選挙(八百長選挙)ということでブログでも支部総会でも糾弾している。さらに「過去5年間宅建業を営んでいないのに支部長職に就いている」ことに対しても度々疑問を呈している。当然にFさんはご存知である。だが、目が合えば互いに会釈はする。

聞くところによれば「Fさんは自ら希望して支部長選に出たワケではないし人柄もいいよ」とのこと。私もそう思う。私が批判しているのはFさんという人ではなく「選挙のやり方」と「支部長として適格かどうか」である。私が「人」を批判しているのは(八百長を仕組んだ)「取り巻き」の連中に対して、である。

で、余計なお世話なんだろうけど、急いでいる様子もなかったし、帰る途中に何軒かは支部の会員業者の店もあることだろうから、顔を出して「近所まで来たのでご挨拶に寄らせてもらいました。景気はどうですか?。困ったことがあったら支部に遠慮なくご相談くださいね」とでも声を掛けたなら、「支部長が気に掛けてわざわざ寄ってくださった」と業者は感激するものだろうに、そんなふうに寄ってるのだろうか、と気になった。もちろん「近くまで来たならうちの店にも顔を出して挨拶くらいして行け」と言っているのではない。

私同様に「不動産業を営んでいない人に末端の会員業者の苦労や辛さが解かるのか。そういう人が支部長職に就いて会員業者のために何が出来るのか」という疑問を持っている人はけっこういる。イメージ戦略、と言ってしまえばそれまでの話だが、そういうことは大切だと思う。評価も違ってくるだろうし。

ただ、Fさんは次の支部長選挙には出ないのでは、という話もあって、そうなると「無駄」にはなるかも知れないが、それでも、ついでと時間があるのなら、そうしたほうが良いとは思う。私みたいな人間がいるから、Fさんなりに苦労もしてストレスを感じているものだろうけど、そういうことに気が付くかどうか、が「人生の中で苦労をしたかどうか、そして苦労が身に着いているかどうか」の違いになって表れるもの。

ま、「オマエが言うな!」との謗りは免れないだろうけどふらふら


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2013年05月18日

ある酒造メーカーのHPに載っていた ちょっといい話

懸賞サイトから辿っていって見つけたちょっといい話。酒のオエノングループから売り出されている梅酒の名前について、こんな話が書かれていたのでご紹介。ま、ここんとこ、韓国がらみの記事で私の心も殺伐としていたので、いかにも日本人らしい、古き良き時代のエピソードで皆さんに和んで頂けたら、と思う。



梅酒「鴬宿梅」の名称の由来

合同酒精株式会社の梅酒「鴬宿梅」の名前は、著者未詳の歴史物語「大鏡(おおかがみ)」に由来します。
「大鏡」の中には、次のような逸話があります。

庭の梅の木を帝に献上することになった紀貫之の娘が、

「勅(ちょく)なれば いともかしこし鴬(うぐいす)の 宿(やど)はと問(と)はば いかが答(こた)へむ」帝のお言葉ですので、謹んで献上いたします。しかし、毎年この梅の枝に宿る鴬から、「私が宿にする梅の木はどこに?」と問われたならば、どのように答えたらよいのでございましょうか。

という和歌を枝に結びつけ献上したところ、帝はその和歌に深く感心し、梅の木をお返しになられました。

その「鴬の宿る梅」の枝振りは品が良く、花は色濃く、香りも非常に高かったとされています。
合同酒精株式会社では、この逸話に因み、その梅のような香り高く味わい深い「梅酒」を皆様にお届けしたいという思いを込め、昭和14(1939)年から「鴬宿梅(おうしゅくばい)」を梅酒の商標として登録し、「鴬宿梅(おうしゅくばい)」ブランドを展開しています。


                (HPより無断で引用、ではあるが、こういうのは赦されるであろうわーい(嬉しい顔)

現代と違って通信手段が満足に無い時代の話、和歌を枝に結び付けて、しかも「ほんとは嫌なのよね。でも偉い人が『どうしても』って言うから仕方ないじゃないの。ただし責任だけは取って頂戴!」と直接訴えるのでなく、(まあ、本音ではあったんだろうけど)鶯を引き合いに出して奥ゆかしく抵抗してみせる・・・、今はこんなことが出来る女性も、歌を読んで直ぐに返してよこす男性もいないんじゃないかな、と思う。


この梅酒、飲んでみたくなった。早速探してみようるんるん

posted by poohpapa at 06:36| Comment(7) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月13日

最近のコンテストに見る日本人の言葉のセンスの欠乏

警視庁が「振り込め詐欺」に代わる新名称を募集していたが、このほど最優秀作品が決まった。

「母さん助けて詐欺」

14104件の応募作品の中から選ばれたとか。

優秀作品は、

「ニセ電話詐欺」
「親心利用詐欺」

これ、選んだ人のセンス悪すぎ、だと思う。先ず、「母さん助けて詐欺」、本来ならこれからニュースで頻繁に流れることになるハズだが、おそらくは使われないと思う。何より、詐欺の対象は母親だけではない。父親や祖父が被害に遭ったなら「母さん助けて詐欺」では事件と名称の整合性がなくなる。どうしてピンポイントの被害者を対象にした名前を選んだのかが解からない。

「ニセ電話詐欺」も、これだと「掛けてきた人物が偽者」というより、電話機の偽物を売り込む詐欺であるかのような意味合いになる。「親心利用詐欺」も、正確には、内容的に「親心付け込み詐欺」が正しい。

「振り込め詐欺」が実態を反映していないから、と言いながら、どんどん遠くへ行ってしまっているように思う。おそらくは全部が「E電」の二の舞になるだろう。やはり、最初の「オレオレ詐欺」で良かったのだ。

不動産コンサル(ティング)が不動産マスターになったのも然り。今まさに、業界団体が署名運動まで起こして「宅地建物取引主任者」を「宅地建物取引士」に、つまり「主任者」を「士」に(法改正して)変更してもらおうとしていて、たしかに主任者という資格名は変ではあるが、だから士、というのも如何なものかと思うし。

ともあれ、横柄な言い方で恐縮だが、選ぶ側(審査員)のセンスが悪いのか応募作品のレベルが低いのかは不明だが、最近の日本人の「語彙」と「言葉のセンス」の欠乏ぐあいには絶望的に悲観しているバッド(下向き矢印)



posted by poohpapa at 06:09| Comment(4) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月08日

箱と包装代が400円・・・、これってアリ!?

岩手で私が「オイオイ」と思ったことがあった。それは・・・、

銘菓「黄金かもめの玉子」の値段設定、である。商品そのものが高いのでは・・・、ということではない。

一関駅に着いて改札を出る前の売店で「黄金かもめの玉子」の化粧箱入りを2500円で購入した後で、ふと商品棚を見ると、個別の箱に入ったものが1個350円で売られていた。化粧箱はその6個入りである。

てことは、箱と包装代が400円、ということになる。私の感覚ではそれが解からない。箱も包装も、言うなれば何の変哲もないモノ。虎屋の羊羹の外箱のように頑丈で豪華な作りでもないし、後で他に流用できるような代物でもない。ふつう複数買えば安くなるか、この程度なら箱代と包装代で100円くらいだろう。

化粧箱入りはこんな感じ、バラ売りの箱を並べて詰めたもの(さいとう製菓のHPから)

そういう時、私は直ぐに企業に意見を言う性分である。もちろん、良かれと思ってのことではある。

さいとう製菓にメールで問い合わせると、翌日、担当者から返信があった。のだが・・・、その内容で怒り心頭に発してしまった。会社側の言い分を曲げてしまわないよう、以下に個人名を除いて全文を貼る。本当は私が送ったメールも添えるといいのだが、HPの問い合わせ欄から送ったのでこちらには残っていない。

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お世話になります。さいとう製菓の◎◎と申します。

当社のかもめの玉子をご購入いただき、ありがとうございます。

メールで送信いただいた、黄金かもめの玉子の値段設定について、御連絡いたしました。

黄金かもめの玉子6個入りは、箱代以外にも、包装作業代なども含まれています。

通常のかもめの玉子ですと、ほぼ機械化されていること、製造数が比較にならないほど違うことなどから、1箱あたり100円程度の上乗せになりますが、黄金かもめの玉子は、これらは全て手作業で行っており、同じ箱入れであっても、単純に同じ価格設定にできないのが現状であります。

今後、包材の変更や、作業の効率化などで、価格設定を見直す機会がありましたら、よりお客様に受け入れていただける商品としていく考えであります。


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文面を読んで、この件で、さいとう製菓は客の声に向き合う気は無いな、と思った。この説明(文面)で客に納得してもらえると思っているなら何とも不思議である。回答しないワケにもいかないから儀礼的事務的に返信してきただけ、と思えた。内容にもよるが、苦情を言ってくれるお客というのは有り難いもので、企業からすると「何も言わず黙ってしまっている客のほうが怖いもの」、と私には思えるのだが、さいとう製菓は違うようだ。これ、窓口の担当者が会社を代表していることになるから、窓口の担当者の対応が会社の姿勢、と捉えられかねないのだが・・・、たぶん担当者は解かってないと思う。少なくとも「一人の客を失ってもべつに大したことではない」という考えが透けて見えている。それで「オイオイ」から怒りに変わった。

実は、そういう体験は二度目。以前は、ホテルグランヴィア京都の予約による料金体系について改善の提案をしようとして電話をしたら、電話を受けた若い女性からその時点で直ぐにクレーマー扱いされてしまった。その内容を記事にしたら(ちゃんと読まない)読み手さんからもそう判断されてしまったりして・・・。


で、「黄金かもめの玉子6個入りは、箱代以外にも、包装作業代なども含まれています」、とあるが・・・、

へ?、包装作業代??、そんなの、どこの製菓会社のお菓子でも一緒でしょ。1個350円で売るべく既に個別に箱入りされたものを化粧箱に並べて入れる段階ではそれほどの手間ではないだろうに400円・・・、それで当然だと思っている??

いくら地元の銘菓といっても、そういうのを殿様商売って言うんじゃないかなあ・・・。「箱に入れてキレイな包装紙に包んで高級感が出るんだから商品代とは別に400円くらい取ってもいいでしょ」という感覚なんだろうけど、客の気持ちが解かっていないと思う。改善する気の無い返信からは「嫌なら買わなきゃいいでしょ!」という雰囲気さえ感じる。考え過ぎかも知れないが・・・。

他の企業が同じような商品の梱包を100円程度で頑張っているのに、さいとう製菓に出来ないハズが無い。出来ない(しない)なら、それは経営者の感覚が(どこかで)天狗になって麻痺しているから、だと思う。先代が苦労をして開発した商品で、何度も挫折しそうになってその度に危機を乗り越え、未曾有の災害からも復興してきた企業だけに、今の(当たり前の感性に欠ける)企業姿勢は残念に思える。

私は、黄金かもめの玉子なら350円が400円していても納得である。1個400円のものが6個入りの箱で2500円なら何の不思議もないのだし。でもって、もしも包装紙に小さく「料金の中には被災地への義捐金が含まれています」とでもあるなら差額など気にせず喜んで2500円を出すのだが・・・。

黄金かもめの玉子は常に売られているので、6個入りが2500円のまま今後も売られているなら私の意見は黙殺された、ということになるんだろう。これで私はさいとう製菓のファンではなくなったが、もう買わないか、というと、そんなことはない。私の(企業への)好き嫌いに関係なく、お土産として「黄金かもめの玉子」を喜んでくださる人がいるのだから今後も買うに違いない。ただし・・・、もうバラでしか買わないが。

posted by poohpapa at 07:31| Comment(4) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月11日

サービス、あれこれ

昨日の定休日、「一昨日のリベンジ」ということで、再び矢川の「万世」に行ってきた。美人店員のYさんがいてくれるといいな、と思っていたのだが・・・、迎えてくれたのは究極の対角線上にある女性だったたらーっ(汗)

ま、人生、そんなもんでしょ。次の楽しみができた、と思えばいいか(*^^)v

ところで・・・、

先日の記事で、うちのの岩手の実家への帰省で、帰りは「やまびこ」のグランクラスを利用する、と書いていたが、キャンセルした。よくよく調べると、「サービスはシートのみになります」とあった。つまり、革張りの高級シートに座るだけのことで、同じ料金を取りながら「弁当も飲み放題」もなく、専属のアテンダントによるサービスもない、ということになる。ナニそれ??、である。料金にその分の差があるなら分かる。そういうのは先に謳ってなければ不親切であろう。ネットで解約するのに600円取られたし・・・。

と、書いてアップしたら、バラキさんから「お姉さんのサービスのないグランクラス(早朝便)は、東京ー仙台間で2300円料金が安く設定さています」との情報が・・・。JRさん、すんませんふらふら

それでも、私はJRに言いたい。「600円、返してくれ」と・・・わーい(嬉しい顔)

当初予約する際には、小さく「サービスはシートのみになる場合もあります」とは謳ってあったが「サービスはシートのみになります」とは書いてなかった。まあ授業料ということで諦めるしかないが。

今週の住宅新報のコラムに、ある居酒屋の粋な気遣いについて書かれていて、その居酒屋では店主が客に対して常に細やかな目配り気配りをしているようだ。カウンター席に2人で座っていて、両隣が2席ずつ空いているところに3人の予約が入り、客が気を利かせて席を詰めると、椅子を一つ取って「どうぞごゆっくり」と声を掛けてくれるんだと。一人客が来たら「その空いてる席」に座らせれば満席になって有り難い、とは考えないで、あくまで客の立場で考えてくれるようだ。二人で一品頼むと最初から半分ずつ分けて皿に盛って出してくれたりとかしてくれて、なのでとても繁盛しているようである。ま、それは当然であろう。

私たちが最近よく利用している「バーミヤン」も店員さんが気持ちいい。混んでいると狭い二人席に通されるのは仕方ないことだが、そのうち空き始めると、店員さんが空いたテーブルをつけてくれて「すみませんでした、どうぞごゆっくり」と声を掛けてくれる。客からすると、窮屈なテーブルで食事するのは辛いものがあるし、後から来た二人連れが広いテーブル席に通されるのを見ると「今日はタイミングが悪かったな」とテンションが下がるものだが、店側が客の心理をよく心得ていてくれる。狭い席に通されて、そのまま最後まで食事することになっても店側の姿勢が分かっていて納得しているから苦痛でなくなる。

私自身、逆に「へえ、こんなことするワケ??」と、些細なことが原因で二度と行かなくなった店もある。

客が(飲食店の)リピーターになるか離れていくかは、料理が美味しいか美味しくないか、ではないように思う。ましてや、料金が高いか安いか、でもないだろう。客は「居心地にカネを払っている」んだと思う。






posted by poohpapa at 06:50| Comment(8) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月05日

カネは遺すもんじゃなく使うもの

先日、某テレビ番組で相続税の増税に関して特集していたのだが、それによると、

日本の金融総資産は1500兆円あって、その6割を60歳以上が所有していて、70歳の平均資産に至っては約4500万とのこと。私が70歳になっても借金が残っていこそすれ遺産なんてないだろう。

番組で紹介されていた70歳くらいの夫婦、貯金通帳を何冊も持っていて、それぞれに7〜800万くらい入っていて、全部で9000万の貯金が有る。ご主人は元は普通のサラリーマンで、コツコツと貯えてきたらしく、「できれば子供たちに少しでも多く遺してやりたい」と思っているようだ。なので相続税が引き上げられることで悩んでいるらしい。僻むワケではないが、「勝手に一人で悩んでれば!」、である。

蓄財するための今までの努力は認めるが、自分たちの老後の為に、でなく、子供たちに「より多く遺す」のが目的になっていて、私からすれば「真面目な人なんだろうけど、おカネの本質がまるで解かってないな」と思えた。奥さんは「自分たちで使う」ことを希望していて、死ぬまでにあちこち旅行などに出かけたりして、もっと自分たちのために使いたい、と思っているようだ。だがご主人が同意しないとのこと。

人様の家庭のことだし、それぞれに多様な価値観があっていいことなんだろうけど、長年連れ添って苦楽を共にしてきた夫婦である。女房を喜ばせるために半分を使ったとしてもおかしくはないだろう。

それは、奥様の価値観が正しいと思う。奥様の考えは当たり前の話だし、カネは貯めるものでなく使うもの、世間に回してこそのカネである。一箇所で滞らせて相続が発生してやっと放出する、なんて年寄りがいるから経済が立ち行かなくなるもの。60歳以上が保有している金融資産1500兆円の6割の900兆円の3分の一でも消費されたなら、アベノミクスなどに頼らずとも日本の景気はいっぺんで弾けるだろう。

だが・・・、そうならないのは政治に責任がある。今の年金政策なんかを見ていて「老後は安泰」などと思える人が何人いるだろうか。皆、自分の老後に不安を持っているから「使いたくても使えない」のだ。

番組に出てきた老夫婦、ご主人がせいぜいあと10年、奥様は20年生きるとしても、これから全く無収入になるワケじゃなし、どう節税してどれだけ子供たちに遺すかで悩むのでなく、どう使うかで悩むべきだろう。ハッキリ言って、この旦那は救いようのない「ケチ」である。今まで誰かと飲食しても「オレが奢るよ」などと言ったことが無いんじゃなかろうか。通帳に並ぶ0の数だけが生き甲斐だったんだろう。失礼ながら、慕ってくれる友だちもいないんじゃないかと思う。ならば、もっと奥様を気遣うべきである。

そもそも「親が質素に暮らして自分たちにより多くの財産を残してくれる」のを喜ぶとしたなら碌な子供ではないのだし。私なら「使い切って最期を楽しんで死んでくれる」ことを望む。足りなくなったらなったで何とでもなるもの。それくらい負担したってかまわない。もし子供に遺すとしても「一息つける」程度で充分なのだ。「あとは自分の足で立てる」よう育てることこそが親が残すべき財産である。

エヘン!、私の場合はこのご主人とは真逆である。不動産屋はけっこう副収入や臨時収入があるもので、私はそれをコツコツ貯めて、ある程度まとまると、うちのに「好きなように使いなよ」と言って渡していた。と、過去形で書いているのは、今は借金の返済に廻ってしまうから、たとえ私が「好きなように・・・」と言っても、うちのは使わない(使えない)のが分かっているからである。

私は元々が貧乏な育ちで、親父や兄弟はそれでも気前が良かったから、「カネ離れの悪い人」は好きじゃないし「カネの生かし方を知らない人」なんかは軽蔑しているくらいである。「カネに汚い」のは論外だし。

番組では、親の遺産をめぐって兄弟仲が悪くなってしまった人も紹介していた。そんなのは私の周りにもけっこういる。それで兄弟が不仲になるとしたら、本人も、ではあるが連れ合いの出来が悪いんだと思う。


以前も書いたが、現金や証券の相続なんかにはドーンと課税すればいい。そうして、生きてるうちに自分が使うか子供に使わせるように仕向けて、先祖伝来住み続けている家や土地は一定の規模までは非課税にすればいいと思う。生前贈与の非課税枠が拡がって、少しは世の中にカネが回ることになるのは嬉しいが。

相続税・・・、死ぬまでに使い切れずに残ってしまった財産があるなら納めればいいじゃないか、社会に役立ってくれるのだから。それが嫌なら使えばいい。貯蓄目標は「際限なく」ではなく「適当」で良いのだ。




posted by poohpapa at 07:43| Comment(4) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月12日

人は「忘れる」・・・

昨日は3.11からちょうど2年ということで、ここ立川市でも街頭に設置された拡声器から「本日は東日本大震災があった日です。2時46分になりましたらサイレンを鳴らしますので黙祷してくださるようお願いします」とのアナウンスが度々流されていた。たまたま買い物に行ったデパートでも同様のアナウンスが流れていたので、きっと手すきの店員さんたちは黙祷をしていたと思われる。

うちのと私は、その2時46分に家まで着けるかどうか微妙なタイミングだったが、家まであと少しの路上で黙祷開始のサイレンが鳴り始めた。道の脇に寄って立ち止まり、買い物袋を提げたまま黙祷を始めたのだが、その脇を自転車や歩行者が通り過ぎる気配は感じていた。そういうのは強制するものではないので、黙祷しない人たちを非難するつもりは無い。その日を覚えていて「しよう」と思う人がすれば良いとは思う。

ただ、こういう奴は赦せない。

黙祷している我々の後ろから車が迫ってくる気配がする。まあ、その時間にも車は動いていて「日本中の車が一時停止して黙祷する」なんてことは有り得ないし、大袈裟な話、それでは日本経済が停滞する。

で、後ろからゆっくり静かに迫ってきた車が、ちょうど我々の横に並んだ時のこと、





突然、その車から、「コケコッコー!」と鶏の鳴き声が流れた。

しかも大音響で音楽が鳴り、「新鮮な卵の移動販売でお邪魔しています」との無粋なアナウンスまで流れたから黙祷のサイレンがかき消されてしまい、黙祷の途中であったが仕方なく我々は黙祷をやめた。

無関心に通り過ぎるのならまだ赦せるが、たとえ悪意は無くても「邪魔をする」のは赦せない。せめて会社を出る前に「今日が何の日か」を確認するとか思い出すとかして、黙祷まではしないまでも「その時間になったら当然に営業をやめて騒音を出さないようにしよう」とは考えないものか。

車が少し前方で停まったので、運転していた社員に注意をしようと思ったのだが、運転席から降りてきたのは意外にも私よりかなり年上の「枯葉マーク」目前の女性だった。それで、注意するのを諦めた。

人は「忘れる」もの。ましてや、被災地から遠く離れていれば尚のこと。それは仕方ない。だが、同じ日本人として、「せめて被災地に真の復興の日が訪れるまでは3.11を風化させてはならない」と強く思った。



 コメントの返信、少々お待ちください。昨晩は「風邪の初期症状」で早めに寝てしまいました。
   陽気の変わり目につき、皆さんもお気をつけください。






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2013年03月04日

「しんたさんのメルマガ」より

私がいつも読ませて頂いているメルマガに、こんな記事がありました。

少し前の記事になりますが、ご紹介と意見を(*^^)v


電話を使ってはいけない、またはマナー違反の場所で、突然電話がなって、
焦った...なんて経験ありませんか?

ネットサーフィンをしていて、そうした「電話の電源切り忘れ」や「マナー
モード設定忘れ」の対策がありましたので、紹介します。

その方法は簡単、着信音を「よくある雑音」にするだけです。
例えば、「咳」「咳払い」「くしゃみ」「コインが落ちる音」などです。
仮に、映画館で携帯電話が鳴ってしまっても素知らぬ顔でごまかすことが
出来るというわけです。



たしかに、映画館や研修の最中に携帯が鳴ること、ありますね。だいたいが映画館での上映前や研修が始まる前には「携帯電話の電源をお切りください」とのアナウンスがありますので、携帯を鳴らしてしまった人は「遅れて来場した人」、なのかも知れません。よほど何かに気を取られていても、そういう場内アナウンスが流れているのに携帯の電源を切り忘れる人など、そうはいないものでしょうから。

着信音を「咳」「咳払い」「くしゃみ」「コインが落ちる音」などにしておけば違和感は少ないかも知れませんが、ふだんから「咳払い」の音で「着信があった」と認識できるようにするつもりなら相当に大きな「咳払い」でないと気が付かないでしょうね。クラシックのコンサートでも、例えばシューベルトの「未完成」の冒頭で咳払いなどされたら興醒めです。映画のしっとりしたラブシーンでも然りです。普通の呼び出し音よりマシというだけのことで、いずれにしても迷惑です。

ふだんの着信音は直ぐ気付くような別の着信音にしていて、そういう場所では切り替えるようにしているのなら、呼び出し音を切り替えるのでなく電源を切ることが出来るものでしょう。そういう人は切り替えも忘れることでしょうね。

発信者も「電源が入っていないか電波が届かないところに・・・」というメッセージでなく呼び続けていたなら「どうして出ないんだ。何やってんだ!?」と思うものでしょう。「どうやって誤魔化すか」の方法を教えるのでなく、そういう場所では常に電源を切ることを「どうすれば習慣付けられるか」をアドバイスすることのほうが理に適っているように思います。着信があって席を離れられるのも周りからすれば迷惑ですし。

「着信音を工夫するのを対策にしているような人が一流ビジネスマンになれる」とは思えませんし・・・。

これ、私なら・・・、




どうせなら「おなら」の音にしますねわーい(嬉しい顔)
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2013年03月03日

住宅新報版「紙上ブログ」のタイトルが変わります

190回も連載させて頂いている住宅新報版ブログのタイトルが変わるようです。

一昨日、副編集長さんからお電話を頂きまして、「複数の方から(公益法人にもなって)業界が信頼を得られるべく努力しているのに、『悪徳』などというタイトル名のブログを掲載しているのは如何なものか、との意見が寄せられたので・・・」とのことでした。

私は躊躇せず「どのように変更なさってもかまいません」と答えました。住宅新報さんは「そういう意見」がいくつか寄せられれば、業界紙と言えども公器ですから立場上無視できないもの、と思うからです。しかしながら「そういう意見」を寄せた同業者に対して、私は非常に強い怒りをもっています。

なぜなら、「彼らは私の記事をちゃんと読んでいない」ということが解かるからです。私の記事がブログタイトルそのままに「消費者を苛めてやった」「騙してボロ儲けした」という内容であるなら、彼らの意見はもっともです。ですが、そんな記事は一つもありません。業者として家主として客として、「こういうことはしないほうが良い」「こうしたら喜んで頂けた」という内容ばかりです。これが、「記事の一つ一つは得心できますが、だからこそブログ名は再考したらどうでしょう」という意見なら嬉しかったのですが・・・。

私のネットのブログにも「ちゃんと読まずに誹謗中傷コメントを入れてきたり、自分と違う意見に対してハナから聞く耳を持たない」という人、たまにいますが、そういうのと変わりがありません。

私はいつも、「誰が正しいか、でなく、何が正しいか、が大切」と述べていて、言っていることが正しければ誰が言ったかに関係なく常に受け入れるつもりでいます。ですが、同業者からそういう意見が出たのなら、ぜひ言っておきたいことがあります。

住宅新報は業界紙ですから、一般消費者が読まれることはほとんどないものでしょう。読者の方は何らかの形で業界に関連した人たちだと思われます。「業界が信頼回復に努めている時にこのタイトルはけしからん」と言っている同業者の人たちが、本当に信頼回復に努めているのか甚だ疑問であって、そういう人たちがむしろ業界の信頼回復の足を引っ張っている、と私は思うのです。以下に例を挙げます。


以前、このブログでも紙上ブログでも取り上げましたが、不動産業界では現在「AD付き」の広告が主流になりつつあります。ご存知ない方のために概略を書きますが、ADというのは「うちの募集物件に客付けしてくれたなら、仲介手数料とは別にボーナスを出しますよ」という仕組みで、その率は50%から400%まであります。もしAD400%の部屋に客付けしたなら、家賃8万円の部屋の場合、正規の手数料の他にボーナスとして32万円出しますよ、というものです。ADという名目であったり、広告料であったり、業務委託料であったりしますが、実質的な内容は同じです。

その費用は一時的に家主さんが出しますが、長い目で見たら「入居者の家賃から支払われるもの」です。言うまでもなく、不動産業者が自分の懐を痛めることはありません。これは名目はどうあれ、明らかに宅建業法の報酬規定に違反しています。顧問弁護士さんに言わせれば「限りなく黒に近いグレー」ということで、私も都庁や関係機関に「業者に対して止めさせるよう指導すべきではないか」と訴えましたが「不法とまでは言えない」とのことでした。

本当にそうでしょうか・・・。これ、合法かどうか以前に、社会通念上の常識外で、異常です。

こんなのを許していたら「自分たちが食っていくためなら何でもアリ」になってしまうものでしょう。宅建業協会が公益法人になったのに、こんなやり方を放置していて何が公益法人なのか、という話です。当然に協会の幹部の人たちも知っていると思います。知っていて放置しているんでしょう。怠慢ですね。

で、「悪徳」というタイトル名が良くない、と言う人たち、私のように「ADは良くない、止めさせよう」と言ってあちこちに働きかけをしているんでしょうか。「そんなことは全くしていない」と思いますね。

それが正しい意見なら誰が言ってもかまいません。泥棒が「人殺しは良くない」と言っても、それが正しいのなら「オマエが言うな」でなく受け留めるべき、と思います。一方で、紙上版ブログの名称の件に関しては、一般消費者から寄せられた意見なら私も蟠り(わだかまり)はありませんが、自分たちの互いの違法行為スレスレのやり方に目を瞑っている同業者が、たかがブログのタイトルに難癖をつけているのですから、その了見が不快です。ハッキリ言いますが、そういう人たち、「碌な人間ではない」と思いますね。

自分自身もADなんて制度を廃止すべく動いている人が(ブログタイトルに)意見を仰っているなら私も文句はありません。自分たちに都合の良いことは(間違っていても)蓋をして、(本質を斟酌せずに)どうでもいいような些細なことに文句をつける・・・、それでは業界の健全な発展など有り得ません。

ん・・・??、それとも何か他の意図があってのことなんでしょうかねえ・・・。もちろん、この記事は、ブログのタイトル名を変更することにした住宅新報さんを批判しているものではありませんので念のため。


読み手の皆さんはどう思われますか?。私の考えや考え方が間違っているのかも知れませんし、この件に関してはなるだけ多くの方のご意見を伺わせて頂けたら、と存じます。宜しくお願いします。

キツイご意見でもかまいませんよ、本当に。


posted by poohpapa at 08:44| Comment(16) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月21日

実は、人も追突する

駅のコンコースで前を歩いていた若い女が急に立ち止った。混雑していて1mも離れずに流れにそって早足で歩いていたので咄嗟に止まれず、避けようとしたが追突してしまった。すると、女は不快そうに私を睨む。

女がなぜ急に立ち止ったか、その理由は女の手元を見て分かった。女はスマホの画面を見ながら歩いていて急に行先の変更を思い立ったようである。人対人だったから良かったようなものの迷惑で危険な行為だ。中には、自転車に乗ってヘッドフォンで音楽を聴きながらスマホを操作している若者もいるちっ(怒った顔)

自転車だけではない。スマホを操作しながらベビーカーを押している母親もいる。馬鹿野郎!である爆弾

日本では難しいだろうが、アメリカなんかでは「それが元での交通事故」が発生したならメーカーに損害賠償請求だって出来るのではないかと思う。こんなのは企画段階で予測できることだろう。売るだけ売っておいて「後は利用者の責任、当方は与り知らない」では無責任というものだ。

先日はJR南武線で立川から分倍河原に向かう途中、幼稚園児くらいの男の子を向かい合わせに抱っこした若い父親が私の隣に座り、子供の靴が私の服に当たっているのも気づかずスマホに熱中していた。


私はスマホは持たない主義だ。持っているのは旧式の携帯電話のみ。使い方によっては非常に便利な道具であることは分かるが、持っていたなら私が加害者(迷惑を掛ける側)にならないとも限らないからだ。

街中で、スマホを操作しながら通行している若者を見てハラハラすることは実に多いもの。

スマホに嵌る若者たちの様子を見ていて、少なくとも、スマホを扱いながら自転車などに乗って事故を起こした場合、自動車と同様に責任が問われるよう法律を改正してもらいたいもの、と思わずにいられない。

私はスマホが大っ嫌いである。

posted by poohpapa at 06:24| Comment(14) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月25日

人混みで手を繋ぐな!

年末が近づいてきて、駅やデパートなどがふだんより混雑し始めたが、どうも気になることがある。

若いカップルや親子連れが雑踏の中でも手を繋いでいることである。もちろん、幼児は手を引いてもらわないと危ないもの。私の言っているのは、両親で子供の両手を繋ぐな、ということ。保護者のどちらかが子供の手を繋げば充分で、3人連なって広がられて子供のペースでゆっくり歩かれると、雑踏では追い越したり避けにくくなる。ましてや若いカップルなんかは逸れる心配も無いのだし手を繋ぐ必要など無い。

昨夕、駅のコンコースは相当な混雑で、前方から来る人たちを避けながら歩いていたのだが、前から3人連れの親子が手を繋いでやってきた。私の進路の正面である。「親はどうするかな」と思いつつそのまま子供の真正面数十センチ前まで行って私が止まったら、ようやく父親が子供の手を放した。自分たちは子供連れだから相手が避けてくれるもの、と決め付けていたんだろう。「どっこい、そうはいくか!」である。

いささか陰険ではあるが、それくらいしないと周りの迷惑に気付かないもの。いや、あの親は気付いていないだろう。振り返って見たら、また子供の両手を繋いでいたし・・・。

ATMの件と同じで、もう少し周囲に目配りや気配りしてほしいもの、と思った。

posted by poohpapa at 05:30| Comment(8) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月01日

月末になると、いつも思うこと

これ、ずっと以前にも触れたことがあるが、月末になるといつも同じ光景を見て腹が立っているのでちっ(怒った顔)

月末はどこの銀行のATMも長蛇の列ができていて、駅前の三菱東京UFJ銀行など、広いロビーから外に客が溢れていることもある。どうかすると、列を見て諦めて帰ってしまう人もいるくらいなのだが・・・、

女性客、とくにお年寄りに多いのだが、振り込みや引き出しが済んでいるようなのに、ATMの前でブリーフケース(ハンドバック)の中をゴソゴソやっていたり、ATMから出てきた通帳を眺めていたり・・・、いつまでも離れようとしない人がいる。もう一冊通帳を持っていて別の用があるならともかく、さんざん時間を掛けておいて「ただブリーフケース(ハンドバック)の中を整理していただけ」だったりする。

後ろに非常に長い順番待ちの列が続いているのに、である。自分だって長いこと待たされていたのだから、並んでいる人が苛立つ気持ちくらい解かっているだろうに、どうして後の人のことを考えないんだろう。

私は自分の番が来て用が済んだら、通帳やら現金やらカード、手提げ、外したメガネなど、とにかく全部手に持って直ぐにATMを離れて(窓口でない荷物置き用の)カウンターに行き、そこで整理するようにしている。つまり、次の人に早くATMを明け渡すことに専念している。通帳は3冊持っていてそれぞれ役割が違うのだが、並んでいる間にカードも通帳も手に持って、どういう順番に操作するかも組み立てている。

だから、自分の世界に入り込んでいるのか周りに配慮せず用が終わってもATMの前をなかなか離れない人がいると非常に腹が立つ。普段はさほどは気にならないが、月末は辛い。振込だけなら最近はネットでも可能だが、現金の移動を必要とするケースもあるから、ATMに並ばざるを得ないし・・・。

まさかに、ATMの前に「次のお客様の為に、用が終わりましたら速やかにATMから離れてください」とも貼紙できないものだろうが、例えばホール係が定期的に呼びかけるとか、何とかならないものだろうか。
posted by poohpapa at 05:38| Comment(8) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月26日

人権アレルギー

私は、どうも「人権」という言葉を聞くと胸糞が悪くなる。ほとんどアレルギーである。

当たり前に公平な「人権」なら当然のこととして受け入れられるが、日本では過剰に、しかも不公平なまでに「人権に配慮されている」ように思うのだ。犯罪加害者に対しては被害者や遺族に対してより配慮されているし、まだ50歳前の働き盛りの人がちょっとした病気を理由に「(明らかに)働けるのに働かないで」生活保護を受ていたりする。最低限の暮らしを保障するのでなく、過保護になっている。

以前頂いたコメントで「私は働いているけど倹約して風呂なしのアパートで暮らしていますが、生活保護の人たちは働かないで私より良い部屋で暮らせるなんておかしいのでは」とあって、目が覚める思いだった。今まで私も、生活保護受給者の場合、単身者なら家賃53700円、世帯なら69800円という上限でなるだけ良い部屋を探そうとしていた。それは手数料を稼ごうということでなく、上限が53700円と決まっているのだから「それより安い(設備や環境が悪い)部屋を紹介したなら納得してくれないから」である。

現在、立川周辺では家賃が下落していて、一昔前だと53700円では碌な部屋が無かったが、今は4万円以下で風呂もACも付いている部屋がゴロゴロある。役所がどうして上限金額を見直さないのか不思議である。だいいち、生活保護受給者であるなら、「風呂もACも要る」というのは贅沢ではないか。最低限「雨風凌げる部屋」でいいのでは、と思うのだ。どう考えても、働いて税金を納めている人より生活保護者のほうが良い部屋に住めるのはおかしい。そう思わせてくれたのは先述のコメントであるのだが・・・。

役所も人権団体も「一般の人と同等の生活環境を保障するのが当たり前」と思っているのだろう。所詮は人のカネ、税金だから。ま、最近は市によっては「上限いっぱいの家賃の部屋を見つけてきたなら認めません」と言っている生活福祉課もあるようだが、それより先に上限を見直したほうがいい。私からすれば、うちの町なら4万円で充分だと思う。そうすれば家賃だけでも3割近く節約できる。或いは、その分の何がしかを状況や必要に応じて生活費に回してあげたほうが税金が生きると思う。


障害者に対しても厳しい意見を言おうものなら、まあ、昨日のように「虫唾が走った」などとコメントが入ったりする。先日の宅建多摩ブロックの研修に至っては「お客さんの本籍地を訊くな」「家族構成は記入させるな」「外国人の国籍は訊くな」などと押し付けられる始末。こんなことをイチイチ断るのも嫌なのだが、私は「外国人だから」という理由で差別したことも無いし、障害者だからといってぞんざいに扱ったことも無い。他の業者さんで申し込みすることになった場合でも「真面目な人だからくれぐれも宜しく」と電話でフォローしたりもする。もちろん、当社には一銭も入ってこないのだが、それでいい。

私が、一番言いたいこと、それは、

障害者や生活保護者が、不自由なく一般の人と同じ暮らしができるようにするのは、一般の人たちに対する逆差別になりはしないか、ということ。公共の施設などで「何でここまでするの??」という設備を見かけることもある。私たちは、過剰な福祉であっても何でも受け入れて温かく見守らなければならないんだろうか。そうでない人は冷酷、と決め付けられたりもするし。人権とか福祉とか、そういうものに反論するのは勇気が要ることで、そんな世の中そのものが既に「不公平」なものになっているように思える。こういうことを書くと人権論者から総攻撃(俗に言う炎上)を受けるかも知れないが、コメントはお好きにどうぞ。

私は「障害者は家で大人しくしていろ」と言っているのではない。健常者と障害を持っている人では、同じ目標や目的を持っていても自ずと手段や過程が違っていて当たり前、それを高福祉で同じようにできるようにすることが間違い、と思っているだけのこと。高福祉で至れり尽くせりの社会が公正で理想、とは思っていないのだ。生活保護者も障害者も、必ずしも社会的な弱者とは言えないし、そう決め付けてはいけないんではないか。なので、むしろ至れり尽くせりの社会にしてはならない、と思っている。北欧型の福祉が理想だが、日本で今から導入するのは難しいだろう。

ずっと以前、もう35年くらい前のこと、川越の駅前で女子高生が屯していた。そこにお年寄りが来て横断歩道を渡ろうとしていた。すると、女子高生たちはお喋りをやめ、サッとお年寄りのところに行き、手を取って向こう側まで渡り、また戻ってきて何事も無かったかのようにお喋りの続きを始めた。その姿を見て非常に感動した。後で聞いたところでは川越女子高校の生徒さんとのこと。実に立派な教育や躾けを受けている。

私は、それこそが福祉の原点だと思う。設備や道具やカネより、心、なんだろう。学校で自虐史観なんか教えるくらいなら、川越女子高校のような教育をしてみろ、と言いたいくらい。皆がそういう思い遣りを持っていることこそが最高の福祉になるし税の節約になる、と私は思う。少なくとも、人権だの福祉だのと尤もらしく主張している人たちこそが日本社会を不公平な社会に向かわせている、そう思えてならない。

尋常でなく過保護なまでの人権など世の中に無用である。
posted by poohpapa at 07:22| Comment(11) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月10日

機が熟す、ということ

昨日11月9日が何の日であったか・・・、

119で「消防の日」、「いいくうき」の(苦しい)語呂合わせで「換気の日」、などいろいろ(*^^)v

私にとっては11月9日と言えば・・・、



「ベルリンの壁崩壊の日」

である。1989年11月9日、今から25年(四半世紀)前の出来事。兆しはあったものの、壁の上で鶴嘴を振りかざして壊していく市民の映像は衝撃的だった。1961年に当時の東ドイツによって建設され、西側に逃れようとして東ドイツ国境警備隊に見つかり射殺された人たちは200人近くに及ぶとのこと。

戦後、ドイツが東西に分断され、ベルリンの壁が市民によって壊されてドイツが統一されるまで44年。長かったし犠牲も多かったが、ドイツでさえ「機が熟す」までそれだけの期間を要した。旧西ドイツの人たちは今も旧東ドイツの復興のために多く税金を負担しているとか。そろそろ不満も出ているそうだがドイツの人たちは辛抱強いし賢明である。何より、他国を当てにせず自分の足で立とうとしているのは立派。機会があれば、いつかベルリンや旧東ドイツ側も訪れてみたいと思う。

転じて、朝鮮半島。北側は(国民は別にして)本音では統一など望んでなくて、「統一」は南側から支援を引き出す口実、「掛け声だけ」と思える。ドイツのように自己責任で自立しようとする国民性ではないから、その時はどうせ日本に支援を強要してくるに決まっている。「お願い」ではなく「出して当然」という態度で。

少なくとも私が生きている間は南北朝鮮の統一は無いと思う。いつまでも「機が熟す」ことは無いだろう。

最近いろんな物事で「機が熟すこと」「機が熟すのを待つこと」の大切さを感じるようになった。あれこれ工作するのでなく、辛抱強く待つことやタイミングを計ることの大切さを、である。世の中、焦ったり苦しかったりして動けば動くほど深みに嵌ったり裏目に出ることは多いもの。じっと辛抱できない人間に勝ち目は廻ってこない・・・、と思えるようになったのは、朝晩「剣客商売」のDVDを観ている効果かもわーい(嬉しい顔)
posted by poohpapa at 06:05| Comment(2) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月15日

「先(将来)を見る目」

橋下さんが、現在の政治家たちを「3年先も読めない」とコキ下ろしていたが、全く同感である。

政治家たるもの、国家の50年、百年先を読めないようでは務まらないもの。尖閣や竹島などの外交・防衛上の問題で、常に相手国の対応を見誤ってきたのだから日本には碌な政治家はいない。彼らが見ているのは国家の百年先ではなく、次の選挙、つまり、自分の数ヶ月先の立場だけ、である。目の前の餌が食べられるかどうかだけ(本能的に)考えて生きているゴキブリや鼠と何ら変わりない。官僚も同様である。国家や税金を食い物にして自分たちが肥え太ることしか考えていない。

小沢新党の「国民の生活が第一」に到っては、もう吹き出すしかない。本当にそう思っているなら東日本大震災の際に小沢氏自ら真っ先に被災地に駆け付けていたハズである。自分の選挙区なんだしパンチ

企業に関して、平社員は一ヶ月先、課長は1年先、部長は3年先、取締役は5年先、経営者は10年20年先を見なければ(読まなければ)ならない、と言うが、それは我々宅建協会についても言えることかも。

我々の業界のトップの連中には「自分たちがどう業界を牽引していけば良いか」というビジョンが無い。つまり、業界の方向性に対する信念を持ち合わせていない、ということである。自分で何一つ判断することなく、上(国交省)から言われるままに動き、知恵を絞ることも無い。ハッキリ言って、馬鹿でも務まる。彼らの頭にあるのは数年後の業界のあるべき姿ではなく「自分が勲章を貰えるのはいつ頃になるか」だけ。現に、国交省から言われるままに我々の業界がいくつの公益法人(天下り先)を誕生させたか考えてみればいい。会員業者にとってはメリットなど何も無く、協会の幹部が(公益法人の役員ということで)世間に「いい顔」が出来て勲章も貰えて、国交省の役人の老後が安泰になっただけである。

協会幹部は業界の数年後さえも見ていない。このまま業界が国交省の筋書き通りに舵を取らされると、5年後には小規模な不動産業者の3割くらいは廃業することにもなりかねない。それが全く見えていないのだから、業界のトップはボンクラ揃いと言える。いや、見えていても「知らん顔」をしているのだろう。業界の発展も会員業者の暮らしも、トップの頭には無い。あるのは自己の歪な優越感と名誉欲のみ、である。

「言いすぎだ!」と言うなら先々勲章を辞退すれば良い。「私は本当に勲章を与えられるほど消費者の為に役立ったか」を自問自答してみればいいだろう。皆いい歳をして、お上からブリキのオモチャをもらって喜ぶのが関の山だ。むしろ、辞退するような人なら本当に世のため人のために役立った人であるに違いない。誰か勲章を辞退したなら、私は「大変失礼いたしました」と地面に頭をつけて謝罪してもいい。

まあ、誰が勲章を貰ってもそんなことはどうでもいいが、政治家、役人、企業経営者に「先を読める人」や「何かあったら私が責任を取ってやる」と言える男気のある人物がいなくなったのは嘆かわしい。「男気」というのは男だけの話でなく女でもいい。自分が嫌われることなど厭わずハッキリものを言う人間や、それを受け留められる度量のある人物は、政治の世界にも業界にも企業内にも必要なんだと思う。

もう20年ほど前のこと、私は「そろそろ東証に店頭公開しようか」という企業を訪問した後で、社員の方に「この会社はもたないよ」と予言したことがある。トップが自分に対するイエスマンだけを可愛がり、反対意見を言う者を疎んでいる様子を見たから、である。案の定、10年ほどして会社は無くなった。私もいろいろ進言したが、中間管理職の人たちは社長の逆鱗に触れることを恐れて何も言わなかった。「私の忠告を聞いていれば」などと言うつもりはない。ただ、そういうことが一因になったのは間違いないだろう。

ところで、橋下さんは、マスコミのコメンテーターに対しても「馬鹿ばっかり」と発言していて、それも全く同感である。テレビを観ていると、どこかの国や団体の「お抱え評論家」みたいな輩が多すぎる。彼らが普段どんな発言をしているか検証もしないで番組に呼んでいるし。河野洋平とか田嶋陽子とか・・・。

維新の会の人たちに「どれだけ先見の明があるか」はまだ未知数だが、少なくとも既存の政治家たちよりマシだろう。自分が当選することだけが目的で慌てて鞍替えした議員を除いては、であるが。

時代が違う、と言ってしまえばそれまでだが、日本が平和になって政治家が暗殺されることが無くなった。警護のSPが付いているから、でなく、裏を返せば「命懸けでモノを言ったり信念を貫き通す政治家がいなくなった」ということに尽きると思う。カネや票の為には臆面もなく信念を曲げるし平気で国も売る。もちろん、簡単にマスコミに踊らされてしまう国民にも責任がある。

3年前、(私は民主党には入れてないが)国民は大きな選択ミスを犯した。近く新政権が誕生しても、この3年間の失政を埋め合わせることは容易ではないと思う。新顔の議員も多く誕生するだろうが、どうか目先の利益で、でなく、真の政治家として国家の50年百年先を見据えて頑張って頂きたい、と願っている。





posted by poohpapa at 07:21| Comment(8) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月26日

旅行記から離れて、これだけは言っておきたい

以前から書こう書こうと思っていて、なかなか書けなかったのだが、

生活保護の不正受給が騒がれる発端になった次長課長の河本準一の件、あれ、本人が涙で謝罪していたけど、「心から反省していないのでは」、「返したから決着済み、という問題ではない」と思っているのと、もう一つ、これだけは言っておきたい、ということがある。

誰も指摘しないし何も言わないけど、

充分すぎる稼ぎがあって、明日どうなるか分からない芸能界にいるとしても、実際には(少なくとも当面は)安泰であるのに実母に生活保護を受けさせていた、という事実の裏で皆が見落としているものがある。

それは、当の河本準一もさることながら、「嫁の出来が悪い」ということ。

旦那の年収が5千万もあって、当然に義母が生活保護を受けていることも知っていたであろうから、普通の嫁なら「あなたも相当に稼げるようになったのだし、今のあなたがいるのはお母さんのお陰なんだから私たちでお母さんの生活の面倒を見させてもらいましょう」となぜ言えないのか、いや言わなかったのか、ということである。旦那が気が利かなくても、嫁に当たり前の思い遣りや感謝の気持ちがあるなら、そう旦那に進言するハズ。河本自身も自分の母親のことなんだし、嫁からそう言われれば考えたであろう。

間違って欲しくないのは、私は「嫁の出来が悪い」と言っているのであって「だから女はダメなんだ」と言っているのではない。勘違いする人もいるかと思うので念のため。

こういう思いは、若貴兄弟が不仲になっていく際にも思った。どっちの嫁も自分のことしか考えていないな、と。嫁が上手く旦那を操縦すれば元通りになったハズで、要は、嫁の出来次第だったと思う。

と言うか、心の中で嫁同士反発しあっていたとしても、夫同士が仲良くするのを優先して嫁が連携して協力し合えば良かったのだ。そういうところに気が回らないのか、解かっていて「したくなかった」のかは不明だけど、たとえ旦那が「オマエは口を出すな」と言っていても、そんなのは嫁の意思で何とでもなる。旦那の不始末を全て嫁の所為にするつもりはないが、こういう問題は「嫁の出来」いかんで防げるもの。

世の中には「夫の務めを果たさない」男も大勢いるが「妻の務めを果たさない」女も多い。世間には「夫の出来」などという言葉は存在せず「嫁の出来」があるのみで、不公平な価値観と思われるだろうが、それだけ家庭で嫁としての女性が占める役割は大きい、ということ。政治の世界でもファーストレディの出来いかんで国の命運が大きく左右されることもある。男女共同参画なんてクソくらえで、女には、男には出来ない重要な役割がある。それが解かっている女性なら声高に「男女同権」だの「男女平等」だの言わないもの。そんなことで騒いでいる女は到底「出来の良い嫁」にはなれないし家庭的な幸せとは無縁だろう。

私は夫婦のお客さんが来店すると、奥さんの人柄をじっくり見極めるようにしている。嫁がだらしなさそうだと滞納を心配しなければならないが、旦那がダメポでも奥さんがしっかり者そうならまず大丈夫だから。不動産屋からすれば旦那はどうでもよく、奥さん(嫁の出来)が重要なのだ。


と、書いていて、まだ返信してないコメントがあるのを思い出した。と言うか、本当は旅行前に済ませておきたかったんだけど・・・(陳謝)
posted by poohpapa at 07:31| Comment(2) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月09日

つもりちがい十ヶ条

店を閉めた後、よく向かいの同業者Dホームに立ち寄る。家に帰るなら道路を横断しなくてよいのだが、まだ照明がついていて看板広告が店内に仕舞ってあれば社長が一人で残っていると分かるので、それから道路を横断して話をしに行くのだ。どんな話か、というと、いつも商売の愚痴話なのだが、互いに冗談を言って大笑いして、適当に憂さを晴らして、「もう帰ろうよ」という言葉でお開きになる。

所属している団体(向こうは全日、こちらは全宅)は違うが、同じ歳で価値観も似ている。ただし、Dホームの社長は組合の副支部長。と言っても、商売を離れれば「テメエ、この野郎!」の仲ではあるのだが、どちらかと言えば、向こうのほうが一定の節度を保っていて、私のほうが馴れ馴れしい態度あせあせ(飛び散る汗)

いつものバカ話の中、先日、「こんなものがあるよ」と見せてくれたものが気に入ったのでご紹介をわーい(嬉しい顔)


「つもりちがい十ヶ条」

 1.高いつもりで低いのは    教養
 2.低いつもりで高いのは    気位 (きぐらい)
 3.深いつもりで浅いのは    知識
 4.浅いつもりで深いのは    欲の皮 (これ、「欲の皮」ではなく「欲」では??)
 5.厚いつもりで薄いのは    人情
 6.薄いつもりで厚いのは    面の皮
 7.強いつもりで弱いのは    根性
 8.弱いつもりで強いのは    我
 9.多いつもりで少ないのは   分別
10.少ないつもりで多いのは   無駄


私も心当たりは・・・、有る。参考にして気をつけたいもの、と思うたらーっ(汗)
posted by poohpapa at 05:23| Comment(2) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする