2014年10月14日

バカな制度

世の中の3連休が終わった。本来10月10日が「体育の日」であるハズが、ふだん休もうとしない(休めない)国民が強制的にでも休めるように、というお上の思いやりから2000年に誕生した制度である。

ハッピーマンデーなどというセンスの無い名前がついていて、その制度のために「成人の日」も1月の第2月曜日になってしまったし、他にも移動している祝日がある。祝日の趣旨から「どうしても移動できない」祝日もあるが、どうせなら元旦も天皇誕生日も全部ハッピーマンデーにしてしまったらどうか。

成人の日・・・、都会に出ている人間が、正月に帰省して、郷里の同窓生と一緒に祝うなら直ぐまた戻ってこなければならないし、いっそ「春分の日」にくっ付けてやったほうが親切というものだろう。

「国民が喜ぶ」と思ってか「財界からの要望があったから」かは知らないが、迷惑に思っている国民も少なからずいるに違いない。理容店みたいに、ずっと「月曜日」を定休日にしている業種もあるし。たまたま月曜日がハッピーマンデーだと、休むわけにいかないから営業している。一週間が一日長くなって疲れる。休んでも必ず他の日に来るのではあるが、次の土日に集中したりする。中にはハッピーマンデーでも「月曜だから休んでいるかも」と来店を見送る客もいるそうだ。14年も経っていて未だに、である。

だいたいが、そんな制度を喜ぶのは公務員くらいのものだろう。子育て真っ最中の家族でも「喜ぶ」とは限らない。ゆっくり休みたくても妻子から「3連休だからどこかに連れて行ってくれ」とうるさく言われる亭主もいるのではないか。うちの業界には関係してこないが、テレビで「3連休」という言葉や「行楽地の様子」など流されると、祝日も休めない職種の人間からすると不快になる。

不動産業界は盆暮れもGWもしっかり休めるからまだいいのだが、世の中にけっこういる「日曜祝日も休むに休めない職種」「日曜祝日なんて関係ない職種」の人たちにもう少し配慮したらどうか。お上(政治家)は「大多数の国民が喜ぶ」と決め付けているようだけど、あまりに浅慮ではなかろうか。

ちなみに、我々不動産屋、3連休で天気が良かったりすると空室確認の電話はガクッと減る。それが久し振りの快晴になったりしたなら尚のこと、である。

公務員に対するご機嫌取りみたいな法律は廃止して「なるだけ早く元に戻せ」と言いたい。

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2014年09月13日

ながらスマホは不快(何度も書いてるけど^_^;)

先日、取引主任者証更新のための法定講習を受けに中央線などを乗り継いで目的地まで行った際、車内は座っている人も立っている人も、たいていスマホをいじっていた。比率で言えば70%くらいか。

やることがなくて退屈、ということかも知れないが、私からすれば異様な光景である。スマホの画面の大きさからすれば、スマホを使って読書や勉強をしているとは思えない。多くは非建設的なゲームなどに興じているんだと思う。中にはヘッドホンで音楽を楽しみながら、という者もいる。それじゃあ、座っている自分の目の前に高齢者が立っていても気付かないであろう。気付かなかったフリも出来るし。

街を歩いていて、向こうから来る人がスマホの画面を見つめていて、ぶつかりそうになることがよくある。私はそういう場合、こちらからは避けない。ぶつかってもかまわない。スマホ画面を見てなくて安全に注意を払っているほうが避けなければならない、という道理は無い。ただし、見るからに「その筋っぽい」人の場合は進路を変更する。私もそこまでは無鉄砲ではないから。

自分がスマホに夢中になっていてぶつかっておきながら相手に因縁をつける輩も多いという。そういうのは製造物責任法が適用になってもいいのでは、と思う。もしスマホ操作に気を取られていて事故が起きた場合、そんなものを製造したメーカーや携帯電話会社にも何らかの責任はあるように思うのだ。もちろん、大半は自己責任なんだろうけど。せめて、歩行中や自転車に乗っている時はスマホを使わないよう注意書きに記しておく必要があるのではないか。歩行者に対しても道路交通法に「ながらスマホ」への罰則規定があってもいい、と私は思っている。

先日起きた「川越の全盲の女子高校生が蹴られて怪我をした」事件、相手は(スマホなどに気を取られてなくて)普通に歩いていたのなら自分が避けられたハズである。もしかするとスマホに夢中になっていたのではないか。盲導犬をフォークで刺した犯人といい、この犯人といい、卑劣である。

人間、便利さを求めると、必ず何かが犠牲になるものなんだろうな、とつくづく思う。少なくとも、世の中が豊かで便利になっていくと人の心は逆に荒廃していくように思える。日本人は「モノが無かった時代」のほうが今よりずっと優しかったのではなかろうか。どちらが良いか、は私には分からないが。

実は、先日の法定講習の参加者、見ているとガラケーを愛用している人がけっこういた。年齢層が高かった、ということもあるのだろうが、そういうのを見ていて、「うん、不動産屋は健全だ」と安堵したわーい(嬉しい顔)

私はこれからも、スマホ画面を見ながらこちらに向かってくる奴を自分から避けたりはしない。再度言うが、「スマホ画面を見てない人が衝突を回避しなければならない」などという義務は無いのだから。


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2014年09月06日

ケチと節約のちがい

分かりきったことではありますが、いつもの msn.に、こんな記事がありましたのでご紹介。


ケチは不快!? 「ケチ」と「節約」のちがいはコレだった!

貯金をするためには、お金を稼ぐだけでなく、「節約」も大事。でも、度をこえると「ケチ」に見られることも? では一体、どこまでが「節約」で、どこからが「ケチ」なのでしょうか。この2つのちがいについて、働く女子の意見を聞きました。

■必要なのに出さないのがケチ

・「必要な所まで削るのがケチで、不要な部分を削るのが節約だと思う」(32歳/医療・福祉/専門職)

・「ケチは、必要なときやみんなで出し合わないといけないときでも出し惜しみをする」(27歳/団体・公益法人・官公庁/事務系専門職)

目的を持って、お金の使い道をきちんと考えて行動するのは、節約。一方、お金を使わないこと自体が目的になってしまっているのが、ケチ。そのため、後者は必要経費すらも出さない傾向があるようです。

■まわりから見て、ケチは不快、節約は賢い

・「他人が見てみっともないと思うこともやるかどうか」(27歳/機械・精密機器/技術職)

・「他人に迷惑をかけたり、不快にさせなかったら節約の範囲内だと思う」(27歳/ホテル・旅行・アミューズメント/販売職・サービス系)

・「ケチは付き合っている友人にマイナスの印象を与えることで、節約は賢いと思ってもらえること」(25歳/小売店/販売職・サービス系)

まわりをドン引きさせたり、その場の空気を壊したりするレベルになると、節約ではなくケチと捉えられます。節約も、他人に迷惑をかけない程度にとどめておくのが最低限のマナー。

■他人のためにお金を使える人は節約家

・「人のために使え、自分の生活は節度をもつ人が節約だと思います。ケチは人にお金を使えない人」(32歳/生保・損保/事務系専門職)

・「ケチは人のためにお金を使わない。節約は自分のためには節制し、他人のためにはそれなりに使う」(31歳/不動産/事務系専門職)

自分だけでなく、誰かのために使うお金も出し惜しみするのが、ケチの特徴。自分にはできるだけお金を使わない生活をしていても、時には他人のためにお金を使える人でありたいですね。

ケチと節約のちがい、納得する部分も多かったのではないでしょうか。自分では節約しているつもりでも、もしかしたら、まわりからはケチだと思われている、なんてこともあるかもしれません。賢い節約を心がけたいものですね。



それぞれの意見や指摘、言えてますね。とくに、「必要な所まで削るのがケチで、不要な部分を削るのが節約だと思う」というご指摘、実に端的に「節約とケチの違い」を表現していると思います。

私がこれらの意見に一つ付け加えるなら・・・、

節約は自分の家の中でするもの、ケチは外でするもの。同じことであっても家の中でやれば節約、外でやればケチ、ということ。職場は家の中と同じ、仕事を離れた同僚との付き合いは外、だと考えます。

で、「その人間の本質」を知るためには、何をして幾ら稼いでいるか、ではなく、稼いだ(得た)おカネをどう使っているか、を見れば一番よく解かる、と思います。

以前も書いていますが、

解かりやすく言うと、どれだけ有名になって億万長者になっていたとしても、ここ、というところで出し惜しみするような人間は偉くはない、ということで、3.11東日本大震災の際、みのもんたや島田紳助が寄付をした話はどこからも聞こえてきません。同じ業界で一線から身を引いていた久米宏が2億円寄付したのは聞きましたが。みのもんたと島田紳助が「匿名で何億も寄付していた」なんてことは有り得ません。何故なら、多額の寄付をしていながら黙っていられるような人間ではないでしょうから。

私は、稼ぎは少ないですけど、カネの使い方、活かし方は心得ているつもりでいます。一方で節約して一方でパアッっと使う繰り返し。貯金する気もありません。カネは使わなければ戻ってもきませんし。

ただし、若い頃は何かの目標の為に節約して貯金をする、というのは大切なこと。逆に、歳をとってからなおチマチマ貯金したり資産作りに励むのは愚かでしかないと思いますね。子供の為に、という人もいるでしょうけど、自分が何百億の資産があっても、子供には「一息つけるくらいのカネ」を遺せば十分です。配偶者には「自分が死んでも生活に困らないようにしておいてあげたい」とは思いますが。

いずれにしても、自分の余生で使い切れないほどのカネを得ていたなら、それを生きてるうちにどう役立てるかを考えるべきでしょう。「豊かさ」や「ゆとり」はカネや資産の有無とは全く関係ありませんしね。

国際連合の人間開発報告書によると、世界の85人の富豪が、35億人分に相当する財産をもっているとか。つまり、たった85人で世界の富の半分を占有しているワケで、もちろん、才能に恵まれたり血の滲むような苦労をしているのでしょうが、不公平と言えば不公平な話。だから紛争も戦争も起こるし、人の弱さに浸け込む宗教が発展するものでしょう。


って、こういう価値観や人生観、「貧乏人の僻み」とも言いますがわーい(嬉しい顔)





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2014年07月07日

「世界ナゼそこに?日本人」的な番組を観て思うこと

最近いくつかのテレビ局で、海外の、しかも辺境に暮らす日本人を紹介する番組を放映している。

うちのが好きでよく観ているのだが、そういうのを観ていて、つくづく思うことがある。それは・・・、

日本人の気質って、やはり凄いな、ということ。

何の得にもならないことで、私財を投げ打ってまで現地の貧しい人たちのために尽くす、なんてことは日本人の専売特許かも知れない。トイレがない現地の全ての学校にトイレを作ったり、保育所を作ったり、辛抱強く農業を教える・・・、本来はODAですべきことを個人でやっていて、頭が下がる思いである。

番組的に多少「美化」していたり、本人にそうせざるを得ない何かの事情があったとしても、誰にでもできることではない。だから「日本人は全てそういう国民性」とも言えないだろうが・・・。

何より、宗教が絡んでいないのが素晴らしい。布教活動の一環でなく、どこからも資金や精神的援助が無い話で、まさに波乱万丈、幾度の試練を乗り越えて、それでも挫けず続けている・・・、それが凄い。

日本には伝わってこないだけかも知れないが、韓国人が「そういう活動をしている」なんて話は聞かないし、中国人なら「援助しても後で(資源などを)根こそぎ収奪する」のがオチであろう。アメリカの資産家が病院を建てたり大学や研究機関に多額の寄付をするのは売名行為であったり後世に名を残す目的、さらには寄付や慈善活動をしないと国民から尊敬されない事情もあるし、たいていは国内向けのもの。

海外で慈善活動をしている日本人は、そのまま誰にも功績が知られることなく異国で亡くなったとしても自身はそれで納得する人たちで、普段から恩着せがましい私なんかにはとても真似できないたらーっ(汗)

こういう人たちの地道な活動はどんなODAより日本の地位を高めてくれるし、勲章を与えるなら、そういう人たちを探し出してこそ与えてほしいもの。うちの業協会の元役員たちに(実はクソの役にも立っていないのに「業界の発展に尽くした」などという理由で)黄綬褒章を与えるのは悪い冗談でしかない。

アフリカだけでなく、そういう日本人が世界中にいて、現地の人たちのために様々な活動している、ということは、同じ日本人として心から感謝したい思いである。私にはけっしてできないことだから。



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2014年05月27日

ROLEXの凄さ

その昔ヤフオクで程度の良い中古のROLEXを落札して、そのクオリティの高さを記事にしているが・・・、


消費税増税前に間に合うようにROLEXの腕時計のオーバーホールを依頼したつもりであったが、誰も考えることは同じで駆け込み需要で混んでいて、結局、消費税8%での依頼に相成ってしまった^_^;

オーバーホールだけでナンと税込み68040円、ではあるのだが、返ってきた時計を見て驚いた。使用感に溢れた古時計が、まるで新品かと思えるほどピカピカに輝く仕上がりで返ってきたのだ。

しかも、である。以前より精度が増している。ちょうど3日前に正確な時刻に合わせ、丸3日経った時点で1秒とは狂っていない。まるでクオーツである。

聞けば、ゼンマイなどもオーバーホールする際には異常が無くても新品交換してしまうらしい。もちろん、精密部品もしっかりチェックして僅かでも消耗があれば取り替えるのでその値段になるとか。

そんなのは肉眼で見て判るような消耗ではないだろう。一度全部分解して、数百個からなる部品を職人さんが一点一点ルーペで確認しているんだと思う。正確な時間だけを時計に求めるなら自動巻よりクオーツのほうが優れているし安い。精密な部品の組み合わせと、(ほとんど芸術と言える)長年培われて受け継がれてきた職人技が生きていることこそが自動巻やゼンマイ式手巻時計の「廃れない所以」かも。

これなら68040円の代金も納得である。と言うか、そのオーバーホール代金を「高い」と思うような人間ならそもそもROLEXを持っていてはいけないんだろう。実のところ、私も本当はそのクチなのだがたらーっ(汗)

昨年の秋、あのマツコさんが私の腕時計をチラッと見て、「あなた、いい時計してるわね」と褒めてくださった腕時計でもある。ゆくゆくは次男にあげるつもりだが、一生モノとして大切に使っていきたい。



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2014年05月19日

「ごんぎつね」を読んだ小学生の読書感想文が物議を醸しているとか・・・

誰もが小学生の頃、国語の授業で新美南吉の「ごんぎつね」を読んだことがあると思う。私の最も好きな童話で、うちには2種類の(挿絵画家が違う)「ごんぎつね」の絵本がある。どちらのタイプの絵も捨て難い魅力があって、私の宝物になっている。

たいていは読み終えた後「ごんが可哀想」と涙するものだろうが、全く違う現実的な見方をする小学生が現れた。「ごんは撃たれて当然である」という感想文を書いていて、それが物議を醸しているとか。

私は「そういう感想もアリ」だと思う。同じ文章を読んで皆が皆「同じ感想」を持ったとしたならそのほうが怖いし、絶対多数と違う感想を一人だけ持ったとしても、べつに異端児ということでもない。そういう感想も受け入れられる度量が周りの大人には必要だろう。その小学生、実にしっかりしている。ただし、私の子供でなくて良かった、とも思う。ガキの頃から合理的に物事を判断するようでは可愛げが無いしわーい(嬉しい顔)

そういう感覚や価値観は、子供から大人に成長する過程で両親とか先生、友人や先輩後輩、仲間たちに揉まれて失敗や挫折を繰り返しながら少しずつ変わっていって形成されるもの。小さなうちからショートカットして現実的になっているのでは末恐ろしい、とは思うが。

その小学生、逆に大人になったら「ごんが可哀想」と思っているかも知れない。

実は私の場合も絶対多数と同じ読後感であって、今も読む度に涙しているが、一方で「陰でこそこそ罪滅ぼしをしていたごんも悪い」とは思っている。奥ゆかしいのは日本人の美徳だが、常に謙虚に遠慮して(必要があったかどうかは別にして)ずっと罪滅ぼしをしていた結果が今の対中韓関係だとも言える。

いつか、ごん(日本)が兵十(中韓)にズドンと撃たれてお仕舞い、なんて時が来ないとも限らない。そうなりつつあるし・・・。どこの国も、国民性には長短あるもの。良くも悪くもそれが日本なんだろう。

歳をとって様々な経験を重ねてきた今は、「ごんぎつね」は人生の縮図、人生は不条理な出来事の連続、塊りであって、童話でありながら「ごんぎつね」ほど人生を端的に表現している物語はないと思える。他にあるとしたなら、大きく飛んで、時代小説の「鬼平犯科帳」くらいのものか。

日本人ならみんな小学校で読んだ「ごんぎつね」、この機会に新たな視点で読み直すのもいいだろう。

そうだ・・・、田舎の中学の同窓会には今年も出そびれてしまったが、近いうちに同窓会に参加しがてら、私の両親と2区画隣の新美南吉の墓にお参りしてこよう。


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2014年03月25日

大事なところで「人生の選択」を誤っている人

今日は手短に、

ここんとこ何人かの「人生の選択」を誤っている人と接している。本人は気付いてないだろうけど、第三者が客観的な立場から見たなら「選択を誤っている」と言うより「最悪の選択をしている」くらいの話。

その人を知っている何人かの人と個別に話しても私と同じように捉えている。本人がそれで良ければ他人が口出しするようなことではないのだが、私も同じような体験や失敗を重ねていて「そのパターンで幸せになれることは無い」のが解かっているから、見ていて辛い。

人生の選択を誤る前に、そもそも誰の言葉を(何を)信じるかの選択を間違っていたりして・・・。

親切に(お節介で)指摘してあげても腹を立てられるか嫌われるのがオチ、静観しているしかないが、「ご縁や運に恵まれない人っているもんだなあ・・・」、と、つくづく思わされている今日この頃である。


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2014年02月28日

私がガストのお姉さんに嵌るワケ

当ブログに何度も登場しているガストの超可愛いウエイトレスさんに昨晩も会ってきた。食事に行ってきた、と言うより、会ってきた、というのが正しい表現。私は彼女から元気を貰いに行っているのだから。

彼女、見た目も可愛いのだが性格も可愛い。適当に図々しかったりもするが憎めない「得な性格」だし。

先日、プレッツェル社の「チョコスナイダーズ」というお菓子を持って行って、「これ、美味しいよ」と言ってあげたら、「うわあ、有り難うございます」と喜んでエプロンのポケットに入れる。スナイダーズは国際線の機内でドリンクサービスなんかの時に出されることが多いお菓子で、あげたのはそれにチョコが塗してあるもの。ポッケに入るくらいだから小袋で「50g入り」、三口で食べられるくらいの内容量。

家に持ち帰って一人で食べたかと思いきや、次に行った時「先日のお菓子、凄く美味しかったです。休憩の際に仲良くしている友だちと一緒に食べました。友だちも『美味しい』って言ってました」と言う。

「量が少ないし、私一人で食べよう」としないのが偉いし優しい。それで思い出した・・・。

初期の頃の記事で書いているが、私が高校2年の時、隣町で開かれる「半田市内4高等学校合同交通安全運動連絡協議会」に出るために、自転車通学している同級生T君から自転車を借りたことがある。それほど仲が良かったワケでなく、近くにいたから声を掛けただけなのだが、快く「鍵かかってないから乗ってって」と貸してくれた。会議を終えて帰る途中、焼芋を売っていたのでT君へのお礼にしようと一本買って帰り、運動場でサッカーの部活をしていたT君を呼び寄せて「一本しかないからここで食べていきなよ」と渡すと、T君はサッと仲間のほうを振り返り「お〜い、焼芋もらったから食べようぜ」と叫ぶ・・・。

私は正直とても恥ずかしかった。もっと買って帰れば良かった、と後悔した。運動場には10人以上いた。皆で分けたら一口ずつにしかならない。それでも独り占めしようとはせず皆で分けようとする・・・。

今、うちの業界を見渡せば皆「自分の会社さえ儲かれば良い」とばかりに何でもアリの状態。協会の役員の会社からしてAD付き(脱法行為)で広告を打っていて、少ないパイ(顧客)の奪い合いをしている。

風の便りに、T君は一浪して名古屋大学に合格したと聞いた。凄く嬉しかった。誰が合格した知らせよりT君の合格のニュースが一番嬉しかった。私に仲間を大切にするよう教えてくれたのはT君である。

で、ガストのお姉さんに「じゃあ、今度ケースで買って届けてあげるよ」と約束して、昨日、届けた。と言ってもバレンタインが終わったからかケースでは売ってなくてバラ売り・・・。期間限定だったのか、幾つかの店に置いてあったのに、売っていたのはルミネの中の成城石井だけ・・・。それを買えるだけ買って届けると「こないだ一緒に食べた友だちが今日も入っているのでまた分けます。きっと喜びます」と言う。しかも、「彼女、まだ高校生なんです。でもとっても可愛いんです。私、大好きなんです」だとexclamation

たまたまその高校生バイトさんがホールに出てきたので、「こちらがこないだお菓子をくださったお客様」と紹介された。たしかに可愛いし、これで高校生??、というくらい落ち着いていて素敵な雰囲気・・・揺れるハート

なるほど彼女がこの後輩を可愛がる気持ちは解かるな、というくらい性格の良さそうな娘さんだった。

だがまあ、「二兎を追うものは一兎をも得ず」と言うし、ここは浮気せず本命だけを追いかけようるんるん

そう言えば、以前はラムレーズン味のポッキーもあげていたが、「ラムレーズン味は苦手でした」とのこと。うちのが「私も苦手」と言うと意見が一致して喜んでいた。何でも欲しがる娘さんではないと判った。

さて、後は誕生祝を何にするか、である。「この仕事キツくて、辞めようかな、とも思っていたんですけど、〇〇さんが誕生祝を贈ってくださるって言うから、それまでは頑張らないと、と思ってます」とも言われていて、辞められたら寂しいから、辞めさせない為には贈り物攻勢しかないか・・・、くそっ!わーい(嬉しい顔)


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2013年09月26日

実際に会ってみたら「それまでの印象と全く違う人」って、いるもの

仕事でもプライベートでも、直接は面識が無く、遠くからて見ているだけだったり、噂で聞いていただけだったりして「そんなに良くない印象の人」が、実際に会ってみたら「凄くいい人」なんてことは良くあるもので、私も最近そんな経験をした。

もちろんその逆もあるが、先日、あるきっかけで、今まで遠くから見ていただけの有名人の方とお話しする機会に恵まれたのだが、今までの「近寄り難い印象」とは真逆で「気配りの塊」のような人であることが分かって感動したことがある。私の名刺をお渡しすると、「立川だったの!?、じゃあ友だちが部屋探しする時は紹介するね」と気さくに声を掛けてくださって、たぶん口だけではない、と思う。苦労人だろうから。

よくテレビなんかでは凄く爽やかな好青年という印象の男が実際には横柄だったり、清純さを売りにしている可愛いタレントが実はアバズレで我侭で、楽屋では常にタバコを吸っている、なんて話も聞く。

だいたいが悪役を演じている俳優のほうが実際には腰が低くて善人で、ドラマや映画の中でその人たちを捕まえたり斬り捨てる主演俳優のほうがお粗末な人間性だったり、なんてことは誰でも知っている話。

プライベートでもテレビなんかで観る姿そのまま、という人もいるだろうが、ま、柳沢慎吾なんてタレントがまさにそう。ちょっと騒々しいけど、ああいう友だちが一人いたなら人生が楽しくなること受けあいで、私は大好きである。嫌なことがあっても忘れさせてくれそうだし、人間、裏表が無いのが一番だから。

そう承知していながら、実際にその方に会うまではそれまでのイメージから「怖い人」だと思っていた。そういう先入観が払拭できたのも嬉しいが、商売柄、ついつい深読みをしたり、相手の本質を見極めようとしてしまう普段の姿勢は(少しは)改めたほうがいいのかも、と、反省もさせられた。

相手が私をどう見たか、は分からない。悪い印象を与えていなければ良いのだが、と気になっている。


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2013年08月04日

今、さまざまな女性優遇制度が見直されているらしい

非常に結構なことである。その昔、このサイトで書いている(内容的にダブる)けど、

私は「男女同権」だの「女性の地位向上」を訴える人たちを見ると反吐が出る。「閣僚や会社役員の半数を女性に」などと臆面もなく言っている安倍総理に対しても、その件だけは同意できない。有能な女性がいれば登用すればいいだけの話なんだから。見ていると、男女平等だのと声高に訴えている奴に限って「女性が優遇されている場合には文句を言わない」のだから論理が破綻しているのは明らか。ジェンダーフリーを信奉している奴らなんかは「生活だけは普通にできる気違い、大馬鹿者」だと思っている。

女がジェンダーフリーを信奉する(したい)気持ちは解からないではないが、男でも信奉している奴がいて、それは不思議である。そんな男が側にいたなら私は気持ち悪い。生理的に合わないと思う。

で、私が一番納得いかないのは「レディースデイ」とか「女性割引」というもの。例えば居酒屋なんかで「女性半額」と謳ってあって、男性が飲み放題付き4千円だとすると女性は2千円。客が男女同数とするなら、本来は3千円で提供するものを男に千円余計に払わせるワケで、要は「見ず知らずの女の飲食代」を負担させられていることになる。それが納得いかないから私がそういう店を使うことはない。だいたいが、私は下戸で、一緒に行く女性のほうが圧倒的に飲むのだし。損得で文句を言っているのではない。知っている女性に奢るのと知らない女性の分を否応なく負担させられるのでは全く意味が違う、ということ。


私は基本的に、女性や後輩たちと飲食する場合に割り勘にすることは無い。それくらいなら誘わない。たまに女性に奢ってもらうこともあるが、それは付き合いが深かったり信頼関係が築けている場合で、そうでなければ出させない。それは貧乏であったにも拘らず私の家では家訓のようになっていた。

公共の乗物では「女性専用車があるのだから男性専用車も・・・」という声があるようだが、それは違う。どちらも不要なものだと思う。だいいち男がみんな痴漢をすると思ったら大間違い。こっちだって選ぶ権利はある。ワケの分からない人権がまかり通っているが、今の世の中を制度的に全て「男女平等」にしたなら圧倒的に男性が貶められることになる。現状でも女のほうが充分に優位なんだし。

政治家やテレビに出ているコメンテーターは、「今のままでいいんじゃないの?」と言ったなら女たちから批判されたり番組を降ろされるものだから、やたら女性寄りの発言しかしないが、情けないったら無い。

田嶋陽子なんてのも、自分が性格的にも容姿においても超ブスだから「男女平等」を声高に叫んでいるだけで、女性としての品性の欠片も無い。ああいうのが「男女平等」を叫んでも説得力が無い。あの顔でも奥ゆかしさと歳相応の分別が備わっていたならそれなりに見られるかも知れないけど、救いようがない。


男女平等、そんなモンは要らん!ちっ(怒った顔)パンチ爆弾

男と女は家庭でも社会でも役割が違って当たり前。その中で折り合いをつけるのが真の平等。

ついでに言っておくと、私は「育児休暇を取るような男や、出産に立ち会うような男は大嫌い」である。もちろん、それを夫に求めるような女はもっと嫌いだ。と言いつつ、共稼ぎだった以前の結婚生活では、食事の支度以外の全ての家事(後片付け、家中の掃除、洗濯、アイロンかけ、布団干し等々)が私の役目。途中から食事の後片付けは長男の役目になったけど、私が(主義に反して)やっていたワケは、私が拒否すれば子供たちが押し付けられるから。子供にも役割分担させるのも教育だとは思うけど、それだと子供(とくに長男と次男)に「私の主義と違うことをさせる」ことになるから、それで私がしていた。

今は当時と比べて収入は半分以下だけど、うちのに外で働かせることはしない。その代わり家事一切は任せていて私は何もしない。それでうちのから何の文句も出ないし、子供の頃からの理想の形になっている。

よくTVで「女性の家事のコストを試算すると年600万以上になる」とかやってるけど、そんな計算は全く無意味である。三食とも家で食べている料理を「もし同じ料理を全て外食していたら年◎百万になる」と計算するのが無意味なのと同じ。世の中には「カネに換算してはならない(換算できない)」ものもある。

うちは、「私が外で働き、うちのが家事全般をする」、つまり全く別の役割を分担していてもちゃんと平等になっている。そこに時折り「互いの思い遣り」があれば、多少の凸凹があっても全て解決するもの。


男女の役割が同じなら、天が男と女を創造した意味が無い。当然に全ての事柄に男女で同じ義務と権利は無い。今、世の中の女性優遇制度が見直されているのは当然の成り行き、帰結であろう。

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2013年06月27日

嬉しいけど、ちょっとビックリ!

読みようによっては嫌味な記事になりますので最初に謝っておきます、ごめんなさいm(_)m


私が持っているJCBのザ・クラスというカード、いろんな特典が付いていて、他の会員さんたちはどんなふうに有効活用しているのかな、と気になって、Googleで「ザ・クラス」というワードで検索してみたら・・・、

なんと、私の記事が一番最初(一番上)に出てきた。16,900,000件もヒットしたうちの、である。それは凄く嬉しい。どうでもいいようなことだけど、そんなことでも、なんか「自分が頂点に立ったような気分」になれる。この歳まで生きてきて自分が何かでトップになれたことなどほとんど無いのだしふらふら

うちのが言うには、「Googleにはページランク機能というのがあって、閲覧数などの統計から自動的に表示される順番が変わる」とのこと。その検索ワードでそれだけの数の記事がヒットするのも驚きだが、まさか自分の記事がトップで出てくるとは・・・。今のところ、ということで、明日は分からないんだけど・・・。

以前も書いたが、JCBの全会員の中で「ザ・クラス」を所有しているのは0.05%、つまり2000人に一人の割合。それでいくと、私の出身高校の当時の全校生徒1350名で考えれば、確率的には私が持っていたら他の誰も持っていないことになるのだが・・・、実はこんなカードなんて「持ちたいと思うかどうか」だけの違いであって、希望したなら私の同級生450名のうち50人以上は持てるんじゃないか、と思う。医師や弁護士もゴロゴロいて、みんな私より生活水準や社会的な地位が高いだろうし。生活水準だけで考えれば、同級生で比較したなら今もきっと私が底辺あたりにいるんだろうな、という自覚もあるしたらーっ(汗)

私にJCBから二度目のインビテーションが届いた際に「申し込んでみようか」と思った理由は、正直なところ、コンプレックスの裏返し、成績だけで人を見下していた多くの同級生への根深い反発からだった。

ただ、逆に言うなら、「そんなカードを持ちたいと思わない人のほうが凄くて、立派」なんだと思う。現に、あのビル・ゲイツが持っているアメックスは緑色の一般会員カードだし。本当に頂点に立っている人にとっては「所有しているカードの種類でのステータスなどどうでも良いこと」なんだろう。ゴールドでもプラチナでもない一般カードを持っていることで驚かれるようになったなら本当のステータスを手に入れたということかも知れない。私も「ザ・クラス」を持って喜んでいるのでなく、いつかそうなりたい、と願っている。


で、他にも(しつこいようだが)「立川支部 八百長選挙」で検索すると、297,000件ヒットするうち私の記事がトップで出てくる。と言うか、そんな検索ワードで30万件近くもヒットするのも不思議だが。

時には優越感に浸りたいこともあるので、今度またいろんなワードで検索してみよっとわーい(嬉しい顔)


posted by poohpapa at 07:04| Comment(10) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月20日

それは誤解なんだけど・・・ (以前も書いているが)

ある方のサイトを訪問していたら、このブログについてこう書かれていた。

「面白いんだけど、管理人さんは全くブレないので読んでて詰まらないから最近は読んでいない」、と。

それは大変な誤解である。実際にはブレないどころかブレまくりなのだから。けっこう多くの方から(私が)頑固とか意志の強い人、と思われているようだけど、それは表面的にしか見ていないんだと思う。

頑固かどうかで言えば相手と事柄によりけりで、けっこうその場の状況に流されることもあるし、柔軟に対応できる時もある。絶対に赦さない(赦せない)こともあれば、他の人なら怒り出しそうなことで怒らないこともある。それも、器の大小の問題でなく、他の人と「怒るポイントと沸点」が違うだけのこと。

一つの例が、宅建協会立川支部の支部長選挙と役員による運営の問題。私が一人で声を上げているのは意思や正義感が強いから、というより「私自身が弱いから」ということのほうが大きい。同じ意見を持っている仲間を巻き込まないのは、人間、その時の立場や状況で心ならずも裏切らざるを得なくなることは往々にしてあるもので、その時になって落胆したり恨んだりしたくない、もっと言うなら自分が傷つきたくないから。そうした時に直ぐに立ち直れるほど強くない、ということを自分でもよく解かっているから、ということ。仲間を疑っているのでなく「最後はどのみち一人になる」と解かっているし。

だから、最初から「人は変わる、人は裏切る」ということを自分に言い聞かせている。そうしないと自分が持たないほど本当は弱い人間だということ。それでも人を踏み台にしたことは一度もないけど・・・。

現実に、プライベート(友だち間)でも立川支部の問題でも、私の前で言ってることと他の人に対して言ってることが食い違っている人もいる。そういう話が私の耳に直接聞こえてこなくても「そういう人」だというのは長い付き合いから解かっていたりする。それでも拒絶しないで付き合っている。ただの好き嫌いとか意見の違いでいちいち付き合いを断っていたなら付き合える人は極端に減ってしまうし、それが人間社会だと思う。もちろん、そういうのは最も大きなストレスにはなっているけど。

劇画の中でゴルゴ13が、「自分はウサギのように臆病で、だからここまで生き延びてこられた」と言っていて、私の場合と意味合いは違うのだが、実によく解かるような気がする。


ただ、私が強く意見を言う対象は、自分より目上の人に対してのみ、自分より立場の弱い人に攻撃的な言葉をぶつけることはしない主義。家賃を何ヶ月も滞納していて逃げ回っている不誠実な入居者は例外だが、それすらも、もしかすると「立場が弱いのは私のほう」とも考えられるし。

管理物件も少なく、と言うか、他社の管理物件を横取りしない主義なので物件数はジリ貧になっているが、商店街の中央とはいえ駅から10分も歩くような場所で20年以上も続けてこられたのは、私の方からはけっして仲間を裏切らなかったのと、自分自身の弱さの賜物かも知れない。

ただ、この業界で成功するのは「仲間を裏切れる人」なんだと思う。イザとなったら誰も自分を護ってなどくれないし。私が批判をすればするほど「我々は間違っていない」と纏まるであろう立川支部の役員たちも、本質的にはバラバラで「自分のことしか考えていない」のはよく解かる。鰯の群れでさえ「ちゃんと役割分担して纏まって大魚から身を護ろうとしている」のに、大魚(国交省)の誘導に乗ってしまっているし。

私はいつもギリギリの精神状態の中で生きていて、壊れないでいられるのは良き友人に恵まれているから、だと思う。本当はとても弱い人間なんだし、小心者にとっては過大評価されるのが最も怖いことである。


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2013年06月17日

うちの店の前を通り過ぎていったお二人

昨日、店の前に立っていたら、目の前を軽自動車がゆっくり通過した。車の窓が開いていて、助手席に乗っていた人と目が合った。私は向こうを知っているが当然に向こうは私を知らない。それでも、会釈されたので、こちらも会釈を返したのだが・・・、

どなたかと言うと・・・、

石破茂氏だった。都議選の応援で来ていて、夕方には駅前で街頭立会演説会が行われることになっていたようで、その前に商店街を一回りしておこう、ということだったのだろうか。それにしても、ふだんは黒塗りの大型車の後部座席に乗っている人が、あの体格で軽自動車、というのは窮屈だったことであろう。

失礼な表現だが、超大物がうちの街に来て会釈されたのは、数年前の皇太子殿下以来のことである。あの時は選挙に立候補していらっしゃるワケではないのに手まで振ってくださって・・・、根がミーハーなのでつい舞い上がってしまって、その場でうちのの岩手の実家にまで電話してしまったくらいで・・・たらーっ(汗)

幹事長にまで頭を下げられたんじゃあ自民党候補に入れるしかないか・・・(おいおい)


で、もう一人、数日前に、たまたまお客さんの到着を待っていて、店の前に立っていたら、宅建立川支部の現支部長であるFさんが通りの向かい側の歩道をゆっくり歩いていらっしゃった。こんなところを歩いている、というのは不思議であったが、税務署にでも用があったものか・・・。目が合ったので双方が会釈を交わしたのだが、ナンと言っても私は前回の支部長選が不公正な選挙(八百長選挙)ということでブログでも支部総会でも糾弾している。さらに「過去5年間宅建業を営んでいないのに支部長職に就いている」ことに対しても度々疑問を呈している。当然にFさんはご存知である。だが、目が合えば互いに会釈はする。

聞くところによれば「Fさんは自ら希望して支部長選に出たワケではないし人柄もいいよ」とのこと。私もそう思う。私が批判しているのはFさんという人ではなく「選挙のやり方」と「支部長として適格かどうか」である。私が「人」を批判しているのは(八百長を仕組んだ)「取り巻き」の連中に対して、である。

で、余計なお世話なんだろうけど、急いでいる様子もなかったし、帰る途中に何軒かは支部の会員業者の店もあることだろうから、顔を出して「近所まで来たのでご挨拶に寄らせてもらいました。景気はどうですか?。困ったことがあったら支部に遠慮なくご相談くださいね」とでも声を掛けたなら、「支部長が気に掛けてわざわざ寄ってくださった」と業者は感激するものだろうに、そんなふうに寄ってるのだろうか、と気になった。もちろん「近くまで来たならうちの店にも顔を出して挨拶くらいして行け」と言っているのではない。

私同様に「不動産業を営んでいない人に末端の会員業者の苦労や辛さが解かるのか。そういう人が支部長職に就いて会員業者のために何が出来るのか」という疑問を持っている人はけっこういる。イメージ戦略、と言ってしまえばそれまでの話だが、そういうことは大切だと思う。評価も違ってくるだろうし。

ただ、Fさんは次の支部長選挙には出ないのでは、という話もあって、そうなると「無駄」にはなるかも知れないが、それでも、ついでと時間があるのなら、そうしたほうが良いとは思う。私みたいな人間がいるから、Fさんなりに苦労もしてストレスを感じているものだろうけど、そういうことに気が付くかどうか、が「人生の中で苦労をしたかどうか、そして苦労が身に着いているかどうか」の違いになって表れるもの。

ま、「オマエが言うな!」との謗りは免れないだろうけどふらふら


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2013年05月18日

ある酒造メーカーのHPに載っていた ちょっといい話

懸賞サイトから辿っていって見つけたちょっといい話。酒のオエノングループから売り出されている梅酒の名前について、こんな話が書かれていたのでご紹介。ま、ここんとこ、韓国がらみの記事で私の心も殺伐としていたので、いかにも日本人らしい、古き良き時代のエピソードで皆さんに和んで頂けたら、と思う。



梅酒「鴬宿梅」の名称の由来

合同酒精株式会社の梅酒「鴬宿梅」の名前は、著者未詳の歴史物語「大鏡(おおかがみ)」に由来します。
「大鏡」の中には、次のような逸話があります。

庭の梅の木を帝に献上することになった紀貫之の娘が、

「勅(ちょく)なれば いともかしこし鴬(うぐいす)の 宿(やど)はと問(と)はば いかが答(こた)へむ」帝のお言葉ですので、謹んで献上いたします。しかし、毎年この梅の枝に宿る鴬から、「私が宿にする梅の木はどこに?」と問われたならば、どのように答えたらよいのでございましょうか。

という和歌を枝に結びつけ献上したところ、帝はその和歌に深く感心し、梅の木をお返しになられました。

その「鴬の宿る梅」の枝振りは品が良く、花は色濃く、香りも非常に高かったとされています。
合同酒精株式会社では、この逸話に因み、その梅のような香り高く味わい深い「梅酒」を皆様にお届けしたいという思いを込め、昭和14(1939)年から「鴬宿梅(おうしゅくばい)」を梅酒の商標として登録し、「鴬宿梅(おうしゅくばい)」ブランドを展開しています。


                (HPより無断で引用、ではあるが、こういうのは赦されるであろうわーい(嬉しい顔)

現代と違って通信手段が満足に無い時代の話、和歌を枝に結び付けて、しかも「ほんとは嫌なのよね。でも偉い人が『どうしても』って言うから仕方ないじゃないの。ただし責任だけは取って頂戴!」と直接訴えるのでなく、(まあ、本音ではあったんだろうけど)鶯を引き合いに出して奥ゆかしく抵抗してみせる・・・、今はこんなことが出来る女性も、歌を読んで直ぐに返してよこす男性もいないんじゃないかな、と思う。


この梅酒、飲んでみたくなった。早速探してみようるんるん

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2013年05月13日

最近のコンテストに見る日本人の言葉のセンスの欠乏

警視庁が「振り込め詐欺」に代わる新名称を募集していたが、このほど最優秀作品が決まった。

「母さん助けて詐欺」

14104件の応募作品の中から選ばれたとか。

優秀作品は、

「ニセ電話詐欺」
「親心利用詐欺」

これ、選んだ人のセンス悪すぎ、だと思う。先ず、「母さん助けて詐欺」、本来ならこれからニュースで頻繁に流れることになるハズだが、おそらくは使われないと思う。何より、詐欺の対象は母親だけではない。父親や祖父が被害に遭ったなら「母さん助けて詐欺」では事件と名称の整合性がなくなる。どうしてピンポイントの被害者を対象にした名前を選んだのかが解からない。

「ニセ電話詐欺」も、これだと「掛けてきた人物が偽者」というより、電話機の偽物を売り込む詐欺であるかのような意味合いになる。「親心利用詐欺」も、正確には、内容的に「親心付け込み詐欺」が正しい。

「振り込め詐欺」が実態を反映していないから、と言いながら、どんどん遠くへ行ってしまっているように思う。おそらくは全部が「E電」の二の舞になるだろう。やはり、最初の「オレオレ詐欺」で良かったのだ。

不動産コンサル(ティング)が不動産マスターになったのも然り。今まさに、業界団体が署名運動まで起こして「宅地建物取引主任者」を「宅地建物取引士」に、つまり「主任者」を「士」に(法改正して)変更してもらおうとしていて、たしかに主任者という資格名は変ではあるが、だから士、というのも如何なものかと思うし。

ともあれ、横柄な言い方で恐縮だが、選ぶ側(審査員)のセンスが悪いのか応募作品のレベルが低いのかは不明だが、最近の日本人の「語彙」と「言葉のセンス」の欠乏ぐあいには絶望的に悲観しているバッド(下向き矢印)



posted by poohpapa at 06:09| Comment(4) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月08日

箱と包装代が400円・・・、これってアリ!?

岩手で私が「オイオイ」と思ったことがあった。それは・・・、

銘菓「黄金かもめの玉子」の値段設定、である。商品そのものが高いのでは・・・、ということではない。

一関駅に着いて改札を出る前の売店で「黄金かもめの玉子」の化粧箱入りを2500円で購入した後で、ふと商品棚を見ると、個別の箱に入ったものが1個350円で売られていた。化粧箱はその6個入りである。

てことは、箱と包装代が400円、ということになる。私の感覚ではそれが解からない。箱も包装も、言うなれば何の変哲もないモノ。虎屋の羊羹の外箱のように頑丈で豪華な作りでもないし、後で他に流用できるような代物でもない。ふつう複数買えば安くなるか、この程度なら箱代と包装代で100円くらいだろう。

化粧箱入りはこんな感じ、バラ売りの箱を並べて詰めたもの(さいとう製菓のHPから)

そういう時、私は直ぐに企業に意見を言う性分である。もちろん、良かれと思ってのことではある。

さいとう製菓にメールで問い合わせると、翌日、担当者から返信があった。のだが・・・、その内容で怒り心頭に発してしまった。会社側の言い分を曲げてしまわないよう、以下に個人名を除いて全文を貼る。本当は私が送ったメールも添えるといいのだが、HPの問い合わせ欄から送ったのでこちらには残っていない。

*****************************************

お世話になります。さいとう製菓の◎◎と申します。

当社のかもめの玉子をご購入いただき、ありがとうございます。

メールで送信いただいた、黄金かもめの玉子の値段設定について、御連絡いたしました。

黄金かもめの玉子6個入りは、箱代以外にも、包装作業代なども含まれています。

通常のかもめの玉子ですと、ほぼ機械化されていること、製造数が比較にならないほど違うことなどから、1箱あたり100円程度の上乗せになりますが、黄金かもめの玉子は、これらは全て手作業で行っており、同じ箱入れであっても、単純に同じ価格設定にできないのが現状であります。

今後、包材の変更や、作業の効率化などで、価格設定を見直す機会がありましたら、よりお客様に受け入れていただける商品としていく考えであります。


*****************************************

文面を読んで、この件で、さいとう製菓は客の声に向き合う気は無いな、と思った。この説明(文面)で客に納得してもらえると思っているなら何とも不思議である。回答しないワケにもいかないから儀礼的事務的に返信してきただけ、と思えた。内容にもよるが、苦情を言ってくれるお客というのは有り難いもので、企業からすると「何も言わず黙ってしまっている客のほうが怖いもの」、と私には思えるのだが、さいとう製菓は違うようだ。これ、窓口の担当者が会社を代表していることになるから、窓口の担当者の対応が会社の姿勢、と捉えられかねないのだが・・・、たぶん担当者は解かってないと思う。少なくとも「一人の客を失ってもべつに大したことではない」という考えが透けて見えている。それで「オイオイ」から怒りに変わった。

実は、そういう体験は二度目。以前は、ホテルグランヴィア京都の予約による料金体系について改善の提案をしようとして電話をしたら、電話を受けた若い女性からその時点で直ぐにクレーマー扱いされてしまった。その内容を記事にしたら(ちゃんと読まない)読み手さんからもそう判断されてしまったりして・・・。


で、「黄金かもめの玉子6個入りは、箱代以外にも、包装作業代なども含まれています」、とあるが・・・、

へ?、包装作業代??、そんなの、どこの製菓会社のお菓子でも一緒でしょ。1個350円で売るべく既に個別に箱入りされたものを化粧箱に並べて入れる段階ではそれほどの手間ではないだろうに400円・・・、それで当然だと思っている??

いくら地元の銘菓といっても、そういうのを殿様商売って言うんじゃないかなあ・・・。「箱に入れてキレイな包装紙に包んで高級感が出るんだから商品代とは別に400円くらい取ってもいいでしょ」という感覚なんだろうけど、客の気持ちが解かっていないと思う。改善する気の無い返信からは「嫌なら買わなきゃいいでしょ!」という雰囲気さえ感じる。考え過ぎかも知れないが・・・。

他の企業が同じような商品の梱包を100円程度で頑張っているのに、さいとう製菓に出来ないハズが無い。出来ない(しない)なら、それは経営者の感覚が(どこかで)天狗になって麻痺しているから、だと思う。先代が苦労をして開発した商品で、何度も挫折しそうになってその度に危機を乗り越え、未曾有の災害からも復興してきた企業だけに、今の(当たり前の感性に欠ける)企業姿勢は残念に思える。

私は、黄金かもめの玉子なら350円が400円していても納得である。1個400円のものが6個入りの箱で2500円なら何の不思議もないのだし。でもって、もしも包装紙に小さく「料金の中には被災地への義捐金が含まれています」とでもあるなら差額など気にせず喜んで2500円を出すのだが・・・。

黄金かもめの玉子は常に売られているので、6個入りが2500円のまま今後も売られているなら私の意見は黙殺された、ということになるんだろう。これで私はさいとう製菓のファンではなくなったが、もう買わないか、というと、そんなことはない。私の(企業への)好き嫌いに関係なく、お土産として「黄金かもめの玉子」を喜んでくださる人がいるのだから今後も買うに違いない。ただし・・・、もうバラでしか買わないが。

posted by poohpapa at 07:31| Comment(4) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月11日

サービス、あれこれ

昨日の定休日、「一昨日のリベンジ」ということで、再び矢川の「万世」に行ってきた。美人店員のYさんがいてくれるといいな、と思っていたのだが・・・、迎えてくれたのは究極の対角線上にある女性だったたらーっ(汗)

ま、人生、そんなもんでしょ。次の楽しみができた、と思えばいいか(*^^)v

ところで・・・、

先日の記事で、うちのの岩手の実家への帰省で、帰りは「やまびこ」のグランクラスを利用する、と書いていたが、キャンセルした。よくよく調べると、「サービスはシートのみになります」とあった。つまり、革張りの高級シートに座るだけのことで、同じ料金を取りながら「弁当も飲み放題」もなく、専属のアテンダントによるサービスもない、ということになる。ナニそれ??、である。料金にその分の差があるなら分かる。そういうのは先に謳ってなければ不親切であろう。ネットで解約するのに600円取られたし・・・。

と、書いてアップしたら、バラキさんから「お姉さんのサービスのないグランクラス(早朝便)は、東京ー仙台間で2300円料金が安く設定さています」との情報が・・・。JRさん、すんませんふらふら

それでも、私はJRに言いたい。「600円、返してくれ」と・・・わーい(嬉しい顔)

当初予約する際には、小さく「サービスはシートのみになる場合もあります」とは謳ってあったが「サービスはシートのみになります」とは書いてなかった。まあ授業料ということで諦めるしかないが。

今週の住宅新報のコラムに、ある居酒屋の粋な気遣いについて書かれていて、その居酒屋では店主が客に対して常に細やかな目配り気配りをしているようだ。カウンター席に2人で座っていて、両隣が2席ずつ空いているところに3人の予約が入り、客が気を利かせて席を詰めると、椅子を一つ取って「どうぞごゆっくり」と声を掛けてくれるんだと。一人客が来たら「その空いてる席」に座らせれば満席になって有り難い、とは考えないで、あくまで客の立場で考えてくれるようだ。二人で一品頼むと最初から半分ずつ分けて皿に盛って出してくれたりとかしてくれて、なのでとても繁盛しているようである。ま、それは当然であろう。

私たちが最近よく利用している「バーミヤン」も店員さんが気持ちいい。混んでいると狭い二人席に通されるのは仕方ないことだが、そのうち空き始めると、店員さんが空いたテーブルをつけてくれて「すみませんでした、どうぞごゆっくり」と声を掛けてくれる。客からすると、窮屈なテーブルで食事するのは辛いものがあるし、後から来た二人連れが広いテーブル席に通されるのを見ると「今日はタイミングが悪かったな」とテンションが下がるものだが、店側が客の心理をよく心得ていてくれる。狭い席に通されて、そのまま最後まで食事することになっても店側の姿勢が分かっていて納得しているから苦痛でなくなる。

私自身、逆に「へえ、こんなことするワケ??」と、些細なことが原因で二度と行かなくなった店もある。

客が(飲食店の)リピーターになるか離れていくかは、料理が美味しいか美味しくないか、ではないように思う。ましてや、料金が高いか安いか、でもないだろう。客は「居心地にカネを払っている」んだと思う。






posted by poohpapa at 06:50| Comment(8) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月05日

カネは遺すもんじゃなく使うもの

先日、某テレビ番組で相続税の増税に関して特集していたのだが、それによると、

日本の金融総資産は1500兆円あって、その6割を60歳以上が所有していて、70歳の平均資産に至っては約4500万とのこと。私が70歳になっても借金が残っていこそすれ遺産なんてないだろう。

番組で紹介されていた70歳くらいの夫婦、貯金通帳を何冊も持っていて、それぞれに7〜800万くらい入っていて、全部で9000万の貯金が有る。ご主人は元は普通のサラリーマンで、コツコツと貯えてきたらしく、「できれば子供たちに少しでも多く遺してやりたい」と思っているようだ。なので相続税が引き上げられることで悩んでいるらしい。僻むワケではないが、「勝手に一人で悩んでれば!」、である。

蓄財するための今までの努力は認めるが、自分たちの老後の為に、でなく、子供たちに「より多く遺す」のが目的になっていて、私からすれば「真面目な人なんだろうけど、おカネの本質がまるで解かってないな」と思えた。奥さんは「自分たちで使う」ことを希望していて、死ぬまでにあちこち旅行などに出かけたりして、もっと自分たちのために使いたい、と思っているようだ。だがご主人が同意しないとのこと。

人様の家庭のことだし、それぞれに多様な価値観があっていいことなんだろうけど、長年連れ添って苦楽を共にしてきた夫婦である。女房を喜ばせるために半分を使ったとしてもおかしくはないだろう。

それは、奥様の価値観が正しいと思う。奥様の考えは当たり前の話だし、カネは貯めるものでなく使うもの、世間に回してこそのカネである。一箇所で滞らせて相続が発生してやっと放出する、なんて年寄りがいるから経済が立ち行かなくなるもの。60歳以上が保有している金融資産1500兆円の6割の900兆円の3分の一でも消費されたなら、アベノミクスなどに頼らずとも日本の景気はいっぺんで弾けるだろう。

だが・・・、そうならないのは政治に責任がある。今の年金政策なんかを見ていて「老後は安泰」などと思える人が何人いるだろうか。皆、自分の老後に不安を持っているから「使いたくても使えない」のだ。

番組に出てきた老夫婦、ご主人がせいぜいあと10年、奥様は20年生きるとしても、これから全く無収入になるワケじゃなし、どう節税してどれだけ子供たちに遺すかで悩むのでなく、どう使うかで悩むべきだろう。ハッキリ言って、この旦那は救いようのない「ケチ」である。今まで誰かと飲食しても「オレが奢るよ」などと言ったことが無いんじゃなかろうか。通帳に並ぶ0の数だけが生き甲斐だったんだろう。失礼ながら、慕ってくれる友だちもいないんじゃないかと思う。ならば、もっと奥様を気遣うべきである。

そもそも「親が質素に暮らして自分たちにより多くの財産を残してくれる」のを喜ぶとしたなら碌な子供ではないのだし。私なら「使い切って最期を楽しんで死んでくれる」ことを望む。足りなくなったらなったで何とでもなるもの。それくらい負担したってかまわない。もし子供に遺すとしても「一息つける」程度で充分なのだ。「あとは自分の足で立てる」よう育てることこそが親が残すべき財産である。

エヘン!、私の場合はこのご主人とは真逆である。不動産屋はけっこう副収入や臨時収入があるもので、私はそれをコツコツ貯めて、ある程度まとまると、うちのに「好きなように使いなよ」と言って渡していた。と、過去形で書いているのは、今は借金の返済に廻ってしまうから、たとえ私が「好きなように・・・」と言っても、うちのは使わない(使えない)のが分かっているからである。

私は元々が貧乏な育ちで、親父や兄弟はそれでも気前が良かったから、「カネ離れの悪い人」は好きじゃないし「カネの生かし方を知らない人」なんかは軽蔑しているくらいである。「カネに汚い」のは論外だし。

番組では、親の遺産をめぐって兄弟仲が悪くなってしまった人も紹介していた。そんなのは私の周りにもけっこういる。それで兄弟が不仲になるとしたら、本人も、ではあるが連れ合いの出来が悪いんだと思う。


以前も書いたが、現金や証券の相続なんかにはドーンと課税すればいい。そうして、生きてるうちに自分が使うか子供に使わせるように仕向けて、先祖伝来住み続けている家や土地は一定の規模までは非課税にすればいいと思う。生前贈与の非課税枠が拡がって、少しは世の中にカネが回ることになるのは嬉しいが。

相続税・・・、死ぬまでに使い切れずに残ってしまった財産があるなら納めればいいじゃないか、社会に役立ってくれるのだから。それが嫌なら使えばいい。貯蓄目標は「際限なく」ではなく「適当」で良いのだ。




posted by poohpapa at 07:43| Comment(4) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月12日

人は「忘れる」・・・

昨日は3.11からちょうど2年ということで、ここ立川市でも街頭に設置された拡声器から「本日は東日本大震災があった日です。2時46分になりましたらサイレンを鳴らしますので黙祷してくださるようお願いします」とのアナウンスが度々流されていた。たまたま買い物に行ったデパートでも同様のアナウンスが流れていたので、きっと手すきの店員さんたちは黙祷をしていたと思われる。

うちのと私は、その2時46分に家まで着けるかどうか微妙なタイミングだったが、家まであと少しの路上で黙祷開始のサイレンが鳴り始めた。道の脇に寄って立ち止まり、買い物袋を提げたまま黙祷を始めたのだが、その脇を自転車や歩行者が通り過ぎる気配は感じていた。そういうのは強制するものではないので、黙祷しない人たちを非難するつもりは無い。その日を覚えていて「しよう」と思う人がすれば良いとは思う。

ただ、こういう奴は赦せない。

黙祷している我々の後ろから車が迫ってくる気配がする。まあ、その時間にも車は動いていて「日本中の車が一時停止して黙祷する」なんてことは有り得ないし、大袈裟な話、それでは日本経済が停滞する。

で、後ろからゆっくり静かに迫ってきた車が、ちょうど我々の横に並んだ時のこと、





突然、その車から、「コケコッコー!」と鶏の鳴き声が流れた。

しかも大音響で音楽が鳴り、「新鮮な卵の移動販売でお邪魔しています」との無粋なアナウンスまで流れたから黙祷のサイレンがかき消されてしまい、黙祷の途中であったが仕方なく我々は黙祷をやめた。

無関心に通り過ぎるのならまだ赦せるが、たとえ悪意は無くても「邪魔をする」のは赦せない。せめて会社を出る前に「今日が何の日か」を確認するとか思い出すとかして、黙祷まではしないまでも「その時間になったら当然に営業をやめて騒音を出さないようにしよう」とは考えないものか。

車が少し前方で停まったので、運転していた社員に注意をしようと思ったのだが、運転席から降りてきたのは意外にも私よりかなり年上の「枯葉マーク」目前の女性だった。それで、注意するのを諦めた。

人は「忘れる」もの。ましてや、被災地から遠く離れていれば尚のこと。それは仕方ない。だが、同じ日本人として、「せめて被災地に真の復興の日が訪れるまでは3.11を風化させてはならない」と強く思った。



 コメントの返信、少々お待ちください。昨晩は「風邪の初期症状」で早めに寝てしまいました。
   陽気の変わり目につき、皆さんもお気をつけください。






posted by poohpapa at 06:41| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月04日

「しんたさんのメルマガ」より

私がいつも読ませて頂いているメルマガに、こんな記事がありました。

少し前の記事になりますが、ご紹介と意見を(*^^)v


電話を使ってはいけない、またはマナー違反の場所で、突然電話がなって、
焦った...なんて経験ありませんか?

ネットサーフィンをしていて、そうした「電話の電源切り忘れ」や「マナー
モード設定忘れ」の対策がありましたので、紹介します。

その方法は簡単、着信音を「よくある雑音」にするだけです。
例えば、「咳」「咳払い」「くしゃみ」「コインが落ちる音」などです。
仮に、映画館で携帯電話が鳴ってしまっても素知らぬ顔でごまかすことが
出来るというわけです。



たしかに、映画館や研修の最中に携帯が鳴ること、ありますね。だいたいが映画館での上映前や研修が始まる前には「携帯電話の電源をお切りください」とのアナウンスがありますので、携帯を鳴らしてしまった人は「遅れて来場した人」、なのかも知れません。よほど何かに気を取られていても、そういう場内アナウンスが流れているのに携帯の電源を切り忘れる人など、そうはいないものでしょうから。

着信音を「咳」「咳払い」「くしゃみ」「コインが落ちる音」などにしておけば違和感は少ないかも知れませんが、ふだんから「咳払い」の音で「着信があった」と認識できるようにするつもりなら相当に大きな「咳払い」でないと気が付かないでしょうね。クラシックのコンサートでも、例えばシューベルトの「未完成」の冒頭で咳払いなどされたら興醒めです。映画のしっとりしたラブシーンでも然りです。普通の呼び出し音よりマシというだけのことで、いずれにしても迷惑です。

ふだんの着信音は直ぐ気付くような別の着信音にしていて、そういう場所では切り替えるようにしているのなら、呼び出し音を切り替えるのでなく電源を切ることが出来るものでしょう。そういう人は切り替えも忘れることでしょうね。

発信者も「電源が入っていないか電波が届かないところに・・・」というメッセージでなく呼び続けていたなら「どうして出ないんだ。何やってんだ!?」と思うものでしょう。「どうやって誤魔化すか」の方法を教えるのでなく、そういう場所では常に電源を切ることを「どうすれば習慣付けられるか」をアドバイスすることのほうが理に適っているように思います。着信があって席を離れられるのも周りからすれば迷惑ですし。

「着信音を工夫するのを対策にしているような人が一流ビジネスマンになれる」とは思えませんし・・・。

これ、私なら・・・、




どうせなら「おなら」の音にしますねわーい(嬉しい顔)
posted by poohpapa at 06:43| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする