2005年12月16日

さすが、麒麟ビール!

昨日、さとひろとコムベトナムでランチをして、ママさんから凄い話を伺った。「企業はかく在るべき」と思わされる話である。

コムベトナムと同じビルに営業所を構える麒麟ビールが、「30人ほどで忘年会を開きたい」と問い合わせしてきて、一昨日貸切にして開かれたのだが、麒麟サイドから一つだけ要望があった、という。

「料理は3千円のコースにして、飲み物は(麒麟製品の)持ち込みでお願いしたい。ついては一人当たり500円のサービス料を支払う、ということで如何か」とのことで、サービス料だけで1万5千円になる。そこまでなら当然のことだし、私も驚かない。

当日、麒麟の社員が上から生ビールのタンクやら氷結のケースやらワインを大量に運んできて、宴会が始まると、ナンと上司以下全社員が、ママさんに負担を掛けないよう気遣い、まるで申し合わせていたかのように料理の注文を控え、10時を過ぎると、もうオーダーを出さなくしてしまった、とのこと。それでいて、社員の方たちは充分楽しんでくれたようだし、気持ち良く接してくれていた、という。それどころか、自分たちで持ち込んで飲み切らなかった生ビールのタンクやら氷結2ケース、ワイン数十本はそのまま置いていってくれた、とか。どれくらい飲みそうなものか、は最初から分かっていたハズだから、それより遥かに多く持ち込んだのは、元々そのつもりだった、ということになる。

なかなか粋なことをする会社である。

私なら「3千円分の元を取ろう」と考えたに違いない。いや、ほとんどの人はそう考えるだろう。たしかに、それまで仕入れていたビールを麒麟に替えてくれた、という要因もあるかも知れないが、麒麟の社員は「なぜコムベトナムで忘年会をするのか。コムベトナムの人員がどうなっているか」を良く解かっていて、事前に社内で無理なお願いはしないよう申し合わせていたのだろう。これは、ママさんの人徳かも知れない。

他にも、店内の宴会用のポスターも作り直してくれたりして、自社製品をより多く売るため、ということが目的であったとしても、顧客の立場で充分な気配りをしている、と窺える。さすが、である。

私は思った。麒麟は、「コムベトナムで忘年会を開く」ということで予約してはいたが、それとは別に(本当の)忘年会を開くのではないか、と。いや、きっと忘年会を良き口実にして取引先の顔を立てているのだろう。そのための資金は惜しまない社風なのかも知れない。

他人事ではあるが、私も麒麟のファンになってしまった(*^^)v
posted by poohpapa at 06:49| 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月28日

呆れたジジイ

あんな光景を見たのは久し振りだ。腹が立つ、と言うより呆れた。

昨日、駅ビルに向かう途中、駅からのメインストリート徒歩1分のところにあるデパートの壁面に向かって、60代半ばの男が立っていた。何も無い壁に向かって立っていること自体が不自然だし、姿勢が反り返っていて、なお不自然だったのでよく見ると・・・、

ナンと、立小便をしていたのである。時間は真っ昼間の11時。男の脇には英会話教室の看板があって若干は物陰になる、と言っても白昼の往来の真ん中である。誰も気付かない訳がない。私以外にも何人か気付いたようだが、私が気付いた時には既に半分以上放尿した後のようだった。男も女も一旦放尿を始めると「途中で一時停止する」ことは難しい。泌尿器には「ポーズ機能」は付いていない。

私が「そんなところで何をしている!」と怒鳴りつけたとしても、男は通行人から一斉に注目されるだけで最後まで出し切るしかなかったろう。出し終えると、さっきまで反り返っていた男は、側に立て掛けてあった杖を手に取り何事も無いかのように前屈みで歩き始めた。

目の前のデパートに入ればトイレだってある。階段が辛ければエレベーターだってある。我慢できなかったとしても、何故それくらいの手間が掛けられないのか理解に苦しむ。自分の家の壁に人や犬が小便を引っ掛けていっても、この男は怒らないものだろうか。

そんなハズは無い。こういう奴に限って烈火の如く怒るだろう。

こんな大人がいたのでは「今の若者」を批判することも出来ない。
え?「お前は注意したのか?」ですって!?

しませんよ、そんなこと。だって、さっきまでおチンチンを握っていた手で腕にでもすがられて、「見逃してくださいよ」なんて懇願されたら嫌じゃないですか。絶対、手にも雫が付いてるだろうし^_^;

で、さっき「あんな光景を見たのは久し振り」と書いたが、前回は25年前になる。立小便、という光景だけならしょっちゅう見ているが、その時だけはまるで違った。その晩は飯が食えなかった。

昼間、千葉の大網を走行中、T字路の突き当たりに人がいた。近づくまで相手が何をしているのか気が付かなかったが、後ろ向きに屈んだ尻のあたりに、今まで見たこともないくらい大きなアワビが張り付いている・・・、と思ったら、剥き出しになった女性の性器だった。

「うわ〜勘弁してくれ!」と思っているとアワビが水を噴出した。
「昼間からT字路の突き当たりで、何も往来に尻を向けて立小便なんかするなよ!」と怒鳴りたい気分だった。私も田舎の出身だから、たまには女性の立小便にも遭遇したこともあるし、「若くて美しい女性」なら「ラッキー!」ではあるが、女性の立小便の全てが、「恥の概念」などとっくの昔に何処かに忘れ去った年寄りである。

元より偏食王の私だが、アワビだけは絶対食べたいとは思わない。
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2005年11月17日

ボージョレ・ヌーヴォ、って美味しい?

毎年11月になると、「世界で一番早くボージョレ・ヌーヴォが解禁になる国」ということでマスコミ挙げて日本中でバカ騒ぎをしているが、(解禁日以降に)何度か飲んではみたが一度も美味しいと思ったことが無い。だからTVのインタビューに「凄く美味しいです!」と答えている人を見ると、「こいつ、ワインの味、本当に解かってんのかねえ?」、と思ってしまう。酒を飲まない私でさえ、である。

というのも、私は酒は飲まないが、「アルコールなら何でも来い!」のさとひろと、酒の評価は常に一致しているし、一口飲めば、ワインがイタリア産かフランス産か、くらいの区別はつく。

ボージョレ・ヌーヴォは、その年に収穫された葡萄から作られる熟成の浅いワインなのだから、私でも違いが判るくらい味が薄っぺらい。しかも、それでいて値段は高い。予約までして有り難がって飲む人の気が知れない。って、人様が何を好もうが勝手ではあるが、「マスコミや業者に簡単に乗せられて騒ぐ感覚が嫌い」なのだ。

たしかに、ボージョレ・ヌーヴォには「数年後に市場に出回るヴィンテージワインの評価」を決定する意味合いもあるが、そんなのは専門家が鑑定すれば良いことであろう。

と、ここまで書いたので、ついでのことに仏産ワインの(最近の?)当たり年を記してみる。85、89、90、95、96年、である。
80、87、91、93、94年産は、間違っても買うことが無きよう(*^^)v

で、バレンタインデーやホワイトデー、クリスマス、選挙にも言えることだが、我々市民は「マスコミや業者に乗せられて判断を誤った」なんてことは何度も体験済みのハズなのに、全く懲りる気配は無い。

少なくとも、ワケも解からず空騒ぎをする尻の青い社会人や、今も韓流ブームに浸っているような軽薄なオバサンたちの選挙権など剥奪しても構わないのでは、と思えてならない(暴論^_^;)





※ ワインの当たり年については以前も書いたような・・・^_^;
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2005年10月16日

少子化で、おもちゃ屋さんの行く末は・・・

実は、「大いに明るい」のだそうだ。

これは先日の不動産業者の研修で聴いてきた話だが、

子供の数は減っても、オモチャは「子供が買うものではなく、大人が買い与えるもの」だから、「高齢者の数が減らない限り売り上げは落ちない」のだとか。少子化の影響が出るのはずっと先のことらしい。なるほど、専門家は見るところが違う。

昔、オモチャは子供のモノだったが、今は大人が楽しんでいる。
そういえば、大型書店に行くと、「大人の科学」なる工作キット本が平積みされていて、けっこう売れているようなのである。私も、「カラクリ人形」のシリーズなどはいつか揃えて作りたいもの、と思っている。

この「大人の科学」、自分で組み立てる「キット」と「完成品」があって値段も違うが、モノグサには嬉しい販売方法で、大人の(とくに熟年男性の)消費者心理のツボをよく抑えている(*^^)v

最近は就労時間も減少傾向だし、子育ても一段落ついて、奥さんも一緒に遊んでくれなくなっているだろうから、本物ソックリの1/40スケールの木製「五重塔」とか「帆船模型」とか、或いは「野球盤」のように相次ぎ復刻版が出始めているアナログゲーム、「プラモデル」など、男の郷愁と哀愁を誘うレトロモノは今後益々売り上げを伸ばしていくことだろう。う〜ん、実に羨ましい(*^^)v

我が不動産業界、とくに賃貸が主たる業務の不動産屋も、「少子化で若い人が減っても高齢者が減らない限り、高齢者の数だけ部屋を借り与えることだろうから困ることは無い」・・・・・ワケがない!(爆)





※ 文中でリンクさせて頂きました「アナログゲーム大辞典」さんに、リンクのご挨拶のメールを送らせて頂きましたが戻ってきてしまいました。こちらにてご挨拶させて頂きます。どうぞご了承ください。
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2005年10月05日

「パーティー券」と「ライターの石」

私の巡回先、「サザンコンフォート」さんで、政治家の資金源である「パーティー券」について触れておられた。

私もずっと以前から、「政治家がこんな抜け道を使っちゃイカンだろ!」と思っていた。それでは「庶民が真似をしても文句が言えない」というものだ。どっちが先かは分からないが、現に、昔から同じようなものが存在していた。「ライターの石」、である。

亡くなった私の親父が大のパチンコ好きで、子供の頃よく連れて行かれていたが、いつも不思議に思うことがあった。親父は「いっぱい出た日」には決まって「玉をライターの石に交換していた」のである。

それを直ぐ隣の「小さな店」に持って行って、何やらおカネを貰っていたようだった。子供心に、「おとうちゃん、タバコは吸うけどライターなんか使ってないんだから、なんでライターの石なんかと交換するんだろう。全部お菓子に交換してくれればいいのに」と思っていて、ある日、親父に理由を聞くと、分かりやすく教えてくれた。

「法律でな、パチンコ屋は玉を直接おカネと交換できないことになっているんだ。だけど本当はお客が一番欲しいのはおカネだから、法律に違反しないようにおカネに換える方法は無いものか、と勉強して、『一度何か景品と交換させて、直ぐそれを隣にくっ付いてる店に持って行かせて、そこに売る』という形にしたんだよ。だから、ライターの石でなくても何でもいいんだけど、分かりやすくて『決まった物』でないといけないだろ。隣の店には『おカネに換えたい』人だけが行くし、そのお店はべつにライターの石が欲しいワケじゃない。客から買い取ったライターの石を後でパチンコ屋に売ってるんだよ。つまり、直接おカネに換えると法律に違反してしまうから、『おカネで欲しい人は先ず石(今はメダル?)に換えなさい』というパチンコ屋と客と隣の店との間でのキマリになっているんだ。ライターの石は、法律に違反しないで玉をおカネに換える道具になっているんだよ」、と。

で、「パーティー券」である。政治資金規正法に違反しないでカネを集めるために、ふだん「国民の為の法律を作る時」には全く使うことのない脳ミソをフル稼働して考えられた抜け道である。「パーティー券」と「ライターの石」も、存在意義としては全く同一である。

場末のパチンコ屋の考えていることも、国民の代表として本来は崇高であるべき政治家も「同じ発想」しか持ってないことが笑える。

ではあるが、「政治家よ、恥を知れ!」と言いたい思いである。
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2005年10月04日

赤い羽根共同募金は、正直「不快」

誤解を恐れずに言うと、赤い羽根共同募金はとても「迷惑」だ。

私も、地震や津波の被災地に対して義援金や救援物資を送る、ということはしているが、駅頭などでの募金活動には協力しない。

10月1日からの一週間は駅頭を通るのが辛い。ボランティアの高校生や子供たちがズラッと並んで、こちらに向かって呼びかけてくる。協力しないで立ち去ると、なんか「人でなし」と思われていそうだ。

「協力しない=悪いことをしている」ということにはならないハズだが、それでも無理やり罪悪感を押し付けられるような気がしている。ならば、百円でも入れれば良さそうなものだが、それは不本意だから出来ない。今流行の「ホワイトバンド」に対するのと同じ感覚である。どうも信用できないのだ。それに、自分が偽善者になるみたいでどうにも嫌だ。どうせやるなら、そんな非効率的なものでなく、別の方法を考えてもらいたいと思う。

高校時代から疑問を持っていて、一人当たりの金額を決めて強制的に廻ってきた募金(箱)への協力を拒否した時の同級生(女子)の「蔑むような目つき」が忘れられない、ということもある。私は「(半ば強制的に)協力して当たり前」と決め付ける感覚が不快だったのだ。

それと、私の家など「本来は援助を受ける立場では」、と思えるくらいだったのに、募金を強制されるのは納得いかなかった。

で、駅前の銀行に用があったりしても、行き辛い。募金活動は立派な行為なんだろうが、私にとっては「迷惑」でしかない。羽根を着けていないと「未だ協力してない人」と思われて狙い撃ちで声を掛けられるから前を通り辛い。だから大きく迂回することもある。

なので・・・・・・・、私の机には「30年モノの赤い羽根」が入っていて、毎年10月1日が来ると机から出して使い回しをしている(セコッ!)
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2005年09月29日

なんか、セコくないか〜・・・^_^;

下の記事をアップして、1時間ほどして読み直してみると、なんか「大の大人がセコい攻防してんなあ・・・」と思ってしまった(汗)

私が「独立する」と言えば9割の家主さんは付いてきてくれるだろうし、「他の会社に移る」と言っても半分は付いてきてくれるだろうから、ホント(独立を)考えようかな、と思う。

今の会社に残っている限り、(300万とは別に)212万に利息付けて返したとしても縁は切れないし、当然と思われたまま「元本が残った状態で2万ずつ払い続ける」のも馬鹿らしくなってきたなあ。
それでも、向こうは「アタシが店の権利者」と思い続けてるだろうし。

おカネが無い、ということは、或る意味、辛いものだね〜(爆) 
posted by poohpapa at 08:45| 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

国勢調査ねえ・・・・・

昨日、知らないオバサンが国勢調査票などという前近代的なモノを置いていきました。私は拒絶したりはしませんが、考えようによってはこういうのも本来なら個人情報保護法に抵触するんでしょうね。

これって、
「殺人は重犯罪だが、戦争で敵を殺すのはOK」
というのと同じなのかなあ・・・。要するに、同じことをするにしても、「国がやるなら良くて、個人でやったらマズイ」典型、と言えなくもないですね。昔の「専売法」とは別の意味で、ですけど。

当然、人材派遣会社では全員が「国勢調査」に協力しないんでしょうね、「個人情報保護法が有りますから」とか屁理屈つけて(爆)

一昨日も70歳くらいのオジイサンが店に訪ねてきて、「○○不動産て何処でしょうか?」と尋ねるんですよ。手に調査票を持っているんで、「ああ、国勢調査の人なんだ」と思って、場所を教えてあげたんですが、広げている地図は○○不動産とは全然別の地区なんで、「どうしました?」と聞くと、地図の一点を指差して「ここのアパートは人が住んでる気配が無いんだけど、それでも住人がいるかも知れないから、ちゃんと調べないと、と思いましてね」、とのこと。それで管理会社を訪ねようとしていたんですね。本当にご苦労なことです。

帽子を取って丁寧に「有り難うございました、助かりました」と帰って行きましたよ。気持ち良かったです。さすが年配者です(*^^)v

ところで、国勢調査で廻ってくる人はお年寄りとは限りません。若いお姉ちゃんもいるでしょう。既に「お尻を触られた」なんてニュースも流れています。調査員の方の苦労を思えば、拒絶したり身体を触ったり、なんて「とんでもないこと」です・・・って・・・、

私だけ気をつけてれば済むことでしたね、失礼しましたッ!^_^; 
posted by poohpapa at 05:39| 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月19日

久し振りの尾行・・・、で考えたこと

一昨日の夕方、会社の帰り道、家と会社の中間くらいの地点から、若い男の尾行を始めた。私の目の前を歩いていた20歳くらいの男が、歩きながらマンションの植え込みに小さなゴミ袋を投げ捨ててそのまま立ち去ろうとしたから、である。

もし、その男が近所に住んでいるなら、家とかアパートの部屋を確認して、ゴミ袋をとりに引き返して、そいつの家の郵便受けにでも放り込んでおいてやろう、と思ったのだ。

男は細くて暗い路地を曲がりながら、私のお店の近くを通過して更に進む。少し距離を置いて尾行していたが、どうも駅方面を目指しているようで、近所に住んでいるのではないらしかった。で、諦めた。

私が、ゴミのポイ捨てを目撃したその場で男に声を掛けなかったのは、テレビのニュースで「昨夜、ゴミのポイ捨てを注意された若い男が、隠し持ったカッターナイフのようなもので注意した男性に斬りつけ、男性は1時間後に死亡、男は現在も逃走中で、警察では付近の住民に警戒を呼びかけています」、などとネタにされたのでは堪らないし、それより、男が「捨てたハズのゴミが朝になって郵便受けに入っていて驚いた」という結末のほうが面白い、と考えたからである。

ところで、私は「車からのタバコのポイ捨て」を見るのが最も不愉快である。自分の車の中さえキレイなら他はどうなっても良い、ということであって、そういう人間は最低である。そういう奴に限って、車の灰皿は付いているのに、灰皿としては使わず小物入れか何かに改造していたりする。そういう奴は、「タバコのポイ捨てをする癖だけが欠点で、それを除けば大変な人格者」、であるワケが無いのだ

これは本当の話、私は生まれてこのかた今に至るまで、ただの一度も道端にゴミを捨てたことが無い。ただの一度も、である。というか、それくらいしか誇れる過去が無い^_^;(私≠人格者)

車で移動していると、目の前を走行中の車の「タバコのポイ捨て」には実によく遭遇する。多くの場合、重低音の大音量のカーステレオの音楽とセットになっている。

私はそういう奴を見かけると、いつもこういう衝動に駆られる。
捨てたタバコを拾って、信号待ちで車が停車した時に降りていって窓をコンコンと叩いて、そいつが窓を開けたら、「落し物ですよ」と、火のついたままのタバコを膝の上にでも放り入れてやりたい、と。

もちろん、いつも思うだけで実行はしないのだが(爆)
posted by poohpapa at 04:39| 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月15日

研修会の成果???

昨日、嫌々ながら法定研修を受けてきた。

思ったとおり、退屈な講演のオンパレード・・・、ではなかった。

2番目の講演者の寺島実郎氏のお話は実に有意義なものだった。

前もって具体的な資料も渡され、系統だった話の進め方やエピソードを交えて聴き手を引き込む技術はさすがに場慣れしている、と感心した。

話の内容としては不動産業に関連したものは少なく、明日からの業務に直ちに役立つというものではなかったが、私たち日本人が今後どのような問題に直面することになるか、資料を交えて解かりやすく解説してくれたことで将来の参考になった。良い講師だったと思う。

一方で、寺島氏に関しては、こういう評価も受けているようだ。
たしかに中国関連の話は多かったが、出処が右翼紙であるし、私が聴く限り「中国礼賛」とまでは言えず、客観的に中立公正な目で捉えているように思えたから、その評価は当たっていないと思う。あれで「反日評論家」のレッテルを貼られたんでは堪らないだろう。

数年前、法定研修会ではジャーナリストの鳥越俊太郎を講師として招いて「世界における日本の役割」みたいな話をさせたことがある。内容はお粗末で、テーマとはかけ離れた薄っぺらな話で、あれでも相当な謝礼を受け取るんだろうな、と考えたら腹が立った。というか「アンタ、不動産屋を馬鹿にしているのか!」と思えるくらいレベルの低い話だったのだ。
それに懲りて、その後は研修会(義務)に参加していなかった。

ただし有益だったのは寺島氏のお話だけ。最初の講演者の弁護士(全日不動産協会法律顧問)の話は、1時間のうちの大半は舟漕ぎさせられていた。「印刷物一枚渡して目を通させれば事足りる」、と思えるほど内容に乏しく、不動産業者相手の講演なら釈迦に説法になる。しかも、声が甲高く、時折起こされるのが辛い^_^;

そして、3番目の講師、東京都総務局人権部副参事のオバチャンである。テーマが「不動産業界をめぐる人権の諸問題」ということで、予想通り現実離れした「人権」の連呼に終始していた。寺島氏の話が長引いてオバチャンの持ち時間が押せ押せになっていたこともあって会場は席を立つ人で溢れてザワついていたし、言いたいことが満足に伝えられずに焦っていた、と思われる。気の毒ではあった。

だが、内容は同情できないほど酷いものであった。
「高齢者や障害者、国籍や肌の色で差別することが無いように」というのは解かる。しかしながら「入居申込書に本籍や国籍を記入させないで欲しい」などと言うのはどういう意味か!

「本籍地等の不要な情報を書かせたりすることから、部落差別を受けたりすることが無いように・・・」って、アンタ、東京都の職員だろ。ましてや都の不動産業者の研修に講師として呼ばれてんだろ!

だいいち入居させるかさせないかは貸主が決めることであって、行政が口を挟んだり指導するものではないだろう。それでは都が「買物はジャスコなどを使わずに、極力ダイエーを利用すること」と言ってるようなものである。貸す側の「人権」や「自由」はどうなるワケ?
何かあったら東京都が責任取ってくれるの!?

最近の大阪での裁判で「国籍を理由に入居を断ったのは違法」との判決が出た、とのことで、詳細は分からないが、「だから」というだけでは説得力に欠ける。断るには「それだけのワケ」が有ったハズだから、事実を検証して判断する必要も出てくる。

個人情報も人権も、何だか必要以上に神経質になって過敏に反応しているようだけど、ハッキリ言って、私自身、今も朝鮮人相手に大変な思いをしているから、そんな要請は受けられない。オバチャンから言われるまでもなく、国籍や障害の有無、年齢や職業に関係なくこれからも「人」を見て決めるから心配ご無用!

ただし何度も言うが、中国、北朝鮮国籍、および新聞勧誘員だけはたとえ家主さんが了承してもお断りである。私にも人権があるから
posted by poohpapa at 06:30| 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月11日

これじゃ道路公団改革など「夢のまた夢」

先月6日に、中央高速経由で首都高を使い護国寺まで出かけた。
ノルンのお迎えにブリーダーさん宅に伺ったのだが、その時、高速の料金所で回数券を出すと、「回数券は6月末で使えなくなっていますので現金でお支払いになってください」とのことで、今ある回数券の払い戻し方法を教えてくれたのだが、これが呆れた話であった。

利用者の便宜はおろかコスト意識などサラサラ無いのだ。

先ずは中央高速(JH)である。

http://www.jhnet.go.jp/tokyo3/hanbai_stop/hanbai_stop.html

中央高速は同じくハイウェイカードも6月末で利用停止になっていた。私の場合、中央高速の回数券は5枚残っていて、事務局に電話で問い合わせると、ご丁寧に案内書と返信用封筒を定形外の封筒で送付してきた。80円で済む用件に120円の送料をかけている。
5割アップである。私一人ではないから相当な経費であろう。

次いで、首都高速の払い戻し案内のサイトをご覧頂きたい。

http://www.mex.go.jp/mexinfo/kaisuuken/index.html

私が持っているのは「たった2枚」額面にして1400円分である。それをゆうパックの着払いで送ると振込み料も公団負担で返金してくれると言う。「自宅までの集荷サービスもご利用頂けます」とあって、一見親切であるが、それらの費用はもちろん税金から支出される。

私は、どちらも回数券が使えなくなっていることを知らなかったし、払い戻し期限が9月末までであることも知らなかった。ノルンのお迎えが無ければ、知らない間にタダの紙切れになっている可能性もあった。回数券など、普通は「よく高速を利用する企業」くらいしか使わないもので、企業は情報を得ていたのかも知れないが、少なくとも個人であって利用頻度の低い私はそういう案内をテレビのニュースなどでも視たことが無い。払い戻し期間も3ヶ月という短期であって、PR不足で、何とも不親切である。一応の払い戻し期間を過ぎても窓口を縮小しての対応はしてくれるようだが、たった2枚の回数券の払い戻しを請求する為に、同じくらいの税金を使うことになるのが判っているから躊躇してしまう。ならば捨ててしまった方がいいのかな、と思えるのだ。

偽造回数券への対処というのも解かるが、一方で採算(損害)を考えて「回数券の利用停止」に踏み切りながら、一方で採算無視の無駄な払い戻し方法を講ずる、というのは理解できない。期間も方法もPRも、他にもっと効率的かつ合理的なやりようが有ったと思う。

偽造券を使用した人間が「悪意(偽造と知っていて)」で使ったとは限らないし、組織的に回数券を偽造して不正な利益を得ようとするなら、小口で手間ヒマかけるような非効率なマネはしないだろう。
犯罪組織の方が公団より遥かにコスト意識は持っているハズである。

根底に「原資が何か」という意識が無いのであれば、どう形を変えても改革など覚束ない。彼らには「税金を使わせて頂いている」という認識などサラサラ無いのだろう。猪瀬さんの嘆きはよく解かる。
posted by poohpapa at 05:25| 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月30日

「一般論」を装っての個人批判

今までいろんな所で知り合った人の中にも、友人の中にも、「一般論」を装って個人批判をする人間がけっこういる。私は、とても卑怯なことだと思っている。

さも「自分の意見ではないけど世間はそういう価値観ですよ」「私が思っている訳ではないけど一般的にはそういうものでしょう」、というふうに、客観論を装って批判や非難をする。それは、相手の気持ちを思い遣って、ではない。相手を気遣って柔らかく言うのと、自分を防御して遠まわしに言うのとでは全く違うものである。

言いたいことがあるなら、「あなた(の意見)に対して私はこう思う」と、相手に気配りしながら率直に言えばよい。自分の身は安全地帯に置いておいて奥歯に物が挟まったような遠まわしな言い方をする人間を、私は軽蔑する。

そういう人間はいざとなれば責任転嫁や回避をするのが目に見えている。
「私はそんなつもりで言ったんじゃないよ」
「そういう見方も出来る、と言っただけだよ」
「そんなふうな意見も耳にしたものだから」
「だから最初から一般論だと前置きしてたでしょ」・・・などなど。
「そんなふうにとられたら心外だなあ」と開き直る者もいたりする。

一般論として言いながら相手に同意を求めるケースもある。うっかり同意しようものなら後でこっちの命取りにもなりかねない。

友人知人ならまだしも、そういうのが上司になったら最悪である。

「これを言ったら相手から嫌われるかも知れないけど、自分の意見として率直に言おう」、と、自分も火の粉を被る覚悟の無い人間などハナから信用できない。一緒に傷付くことが出来てこその友だち、仲間だと思う。

気にしない(気にならない)人には全くどうでも良いことだろうが、最近ちょっと、いや、かなり気になっているので吠えてみた。
posted by poohpapa at 07:20| 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月30日

TDR(東京ディズニーリゾート)にていつも思うこと

TDL(東京ディズニーランド)やTDS(シー)が大好きで、いや厳密にはプーさんが大好きで、TDRにはもう30回以上行っているが、いつも思うことがある。

先日、親しくさせて頂いているsuraimuyaさんのブログにこんな記事が載っていたので、思うところがあって私も書いてみたいと思う。

インパすると、必ず数校の地方からの修学旅行生近隣からの遠足の子供達が来ているが、皆んな夕方4時前にはゲート辺りに集合させられて帰ってしまう。パークの本当の楽しみはまだこれからだというのに・・・。

私の誤解ならご指摘頂きたいが、これって、生徒の事情ではなく引率している教師の事情によるものではないのか、といつも疑問に思う。たしかに日程が詰まっていて一ヶ所に長く留まれないことも、夜まで遊ばせる訳にはいかない、とか、暗くなったら目が行き届かなくなる、という教育的な(?)配慮によるもの、と考えられなくもないが、私には「引率している教師が定時で仕事を終えたいだけのこと」と思えてならない。

せっかくTDLまで来ているのに、「エレクトリカルパレード」も観せることなく生徒達を強制的に帰らせて、教師は何の疑問も持たないものだろうか。ゆとりのある日程を組んだ上で、誰か一人くらい、「私が責任を持って引率します。希望者にはパレードまで観させてやりたいと思います」という教師はいないのか。一人では無理としても、有志はいないのか。自分達の権利だけ主張して子供の気持は後回し、だとしたら、「そんな人間は教師になるな!」と言いたい。

「修学旅行は元々学校行事であって教育の一環なんだから、行ったことがあるという事実だけで充分。雰囲気だけ味わわせることが出来ればそれで良し」と考えているなら、最初から修学旅行のコースに入れるべきではないと思う。入れるなら、昼間とは違う雰囲気や本当の楽しさを充分子供達に体験させてやって欲しい。
誰の為の修学旅行、遠足なのか、良く良く考えてみてもらいたい。

私が高校一年の夏休みに、同級生と上高地に2泊3日で行くことを計画して、担任の先生に届け出たことがある。実は明らかな校則違反であった。生徒だけで泊りがけで出かけることは認められていなかったのである。先生は私達の計画を丁寧に聴いた後、「何かあったら俺が全責任を取る。行ってこい!」と言って許可してくれて、今でも感謝している。その一年後、今度は京都に行くことになったが、その時も同じ対応だった。「気をつけて楽しんでこいよ」という言葉を掛けてもらった。もっとも、許可がなくても行っていたとは思うが^_^;

私の長男が小学6年の時、担任だった若い女性教師は生徒にアンケートを取った。「夏休みに次の三つの中から行きたいところはどこか」というもので、内容は、スポーツ観戦、遊園地、ハイキング、だったと思う。驚いたことに、その先生は夏休みのうちの3日間を割いて、クラス全員を希望したところに連れて行ってくれたのである。
しかも、費用は全てその先生持ちであった。そこまですることが良いことかどうかは置いておいて、「私は子供達が大好きだから、何か良い思い出を作ってあげたい」とのことで、その姿勢はとても立派だと思う。長男に「一番印象に残っている先生は誰か」と聞いたことがあって、躊躇うことなくその先生の名前を挙げたのも当然だろう。

TDLの修学旅行生、と言えば、気になることがもう一つ。
制服や指定ジャージ姿で入園させるのは見直せないものか。引率側からすれば管理は楽かも知れないが、機能的ではないし、パークの雰囲気から浮いてしまっている。

子供達の為の「僅かな工夫や労力さえ惜しむ教育者」の石頭をハンマーで割ってやりたい、と思うのは私だけだろうか。
posted by poohpapa at 06:38| Comment(17) | TrackBack(1) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月26日

「木綿のハンカチーフ」は大嫌い!

よくお邪魔している「たなぼた」さんのサイトで、『青森駅』♪というコラムを読ませて頂いた。

この曲、私もヒットの予感がする。
で、コメント欄を見ると、「木綿のハンカチーフ」に触れていらっしゃる(「悪徳」でもお馴染みさんの)コメントを発見(*^^)v

曲のイメージとしてはダブるし、どちらかと言うと、曲想としては「青森駅」の方がむしろ古い感じがして、三橋美智也の「リンゴ村から」、井沢八郎の「あゝ上野駅」、の次に来るくらいの感じで、「木綿のハンカチーフ」との間かな、と思った。でも、きっと当たるよね。





で、すみません、「木綿のハンカチーフ」、私は大嫌いなんです。
歌ってる太田裕美が、ではなく、歌詞の内容です。

都会に出て行った彼が変わっていくのが寂しい、その気持は分かります。きっと素朴で純真な女の子なんでしょう。でも、素直ではありません。初めてこの曲を聴いた時、「ああ、こんな女なら振られるわな」、と思いました。聴いててイライラしてくるんです。

相手に合わせる努力はしないで一方的に自分の思いを押し付ける。
彼が「こうしてあげよう」と言っていることに、「いいえ」が先に立って、ことごとく拒絶する。字数に制限はあるだろうし、所詮は歌でしかないけど、営業マンの私からすれば、「気持ち、有り難う、凄く嬉しいよ。でもね、私の希望としてはこうしてくれたほうが有り難いんだけどな」、と応ずる知恵が無い女は最悪、と普段から思っているから。


それで、なに?最後は「木綿のハンカチーフ買って送れ」だと!? 
これは、振られるべくして振られた女だわ、彼氏の所為じゃないね。
いかにも「私は間違ってなくて、変わっていく彼のほうが悪い」と決め付けているような詞が気に入らない。

と、どうしても思ってしまうので(爆)
素直でないのは私のほうなんでしょう、きっと(*^^)v




※ 「木綿のハンカチーフ」をお好きな人の感性をとやかく言っているのではありませんのでご了解ください。これも、きっと私が「少数派」でしょう(笑)
posted by poohpapa at 08:00| Comment(21) | TrackBack(2) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月15日

頂いたコメントへの回答予告

昨日、ココログの「悪徳」の過去ログに下記のようなコメントが入りました。それにつきまして、削除せず、Seesaaの「悪徳」サイトにて返信したいと思います。

実は、「間違っていなければ正しい、と言えるのか」というテーマで近いうちに記事を書こうと思っていましたので、丁度よい機会だと思っております。

で、そのコメントは下記です。

更新料なんて払いません。ぜったい払いません。家賃の値上げ?応じません。赤字になる?バカじゃないの?もうけすぎ。つまらないハッタリだけで生きててむなしくないですか?法律の勉強、条例の勉強でもしたらどうですか?裁判しましょうよ。不動産屋が勝ちましたか?はじめの礼金を払わないっていうのは、論外だと思うけど更新料はどうかんがえても詐欺。ようするに、今の時代すでに不動産屋は不要ですよ、ブログやってりゃわかるんじゃないの?不法請求のハシリである悪徳不動産屋さんよ

HNは「金儲けすぎ」とかで、もちろん、捨てアドです。
どんな回答になるかは、皆さんお分かりだと思いますが(笑)
posted by poohpapa at 09:32| 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月14日

ちょっとコーヒーブレイク 2

私は時代劇が好きで、今もテレビでよく観ている。
子供の頃、近所に、夏の間だけ土曜日の夜10時から「ナイトショー」と称して、安い料金でちょっと古い時代劇映画を観せてくれる映画館があった。親父とお袋に手を引かれて家族全員で出かけるのが、釣りと並んで、貧しかった家族の数少ない娯楽になっていた。テレビなど家に無い頃の話で、物心つく前から時代劇に親しんでいたことになる。

だが、子供の頃から疑問に思っていたことがある。「主人公が何十人もの敵をたった一人で斬り倒すこと」、である。いかに名刀と言えども、1本の刀で斬れる人数は実際には数人であると聞いていた。刃の表面に油がのってしまうのと、刃こぼれするからだ。現実は、数人斬ったら後は「刺し殺す」ことになる。なのにいつまでも斬り続けている。
だいいち、背後に仲間が数人いるのに、仲間が斬られるまで順番待ちしているのは不自然である。そう、悪代官は私と同類だから、ついつい肩入れしてしまう(爆)

それが宮本武蔵でも塚原ト伝でも、私なら2人仲間がいれば必ず倒すことができる。3人が120度の角度で囲み、「1、2の3」で同時に刀を突き出せばいかな達人といえども防ぎ切れるものではない。1人2人は死ぬかもしれないが、どうせ全員が殺されるならやってみる価値はある。もちろん背後の位置は私である、死にたくはないから。

一説によれば、「剣の達人は、致命傷を負わせるほど深くは切らない。腱などを切断して戦意を喪失させるだけで充分。刀の損傷も最小限に防げる」、とのことだ。

ところで、私も若い頃は時代小説など見向きもしなかったが、今は片っ端から読み漁っている。3年前の8月には、山岡荘八氏の「徳川家康」全26巻を、お店で仕事の合間に読破した。400字詰め原稿用紙にして積み上げると、150cmの高さにもなる量だ。いかにヒマな店であるかが分かろうというものだ^_^;

私は時代小説の中でも、池波正太郎氏の作品、特に「鬼平犯科帳」が大好きで何度も読み返している。「鬼平犯科帳」には他の時代劇には無い特徴がある。それは、必ずしも「悪党を斬り殺して終わり」の勧善懲悪ワンパターンではない、ということだ。「決めゼリフ」なんか無いし、時として盗人を捕らえても放してやったり、お目こぼしをしてやることもある。池波作品に共通したテーマ、それは「人間の真の厳しさと優しさ」であろう。

私は日常的に、「こんなに汚いのは俺だけじゃないか」、「なんて酷い人間性だろう」と自己嫌悪に陥ることがよくあるが、それを救ってくれたのが「鬼平犯科帳」である。その中には、「人間、皆、そんなもの」とか、(以前も書いたけど)「人は悪事を働きながら善いこともし、善いことをしながら悪事を企む、そんな生き物なのさ」、という教えが随所にあって、「なるほど」と思わされることの連続である。もちろん、だからといって「何をやっても許される」、などと都合よく解釈している訳ではないが、まさに「鬼平犯科帳」は私にとってのバイブルなのだ。とりわけ、第2巻中の「鈍牛」と、第5巻中の「兇賊」に、人の世の裏表、人情の機微、といった池波小説の真髄が凝縮されている、と言っても過言ではないだろう。「鬼平」ファンに人気作品のアンケートを取ったなら、おそらく「密偵たちの宴」が1位になるだろうが、私ならこの2作品、しいて選ぶなら「鈍牛」かな、と思う。

自己嫌悪でお悩みの方には、私は「鬼平犯科帳」をお読みになることをお薦めしたい。
posted by poohpapa at 06:00| Comment(18) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月18日

「安目を売る」

一般的には馴染みの無い言葉であるが、「安目を売る」、という言葉をご存知だろうか。

私も30歳を過ぎて初めて知った言葉である。この言葉を教えてくれたのは、以前一緒に会社を興こした知人である。彼が良く使っていた言葉で、私はこの言葉を知ったお陰で、今まで整理されていなかった苦い体験の数々を、キレイにまとめることができた。

言葉の意味は、上手く言えないのだが、「つまらないことを言ってしまった為に、思いの外、自分の評価を下げる結果になってしまうこと」、とでも言ったらよいであろうか。
本来の意味と、私の解釈の間で、微妙なニュアンスの違いがあるかも知れない。

「安目を売る」、というのは、競馬用語としても存在しているようだ。
ネットで検索してみると、「発馬で出遅れること。はっきりした出遅れでなくてもアオったり(アオられたり?)、他馬に寄られたりして、スムーズにスタートが切れなかったときに『安目を売ってしまって…』という使い方をする」、とある。こっちがルーツかも知れない。

日常的には、「ただ評価を落とす」ことだけでなく、「落とした評価を戻すことができなくなってしまった状態」を表す言葉のようだ。

たとえば、グループで食事に行った際、それぞれが「自分が奢るつもりでいた」のに、1人自分だけが「今日は割り勘にしような」、などと言ってしまって、黙っていればご馳走になれたものを、というか、どのみち同じ結果にしかならなかったものを、わざわざ余計なことを言って皆から「ケチくさい奴」という評価をもらってしまう、というような話である。

ちょっと、分かりにくいかも知れない。
友人のケースで、こんなことがあった。
辞めた会社の同僚がゴルフの会員権を持っていて、同僚の紹介があれば半額でプレーができるので、頼めば気持ちよく引き受けてくれるもの、と思って同僚に電話したら冷たくこう言われてしまった。「辞めてから今まで何の連絡も寄越さなかったのに、そういう時だけ電話してくるんだな」、と。結局、紹介してもらえなかったのだが、どうせ断られるなら頼んでも頼まなくても結果は同じである。その上で評価だけは下がったことになる。

何も「言葉の定義付け」などしなくても良いのだが、まとめてみる。

一、自分の発言や依頼によって、同じ結果にしかならないのに評価だけ下がること。
一、一度下がった評価が元に戻らない状態になってしまうこと。
一、評価が、相手の一方的な価値観に拠って下げられているにすぎないこと。

要するに、「相手が気にもせず何とも思わなければ、評価が下げられることなどない」ような些細なことで一方的に見下される状態を言うようだ。しかも、通常、こちらは弁解することもできない。だから、とても悔しいものでもある。
で、我々がふだん生活していく上で、この「安目を売る」ことの、なんと多いことか。

私自身、我が身を振り返れば、不用意な発言をしてしまったために評価を落として取り返しがつかなくなってしまったことは何度も経験している。

この言葉を知ってからというもの、自分が何か発言する際に、「安目を売る」ことになってしまわないか、いつも一歩先の結果を気にかけるようになった。
「評価」が下がることはまだしも、「誤解」を受けることほど辛いものはないから。
posted by poohpapa at 06:00| Comment(8) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年02月26日

理不尽な郵便局

近所の郵便局と郵政省郵便課(当時)の役人相手に大喧嘩したことがある。

契約を済ませ、一週間前に引越したお客さんに契約書を郵送したが「宛先に尋ね当たりません」というハンが押されて返ってきた。

それで、それを持って近所の特定郵便局に行き、「この人は間違いなくこの住所に住んでいるから再配達してもらいたい」と言うと、年配の男性局員が「でしたら、再度切手を貼ってください」とのこと。

「どうして?私が書いた住所が間違っていたとか、受取人がそこには住んでいない、というような当方のミスならともかく、住所も宛名も正確で、間違いなくそこに住んでいるなら当方に落ち度は無い。むしろ、宛先に尋ね当たりません、として送り返してきた郵便局が間違っていたのだから、間違いをした郵便局が責任を持って再配達するのが当然だろ」と言うと、「だったら、いつまで経っても郵便は届きませんよ」との返事。「ふざけるな!送っておけ!」と怒鳴りつけて帰ってきて数日後、ご丁寧に私が置いてきた郵便物を大きめな郵便局の封筒に入れて、また送り返してきた。

そこで、郵政省郵便課に電話すると、鈴木という職員が、「その郵便局員の言ってることは正しいです。そういう規則になっていますから」と、けんもほろろ。「では、アンタが洋品店でスーツを買って、裾上げを頼んで間違った寸法で仕上がってきたなら、もう一度やり直してくれ、と言うだろ。それで店員が、もう一度直してもいいけど裾上げ代は再度払ってください、と言われてアンタは払うのか」と言うと、「払いますよ」とのこと。大嘘つき、である?????i?{???????j

鈴木はこうも言った。「ふつうは引っ越してきたら郵便局に転入の手続きをするものです。その受取人は転入の届出を郵便局に出さなかったから届かないのです」と。

「オイオイ、移転先に転送してもらう為に転出届けを出すことはあっても、転入時に届け出る、なんて話は聞いたことがない」と言うと、「いいえ、皆さんしているハズです。いずれにしろあなたの言ってることは間違いです」とノタマった。高級官僚はさすが常識が無い。

そこで、今度は郵政相談室に電話すると、アッサリ「郵便局員と郵政省職員の間違いです」と言われる。それを受けて再度鈴木に電話して、「郵政相談室ではこう言っている」と言うと、さっきまでの木で鼻をくくる態度が一変。「いえ、先ほどはゆっくり充分にお客様のご説明を窺っていなかったモンで」とペコペコ。鈴木は典型的な役人でもあった。

で、その郵便物を市の本局に持っていくと、女性局員が「大変ご迷惑をおかけしました。その間に日も経っているので速達でお届けいたします」とのこと。最初からそうしろよ!と言いたい気分だった。

実はこれ、私の言っていることが間違いらしい。以前TVでやっていたが、こういう場合、郵便の規則では「差出人が再度切手を貼る」ことになっているとか。だが、どう考えてもそれはおかしい。私には、世間の常識からズレまくっている郵政省の体質が赦せなかった。


役所等で主張を通すには、窓口で大声を出すのに限るようだ?????[???i???j
posted by poohpapa at 19:59| 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする