2013年03月03日

住宅新報版「紙上ブログ」のタイトルが変わります

190回も連載させて頂いている住宅新報版ブログのタイトルが変わるようです。

一昨日、副編集長さんからお電話を頂きまして、「複数の方から(公益法人にもなって)業界が信頼を得られるべく努力しているのに、『悪徳』などというタイトル名のブログを掲載しているのは如何なものか、との意見が寄せられたので・・・」とのことでした。

私は躊躇せず「どのように変更なさってもかまいません」と答えました。住宅新報さんは「そういう意見」がいくつか寄せられれば、業界紙と言えども公器ですから立場上無視できないもの、と思うからです。しかしながら「そういう意見」を寄せた同業者に対して、私は非常に強い怒りをもっています。

なぜなら、「彼らは私の記事をちゃんと読んでいない」ということが解かるからです。私の記事がブログタイトルそのままに「消費者を苛めてやった」「騙してボロ儲けした」という内容であるなら、彼らの意見はもっともです。ですが、そんな記事は一つもありません。業者として家主として客として、「こういうことはしないほうが良い」「こうしたら喜んで頂けた」という内容ばかりです。これが、「記事の一つ一つは得心できますが、だからこそブログ名は再考したらどうでしょう」という意見なら嬉しかったのですが・・・。

私のネットのブログにも「ちゃんと読まずに誹謗中傷コメントを入れてきたり、自分と違う意見に対してハナから聞く耳を持たない」という人、たまにいますが、そういうのと変わりがありません。

私はいつも、「誰が正しいか、でなく、何が正しいか、が大切」と述べていて、言っていることが正しければ誰が言ったかに関係なく常に受け入れるつもりでいます。ですが、同業者からそういう意見が出たのなら、ぜひ言っておきたいことがあります。

住宅新報は業界紙ですから、一般消費者が読まれることはほとんどないものでしょう。読者の方は何らかの形で業界に関連した人たちだと思われます。「業界が信頼回復に努めている時にこのタイトルはけしからん」と言っている同業者の人たちが、本当に信頼回復に努めているのか甚だ疑問であって、そういう人たちがむしろ業界の信頼回復の足を引っ張っている、と私は思うのです。以下に例を挙げます。


以前、このブログでも紙上ブログでも取り上げましたが、不動産業界では現在「AD付き」の広告が主流になりつつあります。ご存知ない方のために概略を書きますが、ADというのは「うちの募集物件に客付けしてくれたなら、仲介手数料とは別にボーナスを出しますよ」という仕組みで、その率は50%から400%まであります。もしAD400%の部屋に客付けしたなら、家賃8万円の部屋の場合、正規の手数料の他にボーナスとして32万円出しますよ、というものです。ADという名目であったり、広告料であったり、業務委託料であったりしますが、実質的な内容は同じです。

その費用は一時的に家主さんが出しますが、長い目で見たら「入居者の家賃から支払われるもの」です。言うまでもなく、不動産業者が自分の懐を痛めることはありません。これは名目はどうあれ、明らかに宅建業法の報酬規定に違反しています。顧問弁護士さんに言わせれば「限りなく黒に近いグレー」ということで、私も都庁や関係機関に「業者に対して止めさせるよう指導すべきではないか」と訴えましたが「不法とまでは言えない」とのことでした。

本当にそうでしょうか・・・。これ、合法かどうか以前に、社会通念上の常識外で、異常です。

こんなのを許していたら「自分たちが食っていくためなら何でもアリ」になってしまうものでしょう。宅建業協会が公益法人になったのに、こんなやり方を放置していて何が公益法人なのか、という話です。当然に協会の幹部の人たちも知っていると思います。知っていて放置しているんでしょう。怠慢ですね。

で、「悪徳」というタイトル名が良くない、と言う人たち、私のように「ADは良くない、止めさせよう」と言ってあちこちに働きかけをしているんでしょうか。「そんなことは全くしていない」と思いますね。

それが正しい意見なら誰が言ってもかまいません。泥棒が「人殺しは良くない」と言っても、それが正しいのなら「オマエが言うな」でなく受け留めるべき、と思います。一方で、紙上版ブログの名称の件に関しては、一般消費者から寄せられた意見なら私も蟠り(わだかまり)はありませんが、自分たちの互いの違法行為スレスレのやり方に目を瞑っている同業者が、たかがブログのタイトルに難癖をつけているのですから、その了見が不快です。ハッキリ言いますが、そういう人たち、「碌な人間ではない」と思いますね。

自分自身もADなんて制度を廃止すべく動いている人が(ブログタイトルに)意見を仰っているなら私も文句はありません。自分たちに都合の良いことは(間違っていても)蓋をして、(本質を斟酌せずに)どうでもいいような些細なことに文句をつける・・・、それでは業界の健全な発展など有り得ません。

ん・・・??、それとも何か他の意図があってのことなんでしょうかねえ・・・。もちろん、この記事は、ブログのタイトル名を変更することにした住宅新報さんを批判しているものではありませんので念のため。


読み手の皆さんはどう思われますか?。私の考えや考え方が間違っているのかも知れませんし、この件に関してはなるだけ多くの方のご意見を伺わせて頂けたら、と存じます。宜しくお願いします。

キツイご意見でもかまいませんよ、本当に。


posted by poohpapa at 08:44| Comment(16) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月21日

実は、人も追突する

駅のコンコースで前を歩いていた若い女が急に立ち止った。混雑していて1mも離れずに流れにそって早足で歩いていたので咄嗟に止まれず、避けようとしたが追突してしまった。すると、女は不快そうに私を睨む。

女がなぜ急に立ち止ったか、その理由は女の手元を見て分かった。女はスマホの画面を見ながら歩いていて急に行先の変更を思い立ったようである。人対人だったから良かったようなものの迷惑で危険な行為だ。中には、自転車に乗ってヘッドフォンで音楽を聴きながらスマホを操作している若者もいるちっ(怒った顔)

自転車だけではない。スマホを操作しながらベビーカーを押している母親もいる。馬鹿野郎!である爆弾

日本では難しいだろうが、アメリカなんかでは「それが元での交通事故」が発生したならメーカーに損害賠償請求だって出来るのではないかと思う。こんなのは企画段階で予測できることだろう。売るだけ売っておいて「後は利用者の責任、当方は与り知らない」では無責任というものだ。

先日はJR南武線で立川から分倍河原に向かう途中、幼稚園児くらいの男の子を向かい合わせに抱っこした若い父親が私の隣に座り、子供の靴が私の服に当たっているのも気づかずスマホに熱中していた。


私はスマホは持たない主義だ。持っているのは旧式の携帯電話のみ。使い方によっては非常に便利な道具であることは分かるが、持っていたなら私が加害者(迷惑を掛ける側)にならないとも限らないからだ。

街中で、スマホを操作しながら通行している若者を見てハラハラすることは実に多いもの。

スマホに嵌る若者たちの様子を見ていて、少なくとも、スマホを扱いながら自転車などに乗って事故を起こした場合、自動車と同様に責任が問われるよう法律を改正してもらいたいもの、と思わずにいられない。

私はスマホが大っ嫌いである。

posted by poohpapa at 06:24| Comment(14) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月25日

人混みで手を繋ぐな!

年末が近づいてきて、駅やデパートなどがふだんより混雑し始めたが、どうも気になることがある。

若いカップルや親子連れが雑踏の中でも手を繋いでいることである。もちろん、幼児は手を引いてもらわないと危ないもの。私の言っているのは、両親で子供の両手を繋ぐな、ということ。保護者のどちらかが子供の手を繋げば充分で、3人連なって広がられて子供のペースでゆっくり歩かれると、雑踏では追い越したり避けにくくなる。ましてや若いカップルなんかは逸れる心配も無いのだし手を繋ぐ必要など無い。

昨夕、駅のコンコースは相当な混雑で、前方から来る人たちを避けながら歩いていたのだが、前から3人連れの親子が手を繋いでやってきた。私の進路の正面である。「親はどうするかな」と思いつつそのまま子供の真正面数十センチ前まで行って私が止まったら、ようやく父親が子供の手を放した。自分たちは子供連れだから相手が避けてくれるもの、と決め付けていたんだろう。「どっこい、そうはいくか!」である。

いささか陰険ではあるが、それくらいしないと周りの迷惑に気付かないもの。いや、あの親は気付いていないだろう。振り返って見たら、また子供の両手を繋いでいたし・・・。

ATMの件と同じで、もう少し周囲に目配りや気配りしてほしいもの、と思った。

posted by poohpapa at 05:30| Comment(8) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月01日

月末になると、いつも思うこと

これ、ずっと以前にも触れたことがあるが、月末になるといつも同じ光景を見て腹が立っているのでちっ(怒った顔)

月末はどこの銀行のATMも長蛇の列ができていて、駅前の三菱東京UFJ銀行など、広いロビーから外に客が溢れていることもある。どうかすると、列を見て諦めて帰ってしまう人もいるくらいなのだが・・・、

女性客、とくにお年寄りに多いのだが、振り込みや引き出しが済んでいるようなのに、ATMの前でブリーフケース(ハンドバック)の中をゴソゴソやっていたり、ATMから出てきた通帳を眺めていたり・・・、いつまでも離れようとしない人がいる。もう一冊通帳を持っていて別の用があるならともかく、さんざん時間を掛けておいて「ただブリーフケース(ハンドバック)の中を整理していただけ」だったりする。

後ろに非常に長い順番待ちの列が続いているのに、である。自分だって長いこと待たされていたのだから、並んでいる人が苛立つ気持ちくらい解かっているだろうに、どうして後の人のことを考えないんだろう。

私は自分の番が来て用が済んだら、通帳やら現金やらカード、手提げ、外したメガネなど、とにかく全部手に持って直ぐにATMを離れて(窓口でない荷物置き用の)カウンターに行き、そこで整理するようにしている。つまり、次の人に早くATMを明け渡すことに専念している。通帳は3冊持っていてそれぞれ役割が違うのだが、並んでいる間にカードも通帳も手に持って、どういう順番に操作するかも組み立てている。

だから、自分の世界に入り込んでいるのか周りに配慮せず用が終わってもATMの前をなかなか離れない人がいると非常に腹が立つ。普段はさほどは気にならないが、月末は辛い。振込だけなら最近はネットでも可能だが、現金の移動を必要とするケースもあるから、ATMに並ばざるを得ないし・・・。

まさかに、ATMの前に「次のお客様の為に、用が終わりましたら速やかにATMから離れてください」とも貼紙できないものだろうが、例えばホール係が定期的に呼びかけるとか、何とかならないものだろうか。
posted by poohpapa at 05:38| Comment(8) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月26日

人権アレルギー

私は、どうも「人権」という言葉を聞くと胸糞が悪くなる。ほとんどアレルギーである。

当たり前に公平な「人権」なら当然のこととして受け入れられるが、日本では過剰に、しかも不公平なまでに「人権に配慮されている」ように思うのだ。犯罪加害者に対しては被害者や遺族に対してより配慮されているし、まだ50歳前の働き盛りの人がちょっとした病気を理由に「(明らかに)働けるのに働かないで」生活保護を受ていたりする。最低限の暮らしを保障するのでなく、過保護になっている。

以前頂いたコメントで「私は働いているけど倹約して風呂なしのアパートで暮らしていますが、生活保護の人たちは働かないで私より良い部屋で暮らせるなんておかしいのでは」とあって、目が覚める思いだった。今まで私も、生活保護受給者の場合、単身者なら家賃53700円、世帯なら69800円という上限でなるだけ良い部屋を探そうとしていた。それは手数料を稼ごうということでなく、上限が53700円と決まっているのだから「それより安い(設備や環境が悪い)部屋を紹介したなら納得してくれないから」である。

現在、立川周辺では家賃が下落していて、一昔前だと53700円では碌な部屋が無かったが、今は4万円以下で風呂もACも付いている部屋がゴロゴロある。役所がどうして上限金額を見直さないのか不思議である。だいいち、生活保護受給者であるなら、「風呂もACも要る」というのは贅沢ではないか。最低限「雨風凌げる部屋」でいいのでは、と思うのだ。どう考えても、働いて税金を納めている人より生活保護者のほうが良い部屋に住めるのはおかしい。そう思わせてくれたのは先述のコメントであるのだが・・・。

役所も人権団体も「一般の人と同等の生活環境を保障するのが当たり前」と思っているのだろう。所詮は人のカネ、税金だから。ま、最近は市によっては「上限いっぱいの家賃の部屋を見つけてきたなら認めません」と言っている生活福祉課もあるようだが、それより先に上限を見直したほうがいい。私からすれば、うちの町なら4万円で充分だと思う。そうすれば家賃だけでも3割近く節約できる。或いは、その分の何がしかを状況や必要に応じて生活費に回してあげたほうが税金が生きると思う。


障害者に対しても厳しい意見を言おうものなら、まあ、昨日のように「虫唾が走った」などとコメントが入ったりする。先日の宅建多摩ブロックの研修に至っては「お客さんの本籍地を訊くな」「家族構成は記入させるな」「外国人の国籍は訊くな」などと押し付けられる始末。こんなことをイチイチ断るのも嫌なのだが、私は「外国人だから」という理由で差別したことも無いし、障害者だからといってぞんざいに扱ったことも無い。他の業者さんで申し込みすることになった場合でも「真面目な人だからくれぐれも宜しく」と電話でフォローしたりもする。もちろん、当社には一銭も入ってこないのだが、それでいい。

私が、一番言いたいこと、それは、

障害者や生活保護者が、不自由なく一般の人と同じ暮らしができるようにするのは、一般の人たちに対する逆差別になりはしないか、ということ。公共の施設などで「何でここまでするの??」という設備を見かけることもある。私たちは、過剰な福祉であっても何でも受け入れて温かく見守らなければならないんだろうか。そうでない人は冷酷、と決め付けられたりもするし。人権とか福祉とか、そういうものに反論するのは勇気が要ることで、そんな世の中そのものが既に「不公平」なものになっているように思える。こういうことを書くと人権論者から総攻撃(俗に言う炎上)を受けるかも知れないが、コメントはお好きにどうぞ。

私は「障害者は家で大人しくしていろ」と言っているのではない。健常者と障害を持っている人では、同じ目標や目的を持っていても自ずと手段や過程が違っていて当たり前、それを高福祉で同じようにできるようにすることが間違い、と思っているだけのこと。高福祉で至れり尽くせりの社会が公正で理想、とは思っていないのだ。生活保護者も障害者も、必ずしも社会的な弱者とは言えないし、そう決め付けてはいけないんではないか。なので、むしろ至れり尽くせりの社会にしてはならない、と思っている。北欧型の福祉が理想だが、日本で今から導入するのは難しいだろう。

ずっと以前、もう35年くらい前のこと、川越の駅前で女子高生が屯していた。そこにお年寄りが来て横断歩道を渡ろうとしていた。すると、女子高生たちはお喋りをやめ、サッとお年寄りのところに行き、手を取って向こう側まで渡り、また戻ってきて何事も無かったかのようにお喋りの続きを始めた。その姿を見て非常に感動した。後で聞いたところでは川越女子高校の生徒さんとのこと。実に立派な教育や躾けを受けている。

私は、それこそが福祉の原点だと思う。設備や道具やカネより、心、なんだろう。学校で自虐史観なんか教えるくらいなら、川越女子高校のような教育をしてみろ、と言いたいくらい。皆がそういう思い遣りを持っていることこそが最高の福祉になるし税の節約になる、と私は思う。少なくとも、人権だの福祉だのと尤もらしく主張している人たちこそが日本社会を不公平な社会に向かわせている、そう思えてならない。

尋常でなく過保護なまでの人権など世の中に無用である。
posted by poohpapa at 07:22| Comment(11) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月10日

機が熟す、ということ

昨日11月9日が何の日であったか・・・、

119で「消防の日」、「いいくうき」の(苦しい)語呂合わせで「換気の日」、などいろいろ(*^^)v

私にとっては11月9日と言えば・・・、



「ベルリンの壁崩壊の日」

である。1989年11月9日、今から25年(四半世紀)前の出来事。兆しはあったものの、壁の上で鶴嘴を振りかざして壊していく市民の映像は衝撃的だった。1961年に当時の東ドイツによって建設され、西側に逃れようとして東ドイツ国境警備隊に見つかり射殺された人たちは200人近くに及ぶとのこと。

戦後、ドイツが東西に分断され、ベルリンの壁が市民によって壊されてドイツが統一されるまで44年。長かったし犠牲も多かったが、ドイツでさえ「機が熟す」までそれだけの期間を要した。旧西ドイツの人たちは今も旧東ドイツの復興のために多く税金を負担しているとか。そろそろ不満も出ているそうだがドイツの人たちは辛抱強いし賢明である。何より、他国を当てにせず自分の足で立とうとしているのは立派。機会があれば、いつかベルリンや旧東ドイツ側も訪れてみたいと思う。

転じて、朝鮮半島。北側は(国民は別にして)本音では統一など望んでなくて、「統一」は南側から支援を引き出す口実、「掛け声だけ」と思える。ドイツのように自己責任で自立しようとする国民性ではないから、その時はどうせ日本に支援を強要してくるに決まっている。「お願い」ではなく「出して当然」という態度で。

少なくとも私が生きている間は南北朝鮮の統一は無いと思う。いつまでも「機が熟す」ことは無いだろう。

最近いろんな物事で「機が熟すこと」「機が熟すのを待つこと」の大切さを感じるようになった。あれこれ工作するのでなく、辛抱強く待つことやタイミングを計ることの大切さを、である。世の中、焦ったり苦しかったりして動けば動くほど深みに嵌ったり裏目に出ることは多いもの。じっと辛抱できない人間に勝ち目は廻ってこない・・・、と思えるようになったのは、朝晩「剣客商売」のDVDを観ている効果かもわーい(嬉しい顔)
posted by poohpapa at 06:05| Comment(2) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月15日

「先(将来)を見る目」

橋下さんが、現在の政治家たちを「3年先も読めない」とコキ下ろしていたが、全く同感である。

政治家たるもの、国家の50年、百年先を読めないようでは務まらないもの。尖閣や竹島などの外交・防衛上の問題で、常に相手国の対応を見誤ってきたのだから日本には碌な政治家はいない。彼らが見ているのは国家の百年先ではなく、次の選挙、つまり、自分の数ヶ月先の立場だけ、である。目の前の餌が食べられるかどうかだけ(本能的に)考えて生きているゴキブリや鼠と何ら変わりない。官僚も同様である。国家や税金を食い物にして自分たちが肥え太ることしか考えていない。

小沢新党の「国民の生活が第一」に到っては、もう吹き出すしかない。本当にそう思っているなら東日本大震災の際に小沢氏自ら真っ先に被災地に駆け付けていたハズである。自分の選挙区なんだしパンチ

企業に関して、平社員は一ヶ月先、課長は1年先、部長は3年先、取締役は5年先、経営者は10年20年先を見なければ(読まなければ)ならない、と言うが、それは我々宅建協会についても言えることかも。

我々の業界のトップの連中には「自分たちがどう業界を牽引していけば良いか」というビジョンが無い。つまり、業界の方向性に対する信念を持ち合わせていない、ということである。自分で何一つ判断することなく、上(国交省)から言われるままに動き、知恵を絞ることも無い。ハッキリ言って、馬鹿でも務まる。彼らの頭にあるのは数年後の業界のあるべき姿ではなく「自分が勲章を貰えるのはいつ頃になるか」だけ。現に、国交省から言われるままに我々の業界がいくつの公益法人(天下り先)を誕生させたか考えてみればいい。会員業者にとってはメリットなど何も無く、協会の幹部が(公益法人の役員ということで)世間に「いい顔」が出来て勲章も貰えて、国交省の役人の老後が安泰になっただけである。

協会幹部は業界の数年後さえも見ていない。このまま業界が国交省の筋書き通りに舵を取らされると、5年後には小規模な不動産業者の3割くらいは廃業することにもなりかねない。それが全く見えていないのだから、業界のトップはボンクラ揃いと言える。いや、見えていても「知らん顔」をしているのだろう。業界の発展も会員業者の暮らしも、トップの頭には無い。あるのは自己の歪な優越感と名誉欲のみ、である。

「言いすぎだ!」と言うなら先々勲章を辞退すれば良い。「私は本当に勲章を与えられるほど消費者の為に役立ったか」を自問自答してみればいいだろう。皆いい歳をして、お上からブリキのオモチャをもらって喜ぶのが関の山だ。むしろ、辞退するような人なら本当に世のため人のために役立った人であるに違いない。誰か勲章を辞退したなら、私は「大変失礼いたしました」と地面に頭をつけて謝罪してもいい。

まあ、誰が勲章を貰ってもそんなことはどうでもいいが、政治家、役人、企業経営者に「先を読める人」や「何かあったら私が責任を取ってやる」と言える男気のある人物がいなくなったのは嘆かわしい。「男気」というのは男だけの話でなく女でもいい。自分が嫌われることなど厭わずハッキリものを言う人間や、それを受け留められる度量のある人物は、政治の世界にも業界にも企業内にも必要なんだと思う。

もう20年ほど前のこと、私は「そろそろ東証に店頭公開しようか」という企業を訪問した後で、社員の方に「この会社はもたないよ」と予言したことがある。トップが自分に対するイエスマンだけを可愛がり、反対意見を言う者を疎んでいる様子を見たから、である。案の定、10年ほどして会社は無くなった。私もいろいろ進言したが、中間管理職の人たちは社長の逆鱗に触れることを恐れて何も言わなかった。「私の忠告を聞いていれば」などと言うつもりはない。ただ、そういうことが一因になったのは間違いないだろう。

ところで、橋下さんは、マスコミのコメンテーターに対しても「馬鹿ばっかり」と発言していて、それも全く同感である。テレビを観ていると、どこかの国や団体の「お抱え評論家」みたいな輩が多すぎる。彼らが普段どんな発言をしているか検証もしないで番組に呼んでいるし。河野洋平とか田嶋陽子とか・・・。

維新の会の人たちに「どれだけ先見の明があるか」はまだ未知数だが、少なくとも既存の政治家たちよりマシだろう。自分が当選することだけが目的で慌てて鞍替えした議員を除いては、であるが。

時代が違う、と言ってしまえばそれまでだが、日本が平和になって政治家が暗殺されることが無くなった。警護のSPが付いているから、でなく、裏を返せば「命懸けでモノを言ったり信念を貫き通す政治家がいなくなった」ということに尽きると思う。カネや票の為には臆面もなく信念を曲げるし平気で国も売る。もちろん、簡単にマスコミに踊らされてしまう国民にも責任がある。

3年前、(私は民主党には入れてないが)国民は大きな選択ミスを犯した。近く新政権が誕生しても、この3年間の失政を埋め合わせることは容易ではないと思う。新顔の議員も多く誕生するだろうが、どうか目先の利益で、でなく、真の政治家として国家の50年百年先を見据えて頑張って頂きたい、と願っている。





posted by poohpapa at 07:21| Comment(8) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月26日

旅行記から離れて、これだけは言っておきたい

以前から書こう書こうと思っていて、なかなか書けなかったのだが、

生活保護の不正受給が騒がれる発端になった次長課長の河本準一の件、あれ、本人が涙で謝罪していたけど、「心から反省していないのでは」、「返したから決着済み、という問題ではない」と思っているのと、もう一つ、これだけは言っておきたい、ということがある。

誰も指摘しないし何も言わないけど、

充分すぎる稼ぎがあって、明日どうなるか分からない芸能界にいるとしても、実際には(少なくとも当面は)安泰であるのに実母に生活保護を受けさせていた、という事実の裏で皆が見落としているものがある。

それは、当の河本準一もさることながら、「嫁の出来が悪い」ということ。

旦那の年収が5千万もあって、当然に義母が生活保護を受けていることも知っていたであろうから、普通の嫁なら「あなたも相当に稼げるようになったのだし、今のあなたがいるのはお母さんのお陰なんだから私たちでお母さんの生活の面倒を見させてもらいましょう」となぜ言えないのか、いや言わなかったのか、ということである。旦那が気が利かなくても、嫁に当たり前の思い遣りや感謝の気持ちがあるなら、そう旦那に進言するハズ。河本自身も自分の母親のことなんだし、嫁からそう言われれば考えたであろう。

間違って欲しくないのは、私は「嫁の出来が悪い」と言っているのであって「だから女はダメなんだ」と言っているのではない。勘違いする人もいるかと思うので念のため。

こういう思いは、若貴兄弟が不仲になっていく際にも思った。どっちの嫁も自分のことしか考えていないな、と。嫁が上手く旦那を操縦すれば元通りになったハズで、要は、嫁の出来次第だったと思う。

と言うか、心の中で嫁同士反発しあっていたとしても、夫同士が仲良くするのを優先して嫁が連携して協力し合えば良かったのだ。そういうところに気が回らないのか、解かっていて「したくなかった」のかは不明だけど、たとえ旦那が「オマエは口を出すな」と言っていても、そんなのは嫁の意思で何とでもなる。旦那の不始末を全て嫁の所為にするつもりはないが、こういう問題は「嫁の出来」いかんで防げるもの。

世の中には「夫の務めを果たさない」男も大勢いるが「妻の務めを果たさない」女も多い。世間には「夫の出来」などという言葉は存在せず「嫁の出来」があるのみで、不公平な価値観と思われるだろうが、それだけ家庭で嫁としての女性が占める役割は大きい、ということ。政治の世界でもファーストレディの出来いかんで国の命運が大きく左右されることもある。男女共同参画なんてクソくらえで、女には、男には出来ない重要な役割がある。それが解かっている女性なら声高に「男女同権」だの「男女平等」だの言わないもの。そんなことで騒いでいる女は到底「出来の良い嫁」にはなれないし家庭的な幸せとは無縁だろう。

私は夫婦のお客さんが来店すると、奥さんの人柄をじっくり見極めるようにしている。嫁がだらしなさそうだと滞納を心配しなければならないが、旦那がダメポでも奥さんがしっかり者そうならまず大丈夫だから。不動産屋からすれば旦那はどうでもよく、奥さん(嫁の出来)が重要なのだ。


と、書いていて、まだ返信してないコメントがあるのを思い出した。と言うか、本当は旅行前に済ませておきたかったんだけど・・・(陳謝)
posted by poohpapa at 07:31| Comment(2) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月09日

つもりちがい十ヶ条

店を閉めた後、よく向かいの同業者Dホームに立ち寄る。家に帰るなら道路を横断しなくてよいのだが、まだ照明がついていて看板広告が店内に仕舞ってあれば社長が一人で残っていると分かるので、それから道路を横断して話をしに行くのだ。どんな話か、というと、いつも商売の愚痴話なのだが、互いに冗談を言って大笑いして、適当に憂さを晴らして、「もう帰ろうよ」という言葉でお開きになる。

所属している団体(向こうは全日、こちらは全宅)は違うが、同じ歳で価値観も似ている。ただし、Dホームの社長は組合の副支部長。と言っても、商売を離れれば「テメエ、この野郎!」の仲ではあるのだが、どちらかと言えば、向こうのほうが一定の節度を保っていて、私のほうが馴れ馴れしい態度あせあせ(飛び散る汗)

いつものバカ話の中、先日、「こんなものがあるよ」と見せてくれたものが気に入ったのでご紹介をわーい(嬉しい顔)


「つもりちがい十ヶ条」

 1.高いつもりで低いのは    教養
 2.低いつもりで高いのは    気位 (きぐらい)
 3.深いつもりで浅いのは    知識
 4.浅いつもりで深いのは    欲の皮 (これ、「欲の皮」ではなく「欲」では??)
 5.厚いつもりで薄いのは    人情
 6.薄いつもりで厚いのは    面の皮
 7.強いつもりで弱いのは    根性
 8.弱いつもりで強いのは    我
 9.多いつもりで少ないのは   分別
10.少ないつもりで多いのは   無駄


私も心当たりは・・・、有る。参考にして気をつけたいもの、と思うたらーっ(汗)
posted by poohpapa at 05:23| Comment(2) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月16日

ちょっと古い話になるけど「気になったニュース」から二つ

しばらく前のニュースから、

「たなぼた」さんの4月22日付けの記事で、

ワシントンで開かれていたG20で、日本はIMFに600億ドル(約5兆円)もの資金拠出を表明した

ということを知ったんだけど、ほんと、どこにそんなおカネがあるのか、という話。日本はまだ震災からの復興の目途さえ立っていない状況。折りしも、国会では消費税の増税論議がなされている。

この5兆円という額が「どれくらいの額か」を解かりやすく言うと、

3.11東日本大震災による被害で住む家を失くした世帯の数が20万世帯以上、つまり倒壊や津波で流された家が20万戸以上あって、被災者の方たちは親族を頼ったり仮設住宅に入って不自由な暮らしを強いられている状況。この5兆円を20万世帯で割ってやると、一世帯あたり2500万円という計算になる。

地域差はあるし、元の土地に建てることは不可能だとしても、東北でなら、そこそこの土地を購入して新築住宅を建てることも可能な金額、ということになる。家を失くした全世帯が新しい家に住める額なのだ。

そうでなくても経済が冷え切っていて大企業もリストラの連鎖。世界には「経済が絶好調の国」があるのだし、アメリカもカナダも拠出を拒否しているのに日本が無理して「いいカッコ」するのは馬鹿げている。今、日本が「震災復興中につき拠出できない」ということで拠出を拒否したとしても、どこからも非難は出ないものだろう。世界経済の危機に対して先進国が応分の負担をすることは当然だとしても、日本は拒否すべきだったと思う。自分たちの国民を護らずに世界に対して「無い袖を振る」・・・、納得がいかない。


もう一つが、こちら。いつものmsn.ニュースから、

「日本はドイツに学べ」 韓国系団体、慰安婦問題で謝罪要求 米紙に意見広告
2012.5.30 08:01 [歴史認識]


第2次大戦中の従軍慰安婦問題に対し適切な謝罪や補償をしていないと日本政府を批判し、一刻も早く「慰安婦に心のこもった謝罪をしなければならない」とする韓国系団体の全面意見広告が29日付の米紙ニューヨーク・タイムズに掲載された。

 「覚えていますか?」と題した広告は、1970年に西ドイツのブラント首相がワルシャワのホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)慰霊碑前でひざまずいている写真を掲載し「この行為は、ドイツが世界との和解を真摯に請う象徴となった」と説明。「日本はドイツの行為から学ぶ必要がある」とした。

 広告主は「フォー・ザ・ネクストジェネレーション(次世代のため)ドットコム」。韓国メディアによると、ソウルにある誠信女子大の客員教授や韓国の歌手が主なメンバーとみられる。(共同)


この全面広告、韓国政府が出したものではないのだが、「韓国人の本音」と受け止められても仕方ない。

勘違いも甚だしい。「ホロコースト」は事実であって、ドイツの首相が謝罪したとしてもおかしくはない。一方で「従軍慰安婦」は捏造である。そういう存在があったとしても「強制連行してタダで売春をさせていた」ワケでなく、彼女たちは自分の意思で行き、兵士より高い(約2倍の)収入を得ていたという。

売春は「恥ずべき職業」だと思うのだが、臆面も無くマスコミの前に出てきて泣きじゃくって「補償」を要求する・・・。嘘を言い続けているうちに彼女たちの中では真実になってしまっている。むしろ韓国の恥だ。

日本から戦後どれだけ莫大な支援を受けたか、忘れたとは言わせない。戦後65年も経って今なお「従軍慰安婦」の補償を要求し、韓国内だけでなく海外にも従軍慰安婦像を建て、今後も増やしていくと言う爆弾

こんな国と仲良くする必要はない。整形韓流タレントに熱を上げているオバサン達はアホ、日本の恥だ。

私には韓国人の友人もいるが、韓国は大嫌いである。以前も書いたが、「ファーストクラスの航空券と五ツ星ホテルを用意してタダで招待します」と言われても絶対に訪れない。死んでも脅されても行かない。

「旅行中はずっと、とび切りの美女にエスコートさせます」と言われても行かな


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2012年06月15日

JR横浜線に乗って感じたことと、またまた美人のお話

昨日、仕事で新横浜まで行ってきた。八王子で横浜線に乗り換えての1時間ちょっとの道中である。

それで「いつも乗ってる中央線とはナンか違うな・・・」と感じた。それは・・・、

7人掛けの座席に、どこも6人で掛けているのだ。普通に座れば7人座れるし、空いていたワケでもない。立っている乗客もけっこういたが、座っている乗客は詰めようとはしない。往きも帰りも同じであった。なので、たまたまとか、私が乗った車両だけ、ということではないと思われる。そういうのは好かん!

それともう一つ感じたのは、中央線より乗客の年齢層が若い、ということ。お年寄りをほとんど見かけなかった。それは時間帯の問題でもないと思う。そして、ベビーカーの乗客も見かけなかった。いや、そもそも乳児や幼児連れのお母さんがいなかった。何かの「地域の特殊性」なんだろうか・・・、不思議である。

まあ、そんなことを観察しながらの50分だからけっこう退屈しないでいられた。もちろん、男性乗客の顔をチェックすることも忘れなかったが(*^^)v

そういえば新横浜駅の構内に一人も警察官がいなかったのも不思議だった。高橋容疑者が横浜に潜伏している可能性だってあるワケだから、警察官がいないということで「もしかして、捕まったのかな」と思ったくらいである。無警戒で、神奈川に移動したなら逃げ切れるのでは、と思えるくらいで拍子抜けした。

さて、話変わって、昨日先方の事務所で初めて会った司法書士さんのお話。

女性である。しかも、私が書くくらいだから「かなりの美人」である。共同仲介ということで、マンションの売主側の業者と買主側のメインの業者が契約書の修正箇所について相談したり修正したりしている間、私はスケベだから手持ち無沙汰だから、その司法書士さんとお話しさせて頂いた。

容姿が美しいのはもちろんのこと、特筆すべきは、黒髪と肌の美しさ、である。「染めてはいない」とのことだが、あんなに美しい黒髪は久しぶりに見た。「髪は烏の濡れ羽色」という表現がピッタリくる。私は元々茶髪は好きではない。うちのにもカラーリングはさせない。日本人の顔立ちに合うのはやはり黒髪なのだ。ちなみに、前妻にも娘にも髪は染めさせなかった。ま、「染めたい」とも言わなかったが、家長がダメと言ったらダメなのだ。「もちろん自由だよ、好きにしていいよ」なんて何でも認めるような男は最低である。そんな軟弱な父親なら「子供が横道に逸れそうになった時」など何も出来ないだろう。多少理不尽でも父親には威厳が必要なのだ。髪を染めるのを認めるかどうかの是非、という話ではないので念のため。

で、ちょっと前までテレビに出てくる女性タレントはほぼ100%茶髪だったから、たまに黒髪の娘さんがいると応援したくなった。今は黒髪の比率のほうが高いのではなかろうか。時代錯誤と謗られても、染めれば髪も傷めるし、自然のままの髪でいたほうがいい。茶髪が似合うのは希ちゃんくらいであるわーい(嬉しい顔)

新潟の加茂市出身ということで、少しピンクがかった白い肌がまた驚くほどの「餅肌」で艶々していた。ほっぺを摘まんで引っ張ったなら50cmくらいは伸びたのでは・・・、と思えるほどである、触れてないけどたらーっ(汗)

若いのに、3年前に横須賀の一等地に事務所を構えて独立したというから手腕もなかなかなんだろう。

とまあ、人に面倒な作業をさせておいて自分だけ楽しんでいたのだからヒドイ話だが、ちょいの間でここまで訊き出す私の話術も捨てたものではない、と我ながら思う。そこまでで終わってしまうのが辛いけど^_^;


たまに、普段は乗らない路線の電車に乗るのはいい気分転換になる・・・、商売そっちのけで(爆)

posted by poohpapa at 07:14| Comment(6) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月07日

ボチボチ、返信と更新を、と考えていますが・・・

私の基本的な考え方に通じる話で、ふだん私のサイトを訪れてくださる方にもお読み頂きたいもので、記事として書かせて頂きます。内容的には、あるコメントに対する返信です。

実は、この1ヶ月あまり、思い悩んでいたことや私が言いたかったことを全て馬首さんが端的に、そして的確に書いてくださったので、ようやく踏ん切りが付きました。正確にはまだ踏ん切る途中ですが・・・。

馬首さん、心から御礼申し上げます。有り難うございました。


で、以前書きました「私が非常に憤慨しているコメント」は、愛読者さんからのコメントです。

こういっては何ですが、時代錯誤も甚だしいですね。
不動産業務の話題は楽しみに見ておりますが
こういった発言は世間知らずと言われても仕方ありません。

貴方の50年前の体験は 現状に即しておりませんよ。
お孫さんを保育園に通わせている体験があっての発言ならまだしも・・
老害と言われてもしょうがありませんね。


コメントの内容そのものもですが、「愛読者」というHNにも、です。

私のブログは有料サイトではありません。当然に、強制的に読ませることもありません。読む読まないは読み手さんの自由です。もし「不動産関連の記事は面白い(興味がある)けど他はたいしたことはない」とお考えなら、不動産関連の記事だけ読んで他はスルーすればいいだけのことです。ですが、私のサイトの読み手さんは皆さん不動産関連の記事だけを読みに来てくださるワケでなく、社会の出来事に対する私の考え方を参考にしてくださったり、下ネタなどを好む方もいらっしゃいます。

私は自分の意見を言い切ります。ただし、読み手さんに自分と同じ考えを押し付けるものではありません。大阪市の橋下市長の「維新の会」、私は支持していますが、だからと言って政策の全部に賛成しているワケではありません。10のうちの2くらいは私と考えが違います。全部同じなんてことは有り得ないし期待もしていません。では、なぜ支持するかと言えば、橋下さんは「物事を言い切って、しかも実行しているから」であります。要するに「逃げていない」ということが明確だからです。責任をとる覚悟も見えています。

私のことを「世間知らず」と非難すること自体は間違いではないかも知れません。私はよく間違ったことを(言い切って)書いてしまうことがあります。読み手さんが指摘してくださって修正することもしばしばです。世の中の事柄で私の知らないこと、私が間違って認識していること、限りなくあります。ご指摘を受けて「なるほど」と思えば正しますし、「単に考え方の違い」と思えばそのままで通すこともあります。自分と違う考え方を全面否定するだけ、というのは大人の対応ではありません。愛読者さんが、「あなたはこう書いているが私はこう思う」と書いてくださったのなら、私は怒ったりはしないのです。元々がえんだんじさんの記事に同調して「今の風潮はおかしいのでは」というふうに書いているのですから、今の風潮で良いと思っている方からは時代錯誤になってしまうのは当然のことです。どこがどう違うのか、違うと考えるのか、何も示さないで「老害」とまで言うのは如何なものでしょう。めちゃくちゃ上から目線ですよね。

私も人様のサイトでいろんな考え方に出会いますが、「自分とは違う」と思ったなら、私はコメントを残しません。その人の考え方を否定しても仕方ないことだから、です。ブログのコメントなんかで人様の考え方や価値観を変える、なんてこと、出来るハズもありません。「ああ、こういう考え方や見方もあるのか・・・」で良いではありませんか。そして、もし、自分とは違う(反対の)意見に出会ったなら、自分の考えと掏り合わせてみて「どこが違うのか」「相手の言い分に汲み取るべき内容はないか」を考えて生かしていけば良いでしょう。私は頑固一徹だと思われがちですが、そういう作業は日常的にしています。

例えば、中華料理店に入って、「ここのラーメンは美味しいけど餃子はイマイチだな」と思ったら、もう行かないか、次に行く時には餃子は注文しなければ良いだけのことです。レジで「ラーメンは美味しかったけど餃子はダメだね」などと言う必要はありませんでしょう。よほど親しくなれば話は別ですが、経営者が長年の経験で「この味がベスト」と思っているかも知れませんし、自分の口に合わなかっただけ、とも考えられます。愛読者さんのコメントは自分の味覚だけで店の評価を決め付けているのと同じなんですよ。

ずっと更新を休んでいても、毎日千人もの読み手さんが訪問してくださっていて、コメントは何も残さなくても気に掛けて頂いているのが十分に伝わってきます。反対意見か賛成意見かに関係なく、コメントを入れてくださる方はもちろん、今、黙って見守って待っていてくださっている方こそが私にとっての「愛読者さん」だと私は思います。誹謗中傷だけしかしない読み手さんに恩着せがましく「愛読者」などと名乗ってもらいたくないもの、と私は心底思っています。DV夫が「私は愛妻家」と公言するようなものですね。

私は記事の中で誰のことでも辛辣に書いたりしますが、本人を目の前にしても「同じこと」を言えます。私に面と向かって「同じこと」が言えますか?

改めて申し上げますが、当サイトは無料です。有料サイトに変更しても何人かの読み手さんはお付き合いしてくださるかも知れませんが、カネが頂けるようなサイトではありませんもんね。アフィリエイトを貼れば毎月小遣い銭くらいになるのも分かっていますが、それだと文章が読みづらくなります。だからと言ってアフリを貼っているブロガーさんのことを批判したりはしません。「私は貼らない」というだけのことです。いろんな考え方があって良いものでしょう。先ず相手を尊重することから民主主義は始まるのですから。

たった一つの意見の違いから、今は私のサイトを訪問してくださらなくなった読み手さんもいます。寂しいですが、それも仕方ありません。その方が最も大切にしている価値観と合わなかったのかも知れません。意外と「そんな理由で??」と思うような話かも知れませんけど。でも、無料のサイトなんだし、書き手も読み手さんも「どちらも自由」なんですね。それでも、コメントには一定のルールがあって然りです。

そして、謙虚さは何より必要ですよ。顔が見えない相手に対してなら尚のことです。私は傲慢な人間が大嫌いです。と書くと、「オマエが言うな」と思われる方は多いでしょうけど、私に会った人の中には「こんな腰の低い人に初めて会いました」と仰る人もいます。もちろん、相手を見て使い分けてますけどね。

毎週、水曜日が来る度に「今日こそは返信しよう」と思いながら気力が湧きませんでした。その一番の理由が愛読者さんからのコメントでありました。自分が無造作に誹謗中傷した言葉で人に余計なストレスを発生させている、ということに、ぜひ思い至ってくださいね。実生活では思いやりのある優しい人かも知れませんが、ネットでも実生活でも同じ人格でいてください。自分が誰だか知られることがないネットの中での姿が愛読者さんの本性だとするなら、あまり褒められた人間性ではないことになりますよ。

キツイ内容でしょうけど、生き方の参考にして頂けたなら幸せに思います。


さて、またちょっと日を置いて改めてコメントの返信をさせて頂きますので、今しばらくお待ちください。



 この記事まで、コメントの受付を停止させて頂きます。






posted by poohpapa at 08:18| 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月24日

NPO法人百人の会のメルマガから

ちょっと読みにくい記事かも知れませんが、なるほど・・・、と思いましたのでご紹介。


保守系でも「わずかの放射能でも恐い」派と
「わずかの放射能は恐くない」派の論争がつづいています。

過度に放射能を恐れさせる風評被害によって世界が絶賛した日本の心、
絆がうすれて来ていることを危惧します。


震災直後の世界から尊敬された沈着冷静な日本人は何処へ行ってしまったのか?
知日派の外国人まで、心配している。
ガレキの処理を日本国民で、分担するのは、これこそ『絆』ではないか。
「『絆』はどこに?」 シャネル日本法人社長が小説で警鐘
2012.3.19 09:41
http://www.sankeibiz.jp/business/news/120319/bsk1203190945005-n1.htm
「『絆』失われつつある」 知日派の元米紙特派員が警鐘
2012.3.12 21:22 MS産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120312/amr12031221230013-n1.htm
絆は色あせたか 「苦しみ分かち合うべきだ」鎌倉在住の元米紙特派員語る
2012.3.18 21:16MS産経ニュース
http://www.sankei.jp.msn.com/affairs/news/120318/dst12031821180017-n2.htm




少しの放射能によって遺伝子損傷が起こるから「がれきの受け入れ拒否は当然」
と言う「わずかの放射能でも恐い」派が、このような風潮を増長しているのです。

福島原発事故の「チェルノブイリ級」扱いはヒステリーな煽り
http://www.news-postseven.com/archives/20110426_18515.html 


瓦礫は土壌の下に封印すれば土壌菌が放射能を食って無害にしてくれる。
途方もない大規模除染も「わずかの放射能でも恐い」派が執拗に要求するのです。

混乱する除染現場、放射性物質汚染地域に募るむなしさと不安
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120313-00000000-toyo-bus_all 
沖縄での青森の雪拒否事件 騒いだ人の多くは本州出身避難者
http://www.news-postseven.com/archives/20120312_94120.html 


そして福島県の住民をまるで伝染病のように移ると避け、彼らをハンセン氏病患者の
ように差別している日本人を生んだのは「わずかの放射能でも恐い」派です。

放射能vsハンセン氏病
http://blogs.yahoo.co.jp/oseh13/64689765.html


そして東北から避難した児童へのいじめも彼らの扇動の被害者です。

千葉・船橋 福島から避難の小学生に“放射能いじめ”
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/04/15/kiji/K20110415000632440.html


そして「わずかの放射能でも恐い」派は、日本の食品は危険だという風評被害を
日本だけでなく世界にまで広めている。

<日本産食品>輸入規制緩まず…「風評被害」長期戦に
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120312-00000005-mai-bus_all 
福島近郊のSAで福島の銘菓、野菜、米など大量に捨てられる
http://www.news-postseven.com/archives/20120313_94151.html 


某氏のような原発廃止論者はコンバインドサイクル・ガスタービン火力発電を
救世主のようにもてはやすが、これとて台湾や中東に危機が今夏にでも起きたら、
石油も天然ガスも輸送が止まってお手上げです。
要するに左翼と同じで国家安全保障の観念がないのです。


某氏には「石油、天然ガス→輸送ルート確保が前提」という観念のない非武装派
と同じ甘えの論理があるのです。
米軍によって世界のエネルギー輸送ルートが確保されている、という現状が
わからない点でも、保守と言えども左翼と同じ「お花畑」の脳みそです。

そして火力発電所増設によってエネルギー輸入が増えれば、ただでさえ輸出が
低迷している時に国家危機に陥ります。

夏の電力、原発次第…再稼働なければ不足も
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120312-00000146-yom-bus_all 
日本の貿易統計(1月) 〜燃料輸入の増加などで、貿易赤字が拡大〜
http://www.smam-jp.com/market/report/marketreport/1219192_1951.html 


「わずかの放射能でも恐い」派は「真理は我が方にあり」と過信して
親日外国人が憂う日本の心の絆を、ずたずたに断とうとしている左翼と
同じことを、知らず知らずに行なっている。
そして日本への信頼、信用を失墜させようとする左翼の謀略に手を貸して
いることに気がつかない。

南京大虐殺、従軍慰安婦の捏造と同じで「国内発」の日本をおとしめる
謀略に知らず知らずに手を染めているのです。




「わずかの放射能でも恐い」という人たちは、本当に放射能に対する恐怖心を持っているから反対しているのか、誰かに煽られてそう信じてしまっているのかは解かりません。ただ、冷静に検証し判断して見極めずに「闇雲に反対する」ことは、国益を大きく損ねる結果になることは間違いありません。

日本では以前も似たようなことが起きていたような・・・、と思っていましたが、ハンセン氏病(ライ病)だったんですね、思い出しました。映画「ベン・ハー」の主人公の母親もライ病という設定でしたね。日本でもわりと近年まで誤解と偏見を受け、患者さんは清瀬の専門施設に隔離されていたと記憶しています。

こういう風評を発信している人を辿っていったら誰(どこ)に行き着くのか非常に興味がありますね。たとえ自分に悪意は無くても、自分たちのしていること、言っていることが周りの人たちや国家の威信をも傷つけ、やがては自分自身に大きな被害となって帰ってくる、ということは知っていて欲しいものです。もちろん、「わずかの放射能でも恐い」派の人たちが言っているとおりになるかも知れませんが、少なくとも、そういう人たちが日本という国を内側から崩壊させていくことだけは間違いありません。

どうせ壊れるなら風評によってでなく瓦礫などを皆で受け入れた結果で、のほうが私は納得いきます。
posted by poohpapa at 07:26| Comment(4) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月21日

あまり歓迎できない法改正(改悪)

昨日届いた「NPO法人百人の会」のメルマガより、



「不逞鮮人・漢人の日本人化計画実行中」


総務省のHPに掲載されていますので、守秘義務には抵触しません。

住民基本台帳が改悪される事に伴い、外国人登録法が無くなります。

なお「特別永住者」は通称名の継続使用が認められています。

ですので本名・「金○○」→住民票上の表記名・「山本太郎」でOK。

此れから御商売・お仕事等で相手方の住民票を取られたり御覧になる

場合はご注意を。住民票には国籍は記載されません。


総務省HP

http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/c-gyousei/zairyu.html


(リンクフリーとのことで、表題に「」を付けた以外は原文のまま引用)





これは、我々の商売にも大きく影響してきそうです。家主さんや不動産業者の中には、入居審査の際に国籍(元々の国籍)を気にする方も多くいらっしゃいます。もちろん、私もその一人です。

そういうのを「偏見」とお思いの方もいらっしゃるでしょうけど、何度か嫌な思いを体験した結果であって「それらの国の方が何も起こしてないのに忌み嫌っている」というワケではありません。最近は少なくなりましたが、例えば「水商売不可」というのにも理由があるもの。何となく、なんてことではないのです。

それを「差別」とか「偏見」とか決め付けるほうがおかしいのです。もっとも、私はそれらの国の方であっても、うちに直接来店された場合は本人を見て判断しています。最近も中国人の留学生がみえて「うん、彼らなら大丈夫」と思えたので当社の管理物件を紹介して契約することにしました。「彼ら」というのは「3人のルームシェア」ということで、ましてや中国人・・・、いつもなら絶対に受けないパターンでしたが。

ま、人を見て、というのは日本人でも同じです。ただし金銭感覚や生活習慣の違いから、中国人や韓国人に入居してもらうとハイリスクになるのも事実で、どんな商売でも「リスクを避けたい」と思うのは当然のこと。この商売をやってみれば解かります。と言うより、やってなければ解からないでしょう。

韓国人の顔立ちも今は韓国人特有の特徴が無くなってきて、見た目が日本人と変わりません。話をすると判るケースもありますが、住民票を提出してもらっても判らないなら、いちいち訊くしかありません。

日本で暮らすのに、日本の法律や生活習慣、地域の慣習やルールを守ってくれるなら、どこの国籍でどんな肌の色をしていても私はかまいません。家主さんにも「お会いしていますが、この方なら大丈夫ですよ」とお勧めもします。ただし、私も自分と家主さんの生活や権利は護りたいので、経験上考えられるリスクはなるべく回避したい、というのが本音です。


ところで、

凶悪事件が起きてニュースで「金◎昌◎容疑者は・・・」とか聞く度に、「それ、日本人じゃないだろが」といつも思っていて、「通名報道してたら日本人のイメージが悪くなるのに・・・」と危惧しています。

国際化、なんて言えば尤もらしいですけど、日本は(特定の国の)外国人に侵食されてどんどん住みにくくなりますね。戦後、とくに民主党政権になって針が思い切り左に振られてますが、せめて真ん中に戻したいですね。私はせいぜいあと20年(無理か^_^;)ですが、子供たちの世代になって「日本が本当に暮らしにくい社会」になってしまっていたら、たぶんそうなってるでしょうけど、死んでも死にきれません。


私たちが知らない間に法律が改正(改悪)されてしまったようですが、「国際化」だの「人権」だのと、誰もが反対しづらい言葉には注意して、お互い騙されないようにしましょう!
posted by poohpapa at 06:14| Comment(15) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月11日

これはホントお奨め、「大言小語」

私は毎週「住宅新報」さんに紙上版ブログを連載させて頂いているが、同じように、記者の方が連載している「大言小語」というコラムがある。ま、朝日新聞で言うなら「天声人語」のようなもの、であろうか。

私はその記事を読ませて頂くのを毎週楽しみにしている。何故なら、とても深い知識と洞察力の裏付けの元に書かれていて文章も簡潔で読みやすく、テクニックで書いているのでなくあくまで自然体の文章で、読んだ後にいつも心地よい余韻が残るから、である。最近はそういう文章を書ける人が少なくなったと思う。私より少しお若いくらいと思われるが、記者の方が歩んできた道とお人柄が行間から滲み出ている。

鬼平犯科帳の第5巻の中の「兇賊」という話の中で、平蔵が、ふらっと立ち寄った芋酒屋のオヤジが出した料理を口にして「うめえぞ、おいオヤジ、おめえ、若い頃にどこかで修行をしたな」と看破する場面があるが、同じように、ほぼ毎日記事を書いている私からすれば「若い時に文章を書くための研鑽を積んでいるか、もしかして元々は作家志望でいらっしゃったのでは・・・」と推察している。

文章の技法の良し悪しや巧拙だけでなく、記事の内容もいちいち納得がいくもの。「相当な苦労人」と思われるが、私と違って「いちいちそれを口にしない人」ではあるだろうたらーっ(汗)

機会があれば、どんな方なのか一度お目に掛かりたいものと思う。個人的にとても興味があるわーい(嬉しい顔)

住宅新報は購読していても、もし今まで「大言小語」をスルーしていたなら是非お読み頂きたいと思う。もっと言うなら、「大言小語」を読むためだけに住宅新報を購読してもいいくらい、にお奨めである。
posted by poohpapa at 07:46| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月13日

5年以上も昔の話(ニュース)から

5年以上も前の出来事になるが、私はこの一件がとても気になっている。解かりやすく整理して書いていらっしゃるブログの記事があったのでお気に入りに保存して機会あるごとに(何十回も)読み返している。

先ずは、そちらをお読み頂きたい。ブログ主さんの了解の下、リンクを貼らせて頂く。



「オイラにひとこと言わせろよ!」というブログの、

「地裁が泣いた、悲しい事件簿・・・認知症の母殺害事件!」という記事である。

どうか、その記事を、目を背けずに最後まで読んで頂きたい。


母親を殺してしまったのは私とほぼ同年代の男性。自分の親とはいえ、仕事の傍ら介護を続けることは他人にはけっして解かることが無い、それこそ想像を絶する苦労があることだろう。やがて仕事も辞めざるを得なくなって、家賃も滞り、食べることさえ困難になっていく辛さというものは本人にしか解からない。

市役所にも相談に行ったようだが、この状況でなぜ生活保護の認定を受けられなかったのだろうか・・・。同じ関西でも大阪なんかフリーパスで認定しているようだが・・・。町によって対応は大きく変わる、ということは知っているけど、なんか、以前書いた「相棒」の「ボーダーライン」という話の市役所の窓口のシーンが思い出される。誰か相談相手もいなかったものかなあ・・・。前の職場の同僚なども状況を知ってただろうから、「その後どうだ?」くらい声を掛けてあげていれば、と思ってしまう。何も出来ない(したくない)なら怖くて電話など出来ないものだろうけど・・・、それにしても冷たいものだな、と思う。


私はこの5年半、もし、この親子がうちの管理物件の入居者だったら・・・、と、いつも考えていた。

うちの家主さんの中には、理解をしてくださる方は何人かいらっしゃるので、たぶんそちらに移ってもらって心置きなく介護に専念して頂けたのではないか、と思う。幸い、福祉を専門にしていらっしゃる市議会議員の方も存じ上げているので、生活保護なども受けられただろうし。私個人も相談に乗れたと思う。

ただし残念ながら、それは「後になって考えること」であって、順番が逆なら分からない。「こういう状況ですが貸してもらえる部屋はありますか?」と言われたなら、「先ず市役所に行って生活保護の認定を受けてください。なかなか認めてもらえそうになければ市会議員の先生をご紹介します。部屋探しはその後になります。支給が決まればお部屋は必ずご紹介できますので改めてお越しになってください」と言うだろう。

途中から家賃が遅れ始めたら、いつものように督促していたかも知れないし・・・。ま、この事件の男性なら家賃の遅れもちゃんと連絡してきてくれたとは思う。連絡してくれれば相談にも乗りようがあるもの。

記事の中にあるが、母親との心中を決意して、母親もそれを察して、最後に母親を車椅子に乗せて京都市内を観光したとのことだが、当然に拝観料など払えないのだから、桂川沿いなどを散策しただけだろう。どんな思いで母親の車椅子を押していたものだろうか。母親にとっては「最後の幸せ」だったのか。


昨日も書いたが、うちの生活保護の入居者にも、まだ若いし働けるのに働かないでブラブラしている奴は何人かいる。そんな奴に比べたら、たとえ殺人を犯していても、この男性のほうが遥かに崇高であろう。

生活保護・・・、不正受給を極力暴き出して打ち切って、本当に必要な人に向けてもらいたいものだ。

執行猶予が付けられたし、もう介護する母親はいないので普通の生活に落ち着いているとは思うが、今どうしていらっしゃるか、とても気になっている。




 書き終えて不安になってきたが、この事件のこと、以前もどこかで書いていたかも・・・たらーっ(汗)
   最近、認知症ぎみなので、そうであったらご容赦を(滝汗)
posted by poohpapa at 07:11| Comment(2) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月12日

生活保護不正受給者の洗い出しについて

生活保護費などの社会保障費が国や地方自治体の財政を圧迫しているのは周知の通りである。

中でも、生活保護を不正に受給している不届き者の存在は座視できないところまで来ている。うちの入居者の生活保護受給者約10名(世帯)のうち、本当に保護が必要な者はたぶん半分もいないだろう。つまり、本人に働く気があれば働けたり、本来は資格が無いのに受給している者が大半なのだ。それはたぶん、全国的に見ても同じくらいの比率ではなかろうか。

私が小学、中学時代は生活保護世帯はクラス(生徒数50人以上)に一人いるかどうか、だったと思う。

私は1週間ほど前、大阪市役所にメールを送った。「生活保護不正受給者を見究める方法」というもので、何かの参考にしてくれれば、と思ったからである。ご承知の通り、大阪では市民の20人に一人が生活保護、とくに、あいりん地区のある西成区では4人に一人が生活保護だという。想像を絶する数字である。それらの全部が不正、とは言わないが、かなりの比率で不正受給者がいるものと思われる。世も末だ。


で、その(不正受給者かどうかを簡単に知ることが出来る)方法とは・・・、



先ず、自分で考えてみてね、・・・って言っても難しいかも^_^;
posted by poohpapa at 05:47| Comment(21) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月07日

年賀状の苦悩

私は毎年、年賀状で「失敗」を繰り返している。失礼を承知で書かせて頂くのだが・・・、

いつも5〜6枚程度しか出さない人なら悩むこともないのだろうけど、毎年200枚近く出している者からすると、出す出さない、つまり、今年から止めるかどうか、という判断で相当に悩まされることになる。

一枚50円の年賀状だし、それで日頃のご無沙汰を(たぶん)お赦し頂けるのだから、悩むくらいなら出しておけば良さそうなものだが、正直、きりがない。この先も疎遠になるのが解かりきっているなら出す必要も無いかも知れない。いや、きっと相手も同じように悩んでいることだろう。

これが営業上や同業者相手なら一方通行でも良かったりするが、個人の付き合いだと難しい。商売上でもプライベートでも、相手から元旦に届いているのにこちらが出してなかったりすると慌てる。もっと辛いのは、こっちが出してなくて相手から4日とか5日に届くケースである。それから返信しても間が抜けているようで、出しそびれたりする。それで、「この人、来年はどうしようか」と、また悩んだりする。

いつも顔を合わせていたり連絡を取り合っている人や家主さんにも「ひとつのケジメ」として出しているが、本来は年賀状なんて「日頃のご無沙汰を詫びる」性格のもので、いつも顔を合わせている人には出す必要が無いものなんだろうけど、出さないワケにもいかない。日頃のご無沙汰を詫びる目的に限定して出すなら今の半分以下、いや3割くらいで済むのだが・・・。

ネット関係で知り合った方へは面識があっても基本的に出さないようにしているが、不義理せず、全部の方に出していたなら300枚くらいにはなると思う。だから悩む。

正直なところ、今年からやめた方からも何枚か・・・・・届いた。相手も元旦には「ああ、もう出さなきゃ良かったかな」と後悔していることだろう。

逆に、何かのきっかけで所在が分かって、それから年賀状のやりとりをさせて頂いている方もいる。

去年届いたかどうか、返信があったかどうか、も参考にしたりするが、こちらがお世話になっている立場であれば、いつも先方から来なくても出さなければならない。チェック漏れで「本来は出すべき相手」に出してなかったりもした。こちらが出していて先方から来ない分にはいいのだが、逆をやってしまうと焦る。

正月休みに旅行に行く時は、元旦にうちのに店に年賀状を取りに行ってもらい、個人も商売上のもチェックして、DM的なものを除き、出してない相手から届いていれば直ぐ出してもらうようにもしている。


そういえば、昨日、私が出していて相手から届いてないYさんから「食事でもしようよ」と電話があった。Yさんは元々某住宅メーカーに勤めていて、今はコンビニを経営なさっている。20年前、初めてお会いした時から親友付き合いをさせて頂いている。もちろん、筆不精なのは知っているし、年賀状が届かないからといって信頼関係が崩れることもない。余計な心配をしないでいられるから安心して付き合える。で、お昼をご馳走して頂いた。気にしてくださっているんだろう。と言うか、毎年このパターンなんだけどわーい(嬉しい顔)


年賀状・・・、凄くいい「しきたり」とは思うのだが、いろいろあって毎年毎年悩まされているふらふら



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2011年12月17日

社会に必要な「汚れ役」

一昨昨日、昨日と、立川市の生活福祉課のことをコキ下ろした記事を書いていて、読み手さんの中には「そこまでヒドク書かなくても・・・」と思われた方もいらっしゃると思う。

実のところ、私は一昨昨日の記事の表題を「立川市生活福祉課のK」としていて、それは本人や、生活福祉課の担当者たちや、これから生活福祉課にお世話になる人たちがネットを検索していて直ぐに引っかかるようにするのが目的で、本人が見たら相当に落ち込むことになるのも充分に承知の上のことである。

こう言ってはナンだが、私のブログの毎日の訪問者は立川市のHPの訪問者より多い。市のHPのほうが当然に私のブログより先に出来ていたが、累計でも同じくらいのアクセス数である。それらの記事も割と簡単にヒットすることと解かっている。どうしたって遅かれ早かれ当事者の目にするところになるであろう。

私はこの記事を消さずに出しっ放しにしておくつもりでいる。人の受け留め方はそれぞれで、立川市の生活福祉課に同情する人も、「お世話になってるけど、そんなにヒドイ人たちばかりじゃないよ」という人もいるかも知れないが、Kも同じ部署の担当者も「公務員を続ける限り」この記事をずっと戒めにすれば良いと思う。ハッキリ言うが、今の生活福祉課の連中は「これで首を吊る」ほどの誠実さも責任感も持ち合わせてはいないだろう。目の前の仕事を処理するのが精一杯で「ハートの欠片も無い」のは実によく判る。

以前書いているが、人気ドラマ「相棒」の中に、結果的に事故死だった青年が役所を訪れて生活保護の申請をしようとして体よく断られる場面がある。その「やりとり」が実によく実態を表していた。申請を受け付けなかった担当者に杉下右京が「(どんなに忙しかったとしても)申請を受けることは出来たのではありませんか?」と詰め寄るシーンで担当者が口ごもる表情を見て「これはドラマでなく現実」と思ったものだ。

実のところ、昨日、生活保護のお客さんの件でO社長に電話をした際に「書く権利があるのは承知していますが(ああいう書き方は・・・)」とのご意見を頂いた。それは極めて常識的で正しいご意見だと思う。ただし、O社長と私とでは決定的に違うことがある。私は直接「陰険な言葉」をぶつけられているのであって、O社長が翌日生活福祉課を訪れた時には向こうは「申し訳ありません」と頭を下げるだけだったハズである。つまり、悪い印象の持ちようが無い、ということで、まあ、それを差し引いても「私がキツク書きすぎ」と言えなくもないが、正直、ここまで来たら意地でもあるたらーっ(汗)

私は、立川市の生活福祉課の連中から「ひどい不動産屋」「嫌な奴」と思われても痛くも痒くもない。単なる利害関係からではない。「この人から嫌われたり誤解を受けたら辛い」という人も多くいるが、そうでない相手からならどう思われようが全く気にしない。私の記事で、どうせ一時的ではあるだろうけど職員から丁寧に接してもらえる人は確実に増えるワケで、だから関連記事を消したり修正したりするつもりは無い。

私も読み手さんから「ひどい人間性」と思われるのを覚悟するのだし、Kも生活福祉課の他の職員も同様の覚悟をして日々の業務に向き合えばいい。それだけのことである。


で、つくづく思う。今の世の中、「汚れ役」を買って出る人のナンと少ないことか・・・。

もっとも、今回は結果的に私が汚れ役のような立場になっただけで自ら買って出たワケではないし、汚れ役、というのとは少し意味合いが違うのだが・・・。

大きな組織の中では、中間管理職の中に「上司の意を正確に汲んで憎まれ役を務める人間」は必ず必要で、全部がいい人であろうとしたら組織は成り立たなくなる。公務員の世界は減点主義(ミスをしなければ年功序列)の社会だから、一般社会と違って「汚れ役」など誰も引き受けないし必要ないだろうけど。

私自身は元々が社長などという器には不適格で、本当は組織のbRとか、小企業ならせいぜいbQくらいが最も能力を発揮できるくらいの資質、と充分承知している。「この人の為なら」と思えば、どんな汚れ役でも厭わずにできるから。もちろん、上の者が阿吽の呼吸で解かってくれることが大前提だが。

と言うと、ヤクザの世界で組長の代わりに刑務所に入る組員を連想されてしまうかも知れないが、一緒にされては困る。あっちは「出所したら出世させてもらえる」という約束事があるワケで・・・。


私は損得抜きで「汚れ役」が出来るから、どこか、専務か常務あたりで雇ってくれないものかなあ・・・わーい(嬉しい顔)

柄でもない社長業などもう疲れたから・・・。
posted by poohpapa at 07:23| Comment(10) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月15日

無粋な警報音(R18指定)

二週間ほど前の、ある日の早朝、たしか5時ちょっと過ぎだったと思うが・・・、

いつものように早朝に尿意をもよおして、トイレに行こうと起き上がり、ふと隣の布団を見ると、いつもはうちのの掛け布団の上に乗って寝ているノルンの姿がない。布団の中に入っている様子もない。

そんな時はたぶん、リビングのカーペットの上にでもいるんだろうが、そういうことは珍しい。

「しめしめ、今がチャンス!」と思って、トイレは先延ばしにして女房殿の布団に潜り込んだ。うちのの布団に入るのは何年ぶりだろうか・・・、思い出せないくらい遠い昔のことのような気がする。

「よし、ならばちょっとイタズラしてやろう」と、パジャマの上からオッパイをいじくり始めると寝ぼけ眼で「え?、なに?」と私の手を払い除けようとするので、すっかりエロ爺になりきって、「おお、ここはどうじゃ?、ん?、気持ちいいか?」などとふざけ始めたら・・・、



突然、携帯がビービー鳴った。

千葉で起きた震度4の地震による警報音だった(トホホ)

測ったように邪魔が入ったのだから、まるで古いラブコメディの世界のようだった。

「ナンだよ、これからイイとこだったのに・・・」と怒りながら考えた。

真っ昼間ならともかく、夜中に大地震が発生して家屋が倒壊したなら「まさにアノ時の真っ最中」の人たちだっているかも知れない。いや、昼間でもラブホなんかは営業していて出入りする車もあったりするから、昼夜を問わず裸で重なり合って倒壊した家屋や家財の下敷きになって死んでしまう人もいるに違いない。

その昔、ラブホで火災報知器が鳴り響いた途端、結合していた部分がキュッと締まって硬直し、外れなくなって救急隊員に結合したまま運ばれたカップルがいたとか。それは地震なんかでも起こり得る話だろう。

救援や捜索に駆けつけた自衛隊員や消防隊員の人たちにそんな姿で発見されるのは辛いと思う。夫婦ならまだしも、それが「不倫や浮気の相手と」だったとしたら、幸いにも助かった遺族は浮かばれないに違いない。関係はどうあれ、本人はその時一番愛する人と重なりあって一緒に死ねたら幸せかも知れないが。

うちのの元同僚OLの中に、「飛行機で海外旅行には行かない」と言っている人がいて、その理由が「もしトイレに入って用を足している時に墜落したら、後で発見された時に恥ずかしいから」というもので、考えすぎ、というか的外れでアホな杞憂だが、気持ちは解からないでもない。


これからは、「コトをいたす」際には警報などへの心の準備もしておいたほうが良いのかもわーい(嬉しい顔)
posted by poohpapa at 06:10| Comment(6) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする