今年の9月、当社の専務(社長の長男)と相談して、私の固定給は必要最低限の額に抑えて、あとは経費で落とすことになった。これは、固定給を低く抑えることで翌年の年金や保険料、住民税の額を少しでも低くすることが目的で、それによれば毎月経費で落とす分は10万以上になる。
とりあえず、近所のスーパー2軒の商品券を3万ずつ買って、ふだんの食料品や雑貨は商品券で購入することにしたのだが、まだ5万は落とさなくてはならない。
で、仕方がないので3日と空けずさとひろと外食をして、それを経費で落とすことにしたのだが、問題が2つ発生する。一つは、それでは消費するだけで現金として残らない、ということ。つまり貯金が出来ないのである。今までは毎月3万ずつ積み立てて貯まると旅行に行っていたが、それができなくなるし、商品券は使い道が限られてしまう。
その間、自分たちだけで食べても予定額まで消化できないので、外食の度に誰かを誘っていて、何の為の減給なのか分からなくなってしまった。
そしてもう一つは、2人して太ってしまった、ということである。
たったの10万でも、無理に消化してしまおうと思うと大変なことだと分かった。一番良いのはパソコンなどの消耗品の名目で消化することだが、月に何万も使うことはない。
それで翌月、改めて専務に、「女房にパート代として(非課税枠を考えて)月8万を支払う形にすることが可能かどうか」を問い合わせると、二つ返事でOKとのこと。それでもまだ数万は経費で落とすことになるが、残りの分くらいならスーパーの商品券で消費できる。
それでやっと落ち着くもの、と思っていたら、今度は税理士から、「いつも同じ金額で商品券を買わないように」という指摘があった。大した額ではないが、節税するのも骨が折れる。国民が何の抵抗も無く税金を納めることが出来るよう、徴収も分配も公平で(役人や政治家の)不正の無い社会が実現するまで、庶民の抵抗は続く(*^^)v
2004年12月17日
2004年12月03日
謎の老資産家と豊田商事
私がゴルフ会員権の営業時代、そろそろ転職を、と考えていた頃、一人の実業家を紹介された。紹介してくれたのは同僚で、かつてその実業家の下で働いていたことがある、と言う。その会社というのが、社会問題になった「豊田商事」であった。
社長はにこやかに私を迎えてくれて、いろんな話をさせてもらったが、いろいろ考えるところあって、結局お世話になることはなかった。
同僚から聞くところによれば、その社長は豊田商事時代は幹部社員であって、多くの被害者から訴訟も起こされていたが、驚くような内容で示談が成立して刑に服してはいない。その示談内容と社長の現状とを考え合わせると、どうにも納得がいかなかったので、(実際のところは分からないが)温厚な社長ではあったが就職は見合わせた。
で、その示談の内容であるが、「今後、毎月(たったの)1万を返済する」というもので、被害額を考えれば、社長がその先平均寿命まで生きたとしても被害額の数%にしかならないし、被害者のほうが先に他界してしまう可能性が高い。被害者はそれを飲むしかなかったのだろうが、裁判所は社長の資産内容をもっとしっかりチェックすべきだった。
社長は豊田商事を退職後、都内で先物取引の会社を興して、既に相当な利益を上げていた。社長からすれば、月1万の返済なんて、「喉を潤すために缶ジュースを1本飲む」くらいでしかないだろう。騙された方にも責任があるとしても、あまりにバランスを欠いている。何より社長にとっては月1万の支払いで収監を免れるなら安いものであろう。
ところで、この同僚、豊田商事時代に貴重な経験をしている。
千葉の老資産家とアポイントがとれて自宅を訪問することになった。行ってみると凄い門構えの邸宅で、電話で話した時も「是非お話を聞かせてもらいたい」、と好感触だったので、「確実に大口の契約が取れるもの」と大いに期待してチャイムを押したとか。
迎えてくれたのは電話の相手本人で、この屋敷の主でもあった。
広い応接間に通され、丁寧に商品説明を聞き終えると、老人はこう切り出した。
「君ね、世界にある金の総量がどれだけのものか知っているかね。50mのプール2杯分にもならない量なんだよ。君の会社がやっていることは、その総量を遥かに超えた金を、さも自社で所有しているかのごとく装って金集めをしているに過ぎないんだよ。君の会社はすぐ行き詰るし、君も顧客から訴えられて前科が付くかも知れない。君は若いからやり直しが利く。一日も早くそんな会社は辞めてしまいなさい」、と諭されたという。
同僚は、その老人が言っていることが全て正しいと知っていた。知っていたからこそ何も反論できずに逃げるようにお暇してきたとのこと。同僚は、直後に豊田商事を辞めた。
その資産家は、相手が詐欺を仕掛けてきたのを承知で家に招き、営業の話を丁寧に聞いた上で、見事に諭したのである。それにより、同僚は救われることになった。
彼はその後、バッタ屋を経てゴルフ会員権の営業になったが、私なら、その老資産家に土下座してでも側に仕えさせて頂けるよう頼み込んだかも知れない。未だにその老資産家の正体は不明であるが、よほどの大物、大人物であったのだろう。昔は「やくざ」の親分にもこういう人物がいたものだ、と聞いている。
いや待てよ・・・、私も、怖くなって逃げ出していたんだろうな、きっと(爆)
社長はにこやかに私を迎えてくれて、いろんな話をさせてもらったが、いろいろ考えるところあって、結局お世話になることはなかった。
同僚から聞くところによれば、その社長は豊田商事時代は幹部社員であって、多くの被害者から訴訟も起こされていたが、驚くような内容で示談が成立して刑に服してはいない。その示談内容と社長の現状とを考え合わせると、どうにも納得がいかなかったので、(実際のところは分からないが)温厚な社長ではあったが就職は見合わせた。
で、その示談の内容であるが、「今後、毎月(たったの)1万を返済する」というもので、被害額を考えれば、社長がその先平均寿命まで生きたとしても被害額の数%にしかならないし、被害者のほうが先に他界してしまう可能性が高い。被害者はそれを飲むしかなかったのだろうが、裁判所は社長の資産内容をもっとしっかりチェックすべきだった。
社長は豊田商事を退職後、都内で先物取引の会社を興して、既に相当な利益を上げていた。社長からすれば、月1万の返済なんて、「喉を潤すために缶ジュースを1本飲む」くらいでしかないだろう。騙された方にも責任があるとしても、あまりにバランスを欠いている。何より社長にとっては月1万の支払いで収監を免れるなら安いものであろう。
ところで、この同僚、豊田商事時代に貴重な経験をしている。
千葉の老資産家とアポイントがとれて自宅を訪問することになった。行ってみると凄い門構えの邸宅で、電話で話した時も「是非お話を聞かせてもらいたい」、と好感触だったので、「確実に大口の契約が取れるもの」と大いに期待してチャイムを押したとか。
迎えてくれたのは電話の相手本人で、この屋敷の主でもあった。
広い応接間に通され、丁寧に商品説明を聞き終えると、老人はこう切り出した。
「君ね、世界にある金の総量がどれだけのものか知っているかね。50mのプール2杯分にもならない量なんだよ。君の会社がやっていることは、その総量を遥かに超えた金を、さも自社で所有しているかのごとく装って金集めをしているに過ぎないんだよ。君の会社はすぐ行き詰るし、君も顧客から訴えられて前科が付くかも知れない。君は若いからやり直しが利く。一日も早くそんな会社は辞めてしまいなさい」、と諭されたという。
同僚は、その老人が言っていることが全て正しいと知っていた。知っていたからこそ何も反論できずに逃げるようにお暇してきたとのこと。同僚は、直後に豊田商事を辞めた。
その資産家は、相手が詐欺を仕掛けてきたのを承知で家に招き、営業の話を丁寧に聞いた上で、見事に諭したのである。それにより、同僚は救われることになった。
彼はその後、バッタ屋を経てゴルフ会員権の営業になったが、私なら、その老資産家に土下座してでも側に仕えさせて頂けるよう頼み込んだかも知れない。未だにその老資産家の正体は不明であるが、よほどの大物、大人物であったのだろう。昔は「やくざ」の親分にもこういう人物がいたものだ、と聞いている。
いや待てよ・・・、私も、怖くなって逃げ出していたんだろうな、きっと(爆)
2004年11月30日
消えた冷蔵庫
うちの会社の監査役(私と同年齢)が都内杉並の一等地に支店を出すことになった。
私と一緒に某住宅メーカーで宅建講座の講師や市会議員などもしていたが、独立して不動産屋の支店を開くことになったのだ。たまたまその時期に、うちのお客さんが結婚をなさるということで神奈川に転居することとなり、「独身時代の冷蔵庫や電子レンジなどキレイな電気製品が浮くことになりますので、どなたか使ってくださる人がいれば差し上げます」、とお声を掛けて頂いた。
お店には小型の冷蔵庫や電子レンジがあればそれに越したことはない。タイミングも良かったのですぐ監査役に電話すると喜んでくれて、引越しに合わせて取りに来てくれた。で、開店当日から3日間の予定で手伝いに行くと・・・、冷蔵庫がない???
監査役は申し訳なさそうに私に言う。
「うちの母親が、『あら、これ、うちのよりいいわね、私に頂戴!』、と言って持っていってしまった」、とか。オイオイ、である。たしかに、もうあげたものだから、それをどうしようが貰った者の勝手、と言えなくもない。だが、「お店で使ってくれるよう」使い道は限定してあったワケだし、何より、親が子供の足を引っ張る、というのは如何なものか(笑)
子供の入学祝に貰った図書券で、親がエロ本を買ってしまうようなものではないか!
これでは「ねね」さんの姑さんといい勝負である(爆;失礼)
ふつうは、「せっかく開業したのだから何とか頑張って軌道に乗せてもらいたい、できる限りの援助はしてあげよう」、と思うのが親心であるが、そんなことには全く関心がなく、逆に足を引っ張る。実はこの母親、冷蔵庫を持ち帰っただけではない。結局、開店したばかりの店を実質的には閉店に追い込んでいる。監査役に、不動産屋を続けるより条件が良い「仕官の口が見つかった」、ということもあるが、何かと我侭を言って息子を困らせては営業の邪魔をしていたのである。
監査役は私より遥かに優秀だし、店の場所も良かったから、経験を積めば商売はすぐ軌道に乗ったことだろう。それが半年で閉店になってしまう・・・・ところだったが、私がかねてより目をつけていた同業者に勤める女性をヘッドハンティングしてきて新店長に据えて代替わりさせた。
今は当店よりずっと羽振りが良い(苦笑)
世の中には、子供の幸せを願うより自分の都合を優先する親の何と多いことか。
それは間違いなく、乳幼児虐待とか、親殺しの原点になっていると思う。
親が賢くなれないなら、「いつか我が子に殺されるかも」、と覚悟せねばならない。
私と一緒に某住宅メーカーで宅建講座の講師や市会議員などもしていたが、独立して不動産屋の支店を開くことになったのだ。たまたまその時期に、うちのお客さんが結婚をなさるということで神奈川に転居することとなり、「独身時代の冷蔵庫や電子レンジなどキレイな電気製品が浮くことになりますので、どなたか使ってくださる人がいれば差し上げます」、とお声を掛けて頂いた。
お店には小型の冷蔵庫や電子レンジがあればそれに越したことはない。タイミングも良かったのですぐ監査役に電話すると喜んでくれて、引越しに合わせて取りに来てくれた。で、開店当日から3日間の予定で手伝いに行くと・・・、冷蔵庫がない???
監査役は申し訳なさそうに私に言う。
「うちの母親が、『あら、これ、うちのよりいいわね、私に頂戴!』、と言って持っていってしまった」、とか。オイオイ、である。たしかに、もうあげたものだから、それをどうしようが貰った者の勝手、と言えなくもない。だが、「お店で使ってくれるよう」使い道は限定してあったワケだし、何より、親が子供の足を引っ張る、というのは如何なものか(笑)
子供の入学祝に貰った図書券で、親がエロ本を買ってしまうようなものではないか!
これでは「ねね」さんの姑さんといい勝負である(爆;失礼)
ふつうは、「せっかく開業したのだから何とか頑張って軌道に乗せてもらいたい、できる限りの援助はしてあげよう」、と思うのが親心であるが、そんなことには全く関心がなく、逆に足を引っ張る。実はこの母親、冷蔵庫を持ち帰っただけではない。結局、開店したばかりの店を実質的には閉店に追い込んでいる。監査役に、不動産屋を続けるより条件が良い「仕官の口が見つかった」、ということもあるが、何かと我侭を言って息子を困らせては営業の邪魔をしていたのである。
監査役は私より遥かに優秀だし、店の場所も良かったから、経験を積めば商売はすぐ軌道に乗ったことだろう。それが半年で閉店になってしまう・・・・ところだったが、私がかねてより目をつけていた同業者に勤める女性をヘッドハンティングしてきて新店長に据えて代替わりさせた。
今は当店よりずっと羽振りが良い(苦笑)
世の中には、子供の幸せを願うより自分の都合を優先する親の何と多いことか。
それは間違いなく、乳幼児虐待とか、親殺しの原点になっていると思う。
親が賢くなれないなら、「いつか我が子に殺されるかも」、と覚悟せねばならない。
2004年11月27日
先にお礼を言わされて
私がある住宅メーカーで宅建講座の講師をしていた頃、半年間の講義が終わって、講師仲間や事務局の人たちと慰労会を兼ねて石和温泉への一泊旅行に出かけることになった・・・のだが、私だけ事情があって参加しなかった。
その事情は置いといて、参加するうちの一人の女性が私にこう言った。「一緒に行けないのは残念ですねえ。お土産、買ってきますからね。でもまあ、温泉饅頭くらいのものですけどね」、と声をかけてくれた。それで、「どうも有り難う」、とお礼を言ったのだが、旅行から帰ってきたのにお土産の話は出ない。その後、会社で顔を合わせても型通りの挨拶だけで、温泉饅頭の「お」の字も無い(笑)
それで、ハタと悩んでしまった。私はよっぽど嫌われていたんだろうか、と。
ひょっとすると、「自分が買って帰らなくても、他に5人も来ているのだから誰か買ってるだろう」、と思っていたのかも知れない。だが、私が請求したのではなく、向こうから「買ってくる」と言ったのである。ならば、人頼みにしてはならないハズである。と言うか、人に先にお礼を言わせたのなら、何が何でも約束は果たさなければならない、と思う。
で、こういうことは日常生活の中で実によく起きている。
「あ、それ、私がやっておきますから」、とか言われて、ちゃんと丁寧にお礼を言ってアテにしていると、全く放ってあって、そのことでこちらが他から責められていても知らん顔をしている者もいる。私は約束が実行されるまではお礼は言わずに、「じゃあ、よろしく」程度に留めておくべきか、といつも悩んでしまうのだが、なかなかそうもいかないものだ。
私は、べつに温泉饅頭を食べ損なって怒っている訳では・・・なくもないが、調子の良いことを言って、人に礼まで言わせておいて忘れてしまう無神経さが許せないのだ。
今になってこんなこと書いてるくらいだから、「食い物の恨み」は相当に恐ろしい(爆)
そういえば、「先にお礼を言う」ケースなら、誰でも必ず経験してるよね。
子供の頃、キャッチボールをしていてボールが逸れて転がっていってしまった時、一番近くにいる人に向かって、「ありがとう!」と大声で叫んだ経験、である。
まだ「そっちに投げてやるよ」、と約束してくれた訳でもないのに、必ず投げてよこしてくれる、と決め付けて先にお礼を言ってしまうやり方、である。「すみません、そのボール、こっちに投げてください」、ではなく、「ありがとう」、なのである。簡単に意思表示しようという子供の知恵であって、もちろん、投げてもらったらもう一度「ありがとう」、と言う。
これはこれで、とても微笑ましい光景だと思う。
ところで、温泉饅頭の彼女以外にも仲間はいたのだが、誰一人として私にお土産を買ってきた人はいなかった。これは、たぶん、皆んなそういう性分の人たちであって、いつもそうなんだと思う。その中には、私が尊敬している現在のうちの社長もいたのだが、社長はどこに出かけてもお土産を買ってくる、ということは全く無い人である。私は、帰省しても旅行に行っても、必ず相当な数のお土産を買う。予定している数より必ず多めに買う。土産というものは必ず足りなくなるからで、そうすると不義理をして顔を合わせにくくなってしまうのが嫌で、余ることになっても良いから多めに買う。買わないなら買わないで徹底してしまえぱ良いもの、と思うが、商売をしているとそういう訳にもいかなくなる。
それがふつうの神経のハズだが、そういうことに無頓着でいられる人が羨ましく思う。
うちの社長は先日も、私が入籍したと聞いて、「お祝いを贈ろうと思うんだけど、どんなものがいいかなあ」、と声を掛けてくれた。私が、「いえ、いいですよ」、と言うと、「いや、これも何かの縁だからさ」、と言っていて、その後2度ほど顔を合わせているが、あの「お祝いの話」はもう全く出てこない(爆)
私は辞退しながらもお礼は言っている。だから私は声を大にして言いたい!
「一度辞退されたくらいで引っ込めるなら、お祝い贈るなんて言わないでくれ!」
直接は言いにくいから、後で社長に私がblogやってることを話しておこう(*^^)v
その事情は置いといて、参加するうちの一人の女性が私にこう言った。「一緒に行けないのは残念ですねえ。お土産、買ってきますからね。でもまあ、温泉饅頭くらいのものですけどね」、と声をかけてくれた。それで、「どうも有り難う」、とお礼を言ったのだが、旅行から帰ってきたのにお土産の話は出ない。その後、会社で顔を合わせても型通りの挨拶だけで、温泉饅頭の「お」の字も無い(笑)
それで、ハタと悩んでしまった。私はよっぽど嫌われていたんだろうか、と。
ひょっとすると、「自分が買って帰らなくても、他に5人も来ているのだから誰か買ってるだろう」、と思っていたのかも知れない。だが、私が請求したのではなく、向こうから「買ってくる」と言ったのである。ならば、人頼みにしてはならないハズである。と言うか、人に先にお礼を言わせたのなら、何が何でも約束は果たさなければならない、と思う。
で、こういうことは日常生活の中で実によく起きている。
「あ、それ、私がやっておきますから」、とか言われて、ちゃんと丁寧にお礼を言ってアテにしていると、全く放ってあって、そのことでこちらが他から責められていても知らん顔をしている者もいる。私は約束が実行されるまではお礼は言わずに、「じゃあ、よろしく」程度に留めておくべきか、といつも悩んでしまうのだが、なかなかそうもいかないものだ。
私は、べつに温泉饅頭を食べ損なって怒っている訳では・・・なくもないが、調子の良いことを言って、人に礼まで言わせておいて忘れてしまう無神経さが許せないのだ。
今になってこんなこと書いてるくらいだから、「食い物の恨み」は相当に恐ろしい(爆)
そういえば、「先にお礼を言う」ケースなら、誰でも必ず経験してるよね。
子供の頃、キャッチボールをしていてボールが逸れて転がっていってしまった時、一番近くにいる人に向かって、「ありがとう!」と大声で叫んだ経験、である。
まだ「そっちに投げてやるよ」、と約束してくれた訳でもないのに、必ず投げてよこしてくれる、と決め付けて先にお礼を言ってしまうやり方、である。「すみません、そのボール、こっちに投げてください」、ではなく、「ありがとう」、なのである。簡単に意思表示しようという子供の知恵であって、もちろん、投げてもらったらもう一度「ありがとう」、と言う。
これはこれで、とても微笑ましい光景だと思う。
ところで、温泉饅頭の彼女以外にも仲間はいたのだが、誰一人として私にお土産を買ってきた人はいなかった。これは、たぶん、皆んなそういう性分の人たちであって、いつもそうなんだと思う。その中には、私が尊敬している現在のうちの社長もいたのだが、社長はどこに出かけてもお土産を買ってくる、ということは全く無い人である。私は、帰省しても旅行に行っても、必ず相当な数のお土産を買う。予定している数より必ず多めに買う。土産というものは必ず足りなくなるからで、そうすると不義理をして顔を合わせにくくなってしまうのが嫌で、余ることになっても良いから多めに買う。買わないなら買わないで徹底してしまえぱ良いもの、と思うが、商売をしているとそういう訳にもいかなくなる。
それがふつうの神経のハズだが、そういうことに無頓着でいられる人が羨ましく思う。
うちの社長は先日も、私が入籍したと聞いて、「お祝いを贈ろうと思うんだけど、どんなものがいいかなあ」、と声を掛けてくれた。私が、「いえ、いいですよ」、と言うと、「いや、これも何かの縁だからさ」、と言っていて、その後2度ほど顔を合わせているが、あの「お祝いの話」はもう全く出てこない(爆)
私は辞退しながらもお礼は言っている。だから私は声を大にして言いたい!
「一度辞退されたくらいで引っ込めるなら、お祝い贈るなんて言わないでくれ!」
直接は言いにくいから、後で社長に私がblogやってることを話しておこう(*^^)v
2004年08月22日
私にとっての「警察不信の原点」
ちょっと、前フリが長くなるのだが・・・、
うちの社長はどういう訳か、あちこちによく財布を置き忘れる。
先月も京都から帰る新幹線の中に現金15万の入った財布を落としている。
かつては北海道を旅行中に、電話ボックスの棚に25万円入りの財布を忘れた。
つい先日も、「華屋与兵衛」で食事をして、席に財布を忘れてきている。
社長の場合、それがいつも手付かずで戻ってくるから不思議である。財布を無くしても本人は、「いやあ、今頃は見つけた人間が、『助かった!』、って喜んでるだろうよ」、と笑っているが、そういう問題ではない(爆)
社長は届けてくれた人に必ず謝礼をする。「もう無いもの、と諦めていたのだから当然」と言う。世の中のルールとして、また法律上も、落とし主に最大20%までの謝礼は請求できるものとなっていて、たいていは一割というのが相場になっているようだが、私は拾って届けても謝礼は受け取らない主義である。たしかに「無くなったもの」と思えば、出てきただけでも儲け物かも知れないが、元々私のカネではないからだ。かつては財布の中の書留郵便の控えから落とし主を特定して家まで届けたこともあるが、それでも一切の謝礼は受け取らなかった。中身は5万円以上入っていて、落とし主は「もう諦めていた」とか。「是非お礼を」、と仰って追いかけてきたが、振り切って逃げた。「俺は、届けたのか盗んで逃げてるのか、どっちなんだ?!」、と自分でも可笑しかった(苦笑)
警察に届けなかったのは、そうすると落とし主が謝礼の心配をすることになるのが分かっていたからだ。自分は謝礼を受け取らないが、もし自分が落とし主なら謝礼はする。
私は、一億円拾って届けて、落とし主が現れなかったのなら、期限が来れば貰う。
国庫に没収されるくらいなら、自分が遣った方が良いと思う。お上は信用していない。
さて、ようやく本題である。
小学3年の時、通学途中に5千円を拾った。今の貨幣価値なら10万円以上だろう。
すぐに学校とは反対方向の警察に届けると、警察官は優しく言った。
「ボク、偉かったねえ。お巡りさんがちゃんとやっておいてあげるから、もし落とした人が現れなかったら、この5千円はボクのものだよ。落とした人が来なかったら、ボクのところに知らせてあげるからね」、と。間違いなく、警察官は「知らせてあげる」と言い、私は今もハッキリ覚えているが、有り得ないことである。もちろん、連絡は無かった。
私には子供心にも、「落とし主が現れることは絶対ないだろうな」、と思えていた。なぜなら、「財布を拾った」のではなく、「お札のまま道に落ちていた」のだから。
その時、警察官はこうも言った。「ボク、今から学校に行くと遅刻しちゃって先生に叱られてしまうといけないから、お巡りさんが学校に電話しといてあげるからね」、とも。
学校に行くと、もう授業は始まっていて、先生に遅刻を咎められた。ワケを話して、警察から電話が無かったか聞くと、そんな連絡は無かった、と言い、まるで私が遅刻のいい訳をしているように言われて、とてもショックだった。その時に、「あ、あのおカネが僕のものになることはないな」、と確信していた。もし落とし主が現れたとして、一割の謝礼がもらえたなら、「お母ちゃんが、『たとえ500円でも助かる』、と喜んでくれるだろう」、と思っていた。あの時の5千円は、その警察官がネコババしたか、最近になって発覚し始めた「組織の裏ガネ」にでもなっていたのだろう。
私は、本来なら先生から褒められるべきところを叱られてしまったのである。
もし、警察から学校にちゃんと連絡してくれていたなら、半年後に5千円の件で連絡が無くても、「ああ、落とし主が現れたんだ・・・」、と思っただろう。
商売をしていて、そういう失敗は自分もよく経験する。電話一本ですむ経過報告を怠ったがために誤解を受け、商談が進まなくなってしまった、なんてことはよくあるのだ。
相手の気持ちになっての気配りが欠けると、纏まる話も纏まらなくなる。
些細な出来事だが、私の警察不信の原点はそこにある。
以来40年以上、この思いは変わらない。
うちの社長はどういう訳か、あちこちによく財布を置き忘れる。
先月も京都から帰る新幹線の中に現金15万の入った財布を落としている。
かつては北海道を旅行中に、電話ボックスの棚に25万円入りの財布を忘れた。
つい先日も、「華屋与兵衛」で食事をして、席に財布を忘れてきている。
社長の場合、それがいつも手付かずで戻ってくるから不思議である。財布を無くしても本人は、「いやあ、今頃は見つけた人間が、『助かった!』、って喜んでるだろうよ」、と笑っているが、そういう問題ではない(爆)
社長は届けてくれた人に必ず謝礼をする。「もう無いもの、と諦めていたのだから当然」と言う。世の中のルールとして、また法律上も、落とし主に最大20%までの謝礼は請求できるものとなっていて、たいていは一割というのが相場になっているようだが、私は拾って届けても謝礼は受け取らない主義である。たしかに「無くなったもの」と思えば、出てきただけでも儲け物かも知れないが、元々私のカネではないからだ。かつては財布の中の書留郵便の控えから落とし主を特定して家まで届けたこともあるが、それでも一切の謝礼は受け取らなかった。中身は5万円以上入っていて、落とし主は「もう諦めていた」とか。「是非お礼を」、と仰って追いかけてきたが、振り切って逃げた。「俺は、届けたのか盗んで逃げてるのか、どっちなんだ?!」、と自分でも可笑しかった(苦笑)
警察に届けなかったのは、そうすると落とし主が謝礼の心配をすることになるのが分かっていたからだ。自分は謝礼を受け取らないが、もし自分が落とし主なら謝礼はする。
私は、一億円拾って届けて、落とし主が現れなかったのなら、期限が来れば貰う。
国庫に没収されるくらいなら、自分が遣った方が良いと思う。お上は信用していない。
さて、ようやく本題である。
小学3年の時、通学途中に5千円を拾った。今の貨幣価値なら10万円以上だろう。
すぐに学校とは反対方向の警察に届けると、警察官は優しく言った。
「ボク、偉かったねえ。お巡りさんがちゃんとやっておいてあげるから、もし落とした人が現れなかったら、この5千円はボクのものだよ。落とした人が来なかったら、ボクのところに知らせてあげるからね」、と。間違いなく、警察官は「知らせてあげる」と言い、私は今もハッキリ覚えているが、有り得ないことである。もちろん、連絡は無かった。
私には子供心にも、「落とし主が現れることは絶対ないだろうな」、と思えていた。なぜなら、「財布を拾った」のではなく、「お札のまま道に落ちていた」のだから。
その時、警察官はこうも言った。「ボク、今から学校に行くと遅刻しちゃって先生に叱られてしまうといけないから、お巡りさんが学校に電話しといてあげるからね」、とも。
学校に行くと、もう授業は始まっていて、先生に遅刻を咎められた。ワケを話して、警察から電話が無かったか聞くと、そんな連絡は無かった、と言い、まるで私が遅刻のいい訳をしているように言われて、とてもショックだった。その時に、「あ、あのおカネが僕のものになることはないな」、と確信していた。もし落とし主が現れたとして、一割の謝礼がもらえたなら、「お母ちゃんが、『たとえ500円でも助かる』、と喜んでくれるだろう」、と思っていた。あの時の5千円は、その警察官がネコババしたか、最近になって発覚し始めた「組織の裏ガネ」にでもなっていたのだろう。
私は、本来なら先生から褒められるべきところを叱られてしまったのである。
もし、警察から学校にちゃんと連絡してくれていたなら、半年後に5千円の件で連絡が無くても、「ああ、落とし主が現れたんだ・・・」、と思っただろう。
商売をしていて、そういう失敗は自分もよく経験する。電話一本ですむ経過報告を怠ったがために誤解を受け、商談が進まなくなってしまった、なんてことはよくあるのだ。
相手の気持ちになっての気配りが欠けると、纏まる話も纏まらなくなる。
些細な出来事だが、私の警察不信の原点はそこにある。
以来40年以上、この思いは変わらない。
2004年07月31日
社長と行った「タイ旅行」
うちの社長と一度だけ海外旅行をご一緒したことがある。行き先は「タイ」であった。
社長は旅行に出かける時は高級ホテルしか使わない。その時も行く先々で一番良いホテルを利用した。訪問地の一つ「スコタイ」では、現天皇陛下のお泊りになった部屋の隣室に宿泊した。陛下のお部屋は2部屋をぶち抜いて使うよう改装されていたが、今は使われていないようで、ドアが板と釘で打ち付けられていた。フロントには誇らしげに大きな写真が飾ってあった。ただ、ここは「超高級ホテル」という訳ではなく、スコタイの町では最高のホテル、というくらいのものだった。Aランク、くらいだと思う。私たちが泊まった部屋は隣室だから、侍従の部屋だったかも知れない。
社長との旅行は、誰と行くより気楽である。ふつうならとても気を遣うハズなのだが、こちらは全く楽な気分でいられる。というのも、社長は細かなことなど全く気にしない人だからである。出発する時からして、私が集合ターミナルを間違えて大変なことになったのだが、社長は悠然と、「大丈夫さア、待ってるだろうよ」、と言ったきりだった。その時は空港職員の方が親切に対応してくれて事なきを得たが、内心はヒヤヒヤものであった。気短かな経営者であったなら私は怒鳴りつけられていただろう。
で、社長は成田を発つ時に、免税店で「へネシーXO」を1本購入している。
私が、「ふつうは帰国する時に買うモンでしょう」と言うと、「いやあ、タイで飲むんだよ」、とのこと。旅行は4泊だったが、3泊目の「スコタイ」ではほとんど空になっていた。
スコタイのホテルではこんなこともあった。ホテルのショップを覗いていたら、K18の洒落たブレスレットがあった。まだ買うと決めた訳ではなかったが、試しに値切ってみると、日本円で7万くらいまで下げてくれた。女性店員を待たせておいて部屋に戻って、ほろ酔い気分の社長に、「タイバーツ、いくら残ってますか?」、と聞くと、私の分と合わせても8万円分くらい。2人で残金1万では残りの日程はキツイ。だが、社長はアッサリ、全額を貸してくれた。「いやあ、何とかなるもんさ。気にしなくていいよ」、と。それを掴んで引き返し、現金で買った。カードも持っていたし使えたが、カードを使いたくないワケがあった。実は、今の彼女へのお土産だったのだ。
私が社長に、今の彼女のことを初めて話したのはこの時だった。
正味4日間の旅行中、若い女性の現地ガイドは、「女のコ、紹介しますヨ、いかがです?」、と我々にずっと言い続けていたが、社長も私も全くその気は無く採りあわなかったので、「この2人、どういう関係なんだろう、変な日本人・・・」、と思っていたに違いない。
さて、旅の醍醐味は、美しい景色を観たり、美味しい食事を愉しんだりすることはもちろん、現地の人や旅仲間と触れ合うことにもある。アユタヤからバンコクに船で戻る途中、仙台から来ていた母娘連れと知り合って、楽しいひと時を過ごすことができた。学校の先生をしているという娘さんから、前年にトルコを旅した時の傑作な話を聞いた。
旅仲間の老夫婦が、朝から自由行動で散策していると、現地のトルコ人から日本語で声を掛けられた。「私たちトルコ人、日本人大好き。良かったら、うちに来てチャイ(お茶)でもいかが?」、と。「トルコは世界でも一番親日的な国であることは聞いているし、一般家庭を訪問できるなんて有り難い」、と老夫婦はお誘いを受けることにしたという。
着いてみると、それはそれは親切に温かくもてなしてくれて、とても楽しいひと時を過ごし、「さあ、そろそろお暇を」、と思っていると、「うちはトルコ絨毯を作っています。もし良かったら見るだけ見ていきませんか」、と言われ、「親切も受けているし少しくらいなら」、と工場に案内してもらったとか。そこで、言葉巧みに勧められたのが50万の絨毯。「持って帰れない」、と言うと、「日本まで送る」、と言われ、「カネを持ってない」、と言うと、「カードも使える」、と言われる。仕方なく購入するハメに。
だが、悲劇はそこで終わらない。そこを出て、再び街を散策していると、やはり日本語で声を掛けられた。「一日に2度もあんな目には合わないだろう」、と、流暢な日本語の主に付いて行くと、そこも「絨毯屋」であった。そこでも、50万円の絨毯を「お買い上げ」、となった。トルコ人が好きなのは、「日本人」ではなく、「日本円」だったのだ。
この話を聞いて社長が言うには、「いやあ、人間、騙される人は決まっていて、何度も引っ掛かるモンなんだよ」、とのこと。たしかにそうかも知れない。何度騙されても、選挙の度に同じ人や政党に投票するのが日本人だから(苦笑)
その後トルコを旅する機会があったが、日本語での勧誘には一切応じることはなかった。
社長は旅行に出かける時は高級ホテルしか使わない。その時も行く先々で一番良いホテルを利用した。訪問地の一つ「スコタイ」では、現天皇陛下のお泊りになった部屋の隣室に宿泊した。陛下のお部屋は2部屋をぶち抜いて使うよう改装されていたが、今は使われていないようで、ドアが板と釘で打ち付けられていた。フロントには誇らしげに大きな写真が飾ってあった。ただ、ここは「超高級ホテル」という訳ではなく、スコタイの町では最高のホテル、というくらいのものだった。Aランク、くらいだと思う。私たちが泊まった部屋は隣室だから、侍従の部屋だったかも知れない。
社長との旅行は、誰と行くより気楽である。ふつうならとても気を遣うハズなのだが、こちらは全く楽な気分でいられる。というのも、社長は細かなことなど全く気にしない人だからである。出発する時からして、私が集合ターミナルを間違えて大変なことになったのだが、社長は悠然と、「大丈夫さア、待ってるだろうよ」、と言ったきりだった。その時は空港職員の方が親切に対応してくれて事なきを得たが、内心はヒヤヒヤものであった。気短かな経営者であったなら私は怒鳴りつけられていただろう。
で、社長は成田を発つ時に、免税店で「へネシーXO」を1本購入している。
私が、「ふつうは帰国する時に買うモンでしょう」と言うと、「いやあ、タイで飲むんだよ」、とのこと。旅行は4泊だったが、3泊目の「スコタイ」ではほとんど空になっていた。
スコタイのホテルではこんなこともあった。ホテルのショップを覗いていたら、K18の洒落たブレスレットがあった。まだ買うと決めた訳ではなかったが、試しに値切ってみると、日本円で7万くらいまで下げてくれた。女性店員を待たせておいて部屋に戻って、ほろ酔い気分の社長に、「タイバーツ、いくら残ってますか?」、と聞くと、私の分と合わせても8万円分くらい。2人で残金1万では残りの日程はキツイ。だが、社長はアッサリ、全額を貸してくれた。「いやあ、何とかなるもんさ。気にしなくていいよ」、と。それを掴んで引き返し、現金で買った。カードも持っていたし使えたが、カードを使いたくないワケがあった。実は、今の彼女へのお土産だったのだ。
私が社長に、今の彼女のことを初めて話したのはこの時だった。
正味4日間の旅行中、若い女性の現地ガイドは、「女のコ、紹介しますヨ、いかがです?」、と我々にずっと言い続けていたが、社長も私も全くその気は無く採りあわなかったので、「この2人、どういう関係なんだろう、変な日本人・・・」、と思っていたに違いない。
さて、旅の醍醐味は、美しい景色を観たり、美味しい食事を愉しんだりすることはもちろん、現地の人や旅仲間と触れ合うことにもある。アユタヤからバンコクに船で戻る途中、仙台から来ていた母娘連れと知り合って、楽しいひと時を過ごすことができた。学校の先生をしているという娘さんから、前年にトルコを旅した時の傑作な話を聞いた。
旅仲間の老夫婦が、朝から自由行動で散策していると、現地のトルコ人から日本語で声を掛けられた。「私たちトルコ人、日本人大好き。良かったら、うちに来てチャイ(お茶)でもいかが?」、と。「トルコは世界でも一番親日的な国であることは聞いているし、一般家庭を訪問できるなんて有り難い」、と老夫婦はお誘いを受けることにしたという。
着いてみると、それはそれは親切に温かくもてなしてくれて、とても楽しいひと時を過ごし、「さあ、そろそろお暇を」、と思っていると、「うちはトルコ絨毯を作っています。もし良かったら見るだけ見ていきませんか」、と言われ、「親切も受けているし少しくらいなら」、と工場に案内してもらったとか。そこで、言葉巧みに勧められたのが50万の絨毯。「持って帰れない」、と言うと、「日本まで送る」、と言われ、「カネを持ってない」、と言うと、「カードも使える」、と言われる。仕方なく購入するハメに。
だが、悲劇はそこで終わらない。そこを出て、再び街を散策していると、やはり日本語で声を掛けられた。「一日に2度もあんな目には合わないだろう」、と、流暢な日本語の主に付いて行くと、そこも「絨毯屋」であった。そこでも、50万円の絨毯を「お買い上げ」、となった。トルコ人が好きなのは、「日本人」ではなく、「日本円」だったのだ。
この話を聞いて社長が言うには、「いやあ、人間、騙される人は決まっていて、何度も引っ掛かるモンなんだよ」、とのこと。たしかにそうかも知れない。何度騙されても、選挙の度に同じ人や政党に投票するのが日本人だから(苦笑)
その後トルコを旅する機会があったが、日本語での勧誘には一切応じることはなかった。
2004年03月06日
何度裏切られても
うちの社長の「人と成り」については以前にもふれたが、15年もお付き合いしていて未だに分からない部分がある。
かつて自民党の少数派閥の長である某代議士の秘書官を20年も務め、故田中角栄元総理から、目の前に1千万円を積まれて田中派入りを強く勧められたが、「信義に悖(もと)る」と、断ったこともあると聞く。
社長はその昔、知人から「借金の連帯保証人になって欲しい」と頼まれて引き受け、その知人に逃げられたことがある。それが為に、今も毎月、その借金の肩代わりで返済を続けている。
ま、ここまでなら「よくある話」である。
その逃げた知人から、時々、「お金を貸してもらえないか」と連絡がくるそうだ。踏み倒して逃げていながら、である。
私が社長に、「もちろん貸さないですよネ?」と聞くと、
「いやア、貸してやったよ、大した額じゃないし」と言う。
で、「向こうは社長が肩代わりして今も返済していることを知っているんですか?」と、さらに聞くと、
「いや、特には話してないよ。分かっているだろうとは思うけど」とのこと。
「それで、よく、また貸して欲しい、などと連絡してきますね」と呆れると、
「彼だって、逃げたくて逃げてる訳じゃないさ。よっぽど困ってるんだろう。だから、(本来はもう頼めない)僕のところに言ってくるんだろうよ」と、苦笑いしている。
「また頼まれたら、次も貸すんですか?」と、追い討ちをかけると、
事も無げに、「ま、貸すだろうね」と言う。
なんという心の広さだろう。
私は心に誓った。「一生この社長について行こう」・・・・・というのではない。
「おカネを借りるなら、絶対社長から借りよう」、と(爆)
かつて自民党の少数派閥の長である某代議士の秘書官を20年も務め、故田中角栄元総理から、目の前に1千万円を積まれて田中派入りを強く勧められたが、「信義に悖(もと)る」と、断ったこともあると聞く。
社長はその昔、知人から「借金の連帯保証人になって欲しい」と頼まれて引き受け、その知人に逃げられたことがある。それが為に、今も毎月、その借金の肩代わりで返済を続けている。
ま、ここまでなら「よくある話」である。
その逃げた知人から、時々、「お金を貸してもらえないか」と連絡がくるそうだ。踏み倒して逃げていながら、である。
私が社長に、「もちろん貸さないですよネ?」と聞くと、
「いやア、貸してやったよ、大した額じゃないし」と言う。
で、「向こうは社長が肩代わりして今も返済していることを知っているんですか?」と、さらに聞くと、
「いや、特には話してないよ。分かっているだろうとは思うけど」とのこと。
「それで、よく、また貸して欲しい、などと連絡してきますね」と呆れると、
「彼だって、逃げたくて逃げてる訳じゃないさ。よっぽど困ってるんだろう。だから、(本来はもう頼めない)僕のところに言ってくるんだろうよ」と、苦笑いしている。
「また頼まれたら、次も貸すんですか?」と、追い討ちをかけると、
事も無げに、「ま、貸すだろうね」と言う。
なんという心の広さだろう。
私は心に誓った。「一生この社長について行こう」・・・・・というのではない。
「おカネを借りるなら、絶対社長から借りよう」、と(爆)
2004年02月22日
世にも珍しい会社
私の勤めている会社は、世にも珍しい会社、だといえます。
世間の常識とはかけ離れています。
以前、私が勤めていた不動産会社が13年前に倒産をして、私が残務処理をしている時に、今の社長から声をかけられました。「良ければ不動産部を新設してあげるから、やってみないか」と。要は、開業資金を出してあげるよ、と言われたわけです。
普通ならここで、「有り難うございます。よろしくお願いします」と頭を下げるべきところでしょうが、私は違ってました。
「お引き受けしてもいいですけど、2つ条件があります。1つは、私の好きなようにやらせて頂けること。もう1つは、休みは好きなように取らせて頂くこと。それで宜しければお引き受けします」と、逆にこちらから条件を出しました。すると社長は、「ああ、いいよ」と、あっさりOK。「カネは出しても口は出さないでくれ」という要求を呑んでくれたのです。
以前はかなりいい給料を取ってたこともありますが、私自身、もうノルマとか目標に追われることには疲れていました。
だいいち、有給休暇を貰うのにも、数週間も前から上司の顔色窺って順番にハンコを貰って、周りに気を遣いながら、やっと休める、なんて、人間らしい休みとは思えません。朝起きて、雨戸を開けて、「うわーあ、いい天気だなあ、こんな日に仕事してるのはバカらしいなー。よし、休んじゃえ」というのが本当の休み、だと思うのです。それを社長に言うと、「僕もそう思うよ」とのこと。1人で営業しているので、私が休む、即ち、会社が休み、ということになるのですが。
この13年間に「雨戸を開けて」休んだことはまだ有りませんが、頭にきたことがあって、昼前に店を閉めて帰ったことは何回か有ります。そんな時も、社長に「今日はもう帰りますから」と電話すると、「ああ、嫌な客でも来たか。そんな時は早く帰って家族の顔を見るのが一番だよ」と言ってくれます。間違っても、「営業時間は守りなさいよ」などとは言いません。ですからストレスも溜まりません。社長は私の一番の理解者です。有り難いことです。
社長はひと月に一度くらいお店に来ますが、この13年間、ただの一度も社長から「ちょっと台帳を見せてごらん」と言われたことはありません。言われないから見せてもいません。「出資してるんだから、儲かったなら僕に少しはよこしなさい」とも言ってきません。それどころか、「儲かったら全部取っても構わないよ。その代わり、ここから先は苦しくても助けを求めてくるなよ」とさえ言ってくれます。もちろん承知していますが、それにしても驚くべき経済観念です(爆)。
たまに副収入(家主さんからのお小遣い等)があった時に、「社長、臨時収入があったんでメシ奢りますよ」とご馳走すると、それだけで喜んでくれます。
その会社に社員が永く居つくかどうかは、他所の会社と比べて給料がいくら高いとか低いとかいうことでは決まりません。上に立つものが、部下の苦労や努力をいかに理解してくれているか、とか、部下が仕事をしやすいようにいかに配慮をしてくれるか、に尽きると思います。結果だけ見てガミガミ言ったり、部下の手柄を横取りする、なんて上司は腐るほど見てきました。私は転職13回です。学校を出て、最初の会社に5年、次いで6年、今の会社に13年ですが、その間の10年間に転職11回です。ホント、目まぐるしく変わりました。ですが、その甲斐あってか、ようやく「この人にならついて行ける」という人に出会えた思いです。
社長はこんなことを言います。「人間、遊び心を持って仕事をしないと良い仕事はできないものさ。ふだん遊び心を持って良い仕事をしている人のところに大きな仕事が舞い込んで、気合を入れて遊び心抜きで100%の仕事をすると、つまらない結果しか出ないことがよくあるもの。ま、常に80パーセントくらいの力で仕事するのが一番だよ」と。
社長、申し訳ありませんが、私は80パーセントが「遊び心」です(爆)
さて、私がうちの会社を、「世にも珍しい会社」、というのにはもう1つ訳があります。
うちの「春闘」は、世の中と全く逆だからです。
ふつう春闘は、労働側が「もっと出せ」、経営側は「そんなに出せない」という攻防のハズです。
うちの会社は、私の給料は私が決められるということもあって、社長が私に、「もう少し給料持っていきなさいよ」と言い、私は「いえ、いいですよ。これくらいあれば何とか生活できますから」と辞退しています。社長は私の半分も給料を取っていません。私はそれを知っていますから(笑)
私は40歳を過ぎた頃から、「分相応」と「足りるを知る」をモットーに生きています。
それを教えてくれたのも社長かも知れません。
私は今、公私とも、とても充足しています。
世間の常識とはかけ離れています。
以前、私が勤めていた不動産会社が13年前に倒産をして、私が残務処理をしている時に、今の社長から声をかけられました。「良ければ不動産部を新設してあげるから、やってみないか」と。要は、開業資金を出してあげるよ、と言われたわけです。
普通ならここで、「有り難うございます。よろしくお願いします」と頭を下げるべきところでしょうが、私は違ってました。
「お引き受けしてもいいですけど、2つ条件があります。1つは、私の好きなようにやらせて頂けること。もう1つは、休みは好きなように取らせて頂くこと。それで宜しければお引き受けします」と、逆にこちらから条件を出しました。すると社長は、「ああ、いいよ」と、あっさりOK。「カネは出しても口は出さないでくれ」という要求を呑んでくれたのです。
以前はかなりいい給料を取ってたこともありますが、私自身、もうノルマとか目標に追われることには疲れていました。
だいいち、有給休暇を貰うのにも、数週間も前から上司の顔色窺って順番にハンコを貰って、周りに気を遣いながら、やっと休める、なんて、人間らしい休みとは思えません。朝起きて、雨戸を開けて、「うわーあ、いい天気だなあ、こんな日に仕事してるのはバカらしいなー。よし、休んじゃえ」というのが本当の休み、だと思うのです。それを社長に言うと、「僕もそう思うよ」とのこと。1人で営業しているので、私が休む、即ち、会社が休み、ということになるのですが。
この13年間に「雨戸を開けて」休んだことはまだ有りませんが、頭にきたことがあって、昼前に店を閉めて帰ったことは何回か有ります。そんな時も、社長に「今日はもう帰りますから」と電話すると、「ああ、嫌な客でも来たか。そんな時は早く帰って家族の顔を見るのが一番だよ」と言ってくれます。間違っても、「営業時間は守りなさいよ」などとは言いません。ですからストレスも溜まりません。社長は私の一番の理解者です。有り難いことです。
社長はひと月に一度くらいお店に来ますが、この13年間、ただの一度も社長から「ちょっと台帳を見せてごらん」と言われたことはありません。言われないから見せてもいません。「出資してるんだから、儲かったなら僕に少しはよこしなさい」とも言ってきません。それどころか、「儲かったら全部取っても構わないよ。その代わり、ここから先は苦しくても助けを求めてくるなよ」とさえ言ってくれます。もちろん承知していますが、それにしても驚くべき経済観念です(爆)。
たまに副収入(家主さんからのお小遣い等)があった時に、「社長、臨時収入があったんでメシ奢りますよ」とご馳走すると、それだけで喜んでくれます。
その会社に社員が永く居つくかどうかは、他所の会社と比べて給料がいくら高いとか低いとかいうことでは決まりません。上に立つものが、部下の苦労や努力をいかに理解してくれているか、とか、部下が仕事をしやすいようにいかに配慮をしてくれるか、に尽きると思います。結果だけ見てガミガミ言ったり、部下の手柄を横取りする、なんて上司は腐るほど見てきました。私は転職13回です。学校を出て、最初の会社に5年、次いで6年、今の会社に13年ですが、その間の10年間に転職11回です。ホント、目まぐるしく変わりました。ですが、その甲斐あってか、ようやく「この人にならついて行ける」という人に出会えた思いです。
社長はこんなことを言います。「人間、遊び心を持って仕事をしないと良い仕事はできないものさ。ふだん遊び心を持って良い仕事をしている人のところに大きな仕事が舞い込んで、気合を入れて遊び心抜きで100%の仕事をすると、つまらない結果しか出ないことがよくあるもの。ま、常に80パーセントくらいの力で仕事するのが一番だよ」と。
社長、申し訳ありませんが、私は80パーセントが「遊び心」です(爆)
さて、私がうちの会社を、「世にも珍しい会社」、というのにはもう1つ訳があります。
うちの「春闘」は、世の中と全く逆だからです。
ふつう春闘は、労働側が「もっと出せ」、経営側は「そんなに出せない」という攻防のハズです。
うちの会社は、私の給料は私が決められるということもあって、社長が私に、「もう少し給料持っていきなさいよ」と言い、私は「いえ、いいですよ。これくらいあれば何とか生活できますから」と辞退しています。社長は私の半分も給料を取っていません。私はそれを知っていますから(笑)
私は40歳を過ぎた頃から、「分相応」と「足りるを知る」をモットーに生きています。
それを教えてくれたのも社長かも知れません。
私は今、公私とも、とても充足しています。