2023年06月13日

こういうの、苦手な人はスルーして

YouTube の動画を観ていて、どういうワケか右側の帯に、死刑にまつわる動画があったので記事に。関連動画も紹介。好きな人はいないと思うけど、苦手な人は(今日の記事は)スルーしてほしい。私は、会ったことは無いけど、母方の祖父(私の母親の父)が大阪拘置所で刑務官をしていたので感慨深い話。


【死刑囚一覧】現在も収監中の全死刑囚106人を完全解説
刑の確定から20年も執行されない、てことは、税金の無駄遣いの最たるもの。法務大臣は刑の確定から6ヶ月以内に執行命令を出さなければならないが、たまに「死刑否定論者」が法務大臣になって、「私は宗教上の理由などから判は押さない」とか弁明するが、だったら受けるなよ。もしかして時間稼ぎかも。

【女性死刑囚一覧】日本のすべての女性死刑囚17人
どこで人生を狂わせたものか。いい男性に巡り合えなかったからかも。男の死刑囚より同情してしまう。

「まだ未成年だから少年院に行って終わりだろw」→死刑
よく「凶悪犯罪を犯していても、更生の機会を与えるべき」などと言う「お花畑」の人がいるけど、被害者はその先の人生を無残にも奪われている。それで「加害者に更生の機会を」と言う奴がいるのが不思議だ。ハッキリ言って、何年少年院や刑務所に入っていても、そいつらが更生することは無いだろう。断言する。

【まずは、よし】オウム元死刑囚13人の最期
後で判ったことだが、うちの入居者にもオウムの信者がいた。普通にイイ人だったよ、今思えば怖い話。

【指名手配犯一覧】現在も逃亡を続けている重要指名手配犯13人
うちの店にも凶悪指名手配犯の一覧の写真が貼ってある。よく、同業者の店頭にも貼ってあったりする。

死刑囚が死刑執行されるまでの73分間をマンガにした
死刑執行は受刑者には当日の朝知らせるとか。あまり早く知らせると、執行までの間に取り乱して暴れたり自殺する可能性があるから、とのこと。毎朝、廊下の足音で「いよいよお迎えが来たか」と怖い思いをしたり、隣の奴にお迎えが来たなら生きた心地がしないだろうな、それも刑罰のうちの一つ、だとは思う。

死刑囚50人が執行直前に残した最後の言葉

でね、私は、死刑囚を獄中で病死させてはならない、と思う。あくまで死刑執行で死ななければ死刑判決の意味がないし被害者は浮かばれない。死刑囚でも病気になったら手厚く治療してもらえるんだよね。またぞろ「人権があ!」と騒ぐ奴もいるだろうけど、死刑囚を治療するのは無意味。刑の執行をすれば良い。

死刑執行の刑場を初公開 千葉法務大臣の指示
こういうのは学校教育の一環として中学生に、刑の執行の場面でなく刑場の様子を「殺人などの凶悪犯罪を犯せば絞首刑になる」と見せてやればいい。トラウマになる生徒もいるだろうけど少しは抑止力になるかも。よく「人を殺せば死刑になれると思った」などと言って無差別殺人をする輩がいるが、そんなの、死にたけりゃ自殺すればいいだけのこと。無関係の人間を巻き込むのが大間違い、だと思う ( `ー´)ノ


これは、日本でなく中国の話、

【閲覧注意】恐怖!人生最後の直前を収めた衝撃写真。美人中国人達に世界が震えた【衝撃】

中国は年間の死刑執行数が世界一多い国。日本でなら懲役3年くらいの罪状でも死刑になるのが怖い。

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2021年01月05日

拡散希望、とのことでご協力、もちろん私も概ね同感

川内時男先生の活動報告(基)
(元徳島県公立中学校校長)

75、教育は学者の専有物ではない(拡散希望)
これまでジェンダーフリーのカルトぶりを述べてきましたが、
一体全体、なぜこんなグロテスクな考えに社会がなびいたのでしょう。
それは多くの国民が男女平等と男女共同参画とジェンダーフリーの
三者を明確に区別していなかったからではないかと思います。
当初「ジェンダーフリー」という耳慣れない言葉に出会ったとき、
多くの人達はこれを「男女平等の延長」くらいに思っていたのでしょう。
そして「何であれ平等ならいいことだ」と安易に受け入れたのではないでしょうか。
男女平等は誰が何と言おうと絶対に正しいものです。男女共同参画の考えは少々行き過ぎもありますが
概ね正しいと言えましょう。
しかしジェンダーフリーは科学を無視したカルトであり、絶対に教育現場に持ち込んではいけないのです。
カルトめいた考えを信じると、正常な感覚が麻痺し、異常な教育が平然と行われるようになります。
かつて問題にされた過激な性教育もその一つです。小学生も高学年ともなればそれなりに性教育も必要でしょう。
しかしセックス人形を使って、男女が交わっている部分を露骨に見せる必要がどこにあるのでしょう。
ジェンダーフリーの考えがどういう屁理屈で過激な性教育に結びつくのか知りませんが、
こうした常識外れの教育を見過ごすわけにはいきません。
ここで大事な話をします。それは教育関係者の学校教育に対する姿勢についてです。
得てして教育界の人、特に教育学者達は学校教育を自分たちの独占的領域と考え、
自分たちが思うように進めてよいと考えているようです。しかしこれは大きな間違いであり、思い上がりです。
学校教育は大多数の親の願いに沿っていなければいけないのです。
それを理解するには学校のそもそもの発生起源を知らなくてはなりません。
人類が動物を獲って生活していた原始の時代は、
親が子供に狩りの道具の作り方や獲物の捕り方、村の決まりなどを教えていましたが、
社会の進化・発展とともに教える内容が膨大になりますと親の手に余るようになり、
江戸時代には豊富な知識を持った寺子屋のお師匠様が親に成り代わって子供に教えるようになりました。
その後明治期になって教育制度が整えられ、現代のような学校教育になりました。
しかし教育制度がどう変わろうとも「親に成り代わって学校が子供を教育する」という原点は変わりません。
つまり学校教育は多くの親の願いに沿っていなければいけないのです。
こういう視点に立てば、過激な性教育もジェンダーフリー教育も、そして「ゆとり教育」もあり得ない話です。
教育関係者は今一度親や国民の願いを真摯に受け止め、それを踏まえた教育をしなければなりません。
教育は学者の専有物ではなく、また机上の空論を弄ぶ玩具でもないのです。
とは言っても国の未来を見据えた国家戦略も必要ですから無制限に親の希望に添うことは出来ませんが・・・。
 最後に男女共同参画についてひとつ・・・
よく耳にすることですが、ある特定の職業について「女性の割合が少ない、欧米では○%が女性なのに我が国では」と
批判していることです。なんと馬鹿なことを!それぞれの国にはお国柄(国民性)があります。
自己主張の強い欧米の女性と違い、日本女性は目立ちたがらず、万事控えめに生きることを好みます。
そう言う国民性を無視して、なぜ欧米基準に合わせる必要があるのでしょう。欧米は欧米、日本は日本なのです。


(改行もせず、原文のまま)


男女平等は誰が何と言おうと絶対に正しいものです。男女共同参画の考えは少々行き過ぎもありますが
概ね正しいと言えましょう。


ここだけは私と違う考え方。私は「男女平等にするのが間違い」、と思っている。世の中、完全な男女平等が実現したならもの凄く不公平な社会になってしまう。平等と公平は似ていて非なるもの。

10人の子供がいて、パンを同じ量で分け与えるのが平等。満腹の子や腹ペコの子の度合いに応じて分け与えるのが公平。もっとも、どうして満腹の子と腹ペコの子がいるか考える必要があるけど。

ジェンダーフリーに関しては、私は「気違いの思想」と思っているので激しく同意。男は男らしく、女は女らしく、で当たり前。体のつくりが違っていれば社会の中での役割も違っていて当然だし。

(割合としては女のほうが多いだろうけど)ジェンダーフリーを唱える男たち、自分のおチ〇チンと金〇マを切り落としてから主張しろよ、と言いたい。人間は雌雄両性にはならないしなれない。男女の違いを認めたうえで、平等ではなく、公平性を求めるのなら正しいのだが。私なんか、夫が育児休暇を取る、なんてのも「子供の将来にとって良くない」と思っている。男は母親にならなくていい。

「企業における女性管理職の割合が」とか「閣僚に占める女性の割合が」なんてナンセンス。有能で適任と思われる女性がいたら起用すればいいだけのこと。割合を目標にする・・・、アホだと思う。


posted by poohpapa at 06:44| Comment(6) | 日記・コラム・つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月13日

昨日、異常に増えたアクセス数・・・

昨日、いつになくアクセス数が伸びていて、「なんでだろう・・・」と思っていたら、この記事だった。

和田京子不動産のHPの誤り再び

およそ2年半前の記事である。向こうに何かあったのかなあ・・・。

posted by poohpapa at 04:28| Comment(6) | 日記・コラム・つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月09日

「晴れ着のフチ子」のオークションの結果・・・

先日ご紹介していたヤフオクの、

「おせちのフチ子と羽子板のフチ子」イオンのおせちとコラボ!

昨晩21時33分に終了しましたが、その落札価格は・・・・・、




29,000円でした。

フチ子が2体付いた「おせち」の価格が15000円(税別)なので、

結果論ですが、おせちを2個購入して、1個は自分ちで食べて1個は(おせち本体を)誰かにあげて、フチ子一組をオークションで売っても、自己負担僅少で手元にフチ子が残る、くらいの話ですね。

出品者さんはホクホクでしょうけど、真似したいとは思わないですね。来年はズッコケそうですから。


posted by poohpapa at 05:39| Comment(2) | 日記・コラム・つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月10日

これはディズニーランド側に一票

いろいろ書きたいことがあり過ぎて、アップが遅れて鮮度が落ちてしまったニュースから、

先日、ある俳優が(自分の持っていたチケットで)ディズニーランドに入れなかったことで怒りに任せてブログで批判記事を書いていました。顔写真を見る限り、チャラい感じで、お友達にはなりたくないタイプ。そういう先入観で人を見てはいけないんでしょうけど、どっちの言い分が正しいのか読まなくても分かるくらいの話。

古い話題なので、既にご覧になった方も多いかと思いますが、そのブログの記事がこちら、

ディズニー、むかついた

そもそも私は、誰かに対して「むかつく」などと表現する傲慢な若者が大嫌いです。

例によって、Amebaブログなもので、管理人にとって否定的なコメントは弾かれているようで、寄せられたコメントは、ほぼ管理人を擁護する内容。ま、自作自演でないだけマシ、という程度かと・・・。

我々の商売でもそうですが、全部のお客様に喜ばれる、感謝される、ということは望むべくもありません。私のことを蛇蝎のごとく嫌っているお客様も一定の割合、たぶん1%もいないとは思いますが・・・、それでもいます。感謝してくださっている人はそれ以上にいるでしょう。ただし、何とも思っていない人が大半かな。そんなものです。なので、一つの事柄だけで判断してしまうのはどうかと思いますが、私の心象としては、「この男の我儘以外の何物でもない」という感じ。

既に語り尽くされているので追い討ちの批判は控えますが、一方で、こんな感動的な動画が・・・、

ディズニーランド ある1人のスタッフが突然、泣き崩れた壮絶な理由

こういう動画を「どうせ作り話だろ」と冷めて言う人はけっこう多いと思いますが、作り話だとしてもいいじゃないですか。こういうことは「夢とおとぎの国」では日常的に起きているのですから。

ディズニーランドのスタッフは一人一人が「自分がゲストの為にして差し上げられることは何か」ということを常に意識しているプロ集団で、それもリピーターが絶えない理由になっています。あの3.11の際も、公共交通機関がストップして帰宅できなくなってしまったゲストに対する神対応が話題になっていましたが、スタッフの皆さんはゲストの為に本当によく頑張っていると思います。

なので、本題の話、私は「ディズニーランド側に一票」、ですね。

posted by poohpapa at 05:58| Comment(14) | 日記・コラム・つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月09日

良い子は絶対に真似しないでください(^^ゞ

ずっと以前テレビ番組で、どこかの会社のOLが、嫌いな上司にお茶を出す際、湯飲みに雑巾の絞り汁を入れていた、というのをやっていた。韓国のキムチ工場では、日本に出荷されるキムチの製造過程で女子工員が唾液を混ぜていた。こういうのは被害者が不特定だったり本人が知らないだけで、どこのレストランなどでも有り得る話だ。ま、疑ったらキリないが、誰に対しても感じ良くしなければ、いつどこで自分が報復の対象になるか知れたものではない(^^ゞ


そういえば、子供の頃、親父からこんな話を聞いた。

海軍時代、いばりくさって何かと言えば鉄拳制裁をしていた上官の食事に、親父が炊事(配膳)当番の時には時折フケを入れて出していたとか。フケは、おかずにふり掛けてもまず気付かれることはないし証拠も残らない。食べ終わった後、数時間して強烈な下痢に襲われるが、原因や犯人が特定できないし症状が出るのは一人だけだから、いくら「連帯責任」といっても当番の全員に罰を与えることもできない。だいいち、けつバットしようにも当人がのたうち回っている。

科学的な根拠は不明だが、親父の話では「強烈に効く」そうだ。

親父は私が小さい時、食事中に頭をボリボリ掻くのを見て経験談を話して注意してくれたのだが、「フケは効くぞ〜、しかも気付かれないし証拠も残らん。いつかやってみな」とも言っていて、私も機会があればいつか試してみよう、とは思っている(ホント)

残念ながらまだ試してはいないが、試したい対象人物は・・・、



何人か、いるわーい(嬉しい顔)



 いちおう用語解説

けつバット」・・・四つん這いの姿勢でお尻を上げさせて棍棒でバットを振るように思い切りお尻を打つこと。軍隊での体罰の一種。連帯責任の際は、兵隊を並べておいて順番に打っていた。

親父(上等兵)は上官の命令で、主に「けつバット」をする側にいて、刺青をしているヤクザや、ふだんから態度の悪い奴は思い切り、仲のいい人は、思い切り打つと見せかけて軽く当てていたとか。
posted by poohpapa at 05:00| Comment(3) | 日記・コラム・つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月09日

助かってくれて良かった

nniさんのサイトから飛んでいった「BARATIE」さんの記事で、

事故で両脚と尾っぽを切断した子猫が助かり、引き取り手も見つかったとのことだった。そのこと自体は凄く嬉しいのだが・・・、

2ヶ月前に亡くなったミューのことを思い出して胸が苦しくなった。

せめてあと三日早く発見されていたならミューも助かっただろうに、何もしてやれなかったことが今さらながら悔やまれる。

ミューの分まで長生きして欲しい、と心から願っている。
posted by poohpapa at 04:02| Comment(0) | 日記・コラム・つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月23日

「恋泥棒」

昨日の「四字熟語メーカー」で私のイメージは「初恋泥棒」と出たが、それで「恋泥棒」というタイトルのストーリーを考えた。


間もなく30歳を迎えようとしていたある男がいた。周りの女性からの恋愛相談に乗ってはその女性の興味を自分に向けさせ、ついには必ず落として喜んでいた。男は「女は遊びの道具」「振った数こそが勲章」くらいにしか思っていない。

男は相当なナルシストで、今日も馴染みのバーで飲んでいて、ふと見るとカウンターの端に座り、独りでグラスを傾ける女がいた。

近寄っていって、「どうしたの?、忘れてしまいたい過去でもあるのかなあ。僕でよければ話くらい聞くよ」、と男は優しく声を掛ける。

女は最初は無視していたが、やがて身の上をゆっくり語り始める。

今、好きな人がいて、彼は別の人を愛していて、それでもいろいろ尽くしてきたのだが、どうにもならないのが解かっていて苦しんでいる、と言う。男にとっては「楽なパターン」のハズだった。

いつものように巧妙に興味を自分に向けさせようとするのだが、彼女の思いは一途で、男は逆に、彼女に興味を持つことになる。話せば話すほど、彼女の「ひたむきさ」に魅かれていってしまうのだった。

数日後、再び同じ店で会う約束をしてその日は別れるが、「一切の損得も無く惚れた男に尽くそうとする」彼女の姿には、今までに出会ったどの女とも違う新鮮さがあった。

男にとっては初めて「もう遊びはやめて真剣に付き合いたい」と思えた女が出現したのだが、実は女のほうが一枚も二枚も上手だった。それは巧妙に仕組まれたワナだったのだ。

彼女は、過去に男に相談を持ちかけオモチャにされて捨てられ女の友人で、友だち数人と「男が私に夢中になって、私のほうから捨てたら100万円」という賭けをしていた。事前に男の周辺を綿密に調べ上げてから行動し、案の定、男は餌に喰らい付いてきたのだが・・・、

やがて彼女にも微妙に心の変化が訪れる。今まで遊び一辺倒だった男が、自分を真剣に愛し始めたことを感じ、次第に悩み始める。

だが自分が本気になってしまえば賭けに負けることになる。友情と恋愛感情と金銭勘定が複雑に絡み合って、恋の行方は在らぬ方向へ進展していく。

果たして、その結末は・・・(内緒^_^;)




 このドラマはフィクションで、実在の人物とは関係ありませんわーい(嬉しい顔)


後で思ったんだけど、タイトルとストーリーに関連性がないなあ。
ま、いっか(*^^)v


posted by poohpapa at 03:16| Comment(14) | 日記・コラム・つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月21日

メッチャ三隣亡な一日、昨日の話

まあ、年のうち何日かはこういう日もある、というお話。

お昼前に、お客さんとランチを楽しむべく、お目当てのレストランに行ってみると臨時休業になっていて、急遽別の店を探すことに。

夕方、お店から車で1時間くらいの貸家の「引越しの立会い」の予定が入っていて、時間だけが正確に決まってなかったので、「荷物が全部出た頃伺うので、引越し業者が到着したらだいたいの終了時間を聞いて連絡をください。その頃伺いますから」と言ってあって、3時過ぎても連絡が無いのでこちらから電話すると、「ああ、電話しなくちゃと思ってたんですけど、すみませんね。5時くらいなら終わってると思うんでその頃来てください」とのこと。言われたとおり5時に行ってみると、ヤマトの楽々パックで荷造りの真っ最中。家具も何一つ出てない状態。だからあれほど念押ししたのに(怒)

「どうしましょう?」と聞かれたけど、それはこっちが聞きたい!
待っていてもいつ終わるとも知れないので後日出直すことにした。
同じ市内ならどうってことないけど、「私がどこから来るのか知ってるでしょ?ちゃんとまた見に来なければ家主さんから無責任と言われるのはこっちなんですよ!」と口まで出掛かっていたけど言葉を飲み込んだ。作業が終わったのは夜8時過ぎだったようだ。

その立会いで近所まで行くことになるから、と、先日の「約束したリフォーム代の追加負担を踏み倒している北朝鮮国籍の連帯保証人(母親)」を、申込書に書かれていた住所を頼りに訪ねて警告書を直接渡そうと行ってみると、該当する建物が無かった。申込書に書かれていた部屋番号は512号となっていて、その住所番地には4階建ての建物しか無いのだ。会社に戻って調べてみると、申込書は8番地となっていて契約書には18番地とある。単なる書き間違いかも知れないが、ふつう自分の住所は間違わんだろ!

で、店に帰ると郵便受けに、先日、自宅リフォームの為の「短期借り」で申し込みを入れていた70歳の男性から、「よく考えたら使い勝手が悪いから、申し込みは白紙に戻します」とのメモ。物件を案内した時、「何とか家主さんに短期で貸してくれるよう頼んでもらえませんか」と言っていたのは何処のどなたでしたっけ?
「白紙に戻します」ではなく、「戻して頂けませんか?」だろ!

そして夜、中学時代の恩師に「ODAの定義」を教えてもらおうと電話すると、「そういやあ、こないだ中学の同窓会があって珍しいのがいっぱい来とったぞ。おまえのことをNが『○○はズルい』と言っとったぞ」、と楽しそうに言う。Nというのは小学校から高校まで一緒だった同級生(親友)で、私の離婚に関してNの奥さんから事実と違う話を聞かされてその通り信じ込んでいる奴である。私にNから電話があった時、「○○ちゃん、ずいぶん酷いことをするね。全部(財産を)持って出ちゃったんだって?」と言われたことがあって、事実は全く逆だから、ちゃんと説明したら「ああ、そう」と言っていたので分かってくれたものだと思っていた。私が全部持って家を出た、とNに伝えた人物はNの奥さんしかいない。私からすれば、このNの奥さんが私を悪者に仕立てるのには訳があるのだが、それはまた別の機会に。

で、恩師に、「冗談じゃない!先生だって知っとるだらあ。俺は家を出る時に全部置いてきたがん。Nは優秀だったで、アイツがそう言やあ皆んな信じるが。だいたいNは口が軽くてかんワ」と言うと、
「言わしときゃええが。信じたい奴には信じさせときゃええ」

そりゃね、他人事だからそんなことが言えんのよ。人は皆、最初に聞いた一方の言い分だけで判断してしまうことが往々にしてあるし、「もう一方の言い分を聞いてから判断しよう」とはしないものだ。

でも、てことは、先生は私のことを信じてくれてんのかな・・・。

Nの奥さんについては以前も少し触れたことがあるが、いつか詳しく書いておきたいと思っている。彼女は「実際には自分こそが加害者なのに、事が発覚した時には、自分こそが被害者であって、こんなに傷付いている」と周りに信じ込ませるテクニックに長けている女である。Nもおそらく分かっているんだろう。そのテの人間は男女を問わず私たちの周りにけっこういるし、直接的に何か言われたり攻撃されるより辛いものだ。直接なら反論も出来るのだから。だいいち、こそこそやられると、どこまで広がっているのかが見えない。

Nには毎年年賀状を送っているがNからは3年前から来なくなっている。たぶん、取り仕切っている奥さんが「○○ちゃんには出したくない」と言っていて、Nが「別にいいんじゃない、あなたの好きにすれば」くらいに言っているのだろう。私はNには死ぬまで年賀状を出し続けるつもりでいる。私からの年賀状を見る度に、Nの奥さんが「憂鬱な思い」をするのが分かっているから、である。だからと言って、「もう出さないでくれ」とも言ってこれないだろう。Nは奥さんのそんな様子を楽しんで見ている人物である。私からの年賀状が届かなくなったら、きっと寂しがるに違いない。男の友情は、何とも複雑なものである(笑)

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2004年06月30日

歩道を走る自転車

私の町は歩道の幅が広く、3mくらいはあるので、自転車が車道を走らずに歩道を走行している。これは、法規違反である。本来、自転車は車道を走らなければならないものだ。たとえ、歩道に「自転車走行可」の標識が出ていたとしても、少なくとも歩道では「歩行者優先」のハズである。しかし誰もルールを守ってはいない。巡査でさえ、である。

歩道は、歩行者だけでなく、ベビーカーも車椅子の人も、老人も通る。なのに、ふつうの速度で走っているから、歩いていてヒヤッとすることもしばしばある。

先日、商店街の歩道で、若い女性が乗った自転車が猛スピードでこっちに突っ込んできた。50mくらい先から見えていて、「このままでは必ず事故になる」、と感じたので、私はある覚悟を決めた。避(よ)けないことにしたのだ。商店街の歩道は横から直角にたくさんの路地と繋がっていて、路地から出てくる歩行者や自転車と、歩道走行の自転車がぶつかりそうになることは年中である。にも拘わらず、もしそのままのスピードで突っ切っていったらどうなるか・・・、
全く関係のない人が巻き添えになって怪我をするのは目に見えている。

私は丁度歩道の道幅中央よりやや右を歩いていて、向こうから突っ込んでくる自転車も同じラインを走っている。当然、どちらかが避けなければぶつかってしまう。だが、私は「自分が怪我をしてもかまわない」と思っていた。骨折しても、何針縫っても、向こうに責任を取らせればよいだけのこと、と考えていた。

人間、おかしなもので、そう覚悟していても別の考えが頭を過(よ)ぎったりする。
「このままいけば、あのタイヤはマトモに俺のポコチンに当たるだろう。将来的にまだ使うこともあるかも知れないから瞬間的に少しだけ左右に避けよう」、と真剣に考えていた。

自転車は5mくらい手前に来ても、全くスピードを落とす気配がない。私の右側には別の歩行者が並んでいた。「あ、ホントにぶつかる!」、と思った瞬間、自転車は転倒した。
向こうは「いつもどおり歩行者が避けるもの」、と決め込んでいて、それが全く避けなかったものだから慌てて急ブレーキをかけて転倒してしまったのだ。
乗っていた女性は、「痛ーい・・・」、と言ったきり、しばらく動けなかった。私が、「大丈夫?」、と声をかけると、もの凄い形相で私を睨みつけて、「大丈夫ですッ!」、と吐き捨てた。仕方がないので、ニコっと微笑みかけてやった。

彼女からすれば、「アンタが避けさえすれば、こんな目に合わなくてすんだんだ!このクソ親父!こっちは急いでたんだ!」、と言いたい気持ちだろう。だが、それは大変な心得違いである。今回は、たまたま他人様に怪我を負わすことなく自分が転倒しただけで済んだが、あのまま商店街を駆け抜けていて事故に遭わなかったとしたら、まさに「奇跡」である。もし、そのまま私とぶつかっていたら私が大怪我をしていたのは確実で、リスクを冒してまで彼女に大切なことを教えたのだから、感謝できないまでも睨みつけるのは如何なものか・・・。と言っても、転んだ彼女に理解できるハズもないが(爆)

「自転車は車道を走る」、と分かっていても歩道を走るのには、車道に駐停車中の車両が邪魔で走りにくい、ということも影響しているのだろうが、自分が加害者になった時のことをよくよく考えて、ルールを守って欲しい、と思う。

私は、車の「シートベルト着用義務違反」を取り締まるくらいなら、自転車の「歩道走行」や「無灯火」を厳しく取り締まってもらいたいもの、と、いつも思っている。
間違いなく、自転車はちっとも「弱者」なんかではない。充分「凶器」になり得るのだ。
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2004年06月28日

若くして癌で逝かれた奥様

30歳という若さで逝かれた奥様がいらっしゃいました。

元々のご病気は「子宮ガン」でした。専門医の診察を受けた時には既にリンパ節にも転移していて、もはや手遅れの状態だったとのことで、ご夫妻には子供はなく、逆にその分、「この世への未練や気掛かりが少なくて良かった」、と言えるかも知れません。

入居していたアパートは、家主さんの戸建住宅にくっついた上下一世帯の2DKの2階の部屋で、リフォームの仕事をしていたご主人との夫婦仲も睦まじく、亡くなられたから言うのではなく本当に素敵な奥様でした。誰とでも友達になれてしまうような気さくな方で、お友達の部屋探しを何人も紹介して頂き、案内にも同行してくださったりしました。

で、婦人科のご病気ですし、奥様からすれば知られたくないことでしょうから、家主さんと相談のうえ、私は最期まで知らないことになっていました。実は、ご主人から家主さんに話があって、家主さんからすぐ私にも詳細の連絡がありました。何でも、ずっと以前から夫婦の睦み事の後、決まってオリモノがあったとかで、気にはなったけど放っておいたのだとか。すぐ医者に掛かっていれば、と本当に悔やまれます。

医師から「命の期限」を切られていましたが、私も、「少しでも長く生きて欲しい」と願っていたので、新聞や雑誌で、「癌にはこの食事」なんて記事を見つけたり、癌に効くという健康補助食品を手に入れると、家主さんにお送りして、家主さんから、ということでお隣に届けてもらいました。私はあくまで「知らない話」ですから。

そのうち、家主さんから電話を頂きました。「ここのところ小康状態なので、2人でハワイに行くそうですよ」、とのこと。もちろん、最後の旅行になるであろうことは皆んな分かっていました。本当に良い想い出になったようです。

しばらくして、更新の連絡もあって電話をすると、奥様が出られたのですが、声もカスレていて話の途中で咳が止まらず、どうやら肺にも転移しているようでした。家主さんのお話では、「最近はお部屋にいても、誰が訪ねても応対に出てこないのですよ」、とのこと。女性だから、病気でやつれた姿を見られたくない、という当たり前の心情だったのでしょう。私は「知らない」ことにしていたので、「お風邪ですか?」と聞くと、「そうなんですよ、聞き取りにくいでしょう。ごめんなさい」、と仰っていました。

それから半年ほどして奥様はお亡くなりになり、告別式にも参列させて頂きました。
その後、1年以上ご主人もそのアパートに入居していましたが、退去することに。
きっと、奥様との思い出の部屋に1人で暮らすのは辛かったのでしょう・・・。




いいや、とんでもない!新しい女とその部屋で暮らすのが嫌だっただけのことだ。
で・・・・・・・、ここから、その旦那と私のバトルが始まる(爆)

バレバレではあったが内緒で、しかも無許可で猫数匹を飼っていながら、「敷金はどれだけ戻してもらえるのか」、「いつ戻してもらえるのか」、「何年も入っていたのだからリフォームの負担は無いだろう」、との質問の山。腹の中は分かっている。「新しい女との新婚生活の資金を少しでも確保したい」のだ。「バカヤロー!」、である。

たしかに、ご主人もまだ若いし、いい人がいれば再婚するのもかまわない。
だが、家主さんだっていろいろ気遣ってくれていたではないか。しかも内緒で猫まで飼って荒らしていて、それでいて「敷金は全部返してくれるのか」、はないだろう。私が家主さん経由で送った「健康食品」や「本」の話が、喉まで出かかっていた(苦笑)

このご主人、以前はそんなことを言うような人ではなかった。今度結婚するという「女」がそう言わせているのだろう。私は亡くなった奥様をよく存じ上げているだけに辛かった。奥様以上の女性を望むのは無理としても、せめて同等くらいの女性は探して欲しい。でなければ、亡くなられた奥様も浮かばれない。

私はきっちりリフォーム代を請求してやった。もちろん、奥様への弔いの意味も込めて。
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2004年06月04日

日本一美しい女性

武原はん
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2004年03月22日

2004年03月19日

男のピアス

交通事故の示談
母親
フランス留学からたまたま帰国していた彼氏
眉にピアス
プロ野球の選手のネックレス
古い価値観の人間かも
イタリアのナポリの現地ガイドさん
臍出しルックに臍ピアス
夜、しつこそう
不動産屋に来店する時、茶髪金髪は損
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2004年03月08日

ちょっとコーヒーブレイク 2

私は時代劇が好きでテレビでもよく観ている。
子供の頃、近所に、夏の間だけ土曜日の夜10時から「ナイトショー」と称して、安い料金で、ちょっと前の時代劇を一本見せてくれる映画館があった。親父とお袋に手を引かれて家族全員で出かけるのが、釣りと並んで、貧しかった家族の数少ない娯楽になっていた。テレビなど家に無い頃の話で、物心つく前から時代劇に親しんでいたことになる。

だが、子供の頃から疑問に思っていたことがある。主人公が何十人もの敵をバッタバッタと斬り倒すこと、である。いかに名刀と言えども、1本の刀で斬れる人数は実際には数人であると聞いていた。刃の表面に油がのってしまうのと、刃こぼれするからだ。現実は、数人斬ったら、後は「刺し殺す」ことになる。なのにいつまでも斬り続けている。
だいいち、背後に仲間が数人いるのに、仲間が斬られるまで順番待ちしているのは不自然である。そう、悪代官は私と同類だから、ついつい肩入れしてしまう(爆)

それが宮本武蔵でも塚原ト伝でも、私なら2人仲間がいれば必ず倒すことができる。3人が120度の角度で囲み、「1、2の3」で同時に刀を突き出せばいかな達人といえども防ぎ切れるものではない。1人2人は死ぬかもしれないが、どうせ全員が殺されるならやってみる価値はある。もちろん背後の位置は私である、まだ死にたくはないから。

一説によれば、「剣の達人は、致命傷を負わせるほど深くは切らない。腱などを切断して戦意を喪失させるだけで充分。刀の損傷も最小限に防げる」、とのことだ。

ところで、私も若い頃は時代小説など見向きもしなかったが、今は片っ端から読み漁っている。3年前の8月には、山岡荘八氏の「徳川家康」全26巻を、お店で仕事の合間に読破した。400字詰め原稿用紙にして積み上げると、150cmの高さにもなる量だ。いかにヒマな店であるかが分かろうというものだ^_^;

私は時代小説の中でも、池波正太郎氏の作品、特に「鬼平犯科帳」が大好きで何度も読み返している。「鬼平犯科帳」には他の時代劇には無い特徴があるからだ。それは、必ずしも「悪党を斬り殺して終わり」の勧善懲悪ワンパターンではない、ということだ。時として、盗人を捕らえても放してやったり、お目こぼしをしてやることもある。池波正太郎作品に共通したテーマ、それは「厳しさの中にある人の優しさ」であろう。

私は日常的に、「こんなに汚いのは俺だけじゃないか」、「なんて酷い人間性だろう」と自己嫌悪に陥ることがよくあるが、それを救ってくれたのが「鬼平犯科帳」である。その中には、「人間、皆、そんなもの」とか、(以前も書いたが)「人は善いことをしながら悪事を働き、悪事を働きながら善いこともする。そんな生き物なのさ」、という教えが随所にあって、「なるほど・・・」と思わされることの連続である。もちろん、だからといって「何をやっても赦される」などと都合よく解釈している訳ではないが、まさに「鬼平犯科帳」は私にとってのバイブルなのだ。とりわけ、第2巻中の「鈍牛」と、第5巻中の「兇賊」に、人の世の裏表、人情の機微、といった池波小説の真髄が凝縮されている、と言っても過言ではないと思う。「鬼平」ファンに人気作品のアンケートを取ったなら、おそらく「密偵たちの宴」が1位になるだろうが、私ならこの2作品、しいて選ぶなら「鈍牛」かな、と思う。

自己嫌悪でお悩みの方には、私は「鬼平犯科帳」をお読みになることをお薦めしたい。
posted by poohpapa at 07:32| Comment(2) | 日記・コラム・つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年03月03日