2018年09月19日

柊祭見学の為の帰省、その後日談

昨日、母校のN先生からお礼のお電話を頂いた。

N先生は非常勤講師でいらっしゃるとか。「久しぶりに登校したら私宛にお土産を頂いていたそうで・・・」とのこと。私が母校に「資料提供させて頂きたい」旨の連絡を入れてからN先生が窓口になってくださって、終始丁寧に対応して頂いたお礼に定番の東京土産を持参しただけのことなんだけど・・・。ご不在ということで新聞部の顧問のT先生にお預かりして頂いていたのだが、校長先生にもお持ちすれば良かったかなあ、と後悔。まさか校長室に招き入れて頂きお話しすることになるとは思っても見なかった。

他にも、私がよく行く東急ストアのスタッフにそっくりな女性の先生がいて、当日その先生から質問を受けた。やはりとても感じのいい先生で、手に「歴代の生徒会長のリスト」を持っていて、「坂口さんの翌年の前期の生徒会長がいないことになっていますが、何かご存知ではありませんか?」とのこと。

そんなリストがあるんだ・・・、と驚いた。私が知っているのは、一級下の学年は誰も生徒会長選挙に立候補せず、生徒会長不在のまま学校祭が行われた、ということのみ。それで、その場で新聞室の後輩のM君に電話して、「誰かがリーダーシップを取って運営していたのかどうか、資料作りの為に先生方がお知りになりたいみたいだよ」と言うと、詳しく教えてくれた。生徒議会が運営して、というのでもなく、適当にみんなで役割分担して開催したようだ。てことは・・・、生徒会長などいなくても何ら問題ない、学校祭も廻る(開催できる)、ということ。だったら私は何をしていたんだろう・・・、と思ってしまう。

M君から聞いた話をお伝えすると、「そうでしたか、それでスッキリしました」と喜んでくださった。創立100周年の資料作りをしていらっしゃるものか、いつか本になりそうな気配。

M君に電話して、ついでに後輩たちの消息を知ることもできたのだが、中には闘病生活を送っている後輩もいるようで、ちょっと気になっている。この歳になると、健康面でも幸不幸がハッキリ分かれる。

N先生に「次か次の半高新聞に『先輩便り』を書かせて頂けないか顧問のT先生に伺って頂けませんか?、出世した優等生の先輩便りとは逆の劣等生の立場からの先輩便りになりますが」とお願いすると、「では、お伝えしておきます」とのこと。たぶん書かせて頂けることだろう。

と言っても、相手は高校生・・・、得意の下ネタは封印して書かなければ・・・ (^◇^)


                      完了



 さっき、格闘技の山本 KID 氏が41歳で癌で亡くなられたニュースが流れていて、その中で、日本で初めて総合格闘技をプロデュースした実業家榊原信行氏のインタビューが流れていたが、たしか榊原信行氏も半高の出身だったかと・・・。それにしても、まだまだ若い方が亡くなられるのはキツイものがある。



                          完了

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2018年09月18日

半田高校創立100周年記念柊祭訪問記 (8) 最終章・・・、たぶん

そういえば・・・、恩師と食事していた時に、私の「男尊女卑の考え方」の話になって、その時に恩師がボソっと笑いながら仰った・・・。「そんなこと言ってても坂口はフェミニストだから」だと。へえ、他人からはそう見えるんだ・・・、自分ではコテコテの男尊女卑だと思ってるんだけどなあ。

たしかに、買い物に行っても、うちのにはなるだけ荷物は持たせないし、一緒に食事しても余程のことが無ければ女性にはカネを出させないし、最近では女性の友人知人のほうが多くなっちゃってるけど・・・。思えば、私流の男尊女卑の価値観は私の親父から受け継いでいる考え方で・・・、ま、いいや (*^_^*)

夕食が終わり、いったん先生のご自宅まで車で戻り、預かって頂いていた荷物を受け取ってお暇。次に帰省するのはいつになるかなあ・・・。来年か再来年、我々の生徒会執行部(9名)の同窓会を開こう、という話になっているので、その時か。今なら全員揃うが、先送りしていると誰かが欠けてしまう、なんてこともあるかも知れない。もうそういう歳なので早く開催しなければ。幹事は今回一緒に食事したA君とK君、順番で、この二人が次の同窓会の幹事になっていた46年前からストップしている。


その晩の宿は知多半田駅前の「名鉄イン」で、シングル(朝食付き)で込々4301円、安い!

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朝食はバイキング形式、充実している

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最低限のアメニティは備わっている

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部屋の窓からの景色、私がいた頃とは何もかも別の街

安いし、駅に近くて便利だし、清潔だから、次に帰った時も使わせて頂こう。

翌朝、朝一番で朝食を摂り、直ぐにチェックアウトして名鉄で名古屋に向かい、名古屋駅のみどりの窓口で一番早く東京に着く「のぞみ」の指定券を購入。乗車券は立川を出る前に往復で先に買ってあったので指定券のみ。窓口の職員、「3人席の真ん中ならありますが・・・、あとはいっぱいですね・・・。グリーン席なら空いてますが(どうします?)」と言う。たぶん、「じゃ3人席の真ん中で・・・」と言うと思ったんだろうけど、「ああ、グリーンでいいですよ」と言ってサッとJCBのザ・クラスカードを出してやった。こういう瞬間が最高の優越感で一番気持ちいい(器が小さい 💧

グリーン車はガラガラで、東京駅まで隣には誰も来なかった。優雅に車内販売のコーヒーを頂き至福のひと時。そういえば、往きの新幹線、普通車の二人席の窓側で、隣はキレイなお嬢さん。そのお嬢さんも名古屋で降りるなら「すみません」と声を掛けなくて済む。どうかなあ、と様子を窺っていたら・・・、

豊橋駅を通過してから駅弁を広げて食べ始めた。てことは、名古屋で降りる可能性は無くなったことになる。しかも、一口食べてはスマホをいじっている・・・。名古屋駅到着までの15分で食べ終えることは無いだろう。車内販売で買った弁当でなく、東京駅で買ったものと思われるから、いつ食べるかは向こうの勝手だが少しは考えてほしかった。結局、半分くらい食べたところで「すみません」と声を掛けることになったが、テーブルを上げて、飲み物と弁当を持って、というのでは大変。

まさかに、最初に「私は名古屋で降ります」とか「弁当を食べるの名古屋駅を過ぎてからにして頂けますか?」と言うワケにはいかないもの。快く立ってくれたけど次回からは気を付けてほしい。

ところで、柊祭で撮った写真を「せぴあ」の感想文なんかと一緒に半田高校に送ってあげよう、と思っている。一月くらい先になりそうだけど、新聞室の顧問の先生から各部に渡して頂こう。

一泊はしたけど日帰りみたいなもので、でもとても充実した時間を過ごせて幸せだった。

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2018年09月17日

半田高校創立100周年記念柊祭訪問記 (7)

9月9日に柊祭を観るために帰省することを半田中学校時代の恩師に伝えたら、いつになく嬉しそうな声で「おお、いつ(何日に)帰ってくるだ?」と仰って、さらに「(うちに)寄れ寄れ、ええとこ(美味しい店)に連れてったるわ」、さらにさらに「何人で来る?、何人でもええぞ」とのことで、別の高校から大学に進んだMちゃんや、中学が違うA君、それに中学高校とも一緒だったK君、の4人で夕食会をしたところまでは以前の記事で書いているが、その席で衝撃の事実が・・・。

我々の高校時代、1年ごとに校長先生が代っていて、「なんで??」という違和感はあったが、A君が「俺らの後夜祭で、学校がファイヤーストームを許可せんだったもんで、それに抗議する意味で、木で櫓を組んで、発煙筒を焚いただらあ。それが何かに燃え移ったかなんかして大騒動になって、俺たち生徒会執行部が一人ずつ(生徒会の顧問や複数の先生のいる部屋に)呼ばれて、尋問されただらあ。だで、当時の浜島校長は責任を取らされて飛ばされた、と俺は思っとっただ」と言う・・・。

おぼろ気に、「そういえば、そんなことあったかなあ・・・」くらいの記憶。「学校に抗議する意味で、木で櫓を組んで火の代わりに発煙筒を焚く」というのは間違いなく私の発案。だが、それが大問題に発展して執行部員が一人ずつ教師たちに呼び出されて尋問を受けた、という記憶は全く無い。私も呼ばれていたなら、今は痴呆症でも当時のことは覚えているハズ。いや、私みたいな性格だと昔のことほどしっかり覚えているもの。

たしかに、たった1年で他の学校に転任する、というのは不自然。他に何か不祥事があったんだろうか・・・。むしろ、そうであってほしい、と思ってしまう。というのも、浜島校長には恩があった。以前も書いているが、後夜祭が始まったのは定時制の授業が始まる時間で、運動場でドンチャン騒ぎをしていたなら定時制の授業の邪魔になる。だからといって、始まったばかりの後夜祭を打ち切るワケにもいかない。当時の生徒会顧問に掛け合ったなら「ダメだ、即中止しなさい」と言うに決まっている。私は最初から全く信用していなかった。

それで私が浜島校長に「後夜祭を続けられるよう定時制の先生方の了解を取り付けて頂けないでしょうか」と直談判した。もし「ダメに決まっているでしょう」と言われたなら、停学覚悟で「かまわないから続けようぜ」と抵抗するつもりだったが、浜島校長は「では聞いてきましょう」と快く受けてくだり、定時制の先生方の了解を取り付けてくださった。あの決断が無ければ学校祭は後味の悪い終わり方をしていたかも知れない。それなのに我々が原因で1年で他の学校に飛ばされた、経歴に傷を付けてしまったというのでは「恩を仇で返した」のに他ならない。覚えていなかったのも申し訳ない思い。もうご存命ではないと思うが、事実なら謝りたい。

言い訳になるが、当時は「とにかく学校祭を成功させたい」という思いだけで、周りのことがあまりよく見えていなかったんだろう。良くも悪くも、それが「若さ」ということかも。


もう一つ、こちらは面白い話。私が恩師に「Mちゃんは信金を退職して、私と同じで、今は不動産屋にいるよ」と言うと、「なに?、ほうか、だったら、うちの隣りの空き地を買いたいと思っとるで、Mんとこの店で間に入ってくれんか」とのこと。夕食会が一気に商談の場になった瞬間である (*^_^*)

それでMちゃんに、「この話を引き出したのはオレだで、ADを付けさせるか両手数にして、その分はうちにくれや」と言ってやった。私がADに批判的なのはMちゃんも知っている。その私が「かまへんだろう。どこの不動産屋でもやっとることだが」と言ったのだから大爆笑。

もちろん、冗談である。のだが・・・、私が言うと「冗談に聞こえない」のが怖かったりして (ーー;)

苦い思い出と、突然降って湧いた商談・・・、いろいろあるけど故郷は嬉しい。

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2018年09月16日

半田高校創立100周年記念柊祭訪問記 (6)

昨日、「母校の柊祭訪問に関してはとりあえず(4)まででお仕舞い」と書いていたが、一つ思い出したので追加したい。

柊祭の教室での展示を観て廻っていた際、廊下で「あるもの」を売っているのが目についた。文芸部が発行している「せぴあ」という文芸誌で、部員がそれぞれ短編小説なんかを書いたものを纏めて一冊の本にして売っているのだ。値段は200円、税込みである。それだと、どう考えても原価割れしそうだが、それ以上だと売れないか・・・。「せぴあ」は平仮名で、「セピア」ではない。我々がいた頃から、いや、部創設時から変わっていないようだ。それも懐かしかった。

裏表紙をめくると「せぴあ64号」とある。あ、表紙にも「 64」とあったわ。それで年一回、文化祭での発行だと判る。廊下で部員が「せぴあ、如何ですか〜」と大きな声で売り込んでいて、懐かしさもあるし、値段も安いし、たいして荷物にならないから一部お買い上げ。その場でパラパラとめくって読んでみた。

しっかり読んだワケではないが、「若いって素晴らしいな」という感想。水面(みなも)が太陽の光を反射して輝くが如く未成熟の才能がキラキラと輝いている感じ。これからいろんな人生経験を重ねていくと、更に深いテーマと文章表現(心理描写)で、もっと凄い小説が書けるようになりそう (上から目線;汗)

で、なるだけ早く全部を読んで、一つ一つの作品に対して感想を書いて送ってあげよう、と思った。友だちからも意見は聞けると思うけど、そういうのはたぶん仲間内の「上っ面なもの」でしかないだろう。読者から感想が届いたなら励みになるのではないかと思うのだ。ま、潰れてしまう部員もいたりして(おい)

私がいた頃、文芸部の部長は一級上の女子で、親しくさせて頂いていて、卒業後はたしか東京の多摩地区の日野か八王子で図書館の司書をなさっていたかと・・・。元気でいらっしゃるかなあ・・・。

あ・・・、失敗したなあ、せっかく新聞部の後輩に会えたんだから最新号の半高新聞を貰ってくれば良かった。ま、今度送って頂こう。

うん、俺って、もしかして意外と優しい人かも (*^_^*)

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2018年09月15日

半田高校創立100周年記念柊祭訪問記 (5)

表題は(5)になっているが、母校の柊祭訪問に関してはとりあえず(4)まででお仕舞い。

2時ごろ母校を出て常滑のイオンモールに向かう。「宮きしめん」を買うため、である。今回は弾丸帰省だし、どこにも土産は買わないが、うちのに「うち用に『宮きしめん』くらい買ってこようか?」と訊くと、「そうだね」と賛成してくれた。それで、確実に売っているのが判っているイオンモールへ。

そこで耳寄りな情報が・・・。私の帰省時には毎度車を出して「私が行きたいところ」に連れて行ってくれるA君が、「今日は日曜日だで、俺の(イオンモール)カードで買うと5%引きになるで、俺のカードで買やええが」と言うのだ。「ほおか、ほんならそうするけど、カネ、払わんでもええな」と言うと、「そんなもんええわ」とのこと。A君は忘れているだろうけど、以前も、「わるい、宮きしめん喰いたいで、送ってくれや。カネ、払わんぞ」と依頼して送ってもらったことがある。そん時は守口漬けも付けさせたっけ (おい)

それで通る仲間である。食事に行っても互いに「ええわ、俺が払うで」と言って割り勘にはしない。通算してどっちが多く払っているか、なんてことは全く気にしない。私の友人たちはみんなそう。それでも、人にモノを頼んでおいて代金を払わない、ということは、我々の商売で言えば「部屋を紹介して契約まで済ませたのに『仲介料は払いませんから』と言われるようなもの」である。とうてい赦すことは出来ない話。まあ、一部だけ取り上げると酷い話だが、当然に(互いに)ちゃんとフォローしている。

宮きしめんを籠に入れている時に出た話なので、カネを払わなくていいと判ったからもう一袋追加。そういうところで人間性が知れてしまうものだが、長い付き合いだし、最初からそういう人間性の奴だと承知して付き合ってくれているのだろうから全く気にしない。それで、醤油味2食入りが4袋、味噌味2食入りが1袋、それで5回分、我が家の一冬分にはなる。ちなみに、きしめんは各社出しているが宮きしめんが一番美味しい。

買い物中、(夕食を一緒にする約束の)恩師から電話。「今、どこにおるだ?」だと。「常滑のイオンモールに来とるで、買い物終わったら行くで5時から5時半くらいに先生んとこに着くで」と答えたが・・・、田舎に帰ると標準語など吹っ飛ぶ。うちの田舎は標準語で話していても浮くことはないが、地方によっては「気取っている」と思われかねないものだろう。

5時半頃、恩師のお宅に着くと、ちょうど「現地集合」ということで声を掛けていたK君とMちゃんと外でバッタリ。一度上がらせて頂いたが、奥様にご挨拶して直ぐにお店に。徒歩7〜8分だから歩いて行けない距離でもないし、歩きながらしゃべるのも楽しいだろうけど、A君の車で向かう。

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田舎で唯一の一部上場企業ミツカン本社

現社長が、当時の社長の息子だったアイツだとすると・・・、中学時代、私の一級上だが部活の後輩で、出来が良くなかったからイジメていたりして・・・。あの頃「ヨイショヨイショ」していれば私も今頃は上場企業の取締役だったかも。失敗したなあ・・・、人生で最大の失敗だったりして (^◇^)

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小樽のような運河

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酒蔵のような雰囲気でご主人は日間賀島出身だとか

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先付

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下戸の私が珍しくビール(グラス)を注文、ヱビスビールは旨い!

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実は、お店の「売り」であるハズの刺身は出てこない。恩師に「刺身が苦手」と伝えてあったので、事前にお店に相談してくれたんだろうけど、仲間には申し訳ないことをしてしまった。恩師曰く、「ここの刺身は絶品だぞ〜」とのことだったのだが・・・。

で、お勘定の際、ちょっとしたトラブル発生。

私は恩師から「ええとこ連れてってやるわ。何人連れてきてもええぞ」と言われていたので、すっかり恩師にご馳走になるつもりで、仲間にもそう伝えてあったのだが、K君から「先生に出させるのはマズイんじゃないか」という話が出て、K君が皆から割り勘分を集めて先生の胸ポケットに入れたのだ。その際、「坂口は(払わんでも)ええわ」ということで私は集金されなかったが、それは辛い。私が遠方から来ているから、先生が奢る約束になっていたのは私の分だけかも、と気にしたのかも知れないけど、割り勘から外されるのも辛いものがある。もっとしっかり「今日は先生の驕り」と伝えておけば良かったか・・・。

それにしても、レジで恩師とK君が「俺が出すでええて」「それはアカンて」とやり取りしている光景は、たまに街で見かける。ファミレスでオバチャンたちが「あたしが払う」「いいやあたしが」と、後ろに清算待ちで並んでいる客にかまわず揉めているのと似ているかも。私は基本的に割り勘はしない主義なので、それならば私が払おうと思って、「これで会計してください」と、颯爽とJCBザ・クラスカードを出した。自分では恰好いいつもりだったし、Mちゃんも「おお、ブラックカードじゃん」と驚いていたのだが・・・、

ご主人が一言、「すみません、うちはカードは扱ってませんので・・・」でアウト。「なんだよ、JCBが使えないなんて、ここは南米かよ!?」と言いたくなったが、ま、仕方ない。

後で恩師のお宅に帰った際、私に「Kからカネを(胸ポケットに)入れられちゃっただが・・・」と寂しそうに言われた。「先生に出させちゃ申し訳ない、と思ったんでしょう。そのまま受け取っておいてください」と伝えた。私の事前の根回しが足りなくて、もしかすると寂しい思いをさせてしまったかも。申し訳ないことをしてしまった、と反省した。終わってしまったことだから仕方ない、これからは気を付けよう。

では私だけタダでご馳走になったのか、と言えば、実は、そうではない。ここには書かないけど。ちなみに、後で恩師に支払った、ということでもない。やり方はいろいろあるから。

それにしても、中学を卒業して50年以上も経っているのに、先生と教え子が今も交流がある、深い絆で結ばれている、なんて例が他にもあるんだろうか・・・。少ないんじゃなかろうか。

恩師のお宅を出る時、私に「荷物になるけど持ってって」とお土産を頂いた。地元の銘菓と海老煎餅である。東京に戻って今、大切に少しずつ頂いている。

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2018年09月14日

半田高校創立100周年記念柊祭訪問記 (4)

我々が現役高校生の頃に存在したクラブがいくつか消えている中で、当時では考えられないようなクラブが誕生していた。ダンス部、である。最近はTBSテレビの金曜ドラマ「チア☆ダン」を欠かさず観て、その度に「互いに仲間を思い遣る姿」に感動して涙を流しているのだが・・・、母校にもダンス部ができていたとは・・・。

人前でダンスを披露する・・・、私からすると、渋谷のスクランブル交差点のド真ん中で独唱させられるようなもの。昔は、営業研修の一環として銀座の歩行者天国で一人ずつ大声で歌わせて、教官からダメ出しされるとやり直しさせられて、恥とか恐怖心を克服する、なんてのもあった。突然自分の後ろから大声で「ポッポッポ〜、鳩ポッポ〜♪」なんて歌い出されたら迷惑以外の何物でもないし、経験者なら「ああ、やらされてる」と笑って見ていられるが、そうでない人からしたら「ただの気違い」でしかない。

私なんか(別の理由で)フォークダンスでさえ逃げていたので・・・。女の子と手を握る・・・、そりゃあ堂々と「好きな女の子の手を握ることが出来るチャンス」ではあるけど、恥ずかしかったから。まあ、そういう純情な時代もあった、ということで、すっかり社会の荒波に揉まれてスレてしまった今なら考えられないこと。大義名分が立つから「セクハラだ」などと言われる心配もなく「ごっつぁんです」になるもの。

盛況で、観客からは贔屓の部員に「ひだか〜!」だの「りな〜!」と黄色い声援が送られ、田舎の高校の文化祭とは思えない一種異様な雰囲気。田舎の高校もここまで来たか、という感じ。私も思わず「わかば〜!」「しおり〜!」とチア☆ダンに出てくるロケッツのメンバーの名前を呼びそうになった (^◇^)

我々の頃は、男子は3年の2学期から髪を伸ばすのを許されていて、それまでは男子は丸刈り。当時、生徒議会で1年生から「長髪を認めるよう校則の変更を学校に要請する」との議案が出されたが、その度に2、3年生により否決されていた。当たり前である、既得権みたいなものだったのだから。2年生からすれば「ちょっと我慢していれば長髪が認められる時が来る」のだから1年生の肩をもつ、なんてことはしないもの。3年生と共闘していた。いつ頃から全員長髪になったんだろ・・・。それも「人権があ」「生徒の自主性があ」「個性があ」という話だったのかな、と思う。良くも悪くも時代は確実に変わっている。

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振り付けは生徒が考案

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ハーフっぽい部員もいて、笑顔が可愛かった

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天候が心配されたが、頭上には虹が

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観客も多かったけど、最前列にお尻を下ろしていた私の背後から声援が飛ぶのは辛い

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衣装を着替えるスペースなんか無かったけど、しっかり着替えていたりして

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3年生はこの舞台が最後、感極まって泣きながら踊っていた部員も・・・

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最後に、司会者(部員)から「一緒に写真を撮ってやってください」との話があった。贔屓の部員を指名すれば一緒に写真を撮らせてくれるらしい。時間があれば私も撮りたかった (おい)

我々の頃は、体育館での、演劇部の上演や、吹奏楽部とかコーラス部、箏曲部の演奏がメインだったように思う。野外の展示や演技はほとんど無く、教室での各展示は規模が小さかったから。

ところで、ダンス部の演技、写真では判りにくいので、いちおう、動画を以下に、

https://twitter.com/HDCcrew2015/status/906498851657285632

それにしても、校舎も建て替わって、生徒たちの気風も変わっているだろうし、ここが母校なのかなあ、と不思議な感覚。父兄として見学に来たような錯覚に陥ったりして・・・。何より、50年前に、我々が中心になってここで学校祭を企画運営していたことが信じられない思い。あれは夢幻だったのか・・・。

お昼、懐かしい「雀屋」の焼きそばを食べに行こうと思ったが、閉まっていて断念。仕方なく、車で少し走った所にある「はなまるうどん」に入った。行ったことは無いが立川にもあるから珍しくもないけど。

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う〜ん、丸亀製麺のほうが好きかなあ・・・



                       続く


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2018年09月13日

半田高校創立100周年記念柊祭訪問記 (3)

昨日、半田高校のHPを見たら、もう9月9日の柊祭の一般公開のことが出ていた。

ひいらぎ祭の一般公開を行いました。」 投稿: 2018年9月9日

「平成30年9月8日(日)ひいらぎ祭の一般公開を・・・」とあるが、それは「9月9日(日)」の誤り。

いきなり話が飛ぶが、2週間ほど前、うちのと Jonathan's でランチして、清算してレシートを見たら、一番上に「濃厚立地 フォアグラ・・・」とあったので、レシートに付いていたアンケートで「濃厚リッチ、の間違いでは」と指摘して、昨日再び行ったら「濃厚リッチ」に直っていた。私はそういうところが細かい 💧

記事によれば、一般来場者数2519名とのこと。私は記帳しなかったから人数に入っておらず、最低でも2520名は来場したことになる。全校生徒が900名だから、その2.8倍。午後から来た人もいるだろうけど、もし一般公開の開始時間の10時に横3列で、自分の幅も含めて前の人との間隔50cmで一斉に並んだとして行列の長さは420mということになる。実際にはもっと広い間隔になるだろうから500mくらいの行列か。だとすると、私が一昨日の記事で書いた「徒歩5分の住吉町駅まで続いているんじゃないか、というくらいの列」というのは、あながち大袈裟ではないかも。50年前、我々の頃の一般公開の10倍は来場していそう。

HPに貼られている各展示(教室)の写真は、一般来場者が入る前とか前日までの写真だろう。当日の混雑ぶりはとてもとてもそんなモンじゃなかったから。どんな感じかと言うと・・・、

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あまりに混雑していて「何クラブの出し物か」が判らないほど

とくに飲食系のブースは混雑していて「行列のできるラーメン店」状態。そりゃあ狭い校舎のことだし、それだけの来場者が一斉に食い物に群がったらそうなる。学校の周辺には食堂など無いのだから。ちなみに、文化祭で「スナック」をやるようになったのは我々が生徒会の執行部だった時から。「小さなスナック」という曲が流行って、それにヒントを得て私が発案したもの。もちろん、酒は出さないけど。運営は生徒会執行部だった。

当時は「食物部」(しょくもつぶ)というクラブがあって、毎年、少しだけ食べ物を展示販売していたが、申し訳ないことに、すっかりスナックに喰われてしまって、文化祭終了時に、残った料理(食べ物)を食物部の部長が「ご苦労さまでした」と執行部に差し入れしてくださった。それには恐縮した。

で、母校の柊祭とは全く関係ないのだが、「小さなスナック」を YouTube で検索していて、「ふりむかないで ・ハニーナイツ・エメロンCMソングでしたね 」というのにぶつかった。「小さなスナック」を再生してそのまま流していたらたまたま始まった動画だが、なかなかいい。曲よりその・・・、映像が(滝汗

ところで、スナックで出すべく市内のコカ・コーラ・ボトラーズに「飲料を安く提供して頂けないか」交渉に行ったら、所長さんが「無償でいいですよ」と言う。有り難い話だったがタダというワケにもいかず、安くして頂いた代金をちゃんと支払った。当時はまだコーラの認知度は低く、今なら「タダで提供」なんて考えられない話だ。味を覚えてもらって今後の需要に繋がれば、ということだったんだろう。

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これは「騙し絵」、実際は絵(写真)だが、ある方向から撮ると立体的に見える

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詰将棋(?)のブース

さて、次回の記事は柊祭の華(と、私が勝手に思った)ダンス部の特集。乞うご期待 (*^▽^*)


                    続く


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2018年09月12日

半田高校創立100周年記念柊祭訪問記 (2)

新聞部の後輩たちを訪ねている間に「そこそこの時間」になったので、もしかすると校長先生をお待たせしているかも知れない、と思い、慌てて事務室に行って受付で声を掛けたら、直ぐに校長先生が校長室から出迎えに出てきてくださった。半田高校のHPでお見かけしたままのお顔である。当たり前だけど。

校長先生も半田高校のOBで、我々が21回生、校長先生が28回生、つまり、我々の7年後輩ということになる。それでかどうかは不明だが、終始「敬意」をもって接してくださった。我々が在籍していた当時は、校長は我々より40歳も年上で「校長と言えば雲の上の人、近寄りがたい存在」だったが、もう私のほうが年長だし、どの先生も腰が低くていらっしゃって、父兄と接する時とは違っているような・・・、そんな感じがした。父兄に対してとOBに対してとでは気の遣い方が違って当然だろうけど、それを抜きにしても、とても気さくなお人柄で、こちらも緊張しないで済んだのは有り難かった。

私とA君を校長室に招き入れてくださり、お忙しい中、しばし歓談。直ぐに事務職員の男性が冷たいお茶を出してくださって、それも助かった。だからどう、ということは無いのだが、新聞室の私の1年先輩が前々校長の水野君であることを伝えたり、校長先生に「21回生ということですと今の同窓会長の永田さん(元愛知県副知事)と同期ですね」とのお話が出て・・・。現役時代しっかり勉強した人はみんな「そこそこの地位に就いて活躍しているんだなあ・・・」と改めて思った。

そうだ・・・、この方が校長先生でいらっしゃるなら、20年くらい前から抱いている構想を話してみよう。同窓生のみんなが互いに恩恵に与れる話だし。近いうちにお手紙を出させて頂こう。

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校長室で記念撮影 (澤田 哲校長と;当たり前だが向かって右が校長先生)

校長先生、 Facebook をおやりとかで、当ブログでの「顔出し」も快く承諾してくださった。

それにしても、50年前の学校祭のパンフレットを一部お送りしただけなのに私なんかの訪問をこんなふうにご丁寧に歓迎してくださるのは意外でもあり嬉しかった。やはり思い切って行って良かった。


                          続く



 悪天候で順延になっていた体育祭は本日12日(水)に開催されるようです。



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2018年09月11日

半田高校創立100周年記念柊祭訪問記 (1)

母校半田高校(愛知県)の100周年記念「柊祭」に行ってきた。当日は知多半田駅前の名鉄インに一泊して翌早朝に発ったのでホテルに宿泊した分を入れても滞在時間21時間という弾丸帰省ツアー。ではあるが、学校関係者の方々、中学時代の恩師、同級生のお陰でとても充実した楽しい時間を過ごすことが出来た。行く前は「思い出が壊れるのも嫌だし、帰らないほうが正解かなあ・・・」と悩んだりもしていたが、行って良かった。もう「柊祭を観るために帰省する」ということは二度と無いだろうし。

一般公開は10時から。同級生A君と待ち合わせして、駐車場を探したりしていたので少し遅れての訪問。最寄りの住吉町駅も学校までの景色もすっかり変わっていて浦島太郎状態。一番驚いたのは・・・、

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一般来場者が正門で受付をするための長蛇の列 (スゲ〜)

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我々がいた頃の一般公開の時は来場者はまばらで閑古鳥が鳴いていたが、小雨の中、徒歩5分の住吉町駅まで続いているんじゃないか、というくらいの列。まるで人気ラーメン店のオープンか皇族や著名人の葬儀の際の記帳みたい。こんな行列に並んでいたら昼飯も食いっぱぐれることになる。そこで、先生と思しき男性に「T先生はいらっしゃいますでしょうか?」と訊くと、「さっきまでいたんですが・・・。職員室はあちらなので事務室に声を掛けてみてください」とのこと。もしかすると「一般公開の日は10時前には着くかと思います」と伝えてあったので、正門前でお待ち頂いていたのかも。そうだとするとたいへん申し訳ないことをしてしまった。

それで、長い行列を横目に見ながら、記帳せずに事務室へ。すると、要注意人物の侵入を水際で阻止するかのように現れたのが教頭先生。「Tは校内にいると思いますので伝えておきます。校長も今は他の用事で出ていますが11時頃に戻ります。校長も『お話を伺いたい』とのことなので11時過ぎに事務室に声を掛けてください」とのこと。へ・・・、オレ、何かやっちまったかな・・・、ま、いっか (^◇^)

実は、もう一人、お目に掛かりたかった先生がいるのだが、その日はご不在。私が資料をお送りした一連の流れの中で最初からいろいろご配慮を頂いていたN先生である。N先生からは「新聞部の顧問のTに伝えてありますので」と言われていて、それでT先生をお訪ねした。そのN先生とT先生、そして新聞部の後輩たちにはお土産にお菓子を持参した。東京土産の定番「東京ばな奈 見ぃつけたっ」と「原宿 焼きショコラ」である。

ところが、である。新聞部の部員は3年生が(進学に専念するため)退部して、現在は2年生二人と1年生一人の三人のみ。生徒会執行部員に送ったのと同じ蜂蜜太郎も持って行ったから量的に多すぎたかも。ま、若いから、それでもアッと言う間に食べてしまうだろうけど、最初に部員数を確認しておくべきだったか (反省)

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新聞部の後輩と ( こころなしか我々の頃より賢そうな面構え・・・、いや、本当にそうなんだろう )

いささか緊張しているのか警戒しているのか、表情がこわ張っているけど。

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T先生も一緒に記念撮影。裏表なく優しい雰囲気で、失礼ながら、実際は写真より遥かに美しい。

高校時代はマドンナだったんだろうな、きっと。こういう女性は高校時代の同級生とご結婚なさっているんじゃないかな、と思う。半高新聞は3ヶ月に一度の発行とのことだが、こんな先生が顧問なら打ち合わせが楽しくなるから毎日発行したくなる。悪口になるが、我々の現役時代の顧問は凄く陰険で、日常的に無言の圧力を受けていたから。今で言う「パワハラ」とか「モラハラ」みたいなものだったと思う。性格的に屈折していたし。などと、こんなことを書いている私は「セクハラ」だけど ( おい )

新聞部の展示は過去の新聞を第一号から時系列に並べていて、「どうやって集めたんだろ??」と思った。我々がいた頃、それより前に発行された新聞などほとんど残っていなかったのだから。100周年とはいえ、それを収集し、整理して並べるのは大変な作業だったと思う。後輩たちを誇らしく思えた。

どういうワケか今も保管されている「半高新聞の第一号のコピー」をN先生とT先生が用意してくださっていて、事務室で受け取らせて頂いた。どこまでも行き届いていて凄い。

いちおう、念のため、「顔出し」は皆さんから了解を頂いている。


                   続く



 
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2018年09月02日

嬉しいご連絡

昨日、某アパートに更新通知書を届けに行く途中、携帯が鳴った。

画面で発信者を見ると、母校の半田高校からであった。掛けてきてくださったのは、夏休み中に私が「50年前の学校祭のパンフレットが出てきたのですが、ご入用でしょうか?」と問い合わせた際に対応してくださったN先生であった。パンフとお菓子(蜂蜜太郎)をお送りしたのは1週間ほど前だったが、学校は夏休み中で、新学期が始まった昨日、無事にそれぞれの担当者や生徒会執行部に届き、そのお礼の電話である。

N先生、事務的な話し方や声でなく、誠実なお人柄が伝わってきて、「思い切って電話してみて良かった」と心から思えた。私がお送りした資料を心から喜んでくださっているのが声のトーンで伝わってくるのだ。あれで本当は「余計なゴミを増やしゃがって!」と思っていたとしたら日本一の営業マンになれることだろう (^◇^)

電話を頂いたついでに、こんなことを訊いてみた。「私たちがいた頃、新聞室(部室)で、半高新聞の第一号をお茶の缶に入れて保管していましたが、まだありますでしょうか?」と。

50年前の話で、半高新聞の第一号はそれより更に遡ること数十年・・・、校舎の建て替えや部室の移動などで行方不明になっていても不思議ではない。人も(長くて3年で)入れ替わるのだし・・・。

すると、N先生、「少々お待ちください。担当者に確認して折り返しお電話します」とのことで、直ぐに電話が掛かってきた。「半高新聞の第一号、ありました。もうずいぶん変質していますが、私の目の前に今、コピーがあります」と仰る。感動モノである。我々がいた時も、ここに「半高新聞の第一号が保管されている」と認識していたワケでなく、「この缶、なんだろうね・・・」くらいに思っていて、開けてみたら第一号だった、というくらいの話で、保管していたのでなく、そのへんに置いていただけ。ゴミに紛れて棄てられていてもおかしくない話。私が送った50年前の学校祭のパンフより遥かに貴重な資料である。

9月9日、およそ50年ぶりに「半高新聞の第一号」に再会できるかも。

うちのが、「おとうちゃんは母校に対する思い入れが強いね〜、そういうの、珍しいと思う。私なんか何も無いから」と言っていて、たしかに、普通はそうだと思う。高校より前の中学時代の恩師や仲間と今も交流があるし、小学校卒業と同時に引っ越してしまった同級生とは今も年賀状でのお付き合いがある。最初に就職した会社の上司(先輩)の方とも年賀状は欠かさない。

では、高校時代が楽しかったのか、と言えば、逆である。いい思い出のほうが少なくて、嫌な思い出のほうが圧倒的に多い。一生付き合っていける友人も多くできたが、劣等生の私にとっては居心地が悪かったから。ただ、それはそれ、自己責任だと思っているし、後輩が有名になったり成功したニュースを聞くと嬉しいもの。

先日も同級生と電話で話していて、私と違って優等生で、嫌な思いなどしていないだろうな、と思っていたのだが・・・、母校に対して私以上に蟠りがあるみたい。人はみんな人知れず「いろんな事情や経緯」があって、他人には理解しがたかったりするもの。私の周りにも、一見すると明るくて幸せそうで実は心に闇を持っている、なんて人も何人かいる。気付いたとしても、とくに相談を受けていなければ触れないようにするのが最善なんだろう。私は相手の心の中にズケズケ入っていってしまうけど (こら)

たまに、「そんなのが苦労なの?」と思えてしまうケースもあって、大して苦労もしていないのに「どうして私ばかりがこんな苦労を・・・」と思い込んでいたりして・・・。代表的なのが、私の長姉である。6人兄弟の一番上で、末っ子の私とは20歳も離れている。物心ついた時には家にいなかったから何の思い出も無い。この「逆のケース」は本当に面倒臭い。苦労をしても身に着いていない人、本音では、姉弟でも付き合いたくはない。人は誰も不条理と向き合いながら生きているものなんだから。

話が横道に逸れたが、ま、私が大切にしているのは、良くも悪くも「思い出」だけ。母校や後輩に対して思い入れが強いワケではないのかも。なので、1週間後の9月9日に母校の柊祭を観に行くのは、思い出を掘り返しに行くのが目的。その後は、たぶん二度と母校を訪問しないことになると思う。



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2018年08月28日

9月9日、田舎に帰ることにした

母校「半田高校」の創立100周年に当たる今年の柊祭、観に行くことにした。たぶん、もう二度と観ることは無いと思う。当時の半田高校とは全く別物になっているだろうし。

あちこち連絡を取ったりしたが、結局、執行部9人の中で行くのは私とA君だけ。そのA君も、帰省した際にいつも足代わりに使わせて頂いていて今回も仕方なく付き合うだけで、自らの意志ではない。当時の執行部の仲間が「仲がいいフリをしていても実は互いに快く思っていない」とかでなく単純に「興味が無い」ということ。

なので、「来年か再来年、集まって食事でもしよう」という話であれば全員が乗ってくるのは間違いなさそう。執行部の同窓会はその時までお預けになった。

しかし、「この温度差(思い入れの程度の違い)はナンだ!?」、と思ってショックを受けて、東京にいるMちゃんに電話したら、アッサリ言われた。「それは坂口君が生徒会長だったからであって、他の人はただの執行部員だったということ。思い入れに差があるのは当たり前」とのこと。へえ、そうなんだ・・・。みんな毎日夜遅くまで文化祭の準備をしていたのだから当然に懐かしがるもの、というのは私の思い込みであって、みんな、もう忘れているのが現実。だから当然に「今の執行部に差し入れしてあげよう」などという発想も出てこない。なるほどね・・・、言われてみればたしかにそうかも知れない。いや、たしかに。

卒業後も、皆で何かしようとすると私がリーダーシップを発揮しないと何も動かない(誰からも言い出さない)のだが、同級生から「いつまで生徒会長のつもりでいるんだよ」と言われたこともあるから、実にやりにくい。そういうつもりではないから、本当に。

Mちゃん、我々9人の中では最も鋭い洞察力を持っていて、私は高校時代、既にMちゃんから「坂口君は過去の思い出だけで生きていくタイプよね」と言われていて、まったくその通り。

他にも私がショックを受けていることがあって、傍から見れば「非常に優秀で一流大学に入って一流企業に就職して順風満帆な人生を送っている」と思える仲間が、私以上に母校に対しては蟠り(わだかまり)を持っていた、ということ。劣等生の私でさえ、もう半世紀も経って母校に対する蟠りはほとんど消えているのに、優等生であった仲間がナンで??、である。母校に対して、というより、同級生に対して、かも知れないけど。

私は上京して半世紀近く経っているから仲間の情報などめったに入らないが、ずっと田舎にいるといろんな話が耳に入ってきたりして辛いものがあるんだろう。と言うか、仕事でも家庭でも、ぼちぼち健康面でも、みんないろいろ抱えている、ということ。執行部の同窓会を開いたら互いの愚痴を聞き合おう。


ところで、中学時代の恩師に「9月9日に田舎に帰ることになりそう」と電話したら、凄く嬉しそうな声で「おお、寄れ寄れ、ええとこ連れてったるわ。何人で来る?」とのこと。先生は元気ではあるけど病気もしていて、なので見舞いを兼ねて訪れるつもりではいたのだが、何やらご馳走してくれそうな雰囲気。

「ええとこがあるだが。酒蔵みたいな雰囲気の店で、うまいぞ〜。こっちは魚が旨いで楽しみにしとれ」だと。嫌な予感・・・。それで「先生、オレ、刺身はアカンで・・・」と言うと、「そっか、じゃあ何か考えとくわ」とのこと。たぶん、何も考えてくれないとは思う (*^_^*)

「行くとしたら、僕とK君と、いつも先生んとこまで連れてってくれている(中学校が違う)A君と、(高校は違う)S君、の4人かなあ」と言うと、「おお、何人でも連れて来やええわ」とのこと。A君とS君は私を通して面識がある。恩師と親友3人には「蜂蜜太郎」を土産に持って帰ろう。

もう一つ、最近見つけた美味しいものがあって、それも持ち帰るつもり。それは・・・、

きんぴらごぼうポップコーン」である。きんぴらごぼうとポップコーン・・・、一見、ミスマッチのようだが、これがめっぽう旨い。袋を開けた時にきんぴらごぼうの香りがして違和感満載だが、蜂蜜太郎同様、食べ始めると止まらなくなる。一昨日ドラッグストアで試しに一袋買って食べてみたらメチャウマだったので、昨日また行って全部買い占めてきた。お店の人、「売り切ってお仕舞い」と言ってたが。

これ、蜂蜜太郎より嵌るかも (*^_^*)

さて、9月9日は朝6時12分に立川を発って、知多半島の名鉄「住吉町」駅には9時43分に着く。仕事もあるし、一泊して翌朝には東京に戻る予定。

2週間も掛けて徒歩で江戸から尾張に向かった人たちが、今、現代に甦ったならどんなカルチャーショックを受けることだろうか。新幹線も飛行機もインターネットも携帯電話も、全く想像だに出来なかったであろうし、100年後の世界はどうなっているんだろう。「人間が想像できることは必ず実現する」(ジュール・ヴェルヌ)になるんだろうか。生まれ変わって一から人生をやり直したいとは思わないが、興味はある。

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2018年08月25日

友がみなわれより偉く見ゆる日よ・・・

「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻といたしむ」  (石川啄木)

昨日、しみじみとこの短歌を噛みしめた。現代語に訳すと下記のようになる。

https://sooda.jp/qa/219692

昨日の記事で、母校「半田高校」の100周年の柊祭(文化祭 + 体育祭)に展示して頂くべく50年前の学校祭のパンフレットを母校に送る、と書いていて、昨日、「パンフレットと、その各頁をコピーしたもの、印刷に使った版、在学時に発行された新聞等」と、差し入れの「蜂蜜太郎」を別便で母校に送った。

先生からは「着払いで・・・」と申し出て頂いていたが、そういう時に「ああそうですか、では」と着払いで送るのはポリシーに反するしケチ臭くなるから、どちらも元払いで、なおかつ、蜂蜜太郎は2箱送った。現在の執行部員は11人。我々の時は9人だったが、一学年の定員450名が300名に減っているのに生徒会執行部員数は増えている・・・。先生に「文化常任委員長とか含めてですか?」と伺うと、「執行部員だけで」とのこと。若いし、11人もいれば一箱(12袋)だとアッと言う間に食べ終えてしまうだろうから2箱送ることにした (^◇^)

そうそう、我々の頃は定員450名で男子300名、女子150名になっていたから、どこぞの医科大と同じく男女で合格者を調整していたのは間違いない。今なら大問題になるところだ。

で、夜、一緒に生徒会の役員をやっていた親友K君に電話すると、ちょうど晩飯を食べ終えて晩酌に入ろうか、というところだった。昔の思い出話に花が咲き、高校だけでなく中学の同級生の消息などもいろいろ教えてもらった。地元にいれば、東京にいる私よりたくさんの情報が入ってくるもの。それで、落ち込んだ・・・ (^^;

私は今も当時からの付き合いが多く残っていて、名前を聞けば「ああ、アイツね」と直ぐ顔が思い出せるのだが、名前を聞いても「え?、そんな奴いたっけ!?」というのがいて、そいつが同期の出世頭の一人だった。現在は柊会(同窓会)会長をしていて、なんと、愛知県の副知事にまでなっていたという・・・。私が存在さえ知らないくらいだから在学中は地味で目立たない生徒だったと思う。

同期には国土交通省の審議官になった奴もいるし、上場企業の役員になっている奴や医師弁護士も多い。OBの中には経団連会長も二人いて、錚々たる地位に就いている人たちも多い。だから100周年記念事業の寄付金が1億1千万も集まるんだ・・・。K君によれば「寄付の依頼が3回くらい来たよ」とのこと。しかも「同期で医者になった人、知りませんか?」とまで訊かれたらしい 。何それ!?、である。まあ、そういう奴を狙い撃ちしなければ1億も集まらないだろう。

私は「みんな今ごろは嘱託も終えて家に籠って趣味の世界に浸っていることだろう」くらいに思っていたが、なんのなんの、優秀な奴は今も様々な分野で活躍しているようだ・・・。振り返って我が身を見れば、「今にも潰れそうな自営の不動産屋」である。「この差って何?」くらいの話だが、勉強したかどうかの差、でしかない。

それで、冒頭の「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻といたしむ」、である。

と言っても、私は他人や仲間の成功を嫉まない。羨ましくは思うが、嫉んだりはしない。そういうことで他人と比較しても仕方ないから、である。高校卒業時に、受験勉強で頑張っていた(頑張らざるを得なかった)ある同級生から陰で、「坂口みたいに自分の好きなことだけやっていられたら幸せだよな・・・」と言われたことがあって、当時は「ザマア見ろ!」と思っていたが、年金の支給額など、今になって大きな差になって出てくる。

思えば、私みたいなのが一番中途半端かも知れない。しっかり勉強して老後も安泰でいるか、生活保護を受けて働かないで食べていくか、両極端の「ちょうど中間」に位置していて、何とつまらない生き方をしていたことだろう。良き女房とノルンがいて、友人知人に恵まれて、年に一度は海外旅行をして、テレビやラジオに呼んで頂いたりして、いろんな経験をしていても、そんなのは自己満足に過ぎない。

K君と話していて、「みんな凄いな・・・、頑張っていたんだ・・・」と、つくづく思った。

ところで、(昔、よく学校に出前を頼んでいた)雀屋の本来は跡取りになっているハズの同級生、元気だと知った。逆に訃報も聞いた。人間、死んだらお仕舞い。不平不満を口にしていても、生きていてこその幸せで、死んだら幸福も不幸も無い。私なんか、家に帰れば、何でも本音で話せる女房がいて、私には懐いてないけどノルンもいるのだから、それ以上の贅沢は無いかも知れない。などと己を納得させようとする自分がいる (爆

もし50年前に戻ることが出来るなら、或いは生まれ変わることが出来るなら、今度はしっかり勉強して・・・、とは思わない。学校の(教科書での)勉強は好きではないから。きっと今と同じような人生を歩むことだろう。どうせ同じだから50年前に戻らなくても生まれ変わらなくてもかまわない。

9月9日・・・、田舎に帰って、当時の執行部の仲間を集めて現在の柊祭を見てこようかな、と思う。

posted by poohpapa at 06:12| Comment(4) | プライベート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月24日

これも断捨離の一環で・・・

遅々として進まない私の断捨離だが・・・、

先日、片付けをしていたら、私の高校時代の学校祭のパンフレットが出てきた。たまたま我々が生徒会の執行部として文化祭と体育祭(及び後夜祭)を企画運営していた年が、母校が「愛知七中」として創立されてから50周年に当たっていたので、私の発案で、手分けして資料集めをして、いつものパンフに「半田高校50周年史」を載せていたから、ま、そこそこ貴重な資料ではあると思う。

それからちょうど50年・・・、今年が母校創立100周年ということで記念行事も行われるらしい。高校野球の「夏の甲子園」が(戦時中の中止期間もあったが)今年が記念すべき第100回大会だったから、それと同じくらいの歴史があることになる。準優勝をした金足農業高校への寄付金が1億9千万円にもなったそうだが、半田高校の記念事業への寄付金も、7月末の時点で卒業生と一般から1億1千万円に達しているみたい。

それでも目標額にあと2千万ほど足りないようだが、いったい何をやろうとしていることやら。私は・・・、寄付の依頼を受けても寄付はしないと思う。それなら被災地に義援金として送ったほうが納得いくから。

幸い、私には寄付の依頼は届いていない。何故なら・・・、在学中に先生たちとの確執があって、私は卒業生で構成されている同窓会「柊会」の会員になっていないから。ま、それはともかくとして、その50年前の学校祭のパンフが必要かどうか、一昨日の水曜日、夏休み中の半田高校に問い合わせてみた。

電話に出られた先生は、「今日は生徒たちが登校してはならない日に当たっていて、生徒会の役員たちも誰も来ていませんが、明日は補習で登校日になっていますので、私から担当の先生に話を伝えて、明日こちらからお電話いたします」とのこと。で、昨日電話があって改めて用件を伝えると、「それは嬉しいです。送料は着払いでかまいませんので是非お送りください」とのこと。へたな企業の広報担当より行き届いている (^◇^)

その際に、「もし不都合が無ければ、生徒会の役員さんへの差し入れにお菓子をお送りしたいのですが・・・」と言うと、電話を教頭先生に代わった。「実は、50年前に私たちが生徒会の執行部をしていた時は、夏休みも毎日登校して、夕方には近所の雀屋さんから出前を取っていたんですよ」と言うと、「ああ、雀屋さんはまだありますよ。私も何回か行きました。今は60代の娘さんがやってますね」とのこと。先代の息子は私と同級生で、跡を継いでいたハズなんだけど、どうしたんだろ・・・、と心配にはなった。教頭先生は「さすがに今は生徒が学校に出前を取る、なんてことはしていませんが、お菓子の差し入れは喜ぶと思います」とのことで、自由な校風は今も50年前と変わっていないようだ。なので、パンフと一緒に蜂蜜太郎を一箱送ることにした。

雀屋の先代の親父さん、亡くなった時にはご焼香に伺った。私の現役時代、「アンタなら『付け』でいいよ」と言ってくださっていて、付けで食べたことは無いが、唯一、私だけが付けを許されていた。懐かしい思い出である。こんど帰省したら顔を出してみよう。きっと、焼きソバの味は変わっていないだろう。

実は、私んちの押し入れから出てきたものは他にもある。在学当時の3年間に新聞室員として発行していた半高新聞、である。新聞室の1年先輩で、後に母校である半田高校の校長になった水野君が生徒会の役員になった際の写真が載っていたりして・・・。さらに、(正式な名称は不明だが)学校祭のパンフを印刷する際に使用した金属性の版を私が印刷会社から貰ってきて保管していて、それも一緒にお送りすることにした。

ついでと言ってはナンだが、もし小冊子であるパンフレットをそのまま展示したとすると、皆が手に取ったならボロボロになってしまうので各頁をコピーして同封することにした。原本は学校にも残っておらず「その一部しかない」のだから。展示して頂けるならコピーのほうを並べて頂けると嬉しい。

さて、そんなことをしていて、ふと、「そうだ、我々執行部の同窓会も久しぶりに開きたいもの」と思い立ち、当時の仲間のMちゃん(女子)に電話すると、「いいわよ、もうみんな手が空いてると思うから集まりましょう」と賛成してくれた。卒業後は毎年集まろう、と約束していて何年か続いたが、幹事がA君とK君になったところで止まっている。考えてみれば、あの二人を組ませたのが間違いだった。やはり、私が音頭を取って動かないと何事も進まない、そういう仲間である。

東京に出ているのは私とMちゃんだけで、あとは田舎にいる。なので中間地の熱海あたりで一泊して、とかでもいいし、私とMちゃんが帰省して田舎で開いてもいい。Mちゃんも同意してくれた。本当は50年ぶりに母校の柊祭を皆で見に行きたかったが、一般公開は9月9日(日)とのことで、今からだと集まるのは難しい。来年あたり、幹事の順番は無視して、私が企画して執行部の同窓会を開こう (^^♪


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2018年08月18日

テンション下がりまくり・・・

イタリアで気分をリフレッシュしてきたつもりが、帰国後テンションが下がりまくり。なので、記事の更新開始も遠藤沙耶さんから頂いたコメントへの返信も少々お時間を頂けたらと存じます。

怪我したワケでもないのに、右脚の膝から下の側面が、歩くたびにズキンと痛んでビッコを引いてます、が・・・、100 m くらい歩いた後は普通に歩けるようになります。それが不思議です。

昨日の記事で書いた「2件の申し込みが宙に浮いている話」、それぞれの客付け業者さんからは「まだお客様と連絡が取れない」との連絡がありました。75歳の高齢者のほうは、本人も家族も責任を取ってくれることは無いでしょう。私がこの業界に入ってからの過去30年、そういう流れで責任を取ってくれたお客さん、たった一人しかいません。それがご縁で私と女房と長男が20年以上通い続けている理容店のマスターだけで、うちのと入籍する時の婚姻届けの証人にもなって頂いています。

先方の業者には、「お客さんが責任を取ってくれない場合は、御社が受け取っている仲介料は家主さんに転送してください」と依頼しました。お客さんの責任・・・、法的な強制力はありませんし、今までの流れで「そんなの知らない」と拒否するのは間違いないでしょう。私が家主さんに対してどう責任を果たすかが問題です。

あ〜あ、仕事も何もしないで一生旅を続けていたい・・・。宝くじ、買おうかな 💧




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2018年08月05日

明後日にはイタリアに向けて出発 (^^♪

出発は明後日(火曜日)の14:05分だが、今日の午前中に宅配業者がスーツケースを預かりに来る。JCBトラベルで旅の予約をすると、空港 ⇔ 自宅間のスーツケース往復宅配が付いてくるから利用させてもらうことにした。2日前にスーツケースを持って行かれるのは(支度の関係で)辛いものがあるが、「前日(明日、月曜日)の集荷でも間に合いますが、万一のことを考えたら日曜日の集荷のほうが良いでしょう」という業者のアドバイスに従うことにした。荷物が届いていない、という事故は起きないだろうけど、時間に追われてギリギリで作業をさせられる人たちの気持ちを考えたら、私の「その程度の不便さ」くらい我慢すべきだと思うから。

旅行に持って行くものリスト、というのを作ってあって、それと睨めっこしながら二重三重にチェックを入れて、何度も確認したから忘れ物は無いだろう。カメラと財布、バスポートを入れたウエストポーチは当日腰に巻いていき、ロストバゲージに備えて一日分の下着などを入れたリュックはスーツケースの中。当日空港でスーツケースを受け取った後でリュックを出してスーツケースを航空会社に預ける予定。

全く同じツアーで、成田発着と羽田発着があって、我々は羽田発着を選択。航空会社が成田発着のツアーだと Alitalia で、羽田発着だと Lufthansa 。マイレージがスターアライアンス、ということもあるけど、イタリア系の Alitalia より、ドイツ系の Lufthansa のほうが信頼性が高い。イメージ的に、イタリア系はチャラそうで、ドイツ系は質実剛健で几帳面。以前に「添乗員さんの友人が Alitalia に勤務しているから」ということで、ご厚意で Alitalia のビジネスクラスに乗ったことがあるけど、後で添乗員さんから事情を聞くまで「それがビジネスクラスだと判らなかった」ほどで、プレミアムエコノミーくらいの座席だったし。

私のマイル、もうヨーロッパ往復二人分のアップグレード分が溜まったけど、それは自分だけの為には使わない。うちのと「いつか(うちの飼猫ノルンの原産国の)ノルウェーに行きたいね」と話していて、その時に使うつもり。一度はビジネスクラスに乗せてあげたいから。今回のツアーでもアップグレードに使えたけど使わなかった。何年後になるか判らないけど、私の年齢的に言っても「ノルウェーが最後の海外旅行」になるかも。

あとは・・・、希望していて行き残したところ・・・、アフリカとカリブ海かなあ・・・。

さて、と・・・、もう旅行のことで頭が一杯で仕事が手につかない、なんてことは全く無くて、今日も夕方から案内の予定が入っている。むしろ、明後日からイタリアに行く、という実感が無い。毎日旅行の準備をしていても、である。昨日も、添乗員さんから挨拶の電話があったけど、物件の空室確認くらいの感覚で話していた。「初めての海外旅行」ではないから高揚感も無い。エヘン、34回目だかんね (^◇^)

自分は(甘えん坊のノルンがいるから)いつも留守番で、苦しい家計の中から旅行積立をさせてくれて快く送り出してくれる女房殿に感謝。その女房にはお土産は買って帰らないが、私の留守中に楽しむべく「程度の良いワイン」は何本か購入してあって、少しだけどお小遣いも渡した。食べる物で贅沢してくれたら嬉しい。

今まで鬼のように土産を買っていたけど、やめることにした。いろいろと義理もあるし、ぜひお土産を渡したいお相手もいるけど、お互いに負担になることだろうから、今回からは旅行だけ楽しんで土産は最小限に止めるつもり。自分自身の土産はいつもどおり、撮ってきた写真と冷蔵庫のドアに貼るマグネットになると思う。

って、毎回言ってるような・・・。でも、今回からは本当にそうしよう。


はあ・・・、昨年のクロアチア旅行記も完了していないのにもう今年のイタリアか・・・ 💧


 てなワケで、明日から14日まで、記事の更新をお休みさせて頂きます。皆さんも良い夏休みを♪

posted by poohpapa at 05:45| Comment(2) | プライベート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月02日

こんな会合が開かれていたんだ・・・

思い切りプライベートな話、個人的な恨みつらみの羅列なので読んで頂かなくてかまわない (おい)

別件で調べ物をしていて、母校(半田高校)の HP の、あるページ に辿り着いた。

それによると、2年半前に地元で半高21回生の同窓会「卒業45周年ひいらぎ21同窓会」が開催されていたらしい。私も21回生なので、当然に出席していても不思議はないが、お声は掛からない。何故なら、卒業する際に同窓会の会員になることを拒否したから、である。その際は、職員室に呼び出されて、いろんな先生から説得を受けたが拒否の姿勢を貫いた。同窓会への加入は自由、と言っていながら半ば強制になっていて会費も高かったから、である。入会金なのか年会費か不明だが、たしか3千円だったような・・・。創立50年で同窓会加入を拒否されたのは初めてのことらしい。だが、私に感化されて他にも拒否した奴が二人いた。

友だちは大勢いて、同窓会に加入してもしなくても友情は変わりなく、会おうと思えばいつでも会えるが、同窓会に出ていけば会いたくない奴とも顔を合わせることになる。カネを払ってまで不快な思いはしたくない、というのが本音。私にとっては同窓会費は無駄な出費でしかない。

学年主任からは、「同窓生で医師になる生徒もいるから、将来、夜中に子供が病気になって、『そうだ、あいつが医者だったハズ』と思い出して同窓会名簿を見て連絡して助けてもらえたりして、『ああ、同窓会に入っていて良かった』と思うこともあるハズ」などと、取ってくっ付けたような理由で説得されたが断った。学年主任は、そういう例えで押せば必ず説得できる、と思い込んでいたようで、「どうだ、同窓会に入るだろ?」と訊かれて私が「いいえ、お断りします」と言った時の顔ったらなかった。そもそもが私はその学年主任を信用していないから、どう言おうが受け入れるワケがない。中学時代には今も心から尊敬していて「恩師」と呼べる先生がいたけど高校時代にはいなかった。

HP の同窓会の様子の写真には親友 K 君も、昨年一緒にクロアチアに行った A ちゃんも写っている。だが、顔を見ても誰だか判らない奴がほとんど。歳より若く見える奴もいれば老け込んでいる奴もいる。みんなすごく変貌を遂げている。男はほとんど白髪かハゲ、あるいはその両方。もうみんなリタイアしているだろうから、ここから先はみんな一気に老け込むのではないか。私はまだ髪が残っているほうだし黒髪で、自分の歯も全て残っているから、そのうち飛び入りで参加してやろう。

その同窓会には私が室員だった新聞室の顧問も来ていたようで、むこうは忘れているだろうけど私とは確執があるから、呼ばれていたとしても行かなくて正解だったと思う。

ところで、後に自殺した高校3年時の担任から、当時、「半高からは有名人が出ないなあ」と小馬鹿にされたことがある。担任は愛知県で一番の進学校である旭丘高校出身で、たしかに有名人は多数出ていたかも知れないが、うちの高校からもその後にいろんな分野で活躍している同窓生が出ている。2年から3年に進級する際のクラス分けで、私のことを「アイツの担任にはなりたくない」と教師たちが押し付け合って、一番若いその先生が受けることになった、ということで、「お手柔らかに頼む」と言われたことがある。当時から「扱いにくい奴」だったんだろう。だが、教師がそんなこと言うものかねえ、である。

歴代経団連会長14人のうち3人は半高の出身らしい。ちなみに、日比谷高校出身者が4人。それがために東京支部の同窓会は経団連ビルで開かれる。俳優の渡辺哲さんは2年先輩、作家でタレントの家田荘子さんは7年後輩。家田荘子さんは在学中からタレント活動をしていたようなので、先生方からは疎まれていたのではなかろうか。「生徒はおとなしく勉強だけしていればいい」という風潮だったから。昔から「自由と質実剛健」の校風を売りにしていて、おとなしく勉強だけしている生徒は不自由を感じないから「半田高校は自由」だと思っていただろうけど、学校の校則や方針に「それはおかしい」と異を唱える私みたいな生徒からするとまるで自由だとは思えなかった。生徒たちもみんな「事なかれ主義」で、「波風を立てる仲間」を嫌うし。

ただし・・・、全員が私みたいになったら、つまり、ハッキリと意見を言うようになったなら、それはそれで世の中の秩序が乱れたりするものだと思う。客観的に見たら「私みたいな人間も必要」程度のものなんだろう。人に言わせておいて自分は「いい子」になる奴は昔も今も大勢いるし、好きではないけど。

などと、単に「自分が劣等生だったから」というのが最大の理由なんだろうけど、私は今も根に持っていることが多々あるし、半田高校に関しては屈折している。中卒と高卒、ということでも世の中に出れば違いはあるけど、中卒で就職すれば良かったかな、と思うくらい半田高校の教育方針や教員たちは好きではなかった。ただ、新聞室の1年先輩のMさんが後に半田高校の校長になっていたから、その間に訪ねたかったな、とは思う。ズカズカと校長室に入っていって「しげさん、久しぶり〜」とやりたかった (^◇^)

ところで、私が生徒会長として文化祭と体育祭の企画や指揮をしていたのが、ちょうど50年前。もう半世紀にもなるが昨日のことのように覚えている。むしろ20年くらい前の出来事のほうが昔の話で、高校時代のほうが最近の話と思えるほど。当時は日曜日も夏休みもなく毎日登校して(定時制高校の生徒と間違われるくらい)夜遅くまで準備をしていた。生徒会の執行部は9人で、今も全員健在で仲が良い。

今年が創立100年の節目で、当時は創立50周年ということで、私の発案で「学校創立50年の歩み」というのを文化祭のパンフレットに盛り込むことにした。資料集めはたいへんだったけど、みんなで協力して「良い50年史」ができた。その文化祭のパンフレット・・・、私が持っていても仕方ないから母校に電話して「欲しい」と言われたら送ってあげよう。ついでに生徒会の顧問に「蜂蜜太郎という美味しいお菓子がありますので、執行部の皆さんのおやつに、箱でお送りしましょうか?」と訊いてみよう。


ふう〜、スッキリした (爆

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2018年07月24日

断捨離は遅々として進まず逆行し・・・

人生の残り時間が見えてきて、物欲を捨てて断捨離しようとは思っているのだが・・・、

腕時計を買ってしまった・・・。ヤフオクで、Casio のソーラー電波時計を落札したのだ。理由は、海外旅行でいちいち現地時間に時計を合わせるのが面倒、というただそれだけ。うちのに「今ごろ買って、あと何回海外旅行に行けんのよ」と呆れられているが、欲しかったんだから仕方ない。

以前も書いたが、男は「欲しいものがあれば、思っていたより倍の値段がしても買う」が、女は「欲しくなくても『はい、今からタイムサービスで半額になります』と言われれば買う」、そういう性(さが)

落札したのがこちら、

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メーカーサイトではこちら

こういう時計はゴツイのが多くて好きじゃないけど、防水だし、ソーラーバッテリーだし、海外でも電波を受信して(設定はしなくちゃならないけど)自動で時刻を合わせてくれるし、「ま、いっか」と落札した。落札価格は24500円 (税込26460円)、逆輸入ということだったけど日本でも売られているみたい。定価は4万(税別)でカラーバリエーションもあるけど、ま、私は黒が好き。コンビネーションカラーだと安っぽくなるし。説明には「従来のサイズと比較して90%くらいまでダウン・サイジングしている」とあったが・・・、めちゃくちゃゴツイ。しかも機能いっぱいで使いこなせそうもない 💧

実は逆輸入品ということで使用説明書は英文。Casio のHPからもダウンロードできるのだが64頁もある。そこで、Casio に「日本語版説明書を送って頂くことは可能か」と電話すると、送ってくれるとのこと。電話に出られたのは男性だったが、とても感じが良く、「喜んで」と言われているような対応。しかも無料とのこと。へたしたら、「HPからダウンロードできますから、そちらをご利用ください」と言われかねないもの。正直、Casio は時計メーカーとして後発だし SEIKO や CITIZEN より一段下に見ていたが、いっぺんでファンになった。逆に、今まで好きなメーカーだったのに、何かで会社に問い合わせた時の対応の悪さで嫌いになることもある。

私の体験上、メーカーのサービス部門の対応の良さでは Nikon が群を抜いているかな・・・。

で、せっかく落札したし気に入っているけど、一昨年ペルーに行く際に、強盗に遭って身ぐるみ剥がされても悔いが残らないように、と思って買った「ダイバーズウォッチふうの3千円の時計」でイタリアに行くか悩んでいる。メーカーのHPによれば二回り小さな ladies もあるみたいだが、ladies は・・・、見る人が見れば「婦人物だな」と直ぐに判るだろうから着けたくないから買わない。

腕時計は、(もう手放しているが)世界初のクオーツ式腕時計を買ったこともあるし、これで7個になった。左腕は一本しかないのに・・・。TPO に合わせて使い分ける、と言えば尤もらしく聞こえるが、そんな面倒なことはしない。ふだんは(使ってないと止まってしまう自動巻の) ROLEX だし、たまにオシャレしてダンヒルのダイヤベゼルの金時計。どれも思い入れがあるから他のも大切に保管している。

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こうして見ると、今回落札した時計(箱の中、右から二つ目)が「いかにゴツイか」よく判る

そういえば・・・、以前は何かのお祝いに、よく腕時計を贈っていたっけ・・・。私が腕時計を贈った相手・・・、20人は下らない。私自身が腕時計が好きだから。今は、何かのお祝いには蜂蜜太郎(うそ)

ただ、最近の若い人に共通している特徴だが、腕時計をしない人が多い。今は「真夏で鬱陶しいから」ということもあると思うけど、(何も着けていないのも含めて)どんな腕時計を身に着けているかで人柄は想像つく。靴同様に男の身嗜みの一つとして腕時計は重要だと思う。スマホが有れば時間が判るから腕時計なんて要らない、着けなくていい、と考えるような奴は好きじゃない。そういう問題じゃないから。

で、昔の記事で書いているけど、一番左は私が高校に入学した際に買ってもらったスポーツマチック5。50年以上も前の時計だが、手入れしているのでまだ現役で動く。左から2番目は次男が読売新聞の奨学生で卒業の記念に頂いたロンジンのドレスウォッチを私がもらったもの。真ん中は、うちのとウォルト・ディズニー・ワールドに行った時に買ったもので、文字盤はディズニー公認アニメーターによる手描き。

一番右のダンヒルは、私が死んだらうちのに使ってもらおう。サイズが男女兼用だし。

こちら ↓ は6年前に記事にした際の写真、

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一番右側のは、長男の好みド真ん中の、手巻き・中2針・薄型・裏蓋スケルトン・エナメルの白文字盤にローマ数字、という SEIKO の時計。手巻きなのに(手巻きだから)定価25万もする。私が死んでから渡すより早いほうがいいか、と思って、もう「形見分け」で渡してあるから私の手元には無い。ちなみに、次男と娘への形見分けの品も、既にいつでも渡せるよう用意してある。ま、高価なものは無いけど・・・。


いろいろコレクションしてきたけど・・・、最後まで残るのは時計かな。7個くらいではコレクションとは言えないだろうけど、持っているほうだろう。高校は腕時計をすることが許されたので、腕時計が大人になるための第一歩、象徴のように思えて憧れていて・・・、だから思い入れがあるのかも。

さて、と・・・、集めに集めたクリアファイルとか各種トランプとかゴルゴ13グッズとか・・・、ヤフオクに出しても大した金額にならないだろうから面倒なだけだろうし、棺の中に入れるワケにもいかないもの。テレホンカードは娘が「欲しい」と言ってたけど今は要らないだろうし・・・。要るとしても換金目的だろう。売ってカネになるのはカメラくらいかなあ・・・。それだって一月分の生活費になるかどうかだし。

ま、死んだ後のことは知らない。生きてるうちにコレクションを手放すのも辛いし、「あの世から文句を言いに出てこないから、勝手に処分してくれ」である。私には断捨離は無理みたい・・・(はあ)

posted by poohpapa at 04:33| Comment(8) | プライベート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月28日

久しぶりに伊勢丹8階の寿司の名店「魯山」へ

当社で6回も部屋を借りてくれていた「た〜」さんから日曜に電話があって「水曜日に立川に行くから」だと。立川に行く、と言ったって今は郷里である岩手の片田舎に引っ込んでいる。2週間前にも来ていて、その関連の用事らしい。郵送でも済むけど「皆に会えるから」と上京するみたい。なんでも、下処理をした「わらび」を持ってきてくれるらしい。それで「昼飯、一緒に食べようか。Jonathan's とバーミヤン、どっちがいい?」と訊くと、「バーミヤンのほうがいいな」と言う。私もそのほうが嬉しい。バーミヤンのほうが安いから (^◇^)

で、昨日、お昼前に我が家に到着。「わらび」の他に、私の大好物である岩谷堂羊羹「粒栗」も土産に持ってきてくれた。仕方ないので、「蜂蜜 太郎」を試食してもらうと、「ああ、美味しいね」というので、箱で買ってあることだし二袋持たせることに。

岩手の家では愛猫で超甘えん坊の「殿」が留守番しているので、用事とランチを済ませたら新幹線でトンボ帰りしなければならない。落ち着く間もなく食事に出掛けたのだが、途中、「バーミヤンでもいいけどさ、伊勢丹の8階の魯山のカウンターで(お好みで)寿司食べない?」と言ってみたら、「いいねえ、そうしよ」だと・・・。

おい、そこは遠慮するとこだろが。うちのでさえ、「たまには廻ってない寿司でも食べに行かない?」と訊くと「無理しなくていいよ。私はパックの寿司や回転寿司で十分だから」と気を遣うのに ( `ー´)ノ

まあ自分で言ったことだから仕方ない。伊勢丹の8階まで昇って魯山のカウンターに座って、大将が「さ、何にしましょ?」と言うと、「穴子」だと。ま、穴子なら赦すけど、それを食べ終えたら「中トロ」とぬかしゃがった。「おい、もうそこに行くか!?」と言いたくなった。大将が「すみませんねえ、中トロは切らしてます」と言ってくれることを心の中で祈っていたが、笑って受けやがった。この3人の中なら、割り勘でなく私が払う、ということくらい判りそうなものである。くそっ、この大将は使えない (こら)

た〜さん、一通り食べて、また穴子に戻ったので、「穴子に始まって穴子に終わる、ってことか」と思っていたら、その後に「ネギトロ」だと。終わりじゃねえのかよ、まだ食うのかよ、である。

失敗した・・・。焼き肉の食べ放題に誘うべきだった。さすがに魯山、とびきり美味しかったけどさ。

会計は19440円・・・。ま、正直、魯山で「お好み」でならランチでも3万は覚悟していたけど。それより、た〜さんは舌が肥えているから「満足してくれるか」怖かったけど、「美味しかったよ」と言ってくれたので安堵。ただし、自分で払うなら「イマイチだったね」と言ったかも。誰が払うかで評価は変わるもの。

実は、今回、帰りの新幹線のチケット、私が預かって「みどりの窓口」に行って、普通車からグランクラスに替えてあげようと思っていた。一生に一度、そういうのを体験してもらうのもいいかな、と思っていたから。だが、「普通車でいいよ」と辞退したので、グランクラスが寿司に代わっただけのことである。

それと、もう一つ。た〜さんが来てくれたことで、うちのを魯山に連れて行く口実が出来た、ということ。

た〜さんとうちは互いのプライバシーにも深く関わって理解し合う仲である。そういうお客さんは少ないし、これからも大切にしたいと思う。だけど次はバーミヤンにしよう。もしくはガスト、当たり前である。

posted by poohpapa at 05:17| Comment(6) | プライベート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月14日

まったりした休日

2時半にトイレに起きたら、再び横になっても寝られず・・・、結局起きてしまった(トホホ)

昨日、うちのとランチに行こうとしたところにCメールが・・・。当社で6回も部屋を借りてくれて今は郷里の岩手に戻っている「た〜」さんからだった。「今、どこにいると思う?」だと。

そういうのは愚問である。岩手にいるなら当たり前なんだし、シンガポールで米朝首脳会談の通訳をしているワケもないし、パリやローマから、なんてこともあるハズがないのだから、事前に何の連絡も無かったが、近く(立川)にいるに決まっている。電話したら「図星」だった。

うちのと先ず伊勢丹に行って、今日から2階入り口のギャラリースクエアで始まるサマーリカーフェァに来ているであろうソムリエさんに挨拶をして、ちょっと試飲して、それから coco 壱でカレーを食べて、帰りに東急ストアに寄って買い物して、というつもりだったが、伊勢丹の2階はスルー。向こうも「2時くらいに予定が終わる」とのことなので、先にランチして駅ビルで待ち合わせることに。

上京は急遽決まったとのことで、いきなり連絡してきて人の予定を狂わせやがって大迷惑だが、期間限定の「かもめの玉子 メロン味」を土産に持ってきてくれたので赦す(おい)

「かもめの玉子」は地元でしか入手できない期間限定モノをよく出していて、こっちで手に入れることは出来ないから嬉しい。いろいろ出してはいるけど「秋の栗味が最高」ということで意見が一致。と、書いておけば秋には送ってくることだろう (^◇^)

駅ビルの喫茶店に入ってしばし歓談したが、今回は日帰り上京で、帰りの新幹線の時間が気になっているのでゆっくりは話せなかった。また来月上京する予定とのことなので、その時には食事も一緒にしよう。ただねえ・・・、東北新幹線ではあるし滅多にないことだろうけど、先日の事件のこともあるから心配。

新幹線に乗り込んで直ぐメールがあって「隣は品の良いマダムです」とのこと。乗ってきて直ぐ「一番搾り」の500 ml を飲み始めたらしい。た〜さんは水沢江刺まで、マダムは手前の一関で降りたとか。てことは・・・、うちのの実家の隣組だったりして。「写メ送れ」とメールしたが「無理」と断られた (ちっ)

た〜さんが岩手に戻って4年ちかく経つし、ガストのスタッフKさんが福岡に行ってしまってちょうど1年・・・、だんだん寂しくなる。そう言えば、ガストも先日1年ぶりに訪れたが知っている顔はもう無かった。今から新たに人間関係を築いていくだけの気力も体力も無い。私にとっては、食事に行くのでなく人に会いに行っていた、ということ。知っている顔を見るだけでホッとするから。

東急ストアで買い物を済ませて、なんとなく「 Loft に寄ってみようか。新しいガチャガチャが入ってるかも」ということになり、寄ると、「コップのフチ子」の新シリーズが出ていた。と言っても、我々がご無沙汰していただけで以前から出ていたモノかも知れないが。4種類あって、どれが出てくるか判らない。私としては和服姿で傘をさしているモノを入手したいのだが・・・、そればかりは、買ってみないと判らない。それで確率5割になるよう2個入手。ダメならまた買おう、と思って、帰宅して開封すると・・・、

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最初に開けた箱で第一希望ゲット (右側)

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もう一個は第二希望のモノだったから、まあ、なんと運のいいこと 😃

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ピンボケだけど、この4種類

こんなに上手くいくことは珍しく、た〜さんがツキを運んで来てくれたのかも。


ついでと言ってはナンだけど、

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メルカリで応募シール10枚を落札して、届いた「5時に夢中!」の帽子と、「もちーーん」

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「もちーーん」をアップで

「もちーーん」は、バーミヤンのレジ横に置いてあったものを購入。Loft でも売っていた。色は選べないが、ふわふわの感触で、猫の肉球より少し柔らかい。触っているとクセになりそう。女性のオッパイの感触にも似ているかな。「オッパイ、触っていい?」の財務省の福田次官、こんなので我慢していれば良かったのに (^^♪

「もちーーん」をた〜さんに見せたら所望してくれたので持ち帰って頂いた。

思いがけずの再会で、おかげでいい休日になった。



posted by poohpapa at 05:09| Comment(0) | プライベート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月02日

苦節13年、やっと、この時が・・・

何か、とてつもなく大きな商談が舞い込んできて契約を済ませた・・・、というのではない。

朝、目覚めたら、ノルンが私の布団(足下)に乗って寝ていたのだ。

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たったそれだけのことである。だが、ノルンを飼うようになって13年になるが、今まで私の布団に潜ってくるどころか乗ることさえなかった。ただの一度も、である。ノルンにとっては「うちのこそが唯一の飼主」なのだ。カーペットに爪が引っ掛かってるのを私が取ってあげようとするとシャー(威嚇)するし。

もっとも、私が布団から出てしまうと私の布団で寝ていることはあるけど (*´з`)

朝起きて、ノルンが私の布団に乗っているのを見たら、なんか奇跡が起きたようで涙が出てきた。以前も、私が具合が悪くて寝ていたら、ずっと足下にいてくれたことがあって、「よく解かってるなあ・・・」と驚いたもの。てことは・・・、

私はこの先「長くない」のかなあ・・・。やはり「すべきことを早くしなさい」というお告げなのか。

もちろん、ここんとこ「そのつもり」で動いているけど。


ところで、うちのが男性用の「シミ抜き」と「傷口隠し」のクリームを買っておいてくれた。額の傷は一直線でなく地図の私鉄の線路みたいな感じで縫い目が残っているから人相が極端に悪くなるから。

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少しずつ試してみたいと思う。今も街で行き交う人に額をチラ見されるから、効果があると嬉しい。



posted by poohpapa at 05:25| Comment(2) | プライベート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする