私がいつも読んでいるトンデン倶楽部通信のメルマガから。
使う時が無いかも知れませんが、このメルマガ、雑学が身に着きます。
孫の手は孫とは関係ないというお話
「孫の手」という言葉の由来は
読んで字のごとく
かゆいところに手が届かない
祖父母の背中を
孫が掻いているイメージ
から
「孫の手」となったと
思っている人が多いかもしれませんが
実は違うんだそーです
孫の手の「孫」は
実際には「麻姑(まこ)」
と書くのが正しいらしく
麻姑は中国が漢の時代に
存在していた仙女だそうで
後漢の桓帝の時代に
王遠という仙人がいて
王遠がその弟子の蔡経と再会した際に
「久しぶりに麻姑に会いたい」
と遣いを出したところ
すぐに麻姑がやってきてくれ
蔡経は麻姑の綺麗な手を見て
「鳥のように爪が長く
この爪でかゆいところを掻いてもらえば
さぞ気持ちいいだろう」
と考え
以来「麻姑の手」と伝えられ
日本ではそれが
「孫の手」になったんだそうです
まさに、指摘されたとおりに誤解してましたね。これから誰かに背中を掻いてもらって、「有り難う、孫の手が無いから助かったよ。ところで、孫の手の本当の由来、って知ってる?」とか言ってやろ (^◇^)
トンデン倶楽部通信は、北海道トンデンファームという食品の通販サイトが発行しているメルマガで、本題の前に必ず雑学話があって、勉強になります、セールストークに役立ったりしてね。
ご参考までに、
トンデンファーム公式フェイスブック
https://www.facebook.com/tondenfarm
北海道トンデンファーム公式オンラインショップ
https://www.tonden.com/
メルマガ登録はこちらから、
https://www.tonden.com/online/aboutus/magazine.html
2021年05月07日
2021年04月19日
拡散希望、ということでご協力、私も同感だから 12
これも、NPO法人「百人の会」のメルマガより、
川内時男先生の活動報告(基)
(元徳島県公立中学校校長)
90、国家観なき教育論は「きれいごと」になる(拡散希望)
「教育は国の礎」とは教育関係者でなくとも誰もが言います。またこれを否定する人はいません。
しかし私にはこの言葉がただのお題目になり、言葉だけが踊っているように感じます。この言葉を本当に言葉通りに理解しているなら、教育関係者は自分が携わっている教育がこれからの国づくりにどう結びついていくのかと考えるはずです。それを考えないままに「教育は国の礎」などと言っても空念仏にしかなりません。だから空論のきれい事になるのです。
我が国はこれからどう生きていけば良いのか、またどういう国でなければならないのか、そのためには国民にはどうあってほしいか、そしてそういう国民になってもらうにはどういう教育をすべきかと、国の未来像から教育のあり方へと考えを辿るはずです。つまるところ、明確な国家像をもたなければ国の未来を見据えた教育は出来ないと言うことです。
近年、我が国の衰退は我の目にも明らかです。コロナワクチンの開発にも後れを取ってしまいました。もはや科学技術立国などとはおこがましくて口に出来ません。どうしてこんな体たらくになってしまったのでしょう。「教育は国の礎」の言葉に従えば、これらの原因は全て教育が衰退したことにあります。国の行く末に何の危機感も持たず、何のビジョンも持たず、「子供が笑顔で伸び伸びしていればこと足れり」とするおめでたい教育を長く続けてきたのですから、こうなるのは当たり前です。
何度も言いますが、私は自由伸び伸び教育を否定しているわけではありません。ただそう言う教育は基礎学力と人格の基盤が一応完成した高校教育以降にすべきだと言っているのです。
ところで、前回私は、国が発展するためには貧しい家の子でも努力次第で大成出来る社会でなくてはならない、と言いました。かつての日本はそう社会であり、それが我が国の強みでもありました。しかし現代の教育界、特に小・中・高校は「私高公低」です。いい教育を受けるには高い学費を払って私学に行くしかありません。しかし学費の払えない貧しい家の子は入学どころか、最初から選択肢に入っていないのです。
つまるところ我が国が発展するためには公立学校が私学に負けないだけの教育をするしかないのです。しかしこれは道のりが遠すぎてにわかには実現できそうにありません。そこで一案・・・。
厳しいバッシングを覚悟で提案します。全国の高校三年生の中から「非凡な才能の持ち主」と認められる者数百人を募り、大学進学後の経費(授業料・生活費)の一切を国が負担する奨学金制度をつくり、貧困のために志を断念することがないようにするのです。言わばこれは「将来我が国に貴重な果実をもたらしてくれそうな苗木」に十分な肥料を与える、という施策です。
外国人留学生という苗木に肥料をやることも無意味とは言いませんが、外国で実をならせる苗木よりも、自国に実を落としてくれる苗木の方がもっと大事だと私は思います。
まあ、素人考えで、ずっと以前から疑問に思っていましたが、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震や近年の台風による未曽有の被害に遭っている日本が、自国より優先して(私にはそうとしか見えないのですが)発展途上国の援助をするのは何故でしょう。時の総理が世界に被害の実情を訴えて、「復興するまで、予定していたODAは休止させて頂きたい」と宣言したとして、「先進国としての責任を果たしていない」などと他国から非難を浴びるものなんでしょうか。先ず自国のことを考えて当然かと・・・。
私は、個人の付き合いも外交も「こちらが思っているほど相手はこちらのことは考えていないもの」と確信していますので、「日本が多額の支援をしていた国」が、何かあった時に日本を支持してくれるとは限りませんし、そうなったら我々の税金は「捨て銭」になりますよね。今は、日本が100億円の支援をしても、中国が200億円の支援をしますからアッサリ上書きされてしまいますしね。
「ODAなんて、個々の国が国益を図って支援するより、国連に一度集めて、国連が公平に割り振ればいい」と思うのですが・・・、悲しいかな、国連は正常に機能しておりません。
川内先生のご意見と重ねれば、日本に「希望した大学に経済的な理由で進めない日本人学生」が大勢いるのに、留学生を募り手厚く支援する・・・、不思議でならないのです。
日本はビル・ゲイツですか?
有り余る資産の中から支援するなら文句は言いませんし美しいことだとは思いますが、日本人の中にも「明日の米を心配している人」が大勢いるのに、どうしてよその家のことを心配しているんでしょう。そんなだから、在日に集られて(いいように)食い潰されるのです。当然に、日本にある朝鮮人学校に対して補助金を出すなんて以ての外。それは本国がすることではありませんか?、お人好しにも程があります。
現在の奨学金制度、私は詳しくは知りませんが、大いに欠陥があるのでは?、と思えてなりません。様々な補助や保護、先ず日本人に対して「基本的な修学や生活」ができるように使って、余ったのなら留学生や発展途上国を支援すれば良い、と思いますね。余らないか・・・。
何事も、優先順位が大切、だと思います。なので、川内先生のご意見に激しく同意します。
川内時男先生の活動報告(基)
(元徳島県公立中学校校長)
90、国家観なき教育論は「きれいごと」になる(拡散希望)
「教育は国の礎」とは教育関係者でなくとも誰もが言います。またこれを否定する人はいません。
しかし私にはこの言葉がただのお題目になり、言葉だけが踊っているように感じます。この言葉を本当に言葉通りに理解しているなら、教育関係者は自分が携わっている教育がこれからの国づくりにどう結びついていくのかと考えるはずです。それを考えないままに「教育は国の礎」などと言っても空念仏にしかなりません。だから空論のきれい事になるのです。
我が国はこれからどう生きていけば良いのか、またどういう国でなければならないのか、そのためには国民にはどうあってほしいか、そしてそういう国民になってもらうにはどういう教育をすべきかと、国の未来像から教育のあり方へと考えを辿るはずです。つまるところ、明確な国家像をもたなければ国の未来を見据えた教育は出来ないと言うことです。
近年、我が国の衰退は我の目にも明らかです。コロナワクチンの開発にも後れを取ってしまいました。もはや科学技術立国などとはおこがましくて口に出来ません。どうしてこんな体たらくになってしまったのでしょう。「教育は国の礎」の言葉に従えば、これらの原因は全て教育が衰退したことにあります。国の行く末に何の危機感も持たず、何のビジョンも持たず、「子供が笑顔で伸び伸びしていればこと足れり」とするおめでたい教育を長く続けてきたのですから、こうなるのは当たり前です。
何度も言いますが、私は自由伸び伸び教育を否定しているわけではありません。ただそう言う教育は基礎学力と人格の基盤が一応完成した高校教育以降にすべきだと言っているのです。
ところで、前回私は、国が発展するためには貧しい家の子でも努力次第で大成出来る社会でなくてはならない、と言いました。かつての日本はそう社会であり、それが我が国の強みでもありました。しかし現代の教育界、特に小・中・高校は「私高公低」です。いい教育を受けるには高い学費を払って私学に行くしかありません。しかし学費の払えない貧しい家の子は入学どころか、最初から選択肢に入っていないのです。
つまるところ我が国が発展するためには公立学校が私学に負けないだけの教育をするしかないのです。しかしこれは道のりが遠すぎてにわかには実現できそうにありません。そこで一案・・・。
厳しいバッシングを覚悟で提案します。全国の高校三年生の中から「非凡な才能の持ち主」と認められる者数百人を募り、大学進学後の経費(授業料・生活費)の一切を国が負担する奨学金制度をつくり、貧困のために志を断念することがないようにするのです。言わばこれは「将来我が国に貴重な果実をもたらしてくれそうな苗木」に十分な肥料を与える、という施策です。
外国人留学生という苗木に肥料をやることも無意味とは言いませんが、外国で実をならせる苗木よりも、自国に実を落としてくれる苗木の方がもっと大事だと私は思います。
まあ、素人考えで、ずっと以前から疑問に思っていましたが、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震や近年の台風による未曽有の被害に遭っている日本が、自国より優先して(私にはそうとしか見えないのですが)発展途上国の援助をするのは何故でしょう。時の総理が世界に被害の実情を訴えて、「復興するまで、予定していたODAは休止させて頂きたい」と宣言したとして、「先進国としての責任を果たしていない」などと他国から非難を浴びるものなんでしょうか。先ず自国のことを考えて当然かと・・・。
私は、個人の付き合いも外交も「こちらが思っているほど相手はこちらのことは考えていないもの」と確信していますので、「日本が多額の支援をしていた国」が、何かあった時に日本を支持してくれるとは限りませんし、そうなったら我々の税金は「捨て銭」になりますよね。今は、日本が100億円の支援をしても、中国が200億円の支援をしますからアッサリ上書きされてしまいますしね。
「ODAなんて、個々の国が国益を図って支援するより、国連に一度集めて、国連が公平に割り振ればいい」と思うのですが・・・、悲しいかな、国連は正常に機能しておりません。
川内先生のご意見と重ねれば、日本に「希望した大学に経済的な理由で進めない日本人学生」が大勢いるのに、留学生を募り手厚く支援する・・・、不思議でならないのです。
日本はビル・ゲイツですか?
有り余る資産の中から支援するなら文句は言いませんし美しいことだとは思いますが、日本人の中にも「明日の米を心配している人」が大勢いるのに、どうしてよその家のことを心配しているんでしょう。そんなだから、在日に集られて(いいように)食い潰されるのです。当然に、日本にある朝鮮人学校に対して補助金を出すなんて以ての外。それは本国がすることではありませんか?、お人好しにも程があります。
現在の奨学金制度、私は詳しくは知りませんが、大いに欠陥があるのでは?、と思えてなりません。様々な補助や保護、先ず日本人に対して「基本的な修学や生活」ができるように使って、余ったのなら留学生や発展途上国を支援すれば良い、と思いますね。余らないか・・・。
何事も、優先順位が大切、だと思います。なので、川内先生のご意見に激しく同意します。
2021年04月12日
拡散希望、ということでご協力、私も同感だから 11
今回は、NPO法人「百人の会」のメルマガから、いつもの川内先生の記事のご紹介。先生の若き日の思い出話なので、同感、ということではないけど、昭和の頃の懐かしさが私の心の中にもこみ上げてくる。
川内時男先生の活動報告(基)
(元徳島県公立中学校校長)
89、懐かしき学生時代(拡散希望)
前回は貧しい家の子にも芽の出るチャンスを・・・という主旨の投稿をしました。これに関わって、ちょっと恥ずかしいのですが私の生い立ちについて述べます。決して自分の苦学ぶりをひけらかすわけではありませんのでご容赦ください。
地元の徳島東工業高校(現在の徳島科学技術高校)電子科の3年生であった昭和41年の2学期半ば、志すところがあって進路を変更、徳島大学工学部を受験しましたが、あえなく不合格になりました。波乱の人生の始まりです。
家は稲作農家と零細な八百屋ですから、高校を卒業した若造の私に「来年こそ頑張れ」とただ飯を食わせてくれるほど甘くはありません。叔父に連れられ和歌山でブルドーザーの修理をしていましたが、「このままでは道が拓けない」と心機一転し、東京に出ました。有り難いことに東京は選り好みさえしなければ仕事はいくらでもありました。新聞販売店に住み込み、夜は皿洗いや出前持ちなどをしながら専門学校に通っていましたが、学費が追いつかず退学しました。
このままでは・・・と焦る気持ちから再び心機一転して大学進学を決意、アルバイトで学費を貯めながら猛勉強しました。幸いなことに高校時代に培った電気の知識が役立ち、ビルに住み込んで変電設備や冷暖房機器のメンテナンスの仕事をしました。一応技術職でしたから新聞配達より給料がよく、また勉強する時間も十分とれました。
怠惰な私でしたが、このときばかりはよく勉強しました。その努力が実り、無事中央大学理工学部数学科に入学できました。徳島の両親に学費の援助を頼んでみましたが案の定「家にはそんな余裕はない、金は出せん」とのことでした。ということで学費は親に頼りませんでした。
学校に行ってみると同学年の者はみんな私より4つ歳下です。普通なら大学を卒業している年齢での入学でしたから同級生から見ればまるでオッサンです(教室の仲間からは「さん」づけで呼ばれていました)。ということで入学してからは昼間は大学、夜はビルの変電設備や冷暖房機器の保守管理の仕事をやっていました。
こう言いますと随分暗い学生生活を送ったように思われるかも知れませんが、結構楽しい生活でした。最も楽しかったのは、友人、知人を集めて草野球チーム(貧乏学生の集まりだからチーム名は「ビンボーズ」)をつくり、江戸川グランドで試合をしたことです。農作業の手伝いなどで、まともにスポーツをさせてもらえなかった私にとってはこの上なく新鮮でした。
ところでこの当時、新聞配達や牛乳配達をしながら大学に通う苦学生はたくさんいました。しかしこの頃の大学は「よりよい学習環境を」との理由で校舎を都心から郊外に移転することが多くなりました。親の仕送りを受けている学生にとっては都心の喧噪よりも郊外の方がよいのかも知れませんが、郊外ではアルバイトをしながら大学に・・・というわけにはいきません。
このときばかりは「俺たちのような苦学生もいるんだぞ!」と怒鳴りたい気持ちでした。
今回は私事ばかりの投稿ですみませんでした・・・反省。
私の次男も、新聞奨学生として新聞配達をしながら二つの専門学校を出ていて、そのまま20年以上も新聞配達をしていたので、先生のご苦労は何となく解かりますね、その分、小さなことにも幸せを感じていたことでしょう。人間、一億円のヘソクリがあっても満足せず、幸せだと思えない人もいれば、財布を覗いて福沢諭吉が一人いてくれただけで喜べる人もいて、幸せの基準は人それぞれ。
私は、自分の子供たちには「些細な出来事で幸せを感じられる人」になってほしいと思います。それは私の子供たちへの願望の一つですが、そのほうがいつも幸せに包まれて生活していられるのですから。貧乏人の僻みでなく本当の話。それに、幸せはみんなで分かち合ったほうが大きくなります。美味しい食べ物も、独り占めして食べるより、皆で分け合ったほうが幸せなんです。
私の美味しいお菓子のバラ蒔き、相手のために、でなく、自分のためなんです。自己満足でかまいません。相手の笑顔を見て自分が満足できれば自分は幸せでいられるのですから。自分のことより相手のことを優先して、それで自分が幸せになれる・・・、私の両親から教えられたことでもあります。見返りなど求めません。苦労をして、それがしっかり身に着いて生きている人こそが最高の人格者と言えるでしょう。私の究極の目標です。お菓子のバラ蒔きくらいでは達成できないと解かっておりますが(滝汗
川内時男先生の活動報告(基)
(元徳島県公立中学校校長)
89、懐かしき学生時代(拡散希望)
前回は貧しい家の子にも芽の出るチャンスを・・・という主旨の投稿をしました。これに関わって、ちょっと恥ずかしいのですが私の生い立ちについて述べます。決して自分の苦学ぶりをひけらかすわけではありませんのでご容赦ください。
地元の徳島東工業高校(現在の徳島科学技術高校)電子科の3年生であった昭和41年の2学期半ば、志すところがあって進路を変更、徳島大学工学部を受験しましたが、あえなく不合格になりました。波乱の人生の始まりです。
家は稲作農家と零細な八百屋ですから、高校を卒業した若造の私に「来年こそ頑張れ」とただ飯を食わせてくれるほど甘くはありません。叔父に連れられ和歌山でブルドーザーの修理をしていましたが、「このままでは道が拓けない」と心機一転し、東京に出ました。有り難いことに東京は選り好みさえしなければ仕事はいくらでもありました。新聞販売店に住み込み、夜は皿洗いや出前持ちなどをしながら専門学校に通っていましたが、学費が追いつかず退学しました。
このままでは・・・と焦る気持ちから再び心機一転して大学進学を決意、アルバイトで学費を貯めながら猛勉強しました。幸いなことに高校時代に培った電気の知識が役立ち、ビルに住み込んで変電設備や冷暖房機器のメンテナンスの仕事をしました。一応技術職でしたから新聞配達より給料がよく、また勉強する時間も十分とれました。
怠惰な私でしたが、このときばかりはよく勉強しました。その努力が実り、無事中央大学理工学部数学科に入学できました。徳島の両親に学費の援助を頼んでみましたが案の定「家にはそんな余裕はない、金は出せん」とのことでした。ということで学費は親に頼りませんでした。
学校に行ってみると同学年の者はみんな私より4つ歳下です。普通なら大学を卒業している年齢での入学でしたから同級生から見ればまるでオッサンです(教室の仲間からは「さん」づけで呼ばれていました)。ということで入学してからは昼間は大学、夜はビルの変電設備や冷暖房機器の保守管理の仕事をやっていました。
こう言いますと随分暗い学生生活を送ったように思われるかも知れませんが、結構楽しい生活でした。最も楽しかったのは、友人、知人を集めて草野球チーム(貧乏学生の集まりだからチーム名は「ビンボーズ」)をつくり、江戸川グランドで試合をしたことです。農作業の手伝いなどで、まともにスポーツをさせてもらえなかった私にとってはこの上なく新鮮でした。
ところでこの当時、新聞配達や牛乳配達をしながら大学に通う苦学生はたくさんいました。しかしこの頃の大学は「よりよい学習環境を」との理由で校舎を都心から郊外に移転することが多くなりました。親の仕送りを受けている学生にとっては都心の喧噪よりも郊外の方がよいのかも知れませんが、郊外ではアルバイトをしながら大学に・・・というわけにはいきません。
このときばかりは「俺たちのような苦学生もいるんだぞ!」と怒鳴りたい気持ちでした。
今回は私事ばかりの投稿ですみませんでした・・・反省。
私の次男も、新聞奨学生として新聞配達をしながら二つの専門学校を出ていて、そのまま20年以上も新聞配達をしていたので、先生のご苦労は何となく解かりますね、その分、小さなことにも幸せを感じていたことでしょう。人間、一億円のヘソクリがあっても満足せず、幸せだと思えない人もいれば、財布を覗いて福沢諭吉が一人いてくれただけで喜べる人もいて、幸せの基準は人それぞれ。
私は、自分の子供たちには「些細な出来事で幸せを感じられる人」になってほしいと思います。それは私の子供たちへの願望の一つですが、そのほうがいつも幸せに包まれて生活していられるのですから。貧乏人の僻みでなく本当の話。それに、幸せはみんなで分かち合ったほうが大きくなります。美味しい食べ物も、独り占めして食べるより、皆で分け合ったほうが幸せなんです。
私の美味しいお菓子のバラ蒔き、相手のために、でなく、自分のためなんです。自己満足でかまいません。相手の笑顔を見て自分が満足できれば自分は幸せでいられるのですから。自分のことより相手のことを優先して、それで自分が幸せになれる・・・、私の両親から教えられたことでもあります。見返りなど求めません。苦労をして、それがしっかり身に着いて生きている人こそが最高の人格者と言えるでしょう。私の究極の目標です。お菓子のバラ蒔きくらいでは達成できないと解かっておりますが(滝汗
2021年04月08日
この男、地上最悪の人間のクズ
私の毎日の訪問先、「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現」さんから、
凌星光「ウイグル人洗脳は必要!テロの恐れ」・以前「70歳超も職業訓練」「一生出られない」など
いやあ、「例の気違い」も、かつてのブログ仲間「 Cyber (故人)」も、サイコパスで相当なクズだけど、ここまでの人間のクズは知らない。こんなのが日本の国公立大学で教授や名誉教授をしているとは・・・、なんで??、である。それぞれの大学が知っていて雇っているとしたなら大問題。知らなかったとしたなら、(大学も文科省も)「ちゃんと身上調査しろよ!」と言いたい。
これ、森元総理の例の発言より遥かに問題発言。はい、人権団体の皆さ〜ん、出番ですよ〜。
とにかく、記事をお読み頂きたい。
個人的な見解だが、(無差別殺人は別だけど)誰かに恨みがあって殺してしまった奴よりもっと酷い。自分は安全な場所にいて、しかるべく地位にあって、多額の報酬を受け取って、ジェノサイドを正当化している・・・。日本にもスパイ防止法は必要。公安は何をしている!? <`〜´>
この地球で78億7千万人の人が生活しているけど、凌星光はその中でも最悪の人間のクズ、気違い。
私は、(同級生にもいるけど)人を踏み台にして出世する奴が一番嫌い。凌星光は自分で直接手を下していないだけで、多くの罪のない人の虐殺を正当化して支持しているのだから、もっと性質(たち)が悪い。
※ この記事に関しては、コメントの返信は致しませんが、自由にお書込みください。
凌星光「ウイグル人洗脳は必要!テロの恐れ」・以前「70歳超も職業訓練」「一生出られない」など
いやあ、「例の気違い」も、かつてのブログ仲間「 Cyber (故人)」も、サイコパスで相当なクズだけど、ここまでの人間のクズは知らない。こんなのが日本の国公立大学で教授や名誉教授をしているとは・・・、なんで??、である。それぞれの大学が知っていて雇っているとしたなら大問題。知らなかったとしたなら、(大学も文科省も)「ちゃんと身上調査しろよ!」と言いたい。
これ、森元総理の例の発言より遥かに問題発言。はい、人権団体の皆さ〜ん、出番ですよ〜。
とにかく、記事をお読み頂きたい。
個人的な見解だが、(無差別殺人は別だけど)誰かに恨みがあって殺してしまった奴よりもっと酷い。自分は安全な場所にいて、しかるべく地位にあって、多額の報酬を受け取って、ジェノサイドを正当化している・・・。日本にもスパイ防止法は必要。公安は何をしている!? <`〜´>
この地球で78億7千万人の人が生活しているけど、凌星光はその中でも最悪の人間のクズ、気違い。
私は、(同級生にもいるけど)人を踏み台にして出世する奴が一番嫌い。凌星光は自分で直接手を下していないだけで、多くの罪のない人の虐殺を正当化して支持しているのだから、もっと性質(たち)が悪い。
※ この記事に関しては、コメントの返信は致しませんが、自由にお書込みください。
2021年04月05日
拡散希望、ということでご協力、私も同感だから 10
88、日本衰退の根本原因(拡散希望)
近年はほとんど聞かれなくなりましたが、その昔ジャパニーズドリームという言葉がありました。これは貧しい家の子でも勉学に励んで学業を修め、一流大学を出れば高い社会的地位を得て成功を収めることが出来るという「ドリーム」です。
私が若かりし頃は貧しい家の子がリンゴ箱を机代わりにして猛勉強し、一流国立大学の医学部に・・・などの話は珍しくありませんでした。私の知る範囲でもそう言う人が何人もいたのですから、全国を見渡せばどれほど多くの人がそう言う夢を実現したことでしょう(「一流大学を出ることだけが成功なのか」などの青臭い反論はお断りします)。要は貧しい家の子であっても、目標をもって必死に頑張れば社会で頭角を現すことが出来る社会であったと言うことです。ところが近頃はこう言うジャパニーズドリームの話はとんと耳にしなくなりました。どうしてでしょう。
近年「日本の社会が階層化してきた」との指摘があります。よく言われることですが、金持ちの子は有名私立校から一流大学に進学し、高い学歴を身につけ、高収入を得られる職に就いてますます裕福になり、一方、貧乏人の子は塾にも行けず、質の高い教育が受けられず、所得の低い職に就き、ますます貧しくなり、その結果、貧富の格差が拡大し、固定化している、と言うのです。これらをすべて肯定するわけではありませんが、確かにその傾向は否定できません。
現代は大学全入時代ですから私の身辺でも大学で学ぶ若者は多くいます。しかし、いわゆる超難関の超一流大学に入学したという話はほとんど聞こえてきません。このままいけば我が国は富裕層と貧困層の格差がますます拡大し、固定化し、二極構造の階級社会になっていくことでしょう。
目を転じれば太平洋を隔てた対岸の大陸にはアメリカンドリームというのがあります。これは「一発当てれば大富豪になれる」というアメリカらしい野望です。事業で成功したり、大発見・大発明をしたり、あるいはプロスポーツ選手になったり、などで巨万の富を築く人は今も珍しくありません。そしてアメリカはこう言う人達の活力によって支えられているのです。アメリカは膨大な人口を抱え、また世界中から優秀な研究者が集まってく来ますから人材は豊富です。そして有能な人材が豊富にあればこそエネルギッシュに成長できるのです。今我が国はこんなアメリカと競争しています。
競争に勝つには突出して優れた人材が必要です。そう言う人材は貧困層からも富裕層からも芽生えてきます。しかしジャパニーズドリームがなくなった我が国では貧困層から出た芽は育つことが出来ません。貧しさのどん底から這い上がってきた野口英世のような話はすでに夢物語なのです。
富裕層という「狭い畑」から出てくる芽だけに頼っていては我が国は人材が乏しくなります。貧困層を含めた広範な層から出てくる多くの芽を大事に育てる必要があるのです。国を牽引するような人材になるかも知れない大事な芽を、空疎なきれい事の教育で腐らせているのですから国が衰退するのは当たり前なのです。
○お願い!この投稿をシェアして拡散して下さい。
○詳しい資料(教育イノベーション)をご希望の方はkaicho71369@yahoo.co.jpまでご連絡ください。無料です。
記事とは関係ないけど、昨晩は8時半に就寝して、途中11時にトイレに行きたくなって目が覚めたら、うちのはまだ起きていて、たまたま LINE にメッセージが入ってきたので返信して再び布団へ。5時半に起きたので9時間近く寝てたかなあ・・・。それでもまだ眠いから「怠け病」かも知れない。
近年はほとんど聞かれなくなりましたが、その昔ジャパニーズドリームという言葉がありました。これは貧しい家の子でも勉学に励んで学業を修め、一流大学を出れば高い社会的地位を得て成功を収めることが出来るという「ドリーム」です。
私が若かりし頃は貧しい家の子がリンゴ箱を机代わりにして猛勉強し、一流国立大学の医学部に・・・などの話は珍しくありませんでした。私の知る範囲でもそう言う人が何人もいたのですから、全国を見渡せばどれほど多くの人がそう言う夢を実現したことでしょう(「一流大学を出ることだけが成功なのか」などの青臭い反論はお断りします)。要は貧しい家の子であっても、目標をもって必死に頑張れば社会で頭角を現すことが出来る社会であったと言うことです。ところが近頃はこう言うジャパニーズドリームの話はとんと耳にしなくなりました。どうしてでしょう。
近年「日本の社会が階層化してきた」との指摘があります。よく言われることですが、金持ちの子は有名私立校から一流大学に進学し、高い学歴を身につけ、高収入を得られる職に就いてますます裕福になり、一方、貧乏人の子は塾にも行けず、質の高い教育が受けられず、所得の低い職に就き、ますます貧しくなり、その結果、貧富の格差が拡大し、固定化している、と言うのです。これらをすべて肯定するわけではありませんが、確かにその傾向は否定できません。
現代は大学全入時代ですから私の身辺でも大学で学ぶ若者は多くいます。しかし、いわゆる超難関の超一流大学に入学したという話はほとんど聞こえてきません。このままいけば我が国は富裕層と貧困層の格差がますます拡大し、固定化し、二極構造の階級社会になっていくことでしょう。
目を転じれば太平洋を隔てた対岸の大陸にはアメリカンドリームというのがあります。これは「一発当てれば大富豪になれる」というアメリカらしい野望です。事業で成功したり、大発見・大発明をしたり、あるいはプロスポーツ選手になったり、などで巨万の富を築く人は今も珍しくありません。そしてアメリカはこう言う人達の活力によって支えられているのです。アメリカは膨大な人口を抱え、また世界中から優秀な研究者が集まってく来ますから人材は豊富です。そして有能な人材が豊富にあればこそエネルギッシュに成長できるのです。今我が国はこんなアメリカと競争しています。
競争に勝つには突出して優れた人材が必要です。そう言う人材は貧困層からも富裕層からも芽生えてきます。しかしジャパニーズドリームがなくなった我が国では貧困層から出た芽は育つことが出来ません。貧しさのどん底から這い上がってきた野口英世のような話はすでに夢物語なのです。
富裕層という「狭い畑」から出てくる芽だけに頼っていては我が国は人材が乏しくなります。貧困層を含めた広範な層から出てくる多くの芽を大事に育てる必要があるのです。国を牽引するような人材になるかも知れない大事な芽を、空疎なきれい事の教育で腐らせているのですから国が衰退するのは当たり前なのです。
○お願い!この投稿をシェアして拡散して下さい。
○詳しい資料(教育イノベーション)をご希望の方はkaicho71369@yahoo.co.jpまでご連絡ください。無料です。
記事とは関係ないけど、昨晩は8時半に就寝して、途中11時にトイレに行きたくなって目が覚めたら、うちのはまだ起きていて、たまたま LINE にメッセージが入ってきたので返信して再び布団へ。5時半に起きたので9時間近く寝てたかなあ・・・。それでもまだ眠いから「怠け病」かも知れない。
2021年04月01日
youtube で見つけた「おもしろ動画」
世の中には頭のいい人がいるものだなあ、とつくずく思う。
モノの仕組み、作り方が分かる面白GIF
物の作り方、原理を考えた人も凄いけど、工作機械を作り出した人はもっと凄いと思う。
長年、ミシンの仕組みが謎だったけど、と言うか、物理的に無理なハズ、と思っていたけど納得。物の作り方だけでなく、自然界の仕組みも興味深い。赤ちゃんの顔ができるまで、なんか、怖い。
今日の記事はこれだけ。一昨日からまた「気持ち悪い・・・」が出始めているので。
今日は午前中に引っ越しの立ち合いが2件、どちらも徒歩で行く。立川駅を挟んで南口と北口にある二つの物件の距離は直線距離で3km・・・。もう車の運転も怖いし、この街では自転車での移動も怖い。
ま、頑張ろう。
モノの仕組み、作り方が分かる面白GIF
物の作り方、原理を考えた人も凄いけど、工作機械を作り出した人はもっと凄いと思う。
長年、ミシンの仕組みが謎だったけど、と言うか、物理的に無理なハズ、と思っていたけど納得。物の作り方だけでなく、自然界の仕組みも興味深い。赤ちゃんの顔ができるまで、なんか、怖い。
今日の記事はこれだけ。一昨日からまた「気持ち悪い・・・」が出始めているので。
今日は午前中に引っ越しの立ち合いが2件、どちらも徒歩で行く。立川駅を挟んで南口と北口にある二つの物件の距離は直線距離で3km・・・。もう車の運転も怖いし、この街では自転車での移動も怖い。
ま、頑張ろう。
2021年03月30日
拡散希望、ということでご協力、私も同感だから 9
えっと・・・、今回は私の Facebook から、
87、学校を応援しよう(拡散希望)
私の投稿を読んでいると、まるで学校の先生の多くは無能で、公務員という地位にあぐらをかき、安穏と暮らしてるように思われるかも知れません。とんでもないです。実は日本の学校の先生は実によく頑張っているのです。これは諸外国の教育を観てきた私ですから確信を持って言えるのです。
欧米はじめ諸外国の先生達は教師という職業をビジネス、つまり職業ではなく「食業」としてしか捉えていません。学校で子供に教えることだけが役割であり、それ以外のことにはほとんど我関せずです。つまり割り切っているのです。日本のように先生が家庭訪問をしたり、万引きをした子供を警察に引き取りに行ったり、進路相談をしたりなどは考えられないことでしょう。またそれらの国の国民は教師に対して多くのことを期待していないのです。
日本の教師が頑張っている事実を以下に述べます。以前にも述べたことであり、繰り返しになりますがご容赦下さい。教育にかける国の予算の対GDP比率は実は先進国の中で日本は最低です。にも関わらず日本の子供の学力は凋落傾向にあるとは言え、未だに世界のトップクラス、そして何より諸外国に比べ少年非行の件数が桁違いに少ないのです。その一例として写真のグラフをご覧下さい。

(教育改革国民会議の資料より)
これは単位人口当たりの少年による強盗事件の発生件数の国際比較です。欧米教育と言えば、教師や学者そして多くの日本人は憧れの的になっているようですが、それが単なる幻想であることはこのグラフを見れば一目瞭然です。そして日本の子供がいかに真面目で、また日本の教育がいかに優れているかが分かるでしょう。
では欧米先進国を差し置いて、なぜ我が国だけがこうう教育が出来るのでしょう。もちろん真面目な国民性が第一に挙げられるでしょうが、私はそれよりも大きな要因として学校の先生の教育にかける情熱と保護者の惜しみない協力を挙げたいと思います。
実は日本の教師の社会的地位は(私の知る限りでは)どの国に比べても高いのです。そして地域住民や保護者が先生を信頼し、尊敬し、学校を支えようとする熱意に溢れているのです。教師もこれに応え「食業」としてではなく、教師として使命感をもって子供を指導しています。これがあればこそ日本は素晴らしい教育が出来るのです。つまり学校の先生は保護者や地域住民から尊敬され信頼されるからこそいい教育が出来るのです。近年はマスコミによる学校バッシングもあり、先生に対する信頼が失われつつありますが、それでも諸外国に比べますとまだまだ先生の信頼は厚いと言えます。ということで先生と保護者の強い絆さえあれば日本の教育はまだまだ大丈夫なのです。
こう言えば、多くの方から「それなら貴方はなぜ日頃から学校批判ばかりするのか?」言われそうですが、それは私が学校に対して今以上に高いものを求めているからです。欧米教育の後追いばかりしている教育界に目を覚まして欲しいからです。世界一優秀な教師が集められた教育界に奮起してもらい、世界一の教育大国になって欲しいからです。ともあれ皆さん学校を応援し支えようではありませんか。
○お願い!この投稿をシェアして拡散して下さい。
○詳しい資料(教育イノベーション)をご希望の方はkaicho71369@yahoo.co.jpまでご連絡ください。無料です。
私も同感、ということで拡散に協力していますが、冒頭の部分は一部不同意であります。と言いますのも、今の教師の質は、我々が生徒だったころに比べて格段に落ちてきている、と思います。頑張っているとしたら、ふだんは定時で帰宅していても時間外労働が多い、ということくらい。
先生が家庭訪問をしたり、万引きをした子供を警察に引き取りに行ったり、進路相談をしたり、などというのは、教師の仕事の一部。諸外国はやっていないから日本の教師は偉い、立派、などとは言えません。我々が「部屋を紹介して契約させたら我々の仕事は終わり」ではないのと同じです。教師としての自覚や信念が無く、キツイ仕事内容に不満があるならハナから教師になんかならなければいいだけのこと。
再度言いますが、私が小学校に入学した62年前から、右肩下がりで教師の質は落ちています。私の周りの友人知人で教師になった奴、「アンタが教師?、生徒が可哀そう」なんてのは何人もいますしね。正しい知識を教えるだけならAi とかの機械で十分。今ふうのリモートでOK。時に間違いがあったとしても「人が人に対面で教える」ことの重要性や、意義や意味が解かっていない教師の多いこと。諸悪の根源は「反日で赤く染まった日教組」でしょうね。
私も記事の中で、例えば「韓国人の全てがそうではありませんが」などと断りを入れることが多々ありますが、そう書かないと「全部がそうとは言えないでしょう」などと解かり切った突っ込みが入るからで、本音は違います。川内先生も、半分本音、半分配慮、じゃないでしょうか。
諸外国と比べて日本の青少年の犯罪率が低いのは、学校や教師の頑張りによるものでなく、川内先生も仰っていますが、日本人の国民性、だと思いますね。諸外国と比べて、落とした財布の中身が無くなることなく戻ってくる率が高いのと同じでしょう。
87、学校を応援しよう(拡散希望)
私の投稿を読んでいると、まるで学校の先生の多くは無能で、公務員という地位にあぐらをかき、安穏と暮らしてるように思われるかも知れません。とんでもないです。実は日本の学校の先生は実によく頑張っているのです。これは諸外国の教育を観てきた私ですから確信を持って言えるのです。
欧米はじめ諸外国の先生達は教師という職業をビジネス、つまり職業ではなく「食業」としてしか捉えていません。学校で子供に教えることだけが役割であり、それ以外のことにはほとんど我関せずです。つまり割り切っているのです。日本のように先生が家庭訪問をしたり、万引きをした子供を警察に引き取りに行ったり、進路相談をしたりなどは考えられないことでしょう。またそれらの国の国民は教師に対して多くのことを期待していないのです。
日本の教師が頑張っている事実を以下に述べます。以前にも述べたことであり、繰り返しになりますがご容赦下さい。教育にかける国の予算の対GDP比率は実は先進国の中で日本は最低です。にも関わらず日本の子供の学力は凋落傾向にあるとは言え、未だに世界のトップクラス、そして何より諸外国に比べ少年非行の件数が桁違いに少ないのです。その一例として写真のグラフをご覧下さい。

(教育改革国民会議の資料より)
これは単位人口当たりの少年による強盗事件の発生件数の国際比較です。欧米教育と言えば、教師や学者そして多くの日本人は憧れの的になっているようですが、それが単なる幻想であることはこのグラフを見れば一目瞭然です。そして日本の子供がいかに真面目で、また日本の教育がいかに優れているかが分かるでしょう。
では欧米先進国を差し置いて、なぜ我が国だけがこうう教育が出来るのでしょう。もちろん真面目な国民性が第一に挙げられるでしょうが、私はそれよりも大きな要因として学校の先生の教育にかける情熱と保護者の惜しみない協力を挙げたいと思います。
実は日本の教師の社会的地位は(私の知る限りでは)どの国に比べても高いのです。そして地域住民や保護者が先生を信頼し、尊敬し、学校を支えようとする熱意に溢れているのです。教師もこれに応え「食業」としてではなく、教師として使命感をもって子供を指導しています。これがあればこそ日本は素晴らしい教育が出来るのです。つまり学校の先生は保護者や地域住民から尊敬され信頼されるからこそいい教育が出来るのです。近年はマスコミによる学校バッシングもあり、先生に対する信頼が失われつつありますが、それでも諸外国に比べますとまだまだ先生の信頼は厚いと言えます。ということで先生と保護者の強い絆さえあれば日本の教育はまだまだ大丈夫なのです。
こう言えば、多くの方から「それなら貴方はなぜ日頃から学校批判ばかりするのか?」言われそうですが、それは私が学校に対して今以上に高いものを求めているからです。欧米教育の後追いばかりしている教育界に目を覚まして欲しいからです。世界一優秀な教師が集められた教育界に奮起してもらい、世界一の教育大国になって欲しいからです。ともあれ皆さん学校を応援し支えようではありませんか。
○お願い!この投稿をシェアして拡散して下さい。
○詳しい資料(教育イノベーション)をご希望の方はkaicho71369@yahoo.co.jpまでご連絡ください。無料です。
私も同感、ということで拡散に協力していますが、冒頭の部分は一部不同意であります。と言いますのも、今の教師の質は、我々が生徒だったころに比べて格段に落ちてきている、と思います。頑張っているとしたら、ふだんは定時で帰宅していても時間外労働が多い、ということくらい。
先生が家庭訪問をしたり、万引きをした子供を警察に引き取りに行ったり、進路相談をしたり、などというのは、教師の仕事の一部。諸外国はやっていないから日本の教師は偉い、立派、などとは言えません。我々が「部屋を紹介して契約させたら我々の仕事は終わり」ではないのと同じです。教師としての自覚や信念が無く、キツイ仕事内容に不満があるならハナから教師になんかならなければいいだけのこと。
再度言いますが、私が小学校に入学した62年前から、右肩下がりで教師の質は落ちています。私の周りの友人知人で教師になった奴、「アンタが教師?、生徒が可哀そう」なんてのは何人もいますしね。正しい知識を教えるだけならAi とかの機械で十分。今ふうのリモートでOK。時に間違いがあったとしても「人が人に対面で教える」ことの重要性や、意義や意味が解かっていない教師の多いこと。諸悪の根源は「反日で赤く染まった日教組」でしょうね。
私も記事の中で、例えば「韓国人の全てがそうではありませんが」などと断りを入れることが多々ありますが、そう書かないと「全部がそうとは言えないでしょう」などと解かり切った突っ込みが入るからで、本音は違います。川内先生も、半分本音、半分配慮、じゃないでしょうか。
諸外国と比べて日本の青少年の犯罪率が低いのは、学校や教師の頑張りによるものでなく、川内先生も仰っていますが、日本人の国民性、だと思いますね。諸外国と比べて、落とした財布の中身が無くなることなく戻ってくる率が高いのと同じでしょう。
2021年03月22日
拡散希望、ということでご協力、私も同感だから 8
先に、コメントの返信少々お待ちください、申し訳ありません。
3/21 川内時男先生の活動報告(基)
(元徳島県公立中学校校長)
86,人権社会のなれの果て(拡散希望)
アメリカは世界一の人権大国です。そして人権は人間を幸福に導くための概念です。
では今アメリカに暮らす人々は世界一幸福なのでしょうか。私にはとてもそうは思えません。
弱肉強食の殺伐とした社会でしかないからです。
アファーマティブ・アクション(社会的弱者を救済する措置)や、ポリティカル・コレクトネス(政治的・ 社会的に公正・中立とされる言葉や表現を使用すること)が浸透していることを見れば確かに人権大国です。しかし、これらによってアメリカ社会がどれほど歪になっているかを考えれば、アメリカは「人権尊重国家」ではあっても、「人間尊重国家」とは思えません。
アメリカは人権大国であると同時に世界一の訴訟大国でもあります。些細なもめ事でもすぐ裁判になります。当事者どうしが話し合い、歩み寄ってものごとを解決するという柔軟さがないのでしょう。そして訴訟はすでにビジネスと化しています。事件・事故で遺族が嘆き悲しんでいる現場に弁護士が先を争うように駆けつけ、名刺を配り、「私が賠償金をとってやる」とアピールする凄まじい国です。因みに、単位人口当たりの法曹数(司法関係者や弁護士の数)は日本の二十倍です。
ギャグのような実話もあります。「入浴した猫を電子レンジで乾かしたら死んでしまった」と家電メーカーを訴え勝訴した、などは日本では笑い話です。 一方我が国ではどうでしょう。単位人口当たりの訴訟数はドイツの五分の一、フランスの七分の一です。アメリカとの比較では桁が違いすぎて比べることさえ不可能です。
私は欧米で人権が生まれたからと言って、かの国で人間が尊重された歴史を持っているとは思いません。むしろ人間の尊厳が踏みにじられ、非人間的な扱いをされてきたからこそ人権という概念が生まれたのではないかとさえ思っています。
そういう日本と欧米、貴方はどちらが豊かな社会だと思いますか?
権利という考えが日本に伝来した明治期、福沢諭吉は権利を意味する英語「right」を「権理」と訳しました。「権」とは「一命を賭して守るべき一分」という意味であり、「理」とは道理、即ち正義のことです。してみると命をかけて正義を守る「権理」とはなんと崇高な言葉でしょう。
ところがいつの頃からか「権理」が「権利」と表記されるようになりました。名は体を表す、と言われますが、これでは命をかけて利益を権(はか)るという意味にしかなりません。何ともさもしい言葉です。
私達日本人は今一度原点に返り、「権利」ではなく「権理」の精神を胸に刻むべきではないでしょうか。折も折、今テレビでは渋沢栄一が主人公の大河ドラマ「青天を衝け」が放映されています。渋沢は資本主義を取り入れるに際し、我が国のお国柄を考えて「論語と算盤」を著し、
欧米の貪欲資本主義ではなく道徳を軸とした資本主義となることを世に訴えました。さすがです。
欧米発祥のものなら無節操に取り入れる日本の教育界はこれを見倣うべきではないでしょうか。
(原文のままですが、元々はスマホでの原稿なので、改行が入っていなくて文章が繋がっていて読みにくいので、改行は私の判断で入れさせて頂きました。以前の原稿も後で改行を入れさせて頂くかも)
川内先生のご意見は一から十まで仰るとおりかと存じます。私は「人権」だの「プライバシー」だの、さも誰の目から見ても正しい、と思える言葉が今の日本に蔓延るようになって日本が住みにくくなった、と思っています。なぜなら、「人権」という単語だけは当たり前に正しいものですが、それが使われる場面での「人権」は、明らかに別の目的、「我田引水」で使われているからです。日本のマスコミや社会活動家が唱える「人権」は、相手の為ではなく自分の為だから、です。
日本はその国民性で昔から「相手を思い遣る」ことで、誰も意識していなくても人権以上の理念を持ち、平和な生活をしていました。そこに馬鹿な教育者や活動家が些細なことで「人権」を振りかざして、毅然とした態度を示せない政治家が乗って、日本という国を破壊し始めています。
人権なんて、基本的人権だけで十分です。その上で、あとは自分が努力すればいいだけのこと。努力もしないで権利だけ主張するような奴まで福祉で面倒をみなくていいのでは、と思っています。そんなことしたら、真面目に頑張っている人たちへの逆差別になります。誰もが自分にとって都合の良い人権(権利)のみを主張して、もしもそれが全て叶えられたなら、もの凄く不公平な世の中になります。
今、なんでも「人権があ」と騒ぐ連中や、森元総理に「差別だ、女性蔑視だ」と濡れ衣を着せて辞任に追い込んだ連中が中国のジェノサイドに抗議した、などという話は聞きません。抗議しても(したなら)自分の利益にはならないからです。ジェンダーフリー信奉者も同じですね。
私個人は、何かにつけて「人権があ」と声を上げる奴、ジェンダーフリーに邁進する奴は一種の気違いで、正しい価値観を持ち合わせていない馬鹿、くらいにしか思っていません。悲しいかな、野党に限らず与党の政治家や法曹界にも多いですね。近い将来、過度な人権意識が日本という国を崩壊させます。
日本の風土や国民性に合わないものは、無理に取り入れないほうが良いでしょう。
3/21 川内時男先生の活動報告(基)
(元徳島県公立中学校校長)
86,人権社会のなれの果て(拡散希望)
アメリカは世界一の人権大国です。そして人権は人間を幸福に導くための概念です。
では今アメリカに暮らす人々は世界一幸福なのでしょうか。私にはとてもそうは思えません。
弱肉強食の殺伐とした社会でしかないからです。
アファーマティブ・アクション(社会的弱者を救済する措置)や、ポリティカル・コレクトネス(政治的・ 社会的に公正・中立とされる言葉や表現を使用すること)が浸透していることを見れば確かに人権大国です。しかし、これらによってアメリカ社会がどれほど歪になっているかを考えれば、アメリカは「人権尊重国家」ではあっても、「人間尊重国家」とは思えません。
アメリカは人権大国であると同時に世界一の訴訟大国でもあります。些細なもめ事でもすぐ裁判になります。当事者どうしが話し合い、歩み寄ってものごとを解決するという柔軟さがないのでしょう。そして訴訟はすでにビジネスと化しています。事件・事故で遺族が嘆き悲しんでいる現場に弁護士が先を争うように駆けつけ、名刺を配り、「私が賠償金をとってやる」とアピールする凄まじい国です。因みに、単位人口当たりの法曹数(司法関係者や弁護士の数)は日本の二十倍です。
ギャグのような実話もあります。「入浴した猫を電子レンジで乾かしたら死んでしまった」と家電メーカーを訴え勝訴した、などは日本では笑い話です。 一方我が国ではどうでしょう。単位人口当たりの訴訟数はドイツの五分の一、フランスの七分の一です。アメリカとの比較では桁が違いすぎて比べることさえ不可能です。
私は欧米で人権が生まれたからと言って、かの国で人間が尊重された歴史を持っているとは思いません。むしろ人間の尊厳が踏みにじられ、非人間的な扱いをされてきたからこそ人権という概念が生まれたのではないかとさえ思っています。
そういう日本と欧米、貴方はどちらが豊かな社会だと思いますか?
権利という考えが日本に伝来した明治期、福沢諭吉は権利を意味する英語「right」を「権理」と訳しました。「権」とは「一命を賭して守るべき一分」という意味であり、「理」とは道理、即ち正義のことです。してみると命をかけて正義を守る「権理」とはなんと崇高な言葉でしょう。
ところがいつの頃からか「権理」が「権利」と表記されるようになりました。名は体を表す、と言われますが、これでは命をかけて利益を権(はか)るという意味にしかなりません。何ともさもしい言葉です。
私達日本人は今一度原点に返り、「権利」ではなく「権理」の精神を胸に刻むべきではないでしょうか。折も折、今テレビでは渋沢栄一が主人公の大河ドラマ「青天を衝け」が放映されています。渋沢は資本主義を取り入れるに際し、我が国のお国柄を考えて「論語と算盤」を著し、
欧米の貪欲資本主義ではなく道徳を軸とした資本主義となることを世に訴えました。さすがです。
欧米発祥のものなら無節操に取り入れる日本の教育界はこれを見倣うべきではないでしょうか。
(原文のままですが、元々はスマホでの原稿なので、改行が入っていなくて文章が繋がっていて読みにくいので、改行は私の判断で入れさせて頂きました。以前の原稿も後で改行を入れさせて頂くかも)
川内先生のご意見は一から十まで仰るとおりかと存じます。私は「人権」だの「プライバシー」だの、さも誰の目から見ても正しい、と思える言葉が今の日本に蔓延るようになって日本が住みにくくなった、と思っています。なぜなら、「人権」という単語だけは当たり前に正しいものですが、それが使われる場面での「人権」は、明らかに別の目的、「我田引水」で使われているからです。日本のマスコミや社会活動家が唱える「人権」は、相手の為ではなく自分の為だから、です。
日本はその国民性で昔から「相手を思い遣る」ことで、誰も意識していなくても人権以上の理念を持ち、平和な生活をしていました。そこに馬鹿な教育者や活動家が些細なことで「人権」を振りかざして、毅然とした態度を示せない政治家が乗って、日本という国を破壊し始めています。
人権なんて、基本的人権だけで十分です。その上で、あとは自分が努力すればいいだけのこと。努力もしないで権利だけ主張するような奴まで福祉で面倒をみなくていいのでは、と思っています。そんなことしたら、真面目に頑張っている人たちへの逆差別になります。誰もが自分にとって都合の良い人権(権利)のみを主張して、もしもそれが全て叶えられたなら、もの凄く不公平な世の中になります。
今、なんでも「人権があ」と騒ぐ連中や、森元総理に「差別だ、女性蔑視だ」と濡れ衣を着せて辞任に追い込んだ連中が中国のジェノサイドに抗議した、などという話は聞きません。抗議しても(したなら)自分の利益にはならないからです。ジェンダーフリー信奉者も同じですね。
私個人は、何かにつけて「人権があ」と声を上げる奴、ジェンダーフリーに邁進する奴は一種の気違いで、正しい価値観を持ち合わせていない馬鹿、くらいにしか思っていません。悲しいかな、野党に限らず与党の政治家や法曹界にも多いですね。近い将来、過度な人権意識が日本という国を崩壊させます。
日本の風土や国民性に合わないものは、無理に取り入れないほうが良いでしょう。
2021年03月17日
これは永久保存版だと私も思う
ちょっと長くなりますが、これも NPO 法人「百人の会」のメルマガから。
よくぞ調べて纏めたもの、と思う。日本人は朝日新聞がした所業を忘れてはならない。
朝日新聞 不祥事一覧
1950.09
行方不明の共産党幹部の伊藤律とのインタビューを捏造
1959.12
「『ばく進する馬』北朝鮮 よくはたらく人々 飛行場変じてアパート」と北朝鮮を讃える捏造記事
1970.04
広岡知男社長が記事「中国訪問を終えて」で約1000万人虐殺した文化大革命を礼賛
1970.10
広岡知男社長が新聞協会主催研究会で「中国の意向に沿わない記事は書かない」と明言
1971.04
中国共産党シンパとして著名なエドガー・スノーが記事「中国を訪ねて」で文化大革命の礼賛キャンペーン
1971.8
本多勝一が「百人斬り」「万人抗」等、日本軍の残虐振りを印象付ける捏造コラム「中国の旅」を31回連載
後に、中国共産党の証言を検証せずに垂れ流したと認める←殿堂入り
1971.09
林彪事件を否定・隠蔽報道
1971.12
「祖国選んだ九万人 一切保障された職と生活」と北朝鮮を讃える捏造記事
1971.12
「指導者 現場で大衆に学ぶ 統一の祖国を次の世代に」と北朝鮮を讃える捏造記事
1975.04
和田俊プノンペン特派員が、 中国共産党の支援で民衆300万人以上を虐殺したカンボ
ジアのポル・ポトを「アジア的優しさ」「粛清の危険は薄い?」と報道
1980.09
朝日に中傷された佐々木道浩同志社大学教授が、事実無根と記した遺書を残し、首を切って自殺
1981.02
「経友会」の会場「雲居の間」に、朝日新聞記者が盗聴機を設置
1984.08
「南京大虐殺」を捏造←殿堂入り
1984.10
毒ガス作戦を捏造
1985.08
加藤千洋が靖国参拝ご注進報道←殿堂入り
これがきっかけで中国が初めて靖国参拝を抗議
1986.11
スパイ防止法反対キャンペーンにより法案を廃案に追い込む→多くの日本人が拉致される
1989.04
朝日サンゴ捏造事件
沖縄のサンゴに自ら「KY」と傷をつけ写真を撮り、モラルの低下・環境保護を訴える←殿堂入り
1991.08
「従軍慰安婦」捏造報道←殿堂入り
1993.11
鳥取の上淀廃寺の瓦で自作自演
1994.07
捏造「チマチョゴリ切り裂き事件」を日本人が犯人のように積極的に報道し、朝鮮総連発表の偽被害届数も報道
後に朝日記者より、朝鮮総連と朝日新聞による捏造とリークされる←殿堂入り
1995.03
東京都知事選に立候補していた石原信雄氏の祝儀袋を捏造
1998.01
中田英寿選手のインタビューを歪曲し、中田選手を反「君が代」の選手に捏造
2001.02
KSDの架空党員による自民党費立て替え問題で「徳川家康」「石川五右衛門」等の名前があったと捏造
2002.04
有事法制に関するFAQで「ミサイルが飛んできたら?」の問いに「1発だけなら、誤射かもしれない」と回答
2002.06
中田英寿選手の日本代表引退を捏造
2003.01
記事にしないよう要請があった北朝鮮拉致被害者の地村保志さん・富貴恵さん夫妻の取材内容を無断掲載
2003.02
天声人語がインターネット上の個人HP「散人雑報」からの盗用だったと週刊新潮が暴露
2003.05
北朝鮮に残る曽我ひとみさんの家族の住所を報道
2004.02
「声」に「異国の空の下」のタイトルで、自衛隊員の墓標を意味する小銃を地面に差し鉄帽をかぶせたイラストを掲載
2004.02
朝日新聞社発行の週刊誌「アエラ」の1月26日号の記事「コンビニ前できょうも『友食』」でやらせ写真を掲載
2004.02
女子十二楽坊が曲を無断使用し、著作権料も未払いと捏造
2004.04
台湾の陳水扁総統への悪質な侮辱マンガをHPに掲載
2004.04
サマワでの自衛隊の活動内容を勝手に報じ、自衛隊がテロに狙われる危険性を引き起こす
2004.04
週刊朝日(4月30日号)が皇后様の和歌を「誰にも言えない嫁の本音を歌に託したのでは」と曲解
2004.08
兵庫県加古川市の7人刺殺事件で、アサヒ・コムに別人を容疑者として掲載
2004.08
記者2人、東京慈恵会医科大の私学補助金不正プール内部告発を録音しないと偽り密かに録音しMDを第三者に渡す
2004.08
サマワの自衛隊宿営地内に迫撃砲弾が撃ち込まれたと捏造
2005.01
NHK番組改変問題を捏造。安倍晋三・中川昭一両議員の失脚を図る
2005.03
浅間山荘事件被害者に対する朝日新聞記者の盗聴を、週刊新潮3月10日号が暴露
2005.03
若宮啓文論説主幹(57)がコラムで「竹島を韓国に譲歩して友情の島にしよう」と売国提案
2005.03
サラ金業者武富士からウラ広告費として5千万円を受け取っていた事実を週刊文春4月7日号が暴露
2005.05
農林水産省令で捕獲が禁止されているコククジラを朝日新聞がヘリで追込漁したせいで定置網で死亡
2005.05
朝日新聞秋田版で、毒草のトリカブトと山菜のシドケのカラー写真を取り違えて掲載
2005.05
東京国税局が、朝日新聞社に対して11億8000万円余りの申告漏れを指摘し、重加算税を含めて追徴課税←犯罪
2005.06
「天声人語」が、吉田満著「戦艦大和の最期」の捏造箇所"手首斬り"を史実のように転載
2005.08
「マンガ嫌韓流」「マンガ中国入門 やっかいな隣人の研究」を売上ランキングから抹消
2005.09
衆院選公示前に立候補予定者の個人情報入り調査表を学校にFAXで誤送信も、マスコミの問合せがあるまで謝罪せず
2005.10
大学進学情報サイト「キャンパス・アサヒコム」を閲覧すると中国サイトに接続されウイルスに感染
2005.12
「朝日新聞の一面トップに掲載された数々の記事は全て異なる事実経過だった」と報じた週刊新潮の広告掲載拒否
2006.03
朝日新聞社の秋山耿太郎社長の長男で自称テレビディレクターの男(35)が都内の路上で大麻を所持していたとして、 大麻取締法違反の現行犯で逮捕
2006.07
「ジャガイモは韓国起源」と捏造
2006.08
靖国神社職員のプライバシー情報を記事に掲載したため、小泉首相参拝時の朝日記者カメラマンを立入禁止・取材拒否
2006.10
朝日主催オペラ公演で、出演契約もない"目玉商品"を公演日に「健康上の理由」で代役にする詐欺を週刊新潮が暴露
2007.01
「沖縄県民の民意は本州からの独立を望んでいる」かのように捏造
2007.04
週刊朝日で、安倍首相が長崎市長射殺事件の射殺犯と関係があるかのように捏造
2007.05
朝日新聞社、8億円の申告漏れ
2007.08
朝日新聞社AERAが「中国の『毒』は日本から」というタイトルの記事を掲載
2007.09
朝日新聞からウィキペディア修正820件発覚。厚労省の8倍
2007.09
「『アタシ、もうアベしちゃおうかな』という言葉があちこちで聞こえる」と捏造(アサヒる)
2007.09
教科書検定で沖縄戦集団自決強制の記述が削除されたことに反対する県民集会の人数を5〜10倍に捏造
2007.12
天皇誕生日前日に、AERAが「雅子さまへの20の質問状」と題し「離婚の可能性は?」等と雅子妃殿下を侮辱質問
2007.12
JR御茶ノ水駅での中国人による殺人未遂事件を、朝日新聞だけ「人身事故」と報道
2008.04
陣内紀恵記者、光市母子殺害事件の死刑判決で「死刑に対するハードルが下がったが、どう思う?」と遺族へ質問
2008.06
秋葉原通り魔事件で、警官が無抵抗の犯人に拳銃を向けたかのように捏造
2008.06
宮崎勤死刑囚ら3人の死刑執行を指示した鳩山邦夫法相を「死に神」と報道
2008.06
四コマ漫画で鳩山邦夫法相を中傷・挑発
2008.12
朝日新聞素粒子、紙面で麻生首相を皮肉る替え歌…「ゴルゴ13に首相暗殺を依頼か!?」とネットで話題に
2009.01
週刊新潮韓国は在韓米軍に慰安婦(売春婦)を提供していた…ニューヨーク・タイムズが1面で報じるも朝日新聞は黙殺
2009.03
本社編集局員、差別表現をネットに投稿 (2ちゃんねるに投稿49歳の春)
2009.03
朝日新聞社から「2ちゃんねる」へ荒らし行為…記事の書き込みに規制
2009.04
「2ちゃんねる」の規制解除後に必死に火消し工作する姿がねらーに逐次観測される
2009.04
対局中の羽生名人に朝日委託記者がサイン求める
2009.05
台湾を中国領土の様に記載→後日「訂正」でなく「おことわり」と記載するも領土問題は訂正なし
電凸対応も悪質
2009.08
asahi.comで、8月29日の自民党麻生総裁の選挙遊説日程を誤った時刻で掲載
2009.10
海自護衛艦と貨物船衝突事故、韓国人船長のコメントを削除。証拠のネット魚拓を取られ元に戻す
2010.01
【独自】調査で外国人参政権、賛成6割→実は沖縄県名護市での調査→やっぱり全国調査と悪質な偏向捏造報道
2010.02
バンクーバー五輪・カーリング女子日本代表チーム青森の非公開練習を盗撮、出入禁止処分
2010.02
大阪府和泉市の朝日新聞販売店「ASA北池田」の新聞購読者の個人情報約7千件がネット上に流失
2010.03
「在特会」のデモ参加者らに対し大阪大大学院の准教授の言葉を引用し「人種差別的な憎悪犯罪をあおっている」と印象報道
2010.04
【天声人語】において「与謝野(よさの)る」が若者の間で流行っていると”アサヒる”
2010.05
第5回みやざきストリート音楽祭で花壇の中の土に脚立を置いて撮影
2012.06
6月8日付(東京版)経済面の「ソーシャル時代、どう対応?」と題された記事にて、任天堂の岩田聡社長への取材を申し込むも了解が得られない為にインタビューを捏造
インタビューは受けていないと任天堂に抗議を受け謝罪する
2017.12
高橋純子 政治部次長時に書いたコラム「政治断簡」をまとめた著書「仕方ない帝国」で「安倍政権の気持ち悪さ伝えたい」「エビデンス?ねーよそんなもん」と問題発言
2018.01
社説で夫婦別姓を正当化する為に、外国人との離婚率が高いという主張を荒唐無稽と非難するが、ねらーに離婚率7割のソースを提示され自爆
2018.03
防衛省がF2後継機の国産開発を断念と報道するも防衛大臣に「そんな事実はない」と否定され捏造発覚
2018.03
削られた森友文書に登場する籠池の発言『夫人から「前にすすめて」とお言葉を頂いた』をさも土地売買に昭恵夫人が関与したかのように印象操作
2018.03
自殺した近畿財務局職員の遺族の発言「汚いことをさせられたんじゃないか」を「汚いことをさせられた」と捏造
また、実は遺族ではなく親族であったと判明
2018.05
中田絢子記者、宮内庁ロールスロイスが整備用の部品が手に入らず、宮内庁の車庫に眠ったままと皇室批判の捏造による印象操作
実際には11年前に自動車登録抹消済みで参考車として保管中だっただけ
2018.05
安倍首相が『獣医大学はいいね』と加計理事長と面会時に発言した愛媛県新文書の記録をスクープ
しかし、会ったとされる2月25日付の朝日の首相動静により、面会が無かった事が判明し、フェイクニュースを自ら立証してしまう←殿堂入り
2018.7
電子版の英文報道の慰安婦の説明で「forced to provide sex(性行為を強制された)」と捏造を拡散
「慰安婦強制連行・性奴隷説」の流布する内容として、ケント・ギルバート氏ら有志が表現の修正を申し入れていたが「申し入れに応じることはできない」と開き直り←国賊
2018.8
慰安婦問題にからむ英語版記事2本について、グーグルなどの検索エンジンの動きを制御し、利用者が特定ウェブページを訪問することを防ぐようにする「noindex」「nofollow」「noarchive」という3つの「メタタグ」が埋め込まれていた事が判明
朝日は「記事を最終確認するため社内のみで閲覧できる状態で配信し、確認を終えてから検索可能な状態にした。その際に2本のタグ設定解除の作業が漏れてしまった」と苦しすぎる言い訳←反日記事隠蔽
2018.9
ウェブサイト「朝日新聞デジタル」の慰安婦問題に関する英語版記事2本が検索できない設定になっていた問題で、同じ内容の日本語の記事1本にも、利用者が特定ウェブページを訪問することを防ぐようにする「メタタグ」が埋め込まれていた。この記事は公開当時は検索可能な設定だったが、後からメタタグが埋め込まれていた事が判明。←卑怯者
2018.9
「ウイグル問題 進めるべきは民族融和」の中で、中共に反発したウイグルを「イスラム国」と印象操作し、民族融和を進める必要があると虐殺を肯定するような暴論を社説に掲載 (2018.9.24)
2018.9
「大坂なおみ選手の応援や報道で「日本」や「日本人」が多用されることに違和感を抱く人たちもいます」と、大坂なおみさんがハーフである事を差別し、日本人叩きに利用 (2018.9.24)
2018.10
ラオス南東部アッタプー県セピアン−セナムノイダムの補助ダム決壊事故で、数十人が死亡、数百人が行方不明になった大惨事建設は韓国SK建設で、決壊しそうになり社員は住民を見捨てて逃げた人災にも関わらず、「SK建設は出資しただけ」と印象操作で半島の悪事を隠蔽
-----Original Message-----
From: 百人の会ML [mailto:admin@100prs.info]
Sent: Saturday, March 13, 2021 9:10 PM
To: fwga2514@nifty.com
Subject: 朝日新聞
高槻市 伊藤泰博
朝日新聞
安倍内閣の長きに亘り日夜安倍叩きを執念深く続けましたがその結果。
1、発行部数
一説には発行部数が約270万部減少(約1/3が解約)。
2、安倍内閣の実績を日本人は評価
退陣表明後朝日新聞が実施した安倍内閣の実績支持率は何と7割超となりました。
中国共産党の機関紙人民日報の指令に基づき朝日新聞が国民に対して執念深く継続した洗脳大作戦は完全に敗北いたしました。
私は朝日新聞が昭和50年頃だったと思いますが珊瑚礁事件(詳細後記)を起こして以降朝日新聞は信用しておりません。
朝日新聞は大陸又は半島出身者の巣窟になっているのではと疑っております。
そして、半世紀後には日本軍に強制連行されたと騒ぎだす事でしょう(第二の徴用工)。
(珊瑚礁事件=朝日新聞の記者が自身で珊瑚礁を破壊し、そして記者は自身で破壊した珊瑚礁の写真を基にスクープとして報道しましたが、慰安婦報道同様直後に嘘八百が露見しました)
例によって、改行は私の判断で入れさせて頂いた。朝日はマスコミの傲慢さを象徴している存在。
よくぞ調べて纏めたもの、と思う。日本人は朝日新聞がした所業を忘れてはならない。
朝日新聞 不祥事一覧
1950.09
行方不明の共産党幹部の伊藤律とのインタビューを捏造
1959.12
「『ばく進する馬』北朝鮮 よくはたらく人々 飛行場変じてアパート」と北朝鮮を讃える捏造記事
1970.04
広岡知男社長が記事「中国訪問を終えて」で約1000万人虐殺した文化大革命を礼賛
1970.10
広岡知男社長が新聞協会主催研究会で「中国の意向に沿わない記事は書かない」と明言
1971.04
中国共産党シンパとして著名なエドガー・スノーが記事「中国を訪ねて」で文化大革命の礼賛キャンペーン
1971.8
本多勝一が「百人斬り」「万人抗」等、日本軍の残虐振りを印象付ける捏造コラム「中国の旅」を31回連載
後に、中国共産党の証言を検証せずに垂れ流したと認める←殿堂入り
1971.09
林彪事件を否定・隠蔽報道
1971.12
「祖国選んだ九万人 一切保障された職と生活」と北朝鮮を讃える捏造記事
1971.12
「指導者 現場で大衆に学ぶ 統一の祖国を次の世代に」と北朝鮮を讃える捏造記事
1975.04
和田俊プノンペン特派員が、 中国共産党の支援で民衆300万人以上を虐殺したカンボ
ジアのポル・ポトを「アジア的優しさ」「粛清の危険は薄い?」と報道
1980.09
朝日に中傷された佐々木道浩同志社大学教授が、事実無根と記した遺書を残し、首を切って自殺
1981.02
「経友会」の会場「雲居の間」に、朝日新聞記者が盗聴機を設置
1984.08
「南京大虐殺」を捏造←殿堂入り
1984.10
毒ガス作戦を捏造
1985.08
加藤千洋が靖国参拝ご注進報道←殿堂入り
これがきっかけで中国が初めて靖国参拝を抗議
1986.11
スパイ防止法反対キャンペーンにより法案を廃案に追い込む→多くの日本人が拉致される
1989.04
朝日サンゴ捏造事件
沖縄のサンゴに自ら「KY」と傷をつけ写真を撮り、モラルの低下・環境保護を訴える←殿堂入り
1991.08
「従軍慰安婦」捏造報道←殿堂入り
1993.11
鳥取の上淀廃寺の瓦で自作自演
1994.07
捏造「チマチョゴリ切り裂き事件」を日本人が犯人のように積極的に報道し、朝鮮総連発表の偽被害届数も報道
後に朝日記者より、朝鮮総連と朝日新聞による捏造とリークされる←殿堂入り
1995.03
東京都知事選に立候補していた石原信雄氏の祝儀袋を捏造
1998.01
中田英寿選手のインタビューを歪曲し、中田選手を反「君が代」の選手に捏造
2001.02
KSDの架空党員による自民党費立て替え問題で「徳川家康」「石川五右衛門」等の名前があったと捏造
2002.04
有事法制に関するFAQで「ミサイルが飛んできたら?」の問いに「1発だけなら、誤射かもしれない」と回答
2002.06
中田英寿選手の日本代表引退を捏造
2003.01
記事にしないよう要請があった北朝鮮拉致被害者の地村保志さん・富貴恵さん夫妻の取材内容を無断掲載
2003.02
天声人語がインターネット上の個人HP「散人雑報」からの盗用だったと週刊新潮が暴露
2003.05
北朝鮮に残る曽我ひとみさんの家族の住所を報道
2004.02
「声」に「異国の空の下」のタイトルで、自衛隊員の墓標を意味する小銃を地面に差し鉄帽をかぶせたイラストを掲載
2004.02
朝日新聞社発行の週刊誌「アエラ」の1月26日号の記事「コンビニ前できょうも『友食』」でやらせ写真を掲載
2004.02
女子十二楽坊が曲を無断使用し、著作権料も未払いと捏造
2004.04
台湾の陳水扁総統への悪質な侮辱マンガをHPに掲載
2004.04
サマワでの自衛隊の活動内容を勝手に報じ、自衛隊がテロに狙われる危険性を引き起こす
2004.04
週刊朝日(4月30日号)が皇后様の和歌を「誰にも言えない嫁の本音を歌に託したのでは」と曲解
2004.08
兵庫県加古川市の7人刺殺事件で、アサヒ・コムに別人を容疑者として掲載
2004.08
記者2人、東京慈恵会医科大の私学補助金不正プール内部告発を録音しないと偽り密かに録音しMDを第三者に渡す
2004.08
サマワの自衛隊宿営地内に迫撃砲弾が撃ち込まれたと捏造
2005.01
NHK番組改変問題を捏造。安倍晋三・中川昭一両議員の失脚を図る
2005.03
浅間山荘事件被害者に対する朝日新聞記者の盗聴を、週刊新潮3月10日号が暴露
2005.03
若宮啓文論説主幹(57)がコラムで「竹島を韓国に譲歩して友情の島にしよう」と売国提案
2005.03
サラ金業者武富士からウラ広告費として5千万円を受け取っていた事実を週刊文春4月7日号が暴露
2005.05
農林水産省令で捕獲が禁止されているコククジラを朝日新聞がヘリで追込漁したせいで定置網で死亡
2005.05
朝日新聞秋田版で、毒草のトリカブトと山菜のシドケのカラー写真を取り違えて掲載
2005.05
東京国税局が、朝日新聞社に対して11億8000万円余りの申告漏れを指摘し、重加算税を含めて追徴課税←犯罪
2005.06
「天声人語」が、吉田満著「戦艦大和の最期」の捏造箇所"手首斬り"を史実のように転載
2005.08
「マンガ嫌韓流」「マンガ中国入門 やっかいな隣人の研究」を売上ランキングから抹消
2005.09
衆院選公示前に立候補予定者の個人情報入り調査表を学校にFAXで誤送信も、マスコミの問合せがあるまで謝罪せず
2005.10
大学進学情報サイト「キャンパス・アサヒコム」を閲覧すると中国サイトに接続されウイルスに感染
2005.12
「朝日新聞の一面トップに掲載された数々の記事は全て異なる事実経過だった」と報じた週刊新潮の広告掲載拒否
2006.03
朝日新聞社の秋山耿太郎社長の長男で自称テレビディレクターの男(35)が都内の路上で大麻を所持していたとして、 大麻取締法違反の現行犯で逮捕
2006.07
「ジャガイモは韓国起源」と捏造
2006.08
靖国神社職員のプライバシー情報を記事に掲載したため、小泉首相参拝時の朝日記者カメラマンを立入禁止・取材拒否
2006.10
朝日主催オペラ公演で、出演契約もない"目玉商品"を公演日に「健康上の理由」で代役にする詐欺を週刊新潮が暴露
2007.01
「沖縄県民の民意は本州からの独立を望んでいる」かのように捏造
2007.04
週刊朝日で、安倍首相が長崎市長射殺事件の射殺犯と関係があるかのように捏造
2007.05
朝日新聞社、8億円の申告漏れ
2007.08
朝日新聞社AERAが「中国の『毒』は日本から」というタイトルの記事を掲載
2007.09
朝日新聞からウィキペディア修正820件発覚。厚労省の8倍
2007.09
「『アタシ、もうアベしちゃおうかな』という言葉があちこちで聞こえる」と捏造(アサヒる)
2007.09
教科書検定で沖縄戦集団自決強制の記述が削除されたことに反対する県民集会の人数を5〜10倍に捏造
2007.12
天皇誕生日前日に、AERAが「雅子さまへの20の質問状」と題し「離婚の可能性は?」等と雅子妃殿下を侮辱質問
2007.12
JR御茶ノ水駅での中国人による殺人未遂事件を、朝日新聞だけ「人身事故」と報道
2008.04
陣内紀恵記者、光市母子殺害事件の死刑判決で「死刑に対するハードルが下がったが、どう思う?」と遺族へ質問
2008.06
秋葉原通り魔事件で、警官が無抵抗の犯人に拳銃を向けたかのように捏造
2008.06
宮崎勤死刑囚ら3人の死刑執行を指示した鳩山邦夫法相を「死に神」と報道
2008.06
四コマ漫画で鳩山邦夫法相を中傷・挑発
2008.12
朝日新聞素粒子、紙面で麻生首相を皮肉る替え歌…「ゴルゴ13に首相暗殺を依頼か!?」とネットで話題に
2009.01
週刊新潮韓国は在韓米軍に慰安婦(売春婦)を提供していた…ニューヨーク・タイムズが1面で報じるも朝日新聞は黙殺
2009.03
本社編集局員、差別表現をネットに投稿 (2ちゃんねるに投稿49歳の春)
2009.03
朝日新聞社から「2ちゃんねる」へ荒らし行為…記事の書き込みに規制
2009.04
「2ちゃんねる」の規制解除後に必死に火消し工作する姿がねらーに逐次観測される
2009.04
対局中の羽生名人に朝日委託記者がサイン求める
2009.05
台湾を中国領土の様に記載→後日「訂正」でなく「おことわり」と記載するも領土問題は訂正なし
電凸対応も悪質
2009.08
asahi.comで、8月29日の自民党麻生総裁の選挙遊説日程を誤った時刻で掲載
2009.10
海自護衛艦と貨物船衝突事故、韓国人船長のコメントを削除。証拠のネット魚拓を取られ元に戻す
2010.01
【独自】調査で外国人参政権、賛成6割→実は沖縄県名護市での調査→やっぱり全国調査と悪質な偏向捏造報道
2010.02
バンクーバー五輪・カーリング女子日本代表チーム青森の非公開練習を盗撮、出入禁止処分
2010.02
大阪府和泉市の朝日新聞販売店「ASA北池田」の新聞購読者の個人情報約7千件がネット上に流失
2010.03
「在特会」のデモ参加者らに対し大阪大大学院の准教授の言葉を引用し「人種差別的な憎悪犯罪をあおっている」と印象報道
2010.04
【天声人語】において「与謝野(よさの)る」が若者の間で流行っていると”アサヒる”
2010.05
第5回みやざきストリート音楽祭で花壇の中の土に脚立を置いて撮影
2012.06
6月8日付(東京版)経済面の「ソーシャル時代、どう対応?」と題された記事にて、任天堂の岩田聡社長への取材を申し込むも了解が得られない為にインタビューを捏造
インタビューは受けていないと任天堂に抗議を受け謝罪する
2017.12
高橋純子 政治部次長時に書いたコラム「政治断簡」をまとめた著書「仕方ない帝国」で「安倍政権の気持ち悪さ伝えたい」「エビデンス?ねーよそんなもん」と問題発言
2018.01
社説で夫婦別姓を正当化する為に、外国人との離婚率が高いという主張を荒唐無稽と非難するが、ねらーに離婚率7割のソースを提示され自爆
2018.03
防衛省がF2後継機の国産開発を断念と報道するも防衛大臣に「そんな事実はない」と否定され捏造発覚
2018.03
削られた森友文書に登場する籠池の発言『夫人から「前にすすめて」とお言葉を頂いた』をさも土地売買に昭恵夫人が関与したかのように印象操作
2018.03
自殺した近畿財務局職員の遺族の発言「汚いことをさせられたんじゃないか」を「汚いことをさせられた」と捏造
また、実は遺族ではなく親族であったと判明
2018.05
中田絢子記者、宮内庁ロールスロイスが整備用の部品が手に入らず、宮内庁の車庫に眠ったままと皇室批判の捏造による印象操作
実際には11年前に自動車登録抹消済みで参考車として保管中だっただけ
2018.05
安倍首相が『獣医大学はいいね』と加計理事長と面会時に発言した愛媛県新文書の記録をスクープ
しかし、会ったとされる2月25日付の朝日の首相動静により、面会が無かった事が判明し、フェイクニュースを自ら立証してしまう←殿堂入り
2018.7
電子版の英文報道の慰安婦の説明で「forced to provide sex(性行為を強制された)」と捏造を拡散
「慰安婦強制連行・性奴隷説」の流布する内容として、ケント・ギルバート氏ら有志が表現の修正を申し入れていたが「申し入れに応じることはできない」と開き直り←国賊
2018.8
慰安婦問題にからむ英語版記事2本について、グーグルなどの検索エンジンの動きを制御し、利用者が特定ウェブページを訪問することを防ぐようにする「noindex」「nofollow」「noarchive」という3つの「メタタグ」が埋め込まれていた事が判明
朝日は「記事を最終確認するため社内のみで閲覧できる状態で配信し、確認を終えてから検索可能な状態にした。その際に2本のタグ設定解除の作業が漏れてしまった」と苦しすぎる言い訳←反日記事隠蔽
2018.9
ウェブサイト「朝日新聞デジタル」の慰安婦問題に関する英語版記事2本が検索できない設定になっていた問題で、同じ内容の日本語の記事1本にも、利用者が特定ウェブページを訪問することを防ぐようにする「メタタグ」が埋め込まれていた。この記事は公開当時は検索可能な設定だったが、後からメタタグが埋め込まれていた事が判明。←卑怯者
2018.9
「ウイグル問題 進めるべきは民族融和」の中で、中共に反発したウイグルを「イスラム国」と印象操作し、民族融和を進める必要があると虐殺を肯定するような暴論を社説に掲載 (2018.9.24)
2018.9
「大坂なおみ選手の応援や報道で「日本」や「日本人」が多用されることに違和感を抱く人たちもいます」と、大坂なおみさんがハーフである事を差別し、日本人叩きに利用 (2018.9.24)
2018.10
ラオス南東部アッタプー県セピアン−セナムノイダムの補助ダム決壊事故で、数十人が死亡、数百人が行方不明になった大惨事建設は韓国SK建設で、決壊しそうになり社員は住民を見捨てて逃げた人災にも関わらず、「SK建設は出資しただけ」と印象操作で半島の悪事を隠蔽
-----Original Message-----
From: 百人の会ML [mailto:admin@100prs.info]
Sent: Saturday, March 13, 2021 9:10 PM
To: fwga2514@nifty.com
Subject: 朝日新聞
高槻市 伊藤泰博
朝日新聞
安倍内閣の長きに亘り日夜安倍叩きを執念深く続けましたがその結果。
1、発行部数
一説には発行部数が約270万部減少(約1/3が解約)。
2、安倍内閣の実績を日本人は評価
退陣表明後朝日新聞が実施した安倍内閣の実績支持率は何と7割超となりました。
中国共産党の機関紙人民日報の指令に基づき朝日新聞が国民に対して執念深く継続した洗脳大作戦は完全に敗北いたしました。
私は朝日新聞が昭和50年頃だったと思いますが珊瑚礁事件(詳細後記)を起こして以降朝日新聞は信用しておりません。
朝日新聞は大陸又は半島出身者の巣窟になっているのではと疑っております。
そして、半世紀後には日本軍に強制連行されたと騒ぎだす事でしょう(第二の徴用工)。
(珊瑚礁事件=朝日新聞の記者が自身で珊瑚礁を破壊し、そして記者は自身で破壊した珊瑚礁の写真を基にスクープとして報道しましたが、慰安婦報道同様直後に嘘八百が露見しました)
例によって、改行は私の判断で入れさせて頂いた。朝日はマスコミの傲慢さを象徴している存在。
2021年03月16日
拡散希望、ということでご協力、私も同感だから 7
昨日は、コメントの返信を打っている最中に猛烈な睡魔に襲われて、途中で諦めて8時20分に就寝。4時半に起きたから8時間は寝ていた計算。猫や赤ちゃん並みに良く寝たなあ・・・。
で、本題、いつもの「NPO 法人 百人の会」のメルマガから、
川内時男先生の活動報告(基)
(元徳島県公立中学校校長)
85、人権原理主義が文化を破壊する(拡散希望)
いかに素晴らしい理念であっても原理主義に走りますと社会に軋轢を生みます。
今学校現場で行われている人権教育はその典型ではないかと思われます。
私が現役であった頃(今も変わっていないと思いますが)の人権教育はかなり急進的で、首をかしげることが多くありました。人権の考えに少しでもそぐわないものはことごとく否定していたのです。昔から伝わる童話や伝説もその餌食になりました。
「桃太郎が鬼ヶ島へ鬼退治に」の話では「鬼にも人権がある」とされ、「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に」の話は「男女の役割分担の固定化だ」と難癖をつけられ、ウサギと亀の話では「亀はどうして昼寝をしている兎を起こして一緒にゴールを目指さなかったのか」などの授業を大真面目にやっていました。これらは小学校低学年の人権教育の例ですが、「馬鹿馬鹿しい」と思った人も多くいたことでしょう。
私は「授業で扱う教材に童話を持ち込んだだけ、何も目くじらを立てることもない」との思う一方、「授業で扱うための材料なら他に適当なものがいくらでもあるだろうに、わざわざ古くから伝わる伝わる童話を取り上げ、本来の主旨をねじ曲げて子供に教えることもあるまいに」とも思いました。私が許せないのは教師がアレンジした話を劇にし、「桃太郎は鬼ヶ島で鬼達と仲直りをして・・・」のような劇を演じさせながら、本来の桃太郎童話を子供に教えていなかったことです。童話・伝説と言えど伝統文化のひとつ、もう少し敬意を払えないものでしょうか。
人権原理主義が文化を狩る例は他にもあります。「清めの塩」は死体を扱う人への差別につながるからダメ、男児が生まれて鯉幟を揚げるなどはけしからんなど・・・。もっと許せないのは「大安・仏滅・友引などの六曜は非科学的な迷信だからダメ」と否定することです。傲慢です。第一、伝統的風習に科学的根拠を求めるなどはそもそもの間違いです。「非科学的だから」の考えで文化・風習を狩っていけば盆も正月もクリスマスも七夕も、それどころか日本全国の祭りのほぼ全てが否定されることになります。
ところで、このことについて私が日頃から提言していることとの関わりから、一言弁解させてください。私はかねてから教育に科学を取り入れ、教育現場に巣くう「きれい事」を一掃するよう提言していますが、かといって科学を絶対視し、科学的裏付けのないものを社会から全て排除せよと言っているわけではありません。世の中には科学で説明できないことがたくさんあるからです。文化的風習・習慣に科学的根拠を求めるのと教育に科学的根拠を求めるのは全く違うのです。
言うまでもないことですが、文化とは先人達が悠久の歴史の中で温めてきた知恵の結晶です。その中には多種多様な考えが渾然一体となって調和しています。その多種多様な考えの一つに過ぎない人権が他の考えを押しのけて肥大化すれば社会が歪になるのです。日頃人権を口にする人達は今少し伝統文化に対して謙虚になるべきではありませんか。
日ごろ「人権」「人権」と騒いでいる連中が新疆ウイグル自治区に対する中国のジェノサイド(大量虐殺)に抗議した、などという話は聞いたことが無い。先般の東京五輪組織委員長である森元総理の言葉尻をとらえて「女性蔑視だ」「差別だ」と辞任に追い込んだ連中にとっては、中国のジェノサイドと森さんの発言とを天秤に架けたら森さんの発言のほうが圧倒的に重いようだ。
桃太郎という童話が子供たちに今どう伝えられているか、という話は知っていたが、「お爺さんは山に芝刈りに、お婆さんは川に洗濯に行きました」がダメで、「鬼にも人権がある」・・・、それは「死刑囚にも人権がある」と言ってるのと同じ。無残に殺された被害者やご遺族の人権はそこには無い。そのうち、「罪を犯した人間を刑務所に入れるのは人権問題」などと言いだしたりしてね。
「うさぎとかめ」では「かめさんが寝込んでいたうさぎさんを起こして一緒にゴールインさせる」・・・、教師はどんな顔をして子供たちに教えていたんだろう。間抜け面が目に浮かぶ。
長く伝わる童話や伝説を自分たちの思想に合わせて改竄するということは、数学の問題で自分の出した(間違った)答に合わせて公式を変えてしまうが如し。競争が差別や人権問題なら大学入試は要らんだろ。閣僚や役人が自分たちの都合に合わせて資料を改竄するのより遥かに大問題。
私は、戦後、日本の教育を破壊してきたのはGHQと日教組だと思っていて、それは間違いないだろう。
で、本題、いつもの「NPO 法人 百人の会」のメルマガから、
川内時男先生の活動報告(基)
(元徳島県公立中学校校長)
85、人権原理主義が文化を破壊する(拡散希望)
いかに素晴らしい理念であっても原理主義に走りますと社会に軋轢を生みます。
今学校現場で行われている人権教育はその典型ではないかと思われます。
私が現役であった頃(今も変わっていないと思いますが)の人権教育はかなり急進的で、首をかしげることが多くありました。人権の考えに少しでもそぐわないものはことごとく否定していたのです。昔から伝わる童話や伝説もその餌食になりました。
「桃太郎が鬼ヶ島へ鬼退治に」の話では「鬼にも人権がある」とされ、「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に」の話は「男女の役割分担の固定化だ」と難癖をつけられ、ウサギと亀の話では「亀はどうして昼寝をしている兎を起こして一緒にゴールを目指さなかったのか」などの授業を大真面目にやっていました。これらは小学校低学年の人権教育の例ですが、「馬鹿馬鹿しい」と思った人も多くいたことでしょう。
私は「授業で扱う教材に童話を持ち込んだだけ、何も目くじらを立てることもない」との思う一方、「授業で扱うための材料なら他に適当なものがいくらでもあるだろうに、わざわざ古くから伝わる伝わる童話を取り上げ、本来の主旨をねじ曲げて子供に教えることもあるまいに」とも思いました。私が許せないのは教師がアレンジした話を劇にし、「桃太郎は鬼ヶ島で鬼達と仲直りをして・・・」のような劇を演じさせながら、本来の桃太郎童話を子供に教えていなかったことです。童話・伝説と言えど伝統文化のひとつ、もう少し敬意を払えないものでしょうか。
人権原理主義が文化を狩る例は他にもあります。「清めの塩」は死体を扱う人への差別につながるからダメ、男児が生まれて鯉幟を揚げるなどはけしからんなど・・・。もっと許せないのは「大安・仏滅・友引などの六曜は非科学的な迷信だからダメ」と否定することです。傲慢です。第一、伝統的風習に科学的根拠を求めるなどはそもそもの間違いです。「非科学的だから」の考えで文化・風習を狩っていけば盆も正月もクリスマスも七夕も、それどころか日本全国の祭りのほぼ全てが否定されることになります。
ところで、このことについて私が日頃から提言していることとの関わりから、一言弁解させてください。私はかねてから教育に科学を取り入れ、教育現場に巣くう「きれい事」を一掃するよう提言していますが、かといって科学を絶対視し、科学的裏付けのないものを社会から全て排除せよと言っているわけではありません。世の中には科学で説明できないことがたくさんあるからです。文化的風習・習慣に科学的根拠を求めるのと教育に科学的根拠を求めるのは全く違うのです。
言うまでもないことですが、文化とは先人達が悠久の歴史の中で温めてきた知恵の結晶です。その中には多種多様な考えが渾然一体となって調和しています。その多種多様な考えの一つに過ぎない人権が他の考えを押しのけて肥大化すれば社会が歪になるのです。日頃人権を口にする人達は今少し伝統文化に対して謙虚になるべきではありませんか。
日ごろ「人権」「人権」と騒いでいる連中が新疆ウイグル自治区に対する中国のジェノサイド(大量虐殺)に抗議した、などという話は聞いたことが無い。先般の東京五輪組織委員長である森元総理の言葉尻をとらえて「女性蔑視だ」「差別だ」と辞任に追い込んだ連中にとっては、中国のジェノサイドと森さんの発言とを天秤に架けたら森さんの発言のほうが圧倒的に重いようだ。
桃太郎という童話が子供たちに今どう伝えられているか、という話は知っていたが、「お爺さんは山に芝刈りに、お婆さんは川に洗濯に行きました」がダメで、「鬼にも人権がある」・・・、それは「死刑囚にも人権がある」と言ってるのと同じ。無残に殺された被害者やご遺族の人権はそこには無い。そのうち、「罪を犯した人間を刑務所に入れるのは人権問題」などと言いだしたりしてね。
「うさぎとかめ」では「かめさんが寝込んでいたうさぎさんを起こして一緒にゴールインさせる」・・・、教師はどんな顔をして子供たちに教えていたんだろう。間抜け面が目に浮かぶ。
長く伝わる童話や伝説を自分たちの思想に合わせて改竄するということは、数学の問題で自分の出した(間違った)答に合わせて公式を変えてしまうが如し。競争が差別や人権問題なら大学入試は要らんだろ。閣僚や役人が自分たちの都合に合わせて資料を改竄するのより遥かに大問題。
私は、戦後、日本の教育を破壊してきたのはGHQと日教組だと思っていて、それは間違いないだろう。
2021年03月14日
川沿いに桜が多い理由
トンデン倶楽部通信のメルマガから、
これ、ご存じの方もいらっしゃるでしょうけど、
桜のシーズン
日本では桜というと
全国の8割を占めると言われている
ソメイヨシノが有名ですが
桜は非常に種類が多く
100種類以上あると言われていますが
開花予想は
ソメイヨシノでされているそうですが・・
北海道トンデンファームの
トントン@( ̄(oo) ̄)
さくら研究家でございます
京都の鴨川
東京なら目黒川、神田川、隅田川
奈良県の佐保川の桜並木
などなど
川沿いに桜の名所が多いわけですが
実はこれには理由があるんだそうです
その理由は
なんと警視庁のサイトに書いてありました
その警視庁のサイトにはこのように
書いてあります
江戸時代には大雨が降り
川が氾濫することもしばしば
そこで
土手に桜を植えることにより
毎年多くの人が花見に訪れ
自然と土手を踏み固め
増水に耐えられる土壌を作ったそうです
先人の知恵には感心させられますネ
人に「ああしろ、こうしろ」と強制するより、人が「そうしたくなる」状況を作ってやるほうが合理的、ということですね。イソップ物語の「北風と太陽」みたいに。
私は、植樹することで樹木が根を張って地盤が固められるから、だと思っていました。
でもなあ・・・、
桜の一週間だけ踏み固めてもらっても、と思います。四季折々に楽しめる花(企画)が必要ですね。
以前も紹介しましたが、トンデン倶楽部のメルマガ、いつも豆知識が得られます。たまにセールストークのネタにしていることもあります。知識先行の頭でっかちではダメですが、知識(雑学)はカネと一緒で「持っていて邪魔になるもの」ではありません。使い方次第、ということですね。
これ、ご存じの方もいらっしゃるでしょうけど、
桜のシーズン
日本では桜というと
全国の8割を占めると言われている
ソメイヨシノが有名ですが
桜は非常に種類が多く
100種類以上あると言われていますが
開花予想は
ソメイヨシノでされているそうですが・・
北海道トンデンファームの
トントン@( ̄(oo) ̄)
さくら研究家でございます
京都の鴨川
東京なら目黒川、神田川、隅田川
奈良県の佐保川の桜並木
などなど
川沿いに桜の名所が多いわけですが
実はこれには理由があるんだそうです
その理由は
なんと警視庁のサイトに書いてありました
その警視庁のサイトにはこのように
書いてあります
江戸時代には大雨が降り
川が氾濫することもしばしば
そこで
土手に桜を植えることにより
毎年多くの人が花見に訪れ
自然と土手を踏み固め
増水に耐えられる土壌を作ったそうです
先人の知恵には感心させられますネ
人に「ああしろ、こうしろ」と強制するより、人が「そうしたくなる」状況を作ってやるほうが合理的、ということですね。イソップ物語の「北風と太陽」みたいに。
私は、植樹することで樹木が根を張って地盤が固められるから、だと思っていました。
でもなあ・・・、
桜の一週間だけ踏み固めてもらっても、と思います。四季折々に楽しめる花(企画)が必要ですね。
以前も紹介しましたが、トンデン倶楽部のメルマガ、いつも豆知識が得られます。たまにセールストークのネタにしていることもあります。知識先行の頭でっかちではダメですが、知識(雑学)はカネと一緒で「持っていて邪魔になるもの」ではありません。使い方次第、ということですね。
2021年03月12日
NPO 法人「百人の会」のメルマガから
いつも考えさせられることが多いNPO 法人「百人の会」のメルマガから2件、
まき やすとも 政経調査会
中野区から維新を発信
日本はすでに終わっている。絶滅危惧種となった我々、真性日本人が日本を立て直す。
2021年03月10日のつぶやき
2021.03.11 Thursday - 03:00 - - by まき やすとも
00:43
夫婦同姓が家族の結束となっているのか makiyasutomo.jugem.jp/?eid=2809 #jugem_blog
https://twitter.com/
夫婦同姓が家族の結束となっているのか
2021.03.10 Wednesday 教育・子育て 00:43 comments(0) - by まき やすとも
男女が結婚して夫婦となればどちらかの姓に統一するのは当然と思っている。
それぞれが別々の姓を名乗っていたのでは家族としての結束が取れない、離婚を誘発する、家族がバラバラになる、というのは理解できる。
しかし、現代社会においては同姓であろうと別姓であろうと、あまりにも安易に離婚が成立しすぎてはいまいか。
元の姓に戻すための役所や銀行への届け出が大変だから、といった程度であり大した抑止効果は見られないのではないのか。
そもそも離婚する事が悪、とまでは言わないが「極力避けるべきこと」と言った認識はないし、避けるべき事柄として教育されていない。
むしろ結婚・離婚・結婚を繰り返すことが転職と同様に自身のスキルアップと捉えられ推奨するが如き風潮すらある、
テレビのワイドショーでは芸能人の結婚・離婚が連日報じられているので一般人も感覚が麻痺しているのかもしれない。
彼らは商売として結婚・離婚を繰り返している。テレビや週刊誌から報道してもらう為に、世間から名前を忘れられない為に繰り返している。特殊な人種であり一般人においては恥ずべき行為にさえ当たると認識せねばならない。
だからこそ従来より「私、一度失敗しているのよね」、などといった言い方がされている。
今の議論では何のための夫婦同姓なのかが抜けている。
一度結婚したら離婚してはいけない、と民法を改正するか。
少なくとも子供が生まれた以上、子供が成人するまで夫婦が離婚・別居する事を許してはならない。
離婚するなら子供を産んではいけない。離婚しない決意があるなら産みなさい。
この価値観を国民が共有していれば別姓も構わない。
そして、男性が女子の姓に換えることが現在よりも一般化しても良いだろう。
要は夫婦の中身の問題なのだ。
<<少なくとも子供が生まれた以上、子供が成人するまで夫婦が離婚・別居する事を許してはならない。
離婚するなら子供を産んではいけない。離婚しない決意があるなら産みなさい。
この価値観を国民が共有していれば別姓も構わない。
一つの価値観を国民が共有する、などということは有り得ないし不可能。例えて言うなら、国民の全てが自民党の政策を支持することも共産党員になることも絶対に無い。だから逆説的に選択的夫婦別姓に反対している、とも読めるけど、「今の議論では何のための夫婦同姓なのかが抜けている」のでなく、今のままでどんな問題があるのか、何か困ることがあるのか、が問題。女性が仕事をしていて結婚によって姓が変わることが不都合、という理由は屁理屈。会社側が旧姓の利用を認めれば済む話。
様々な反日活動と一緒で、「選択的夫婦別姓」問題は一つの駒、最終的に日本を崩壊させるための道具でしかない。複合的にいろんな活動をして保守政権を倒すのが真の目的。万一、それを果たした時に日本を待っているものが何なのか、確たるビジョンを持って活動している人間がいるとは思えない。共産党員だって、日本が社会主義国になったらどうなるのか、ビジョンを持ち合わせていないと思う。末端の共産党員なんか、その日が来たなら「こんなハズではなかった・・・」と後悔すると思う。
ところで、自民党の茂木敏充外相が「選択的夫婦別姓」問題に理解を示したとかで、党内に作業チームが作られるらしい。声の大きな(けっして弱者ではない)一部の連中に配慮する必要があるのか。他にやることがあるだろ!?、と言いたい。自民党というミカン箱の中にも腐ってカビだらけのミカンがいくつも入っていて、そいつらが他のミカンを腐らせていく。信念や信条を持っていないのか <`〜´>
さて、大ウソつきの池上彰がテレビで「共産社会は理想!、ユートピアのようなものなんですよ!」と発言していて、最近はかなりメッキが剥がれてきている。今の北朝鮮を見ていれば解かりそうなものだが。
次の話題、
「日韓関係の日本側の違い」 長崎市議 浅田五郎Fb
こじれた原因をどこに求めるかでこれだけ違うのです。
朝日新聞の論調は、歴史問題で日本政府にも改めるべき点があるとして国連人権理事会で韓国政府が日本を名指しせずに「普遍的な人権問題」として慰安婦問題に言及したのに、
日本政府が2015年の合意に受け入れられないと反発したことを批判し更に1993年の河野談話にも逆行すると難じた。
朝日新聞は従軍慰安婦については謝罪していたのに、教科書問題でも今回従軍慰安婦が復活したことに対しての意見はされていなかったようです。
産経新聞では、被害者は日本だと明確にしており、文大統領が慰安婦問題をめぐる2015年の日韓両政府の合意をほごにしたことや、いわゆる徴用工訴訟での補償要求が1965年の国交正常化の際の日韓請求権協定に反していることなどを挙げている。
日本のマスコミの取り組みも、日本の新聞等考えさせられるだけにそれは自由な日本を示していると理解しなければならないのか。
それが日本の外交上いかにマイナスになっていることか我関せずだからどうしようもないのでしょうか。
領土問題、教科書問題は、国際社会から見た日中韓関係の極めて重要な課題であることを、もうそろそろ考えていい時代を迎えたと思います。
このコロナの人類への挑戦はまずそれぞれの民族が安心安全の立場から特に平和に戦後75年間ドップリつかってきた日本民族に取っていい宿題を後世の日本人の為に与えていただいたと思っています。
これねえ、「2015年の日韓合意によって解決済み」なんて言ってるからいけない。たしかに外交上は正しいんだろうけど、それだと、いつまで経っても「国は認めても個人としては認められない」という話になる。日本政府は「朝日新聞も吉田証言も、誤り、虚偽であることを認めていて、軍による強制連行の事実は無い。よって補償をする責任は無い」と突っぱねて、先ずは河野談話、村山談話を破棄すべき。
韓国なんて、日本が例え一兆円を支払っても「これで十分」なんて言うワケが無いのだから。
ところで、維新も時々おかしな政策を打ち出すことがあるように思う。橋下さんも自分は政界を引退して無責任な立場から発信しているけど、10のうち2か3くらいは「おいおい」という内容の発言。
大阪では絶大な人気の維新が首都圏で浸透していかないのは何故か、考えたほうが良いと思う。
※ コメント欄は設けますがこの記事に関しては返信はいたしません。ご了承ください。
まき やすとも 政経調査会
中野区から維新を発信
日本はすでに終わっている。絶滅危惧種となった我々、真性日本人が日本を立て直す。
2021年03月10日のつぶやき
2021.03.11 Thursday - 03:00 - - by まき やすとも
00:43
夫婦同姓が家族の結束となっているのか makiyasutomo.jugem.jp/?eid=2809 #jugem_blog
https://twitter.com/
夫婦同姓が家族の結束となっているのか
2021.03.10 Wednesday 教育・子育て 00:43 comments(0) - by まき やすとも
男女が結婚して夫婦となればどちらかの姓に統一するのは当然と思っている。
それぞれが別々の姓を名乗っていたのでは家族としての結束が取れない、離婚を誘発する、家族がバラバラになる、というのは理解できる。
しかし、現代社会においては同姓であろうと別姓であろうと、あまりにも安易に離婚が成立しすぎてはいまいか。
元の姓に戻すための役所や銀行への届け出が大変だから、といった程度であり大した抑止効果は見られないのではないのか。
そもそも離婚する事が悪、とまでは言わないが「極力避けるべきこと」と言った認識はないし、避けるべき事柄として教育されていない。
むしろ結婚・離婚・結婚を繰り返すことが転職と同様に自身のスキルアップと捉えられ推奨するが如き風潮すらある、
テレビのワイドショーでは芸能人の結婚・離婚が連日報じられているので一般人も感覚が麻痺しているのかもしれない。
彼らは商売として結婚・離婚を繰り返している。テレビや週刊誌から報道してもらう為に、世間から名前を忘れられない為に繰り返している。特殊な人種であり一般人においては恥ずべき行為にさえ当たると認識せねばならない。
だからこそ従来より「私、一度失敗しているのよね」、などといった言い方がされている。
今の議論では何のための夫婦同姓なのかが抜けている。
一度結婚したら離婚してはいけない、と民法を改正するか。
少なくとも子供が生まれた以上、子供が成人するまで夫婦が離婚・別居する事を許してはならない。
離婚するなら子供を産んではいけない。離婚しない決意があるなら産みなさい。
この価値観を国民が共有していれば別姓も構わない。
そして、男性が女子の姓に換えることが現在よりも一般化しても良いだろう。
要は夫婦の中身の問題なのだ。
<<少なくとも子供が生まれた以上、子供が成人するまで夫婦が離婚・別居する事を許してはならない。
離婚するなら子供を産んではいけない。離婚しない決意があるなら産みなさい。
この価値観を国民が共有していれば別姓も構わない。
一つの価値観を国民が共有する、などということは有り得ないし不可能。例えて言うなら、国民の全てが自民党の政策を支持することも共産党員になることも絶対に無い。だから逆説的に選択的夫婦別姓に反対している、とも読めるけど、「今の議論では何のための夫婦同姓なのかが抜けている」のでなく、今のままでどんな問題があるのか、何か困ることがあるのか、が問題。女性が仕事をしていて結婚によって姓が変わることが不都合、という理由は屁理屈。会社側が旧姓の利用を認めれば済む話。
様々な反日活動と一緒で、「選択的夫婦別姓」問題は一つの駒、最終的に日本を崩壊させるための道具でしかない。複合的にいろんな活動をして保守政権を倒すのが真の目的。万一、それを果たした時に日本を待っているものが何なのか、確たるビジョンを持って活動している人間がいるとは思えない。共産党員だって、日本が社会主義国になったらどうなるのか、ビジョンを持ち合わせていないと思う。末端の共産党員なんか、その日が来たなら「こんなハズではなかった・・・」と後悔すると思う。
ところで、自民党の茂木敏充外相が「選択的夫婦別姓」問題に理解を示したとかで、党内に作業チームが作られるらしい。声の大きな(けっして弱者ではない)一部の連中に配慮する必要があるのか。他にやることがあるだろ!?、と言いたい。自民党というミカン箱の中にも腐ってカビだらけのミカンがいくつも入っていて、そいつらが他のミカンを腐らせていく。信念や信条を持っていないのか <`〜´>
さて、大ウソつきの池上彰がテレビで「共産社会は理想!、ユートピアのようなものなんですよ!」と発言していて、最近はかなりメッキが剥がれてきている。今の北朝鮮を見ていれば解かりそうなものだが。
次の話題、
「日韓関係の日本側の違い」 長崎市議 浅田五郎Fb
こじれた原因をどこに求めるかでこれだけ違うのです。
朝日新聞の論調は、歴史問題で日本政府にも改めるべき点があるとして国連人権理事会で韓国政府が日本を名指しせずに「普遍的な人権問題」として慰安婦問題に言及したのに、
日本政府が2015年の合意に受け入れられないと反発したことを批判し更に1993年の河野談話にも逆行すると難じた。
朝日新聞は従軍慰安婦については謝罪していたのに、教科書問題でも今回従軍慰安婦が復活したことに対しての意見はされていなかったようです。
産経新聞では、被害者は日本だと明確にしており、文大統領が慰安婦問題をめぐる2015年の日韓両政府の合意をほごにしたことや、いわゆる徴用工訴訟での補償要求が1965年の国交正常化の際の日韓請求権協定に反していることなどを挙げている。
日本のマスコミの取り組みも、日本の新聞等考えさせられるだけにそれは自由な日本を示していると理解しなければならないのか。
それが日本の外交上いかにマイナスになっていることか我関せずだからどうしようもないのでしょうか。
領土問題、教科書問題は、国際社会から見た日中韓関係の極めて重要な課題であることを、もうそろそろ考えていい時代を迎えたと思います。
このコロナの人類への挑戦はまずそれぞれの民族が安心安全の立場から特に平和に戦後75年間ドップリつかってきた日本民族に取っていい宿題を後世の日本人の為に与えていただいたと思っています。
これねえ、「2015年の日韓合意によって解決済み」なんて言ってるからいけない。たしかに外交上は正しいんだろうけど、それだと、いつまで経っても「国は認めても個人としては認められない」という話になる。日本政府は「朝日新聞も吉田証言も、誤り、虚偽であることを認めていて、軍による強制連行の事実は無い。よって補償をする責任は無い」と突っぱねて、先ずは河野談話、村山談話を破棄すべき。
韓国なんて、日本が例え一兆円を支払っても「これで十分」なんて言うワケが無いのだから。
ところで、維新も時々おかしな政策を打ち出すことがあるように思う。橋下さんも自分は政界を引退して無責任な立場から発信しているけど、10のうち2か3くらいは「おいおい」という内容の発言。
大阪では絶大な人気の維新が首都圏で浸透していかないのは何故か、考えたほうが良いと思う。
※ コメント欄は設けますがこの記事に関しては返信はいたしません。ご了承ください。
2021年03月11日
拡散希望、ということでご協力、私も同感だから 6
これ、Facebook でも届いておりますが、NPO法人百人の会が「宣伝してくれ」と言うので、こちらの記事はNPO法人百人の会からの転載、ということに (^◇^)
川内時男先生の活動報告(基)
(元徳島県公立中学校校長)
84、胡散臭くなった人権と言う言葉(拡散希望)
多くの日本人は人権という言葉に過大な幻想を抱いているようです。これさえ大事にしていれば自ずと明るい未来が開けてくるように信じているのでしょう。しかし、その人権があまねく浸透した今、社会はどうなったでしょう。
現代の人権は自分が気に入らない人間を攻撃する道具に成り下がっているのではありませんか。
人権社会は不用意に他人に近づけばいつ相手から切りつけられるかも知れない怖い社会です。人間どうしの絆を深めるはずの人権も、原理主義に走れば「人権ナチズム」となり荒んでくるのです。「痴漢に間違われないように両手を上げてつり革につかまる」などは最早笑い話です。
どうしてこんなことに、と思われるでしょうが、実はこれは当たり前のことです。
日本人は「人権」と聞けばその中に崇高な理念が込められているように思うでしょうが、それは幻想に過ぎません。実は人権は自分の縄張りを主張するだけのものです。つまり「ここからは自分の領分、勝手に入るな」というだけのものです。
狩猟民族にとっては縄張りは大切なのでしょうが、協調・共働で生きてきた稲作農耕民族である日本人からは生まれようのない概念です。第一「ここからは自分の領分」と主張するのは日本の村社会では無理なのです。
ところで、人権と道徳はどう違うのでしょう。同じもののように思われるかも知れませんが、本質は全く異なります。それどころか正反対な面もあるのです。権利は外に向けて主張しますが、道徳は内省的で自分に向けられます。権利は法的裏付けがあり強制力を伴いますが、道徳は法とは無関係で人に強制しません。人権どうしは時に衝突して対立を生みますが、道徳どうしは衝突しません。
ある評論家が「人権が完全に守られるなら道徳は必要ない」と言いましたが、全く的外れです。これは裏返していえば「法に触れなければ何をやっても良い」と言っているに等しく、行き着く先は弱肉強食の荒んだ社会でしかありません。
以前私は「我が国には人権という概念はなかったが、義理・人情があった」と述べました。これを読んだ人の多くは「時代錯誤」と大笑いしたことでしょうが、実は義理・人情は日本人の古典道徳と言ってもよく、目指すところは人権よりも遙かに次元が高いのです。日本のお国柄を考えれば我が国は人権大国より道徳大国を目指し、道徳を軸とした健全な人権文化を広め、品格のある国家を目指すべきではないでしょうか。
社会ではよく反戦・平和・人権などの言葉が飛び交います。実に美しい言葉です。しかし、これらをリベラルが好んで使うようになってからは、何となく胡散臭さを感じるようになりました。私だけでしょうか。
原文のままですが、改行は私が入れさせて頂きました。
「私は人権アレルギー」と何度も述べていて、私みたいな一介の市民ではなく、校長先生までなられた川内先生が主張なさると私なんかより遥かに説得力があります。まさに「我が意を得たり」です。
義理人情・・・、私は仕事でもプライベートでも、この「義理人情」を大切にしています。お年寄りに部屋を紹介する時に、いちいち「高齢者や弱者の人権に配慮して・・・」なんてことはありません。家主さんにも同じく人権がありますしね。間に入って落としどころを探る、なんてことはしょっちゅうです。どなたかが仰っていましたが、不動産屋は仲介業ではなく仲裁業なんですね。それに徹しています。
ついでに、私は「グローバル化」なんて言葉にも嫌悪感を持ちます。あ、もっと嫌いなのが「男女平等」です。「男女公平」「男女同権」なら賛成しますが、声の大きな連中が主張する内容の男女平等を推し進めたら、世の中、限りなく不公平な社会になります。今でも十分に女のほうが得をしているのですから男女格差が拡大するだけです。声の大きな連中の真の目的は「男女平等ではなく日本社会の崩壊」ですね。
ジェンダーフリーを訴える気違いたち、「オリンピックなどスポーツの国際大会で男女一緒に走らせろ、闘わせろ」とは言いませんし、ガソリンスタンドや居酒屋なんかの「レディースデイ」に文句をつけることはありません。女が得をすることにはダンマリを決め込んでいて、ダブルスタンダードです。
奴らがやっていることは、「学校のトイレや更衣室を男女で分けるな」くらいのもの。差別と区別、平等と公平、その違いも解かっていません。「頭が悪い」と言うより「気違い」なんですよ。
能力がある女性をしかるべきポストに登用しないのなら差別ですが、最初から「何割は女性に」などと目標設定するのは愚の骨頂。善良で良識ある市民は、そんなことで大声を上げません。声の大きな者どもに配慮してるんでしょうが、政治家や役人や公務員、何に怯えているのやら。
川内時男先生の活動報告(基)
(元徳島県公立中学校校長)
84、胡散臭くなった人権と言う言葉(拡散希望)
多くの日本人は人権という言葉に過大な幻想を抱いているようです。これさえ大事にしていれば自ずと明るい未来が開けてくるように信じているのでしょう。しかし、その人権があまねく浸透した今、社会はどうなったでしょう。
現代の人権は自分が気に入らない人間を攻撃する道具に成り下がっているのではありませんか。
人権社会は不用意に他人に近づけばいつ相手から切りつけられるかも知れない怖い社会です。人間どうしの絆を深めるはずの人権も、原理主義に走れば「人権ナチズム」となり荒んでくるのです。「痴漢に間違われないように両手を上げてつり革につかまる」などは最早笑い話です。
どうしてこんなことに、と思われるでしょうが、実はこれは当たり前のことです。
日本人は「人権」と聞けばその中に崇高な理念が込められているように思うでしょうが、それは幻想に過ぎません。実は人権は自分の縄張りを主張するだけのものです。つまり「ここからは自分の領分、勝手に入るな」というだけのものです。
狩猟民族にとっては縄張りは大切なのでしょうが、協調・共働で生きてきた稲作農耕民族である日本人からは生まれようのない概念です。第一「ここからは自分の領分」と主張するのは日本の村社会では無理なのです。
ところで、人権と道徳はどう違うのでしょう。同じもののように思われるかも知れませんが、本質は全く異なります。それどころか正反対な面もあるのです。権利は外に向けて主張しますが、道徳は内省的で自分に向けられます。権利は法的裏付けがあり強制力を伴いますが、道徳は法とは無関係で人に強制しません。人権どうしは時に衝突して対立を生みますが、道徳どうしは衝突しません。
ある評論家が「人権が完全に守られるなら道徳は必要ない」と言いましたが、全く的外れです。これは裏返していえば「法に触れなければ何をやっても良い」と言っているに等しく、行き着く先は弱肉強食の荒んだ社会でしかありません。
以前私は「我が国には人権という概念はなかったが、義理・人情があった」と述べました。これを読んだ人の多くは「時代錯誤」と大笑いしたことでしょうが、実は義理・人情は日本人の古典道徳と言ってもよく、目指すところは人権よりも遙かに次元が高いのです。日本のお国柄を考えれば我が国は人権大国より道徳大国を目指し、道徳を軸とした健全な人権文化を広め、品格のある国家を目指すべきではないでしょうか。
社会ではよく反戦・平和・人権などの言葉が飛び交います。実に美しい言葉です。しかし、これらをリベラルが好んで使うようになってからは、何となく胡散臭さを感じるようになりました。私だけでしょうか。
原文のままですが、改行は私が入れさせて頂きました。
「私は人権アレルギー」と何度も述べていて、私みたいな一介の市民ではなく、校長先生までなられた川内先生が主張なさると私なんかより遥かに説得力があります。まさに「我が意を得たり」です。
義理人情・・・、私は仕事でもプライベートでも、この「義理人情」を大切にしています。お年寄りに部屋を紹介する時に、いちいち「高齢者や弱者の人権に配慮して・・・」なんてことはありません。家主さんにも同じく人権がありますしね。間に入って落としどころを探る、なんてことはしょっちゅうです。どなたかが仰っていましたが、不動産屋は仲介業ではなく仲裁業なんですね。それに徹しています。
ついでに、私は「グローバル化」なんて言葉にも嫌悪感を持ちます。あ、もっと嫌いなのが「男女平等」です。「男女公平」「男女同権」なら賛成しますが、声の大きな連中が主張する内容の男女平等を推し進めたら、世の中、限りなく不公平な社会になります。今でも十分に女のほうが得をしているのですから男女格差が拡大するだけです。声の大きな連中の真の目的は「男女平等ではなく日本社会の崩壊」ですね。
ジェンダーフリーを訴える気違いたち、「オリンピックなどスポーツの国際大会で男女一緒に走らせろ、闘わせろ」とは言いませんし、ガソリンスタンドや居酒屋なんかの「レディースデイ」に文句をつけることはありません。女が得をすることにはダンマリを決め込んでいて、ダブルスタンダードです。
奴らがやっていることは、「学校のトイレや更衣室を男女で分けるな」くらいのもの。差別と区別、平等と公平、その違いも解かっていません。「頭が悪い」と言うより「気違い」なんですよ。
能力がある女性をしかるべきポストに登用しないのなら差別ですが、最初から「何割は女性に」などと目標設定するのは愚の骨頂。善良で良識ある市民は、そんなことで大声を上げません。声の大きな者どもに配慮してるんでしょうが、政治家や役人や公務員、何に怯えているのやら。
2021年03月01日
拡散希望、ということでご協力、私も同感だから 5
83、忽然と消える国旗(拡散希望)
私が現役教師であった頃、学校現場で摩訶不思議な現象が起こっていました。それは県や市の研究会や講演会で、テーマが人権になっている時だけステージの国旗が消えてしまうと言う珍現象です。
これらの会は学校の体育館が会場になることが多いのですが、当日会場に行ってみますと、つい先日まで確かにステージ中央に掲げられていた国旗がなぜか忽然と消えているのです。ミステリーではありません。実は主催者である学校が撤去していたのです。
さらに不思議なこと、それは・・・日頃学校現場で目にする書類は日付が元号で表示されるのですが、人権関連の案内状だけは西暦で表示され、元号は表示されないか、あるいは表示されていても( )の中に別表示されるのです。グローバリゼーションの影響もあってか、近年は人権をテーマにしない研究会や会合でも西暦表示する例が増えていますが、人権関連の会合の案内状は昔から一貫して西暦表示でした。国旗が消えること、元号が西暦に変わること、なぜこんなことが起こるのでしょう。
人権問題に関わる人達の中には左翼思想に染まった人達が多くいます。そう言う人達は国旗・国歌に反対し、皇室に反感を持ち、そして元号を忌み嫌います。こういう勢力から反発を受けないように、また会が穏やかな雰囲気で行われるようにと、国旗を外したり、西暦を使ったりなどの措置をするのです。
こういうことが今も同じように行われているのかと思い、先日現役の元同僚に聞いてみたところ、「国旗を外しているかどうかは知らないが、以前より随分まともになってきた」とのことでした。これを聞いていくらか安心しましたが、考えてみれば当たり前のことです。会のテーマが人権であろうがなかろうが、教育現場で行われる研修会・研究会は政治思想とは無縁のはずです。特定のイデオロギーによって会のありようが左右されるなど、あってはならないのです。ということで、この件に関してはかなり正常化しているように思います。
しかし私がここで指摘したいのは教育現場のこういう主体性のなさです。一部の人達の反発を怖れて原理・原則を変えるなど論外です。事なかれ主義の典型です。教育基本法第16条には「教育は、不当な支配に服することなく・・・」と謳われています。教職員組合などの左翼勢力はこの条文を振りかざし「政治は教育に介入するな」として的外れな主張しますが、本来この条文を遵守すべきは組合ではなく、教育現場であるはずです。その教育現場が「不当な声」に忖度し、自ら原理・原則を曲げているのですから話になりません。
私は、現代教育を巡る様々な問題の多くは教育現場の事なかれ主義体質にあると思っています。世の批判に怯え、主張すべきことに口をつぐみ、ただ黙っているだけでは学校はサンドバッグにされてしまいます。学校は保護者の声や世間の声は謙虚に受け止めなければなりませんが、それらの声が常に正しいとは限りません。間違った声には毅然として反論しなくてはなりません。その役割を担うのはやはり校長です。校長は批判を怖れることなく、体を張って正しいことを主張し、学校を守る使命があります。優柔不断な姿勢では大きな声に振り回され、子供と教職員に被害が及ぶのです。
※ 読みやすくするために、私の独断で改行、空行を入れさせて頂きました。
私は、教師になった同級生から「卒業式なんかでも、国旗を掲揚しない、国歌を斉唱しない(させない)学校が多い」と聞いて、「お前ら、誰(どこ)から給料を貰ってんだよ!?」と思いましたね。そういえば、国歌斉唱の際に起立しなかった教師もいたような・・・。そんな奴らが子供たちに何(正しい道)を教えられるんだよ、って言いたくなります。どんな思想を持とうが個人の自由で勝手だけど、教育現場に持ち込むのは間違っている、そう認識していないなら教師を辞めるべきです。
私が現役教師であった頃、学校現場で摩訶不思議な現象が起こっていました。それは県や市の研究会や講演会で、テーマが人権になっている時だけステージの国旗が消えてしまうと言う珍現象です。
これらの会は学校の体育館が会場になることが多いのですが、当日会場に行ってみますと、つい先日まで確かにステージ中央に掲げられていた国旗がなぜか忽然と消えているのです。ミステリーではありません。実は主催者である学校が撤去していたのです。
さらに不思議なこと、それは・・・日頃学校現場で目にする書類は日付が元号で表示されるのですが、人権関連の案内状だけは西暦で表示され、元号は表示されないか、あるいは表示されていても( )の中に別表示されるのです。グローバリゼーションの影響もあってか、近年は人権をテーマにしない研究会や会合でも西暦表示する例が増えていますが、人権関連の会合の案内状は昔から一貫して西暦表示でした。国旗が消えること、元号が西暦に変わること、なぜこんなことが起こるのでしょう。
人権問題に関わる人達の中には左翼思想に染まった人達が多くいます。そう言う人達は国旗・国歌に反対し、皇室に反感を持ち、そして元号を忌み嫌います。こういう勢力から反発を受けないように、また会が穏やかな雰囲気で行われるようにと、国旗を外したり、西暦を使ったりなどの措置をするのです。
こういうことが今も同じように行われているのかと思い、先日現役の元同僚に聞いてみたところ、「国旗を外しているかどうかは知らないが、以前より随分まともになってきた」とのことでした。これを聞いていくらか安心しましたが、考えてみれば当たり前のことです。会のテーマが人権であろうがなかろうが、教育現場で行われる研修会・研究会は政治思想とは無縁のはずです。特定のイデオロギーによって会のありようが左右されるなど、あってはならないのです。ということで、この件に関してはかなり正常化しているように思います。
しかし私がここで指摘したいのは教育現場のこういう主体性のなさです。一部の人達の反発を怖れて原理・原則を変えるなど論外です。事なかれ主義の典型です。教育基本法第16条には「教育は、不当な支配に服することなく・・・」と謳われています。教職員組合などの左翼勢力はこの条文を振りかざし「政治は教育に介入するな」として的外れな主張しますが、本来この条文を遵守すべきは組合ではなく、教育現場であるはずです。その教育現場が「不当な声」に忖度し、自ら原理・原則を曲げているのですから話になりません。
私は、現代教育を巡る様々な問題の多くは教育現場の事なかれ主義体質にあると思っています。世の批判に怯え、主張すべきことに口をつぐみ、ただ黙っているだけでは学校はサンドバッグにされてしまいます。学校は保護者の声や世間の声は謙虚に受け止めなければなりませんが、それらの声が常に正しいとは限りません。間違った声には毅然として反論しなくてはなりません。その役割を担うのはやはり校長です。校長は批判を怖れることなく、体を張って正しいことを主張し、学校を守る使命があります。優柔不断な姿勢では大きな声に振り回され、子供と教職員に被害が及ぶのです。
※ 読みやすくするために、私の独断で改行、空行を入れさせて頂きました。
私は、教師になった同級生から「卒業式なんかでも、国旗を掲揚しない、国歌を斉唱しない(させない)学校が多い」と聞いて、「お前ら、誰(どこ)から給料を貰ってんだよ!?」と思いましたね。そういえば、国歌斉唱の際に起立しなかった教師もいたような・・・。そんな奴らが子供たちに何(正しい道)を教えられるんだよ、って言いたくなります。どんな思想を持とうが個人の自由で勝手だけど、教育現場に持ち込むのは間違っている、そう認識していないなら教師を辞めるべきです。
2021年02月26日
気になる話、本当だとしたら、これは酷い!
ロッテが日本人殺害セット販売!『ロッテオン』で伊藤博文暗殺セットや日本兵降伏死闘セットなど!
私の毎日の訪問先、「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現」さんから。
ご近所は仲良く、なんて(お人好しの)幻想。ヨーロッパなんて隣国同士仲良くしていた例も歴史もない。こんな国とは早く国交断絶してほしい。ロッテのチョコ、もう買わない。うん、決めた。
こちらも、相済みません、コメント欄は設けますが返信はご容赦ください。
コメントはご自由にお書込みください。
私の毎日の訪問先、「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現」さんから。
ご近所は仲良く、なんて(お人好しの)幻想。ヨーロッパなんて隣国同士仲良くしていた例も歴史もない。こんな国とは早く国交断絶してほしい。ロッテのチョコ、もう買わない。うん、決めた。
こちらも、相済みません、コメント欄は設けますが返信はご容赦ください。
コメントはご自由にお書込みください。
拡散希望、ということでご協力、私も同感だから 4
82、ほどよい傷は生きるための薬!(拡散希望)
「子供の心を傷つけてはいけない」、これは教育現場においても社会においても鉄則のように考えられています。果たして正しいのでしょうか。確信を持って言います。間違っています。子供が適度に傷つくのはむしろいいことです。子供が立ち直れないほどの心の傷はあってはなりませんが、少々の傷なら子供の将来にとっては有益なのです。私はこの点については体の傷も心の傷も同じだと思っています。
公園の遊具で子供が怪我をする事故があれば、翌日にはその遊具は撤去されるか使用禁止になります。再び事故が起こっては管理者の責任が問われるからです。
昔の話になりますが、ある小学校で「子供がどんなにはしゃいでも絶対怪我しないように」と、柱の角や階段の手すりなど、子供が怪我をしそうな箇所すべてにスポンジを巻き付けて安全対策をしたところ、確かに学校内での怪我はなくなりましたが、学校外での怪我が大幅に増えたということです。
これもまた古い話ですが、私の郷里で操業中の船から若い漁師が海に転落し、溺れ死ぬという事故がありました。何と漁師の息子でありながら泳げなかったのです。実は郷里の海はほとんど全てが遊泳禁止になっており、波の音が聞こえるほど近いところに海があるのに子供が泳ぐことが許されていないのです。つまり、危ないから泳がせない、泳がせないから泳げない、泳げないから溺れて死んだ、ということなのです。私はこの事故を知って「子供の安全指導とは一体何だろう?」と考えさせられました。
安全指導はその場限り、その時だけの安全ではなく、子供の将来を見据え、将来にわたっての安全につながるものでなくてはなりません。怪我をしてはいけないからとして、子供の周囲から危険と思われることを全て排除し、子供を安全地帯に囲い込むことは実は危険なのです。子供は適度な怪我をし、痛い思いをすることで危険回避能力を身につけるのです。
私は心の傷もこれと同じだと考えています。つまり子供は適度な心の傷を受けてこそ精神的耐性を身につけ、将来心に傷を負った時の復元力が養われるのです。
教師が子供を指導する中で、子供の心を傷つける言動があれば、世間はそれを鬼の所業でもあるかのように非難します。大間違いです。学校の教師や教育関係者、そしてマスコミも子供が傷つくことに対して敏感になりすぎているのではありませんか。教師は「子供の心を傷つけるのか」の言葉の前には、まるで水戸黄門様の印籠を見せられた如く怯んでしまいます。これも教育現場で人権が暴走していることによるものでしょう。ともあれこれでは子供に厳しい指導など出来ません。
わざと子供を傷つける必要はありませんが、子供が傷つくことを怖れて必要な指導を手控えていては教育は出来ません。特にいじめの加害者への指導は教師の指導が手ぬるいように思われます。いじめの被害者は不登校になったり、あるいは自殺することもあるのです。加害者にも少しくらいは傷ついてもらわなければ、被害者ばかりが傷つくことになります。あまりにも理不尽です。
○お願い!この投稿をシェアして拡散して下さい。
○詳しい資料(教育イノベーション)をご希望の方はkaicho71369@yahoo.co.jpまでご連絡ください。無料です。
川内先生のお話は、いちいち納得がいきます。私ごときが甚だ失礼ながら、非常にマトモな見識をお持ちかと存じます。今の世の中、そういう方は極めて希少です。なので、このシリーズは今後も続きます。
でもって、たいへん申し訳ありませんが、コメント欄は設けますが私からの返信は(体調の関係で)できないかと・・・、ご容赦ください。もちろん、自由に意見を書き込んで頂いてかまいません。
「子供の心を傷つけてはいけない」、これは教育現場においても社会においても鉄則のように考えられています。果たして正しいのでしょうか。確信を持って言います。間違っています。子供が適度に傷つくのはむしろいいことです。子供が立ち直れないほどの心の傷はあってはなりませんが、少々の傷なら子供の将来にとっては有益なのです。私はこの点については体の傷も心の傷も同じだと思っています。
公園の遊具で子供が怪我をする事故があれば、翌日にはその遊具は撤去されるか使用禁止になります。再び事故が起こっては管理者の責任が問われるからです。
昔の話になりますが、ある小学校で「子供がどんなにはしゃいでも絶対怪我しないように」と、柱の角や階段の手すりなど、子供が怪我をしそうな箇所すべてにスポンジを巻き付けて安全対策をしたところ、確かに学校内での怪我はなくなりましたが、学校外での怪我が大幅に増えたということです。
これもまた古い話ですが、私の郷里で操業中の船から若い漁師が海に転落し、溺れ死ぬという事故がありました。何と漁師の息子でありながら泳げなかったのです。実は郷里の海はほとんど全てが遊泳禁止になっており、波の音が聞こえるほど近いところに海があるのに子供が泳ぐことが許されていないのです。つまり、危ないから泳がせない、泳がせないから泳げない、泳げないから溺れて死んだ、ということなのです。私はこの事故を知って「子供の安全指導とは一体何だろう?」と考えさせられました。
安全指導はその場限り、その時だけの安全ではなく、子供の将来を見据え、将来にわたっての安全につながるものでなくてはなりません。怪我をしてはいけないからとして、子供の周囲から危険と思われることを全て排除し、子供を安全地帯に囲い込むことは実は危険なのです。子供は適度な怪我をし、痛い思いをすることで危険回避能力を身につけるのです。
私は心の傷もこれと同じだと考えています。つまり子供は適度な心の傷を受けてこそ精神的耐性を身につけ、将来心に傷を負った時の復元力が養われるのです。
教師が子供を指導する中で、子供の心を傷つける言動があれば、世間はそれを鬼の所業でもあるかのように非難します。大間違いです。学校の教師や教育関係者、そしてマスコミも子供が傷つくことに対して敏感になりすぎているのではありませんか。教師は「子供の心を傷つけるのか」の言葉の前には、まるで水戸黄門様の印籠を見せられた如く怯んでしまいます。これも教育現場で人権が暴走していることによるものでしょう。ともあれこれでは子供に厳しい指導など出来ません。
わざと子供を傷つける必要はありませんが、子供が傷つくことを怖れて必要な指導を手控えていては教育は出来ません。特にいじめの加害者への指導は教師の指導が手ぬるいように思われます。いじめの被害者は不登校になったり、あるいは自殺することもあるのです。加害者にも少しくらいは傷ついてもらわなければ、被害者ばかりが傷つくことになります。あまりにも理不尽です。
○お願い!この投稿をシェアして拡散して下さい。
○詳しい資料(教育イノベーション)をご希望の方はkaicho71369@yahoo.co.jpまでご連絡ください。無料です。
川内先生のお話は、いちいち納得がいきます。私ごときが甚だ失礼ながら、非常にマトモな見識をお持ちかと存じます。今の世の中、そういう方は極めて希少です。なので、このシリーズは今後も続きます。
でもって、たいへん申し訳ありませんが、コメント欄は設けますが私からの返信は(体調の関係で)できないかと・・・、ご容赦ください。もちろん、自由に意見を書き込んで頂いてかまいません。
2021年02月18日
拡散希望、ということでご協力、私も同感だから 3
昨日に続いて川内先生の記事のご紹介、
川内時男先生の活動報告(基)
(元徳島県公立中学校校長)
http://100prs.info/katudoukiroku/nakama/R2-1-17kawauti/top.htm
81、暴走する人権が生む「悪平等」(拡散希望)
欧米から持ち込んだ人権文化は暴走し、学校現場に「悪平等主義」をもたらしました。「競争=悪」とする考えが蔓延し、子供を競わせること自体を否定するようになりました。「ゴール手前でみんな仲良く、お手々繋いでゴールイン」の徒競走は以前よく笑い話として話題になりましたが、今もなくなっていません。
長女が小学生だった時、足が遅いはずの我が子が徒競走で2着になったと喜んでいたら、何のことはない、長女は最も足の遅いグループで走った、と言うことでしたからがっかりしました。何であれこれでは親は自分の子がクラスでどれくらい足が速いのか遅いのか、子供に聞かなければ分かりません。
早い話が今の学校は子供に差をつけることを本能的に否定するのです。足の遅い子供が傷つくから、差別につながるから、と言うのが理由のようです。
子供の中には「成績は良くないが足の速さなら負けない」という子供がいます。そう言う子供にとっては運動会は数少ない晴れ舞台であり、親に晴れがましい姿を見せることが出来る数少ないチャンスです。「お手々繋いでゴールイン」はそんな子供からクラスの英雄になれる機会を奪っているとも言えるのです。
言わずもがなですが、競争のないところに成長はありません。そして子供は他の子供と競争し比べられることによって、自分の優れている点、劣っている点を自覚できるのです。言い換えれば自分の個性が理解できるのです。
それを言うとある種の先生達は「足の速い子供ならそれでも良いが、成績も悪く足も遅い子供の気持ちはどうなるのか」と屁理屈を言います。
なんと馬鹿なことを・・・子供の能力は幅が広いのです。絵のうまい子、話し上手な子、力の強い子、字の上手な子、友達に好かれる子、正義感の強い子、リーダーシップのある子・・挙げればきりがありません。
子供はそれぞれ光るものを持っています。それをクラスの中で輝かせて見せてやるのが教師というものです。子供はみんなそれぞれ違っているのに、ひとまとめにして「みんな同じだ」とするのは平等でも何でもなく、個性の否定です。こう言えば、ある種の先生は「何の取り得もない子はどうするのだ、傷つくではないか」と、またまた屁理屈です。
私はこんな時「それくらいの傷はあってもいい、かまいません」と言います。これからの長い人生、傷つくことなしには生きられないのですから少々の傷はむしろプラスになるのです。現代の子供はすぐに挫折し、回復力が弱いと言われますが、これは子供時代に適度な心の傷を受けてこなかったことが原因ではないでしょうか。
ほんと、「なんでも人権」がいかにくだらないか、よく解かる。私の兄貴たち、長男は社会人駅伝で区間賞を獲っていて、次男は学年で一番足が速くて番長、三男は(当時は不良の溜り場である)サッカー部に入っていて、陸上部の選手より足が速かったのでNHKの放送陸上(当時は高校生以上しか対外試合は認められていなかったから意味不明な放送陸上なんて大会のみあった)に学校代表として短距離(100m)に出て、地方大会だと思うんだけど優勝してしまって、やはり番長。
男の兄弟で私だけがスポーツ音痴の引き籠り。小学校に入るまで家からほとんど出なかった。私は、成績はドン尻でも運動会で輝く兄貴たちに凄く憧れていた。年に何回か、そういう日があっていいと思う。それが、事前にタイムを計って、身長順でなくタイム順で(差が出ないように)グループ分けして走らせる・・・。それでも最後は競争させるのだから、教師なんて愚かの極みでしかない。
ならばオリンピックも箱根駅伝もやめちまえ、と思う。東大も希望者全員を入れてやればいい。世の中、競争があるからこそ進歩も進化もする。負けて傷ついても這い上がる、学校でそういう人間に育てなくてどうする!?、と思う。人間、必ず取り柄があるから、そこを伸ばしてやればいい。
今回も、川内先生のご意見に賛同 (^◇^)
でもって、コメントの返信、もうちょっとお待ちください。
川内時男先生の活動報告(基)
(元徳島県公立中学校校長)
http://100prs.info/katudoukiroku/nakama/R2-1-17kawauti/top.htm
81、暴走する人権が生む「悪平等」(拡散希望)
欧米から持ち込んだ人権文化は暴走し、学校現場に「悪平等主義」をもたらしました。「競争=悪」とする考えが蔓延し、子供を競わせること自体を否定するようになりました。「ゴール手前でみんな仲良く、お手々繋いでゴールイン」の徒競走は以前よく笑い話として話題になりましたが、今もなくなっていません。
長女が小学生だった時、足が遅いはずの我が子が徒競走で2着になったと喜んでいたら、何のことはない、長女は最も足の遅いグループで走った、と言うことでしたからがっかりしました。何であれこれでは親は自分の子がクラスでどれくらい足が速いのか遅いのか、子供に聞かなければ分かりません。
早い話が今の学校は子供に差をつけることを本能的に否定するのです。足の遅い子供が傷つくから、差別につながるから、と言うのが理由のようです。
子供の中には「成績は良くないが足の速さなら負けない」という子供がいます。そう言う子供にとっては運動会は数少ない晴れ舞台であり、親に晴れがましい姿を見せることが出来る数少ないチャンスです。「お手々繋いでゴールイン」はそんな子供からクラスの英雄になれる機会を奪っているとも言えるのです。
言わずもがなですが、競争のないところに成長はありません。そして子供は他の子供と競争し比べられることによって、自分の優れている点、劣っている点を自覚できるのです。言い換えれば自分の個性が理解できるのです。
それを言うとある種の先生達は「足の速い子供ならそれでも良いが、成績も悪く足も遅い子供の気持ちはどうなるのか」と屁理屈を言います。
なんと馬鹿なことを・・・子供の能力は幅が広いのです。絵のうまい子、話し上手な子、力の強い子、字の上手な子、友達に好かれる子、正義感の強い子、リーダーシップのある子・・挙げればきりがありません。
子供はそれぞれ光るものを持っています。それをクラスの中で輝かせて見せてやるのが教師というものです。子供はみんなそれぞれ違っているのに、ひとまとめにして「みんな同じだ」とするのは平等でも何でもなく、個性の否定です。こう言えば、ある種の先生は「何の取り得もない子はどうするのだ、傷つくではないか」と、またまた屁理屈です。
私はこんな時「それくらいの傷はあってもいい、かまいません」と言います。これからの長い人生、傷つくことなしには生きられないのですから少々の傷はむしろプラスになるのです。現代の子供はすぐに挫折し、回復力が弱いと言われますが、これは子供時代に適度な心の傷を受けてこなかったことが原因ではないでしょうか。
ほんと、「なんでも人権」がいかにくだらないか、よく解かる。私の兄貴たち、長男は社会人駅伝で区間賞を獲っていて、次男は学年で一番足が速くて番長、三男は(当時は不良の溜り場である)サッカー部に入っていて、陸上部の選手より足が速かったのでNHKの放送陸上(当時は高校生以上しか対外試合は認められていなかったから意味不明な放送陸上なんて大会のみあった)に学校代表として短距離(100m)に出て、地方大会だと思うんだけど優勝してしまって、やはり番長。
男の兄弟で私だけがスポーツ音痴の引き籠り。小学校に入るまで家からほとんど出なかった。私は、成績はドン尻でも運動会で輝く兄貴たちに凄く憧れていた。年に何回か、そういう日があっていいと思う。それが、事前にタイムを計って、身長順でなくタイム順で(差が出ないように)グループ分けして走らせる・・・。それでも最後は競争させるのだから、教師なんて愚かの極みでしかない。
ならばオリンピックも箱根駅伝もやめちまえ、と思う。東大も希望者全員を入れてやればいい。世の中、競争があるからこそ進歩も進化もする。負けて傷ついても這い上がる、学校でそういう人間に育てなくてどうする!?、と思う。人間、必ず取り柄があるから、そこを伸ばしてやればいい。
今回も、川内先生のご意見に賛同 (^◇^)
でもって、コメントの返信、もうちょっとお待ちください。
2021年02月17日
拡散希望、ということでご協力、私も同感だから 2
1月28日付で、「拡散希望、ということでご協力、私も同感だから」という記事を書いていて、これはその続編。元々の記事は、元徳島県公立中学校校長の川内時男先生が書かれたもの。この後も続編が書かれると思う。今、川内先生とは Facebook でもお友だちになって頂いていて、先日、Facebook で続編を拝見して、それをブログの記事で紹介したかったのだけど方法が解からない。それでコメント欄からマスキ先生にお願いして全文を入手させて頂いた次第。
80、「人権」の乱発と大安売り!(拡散希望)
前回の投稿を読まれた方の中には私のことを人権否定論者のように思われた方もおられるのではないでしょうか。とんでもない誤解です。今の時代に人権が無用などとはゆめゆめ思いません。世界には今日の食料にも事欠く人がいたり、またチベットやウィグル自治区には圧政に苦しむ大勢の人達がいます。こういう人達が地球上にいる限り、私達は世界に向けて人権尊重の声を上げ続けなくてはなりません。
ところで人権という言葉についてですが、私はこの言葉は人間が生命の危険に曝されてとか、あるいは人としての尊厳が踏みにじられているような時にこそ使われるべきだと思っています。また、そういう人達の言う「人権」であれば世界中の人が納得し、共感するでしょう。しかし衣・食・住が曲がりなりにも満たされている我が国において、なお声高に人権を主張するのには違和感を覚えます。
いつのことだったか忘れましたが、日本の高校生が国連事務所に行って「私達は制服を着ることを強制されている、人権侵害だ」と訴えたところ、国連の人から「世界には制服どころか、服を買うことさえ出来ない人がたくさんいるのですよ。」と笑われたそうです。しかし教育界を観てみますと、こう言う笑い話のようなことがたくさんあるのです。
その一例・・・私は子供と書くとき、「子供」と正しく表記します。しかし教育界ではこれは禁じられています。教育界だけではありません。
世間では今「子供」ではなく「子ども」と交ぜ書きするのが通例です。新聞業界でも、産経新聞以外のほとんどのマスコミは「子ども」です。
学校はどうかって?当然「子ども」です。「子供」などと書こうものなら人権感覚を疑われ、直ちに書き直しさせられます。
理由をご存じでしょうか。二つあります。
一つは「子供という字の『供』は殿様が家来を連れて歩くときの『供』を意味する。子供を見下しているからけしからん。」というものです。
もう一つは「『供』と言う字はお供え物の意味である。子供をお供え物に例えるなど人権侵害だ」というものです。
それギャグで言っているのか?と言いたくなるほどの屁理屈です。多分どこかの三流教育学者が言い始めた屁理屈でしょうが、何であれ教育界ではこれが当たり前なのです。ということで「子供」と書く人間などは私のような頑固ジジィか、よほどの信念を持った人しかいません。因みに私の手元にある三冊の国語事典には「子供」はあっても「子ども」はありません。このように人権が暴走すると正しい日本語まで踏み荒らされてしまうのです。
話がそれてしまいましたが、要するに些細なことで「人権」の言葉を乱発しないでいただきたいと言うことです。今の人権はそのほとんどが自分の立場を有利にするか、あるいは気にくわない相手をへこませるための道具にしか使われていません。日常の些末な問題は人権問題ではなく、モラルの問題として扱われるべきです。
川内先生の見識は素晴らしいと思う、こんな先生がいらっしゃったんだ・・・、と感動さえ覚える。こんな先生がもっと多くいらっしゃったならなあ・・・、と残念に思うほど。今の教育現場のことはよく知らないが、今の世の中の荒れ方を見れば酷いモンであることは容易に想像がつく。
私が敬愛する中学時代の恩師、政治的には私と真逆のよう。私に「安倍さんは危ないぞ〜」とか「第二次大戦は日本の侵略戦争だった」とか、愛知トリエンナーレ問題で「大村さんは間違っとらんだわ、河村さんのほうが間違っとるだて」と仰っているので。それでも私が恩師を一生の師として慕っているのは、先生が出来の悪い生徒も優秀な生徒も横道に逸れてしまった生徒も、同じ愛情で接してくださっていたことと、私が起こした授業ボイコット問題で、先生が職員室の真ん中で「俺が悪かった、明日から授業を受けてくれ」と私に頭を下げてくださったから。
以前も書いたけど、先生は間違っていなかったと思う。にも拘らず、事態を収拾するために職員室の真ん中で私とK君に頭を下げた。その時に、「ああ、俺は大人に、目上の人に恥をかかせてしまった。誰が生徒なんかに頭を下げたいものか。俺はこの先生に一生ついていこう」と思った。先生の頭の中には、私とK君だけでなく、授業が止まっているクラス全体のことがあったんだろう。
「日本の侵略戦争だった」との言葉は、ベトナム戦争が終結する10年以上前に「アメリカが逃げ出す」と予言していたり、ユーゴスラビアの内戦勃発を20年以上前に予言していた先生の言葉とは思えないのだけど、そんなのを差し引いても、私は先生を慕っている。
一つ考え方が違うだけで排除したりはしない。と言っても、私が特に大事にしている事柄に対して「これは赦せない」という考え方の違いがあれば排除する(もう付き合わなくなる)ことはあるけど。
で、川内先生のご意見は心に沁みる、特に最後の3行。ぜひ、お読みになって頂けたらと思う。
続編が出たら、また紹介させて頂きたい。
※ コメントの返信、少しお時間をください、少しずつ返信させて頂きます。すみません。
80、「人権」の乱発と大安売り!(拡散希望)
前回の投稿を読まれた方の中には私のことを人権否定論者のように思われた方もおられるのではないでしょうか。とんでもない誤解です。今の時代に人権が無用などとはゆめゆめ思いません。世界には今日の食料にも事欠く人がいたり、またチベットやウィグル自治区には圧政に苦しむ大勢の人達がいます。こういう人達が地球上にいる限り、私達は世界に向けて人権尊重の声を上げ続けなくてはなりません。
ところで人権という言葉についてですが、私はこの言葉は人間が生命の危険に曝されてとか、あるいは人としての尊厳が踏みにじられているような時にこそ使われるべきだと思っています。また、そういう人達の言う「人権」であれば世界中の人が納得し、共感するでしょう。しかし衣・食・住が曲がりなりにも満たされている我が国において、なお声高に人権を主張するのには違和感を覚えます。
いつのことだったか忘れましたが、日本の高校生が国連事務所に行って「私達は制服を着ることを強制されている、人権侵害だ」と訴えたところ、国連の人から「世界には制服どころか、服を買うことさえ出来ない人がたくさんいるのですよ。」と笑われたそうです。しかし教育界を観てみますと、こう言う笑い話のようなことがたくさんあるのです。
その一例・・・私は子供と書くとき、「子供」と正しく表記します。しかし教育界ではこれは禁じられています。教育界だけではありません。
世間では今「子供」ではなく「子ども」と交ぜ書きするのが通例です。新聞業界でも、産経新聞以外のほとんどのマスコミは「子ども」です。
学校はどうかって?当然「子ども」です。「子供」などと書こうものなら人権感覚を疑われ、直ちに書き直しさせられます。
理由をご存じでしょうか。二つあります。
一つは「子供という字の『供』は殿様が家来を連れて歩くときの『供』を意味する。子供を見下しているからけしからん。」というものです。
もう一つは「『供』と言う字はお供え物の意味である。子供をお供え物に例えるなど人権侵害だ」というものです。
それギャグで言っているのか?と言いたくなるほどの屁理屈です。多分どこかの三流教育学者が言い始めた屁理屈でしょうが、何であれ教育界ではこれが当たり前なのです。ということで「子供」と書く人間などは私のような頑固ジジィか、よほどの信念を持った人しかいません。因みに私の手元にある三冊の国語事典には「子供」はあっても「子ども」はありません。このように人権が暴走すると正しい日本語まで踏み荒らされてしまうのです。
話がそれてしまいましたが、要するに些細なことで「人権」の言葉を乱発しないでいただきたいと言うことです。今の人権はそのほとんどが自分の立場を有利にするか、あるいは気にくわない相手をへこませるための道具にしか使われていません。日常の些末な問題は人権問題ではなく、モラルの問題として扱われるべきです。
川内先生の見識は素晴らしいと思う、こんな先生がいらっしゃったんだ・・・、と感動さえ覚える。こんな先生がもっと多くいらっしゃったならなあ・・・、と残念に思うほど。今の教育現場のことはよく知らないが、今の世の中の荒れ方を見れば酷いモンであることは容易に想像がつく。
私が敬愛する中学時代の恩師、政治的には私と真逆のよう。私に「安倍さんは危ないぞ〜」とか「第二次大戦は日本の侵略戦争だった」とか、愛知トリエンナーレ問題で「大村さんは間違っとらんだわ、河村さんのほうが間違っとるだて」と仰っているので。それでも私が恩師を一生の師として慕っているのは、先生が出来の悪い生徒も優秀な生徒も横道に逸れてしまった生徒も、同じ愛情で接してくださっていたことと、私が起こした授業ボイコット問題で、先生が職員室の真ん中で「俺が悪かった、明日から授業を受けてくれ」と私に頭を下げてくださったから。
以前も書いたけど、先生は間違っていなかったと思う。にも拘らず、事態を収拾するために職員室の真ん中で私とK君に頭を下げた。その時に、「ああ、俺は大人に、目上の人に恥をかかせてしまった。誰が生徒なんかに頭を下げたいものか。俺はこの先生に一生ついていこう」と思った。先生の頭の中には、私とK君だけでなく、授業が止まっているクラス全体のことがあったんだろう。
「日本の侵略戦争だった」との言葉は、ベトナム戦争が終結する10年以上前に「アメリカが逃げ出す」と予言していたり、ユーゴスラビアの内戦勃発を20年以上前に予言していた先生の言葉とは思えないのだけど、そんなのを差し引いても、私は先生を慕っている。
一つ考え方が違うだけで排除したりはしない。と言っても、私が特に大事にしている事柄に対して「これは赦せない」という考え方の違いがあれば排除する(もう付き合わなくなる)ことはあるけど。
で、川内先生のご意見は心に沁みる、特に最後の3行。ぜひ、お読みになって頂けたらと思う。
続編が出たら、また紹介させて頂きたい。
※ コメントの返信、少しお時間をください、少しずつ返信させて頂きます。すみません。
2021年02月02日
池上彰氏の解説は信用しないほうがいい
私の毎日の訪問先、「パチンコ屋の倒産を応援するブログ」での1月31日付の記事、
「むしろ自衛官には感謝しかないですが?」
池上さん、ちゃんと自分で調べて(裏どりして)発言しているのかな、与えられた原稿をそのまま読んでいる、という話もあるし。私は、以前に「3.11の際に真っ先に救援隊を派遣してくれたのは韓国」と番組の中で言っていた時から信用しなくなったけど。本当は台湾だったのにね。
人間だから、間違ったことを言うこともあるだろう。ただしその後で「前回の番組の中で私はこう伝えましたが、それは誤りで、実際はこうでした」などと訂正していないだろな、もう視てないけど。公共の電波で間違った情報を流したのだから、修正して謝罪するかどうかが信用度の分かれ目。番組制作側は、池上氏が例え「謝罪して訂正したい」と申し出ても許さないだろうけど。
池上氏は視聴者から「あの池上さんが間違ったことを言うワケが無い、池上さんが言うんだから正しい」と盲目的に信用されているから、そういう人を使って偏った番組作りをするテレビ局もまた信用できない。正しい話を並べておいて、「視聴者を誤誘導したい」ウソを一つだけブチ込んでくる手法で。
上の記事で、共産党員の元山仁士郎がツイートで「迷彩服でコンビニで買い物する自衛官」を批判的に悪意をもって書いているのも紹介していて、たしかに通路でバッタリ会ったらドキッとするかも知れないけど、すぐに「そっか、自衛官の人ね」と気が付くワケで、私なら「ご苦労さまです」と声を掛ける。
いつも思うんだけど、こういう奴ほど、非常事態になったら「自衛隊は何をしている、早く助けに来い!」などと騒ぐんだろうな。支援してもらっても感謝もしない、韓国人と同レベルに違いない。
さて、もしも「凄く信用できそうに見えて全く信用できない有名人ランキング」なんてものがあったら、私なら池上氏を推す。あ・・・、緑の狸といい勝負か・・・。もっとも、緑の狸は「信用できそうもなく見えてやっぱり信用できない有名人」だけど。逆に「一番信用できそうもなく見えて実は凄く信用できる有名人」だったら誰かなあ。刑事モノのドラマでいつも悪役を演じている俳優が並ぶんじゃないかな。
さて、今日はこれから早出して仕事で埼玉の山奥まで行く。実に有り難いお話で (^◇^)
「むしろ自衛官には感謝しかないですが?」
池上さん、ちゃんと自分で調べて(裏どりして)発言しているのかな、与えられた原稿をそのまま読んでいる、という話もあるし。私は、以前に「3.11の際に真っ先に救援隊を派遣してくれたのは韓国」と番組の中で言っていた時から信用しなくなったけど。本当は台湾だったのにね。
人間だから、間違ったことを言うこともあるだろう。ただしその後で「前回の番組の中で私はこう伝えましたが、それは誤りで、実際はこうでした」などと訂正していないだろな、もう視てないけど。公共の電波で間違った情報を流したのだから、修正して謝罪するかどうかが信用度の分かれ目。番組制作側は、池上氏が例え「謝罪して訂正したい」と申し出ても許さないだろうけど。
池上氏は視聴者から「あの池上さんが間違ったことを言うワケが無い、池上さんが言うんだから正しい」と盲目的に信用されているから、そういう人を使って偏った番組作りをするテレビ局もまた信用できない。正しい話を並べておいて、「視聴者を誤誘導したい」ウソを一つだけブチ込んでくる手法で。
上の記事で、共産党員の元山仁士郎がツイートで「迷彩服でコンビニで買い物する自衛官」を批判的に悪意をもって書いているのも紹介していて、たしかに通路でバッタリ会ったらドキッとするかも知れないけど、すぐに「そっか、自衛官の人ね」と気が付くワケで、私なら「ご苦労さまです」と声を掛ける。
いつも思うんだけど、こういう奴ほど、非常事態になったら「自衛隊は何をしている、早く助けに来い!」などと騒ぐんだろうな。支援してもらっても感謝もしない、韓国人と同レベルに違いない。
さて、もしも「凄く信用できそうに見えて全く信用できない有名人ランキング」なんてものがあったら、私なら池上氏を推す。あ・・・、緑の狸といい勝負か・・・。もっとも、緑の狸は「信用できそうもなく見えてやっぱり信用できない有名人」だけど。逆に「一番信用できそうもなく見えて実は凄く信用できる有名人」だったら誰かなあ。刑事モノのドラマでいつも悪役を演じている俳優が並ぶんじゃないかな。
さて、今日はこれから早出して仕事で埼玉の山奥まで行く。実に有り難いお話で (^◇^)
2021年02月01日
まさに、我が意を得たり (いつもの、「NPO法人百人の会」のメルマガより)
川内時男先生の活動報告(基) (元徳島県公立中学校校長)
79、凶暴化する人権(拡散希望)
以前も申し上げましたが、近年の我が国の国力衰退はひとえに欧米教育を真似てきたことによります。なぜなら、欧米の教育は日本人の体質に合わないからです。これについては以前から何度も申し上げてきましたので、これまでにしておきます。
しかしここで大事なこと・・・それは海外から何かの文化を持ち込むときには、それが我が国の風土、即ちお国柄に合うかどうかを熟慮し、慎重にするべき、と言うことです。拙速に持ち込めば古くから我が国に根づいていた文化を荒らしてしまうからです。ジェンダーフリーなどはその典型でしょう。
ところで、近年はやたらと世間がギスギスしてきたとは思いませんか。些細なことで「人権侵害だ」「プライバシーの侵害だ」「セクハラだ」「パワハラだ」「差別だ」などの言葉が飛び交い、加えて「○○権」などの言葉が雑草のようにはびこり、うかつにものが言えなくなりました。うっかり口を開いて失言でもしようものならたちまち噛みつかれます(まるで今の野党議員のようです)。心なしか私には人々の顔が尖って見えるようになりました(蓮○議員などはその典型)。
こんな社会では人々は、世間から「口撃」されないようにするには人との関わりをもたないのが一番と考え、建前論ばかりが横行するようになります。当然人間どうしのつながりは希薄になり、温かさが失われていきます。これも我が国に持ち込まれた人権が過激化したことが原因・・・と言いたいところですが、まさか人権そのものが悪いはずはありません。なんと言っても人権は人類普遍の価値観です。これを否定するならご近所にある国と同じです。
では何が悪かったのでしょう。人権が暴走し、人権という言葉をかぶせればどんな無理筋でも通る、という「人権原理主義」になったからです。こんなものが社会にはびこりますと、本来人間を幸福にするはずの人権が、無機質で窮屈な社会を作ることになります。
江戸の庶民は人権の概念がなくとも、九尺二間の裏長屋で心豊かに暮らしていました。板きれ一枚で仕切られた棟割長屋ですからプライバシーなどないも同じです。それでも現代人よりずっと心豊かでおおらかに暮らしていたそうです。なぜこんなことが出来たのでしょう。それは江戸の社会には「人権」より温かい「義理人情」があったからです。
「義理人情だと?古くせぇ、わははは・・・」の声が聞こえてきそうです。ではかっこよく言い換えましょう。「ジャパニーズ・トラディショナル・ヒューマニズム」ではいかがですか(笑)。
誤解しないで下さい。私は「人情があれば人権など要らぬ」と言っているのではありません。欧米直輸入の人権を、我が国のお国柄にあうような温和な人権にすべき、と言っているのです。マスやイワナが棲む美しい渓流に獰猛なブラックバスを放てば、たちまち渓は死んでしまいます。調和のとれた美しい日本の社会にはブラックバスのごとき獰猛な人権は似つかわしくないのです。凶暴な人権ががはびこっては日本人の品格が失われるのです。
(原文のままですが、適宜改行させて頂きました)
まさに、私が普段から言っていることと同じですね。違うところは、先生のほうが文章に品があって、例えが的確である、ということでして・・・。でも言わんとすることは全く同じです。
誰もが異論を唱えにくい「人権」だの「社会的弱者」などという言葉を盾に議論を展開する奴、自分の主張を押し付けてきたり一方的に譲歩を迫る奴らは社会のクズだと思っています。私は、「人権があ」 「不平等でえ」と言われても、「それが何!?」と言い切ってしまいますが。
過度な人権は、時に暴力になります。逆差別を生み、民主主義を破壊することさえあります。「人権」が反社会的活動家に利益をもたらし、程度の問題とか優先順位が御座なりにされるのですから。
学校でしっかり教育してほしいものですが、悲しくなるくらい今は教師の質が落ちていると実感します。個別の事案に対してでなくても、せめて「与えられた情報が真実かどうか、何が正しくて何が間違いなのか」先ずは自分の頭で考える習慣を身に着けるよう教えてもらいたいですね。
79、凶暴化する人権(拡散希望)
以前も申し上げましたが、近年の我が国の国力衰退はひとえに欧米教育を真似てきたことによります。なぜなら、欧米の教育は日本人の体質に合わないからです。これについては以前から何度も申し上げてきましたので、これまでにしておきます。
しかしここで大事なこと・・・それは海外から何かの文化を持ち込むときには、それが我が国の風土、即ちお国柄に合うかどうかを熟慮し、慎重にするべき、と言うことです。拙速に持ち込めば古くから我が国に根づいていた文化を荒らしてしまうからです。ジェンダーフリーなどはその典型でしょう。
ところで、近年はやたらと世間がギスギスしてきたとは思いませんか。些細なことで「人権侵害だ」「プライバシーの侵害だ」「セクハラだ」「パワハラだ」「差別だ」などの言葉が飛び交い、加えて「○○権」などの言葉が雑草のようにはびこり、うかつにものが言えなくなりました。うっかり口を開いて失言でもしようものならたちまち噛みつかれます(まるで今の野党議員のようです)。心なしか私には人々の顔が尖って見えるようになりました(蓮○議員などはその典型)。
こんな社会では人々は、世間から「口撃」されないようにするには人との関わりをもたないのが一番と考え、建前論ばかりが横行するようになります。当然人間どうしのつながりは希薄になり、温かさが失われていきます。これも我が国に持ち込まれた人権が過激化したことが原因・・・と言いたいところですが、まさか人権そのものが悪いはずはありません。なんと言っても人権は人類普遍の価値観です。これを否定するならご近所にある国と同じです。
では何が悪かったのでしょう。人権が暴走し、人権という言葉をかぶせればどんな無理筋でも通る、という「人権原理主義」になったからです。こんなものが社会にはびこりますと、本来人間を幸福にするはずの人権が、無機質で窮屈な社会を作ることになります。
江戸の庶民は人権の概念がなくとも、九尺二間の裏長屋で心豊かに暮らしていました。板きれ一枚で仕切られた棟割長屋ですからプライバシーなどないも同じです。それでも現代人よりずっと心豊かでおおらかに暮らしていたそうです。なぜこんなことが出来たのでしょう。それは江戸の社会には「人権」より温かい「義理人情」があったからです。
「義理人情だと?古くせぇ、わははは・・・」の声が聞こえてきそうです。ではかっこよく言い換えましょう。「ジャパニーズ・トラディショナル・ヒューマニズム」ではいかがですか(笑)。
誤解しないで下さい。私は「人情があれば人権など要らぬ」と言っているのではありません。欧米直輸入の人権を、我が国のお国柄にあうような温和な人権にすべき、と言っているのです。マスやイワナが棲む美しい渓流に獰猛なブラックバスを放てば、たちまち渓は死んでしまいます。調和のとれた美しい日本の社会にはブラックバスのごとき獰猛な人権は似つかわしくないのです。凶暴な人権ががはびこっては日本人の品格が失われるのです。
(原文のままですが、適宜改行させて頂きました)
まさに、私が普段から言っていることと同じですね。違うところは、先生のほうが文章に品があって、例えが的確である、ということでして・・・。でも言わんとすることは全く同じです。
誰もが異論を唱えにくい「人権」だの「社会的弱者」などという言葉を盾に議論を展開する奴、自分の主張を押し付けてきたり一方的に譲歩を迫る奴らは社会のクズだと思っています。私は、「人権があ」 「不平等でえ」と言われても、「それが何!?」と言い切ってしまいますが。
過度な人権は、時に暴力になります。逆差別を生み、民主主義を破壊することさえあります。「人権」が反社会的活動家に利益をもたらし、程度の問題とか優先順位が御座なりにされるのですから。
学校でしっかり教育してほしいものですが、悲しくなるくらい今は教師の質が落ちていると実感します。個別の事案に対してでなくても、せめて「与えられた情報が真実かどうか、何が正しくて何が間違いなのか」先ずは自分の頭で考える習慣を身に着けるよう教えてもらいたいですね。