2004年05月12日

私は神を信じない

営業の世界では、「政治と宗教と野球の話はタブー」だと言われている。
相手が必ずしも「自民党支持者」であったり「キリスト教徒」であったり「巨人ファン」とは限らないからである。

大きな商談の契約直前になって気が緩み、「いやー、昨日の巨人×阪神戦、清原のサヨナラホームランにはスカッとしましたねー」と言ったら、商談相手は「隠れ虎キチ」で、契約がご破算になってしまった、なんてこともあるからだ。事実、このテの失敗談はよく聞く。

そういう話をしても良いが、相手を熟知しておいて「合わせる」必要があるし、ご主人と奥様が「宗旨違い」などということもあるので、やはり避けた方が無難である。
私など、相手が無類の巨人ファンだと知っていながら巨人をボロクソにコキおろしたりする。そうするためには信頼関係や高等テクニックが必要だ。熱狂的な巨人ファンであっても、「巨人の全部が好き」という人はほとんどいない。「由伸は好きだけど清原は嫌い」だったりするから、その部分を適当に潰してやれば逆に喜ばれる。
スイカを食べる時には「少量の塩をふってやると、より甘味が増す」、というものだ。

だが、宗教だけはそうはいかない。「部分的に潰す」、なんてことは不可能である。

私は個人的には「自分に勧めさえしなければ、相手が何を信仰していても構わない」という考えだから、いろんな宗派の友人がいる。うちの管理物件の家主さんにも、キリスト教や日蓮宗や真如苑といった信仰をお持ちの方がいらっしゃるが、何の問題もなくお付き合いさせて頂いている。うちの現在の家主さんに限っては、不思議に、特定の信仰を持っていても「価値観や考え方が偏っている」、なんてことはほとんど無い。

私は「罰当たりな人間」で、神仏など全く信じない。
神仏を信じるより「人」を信じていたい、と思う。
それどころか、罰当たりにも、「ワールド・トレード・センター・ビルに旅客機が突っ込むのを事前に止められなかった神様が、突っ込んだ後でいったい何をしてくれるというの」、くらいに思っている。というよりも、柴田練三郎氏作の「眠狂四郎」の言葉を借りるならば、「神が人を造ったのではなく、人が神を造ったのだ」、と信じている。

地球が宇宙に誕生して45億年と言われている。1世紀(100年)を1mmとして年表を作ると、長さは45kmにもなって、ほぼ同じ距離のマラソン競技に例えれば、競技場からスタートして走り続け、競技場に戻って周回し、ゴール前4mくらいのところでやっと人類が誕生し、ゴールテープ直前2cmのところでキリストの生誕である。キリスト前39万8千年の間に生まれて死んでいった人たちは何だったの、と思ってしまう。この世の、戦争も紛争もテロも犯罪も、すべて人間が行なっているもの、あるいは単に大自然の営みの一部でしかない、と私は確信している。本当に「神」が存在するなら、最初から世の中をすべて公平なものにして、貧富の差や争いごとをなくしてくれたって良さそうなものである。

実はこの年表の話、何度計算してもこうなってしまうのだが、計算違いではないか、と今も不安でならない。もし間違いがあればご指摘頂けると本当に有り難いと思う。

かつて、何代か前のローマ法王に、「世の中に何故宗教と言うものが存在するのでしょうか」と、ある枢機卿が聞いたところ、「それは、世の中が不公平にできているからです」とお答えになったとか。私が産まれる前の話だが、この話を当時聞くことができたとしたら、私はカトリックの信者になっていたかも知れない(爆)
それほど、その法王は「世俗に通じていた」ということになるが、こんなのは稀である。

ヨーロッパを旅すると、日に何度かはキリスト教の教会に案内される。たしかに、絵画も音楽も建築も、様々な文化がキリスト教と密接に関係して発展してきたことには違いないが、行く先々で、「マリア様やイエス様にひざまずく民衆の絵」を見せられると、何かが違う、と思ってしまう。どうして神様が人間の姿をしているのだろう、と不思議にも思う。まさにこれこそが、「人が神を造ったという証拠」ではないだろうか。

私は、人の世に貧富の差と不公平が存在する限り、地球上から戦争や紛争や、そしてテロを無くすことは絶対に不可能なことと思っている。
地球上には人類が存在していて、なおかつ、神は存在しないのだから・・・。
posted by poohpapa at 06:00| Comment(16) | TrackBack(0) | プライベート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
1世紀=1mmの年表の話は、間違いではないのでしょうが、誤解を招く心配があります。
「人類の誕生」と書くと、普通は400万年前の猿人(アウストラピテクス)を指します。(それ以前の化石が発見されていれば別ですが、私は知りません。無責任でスミマセン、専門で無いので。)
1世紀=1mmの年表にすると、40m手前で猿人が誕生し、5m手前で原人(ジャワ原人、北京原人)が誕生し、2m手前で旧人(ネアンデルタール人)が誕生し、40cm手前で新人(クロマニヨン人)が誕生した、って感じでしょうか?

あと、創造論では数秒前の記憶からすべて神が創ったとする理論もありまして、今のところこの説を否定することは不可能です。
当然私はこれを信じてはいませんが・・・
また、聖書では神が人に似ているのではなくて、人が神に似ていることになってます。
神が自分に似せてアダムを創造したらしいので。
当然お臍の存在はずいぶん問題になったようですが・・・
Posted by ハリケーン at 2004年05月12日 08:08
中学からプロテスタント系の学校に行って免疫が出来たやすです 苦笑
 私も神は人が作ったもの、といいますか考えた人間は相当な商才の持ち主だと思ってます 笑
 ところでpoohpapaさん仰る
「人の世に貧富の差と不公平が存在する限り」
 というのは、人が存在する=貧富の差と不公平がある
みたいな気もしますが・・・ 汗
 だからと言って人がいなくなれ、とか言う意味じゃないですよ(苦笑)
 ただ「公正」な社会であって欲しいとは思います。
 
Posted by やす at 2004年05月12日 11:04
ハリケーンさん、早速ご指摘有り難うございます。

そうですね、「人類の誕生」としてしまうと、たしかに「猿人」まで遡る必要がありそうです。高3の時の「世界史」で、担当教諭が「人類誕生」を40万年前としていて、それは、ハリケーンさんの仰る「新人」という意味合いで言っていたと思われます。この説にも、約35万年前、30万年前、というのもあるように聞いていますが、私は高校時代の講義内容をそのまま使うことにしました。たしかにハリケーンさんのご指摘の方が理に適っていると私も思いますが、このコラムは修正せずそのままにさせて頂きますね。
それにしても、ゴールのたかだか40m手前の話で、「もう勝利を確信して右手を高々と振って観衆の声援に応えながら間もなくゴールインします!」、ですもんね(^^♪

もっとも、「世界史」の授業は1年間、全講義、机に顔を伏せて寝ていましたので定かではないのですが(爆)
いろいろありまして、その教科担任に「アンタの講義など聴く気は無いよ」、と抗議する意味で、ず??っと寝たフリをしていました。ただし、顔は伏せていても講義は聴いていましたけど。まあ、そんなことを1年間続けるワケですから、ホントに嫌な生徒だったと我ながら思います^^;

生命の誕生も、「雄と雌」以外の第三、第四の性とかあったりして、それが自然界で淘汰されて「雄と雌」が残ったのかも、とか考えたりしています。基本的には「ヤラなきゃ生まれない」、と思いますが、一番最初はどうだったのか関心はあります。人類の誕生に関しても、最初は「男と女」1人ずつ、ではなく、「ほぼ同じ時期にそれぞれの大陸で自然発生的に相当数が誕生していたのでは」、と私は考えています。

でね、「神が自分に似せてアダムを創った」という話は聞いたことがりますが、その話を「人間が作った」と私は思っていて、まさに「卵とヒヨコ」になってしまいますね(爆)

とても参考になりました。本当に有り難うございます。
Posted by poohpapa at 2004年05月12日 12:09
やすさん、こんにちは

「人が存在する=貧富の差と不公平がある」というのは真理でして、これは、資本主義経済の国のみならず社会主義の国であっても必ずありますね。地球上に「人類」が存在している以上、必ず「不公平と貧富の差」が生まれ、悩みも生まれるので、それで宗教家の生きる道ができる、くらいに考えています。ただ、私も宗教を全部否定しているワケではなく、本や映画や音楽などによって感動し癒されるのと同様、信仰によって救われる魂(心)があるなら、それはそれで良いこと、と考えています。

今、とかく話題になるイスラム教も、ニュースなどにより、イスラム教=テロ組織、と思われがちですが、正しく説明を受けると、理念や考え方としてはとても合理的なものです。私が、もしどうしても何か信仰を持たなければならないとしたら、イスラム教を選びます。これは、以前トルコを旅した時に、現地ガイドさんが実に詳細に分かり易く解説してくださったことに因ります。

宗教が建前で「公正で平和な社会」を目指していても、宗教家は「絶対無理」と知っているハズで、私には「偽善」としか思えないでいます。本当に幸せで満ち足りている人には信仰を勧めず、今悩んでいる人に入信を勧めてくるのが宗教ですもんね。

「貧富の差も不公平も無くならない」と理解したうえで、いかに良い人生を歩むか、だけを考えています。

いつもコメント有り難うございます。
Posted by poohpapa at 2004年05月12日 12:36
poohpapa様の歴史観は壮大痛快で、「目から鱗」です。
キリスト様も場合によっては有色人種だったりするのは、正に
「人あっての宗教」を再認識させられます。キリストが迫害
されて十字架に磔刑にされた歴史は、
ある意味その有色人種にこそ相応しいとされた挙句、
キリストの出自自体を捻じ曲げて
教義に盛り込むな??んて「離れ業」まで「有り!」なんて!
人間の創造力、想像力って凄い。
(こんな事書いてると、攻撃受けちゃうぞ??)
同一宗教であっても、優れた教祖が現れると、
教義自体の解釈を進化、深化して「穴」を無くしたり
してますよね。あるいは○○学会の様に日蓮宗の本家と
袂を別ってしまうのも「人の確執」ですものね
かつてオ○ム教団が仏教に登場する主要人物の名前を
ちゃっかり頂いて、
今、塀の内の松本さんは仏陀の生まれ変わり
な??んちゃって、、、アーチャリー(彼の娘)学校で
虐められてないかしら、そもそも登校してるのかな?
不公平や差別は人の世に無縁にはなれないかもしれない
けれど、アフリカのサバンナで過酷な旅を続ける象たちが、
病気で脱落する仲間を見捨てず、
川を渡れぬ小象を見捨てない
のを「人として」恥ずかしいと思います。
こんなコメント寄せるとコラムの寿命を縮めかねないけれど
poohpapa様の打たれ強さに期待して・・・(爆)
Posted by 街のクマ at 2004年05月12日 12:51
街のクマさん、こんにちは

気を遣いながらのコメント、有り難うございます(爆)

宗教に関しては、仕事の上でも不愉快なことがけっこうあって、そうなると益々宗教離れしてしまいますね。でも、本文でも触れていますが、私は「神の存在」は信じていませんが、宗教や信仰は否定しているワケではないのですよ。まあ、好きではありませんが(^^♪

でね、私の主張は「神を冒涜する恐れ多いもの」だと思われるかも知れませんが、自分では全く逆と考えています。総て「我々人間のせい」、と考えているからです。クマさんが仰るように、○○学会が日蓮宗の本家と袂を別ってしまうのも「人の確執」です。すべて人間がやっていることで、そこには神も仏も存在しません。ただし、神の存在は信じませんが、大自然の営みには「驚異」を感じています。宇宙の星の配列にも。

あ、またタイの象さんを思い出してしまった。来年の夏あたりにはヤッパリ行こうかな。

この後、激しいバッシングのコメントが入らないことを祈りつつ^^;
Posted by poohpapa at 2004年05月12日 13:41
いつも楽しく読ませてもらってます。私も宗教は信じていないタイプの人間なんで。宗教に救われている人がいることは確かですが、これまでに起こった戦争の多くが宗教によるものが多いのもまた確かな事実なのだと思うからです。ま、久々に電話してきた友達の用件が創○学会の勧誘や、選挙で公○党に一票をといったものだったことに腹が立ったのもあるんですけどね。久々に話すのにほかにいうことはないのか。。。互いに信じる宗教や思想が違っても理解しあえるようになれればいいですね。
Posted by ゆう at 2004年05月12日 13:53
ゆうさん、こんにちは

たしかに、戦争は宗教によって起こされているものも多いですね。とは別に、「魔女狩り」みたいなことも信仰を持っている人達がしていたわけだから、やはり「人」がしていること、だと思います。

私も、以前はいろんな宗教団体への「入信」を勧誘されたことがあります。
選挙の前だけ電話してくるお客さんもいます。けっこう不愉快ですが、「はいはい、分かりました」、と言っております^^;

最近は「無心論者」オーラを出しまくって防御している所為か、あまり誘われなくなりました。親友もたくさんいますが、信仰を持っている人は1人もいないんですよね、不思議なことに。やはり、価値観が近い、ということでしょうか。

コメント、有り難うございます。
Posted by poohpapa at 2004年05月12日 14:33
こんにちは
恥の上塗りになる元凶をつくってしまいお詫びを書き込ませていただきました。
それはさておき、狂信的な教徒の方が書き込みにきていなくて
なによりです。(藁
ちなみにキリスト生誕以前のことですが、やはり神は存在していた
ことになっているようですよ?
キリストそのものは穢れて救いようのなくなってしまった人類を
救済するために生まれてきたということですし。
まあ、猿人ですとか進化論だとかはわかりえない時代に新訳/旧訳
聖書とも書かれているんですけど。
進化論そのものを認知したのもつい最近のことですし,まあ,宗教界の方たちとは
何かにつけ会話をそつなくつなぐのは無しかしいことですね。
かくいう私もキリスト教徒ではありませんが、仏教徒です! (爆
まあ、仏とは命あるものの中にはすべて存在するものですし,
「人を信ずる」という気持ちには一番近いかも?
こんなこと書き込むと怒っちゃう仏教徒の方もいらっしゃると思いますが。
どうかお目こぼしを!
Posted by kk at 2004年05月12日 14:52
kkさん、再びこんにちは

ホント、宗教論は危ない危ない(爆)
冷や汗モンです。そんななら書かなきゃ良さそうなものですが、書かずにいられない性格でして(笑)

かりに、もし宗教が無ければ、音楽も美術も建築も、果ては民主主義も発展しなかった(もっと時間がかかった)とは思いますので、「宗教が存在して良かったこと」の方が多いのかも知れません、たとえ戦争が起きていても。外国には政治団体で「キリスト教民主党」なんてのがあるのに違和感を感じてしまいますが、日本では憲法違反であっても、欧米では当たり前のことなんですね。オーストラリアでは、どんな宗教であれ、「信仰を持っていない人」は信用されないとか。私は移住できません^^;

あ、そうそう、うちの実家は浄土真宗(お東さん)のようでした。あまり熱心な信者ではありませんでしたが。

何度もコメント頂きまして本当に有り難うございました。
Posted by poohpapa at 2004年05月12日 15:17
どんたくです。
僕は特定の宗教を持っているわけではないですが、宗教は必要じゃないかとは思っています。
ただ、今のところ「正しく暮らしていれば、誰かはきっと見ている」程度に清く正しく生きていければいいなあと思いつつ、日々これ後悔ですが。
僕も何か宗教にと言われればイスラムでしょうか。教義については非常に惹かれるものはあります。
が!最大の問題が。福岡出身なんでとんこつラーメンはソウルフードだし、かつどんとか豚の角煮とか大好きなんで、だめですね。

宗教が必要なひとつの理由にはやはり権威の裏づけがあるんでしょう。政権の正当性とかなにやらどうしようもないときの切り札に使えますからね。この権力は神から与えられた!と言ってしまえばそれで済んじゃいますから。
あ、でも現在でも僕があればいいな思うのは子に道徳を説くのに、もう親の権威では子は従いませんから(笑)

あ、宗教に関してはひろさちや氏の「宗教練習問題」という文庫本がお勧めです。いろんな宗教についてわかりやすく説明してるし、ちょっと毒があるから楽しいです。
Posted by どんたく at 2004年05月12日 20:19
どんたくさん、こんばんは

ワッハッハ、そうですよね、豚骨ラーメンは食べられませんよね。「お祈り済み」(何ていうか忘れました^^;)の豚骨、いちいち使えませんもんね。実は、私も一番好きなラーメンは豚骨なんで、やっぱりイスラム教は無理かも(爆)
でも、同じ感性の方がいらっしゃって嬉しいです、本当に。

宗教を政治に利用する権力者は古今東西よくいますね。時として非常に便利な「道具」です。

ひろさちや氏の「宗教練習問題」、今度図書館で探してみます。
(「買う」とは言わない^^;)

コメント、有り難うございます。
Posted by poohpapa at 2004年05月12日 20:38
poohpapaさんこんばんは。

わたしも無神論者を気取っておりますが、先日目から鱗な思いをいたしました。

あるお寺さんで和尚さんとお話しした際に、
「宗教に限らず色々なお誘いを受けたときには、次の2点に気をつけてください。
組織を大きくし、お金を求めたがるグループなのか?
自分たちの組織以外を受け入れないグループなのか?
この2点にあてはまるグループにあてはまるようでしたら、覚悟を決めてお入りなさい。覚悟が無ければ、関わらない方が身のためですよ」
とお話しされました。
たしかにいわゆる新興宗教と呼ばれる組織は、上記2点にあてはまってしまうんですよね。
気をつけます。

ところで、キリスト教のことですが、とくにカトリック系は音楽に深く関わっています。
私の師匠(と呼ぶのも失礼にあたるのですが)が、音大を出てから修道士になり指揮者になられた方でして、お話しを聞き教えをいただくたびに、宗教と音楽は切り離せないことを痛感します。

宗教という言葉はつい一人歩きしてしまうものですが、私個人にとっては、自分の中にだけに留めておき他者へ広めることを控えれば、人生においてとても頼りがいのあるものだと思うようになってきました。
でもいまは、これといって信仰したい宗教もないんです。
しいてあげれば、上述の和尚さんの個人的なファンになったくらいでしょうか?
それでは。
Posted by し?? at 2004年05月13日 19:05
し??さん、こんばんは

和尚さんのお話、いいお話ですね。まさに「真理」です。
で、世の中の宗教、ほとんど該当します(爆)
そのお話、私はしっかり覚えておきたいと思います。

元々宗教は、その人の「心の奥深くに存在するもの」、と思っていますので、まあ、「自分が入信して、良かったから人に勧める」、と言うでしょうけど、勧められる方は迷惑だったりしますね。押し売りよりしつこかったりして(^^♪

クラシック音楽は、宗教、とりわけキリスト教抜きにしては考えられませんね。絵画もそうですが。

若い頃は音楽一辺倒でしたが、歳を取ってきて、美術館巡りが好きになりまして、嫌味なお話ですが、「モナリザ」にも3度面会して、オルセーにもプラドにもウフィッツィーにもメトロポリタンにも行きましたが、名画のほとんどがキリスト教がらみでしたね。絵描きさんも生きてく為には協会と仲良くしていたほうが良いワケで、まあ、仕方ないかとは思いますが^^;

私としては「多様な価値観」を持っていたいし、世間を広くしておきたいので、死ぬまで無信仰でいくのかな、と思います。でも、こういうのに限って、最後の最後では「神様??、お助けを!」、って叫ぶのかも知れません(爆)

いいお話を有り難うございました。
Posted by poohpapa at 2004年05月13日 19:55
WTCに突っ込んだのを止めなかったのこそ、不公平(米国一極支配型の世界)を是正しようとする神意とも受け取れる気が…

それに、
神様=人類を公平に平和に保つ
という概念はキリスト教、仏教などにのみ言える大衆化された一般的な宗教観です。

戦争は平和への過程となりえる場合もあるのです。

私も神は人間が勝手に創り上げたものだと思っていますが、様々な宗教を学んだ結果、古代人の創造力に驚かされました。

古代人が見抜いた現世の本質が、神話や聖書の形の中で表現されていると。

あ、「神を信じず人を信じる」というのがお望みでしたら、神道系の宗教観が合っているのでは。神道では神は平和や公平でムラのない世の中を作るという存在でもないし、残虐な神もいます。天国も地獄も戒律も何もありません。私も無宗教で、単なる宗教オタクですが強いて信仰するなら気楽にコレでしょうw

そういえば私も営業ですが、商談相手が初対面時に創価学会の悪口を振ってきた場合は相槌は禁止、むしろ異論を唱えたほうがいい場合もあると教えられました^^ どうやら相手は学会員である場合が多く「こいつ学会員かな??バレないように打診しよう」という時に用いるジャブみたいなものらしいです。見極めて学会員ヅラすると受注に漕ぎ着ける可能性もあるとw
Posted by 通りがかりですが at 2005年02月25日 01:20
「通りがかりですが」さん、おはようございます

相手が創価学会員であることが分かっている場合、相手の自宅で商談する時はひろともさんの仰る方法は使えないのですよ。学会員が学会員のお宅に訪問する際には、上げて頂くと必ず仏壇の前に座って手を合わせ「南無妙法蓮華経」を3回唱えるようですね。

私が営業で歩いていた埼玉県の志木と新座は、全国でも一番創価学会世帯率が高い地域で、私の先輩などはポケットに常に数珠を入れておき、営業に行って学会員の家だと分かると、先ず仏壇の前に通してもらっていました。ただし、これは危険な賭けです。よほど精通していないと、すぐボロが出ます。安い商品を勧めるならそれでも良いのでしょうが、不動産の営業では難しいですね。

ところで、9.11テロについて、ですが、「不公平(米国一極支配型の世界)を是正しようとする神意」、と言うのは私は違うと思います。何の罪もない大勢の人たちにあれ程惨い死を与えなければ不公平を是正できないとしたら、「神は無能」です。以前のような平穏な日々を送れない遺族や、今なお心と体の後遺症に悩んでいたり自殺した方たちも大勢います。「神」なら他に方法があったハズです。もちろん、これは私の持論です。

コメント、有り難うございます。



※ 過去ログへのコメントにつき返信させて頂きました。
Posted by poohpapa at 2005年02月25日 06:50
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